1. むかし 電話は 家から 動かなかった
1. むかし、電話は家から動かなかった
1. 電話が「場所」に結びついていた時代
いまは、みんな 電話を ポケットに 入れて 持ち歩いて います。 でも、そうなったのは わりと さいきんの ことです。
むかしの 電話は、家の 中に 立って いる ものでした。 コードで つながって いるので、動かせません。 だから、友だちに 電話を すると、 その 家の だれかが 出ます。 「あ、こんばんは。〇〇くん いますか」と 言うのです。
外で 電話を したい ときは、 道に ある 公しゅう電話を つかいました。 お金を 入れて かける 電話です。
そして、まちあわせは 大へんでした。 「土曜日の 3時、駅の 前で」と やくそくしたら、 あとから 「やっぱり 4時」に する ことが できません。 れんらくする 方ほうが ないからです。
だから みんな、ちゃんと 時間どおりに 来ました。
いま、電話はポケットに入っています。けれど、そうなったのは最近のことです。
少し前まで、電話は家に固定されたものでした。 壁や電話台にコードでつながっていて、動かせません。 「電話をかける」とは、家にかけることでした。
だから、友だちに電話をすると、その家の人が出ます。 「夜分に失礼します、〇〇さんのお宅ですか」と名乗ってから取り次いでもらう。 好きな人に電話をかけるのは、かなり勇気がいることでした。
外で電話をしたいときは、街角の公衆電話を使います。 10円玉やテレホンカードを入れて、話す。 お金が切れそうになると「ピッ」と音がして、急いで次のコインを入れました。
連絡手段がないということは、約束を変えられないということです。 「土曜3時、駅前の花屋の前」と決めたら、それが最後の情報。 電車が遅れても、相手は知る方法がありません。だから、みんな早めに着きました。 そして、来なければずっと待ちました。
この不便さを、どうにかできないか。 そこから、持ち運べる電話の話が始まります。
電話が個人に結びついたのは、通信の歴史のなかではごく最近です。 それ以前の電話は場所に結びついた設備でした。 番号は家や事務所に割り当てられ、「誰に」ではなく「どこに」かけるものだったのです。
この違いは、生活のかたちを決めていました。
- 相手を呼び出すには、その家の誰かに取り次いでもらう必要がある
- 外出中の人には連絡できない
- 約束は、事前に決めた内容から変更できない
- 外で連絡するには公衆電話を探す
待ち合わせに遅れそうでも伝える手段がなく、 伝言板や駅の掲示に書き残す、といった工夫が使われていました。
「いつでも、その人本人につながる」という当たり前は、 技術が作った新しい状態です。ここから、その30年あまりを追いかけます。
2. さいしょの ケータイは 車に あった
2. 最初の持ち運べる電話は、車に載っていた
2. 1979年の自動車電話から、1994年の買い取り制まで
さいしょに 「外で つかえる 電話」を 作った とき、 その 電話は とても 大きくて 重かったのです。
だから、人が 持つのでは なく、 車に のせました。1979年の ことです。 これを 自どう車電話と いいます。
つぎに 1985年、かたに かける タイプが 出ました。 ショルダーホンと いいます。 でも、おもさは 3キログラムくらい。 ランドセルに 教科書を たくさん 入れた くらい 重いです。
1987年に なって、やっと 手で 持てる 大きさに なりました。 それでも 900グラムくらい。いまの スマホの 5倍 くらいです。
しかも そのころ、ケータイは 買う ものでは なく かりる ものでした。 1994年に 買える ように なってから、 いっきに みんなが 持つように なりました。
「外で使える電話」を最初に作ったとき、大きな問題がありました。 装置が大きくて重すぎたのです。
1979年、車に載せた
そこで、最初は車に載せました。1979年、日本電信電話公社(いまのNTT)が 東京23区で自動車電話のサービスを始めます。 民間向けとしては、世界で初めてのセルラー方式の自動車電話サービスでした[1]。 1984年までに全国へ広がります。
1985年、肩にかけた
1985年には、車の外へ持ち出せるショルダーホンが登場します[2]。 肩からさげるかばんの形で、重さは3kgほど。 2リットルのペットボトルより重い電話です。
1987年、やっと手に持てた
1987年、NTTが「自動車電話」ではなく 携帯電話 のサービスを始めます[2]。 ここでようやく、片手で持てる大きさになりました。 それでも900g近くあり、今のスマホの5倍ほどの重さです。
1994年、買えるようになった
もうひとつ、大きな転機があります。 それまで携帯電話は借りるもの(レンタル)でした。 1994年4月に買い取り制度が導入され、自由に買えるようになります[3]。
自分のものになると、人は工夫を始めます。 好きな色を選び、ストラップをつけ、着信音を変える。 道具から持ちものへ変わった瞬間でした。ここから普及が一気に進みます。
移動体通信の商用化で最初に立ちはだかったのは、装置の大きさと消費電力でした。 そのため初期の端末は、電源と大きさに余裕のある自動車に搭載されました。
| 年 | できごと | ポイント |
|---|---|---|
| 1979年 | 自動車電話サービス開始(東京23区) | 民間用として世界初のセルラー方式[1]。1984年に全国化 |
| 1985年 | ショルダーホン登場 | 車外へ持ち出せる。重さ約3kg[2] |
| 1987年 | 携帯電話サービス開始 | 片手で持てるサイズへ。約900g[2] |
| 1994年 | 端末の買い取り制度導入 | レンタルから購入へ。普及が加速[3] |
「セルラー方式」とは何か
電波が届く範囲を小さな区画(セル=細胞)に分け、 区画ごとに基地局を置いて、移動に合わせて接続する基地局を切り替えていく方式です。
この方式には大きな利点があります。同じ周波数を、離れた区画でくり返し使えるのです。 電波は有限の資源なので、これができないと、同時に話せる人数が すぐに頭打ちになります。いまのスマホも、原理はこの延長線上にあります。
買い取り制がもたらしたもの
1994年の買い取り制度導入は、単なる商習慣の変更ではありませんでした。 端末が利用者の所有物になったことで、
- メーカーがデザインや機能で差をつける意味が生まれた
- 利用者が端末を選ぶようになった
- 買い替えという市場が生まれた
制度の変更が、製品の進化の速度を変えた例です。 この後、日本の携帯電話は独特の進化を始めます。
3. 1999年、電話が ネットに つながった
3. 1999年、電話がインターネットにつながった
3. iモード ── 技術と課金の設計
1999年、日本で すごい ことが おきました。 ケータイで インターネットが つかえるように なったのです。
その サービスの 名前は iモード。 2月22日に 始まりました。
天気を しらべる。ニュースを 読む。ゲームを する。 電車の 時間を 見る。 いまでは あたりまえの ことですが、 そのころは まほうの ようだと 言われました。
そして、この ころ 大人気に なったのが 着メロです。 電話が かかって きた ときに 鳴る 音を、 すきな 曲に かえられる のです。
じぶんの ケータイを、じぶん だけの ものに する。 みんな、そういう ことが したかったのですね。
1999年2月22日。日本の携帯電話の歴史で、いちばん大きな日かもしれません。 NTTドコモが iモード のサービスを始めました[4][5]。
これは、携帯電話でインターネットを使えるようにするサービスです。 天気予報、ニュース、乗り換え案内、銀行、ゲーム、着信メロディのダウンロード。 小さな画面のなかに、ネットの世界が入ってきました。
「i」の意味は、インタラクティブ(やりとりできる)、インフォメーション(情報)、 インターネット、そして「私(I)」の頭文字だと言われています[4]。
世界より先を行っていた
ここが大事なところです。当時、パソコンでインターネットを使うのは普通でしたが、 持ち歩く電話でネットにつなぐというのは、世界的にも新しいことでした。 日本は、この分野で世界の先頭を走っていたのです。
着メロという文化
同じころ大流行したのが 着信メロディ(着メロ)です。 電話が鳴るときの音を、好きな曲に変えられる。 自分で音符を入力して作る人もいました。
電話は連絡の道具から、自分を表すものになっていきます。 ストラップ、着せ替えパネル、待ち受け画面。 ここから日本のケータイは、ぐんぐん独自の方向へ進んでいきました。
1999年2月22日、NTTドコモが iモード のサービスを開始しました[4]。 携帯電話からインターネット上の情報サービスを利用できる仕組みです。
名称の「i」は、インタラクティブ、インフォメーション、インターネット、 そして「私(I)」の頭文字だとされています[4]。
何が新しかったのか
技術的な新規性というより、組み合わせ方が新しいサービスでした。
- 常時接続に近い使い勝手(電話をかける操作なしに情報を取りに行ける)
- コンテンツ提供者が参加しやすい仕組み(簡易な記述言語で作れる)
- 公式サイトの有料コンテンツについて、情報料を携帯電話の料金とまとめて請求し、ドコモが回収を代行する仕組みがあった
3つめが特に重要でした。作り手にお金が回る仕組みがあったため、 サイトが次々に生まれ、内容が充実し、利用者が増える、という循環が回ったのです。 技術だけでなく、お金の流れを設計したことが、このサービスの本質でした。
当時、パソコンからのインターネット利用は各国で広がっていましたが、 携帯電話を主役にしたインターネット利用が国民規模で普及した点で、 日本は世界の先行例になりました。
同時期に着信メロディが大流行します。 楽曲データの配信は、音楽産業にとって新しい市場になりました。 さらに待ち受け画像、着せ替えパネル、ストラップ。 携帯電話が「通信機器」から「自己表現の持ちもの」へ変わったのがこの時期です。 この変化が、次に出てくる絵文字や写メールの土台になります。
4. 絵文字は 日本で 生まれた
4. 絵文字は、日本のケータイから生まれた
4. 絵文字 ── 制約が生んだ発明と、その標準化
みなさんが メッセージで つかう 😊 や ❤ や 🍰。 あの 絵文字は、じつは 日本の ケータイから 生まれました。
1999年、iモードの ために 作られました。 さいしょは たった 176こ。 1つの 絵は、たてよこ 12こ×12この ちいさな マスで できて いました。 いまの 絵文字より、ずっと あらい 絵です。
どうして 作ったのでしょう。 みじかい 文だけだと、気もちが うまく つたわらない からです。 「わかった」と だけ 書くと、 おこって いるのか、よろこんで いるのか わかりません。 そこで 絵を つけたのです。
この 絵文字は、いま 世界じゅうで つかわれて います。 さいしょの 176この 絵文字は、 アメリカの ニューヨークに ある ゆうめいな 美じゅつかんに 入って います。
いま、世界中の人がメッセージで使っている絵文字。 英語でも emoji と呼ばれます。この言葉は日本語がそのまま広まったものです。
絵文字は、日本の携帯電話から生まれました。
176個から始まった
1999年、iモード向けにドコモの絵文字が登場します。 最初は176種類だけでした[6]。 一つひとつが12×12のマス目で描かれた、とても粗い絵です。
なぜ作ったのか。当時の携帯メールは文字数が少なく、短い文しか送れませんでした。 短い文は、そっけなく見えます。「わかった」だけでは、 怒っているのか、喜んでいるのかが分かりません。
そこで、気持ちを伝える小さな絵を足したのです。 技術の制約から生まれた工夫でした。
世界の標準になった
その後、絵文字は世界の文字コードの規格(Unicode)に組み込まれ、 どのメーカーの機械でも使える文字になりました[7]。 スマートフォンで使えるようになると、世界中へ一気に広がります。
2016年には、最初の176種類がニューヨーク近代美術館(MoMA)に収蔵されました[6]。 美術館に入った日本の携帯電話の部品、というわけです。
世界共通の絵文字が広まったことで、ドコモが独自に作っていた絵文字は役目を終え、 2025年6月下旬以降に発売される機種から、順次提供が終了しています[8]。 独自の工夫が世界標準に引き継がれ、元の形が要らなくなった、ということです。
英語圏でも emoji と呼ばれるこの文字は、日本の携帯電話文化から生まれ、 世界標準になった数少ない例です。
制約が生んだ発明
1999年、iモード向けにドコモの絵文字が登場しました。当初は176種類[6]。 解像度は12×12ドットで、表現できる情報量はごくわずかです。
背景には、当時の技術的制約がありました。
- メールで送れる文字数が限られていた
- 画面が小さく、表示できる情報が少なかった
- 通信速度が遅く、画像を送るのは現実的でなかった
短い文章は、意図せず冷たく読まれます。この問題を、 文字と同じ扱いで送れる小さな絵で解こうとしたのが絵文字でした。 画像ではなく文字として扱うことで、通信量をほとんど増やさずに感情を伝えられます。
標準化と普及
当初は事業者ごとに絵文字が異なり、他社に送ると別の絵になったり文字化けしたりしました。 その後、絵文字はUnicodeに取り込まれ、機種やメーカーを越えて使える文字になります。 スマートフォンで利用可能になると、世界中へ普及が加速しました[7]。
2016年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)が初期の176種類を収蔵しました[6]。 デザインとしての歴史的価値が認められたということです。
そして世界共通の絵文字が定着した結果、ドコモ独自の絵文字は、 2025年6月下旬以降に発売される機種から順次提供が終了しています[8]。 独自仕様が役目を終え、世界標準に引き継がれた例といえます。
5. 写真を 送る あそび
5. 写真を送るという遊び
5. 写メール ── 組み合わせが生んだ新しさ
つぎに おきたのが、写真です。
2000年の 11月、カメラの ついた ケータイが 出ました。 そして、とった 写真を そのまま メールで 送れる ように なったのです。
この しくみを 写メール、 みじかく 写メと よびました。
カメラは いまと くらべると、とても あらい 絵でした。 でも みんな 大よろこびで、 ごはんや ペットや 空を とっては、友だちに 送りました。
いま スマホで 写真を 送るのは あたりまえですが、 その はじまりは、この ときだったのです。
次の大きな出来事は、写真でした。
2000年11月1日、シャープが作ったカメラつき携帯電話 J-SH04 が J-フォン(のちのソフトバンク)から発売されます[9]。 そして、撮った写真をそのままメールで送れる 写メール のサービスが始まりました。
カメラは11万画素。いまのスマホは1000万画素を超えるものが普通なので、 比べものにならないほど粗い画像です。
それでも、これは爆発的にヒットしました。 若い人を中心に広まり、数年のうちにカメラつきの端末が当たり前になっていきます[10]。
「写メ」という言葉が残った
面白いのは、言葉のほうが生き残ったことです。 「写メール」というサービス名だったのに、 「写メ」が「携帯で写真を撮る・送る」という意味の普通の言葉になりました。 いまでも「写メ撮ろう」と言う人がいます。 サービスはとっくに姿を変えたのに、言葉だけが残っているのです。
カメラは前からありました。携帯電話も前からありました。 新しかったのは、撮ってすぐ送れるという組み合わせです。 それまで写真は、現像するまで見られないものでした。 「いま見ているものを、いま送る」。この体験が新しかったのです。
2000年10月、シャープは11万画素のイメージセンサーとJPEG圧縮機能を搭載した カメラ付き携帯電話端末 J-SH04 を商品化しました。 同年11月、J-フォンがこの端末を使い、撮影した画像をそのまま送信できる 写メール のサービスを開始します[10][9]。
サービスは若者を中心に急速に広まり、カメラ付き端末は短期間で普及しました[10]。
カメラを内蔵した携帯電話としては、1999年に発売された京セラのVP-210など、 より早い製品もあります。J-SH04が画期的だったのは 撮影から送信までを1台で完結させ、サービスとして提供した点です。 「世界初」という言葉は、何をもって初とするかで変わります。 資料を読むときは、そこを確かめると面白くなります。
組み合わせが生む新しさ
カメラも電話もメールも、それぞれは既存の技術でした。 新しかったのは 撮影 → 送信 → 相手の画面に表示 までの時間が 限りなくゼロに近づいたことです。
フィルム写真の時代、撮影から鑑賞までには現像という工程があり、数日かかりました。 その間隔がなくなったとき、写真の意味そのものが変わります。 記録するためではなく、いまを共有するために撮るようになったのです。 いまのSNSの写真文化は、ここから連続しています。
なお「写メ」という語は、サービス名を離れて一般名詞のように使われ続けています。 製品は消えても言葉が残る、という例です。
6. どうして「ガラケー」?
6. なぜ「ガラケー」と呼ばれたのか
6. ガラパゴス化 ── 何が起きていたのか
スマホの 前の ケータイを、 いま 「ガラケー」と よびます。 これは どういう 意味でしょう。
南アメリカの ちかくに、 ガラパゴスと いう しまじまが あります。 まわりの りくから 遠く はなれて いる ため、 そこの 生きものは、ほかに いない めずらしい すがたに なりました。
日本の ケータイも、それと にて いました。 日本で つかいやすい ように、どんどん かわって いったのです。 でも 外国では、電話会社の しくみも、つかい方も ちがいました。 だから、そのまま 持って いっても、同じようには つかえません。
「ガラパゴスの ケータイ」だから ガラケー。 そういう 名前です。
べんりに なったのは いい ことです。 でも、日本の 中だけで つかわれる ものは、 外国では 売れません。 そこが むずかしい ところでした。
スマホの前の携帯電話を、いま「ガラケー」と呼びます。 これは ガラパゴス + ケータイ を縮めた言葉です。
ガラパゴス諸島の話
ガラパゴス諸島は、南アメリカ大陸から約1000km離れた島々です。 外の世界から隔てられていたため、そこの生きものは独自の姿に進化しました。 ダーウィンが進化論を考えるきっかけになった場所でもあります。
日本のケータイに起きたこと
日本の携帯電話も、これに似たことが起きました。
- iモードでネットにつながり
- 絵文字と着メロで表現が豊かになり
- 写メールで写真が送れるようになり
- そのあと、おサイフ機能、テレビ、防水と機能が増えていった
どれも、日本の使い方に合わせて磨かれた便利な機能です。 ところが、その多くは日本の通信会社と端末メーカーが密に組んだ仕組みの上にありました。 そのため、海外市場へそのまま持ち出すのが難しかったのです。
そして2007年、アメリカでiPhoneが発表されます(日本での発売は2008年)。 画面全体がタッチパネルで、必要な機能はアプリとして後から入れる、という考え方でした。 その後、Androidを載せた端末も加わってスマートフォンへの流れが強まり、 日本で独自に発展した携帯電話は、しだいに主流から外れていきます。
ガラパゴス化という言葉には、「取り残された」という批判の意味があります。 ただし、そこで作られたものが劣っていたわけではありません。 むしろ世界のどこよりも早く、進んだことをやっていたのです。 問題は技術ではなく、それを世界の共通ルールにできなかったことでした。
ガラケーは「ガラパゴス・ケータイ」の略で、 ガラパゴス化という言葉から来ています。
ガラパゴス化とは、孤立した環境(ここでは日本市場)で製品やサービスの最適化が 極端に進むと、外部の製品との互換性を失って孤立し、 やがて汎用性や価格競争力の高い外部の製品に置き換えられてしまう、 という状況を指す言葉です。進化論で有名なガラパゴス諸島の生態系になぞらえています[11]。
何が起きていたのか
日本の携帯電話は、2000年代に世界のどこよりも進んだ機能を備えていました。 モバイルインターネット、絵文字、カメラ、電子マネー、テレビ受信、防水。 しかし、それらは日本国内の事業者・端末メーカー・コンテンツ事業者が 密に組んだ仕組みの上に作られていました。
この構造には、次の弱点がありました。
- 国内向けに最適化された仕様のため、海外市場にそのまま持ち出せない
- 事業者ごとの仕様差が大きく、開発コストが分散する
- 国内市場が十分に大きかったため、外へ出る動機が弱かった
そこへ2007年、アップルがiPhoneを発表します。 全面タッチパネルで、機能はアプリとして追加する。 世界で同じ端末を売り、世界中の開発者にアプリを作らせるという設計思想です。 日本での発売は2008年で、その後Android搭載端末も加わり、 スマートフォンへの移行が進みました。国内向けに最適化された端末は、 しだいに主流から外れていきます。
ここから読み取れるのは「日本の技術が遅れていた」ではありません。 むしろ先行していました。差がついたのは、 誰がルール(規格やプラットフォーム)を握るかという部分です。 優れた製品を作ることと、世界で使われる仕組みを作ることは、別の勝負なのです。
7. のこった もの
7. 日本のケータイが残したもの
7. 残ったもの ── 絵文字、決済、共有の文化
いま、みんなが つかって いるのは スマホです。 ガラケーは、だんだん 見かけなく なりました。
でも、日本の ケータイが 作った ものは、 いまも のこって います。
- 絵文字。世界じゅうで つかわれて います。
- ケータイで ネットを つかう と いう かんがえ方。
- 写真を すぐ 送る と いう あそび方。
ものは かたちを かえても、 その 中に あった いい かんがえは のこる。 そういう ことが あるのですね。
いま みなさんが スマホで 絵文字を 送る とき、 じつは 25年 前の 日本の ケータイと つながって いるのです。
いま主流はスマートフォンです。ガラケーは少なくなりました。 古い通信方式(3G)のサービスは、大手の通信会社ではすでに終了、 または終了が案内されています。昔の端末が使えるかどうかは、 契約している通信会社の案内を確認してください。
それでも、日本のケータイが残したものはたくさんあります。
| 生まれたもの | いまどうなっているか |
|---|---|
| 絵文字 | 世界の標準文字になり、世界中で使われている |
| 携帯でネットを使う発想(iモード) | スマホのアプリとネット利用として当たり前に |
| 写メール | 写真をその場で共有する文化として定着 |
| おサイフケータイ | スマホの決済機能につながっている |
道具そのものは姿を消しても、そこで生まれた考え方は残ります。 いまスマホで絵文字を送るとき、あなたは1999年の日本のケータイと つながっていることになります。
次にスマホで絵文字を送るとき、それは1999年の日本のケータイから広がったものです。 「写メ」という言い方も、おサイフケータイから続く電子マネーも、 形を変えて生き残っています。身のまわりを見ると、意外に残っているものです。
現在の主役はスマートフォンです。 第3世代(3G)の通信サービスは、大手の通信事業者ではすでに終了、 または終了が案内されています。古い端末が使えるかどうかは、 ネットワーク側の状況によるため、契約している事業者の案内を確認してください。
残ったもの
- 絵文字:Unicodeに取り込まれ、世界共通の文字として定着[7]
- モバイルインターネットという発想:iモードが示した「電話でネットを使う」形は、スマホのアプリ経済に引き継がれた
- 即時共有の文化:写メールが作った「撮ってすぐ送る」習慣は、SNSの土台になった
- 非接触決済:おサイフケータイの発想は、スマホ決済へつながった
この記事で出てきた変化
- 小さな画面と短いメールという制約から、絵文字が生まれた
- 買い取り制になって、端末を自分で選ぶ人が増えた
- カメラとメールが1台になると、写真の使い方が変わった
- 国内向けの便利さは、海外ではそのまま使いにくいことがあった
いま使っているスマートフォンも、いつか「あのころの端末」と呼ばれます。 そのとき何が残っているのかは、まだ分かりません。
じぶんでも やって みる
8. 自分でも調べてみたくなったら
8. 自分でも調べてみたくなったら
この 話は、家の 中で できる しらべものです。
- おうちの 人に 「はじめて 持った ケータイは どんなの?」と 聞いて みる。ぜったいに 話が 出て きます。
- 「まちあわせは どうして いたの?」と 聞いて みる。 スマホが なかった ころの 話です。
- ふるい ケータイが 家に のこって いたら、見せて もらう。 さわると、いまの スマホと ぜんぜん ちがいます。
聞いた ことは、ノートに 書いて おきましょう。 それも りっぱな きろくです。
この記事の調べものは、家の中でできます。
- 家族に「はじめて持った携帯は何だった?」と聞いてみる。 機種名、色、いくらだったか、何ができたか。だいたい話が長くなります。
- 「スマホがなかったころ、待ち合わせはどうしていたの?」と聞いてみる。 伝言板、駅の掲示、家の電話。工夫の話が出てきます。
- 家に古い携帯が残っていたら、見せてもらう。重さと画面の小ささに驚きます。
- 総務省の「情報通信白書」を見てみる。 携帯電話の契約数の推移がグラフで載っていて、普及の速さが目で分かります。
聞いた話は日付をつけてメモしておきましょう。 20年たつと、それは資料になります。
この分野は、身近な人が生き証人です。しかも記録が残っていません。 聞き取りをして記録するだけで、価値のあるものになります。
聞き取りのすすめ
- 家族や親戚に、最初に持った端末、料金、使い方を聞く
- いつ買ったか、なぜ買ったかを聞く(周りが持ち始めたから、仕事で必要になったから)
- スマホに変えた時期と理由を聞く
- 聞いた内容を、日付と話し手の年代つきでメモに残す
公的な資料で確かめる
- 総務省「情報通信白書」(契約数の推移、普及率、利用時間の統計)
- 各通信事業者の企業サイトにある沿革・年表
- 国立科学博物館の「未来技術遺産」(登録された端末とその理由が読めます)
考えてみると面白いこと
- いま「便利すぎて日本でしか通じない」ものは、ほかに何かあるか
- 絵文字が世界に広まったのに、ほかの機能は広まらなかった。その違いは何か
- 「写メ」のように、サービスが消えても残った言葉はほかにあるか
聞き取りは、時間がたつほど取れなくなります。 1999年に大人だった人は、当時の空気を覚えています。 その記憶は、どの資料にも書かれていません。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
この記事は、下にあげた公開情報をもとに書いています。文章や図を無断で転載してはいません。用語の定義など、短く引用した部分は、どこから引いたかを示しています。 年代や「世界初」の扱いは資料によって差があるため、 大事なところは複数の資料で確かめてください。 リンク先の内容や、リンク先で起きたことについて、当サイトは責任を負いません。
- 「戦後日本のイノベーション100選」移動電話(自動車電話、音声符号化等) 公益社団法人 発明協会 (1979年の自動車電話サービス、民間用として世界初のセルラー方式)
- 総務省「令和元年版 情報通信白書」携帯電話の登場・普及とコミュニケーションの変化 https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r01/html/nd111110.html (ショルダーホン、1987年の携帯電話サービス開始)
- 年代流行「携帯電話の歴史」 https://nendai-ryuukou.com/keitai/ (1994年4月の買い取り制度導入。個人サイトのため、他の資料と一致する範囲で使っています)
- 産業技術史資料情報センター「1999年 iモードサービス開始(NTTドコモ)」 http://www.shmj.or.jp/museum2010/exhibi2012.html (1999年2月のiモード開始、「i」の意味)
- NTTドコモ 沿革 https://www.docomo.ne.jp/corporate/about/history/ (iモードの開始日など、事業者自身による年表)
- 美術手帖「MoMAも収蔵するドコモの『Emoji』(絵文字)」 https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/1994 (初期176種類の絵文字、2016年のMoMA収蔵)
- 東洋経済オンライン「日本発イノベーションであるドコモの“絵文字”が終了し、世界規格の“Emoji”だけが残る理由」 https://toyokeizai.net/articles/-/880399 (Unicodeへの組み込みと世界への普及、独自絵文字の終了)
- ITmedia NEWS「ドコモ絵文字、25年の歴史に幕」 https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2505/21/news147.html (ドコモ独自絵文字の提供終了)
- ライブドアニュース「2000年11月1日、カメラを搭載した初の写メール端末『J-SH04』が発売されました」 https://news.livedoor.com/article/detail/17317005/ (J-SH04の発売日)
- 産業技術史資料情報センター「カメラ付き携帯電話端末の商品化と普及」 https://www.shmj.or.jp/innovation50/detail_A19.htm (11万画素センサー、写メールサービス、2年で契約者の半数以上)
- Wikipedia「ガラパゴス化」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ガラパゴス化 (言葉の意味と成り立ち。用語の説明として参照)
なおした ところ
更新履歴
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