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ここに書いてあることは、誰かが実際に手を動かして調べ、考え、作り上げてきたものを拾い集めています。専門の本や論文、作品、そしてそれを生み出した人たち。気になったことがあれば、ぜひそのおおもとに直接ふれてみてください。このメモには書ききれない熱を、感じてもらえると思います。

バスケットボールは、ふゆの ひまつぶしから 生まれた

バスケットボールは、冬の暇つぶしから生まれた

バスケットボールは、冬の暇つぶしから生まれた

分野:歴史・文化

1891年、アメリカの 体いくの 先生が、校長先生から こまった 注文を うけた。「冬でも しつ内で できる、あんぜんな あたらしい スポーツを、2しゅうかんで 考えなさい」[1]

こまった 先生が かべに とりつけたのは、ももを はこぶ ための かごだった。

1891年、アメリカの体育の先生が、校長先生から困った注文を受けた。「冬でも室内でできる、安全な新しいスポーツを、2週間で考えなさい」[1]

困った先生が壁に取り付けたのは、桃を運ぶための籠だった。

1891年、アメリカのある体育教師が、校長から「冬でも室内でできる、安全な新しいスポーツを2週間で考えろ」という無理な課題を出された[1]

彼が壁に取り付けたのは、桃を運ぶための籠だった。最初はドリブルという概念すらなかったルールの中身、ゴールから直接ボールを取り出せなかった時代、NBAの誕生とウィルト・チェンバレンの100得点、そして日本のリーグが国際試合から締め出された歴史までをたどる。

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1. ももの かごが、ゴールに なった

1. 桃の籠が、ゴールになった

1. ネイスミスは、無理な課題から新しい競技を生み出した

アメリカの マサチューセッツしゅうに ある 学校で、体いくの 先生を して いた ジェームズ・ネイスミスは、校長先生から こまった 注文を うけた。冬は さむくて、外で スポーツが できない。でも アメフトのように あらっぽくなく、サッカーのように 広い ばしょも いらない、あたらしい しつ内スポーツを 作れ、と いう ちゅうもんだった[1]

こまった ネイスミスは、たいいくかんの てすりに、ももを はこぶ ための かごを とりつけた。1891年12月21日、そこに ボールを 入れる、あたらしい きょうぎが 生まれた[1]

アメリカのマサチューセッツ州にある学校で、体育の先生をしていたジェームズ・ネイスミスは、校長先生から困った注文を受けた。冬は寒くて、外でスポーツができない。でもアメフトのように荒っぽくなく、サッカーのように広い場所もいらない、新しい室内スポーツを作れ、という注文だった[1]

困ったネイスミスは、体育館の手すりに、桃を運ぶための籠を取り付けた。1891年12月21日、そこにボールを入れる、新しい競技が生まれた[1]

マサチューセッツ州の国際YMCAトレーニングスクールで体育を教えていたジェームズ・ネイスミスは、体育部長のルーサー・ギューリックから課題を与えられた。冬季のニューイングランドで学生の運動不足を解消するため、アメリカンフットボールほど激しくなく、サッカーほど広い場所を必要としない、新しい室内競技を考案せよという内容だった[1]

ネイスミスは、体育館の2階手すりに、たまたま手元にあった桃の収穫用の籠を取り付けた。1891年12月21日、サッカーボールを使い、1チーム9人で行われた最初の試合が、バスケットボールの起点となった[1]

2. さいしょは、ドリブルすら なかった

2. 最初は、ドリブルすらなかった

2. 13条の原則には、ドリブルという概念すらなかった

さいしょの しあいは、9人 たい 9人で おこなわれた。ボールを もった まま はしっては いけない、と いう きまりが あり、パスだけで ボールを はこんだ。今の バスケットボールに ある 「ドリブル」は、まだ なかった[2]

つぎの 年、ネイスミスは、この あたらしい きょうぎの ための、13この ルールを まとめたと いう[2]

最初の試合は、9人対9人で行われた。ボールを持ったまま走ってはいけない、というきまりがあり、パスだけでボールを運んだ。今のバスケットボールにある「ドリブル」は、まだなかった[2]

翌年、ネイスミスは、この新しい競技のための、13個のルールをまとめたという[2]

最初の試合は9人対9人で行われ、ボールを保持したまま走ることは禁止されていた。パスだけでボールを運ぶ必要があり、現在のバスケットボールを特徴づける「ドリブル」という概念は、まだ存在しなかった[2]

翌1892年、ネイスミスはこの競技のための13条の公式ルールを公表したとされ、全米のYMCAに広まっていった[2]

3. 点が 入るたび、はしごに のぼって とった

3. 点が入るたび、はしごに登って取った

3. 底のない籠から、現在のゴール用具へと進化した

さいしょの ももの かごには、そこに あなが あいて いなかった。だから ボールが 入るたびに、かごの よこに おいた はしごに 人が のぼって、手で ボールを とりださなければ ならなかった[3]

やがて かごの そこに あなが あけられ、ぼうで つついて ボールを 出せるように なった。その後、かごは こわれやすい ため、金ぞくの わっかに、さらに あみを つけた 今の 形に かわって いった[3]

ゴールの うしろに ある 「バックボード」も、さいしょは なかった。かんきゃくが ゴールに さわって じゃまを する ことが あったため、それを ふせぐ ために つけられた[3]

最初の桃の籠には、底に穴が空いていなかった。だからボールが入るたびに、籠の横に置いたはしごに人が登って、手でボールを取り出さなければならなかった[3]

やがて籠の底に穴が開けられ、棒でつついてボールを出せるようになった。その後、籠は壊れやすいため、金属の輪に、さらに網をつけた今の形に変わっていった[3]

ゴールの後ろにある「バックボード」も、最初はなかった。観客がゴールに触ってじゃまをすることがあったため、それを防ぐために付けられた[3]

初期の桃の収穫籠には底の穴がなく、得点のたびに籠の隣に設けられたはしごに係員が登り、手でボールを取り出す必要があった[3]

その後、籠の底に穴が開けられ、棒でつついてボールを落とせるようになった。籠自体は壊れやすかったため、金属製の円筒形のゴールを経て、現在のような、底の開いたネット状のゴールへと切り替わっていった[3]

バックボードも当初は存在せず、観客席からゴールに直接触れてシュートを妨害する行為を防ぐために導入された[3]

4. NBAは、べつの名前で 生まれた

4. NBAは、別の名前で生まれた

4. BAAとNBLが合併して、今のNBAが生まれた

今の プロバスケットボール リーグ 「NBA」は、さいしょから この 名前だったわけでは ない。1946年、「BAA」と いう 名前で スタートした[4]

その後、ライバルだった べつの リーグ「NBL」と いっしょに なり、1949年に、今の 「NBA」と いう 名前に かわった[4]

今のプロバスケットボールリーグ「NBA」は、最初からこの名前だったわけではない。1946年、「BAA」という名前でスタートした[4]

その後、ライバルだった別のリーグ「NBL」といっしょになり、1949年に、今の「NBA」という名前に変わった[4]

現在のプロバスケットボールリーグ「NBA」は、1946年6月に「BAA(バスケットボール・アソシエーション・オブ・アメリカ)」として設立された[4]

BAAはライバルリーグの「NBL(ナショナル・バスケットボール・リーグ)」からチームを引き抜きながら勢力を拡大し、1949年8月、残ったNBLのチームがBAAに統合される形で、現在の「NBA」という名称に改められた[4]

5. 1しあいで、100点を とった せんしゅが いる

5. 1試合で、100点を取った選手がいる

5. ウィルト・チェンバレンは、1試合で100点を取った

1962年、ウィルト・チェンバレンと いう せんしゅが、1つの しあいで、なんと 100点を とった[5]

この きろくを こえた せんしゅは、いまだに いない。2ばんめに 高い とくてんは 長らく コービー・ブライアントの 81点だったが、2026年、バム・アデバヨと いう せんしゅが 83点を とって、この きろくを ぬりかえた[6]

1962年、ウィルト・チェンバレンという選手が、1つの試合で、なんと100点を取った[5]

この記録を超えた選手は、いまだにいない。2位は長らくコービー・ブライアントの81点だったが、2026年、バム・アデバヨという選手が83点を取って、この順位を塗り替えた[6]

1962年3月2日、ウィルト・チェンバレンはニューヨーク・ニックス戦で1試合100得点を記録した。NBAの歴史で1試合に三桁得点をあげた選手は、現在もチェンバレンただ一人である[5]

この記録に次ぐ歴代2位は、長らく2006年にコービー・ブライアントが記録した81得点だった。ところが2026年3月10日、マイアミ・ヒートのバム・アデバヨがワシントン・ウィザーズ戦で83得点をあげ、この記録を塗り替えた[6]。チェンバレンは同じ1961-62シーズン、1試合平均でも50.4得点という、これも破られていない記録を残している[5]

6. 日本の バスケは、せかいから しめだされた ことが あった

6. 日本のバスケは、世界から締め出されたことがあった

6. リーグの分裂とFIBAの制裁を経て、Bリーグが誕生した

日本には、むかし 「bjリーグ」と 「NBL」と いう、2つの プロリーグが あった。これは、1つの クラスに、たんにんの 先生が 2人 いるような もので、こまって しまうだろう。ただし ほんとうは 先生では なく、日本の バスケットボールの トップリーグが 2つに わかれて いた、と いう ことだ。これは せかいの バスケットボールれんめい(FIBA)から もんだいだと された[7]

2014年、日本は FIBAから、国さいしあいに 出られなく なる しょぶんを うけて しまった[7]

この しょぶんを うけて、2つの リーグは ひとつに まとまる ことに した。2016年、あたらしい プロリーグ 「Bリーグ」が 生まれた[7]

日本には、昔「bjリーグ」と「NBL」という、2つのプロリーグがあった。1つの国にトップリーグが2つあることは、世界のバスケットボール連盟(FIBA)から問題だとされた[7]

2014年、日本はFIBAから、国際試合に出られなくなる処分を受けてしまった[7]

この処分を受けて、2つのリーグは1つにまとまることにした。2016年、新しいプロリーグ「Bリーグ」が生まれた[7]

日本では2005年以降、「bjリーグ」と実業団色の強い「NBL」という2つのトップリーグが並立する状態が続いていた。国際バスケットボール連盟(FIBA)はこの体制を、日本代表の強化につながらない構造として問題視した[7]

2014年11月、FIBAは日本バスケットボール協会に対し、無期限の資格停止処分を科した。あらゆるカテゴリー・性別の日本代表チームが、国際試合に出場できなくなる事態となった[7]

この危機を受けて発足したタスクフォースの主導により、2つのリーグを統合する新リーグの設立が進められた。2015年6月、FIBAは制裁の全面解除を発表し、同年8月の理事会で正式に承認された。2016年9月22日、アルバルク東京と琉球ゴールデンキングスの一戦を皮切りに、新リーグ「B.LEAGUE」が開幕した[7]

じぶんでも やって みる

自分でも調べてみたくなったら

自分でも調べてみたくなったら

近くに バスケットゴールの ある こうえんが あれば、見に 行って みよう。ボールを 見たら、はじめて 見た 大むかしの 人が どう 思うか、そうぞうしてみると おもしろい。

近くにバスケットゴールのある公園があれば、見に行ってみよう。今のバスケットボールのチームや選手を、1つ調べてみるのもいい。

ネイスミスがまとめた13条の原則を実際に読んでみると、ドリブルという概念のなかった時代の試合が、どんなものだったか具体的に想像できるかもしれない。

しらべた ところ

参考にした情報源

参考にした情報源

  1. フリー百科事典『ウィキペディア』「ジェームズ・ネイスミス」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/ジェームズ・ネイスミス (体育部長ルーサー・ギューリックから冬季の室内競技の考案を課題として与えられたこと、1891年12月21日に桃の籠を使い1チーム9人・サッカーボールで最初の試合が行われたこと)
  2. 大谷大学「バスケットボールの歴史的背景」、フリー百科事典『ウィキペディア』「バスケットボール」。 http://www2.otani.ac.jp/~tmatsu/2002bunka/0112085/dai1shou.html https://ja.wikipedia.org/wiki/バスケットボール (最初の試合が9人対9人でドリブルの概念がなかったこと、翌1892年にネイスミスが13条の公式ルールをまとめ全米のYMCAに広まったこと)
  3. BtheB「バスケットボールの歴史!リングの高さやゴールの形状の変容」。 https://btheb.co.jp/archives/2895 (初期の桃の籠に底の穴がなく係員がはしごに登ってボールを取り出していたこと、その後底に穴が開けられ金属製の円筒形を経てネット状のゴールに切り替わったこと、観客のシュート妨害を防ぐためバックボードが導入されたこと)
  4. フリー百科事典『ウィキペディア』「NBA」、HISTORY「NBA is born」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/NBA https://www.history.com/this-day-in-history/august-3/nba-is-born (1946年6月にBAAとして設立されたこと、ライバルのNBLからチームを引き抜きながら勢力を拡大し1949年8月3日に残ったNBLチームがBAAに統合されNBAという名称になったこと)
  5. バスケットボールキング「62年越しに樹立された“NBAの金字塔”」、フリー百科事典『ウィキペディア』「ウィルト・チェンバレン」。 https://basketballking.jp/news/world/nba/20240303/477248.html https://ja.wikipedia.org/wiki/ウィルト・チェンバレン (1962年3月2日のニックス戦で1試合100得点を記録したこと、1961-62シーズンの平均50.4得点という記録)
  6. 日本経済新聞「NBA、アデバヨが歴代2位83得点」、バスケットボールキング「ヒートのバム・アデバヨが1試合83得点の大暴れ…コービー氏の記録を抜いてNBA歴代2位に」。 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOKC117820R10C26A3000000/ https://basketballking.jp/news/world/20260311/600548.html (2026年3月10日、マイアミ・ヒートのバム・アデバヨがワシントン・ウィザーズ戦で83得点をあげ、2006年のコービー・ブライアントの81得点を抜いてチェンバレンに次ぐ歴代2位になったこと)
  7. J-CAST「日本バスケットボール協会に資格停止処分 国際連盟が決定」、スポーツナビ「JBA、FIBAより資格停止処分受ける」「FIBAが日本の資格停止処分を解除」、B.LEAGUE公式サイト「B.LEAGUEの歩み」。 https://www.j-cast.com/2014/11/27221868.html https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201411270002-spnavi https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201506190004-spnavi https://www.bleague.jp/corporate/about/history/ (bjリーグとNBLの並立がFIBAに問題視されたこと、2014年11月26日に無期限資格停止処分が科されたこと、2015年6月19日にFIBAが制裁の全面解除を発表し同年8月の理事会で正式承認されたこと、2016年9月22日にアルバルク東京対琉球ゴールデンキングスでB.LEAGUEが開幕したこと)

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