けんどうは、どうして たけの かたなを つかうの?

剣道ではどうして竹の刀を使うのか ── 「物干し竿」と呼ばれた男

剣道ではどうして竹の刀を使うのか ── 安全な稽古を追い求めた400年

分野:歴史・文化

むかしの おさむらいさんは、ほんものの かたなを つかって けんじゅつの れんしゅうを して いました。でも いまの けんどうは、たけで できた「竹刀」を つかいます。

いつ、どうして、ほんものの かたなから 竹刀に かわったのでしょうか。

この きじでは、安全に うちあうための どうぐが うまれた おはなしを、じゅんばんに 見て いきます。

昔の武士は、本物の刀や木刀を使って剣術の練習をしていました。でも今の剣道は、竹でできた「竹刀」を使います。

いつ、どうして、本物の刀から竹刀に変わったのでしょうか。

この記事では、安全に打ち合うための道具が生まれていった歴史を、順番に見ていきます。

江戸時代より前、武士が剣術の稽古をするときは、真剣や木刀を使うのが基本だった。しかし今の剣道は、竹を割ってつくった「竹刀」で打ち合う。

この変化はいつ、どのようにして起きたのだろうか。

この記事では、竹刀という道具と、面・小手といった防具が生まれ、改良されていった400年の歴史を、江戸を騒がせたある剣士の逸話もまじえてたどっていく。

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1. 竹を われて つくった「ふくろしない」

1. 上泉信綱と「袋しない」── 安全な稽古のための発明

1. 上泉信綱と「袋しない」── 安全な稽古のための発明

いまの 剣道けんどうは、竹で できた「竹刀」で うちあいます。でも むかしは、 けんじゅつの けいこと いうと、ほんものの かたなや、かたい 木の かたなを つかうのが ふつうでした。

ほんものの かたなで 本気の うちあいを したら、 大きな けがに なって しまいます。 だから むかしの けいこは、きまった うごきを まねする ものが おおかったのです。

これを かえたのが、かみいずみのぶつなと いう 人だと いわれて います。のぶつなは、竹を われて、かわの ふくろに 入れた「ふくろしない」を つくりました。 竹は 木より やわらかく、かわで つつまれて いるので、本気で うっても 大きな けがを しにくいのです。

まるで、ボクシングの れんしゅうで、こぶしに グローブを つけるのと おなじ ような かんがえかたです。まもる どうぐが あるから、本気で うちあう れんしゅうが できるように なりました。

今の剣道は、竹でできた「竹刀」で打ち合います。でも江戸時代より前、武士が剣術の稽古をするときは、本物の刀(真剣)や、木でできた「木刀」を使うのが基本でした。

本物の刀や硬い木刀で本気の打ち合いをすれば、大けがにつながります。だから剣術の稽古は、型(決まった動きの練習)が中心になりがちでした。

この状況を変えたのが、安土桃山時代の剣術家・上泉信綱だとされています。信綱は、1本の竹を何本かに割り、袋状の革でおおって縫い合わせた「袋しない」を考え出し、これを使った稽古法を作りました[1]。竹は木刀よりやわらかく、革の袋でおおわれているので、本気で打ち合っても大けがをしにくいのです。

そのおかげで、剣術の稽古は「決まった動きをなぞる」だけでなく、「実際に相手を打つ」実践的な稽古ができるようになりました。

今の剣道は、竹でできた「竹刀」で打ち合う。しかし江戸時代より前、武士が剣術の稽古をするときは、本物の刀(真剣)や、木でできた「木刀」を使うのが基本だった。

本物の刀や硬い木刀で本気の打ち合いをすれば、大けがや死につながる。だから剣術の稽古は、型(決まった動きの練習)が中心になりがちだった。

この状況を変えたのが、安土桃山時代の剣術家・上泉信綱かみいずみのぶつなだとされる。信綱は、1本の竹を何本かに割り、袋状の革でおおって縫い合わせた「ふくろしない」を考案し、これを使った「竹刀打ち込み稽古法」を確立した[1]。竹は木刀よりやわらかく、革の袋でおおわれているので、本気で打ち合っても大けがをしにくい。

こうして、剣術の稽古は「決まった動きをなぞる」型稽古だけでなく、「実際に相手を打つ」実践的な稽古ができるようになった。

2. かおと 手を まもる「めん」と「こて」

2. 長沼国郷の時代に生まれた「面」と「小手」

2. 長沼国郷の時代に生まれた「面」と「小手」

「ふくろしない」が できても、まだ もんだいが ありました。 竹で できて いても、かおや 手に あたれば いたいし、目に 入ると あぶないからです。

江戸えどじだいの なかごろ、 長沼国郷ながぬまくにさとという 人の りゅうはでは、かおを まもる「めん」や、手を まもる「こて」の ような 道具を つかった けいこが おこなわれて いました。

めんと こてが できた ことで、けんじゅつの けいこは もっと 本気で できる ものに なって いきました。

「袋しない」ができても、まだ問題がありました。竹でできているとはいえ、顔や手に直接当たれば痛いし、目に入れば危険もあります。

江戸時代の中ごろ、直心影流という流派を率いた長沼国郷の時代には、顔を守る「面」や、手を守る「小手」のような防具を使った稽古が行われていました[2]

面と小手という防具ができたことで、剣術の稽古はさらに実戦に近づきました。竹刀と防具の組み合わせによって、それまで型稽古が中心だった各流派で、竹刀を使った打ち込み稽古が広まっていきました[3]

「袋しない」ができても、まだ問題があった。竹でできているとはいえ、顔や手に直接当たれば痛いし、目に入れば失明の危険もある。

江戸時代の中ごろ、直心影流じきしんかげりゅうという流派を率いた長沼国郷ながぬまくにさと(長沼四郎左衛門国郷)の時代には、顔を守る「面」や、手を守る「小手」のような防具を使った稽古が行われていた[2]

面と小手という防具ができたことで、剣術の稽古はさらに実戦に近づいた。竹刀と防具の組み合わせによって、それまで型稽古が中心だった各流派で、竹刀を使った打ち込み稽古が広まっていった[3]

3. 「ものほしざお」と よばれた けんし

3. 大石進と「物干し竿」── 江戸を騒がせた長い竹刀

3. 大石進と「物干し竿」── 江戸を騒がせた長い竹刀

竹刀と 道具が そろった ことで、道場どうしの 試合しあいも ふえて いきました。その 中で、とくに ゆうめいに なった 人が います。 大石進です。

大石は、ふつうより ずっと ながい、やく1.6メートルの 竹刀を つかって いました。あまりに ながいので、「ものほしざお」 と あだなを つけられました。

いまの おとなよう竹刀の ながさの きまりは 120センチまでなので、 大石の 竹刀が どれほど とくべつに ながかったか わかります。

竹刀と防具がそろったことで、道場どうしの試合も広まっていきました。その中で、ひときわ話題になった剣士がいます。大石進です。

1832年、九州の柳川藩出身の大石進は、江戸へ出ると、わずか3か月のあいだに江戸の名門道場に次々と試合を挑みました[4]。大石が使っていたのは、約1.6メートルという、通常よりはるかに長い竹刀で、「物干し竿」とあだ名されました[4]。今の一般用の竹刀の上限が120センチであることを考えると、その長さがどれほど規格外だったかがわかります[5]

この長い竹刀に対して、ある道場の剣士は「長い竹刀はただの道具まかせだ」と冷笑し、大石は通常の長さの竹刀で対戦することになりました[4]。江戸を代表する剣士・千葉周作とは引き分け、翌年には別の剣士と2度対戦し、初戦は敗れたものの再戦で勝利しました[4]

竹刀と防具がそろったことで、道場どうしの試合も広まっていった。その中で、ひときわ話題になった剣士がいる。大石進おおいしすすむだ。

1832年(天保3年)、九州・柳川藩出身の大石進は、藩の役目で江戸へ出ると、わずか3か月のあいだに江戸の名門道場に次々と試合を挑んだ[4]。大石が使っていたのは、5尺3寸(約1.6メートル)という、通常よりはるかに長い竹刀で、「物干し竿」とあだ名された[4]。今の一般用の竹刀の上限が120センチであることを考えると、その長さがどれほど規格外だったかがわかる[5]

この長い竹刀に対して、中西道場の高柳又四郎は「長い竹刀はただの器械(道具まかせ)だ」と冷笑し、大石は通常の長さの竹刀で対戦することになった[4]。江戸を代表する剣士・千葉周作とは引き分け、高柳とは通常竹刀で対戦して技あり、翌1833年には男谷精一郎と2度対戦し、初戦は敗れたが再戦で勝利した[4]

4. どうして 竹を われて つくるの

4. なぜ竹を割ってつくるのか

4. なぜ竹を割ってつくるのか ── 四つ割り竹刀の構造

江戸えどじだいの おわりごろ、竹刀の つくりかたも かわりました。1本の 竹を たてに 4本に わって、たばねて つくる「四つり竹刀」が うまれました。

われた 竹は、バラバラに ならずに、しなって うちあった ときの ちからを やわらげて くれます。 かたい 1本の 木の ぼうでは、この「しなり」が なく、あたった ときの ちからが そのまま つたわって しまいます。

たばねた わりばしを おもいうかべて みてください。1本の かたい ぼうより、われた もの 4本を たばねた ほうが、しなって、ちからを うけながせそうな きが しませんか。竹刀も おなじ かんがえかたです。

江戸時代の終わりごろになると、竹刀の構造そのものも進化しました。それまでの「袋しない」(竹を割って革袋でおおった、やわらかい竹刀)にかわって、より丈夫な「四つ割り竹刀」が発明されました[3]。一説では、大石進がこの四つ割り竹刀の考案にも関わったとされています[1]

四つ割り竹刀は、1本の竹を縦方向に分けた竹片4本を束ねてつくります[1]。竹刀に使われる竹は、繊維がつまっていてかたく、それでいて弾力があるという性質を持ちます[6]。割れてもバラバラにならず、しなって衝撃を吸収する構造こそが、竹刀が安全に「打ち合える」道具である理由です。かたい1本の木の棒(木刀)では、この「しなり」がなく、当たったときの衝撃がそのまま伝わってしまいます。

こうして竹刀が丈夫になったことと、防具が発達したことが重なり、より本気に近い打ち込み稽古が、より安全にできるようになっていきました[3]

江戸時代の終わりごろになると、竹刀の構造そのものも進化する。それまでの「袋しない」(竹を割って革袋でおおった、やわらかい竹刀)にかわって、より丈夫な「四つ割り竹刀」が発明された[3]。一説では、大石進がこの四つ割り竹刀の考案にも関わったとされる[1]

四つ割り竹刀は、1本の竹を縦方向に分けた竹片4本を束ねてつくる[1]。竹刀に使われる竹(真竹)は、繊維がつまっていてかたく、それでいて弾力だんりょくがあるという性質を持つ[6]。この、割れてもバラバラにならず、しなって衝撃しょうげきを吸収する構造こそが、竹刀が安全に「打ち合える」道具である理由だ。硬い1本の木の棒(木刀)では、この「しなり」がなく、当たったときの衝撃がそのまま伝わってしまう。

こうして竹刀が丈夫になったことと、防具が発達したことが重なり、より本気に近い打ち込み稽古が、より安全にできるようになっていった[3]

5. いまの 竹刀の きまり

5. 現代の竹刀と防具のルール

5. 現代の竹刀と防具のルール

いまの 竹刀の ながさや おもさ、太さは、ぜんこくの 剣道けんどうの だんたいが、年れいごとに こまかく きめて います。たとえば おとなの 男の人よう竹刀は、ながさ120センチいか、おもさ510グラム いじょうと きまって います。

この きまりは、しあいを こうへいに するだけでなく、けがを ふせぐ あんぜんの きまりでも あります。ひびの 入った 竹刀では、 しあいに 出る ことは できません。

かみいずみのぶつなが あんぜんな けいこの ために ふくろしないを かんがえ、長沼国郷ながぬまくにさとが めんと こてを つくり、なまえも のこって いない しょくにんや けんしたちが 四つり竹刀を くふうして いった 400ねんの つみかさねの 先に、いまの 剣道けんどうの あんぜんな しくみが あります。

現在、竹刀の長さ・重さ・太さは、全日本剣道連盟によって、年齢や段階ごとに細かく決められています。たとえば大学生・一般男子用の竹刀は、長さ120センチ以下、重さ510グラム以上と定められています[5]

これらの規定は、選手どうしの試合を公平にするだけでなく、けがを防ぐ安全性の基準でもあります。竹刀の先の太さや、ひびの有無なども細かくチェックされ、危険な状態の竹刀で試合に出ることはできません[5]

上泉信綱が安全な稽古のために袋しないを考え、長沼国郷が面と小手を作り、名も知られていない職人や剣士たちが四つ割り竹刀を工夫していった400年の積み重ねの先に、いまの剣道の安全な仕組みがあります。

現在、竹刀の長さ・重さ・太さは、全日本剣道連盟ぜんにほんけんどうれんめいによって、年齢や段階ごとに細かく決められている。たとえば大学生・一般男子用の竹刀は、長さ120センチ以下、重さ510グラム以上と定められている[5]

これらの規定は、選手どうしの試合しあいを公平にするだけでなく、けがを防ぐ安全性の基準でもある。竹刀の先の太さや、ひびの有無なども細かくチェックされ、危険な状態の竹刀で試合に出ることはできない[5]

上泉信綱が安全な稽古のために袋しないを考え、長沼国郷が面と小手を作り、名も知られていない職人や剣士たちが四つ割り竹刀を工夫していった400年の積み重ねの先に、いまの剣道の安全な仕組みがある。

じぶんでも やって みる

自分でも調べてみたくなったら

自分でも調べてみたくなったら

じぶんでも、けんどうの 竹刀や 道具に ついて しらべて みましょう。

きょう できる こと

  • ちかくの けんどうきょうしつを さがす。 見学が できる ところも あります。おうちの 人と いっしょに さがして みましょう。
  • わりばしで、しなりを かんじて みる。 わりばしを 1本と、たばねた ものを まげくらべて みると、 しなりかたの ちがいが わかります。
メモの すすめ

きょう 出て きた ことばを 1つだけ ノートに 書いて おきましょう。「ものほしざおって、どれくらい ながいの?」 だけで じゅうぶんです。

自分でも、剣道の竹刀や道具について調べてみましょう。

今日できること

  • 近くの剣道教室を調べる。見学ができるところもあります。家の人といっしょに調べてみましょう。
  • 割り箸で、しなりを感じてみる。割り箸を1本と、束ねたものを曲げくらべてみると、しなりかたのちがいがわかります。

出かけてできること

  • 剣道の試合や大会を見学してみる。
  • 博物館で、昔の剣術道具や防具の展示を見てみる。
メモのすすめ

気になった言葉を1つだけ書いておくと、あとで調べる入口になります。「大石進って結局どのくらい強かったの?」だけでも十分です。

自分でも、剣道の竹刀や防具について調べてみよう。

手を動かして確かめる

  • 割り箸で「割ってしなる構造」を体感する。割り箸を1本の状態と、輪ゴムで束ねた状態で曲げくらべてみると、四つ割り竹刀がなぜしなるのか、体感的に理解できる。
  • 剣道教室や道場を見学する。実際の竹刀や防具を間近で見ると、記事で読んだ規定(長さ・重さ)を自分の目で確認できる。

一次情報にあたる

竹刀・防具の規定は、全日本剣道連盟が公式に定めており、試合・審判規則として公開されている。年代や流派による違いは、剣道史の専門書や、各流派の公式サイトで確認できる。

メモのすすめ

大石進のように、規格外の道具を使う人が現れたことが、のちのルール整備のきっかけになることがある。スポーツのルールの多くは、こうした人と道具のせめぎ合いの歴史を持っている。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

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出典について:全日本剣道連盟は剣道の公的な統括団体、Wikipediaは百科事典、その他は剣道史・専門メディアによる解説記事です。

  1. Wikipedia「竹刀」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/竹刀 (上泉信綱による袋しないの考案、大石進による四つ割り竹刀考案の一説、四つ割り竹刀の構造、名称の由来についての出典)
  2. 全日本剣道連盟「第2回 直心影流にみる形稽古としない打ち込み稽古の兼修」。 https://www.kendo.or.jp/knowledge/books/column_02/ (直心影流の系譜、長沼国郷が面・小手を製作したことについての出典)
  3. 剣道パーク「【剣道の歴史のすべて】平安から令和まで完全解説!」。 https://kendopark.jp/kenjoy/kendo-history (上泉信綱の竹刀打ち込み稽古法の確立、長沼国郷の面・小手製作、江戸末期の四つ割り竹刀発明についての出典)
  4. 草の実堂「江戸を席捲した九州の怪物剣豪・大石進 「天保の三剣豪」」。 https://kusanomido.com/study/history/japan/edo/59028/ (大石進の江戸修行のエピソード、1832年の出府、5尺3寸の竹刀、各剣士との対戦記録についての出典)
  5. 寺小屋ばんとう「最適な竹刀の選び方! 長さ・重さ・太さの規程と、竹刀選びの”感覚”について」。 https://bantobudo.com/shinai-erabikata/ (現代の竹刀の長さ・重さの規定についての出典)
  6. 調整さん「剣道の竹刀ってどういうものなの?」。 https://chouseisan.com/l/post-117870/ (竹刀に使われる真竹の性質についての出典)

なおした ところ

更新履歴

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