へやが ちらかるのは、なぜ?

エントロピーとは何か ── 部屋が散らかるのと宇宙の関係

エントロピーとは何か ── 部屋が散らかるのと宇宙の関係

分野:宇宙・天文

かたづけた へやは、ほうって おくと、しぜんに ちらかって いきます。でも、ちらかった へやが、ひとりでに かたづく ことは ありません。

この きじでは、この「かたづく ほうこうには すすまない」と いう ふしぎな ルールを、学者たちが どうやって みつけたのかを 見て いきます。

片づけた部屋は、ほうっておくと、自然に散らかっていきます。でも、散らかった部屋が、ひとりでに片づくことはありません。

この記事では、この「片づく方向にはすすまない」という不思議なルールを、学者たちがどうやって見つけたのかを見ていきます。

片づけた部屋は放っておくと自然に散らかるのに、散らかった部屋がひとりでに片づくことはない。コップを落とせば割れるが、割れたコップの破片がひとりでに元にもどることもない。自然界の変化には、なぜか一方向にしかすすまないものが多い。

この一方向の変化を説明する「エントロピー」という考え方を、1824年の蒸気機関の研究から、1865年にこの言葉を作った学者、1877年に統計力学で説明した学者の、認められる前に世を去った悲劇までたどる。

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1. 1824年、じょうききかんの けんきゅうから

1. 1824年、蒸気機関の研究から

1. 起源、1824年のサディ・カルノー

1824年、フランスの わかい ぎじゅつ者 サディ・カルノーは、 じょうききかん(石炭を もやして うごく きかい)に ついて、 こんな ことに 気づきました。

どんなに よく できた きかいでも、もやした ねつの ぜんぶを うごく ちからに かえる ことは できない。ねつの 一ぶは、 かならず つかえない かたちで にげて いって しまう [1]

この「かならず 一ぶが にげて しまう」と いう きまりが、 あとで「エントロピー」と よばれる かんがえかたの、いちばん さいしょの ヒントに なりました。

1824年、フランスの若い技術者サディ・カルノーは、蒸気機関(石炭をもやして動く機械)について、こんなことに気づきました。

どんなによくできた機械でも、もやした熱のぜんぶを動く力に変えることはできない。熱の一部は、かならずつかえない形でにげていってしまう[1]

この「かならず一部がにげてしまう」というきまりが、あとで「エントロピー」と呼ばれる考え方の、いちばん最初のヒントになりました。

1824年、フランスの技術者サディ・カルノーは、著書『火の動力についての考察』の中で、蒸気機関の効率について論じた。どれほど理想的な(可逆的な)熱機関であっても、投入した熱のすべてを仕事に変換することはできず、一部は必ず失われるという限界があることを示した[1]

カルノーのこの発見は、のちの熱力学第二法則の原型となった。エネルギーそのものは失われない(これは熱力学第一法則、エネルギー保存の法則にあたる)が、使える形のエネルギーは一方的に失われていく。この「使える/使えない」の区別を数式で表す試みが、次の世代の物理学者に引き継がれていく。

2. 1865年、「エントロピー」と なづけられた

2. 1865年、「エントロピー」と名づけられた

2. 1865年、クラウジウスによる命名と熱力学第二法則

カルノーの きづきから やく40年後の 1865年、ドイツの がくしゃ クラウジウスが、この「つかえなく なって いく りょう」に、 「エントロピー」と いう 名まえを つけました [1]。ギリシャ語の「へんか」 と いう ことばから とった 名まえです。

そして クラウジウスは、こんな きまりを かんがえました。 「うちゅう ぜんたいの エントロピーは、ふえる ほうこうにしか すすまない」[1][5]。これが、 「ねつりきがくの だい2ほうそく」と よばれる きまりです。

カルノーの気づきから約40年後の1865年、ドイツの学者クラウジウスが、この「つかえなくなっていく量」に、「エントロピー」という名前をつけました[1]。ギリシャ語の「変化」という言葉からとった名前です。

熱力学第二法則という考え方

そしてクラウジウスは、こんなきまりを考えました。「宇宙全体のエントロピーは、ふえる方向にしかすすまない」[1][5]。これが、「熱力学の第2法則」と呼ばれるきまりです。

カルノーの発見から約40年後、この「失われる量」に名前を与えたのが、ドイツの物理学者ルドルフ・クラウジウスだった。1865年、彼はギリシャ語の「エン(内へ)」と「トロペー(変化・変換)」を組み合わせ、「エントロピー」と名づけた。クラウジウス自身の言葉によれば、「このなじみのない名前をあえて選んだのは、これらの量が物理的な意味で密接に関連しており、名前にも一定の類似性を持たせるのが適切だと考えたからだ」という[1]

熱力学第二法則という考え方

クラウジウスはさらに、この量に記号Sを与え、熱力学第二法則を「宇宙のエントロピーは最大値に向かう」という形で定式化した[1][5]。エネルギーの総量は一定でも(熱力学第一法則)、そのうち仕事として取り出せる部分は、時間とともに一方的に減っていく。この非対称性こそが、エントロピーという概念の核心だった。

3. 1877年、ちらかりかたの かずで かんがえる

3. 1877年、散らかり方の数で考える

3. 1877年、ボルツマンの統計力学

クラウジウスの きまりは、「エントロピーは ふえる」と いう ことは おしえて くれましたが、「なぜ ふえるのか」 までは せつめいして いませんでした。

1877年、オーストリアの がくしゃ ボルツマンが、この「なぜ」 に こたえました。ものは、目に 見えない ちいさな つぶ (げんしや ぶんし)の あつまりで できて います。ボルツマンは、その つぶの「ならびかた」の かずで、エントロピーを せつめいしたのです[1]

「せいとんされた ならびかた」は、じつは かずが すくなく、 「ばらばらな ならびかた」は、かずが ものすごく 多い。 だから ほうって おくと、しぜんに「ならびかたの かずが 多い ほう」、つまり ばらばらな ほうに すすんで しまうのです。

クラウジウスのきまりは、「エントロピーはふえる」ということは教えてくれましたが、「なぜふえるのか」までは説明していませんでした。

1877年、オーストリアの学者ボルツマンが、この「なぜ」に答えました。ものは、目に見えないちいさなつぶ(原子や分子)の集まりでできています。ボルツマンは、そのつぶの「ならびかた」の数で、エントロピーを説明したのです[1]

場合の数で考える

「整とんされたならびかた」は、じつは数がすくなく、「ばらばらなならびかた」は、数がものすごく多い。だからほうっておくと、自然に「ならびかたの数が多いほう」、つまりばらばらな方にすすんでしまうのです。

クラウジウスの熱力学第二法則は、エントロピーが増加するという現象を記述したが、その物理的な理由までは説明していなかった。この謎に答えたのが、オーストリアの物理学者ルートヴィヒ・ボルツマンである。1877年、彼は大量の粒子の動きを確率や統計であつかう「統計力学」という新しい手法を導入した[1]

物質は原子や分子という微視的な粒子の集まりでできている。ボルツマンは、ある巨視的な状態(気体の温度や体積など)が実現できる微視的な配置の「場合の数」を数え、その対数にエントロピーが比例することを示した(S = k log W、kはのちにボルツマン定数と呼ばれる)[1]

場合の数で考える

整然とした状態を実現する配置の数はごくわずかしかないのに対し、乱雑な状態を実現する配置の数はけた違いに多い。だからこそ、外から手を加えなければ、系は確率的に配置の数が多い方向、つまり乱雑な方向へと自然にすすんでいく。

4. へやが ちらかるのは、なぜ?

4. 部屋が散らかるのは、なぜ?

4. 部屋が散らかる理由、状態の数で考える

ボルツマンの かんがえかたは、へやの かたづけにも あてはまります。おもちゃばこに、ブロックを 「いろ・大きさべつに、 きれいに ならべる」おきかたは、じつは 1とおりか 2とおり しか ありません。でも「てきとうに、ばらばらに つっこむ」 おきかたは、ほとんど むげんに ちかい くらい たくさん あります(ただし 本当は、おもちゃばこの 中の ことでは なく、目に 見えない くらい ちいさな つぶの ならびかたの 話です)。

だから、目を つぶって てきとうに おもちゃを しまうと、 「きれいな おきかた」に なる かくりつは とても ひくく、 ほとんど かならず「ばらばらな おきかた」に なって しまいます。へやが しぜんに ちらかって いくのも、おなじ りゆうです。

ボルツマンの考え方は、部屋の片づけにもあてはまります。おもちゃ箱に、ブロックを「色・大きさ別に、きれいにならべる」置き方は、じつは1とおりか2とおりしかありません。でも「適当に、ばらばらにつっこむ」置き方は、ほとんど無限に近いくらいたくさんあります(ただし本当は、おもちゃ箱の中のことではなく、目に見えないくらいちいさなつぶのならび方の話です)。

だから、目をつぶって適当におもちゃをしまうと、「きれいな置き方」になる確率はとても低く、ほとんどかならず「ばらばらな置き方」になってしまいます。部屋が自然に散らかっていくのも、おなじ理由です。

ボルツマンの統計力学的な説明は、部屋の片づけにもそのままあてはまる。本棚の本を「著者名順に、きれいに並べる」配置は、本の冊数が多いほど、実現できる並べ方はごくわずかしかない。逆に「見た目がばらばらな配置」は、圧倒的多数を占める。

何も手を加えず放置すれば、系はランダムに取りうる配置のどれかに落ち着く。配置の総数のうち、整然とした配置が占める割合は無視できるほど小さいため、統計的にはほぼ確実に乱雑な配置のどれかに行き着く。部屋がひとりでに片づかないのは、意志や力の問題ではなく、単純に「片づいた配置の数が少なすぎる」という確率の問題なのだ。

5. 1906年、みとめられる前に なくなった ボルツマン

5. 1906年、理論が認められる前に亡くなったボルツマン

5. 1906年、ボルツマンの死と、その後の証明

じつは、この「原子や 分子の つぶで かんがえる」やりかたは、 ボルツマンが いきて いた ころ、多くの がくしゃに しんじて もらえませんでした。当時は、原子や 分子が 本当に あるのか どうかも、まだ はっきり わかって いなかったのです [2]

ボルツマンは、じぶんの かんがえを みとめて もらえない まま、 1906年、みずから いのちを たちました [2]

でも、その わずか すうねん後の 1908年ごろ、べつの がくしゃ たちの じっけんに よって、原子が 本当に ある ことが しょうめいされました[2]。 ボルツマンの おはかには、いまも あの しきに ちなんだ 「S = k log W」と いう しきが きざまれて います [3]

じつは、この「原子や分子のつぶで考える」やりかたは、ボルツマンが生きていたころ、多くの学者に信じてもらえませんでした。当時は、原子や分子が本当にあるのかどうかも、まだはっきりわかっていなかったのです[2]

ボルツマンは、自分の考えを認めてもらえないまま、1906年、みずから命を絶ちました[2]

証明された原子論

でも、そのわずか数年後の1908年ごろ、別の学者たちの実験によって、原子が本当にあることが証明されました[2]。ボルツマンのお墓には、いまもあの式にちなんだ「S = k log W」という式が刻まれています[3]

ボルツマンの統計力学的な原子論は、生前、広くは受け入れられなかった。当時のウィーンでは、エルンスト・マッハやヴィルヘルム・オストヴァルトら「エネルギー論者」が、原子という目に見えない実体を仮定すること自体に強く反対しており、ボルツマンは長年にわたってこの論争に消耗した[2]

1906年、精神的な不調に苦しんでいたボルツマンは、休暇先のイタリア・ドゥイーノで自ら命を絶った[2]

証明された原子論

その2〜3年後の1908〜1909年、フランスの物理学者ジャン・ペランが、1905年のアインシュタインのブラウン運動の理論研究をもとにした実験で、原子や分子が実在することを実証的に証明した[2]。ボルツマンが生涯をかけて擁護しつづけた原子論は、彼の死のわずか数年後に証明されることになった。ウィーン中央墓地にある彼の墓石には、いまも「S = k log W」という式が刻まれている[3]

6. 「さいこうの ほうそく」と よばれる わけ

6. 「最高の法則」と呼ばれるわけ

6. エディントンの言葉、「自然法則の中で最高の地位」

しょうがいを かけて この ほうそくを とこうと した ボルツマンの かんがえは、その後、ぶつりがくの中で とくべつな ちいを しめる ように なりました。1928年、イギリスの てんもん学者 エディントンは、この「エントロピーは ふえつづける」と いう きまりに ついて、こんな ことばを のこして います。「この きまりは、しぜんの ほうそくの中で、いちばん 上の くらいに あると おもう」[4]

へやから うちゅうへ

うちゅう ぜんたいで 見ると、へやと おなじように、ほうって おけば、エントロピーは、ふえる ほうこうに すすみやすいので す。この きじの さいしょに 出て きた「へやは しぜんに ちらかる」と いう みぢかな げんしょうと、うちゅう ぜんたいの きまりが、 じつは おなじ 1つの りくつで つながって いるのです。

生涯をかけてこの法則を説明しようとしたボルツマンの考えは、その後、物理学の中で特別な地位を占めるようになりました。1928年、イギリスの天文学者エディントンは、この「エントロピーはふえつづける」というきまりについて、こんな言葉を残しています。「この法則は、自然の法則の中で、いちばん上の地位にあると思う」[4]

部屋から宇宙へ

宇宙全体で見ると、部屋とおなじように、ほうっておけば、エントロピーは、ふえる方向に進みやすいのです。この記事の最初に出てきた「部屋は自然に散らかる」という身近な現象と、宇宙全体のきまりが、じつはおなじ1つの理屈でつながっているのです。

ボルツマンが生涯をかけて説明しようとしたこの法則は、やがて物理学の中で特別な地位を占めるようになる。1928年、イギリスの天文学者アーサー・エディントンは、著書『物理的世界の本質』の中で、熱力学第二法則についてこう述べた。「エントロピーは常に増加するというこの法則は、自然界のあらゆる法則のなかで最高の地位を占めていると私は思う」[4]

エディントンはさらに、もしある理論がマクスウェルの方程式と食い違えば「マクスウェルの方程式にとって都合が悪いだけだ」、実験観測と食い違えば「実験家がときどきへまをするのだろう」と言えても、熱力学第二法則と食い違った場合には「深い屈辱のうちに崩れ去るよりほかない」とまで書いている[4]

部屋から宇宙へ

宇宙全体のエントロピーも、部屋とおなじ理屈で、大きな流れとしては増加していく。この記事の冒頭で見た「部屋は自然に散らかる」という身近な現象と、宇宙全体を支配する熱力学第二法則は、原子・分子の配置の場合の数という、たった1つの理屈でつながっている。

じぶんでも やって みる

自分でも調べてみたくなったら

自分でも調べてみたくなったら

じぶんでも、エントロピーの かんがえかたを たしかめて みましょう。

あんぜんな ばしょで できる こと

  • トランプを シャッフルして みる。 さいしょに すうじの じゅんに ならべて おいて、なんかい シャッフルすると、じゅんばんが ばらばらに なるか、 かぞえて みましょう。
  • じぶんの へやの、ちらかりやすい ばしょを さがして みる。 なぜ そこが ちらかりやすいのか、かぞくと 話して みましょう。
メモの すすめ

きょう 出て きた ことばを 1つだけ ノートに 書いて おきましょう。「エントロピーは、ふえる ほうこうにしか すすまない」だけで じゅうぶんです。

自分でも、エントロピーの考え方を確かめてみましょう。

今日できること

  • トランプをシャッフルしてみる。さいしょに数字の順にならべておいて、何回シャッフルすると、順番がばらばらになるか、数えてみましょう。
  • 自分の部屋の、散らかりやすい場所をさがしてみる。なぜそこが散らかりやすいのか、家族と話してみましょう。
メモのすすめ

気になった言葉を1つだけ書いておくと、あとで調べる入口になります。「ボルツマンのお墓の式って、本当は誰が最初に書いたの?」だけでも十分です。

トランプのシャッフルや身の回りの片づけを通じて、状態の数という考え方を体感すると、この記事で扱った内容がより具体的につかめます。

手を動かして確かめる

  • トランプ数枚を並べて、「順番どおり」になる並べ方の数と、全体の並べ方の数を比べてみる。枚数が増えるほど、その差がどれくらい極端に開いていくか、計算してみましょう。
  • 「マクスウェルの悪魔」という思考実験を調べてみる。熱力学第二法則に一見反するように見える、有名な思考実験です。

一次情報にあたる

Wikipediaの「History of entropy」の項目には、カルノーからクラウジウス、ボルツマン、さらに20世紀の情報理論への展開まで、より詳しい経緯がまとめられています。

メモのすすめ

気になった数字や言葉を1つだけノートに記録しておきましょう。「エントロピーという言葉ができたのは1865年」という一文でもかまいません。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

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出典について:Wikipediaと、博物館・大学の解説ページを使っています。

  1. History of entropy - Wikipedia(英語版)。 https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_entropy (1824年サディ・カルノーの蒸気機関研究、1865年クラウジウスによる命名と熱力学第二法則の定式化、1877年ボルツマンの統計力学的説明についての解説)
  2. Ludwig Boltzmann - Wikipedia(英語版)。 https://en.wikipedia.org/wiki/Ludwig_Boltzmann (マッハ・オストヴァルトらとの原子論論争、1906年の死去、1908〜1909年のペランの実験による原子の実在証明についての解説)
  3. Boltzmann's Grave in Vienna - Atlas Obscura。 https://www.atlasobscura.com/places/boltzmanns-grave (ウィーン中央墓地にあるボルツマンの墓石に刻まれた「S = k log W」の式についての解説)
  4. Arthur Eddington's quote on the Second Law - University of Colorado Boulder, JILA。 https://jila.colorado.edu/~ajsh/talks/insidebh/eddington.html (1928年の著書『物理的世界の本質』におけるエディントンの熱力学第二法則についての言葉の引用)
  5. Rudolf Clausius - Wikiquote(英語版)。 https://en.wikiquote.org/wiki/Rudolf_Clausius (クラウジウス1865年の論文「Ninth Memoir」からの原文引用。「The entropy of the universe tends to a maximum.」)

なおした ところ

更新履歴

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