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3びきの こぶたの れんがの いえは、なぜ 日本では あぶなかったの?

三匹の子豚のレンガの家は、なぜ日本では危なかったのか

三匹の子豚のレンガの家は、なぜ日本では危なかったのか

分野:歴史・文化

「3びきの こぶた」の おはなしで、おおかみが どうしても ふきとばせなかったのは、れんがで 作った いえだった。

れんがは、なぜ そんなに つよいのだろう。いつ、だれが、どうやって 作りはじめたのだろう。そして、その つよいはずの れんがが、日本では どうして あぶないと いわれる ように なったのだろう。

「3匹の子豚」の話で、オオカミがどうしても吹き飛ばせなかったのは、レンガで作った家だった。

レンガは、なぜそんなに強いのだろう。いつ、だれが、どうやって作りはじめたのだろう。そして、その強いはずのレンガが、日本ではどうして危ないといわれるようになったのだろう。

イギリスの童話「三匹の子豚」で、オオカミの息でも吹き飛ばなかったのは、レンガで作った家だった。わらの家、木の家は壊されても、レンガの家だけは持ちこたえる。

レンガはなぜそれほど頑丈だとされてきたのか。この童話が生まれたイギリスの自然環境と、レンガが日本にたどり着いてから経験した、ある大きな災害を追うと、その理由が見えてくる。

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1. れんがは、かわいた どろを もやして 作られた

1. レンガは、かわいた泥を焼いて作られた

1. メソポタミアで日干しレンガが生まれ、焼成レンガへと発展した

れんがの いちばん 古い なかまは、今から 1万年ちかく 前、中東の へんで 作られはじめたと いわれて いる。ねん土を 四角い 形に して、日に あてて かわかしただけの 「ひぼしれんが」だ[1]

その後、今から やく5000年 前には、ねん土を 火で やいて かためる 「やきれんが」が 生まれた。やいた れんがは、日に かわかしただけの れんがより ずっと じょうぶで、水にも つよかった[1]

レンガのいちばん古い仲間は、今から1万年近く前、中東のあたりで作られはじめたといわれている。粘土を四角い形にして、日にあてて乾かしただけの「日干しレンガ」だ[1]

その後、今から約5000年前には、メソポタミア(今のイラクのあたり)で、粘土を火で焼いて固める「焼成レンガ」が生まれた。焼いたレンガは、日に乾かしただけのレンガよりずっと丈夫で、水にも強かった[1]

日干しレンガ(アドベ)の歴史は古く、紀元前8000年ごろにはエジプトやメソポタミア、バビロンで作られていたとする説がある。古代エジプトでは紀元前5000年ごろ、日干しレンガと石材を使って神殿や王宮、住宅が建設されていたとされる[1]

紀元前3000年以降になると、粘土を高温で焼き固める「焼成レンガ」が発明され、メソポタミア文明からエジプト・中東・アジアへと広まっていった。焼成レンガは日干しレンガより強度が高く、雨や洪水にも耐えられるため、より大きな建築物に使われるようになった。古代ローマでもインフラ工事に欠かせない素材だった[1]

2. れんがは、かたに つめて、かわかして、やく

2. レンガは、型に詰めて、乾かして、焼く

2. 粘土を成形し、乾燥させ、焼成する

れんがの もとに なるのは、ねん土だ。クッキーの きじを かたで ぬくように、水を まぜた ねん土を、四角い はこの ような 「かた」に ぎゅっと つめて、四角い 形に する。それを かたから 出して、しばらく 日に あてて かわかす(ただし れんがは、クッキーと ちがって たべられない)[2]

かわいたら、かまと よばれる、とても 高い 温度に なる ばしょで やく。すると、水分が ぬけて、かたくて じょうぶな れんがに かわる。むかしは 野原で 直せつ もやす やり方も あったが、その後、「だるまがま」「のぼりがま」のような、せんもんの かまが つかわれる ように なった[2]

レンガのもとになるのは、粘土だ。水を混ぜた粘土を、四角い箱のような「型」にぎゅっと詰めて、四角い形にする。それを型から出して、しばらく日にあてて乾かす[2]

乾いたら、窯(かま)と呼ばれる、とても高い温度になる場所で焼く。すると、水分が抜けて、硬くて丈夫なレンガに変わる。昔は野原で直接燃やすやり方もあったが、その後、「だるま窯」「登り窯」のような、専門の窯が使われるようになった[2]

レンガの原料は粘土である。水を加えて練った粘土を木型や金型に詰めて成形し、型から抜いたあと屋外で乾燥させる。この段階までは日干しレンガと同じ工程で、乾燥だけで仕上げれば日干しレンガになる[2]

焼成レンガはさらに、窯で高温焼成する工程が加わる。成形方法には手作業による手抜き成形と機械成形があり、焼成方法も野焼きから、だるま窯・登り窯へと発展した。焼成によって粘土中の水分や有機物が抜け、化学変化を起こして硬く緻密になり、耐水性・耐火性が大きく高まる[2]

3. 日本さいしょの れんがの こうじょうは、フランス人が てつだった

3. 日本のレンガ工場づくりを、フランス人が手伝った

3. 富岡製糸場は「フランス積み」のレンガで建てられた

日本では、えどじだいまで、れんがは ほとんど つかわれて いなかった。日本の 家や おしろは、木で 作られる ことが おおかったからだ。れんがが 本かくてきに つかわれはじめたのは、めいじじだいに なってからだ[3]

1872年、ぐんまけんに 「とみおかせいしじょう」と いう、きぬいとを 作る 大きな こうじょうが たてられた。フランス人の ポール・ブリュナと いう 人が、この こうじょうづくりを 手つだった。かべには れんがが つかわれ、その つみ方は 「フランスづみ」と よばれる、当時の 日本では めずらしい やり方だった[3]

日本では、江戸時代まで、レンガはほとんど使われていなかった。日本の家やお城は、木で作られることが多かったからだ。レンガが本格的に使われはじめたのは、明治時代になってからだ[3]

1872年、群馬県に「富岡製糸場(とみおかせいしじょう)」という、絹糸を作る大きな工場が建てられた。フランス人のポール・ブリュナという人が、この工場づくりを手伝った。壁にはレンガが使われ、その積み方は「フランス積み」と呼ばれる、当時の日本では珍しいやり方だった[3]

日本では江戸時代まで、建築の主流は木造であり、レンガはほとんど使われていなかった。レンガが本格的に導入されたのは、幕末から明治にかけて西洋の建築技術が取り入れられるようになってからである[3]

1872年(明治5年)、器械製糸の技術指導のために雇われたフランス人生糸技術者ポール・ブリュナの指導のもと、群馬県に富岡製糸場が建設された。主要施設は木の骨組みにレンガの壁を組み合わせる「木骨煉瓦造」という技法で建てられ、屋根には日本瓦が使われるなど、日本と西洋の技術を組み合わせた建物だった。壁のレンガは、長手(長い面)と小口(短い面)を交互に積む「フランス積み」で積まれており、当時の日本ではまだ珍しい積み方だった[3]

4. しぶさわえいいちが、れんが工場を つくった

4. 渋沢栄一が、レンガ工場を作った

4. 渋沢栄一が日本煉瓦製造会社を設立し、ホフマン輪窯を導入した

とみおかせいしじょうの あと、日本の あちこちで れんがが ひつように なった。実業家の しぶさわえいいちは、さいたまけんの ふかや市に、日本で はじめての 本かくてきな れんが工場を つくった[4]

この 工場には、ドイツ人の ぎしから おそわった、大きな 「ホフマンりんよう」と いう かまが あった。長さ 56メートルいじょうも ある、とても 大きな かまで、たくさんの れんがを 一どに やく ことが できた。ここで やかれた れんがは、東京えきなど、ゆうめいな たてものにも つかわれた[4]

富岡製糸場のあと、日本のあちこちでレンガが必要になった。実業家の渋沢栄一(しぶさわえいいち)は、埼玉県の深谷市(ふかやし)に、日本ではじめての本格的なレンガ工場を作った[4]

この工場には、ドイツ人の技師から教わった、大きな「ホフマン輪窯(りんよう)」という窯があった。長さ56メートル以上もある、とても大きな窯で、たくさんのレンガを一度に焼くことができた。ここで焼かれたレンガは、東京駅など、有名な建物にも使われた[4]

富岡製糸場をはじめとする近代化施設の建設が進むにつれ、レンガの需要は急速に高まった。実業家の渋沢栄一は、埼玉県深谷市上敷免(じょうしきめん)に、日本煉瓦製造会社を設立した。ドイツ人技師チーゼの技術指導のもと、1888年(明治21年)に第1号窯が完成し、その後、ドイツ人フリードリッヒ・ホフマンが特許を持つ「ホフマン輪窯」が導入された[4]

明治40年に完成したホフマン輪窯6号窯は、長さ56.5m・幅20m・高さ3.3mという規模で、内部は18の焼成室に分かれ、月産65万個もの生産能力を持っていた。ここで焼かれたレンガは、東京駅丸の内本庁舎や日本銀行旧館、赤坂離宮(現・迎賓館)など、近代日本を代表する建築物に使われた[4]

5. れんがの つみ方にも、いろいろな しゅるいが ある

5. レンガの積み方にも、いろいろな種類がある

5. 目的によって、イギリス積み・フランス積みなど積み方を使い分ける

れんがは、四角い 形の 石のような ブロックだ。長い めんを 「ながて」、みじかい めんを 「こぐち」と よぶ。この 2つの めんを、どう ならべるかで、いろいろな つみ方が 生まれる[5]

「イギリスづみ」は、ながての だんと こぐちの だんを、こうごに つみかさねる やり方で、じょうぶさに すぐれて いる。「フランスづみ」は、1だんの 中で ながてと こぐちを こうごに ならべる やり方で、見た目が うつくしいと いわれて いる[5]

レンガは、四角い形の石のようなブロックだ。長い面を「長手(ながて)」、短い面を「小口(こぐち)」と呼ぶ。この2つの面を、どう並べるかで、いろいろな積み方が生まれる[5]

「イギリス積み」は、長手の段と小口の段を、交互に積み重ねるやり方で、丈夫さに優れている。「フランス積み」は、1段の中で長手と小口を交互に並べるやり方で、見た目が美しいといわれている。富岡製糸場で使われていたのは、このフランス積みだ[5]

レンガの積み方には、長手(長い面)と小口(短い面)をどう組み合わせるかによって、複数の種類がある。イギリス積みは、長手だけの段と小口だけの段を一段おきに積む方式で、フランス積み(正式にはフランドル積み)と比べて強度が高く、使うレンガも少なくて済むとされる[5]

フランス積みは、一段のなかに長手と小口を交互に配置する方式で、化粧面の仕上がりが美しいとされる。ほかにも、長手だけを表に出す長手積み、小口だけを並べて曲線的な形を作りやすい小口積みなどがあり、求める強度や意匠、用途によって使い分けられてきた[5]

6. 大きな じしんで、れんがの たてものが こわれた

6. 大きな地震で、レンガの建物が崩れた

6. 関東大震災が、レンガ建築の弱点をあらわにした

「3びきの こぶた」の 話が 生まれた イギリスでは、じしんは ほとんど おきない。おそろしいのは、つよい 風だ。おもくて がんじょうな れんがの いえは、風には とても つよかった[6]

でも 日本は、じしんの おおい 国だ。1923年、かんとうちほうで 大きな じしんが おきた とき、あさくさに あった 12かいだての れんがの とう「りょううんかく」は、8かいから 上が くずれおちて しまった。れんがの たてものは おもいぶん、ゆれに よわい ことが、この じしんで はっきりした[6]

この あと、日本では、れんがの かわりに、てっきんコンクリートと いう、じしんに つよい あたらしい ざいりょうが つかわれる ように なって いった。イギリスの おはなしでは いちばん つよかった れんがの いえが、じしんの 多い 日本では、ぎゃくに あぶない たてものに なって しまったのだ。

「3匹の子豚」の話が生まれたイギリスでは、地震はほとんど起きない。恐ろしいのは、強い風だ。重くてがんじょうなレンガの家は、風にはとても強かった[6]

でも日本は、地震の多い国だ。1923年、関東地方で大きな地震(関東大震災)が起きたとき、浅草にあった12階建てのレンガの塔「凌雲閣(りょううんかく)」は、8階から上が崩れ落ちてしまった。レンガの建物は重いぶん、揺れに弱いことが、この地震ではっきりした[6]

この地震のあと、日本では、レンガの代わりに、鉄筋コンクリートという、地震に強い新しい材料が急速に広まっていった。もっとも、鉄道の橋などでは、この地震より前から鉄筋コンクリートへの切りかえが始まっていた。イギリスの話ではいちばん強かったレンガの家が、地震の多い日本では、逆に危ない建物になってしまったのだ。

「三匹の子豚」の舞台であるイギリスは地震がほとんど発生しない。そのかわり、強風の被害を受けやすい気候である。重量があり気密性の高いレンガの家は、風の力を受け流しやすく、この環境では最も安全な選択だった[6]

しかし地震国である日本では事情が異なる。1890年に完成した高さ52m・12階建てのレンガ造りの塔「凌雲閣(通称・浅草十二階)」は、1923年9月1日の関東大震災で8階から上が崩れ落ち、見物客ら十数人が犠牲になった。横浜地方裁判所をはじめ、各地のレンガ造りの建物も大きな被害を受けた[6]

レンガ造りは重量があるぶん、地震の揺れによって生じる力(慣性力)が大きくなりやすく、耐震性の面で弱点を抱えていた。関東大震災を境に、日本ではレンガに代わって耐震性の高い鉄筋コンクリート造が主流になっていった。ただし、鉄道構造物などでは震災以前から鉄筋コンクリートへの置き換えが進んでいた面もあり、レンガ建築の衰退は震災だけが単独の原因ではないとも指摘されている[6]

じぶんでも しらべて みる

自分でも調べてみたくなったら

自分でも調べてみたくなったら

まちを あるいて、れんがで できた たてものを さがして みよう。れんがの ならびかたを よく 見ると、「ながて」と「こぐち」が どんな じゅんばんで ならんで いるか、わかる ことが ある。

街を歩いて、レンガでできた建物をさがしてみよう。レンガの並び方をよく見ると、「長手」と「小口」がどんな順番で並んでいるか、イギリス積みかフランス積みか、見分けられることがある。富岡製糸場や横浜赤レンガ倉庫のような、レンガ造りの歴史的な建物を訪ねてみるのもおもしろい。

街のレンガ造りの建物や塀を観察し、長手と小口の並び方から積み方の種類を見分けてみよう。富岡製糸場(群馬県)や日本煉瓦製造の旧煉瓦製造施設(埼玉県深谷市)、横浜赤レンガ倉庫のように、近代のレンガ建築を今も見学できる場所も各地にある。現地の解説板には、使われているレンガの積み方や製造元が記されていることも多く、この記事でたどった技術の系譜を、実物で確かめる手がかりになる。

しらべた ところ

参考にした情報源

参考にした情報源

  1. フリー百科事典『ウィキペディア』「レンガ」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/レンガ (日干しレンガが紀元前8000年ごろにはエジプト・メソポタミア・バビロンで作られていたとする説があること、古代エジプトで紀元前5000年ごろに神殿や王宮の建設に使われたこと、紀元前3000年以降に焼成レンガが発明されメソポタミアからエジプト・中東・アジアへ広まったこと、古代ローマのインフラ工事にも使われたこと)
  2. フリー百科事典『ウィキペディア』「レンガ」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/レンガ (粘土を型に詰めて成形し乾燥させる工程、日干しレンガと焼成レンガの製法上の分岐点、手抜き成形と機械成形、野焼き・だるま窯・登り窯・ホフマン窯という焼成方法の変遷)
  3. 世界遺産「富岡製糸場」の歴史(nippon.com)、フリー百科事典『ウィキペディア』「ポール・ブリューナ」。 https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu900122/ https://ja.wikipedia.org/wiki/ポール・ブリューナ (1872年にフランス人生糸技術者ポール・ブリュナの指導のもと富岡製糸場が建設されたこと、主要施設が木骨煉瓦造で建てられ屋根に日本瓦が使われたこと、壁のレンガがフランス積みで積まれていたこと)
  4. ニッポン旅マガジン「日本煉瓦製造会社ホフマン輪窯6号窯」、フリー百科事典『ウィキペディア』「日本煉瓦製造」。 https://tabi-mag.jp/sa0118/ https://ja.wikipedia.org/wiki/日本煉瓦製造 (渋沢栄一が設立に関わり埼玉県深谷市上敷免に日本煉瓦製造会社を設立したこと、ドイツ人技師チーゼの指導で1888年に第1号窯が完成したこと、明治40年完成のホフマン輪窯6号窯が長さ56.5m・幅20m・高さ3.3mで18の焼成室を持ち月産65万個の能力があったこと、ここで焼かれたレンガが東京駅丸の内本庁舎・日本銀行旧館・赤坂離宮などに使われたこと)
  5. Souheki株式会社「レンガの積み方5種類を徹底解説」、東建コーポレーション「建築用語集 イギリス積み」。 https://www.souheki0605.com/レンガの積み方5種類を徹底解説|DIY初心者から外構プロまで/ http://www.token.co.jp/estate/archipedia/word.php?jid=00016&wdid=01&wid=28667 (イギリス積みが長手の段と小口の段を一段おきに積む方式で、高い強度を生み出せること・経済性も高いことは東建コーポレーションによる。フランス積み〈正式にはフランドル積み〉が一段の中に長手と小口を交互に積む方式で見た目の美しさに優れること、長手積み・小口積みという積み方があることはSouhekiによる)
  6. BuzzFeed Japan「高さ日本一の『浅草十二階』は8階から上が倒壊した」、Yahoo!不動産知恵袋「日本では建築材にレンガはあまり使われませんが、これはなぜですか?」。 https://www.buzzfeed.com/jp/kenjiando/great-kanto-earthquake https://question.realestate.yahoo.co.jp/knowledge/chiebukuro/detail/10202330875/ (1890年完成・高さ52m・12階建てのレンガ造りの塔「凌雲閣」が1923年9月1日の関東大震災で8階から上が崩壊し見物客らが犠牲になったこと、横浜地方裁判所など各地のレンガ造り建物も被害を受けたこと、レンガ造りが重量ゆえに耐震性で弱点を抱えていたこと、震災を境に鉄筋コンクリート造が主流になっていったこと、鉄道構造物などでは震災以前から鉄筋コンクリートへの置き換えが進んでいた面もあること)

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