1. ばくだんの けんきゅうで うまれた ことば
1. 原爆の研究で生まれた言葉
1. マンハッタン計画と「中性子減速材」ということば
アメリカは せんそうの ために、げんしばくだんを つくる 大きな けいかく(マンハッタンけいかく)を はじめました。 わかい がくしゃだった ホイーラーも、1942年、この けいかくに くわわりました[1]。
ホイーラーは、げんしろ(げんしの ちからで ねつを 出す そうち)の中で、いきおいを おさえる やくわりを する ぶひんに、「ちゅうせいし げんそくざい」と いう 名まえを つけました [1]。
こうじょうで つくる プルトニウムが、あるとき とつぜん うまく つくれなく なると いう もんだいが おきた とき、 その げんいんを 見つけたのも ホイーラーたちの チームでした [1]。名まえを つけて、げんいんを さがす。この やりかたは、この あとも ずっと ホイーラーの とくいわざに なって いきます。
アメリカは戦争のために、原子爆弾をつくる大きな計画(マンハッタン計画)を始めました。若い学者だったホイーラーも、1942年、この計画に加わりました[1]。
ホイーラーは、原子炉(原子の力で熱を出すそうち)の中で、いきおいをおさえる役わりをする部品に、「中性子減速材」という名前をつけました[1]。
名前をつけて、原因をさがす
工場でつくるプルトニウムが、あるときとつぜんうまくつくれなくなるという問題が起きたとき、その原因を見つけたのもホイーラーたちのチームでした[1]。名前をつけて、原因をさがす。このやりかたは、このあともずっとホイーラーの得意わざになっていきます。
アメリカの原子爆弾開発計画(マンハッタン計画)に、当時30歳のジョン・ホイーラーが加わったのは1942年1月のことだった。ユージン・ウィグナーの率いる原子炉設計チームの一員として、プルトニウム精製に関する重要な論文を共同執筆した[1]。
このとき彼が名づけたのが「中性子減速材」(原子炉内で中性子の速度を落とし、核分裂反応を持続させる材料)という用語である[1]。
名前をつけて、原因をさがす
ホイーラーは、ワシントン州ハンフォードの原子炉が、稼働を始めてまもなく核分裂の連鎖反応が原因不明のまま弱まり止まってしまうという問題が起きた際、キセノン135という同位体(同じ元素でも重さがわずかに異なる原子)が中性子を吸収してしまうことが原因であると突き止めた[1]。現象に名前を与え、その正体を突き止める。この姿勢は、彼のその後のキャリアを貫く特徴になっていく。
2. わかい 学生の さいしょの はっぴょう
2. 若い学生の最初の発表
2. ファインマンの最初のセミナー
ホイーラーは、名まえを つけるのが じょうずなだけで なく、 わかい 学生を そだてるのも とくいでした。プリンストン だいがくで そだてた 学生の中でも ゆうめいなのが、のちに ノーベルしょうを とる リチャード・ファインマンです [4]。
1940年、ホイーラーは、まだ だいがくいん生だった ファインマンに、じぶんたちで かんがえた りろんを、はじめて 人前で はっぴょうさせる ことに しました。その 日、教室には、 アインシュタインや、ゆうめいな 学者たちが すわって いた そうです[4]。
まだ わかい 学生を、いちばん おそろしい かんきゃくの 前に 立たせる。ホイーラーは、それくらい 学生の ちからを しんじて いたのです。
ホイーラーは、名前をつけるのが上手なだけでなく、若い学生を育てるのも得意でした。プリンストン大学で育てた学生の中でも有名なのが、のちにノーベル賞をとるリチャード・ファインマンです[4]。
1940年、ホイーラーは、まだ大学院生だったファインマンに、自分たちで考えた理論を、はじめて人前で発表させることにしました。その日、教室には、アインシュタインや、有名な学者たちがすわっていたそうです[4]。
いちばんの舞台に、若い学生を立たせる
まだ若い学生を、いちばんおそろしい観客の前に立たせる。ホイーラーは、それくらい学生の力を信じていたのです。
ホイーラーの名づけの才能は、現象や道具だけでなく、共同研究の成果そのものにも向けられた。プリンストン大学教授だった彼の指導のもと、多くの若手研究者が育った。リチャード・ファインマン、キップ・ソーン、ヒュー・エヴェレット3世は、いずれもホイーラーの博士課程の学生である[1]。
1940年後半ごろ、まだ大学院生だったファインマンに、ホイーラーは最初の本格的な研究発表の機会を与えた。2人で研究していた、過去へ向かう「先進波」も数式の上で半分だけ取り入れることで、電子どうしの相互作用を説明しようとする理論(のちのウィーラー・ファインマン吸収体理論、1945年発表)についての発表だった[4]。
いちばんの舞台に、若い学生を立たせる
この日の聴衆には、ヴォルフガング・パウリ、ユージン・ウィグナー、ジョン・フォン・ノイマンといった当代一流の物理学者・数学者に加え、ふだんセミナーには顔を出さないはずのアルベルト・アインシュタインまでもが、この議題に関心を持って姿を見せたという[4]。パウリは発表後すぐに立ち上がり、具体的な理由をいくつも挙げながら「この理論が正しいとは思えない」と述べたと伝えられているが、無名の大学院生に物理学の頂点に立つ聴衆の前で発表させたこと自体が、ホイーラーの学生への信頼の厚さを物語っている。
3. ふたつの あたらしい ことば
3. ふたつの新しい言葉
3. ジーオンとワームホール、1950年代のことば作り
ホイーラーは、じゅうりょくや でんじは(電気と じしゃくの なみ)が、じぶんじしんの ちからで まとまって、つぶの ように ふるまう ことが あるのでは ないかと かんがえ、 1955年、「ジーオン」と 名づけました[1]。
ワームホールという名まえ
そして 1957年には、じくうかんが トンネルのように つながって いる かもしれない、と かんがえられる こうぞうに、 「ワームホール」(虫食いあな)と いう 名まえを つけました [1]。1935年に アインシュタインたちが すうしきの 上で 見つけて いた こうぞうに、わかりやすい 名まえが ついた しゅんかんでした。まんがや えいがに よく 出て くる「くぐりぬけて べつの ばしょへ 行ける ワームホール」とは、 少し ちがう かんがえかたです。
ホイーラーは、重力や電磁波(電気と磁石の波)が、自分自身の力でまとまって、つぶのようにふるまうことがあるのではないかと考え、1955年、「ジーオン」と名づけました[1]。
ワームホールという名前
そして1957年には、時空のつながり方がトンネルのようになっているかもしれないと考えられる構造に、「ワームホール」(虫食いあな)という名前をつけました[1]。1935年にアインシュタインたちが数式の上で見つけていた構造に、わかりやすい名前がついたしゅんかんでした。映画やSFによく出てくる「くぐりぬけて別の場所へ行けるワームホール」とは、少しちがう考え方です。
重力波や電磁波が自身の場のエネルギーによって局所的にまとまり、粒子のようにふるまう仮想的な構造を、ホイーラーは1955年に理論的に検討し、「ジーオン」(gravitational- electromagnetic entity)と名づけた[1]。
ワームホールという名前
1957年、ホイーラーは共同研究者のチャールズ・ミスナーとともに、時空のつながり方(トポロジー)がトンネル状になった構造を論じる中で「ワームホール」という言葉を用いた[5]。似たような幾何学的構造は、1935年のアインシュタインとネイサン・ローゼンの研究(アインシュタイン・ローゼン橋と呼ばれる)にもすでに現れていたが、これらはいずれも、今日SFなどでよく語られる「くぐりぬけて別の場所へ移動できるワームホール」とは別のものだった。それでも、ホイーラーが与えたこの直感的な名前によって、より多くの物理学者がこの種の構造について議論しやすくなった。
4. 「ブラックホール」の なぞ
4. 「ブラックホール」のなぞ
4. 「ブラックホール」という言葉をめぐる謎
ホイーラーは、「じゅうりょくで すっかり つぶれて しまった てんたい」と いう、ながい 言いかたを つかって いました。 それが 1967年12月、ニューヨークでの こうえんで、「ブラックホール」と いう ことばに かわったのです [2]。
じつは この「ブラックホール」と いう ことば、ホイーラーが じぶんで かんがえた わけでは ないらしいのです。こうえんの あと、ホイーラーは「だれかが かんきゃくの中から この ことばを ていあんして くれた」と はなして います [3]。
しかも、これより 前の 1964年にも、べつの きしゃが この ことばを 記事の中で つかって いた ことが あとで わかりました [2]。だれが 本当に さいしょに いいだしたのかは、いまも はっきり わかって いません。でも、 ホイーラーが この ことばを つかった ことが、せかいじゅうの 学者たちに「ブラックホール」と いう ことばが 広がる 大きな きっかけに なったのです[2]。
ホイーラーは、「重力ですっかりつぶれてしまった天体」という、長い言いかたを使っていました。それが1967年12月、ニューヨークでの講演で、「ブラックホール」という言葉にかわったのです[2]。
じつはこの「ブラックホール」という言葉、ホイーラーが自分で考えたわけではないらしいのです。講演のあと、ホイーラーは「だれかが観客の中からこの言葉を提案してくれた」と話しています[3]。
だれが最初に言ったのか
しかも、これより前の1964年にも、別の記者がこの言葉を記事の中で使っていたことがあとでわかりました[2]。だれが本当に最初に言いだしたのかは、いまもはっきりわかっていません。でも、ホイーラーがこの言葉を使ったことが、世界中の学者たちに「ブラックホール」という言葉が広がる大きなきっかけになったのです[2]。
ホイーラーがそれまで用いていた「重力によって完全に崩壊した天体」という冗長な表現に代えて、「ブラックホール」という言葉を使ったのは、1967年12月、ニューヨークでの講演でのことだった。この講演内容は、1968年に学術誌『アメリカン・サイエンティスト』に掲載され、オックスフォード英語辞典でも、かつてこの記事が「black hole」という語のこの意味での最初期の用例として引用されていた[3]。
ホイーラー自身はこの言葉を自分が発明したとは主張していない。講演後、彼は「誰か観客の中の1人がこの言葉を提案してくれたのだが、誰だったかは覚えていない」と語っている[3]。
だれが最初に言ったのか
科学史家の調査によれば、この言葉はホイーラーの講演よりさらに前から物理学者のあいだで使われていた可能性が高い。1963年、テキサス州ダラスで開催された第1回相対論的天体物理学シンポジウムで、ある登壇者がすでにこの言葉を口にしていたと複数の関係者が証言しているほか、1964年1月には科学ジャーナリストのアン・ユーイングが『サイエンス・ニュース・レター』誌の記事でこの言葉を使っている[2]。
結局、誰が本当に最初に言いだしたのかは特定できていない。科学史家マーシャ・バートゥシアクは、「重要だったのは、ホイーラーが科学界に対して『ブラックホール』という言葉を正式に使ってよいという権威を与えたことだった」と結論づけている[2]。
5. さいごに のこした ことば
5. 最後に残した言葉
5. 「イット・フロム・ビット」という問い
年を とった ホイーラーは、さいごに もう1つ、大きな といを のこしました。「うちゅうの すべての もの(イット)は、 じつは じょうほう(ビット)から できて いるのでは ないか」 と いう かんがえです。ホイーラーは これを「イット・フロム・ビット」と よびました[1]。
いまも つづく とい
この といへの こたえは、まだ だれも わかって いません。 でも、この みじかい ことばが、いまも 世界中の 学者たちを、 あたらしい けんきゅうに さそいつづけて います。
年をとったホイーラーは、最後にもう1つ、大きな問いを残しました。「宇宙のすべてのもの(イット)は、じつは情報(ビット)からできているのではないか」という考えです。ホイーラーはこれを「イット・フロム・ビット」と呼びました[1]。
いまも続く問い
この問いへの答えは、まだだれもわかっていません。でも、この短い言葉が、いまも世界中の学者たちを、新しい研究にさそいつづけています。
晩年のホイーラーが提唱したのが、「it from bit(イット・フロム・ビット)」という考え方である。1989年の講演で示し、翌1990年に発表した論文にまとめたこの発想は、物理的な実在(it)は、その根底では、yes/noで答えられる問い、すなわち情報(bit)から生じているのではないか、というものだった[1]。
いまも続く問い
この考えが正しいかどうかは、いまも決着していない。一方、物理学と情報を根本から結びつけて考えるこの問いは、その後の量子情報理論やホログラフィー原理をめぐる議論とも響き合いながら、いまもたびたび参照されている。ホイーラーは2008年に96歳で世を去ったが、彼が生涯を通じて残した言葉の多くは、いまも研究の入り口として使われつづけている。
6. ことばが、けんきゅうを すすめる
6. 言葉が、研究をすすめる
6. 名づけることの力、ホイーラーが遺したもの
「ちゅうせいし げんそくざい」「ジーオン」「ワームホール」「ブラックホール」「イット・フロム・ビット」。ホイーラーが つくったり、 ひろめたり した ことばは、どれも みじかくて、おぼえやすい ものばかりです。
むずかしい げんしょうに、わかりやすい 名まえが つくと、 より 多くの 学者が その げんしょうに ついて はなしあえる ように なります。ホイーラーが つくった ことばは、いまも きょうかしょや けんきゅうの中で つかわれつづけて います。
「中性子減速材」「ジーオン」「ワームホール」「ブラックホール」「イット・フロム・ビット」。ホイーラーがつくったり、広めたりした言葉は、どれも短くて、覚えやすいものばかりです。
むずかしい現象に、わかりやすい名前がつくと、より多くの学者がその現象について話しあえるようになります。ホイーラーがつくった言葉は、いまも教科書や研究の中で使われつづけています。
「中性子減速材」「ジーオン」「ワームホール」「ブラックホール」「イット・フロム・ビット」。ホイーラーがつくったり、広めたりした言葉は、どれも短く、専門家でなくても直感的にイメージできるものばかりだ。
複雑で扱いにくい現象に、的確で印象的な名前を与えると、その名前が共通言語となり、世界中の研究者がその現象について議論しやすくなる。ホイーラーが世に送り出した言葉の数々と、彼が育てた学生たち(ファインマン、ソーン、エヴェレット)の研究成果は、いまも物理学の教科書や論文の中で日常的に参照されている。
じぶんでも やって みる
自分でも調べてみたくなったら
自分でも調べてみたくなったら
じぶんでも、ホイーラーが つくった ことばを しらべて みましょう。
あんぜんな ばしょで できる こと
- 「ブラックホール」いがいに、ホイーラーが つくった ことばを 1つ えらんで、いみを せつめいして みる。 「ジーオン」「ワームホール」の どちらかを、かぞくに せつめいして みましょう。
- じぶんなら、どんな げんしょうに、どんな 名まえを つけるか かんがえて みる。 みぢかな ふしぎな できごとに、みじかくて おぼえやすい 名まえを つけて みましょう。
きょう 出て きた ことばを 1つだけ ノートに 書いて おきましょう。「ブラックホールって いう ことば、じつは ホイーラーが 考えたのでは なかった」だけで じゅうぶんです。
自分でも、ホイーラーがつくった言葉を調べてみましょう。
今日できること
- 「ブラックホール」以外に、ホイーラーがつくった言葉を1つえらんで、意味を説明してみる。「ジーオン」「ワームホール」のどちらかを、家族に説明してみましょう。
- 自分なら、どんな現象に、どんな名前をつけるか考えてみる。身近なふしぎなできごとに、短くて覚えやすい名前をつけてみましょう。
気になった言葉を1つだけ書いておくと、あとで調べる入口になります。「ファインマンって、そのあとどうなったの?」だけでも十分です。
ホイーラーがつくった言葉の由来を調べたり、自分なりの命名を考えてみたりすると、この記事で扱った内容がより身近に感じられます。
手を動かして確かめる
- ホイーラーが名づけた言葉のうち、1つを選んで由来を詳しく調べてみる。「ジーオン」「ワームホール」「it from bit」のいずれかについて、本文で紹介した以上の情報を探してみましょう。
- ホイーラーの学生だった、キップ・ソーンやヒュー・エヴェレット3世について調べてみる。それぞれどんな研究で知られているでしょうか。
一次情報にあたる
Science Newsの記事には、「ブラックホール」という言葉の起源をめぐる調査の詳しい経緯がまとめられています。
気になった数字や言葉を1つだけノートに記録しておきましょう。「ブラックホールという言葉が広まったのは1967年」という一文でもかまいません。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
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出典について:Wikipedia、科学ジャーナリズムのサイト、査読を経た学術論文を使っています。
- John Archibald Wheeler - Wikipedia(英語版)。 https://en.wikipedia.org/wiki/John_Archibald_Wheeler (生没年、マンハッタン計画での中性子減速材の命名とキセノン135問題、1955年のジーオン、1957年のワームホール、1990年のit from bit、ファインマン・ソーン・エヴェレットが弟子であったことについての解説)
- "50 years later, it's hard to say who named black holes" - Science News。 https://www.sciencenews.org/blog/context/50-years-later-its-hard-say-who-named-black-holes (「ブラックホール」という言葉の起源をめぐる史学的な調査、1963年ダラスでのシンポジウム、1964年のアン・ユーイングの記事、マーシャ・バートゥシアクの見解についての解説)
- "Black Hole: John Wheeler and the Astronomy Term's True Origins" - World Wide Words。 https://www.worldwidewords.org/tw-bla1.html (1967年12月のニューヨークでの講演、1968年の『アメリカン・サイエンティスト』誌掲載論文とオックスフォード英語辞典による初出引用についての解説)
- Tilman Sauer, "Remarks on the Origin of Path Integration: Einstein and Feynman"(学術論文、arXiv公開版)。 https://arxiv.org/abs/0801.1654 (1940年のファインマンの最初のセミナーと、アインシュタイン・パウリ・ウィグナー・フォン・ノイマンらの出席についての解説)
- Charles W. Misner, John A. Wheeler, "Classical Physics as Geometry"(学術論文、1957年、Annals of Physics誌)。 https://doi.org/10.1016/0003-4916(57)90049-0 (「ワームホール」という言葉が初めて使われた1957年の原論文)
なおした ところ
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