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ここに書いてあることは、誰かが実際に手を動かして調べ、考え、作り上げてきたものを拾い集めています。専門の本や論文、作品、そしてそれを生み出した人たち。気になったことがあれば、ぜひそのおおもとに直接ふれてみてください。このメモには書ききれない熱を、感じてもらえると思います。

マハゼは、どうして きれいな あじが するの?

マハゼは、なぜ上品な味がするのか

マハゼは、なぜ汚れた水にいるのに上品な味がするのか

分野:海・釣り

江戸えど時代の 人たちも、いまの 子どもたちも、おなじ 魚を つって きた。名前は マハゼ。でも、その 魚が いきられるのは、たった 1年だけだ。

すんで いる 水は、あまり きれいでは ない。それなのに、天ぷらに すると、びっくりする くらい おいしい。どうしてだろう。

江戸時代の人たちも、今の子どもたちも、同じ魚を釣ってきた。名前はマハゼ。でも、その魚が生きられるのは、たった1年だけだ。

すんでいる水は、あまりきれいとはいえない。それなのに、天ぷらにすると、びっくりするくらい上品な味がする。どうしてだろうか。

江戸時代の庶民も、今の子どもたちも、橋の上や護岸から同じ魚を気軽に釣ってきた。マハゼだ。生まれてから1年ほどで一生を終える、短命な魚である。

すんでいる水は、お世辞にもきれいとはいえない都市の運河や内湾であることが多い。それなのに天ぷらにすると、クセのない上品な白身になる。濁った水にすむ魚が、なぜこれほど上品な味になるのか。

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1. マハゼは、なにを たべて いるの

1. マハゼは、何を食べているのか

1. マハゼの食性と、すみか

マハゼは、川と 海の 水が まじりあう「きすいいき」や、みなとの 中のような、あさい 場しょに すんで いる。

たべものは、ゴカイの なかまや、小さな エビや カニ。少し おおきく なると、のりの なかまも たべる。どろの 中の くさった ものを たべて いる わけでは ない[1]

マハゼは、川と海の水が混ざりあう「汽水域(きすいいき)」や、港の中のような、浅い場所にすんでいる。

食べものは、ゴカイの仲間や、小さなエビ・カニなどの甲殻類が中心だ。成長すると、アオノリなど藻の仲間も食べる。泥そのものや、腐ったものを食べているわけではない[1]

マハゼは、淡水と海水が混ざりあう汽水域や、内湾の浅場にすむハゼ科の魚である。仔魚のころは主に甲殻類を食べ、成長するとアサクサノリやアオノリなどの藻類、ゴカイなどを食べる[1]

この食性は、泥や腐敗物そのものを主食とする生きものとは異なる。白身は透明感があり、クセがなく、皮にわずかな風味がある淡白な味わいとされる[1]

2. どろくさく ならない のは なぜだろう

2. 泥臭くならないのは、なぜだろう

2. 淡水魚が「泥臭く」なる仕組みと、マハゼの立ち位置

マハゼが なにを たべて いるかは 分かった。では、なぜ どろくさく ならないのだろう。

川の 魚が どろくさく なる もとは、川ぞこの どろに いる 小さな 生きものが 出す「におい」の もとだ。コイや フナのように、川ぞこの どろを 口に 入れながら くらす 魚は、この においの もとを たべものと いっしょに とりこんで しまう[2]。まるで、そうじきが ゴミと いっしょに ほこりも すいこむ ような ものだ(ただし ほんとうに そうじきのように すいこむ わけでは なく、口で どろを あさりながら たべる ときに、いっしょに とりこんで しまうのだ)。

でも マハゼは、どろその ものを たべる 魚では ない。ゴカイや 小さな エビ・カニ、のりの なかまを、えらんで たべて いる[1]。ピンセットで つまむように、たべものだけを えらんで いる イメージだ。どろを 口に する くらしを して いないから、どろくさく なりにくいのでは ないかと 考えられる。ただし、これは マハゼで じっさいに たしかめられた 話では なく、ほかの 川の 魚で 分かって いる しくみから すいそくした ことだ[2]

マハゼが何を食べているかは分かった。では、なぜ泥臭くならないのだろう。

川魚が泥臭くなる主な原因は、川底の泥の中にすむ放線菌(ほうせんきん)という微生物が作り出す「ジェオスミン」などの匂い成分だ。コイやフナのように、川底の泥をあさりながら暮らす魚は、この匂い成分を餌と一緒に体に取りこんでしまう[2]

これに対しマハゼは、泥そのものを食べる魚ではない。ゴカイや小さなエビ・カニ、海藻の仲間を食べている[1]。泥を口にする暮らし方をしていないぶん、泥臭くなりにくいのではないかと考えられる。ただしこれは、マハゼで直接確かめられた話ではなく、他の川魚で分かっている仕組みからの推測である[2]

マハゼの食性は分かった。では、都市河川のような環境にいながら、なぜ泥臭くならないのだろうか。

淡水魚特有の「泥臭さ」の主な原因物質は、ジェオスミンや2-メチルイソボルネオール(2-MIB)である。これらは川底の泥の中にすむ放線菌によって作られる。コイ・フナ・ナマズのように、底生性で泥中の餌をあさる食性を持つ魚は、こうした匂い成分を餌とともに体内に取りこみやすく、蓄積して泥臭さの原因になる[2]。対照的に、川底や岩の表面の付着藻類を主食とするアユは、泥を口にする機会が少なく、臭みの少ない川魚として知られる[2]

マハゼも、仔魚期は甲殻類、成長後はゴカイや藻類を食べる食性であり、泥そのものを主食とする魚ではない[1]。この食性の違いが、泥臭さの原因物質を取りこみにくい一因になっている可能性がある。ただし、この仕組みがマハゼで直接検証されたわけではなく、他の川魚で確認されている食性と匂いの関係からの推測にとどまる点には注意が必要だ[2]

3. 江戸えどの 人たちも、マハゼを つって いた

3. 江戸時代から、マハゼ釣りは庶民の遊びだった

3. 江戸和竿と天ぷら ── 庶民の釣りとして根づいた歴史

あじの ひみつは、たべものに あった。では、マハゼは いつから 人に つられて きたのだろう。

江戸えど時代(いまから 200年 いじょう 前)、東京は まだ「江戸えど」と よばれて いた。江戸えどの 町には 川や 海が 近く、マハゼは だれでも 気がるに つれる 魚として、しょみん(ふつうの 町の 人たち)に 大にんきだった[3]。天明(てんめい)と いう 時代(1781年から 1789年)には、「たいちやとうさく」と いう 人が、マハゼなどを つる ための、魚に あわせた とくべつな 竿さおを 作る 店を ひらいた[3]

味の秘密は、食べものにあった。では、マハゼはいつから人に釣られてきたのだろう。

江戸時代(今から200年以上前)、東京はまだ「江戸」と呼ばれていた。江戸の町には川や海が近く、マハゼは誰でも気軽に釣れる魚として、庶民に人気があった[3]。天明年間(1781〜1789年)には、泰地屋東作(たいちやとうさく)という人物が、江戸周辺の魚ごとに合わせて作る「江戸和竿(えどわざお)」の店を開いた。マハゼも、この和竿で狙われた魚の一つだ[3]。釣ったマハゼは、江戸の庶民に屋台で広まった天ぷらの代表的なネタになった[4]

味の手がかりが食性にあることは分かった。では、マハゼはいつから釣りの対象として親しまれてきたのか。

江戸時代、汽水域を持つ江戸湾はマハゼにとって理想的な環境であり、手軽に釣れる魚として庶民の娯楽になっていた。天明年間(1781〜1789年)に下谷いなり町で開業した泰地屋東作は、江戸周辺にすむ魚種ごとに合わせて仕立てる「江戸和竿」の開祖とされ、マハゼもその対象魚の一つだった[3]。なお、日本最古とされる釣りの専門書『何羨録(かせんろく)』(1723年、津軽采女著)は、主にキス釣りを扱ったものでマハゼ釣りそのものの記録ではない[5]。江戸の庶民のあいだで天ぷらが屋台料理として広まると、マハゼはその代表的なネタの一つになった[4]

4. マハゼの いっしょうは、たった 1年

4. マハゼの一生は、たった1年

4. 1年で世代交代する「年魚」と、オスの子育て

江戸えどの 人たちが つって いた マハゼだが、じつは 1ぴき 1ぴきの いのちは、とても みじかい。

マハゼは、うまれてから 1年で たまごを うんで、いっしょうを おえる さかなだ。ふゆから 春に なると、オスが すなの 中に 5cmくらいの ふとさで、1メートル いじょうの ふかさの あなを ほる。メスは その あなの てんじょうに、やく3万この たまごを うみつけて、いっしょうを おえる。オスは、なにも たべずに あなに とどまって、たまごに きれいな 水を おくりつづける。たまごが かえる ころに、オスも いっしょうを おえる[6]

江戸の人たちが釣っていたマハゼだが、実は1匹1匹の命は、とても短い。

マハゼは、生まれてから1年ほどで産卵し、一生を終える「年魚(ねんぎょ)」の代表的な魚だ。冬から春になると、オスが砂の中に直径5cmくらい、深さ1.3mほどの巣穴を掘る。メスはその巣穴の天井に、約3万個もの卵を産みつけたあと、一生を終える。オスは何も食べずに巣穴にとどまり、新鮮な水が卵にいきわたるよう世話をし続ける。卵がかえるころ、オスも一生を終える[6]

江戸の庶民に親しまれてきたマハゼだが、個体としての寿命はきわめて短い。マハゼは生後1年ほどで産卵し死に至る「年魚」の代表例である(まれに2年かけて成熟する個体もあり、「ヒネ」「ヒネハゼ」と呼ばれる)[6]

産卵期の1〜5月ごろ、河口付近の水深2〜10m前後の砂泥底で、オスが出入口を3〜5個持つ、直径5cm・深さ1.3mほどの巣穴を掘る。メスは巣穴の天井に約3万個の卵を産みつけたあと、その生涯を終える。孵化までの約半月間、オスは何も食べずに巣穴にとどまり、新鮮な酸素を含む水が卵にいきわたるよう世話をし続ける。孵化が完了すると、オスも一生を終える[6]

5. マハゼが へって、また もどそうと して いる

5. マハゼが減った時代と、取りもどそうとする取り組み

5. 1960年代の賑わいから減少、2008年からの復活プロジェクトへ

1年で いっしょうを おえる マハゼだが、しゅのぜんたいの 数は、時代に よって おおきく かわって きた。

1960年だいの 東京わんには、マハゼを つる 船が ぎっしり ならんで いた しゃしんが のこって いる。でも その あと、こうじょうから の はいすいや、うめたて(海を うめて りくに かえる こと)に よって、マハゼの すめる 場しょが へって いった[7]。2008年からは、「えどまえ ハゼ ふっかつ プロジェクト」と いう とりくみが はじまり、マハゼが すめる 東京わんを とりもどそうと して いる[8]

1年で一生を終えるマハゼだが、種全体の数は、時代によって大きく変わってきた。

1960年代の東京湾には、マハゼを釣る船がぎっしり並んでいた写真が残っている。しかしその後、工場からの廃水が海に流れこんだり、湾岸開発で干潟や浅瀬が次々に埋め立てられたりしたことで、マハゼのすめる場所は減っていった[7]。2008年度からは、「江戸前ハゼ復活プロジェクト」という取り組みが東京水産振興会によって始まり、マハゼが数多くすめる東京湾を取りもどすため、減少の原因や現状の調査が続けられている[8]

年魚として1年ごとに世代交代するマハゼだが、東京湾における個体数全体は、時代によって大きく変動してきた。

1960年代の東京湾には、マハゼ釣り船がひしめきあう光景の写真が残っている。しかしその後、工場排水の流入や、羽田空港C滑走路の建設をはじめとする湾岸開発による干潟・浅場の埋め立てが進んだことで、マハゼの生息環境は減少していった[7]。こうした状況を受け、東京水産振興会は2008年度に「江戸前ハゼ復活プロジェクト」を開始した。マハゼが数多くすめる東京湾を取りもどすことを目的に、減少の原因究明と生息状況の調査が続けられている[8]

6. さいきんは、ルアーで マハゼを つる 人も いる

6. 最近は、ルアーでマハゼを釣る「ハゼクラ」も人気だ

6. 新しい釣り方「ハゼクラ」が広まっている

マハゼを へらさない ための くふうが つづく なか、つり方じたいにも 新しい やり方が うまれて いる。

むかしから ある つり方は、エサ(ゴカイなど)を つかう。でも さいきんは、エサの かわりに、小さな にせの さかな(ルアー)を つかって つる「ハゼクラ」と いう つり方が ひろまって いる。竿さおを かるく ふって、ルアーを 川ぞこに そっと あてながら、ゆっくり まく。「コツコツ」と いう かんしょくの あとに「コンコン」と アタリが 来ても、すぐには あわせず、ゆっくり まきつづけるのが コツだ[9]

マハゼを減らさないための工夫が続くなか、釣り方じたいにも新しいやり方が生まれている。

昔からの釣り方は、ゴカイなどのエサを使う。でも近年は、エサの代わりに小さなルアー(クランクベイトと呼ばれる疑似餌)を使って釣る「ハゼクラ」という釣り方が広まっている。竿を軽く振ってルアーを投げ、川底に軽く当てながらゆっくり巻く。「コツコツ」という感触のあとに「コンコン」というアタリが来ても、すぐに合わせず、ゆっくり巻き続けるのがコツだ[9]

マハゼの生息環境を守る取り組みが進むなか、釣り方そのものにも新しい潮流が生まれている。

伝統的なエサ釣りに加え、近年は「ハゼクラ」と呼ばれるルアー釣りが関東圏を中心に広まっている。「ハゼ」と、小型の疑似餌「クランクベイト」を組み合わせた造語だ。軽いタックルで、ルアーが川底に接触する「コツコツ」という感触を保ちながらゆっくり巻き、「コンコン」というアタリのあとも即座に合わせず巻き続けるという操作が基本で、初心者でも扱いやすい釣法として裾野を広げている[9]

じぶんでも やって みる

自分でも調べてみたくなったら

自分でも調べてみたくなったら

大人と いっしょに、ちかくの 川や みなとで マハゼづりを して みよう。エサの ゴカイが にがてなら、ルアーの「ハゼクラ」から はじめても いい。

つった 魚を たべても よいかは、その 場しょに くわしい 大人に かならず かくにんして もらおう。だいじょうぶな ばあいは、天ぷらに して たべて みよう。にごった 水に いた 魚が、どんな あじが するか、じぶんの 口で たしかめよう。

大人と一緒に、近くの川や港でマハゼ釣りをしてみよう。エサのゴカイが苦手なら、ルアーの「ハゼクラ」から始めてもいい。

釣った魚を食べてよいかは、その場所に詳しい大人に必ず確認してもらおう。大丈夫な場合は、天ぷらにして食べてみよう。濁った水にいた魚が、どんな味がするか、自分の口で確かめよう。

機会があれば、近くの汽水域や内湾でマハゼ釣りに挑戦してみるとよい。エサ釣りでもハゼクラでも構わない。釣った個体を食べてよいかは、その水域の状況に詳しい大人に必ず確認したうえで、問題なければ天ぷらなどで調理し、この記事で紹介した食性や生息環境と、実際の味わいを自分の舌で結びつけてみてほしい。「江戸前ハゼ復活プロジェクト」のサイトでは、東京湾のマハゼの現状に関する調査結果も公開されている。

しらべた ところ

参考にした情報源

参考にした情報源

  1. 市場魚貝類図鑑「マハゼ」。 https://www.zukan-bouz.com/syu/マハゼ (マハゼが仔魚期に甲殻類、成長するとアサクサノリやアオノリなど植物性のものやゴカイなどを食べること、白身が透明感がありクセがなく皮にわずかな風味があることは市場魚貝類図鑑による)
  2. ネットdeカガク「淡水魚はなぜ生臭いの?においの成分とは?」、かみながせやな「川魚にありがちな臭み、鮎にはなぜ少ないのか?自然の秘密」。 https://netdekagaku.com/tasuigyonamagusai/ https://kaminagaseyana.com/川魚にありがちな臭み、鮎にはなぜ少ないのか (淡水魚特有の泥臭さのもとになる物質が魚自身ではなく環境中の細菌〈放線菌〉に由来すること、川底の泥を食べる底生性の魚〈コイ・フナ・ナマズなど〉がこの匂い成分を餌とともに取りこみ蓄積することはネットdeカガクおよびかみながせやなによる。アユが泥ではなく付着藻類を主食とするため臭みが少ないとされることも、かみながせやなの記事による。マハゼが泥そのものを主食としないため泥臭くなりにくい可能性については、これらの他の川魚で確認されている食性と匂いの関係からの推測であり、マハゼを対象に直接検証した資料ではないことを明記した)
  3. 水の文化センター機関誌『水の文化』59号「江戸前のハゼ釣りに『和竿』で挑戦!」。 https://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no59/05.html (江戸で始まった釣りが時代とともに庶民へ広まったこと、江戸和竿の開祖とされる泰地屋東作が天明年間〈1781〜1789年〉に下谷いなり町で開業したことはミツカン水の文化センターの記事による)
  4. washoku-style「さかな歳時記『二十四節気・秋分』江戸前天ぷらの主役」、日本植物油協会「天ぷらは庶民の文化 ~江戸時代」。 https://washoku-style.jp/hibikore/3863 https://www.oil.or.jp/info/29/29_3.html (ハゼが江戸前天ぷらの代表的なネタとなっていることはwashoku-styleの記事による。揚げ物が天ぷらと呼ばれ庶民の味として花開いたのが元禄〈1688〜1704年〉以後であり、串に刺して屋台で売られていたことは日本植物油協会の解説記事による)
  5. フリー百科事典『ウィキペディア』「何羨録」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/何羨録 (日本最古とされる釣りの専門書『何羨録』が1723年〈享保8年〉に津軽采女によって書かれたこと、内容の中心が江戸周辺のキス釣り場・釣り道具・天候予測でありハゼ釣りそのものの記述は見当たらないことはウィキペディア「何羨録」による)
  6. 豊海おさかなミュージアム「ハゼは多様性のお手本、イクメンの師匠。」、TSURINEWS「一年で一生を終える代表的な『年魚』4選」。 https://museum.suisan-shinkou.or.jp/guide/haze-teach/1928/ https://tsurinews.jp/66522/ (オスが直径5cm・深さ1.3mほどの巣穴〈出入口3〜5個〉を掘ること、メスが巣穴の天井に約3万個の卵を産みつけたあと一生を終えること、オスが何も食べずに孵化まで約半月間卵の世話をしたあと死を迎えることは豊海おさかなミュージアムによる。マハゼが年魚の代表例であること、まれに2年かけて成熟する個体が「ヒネ」「ヒネハゼ」と呼ばれることはTSURINEWSによる)
  7. 東京新聞デジタル「ハゼ、復活の底力 東京湾開発、温暖化…『江戸前の魚』今は昔」。 https://www.tokyo-np.co.jp/article/190313 (1960年代の東京湾にハゼ釣り船がぎっしり並んでいた写真が残っていること、工場からの廃水流入や湾岸開発による干潟の埋め立て〈羽田空港C滑走路建設を含む〉によりマハゼの生息場所が減っていったことは東京新聞デジタルの記事による)
  8. 一般社団法人東京水産振興会「江戸前ハゼ復活プロジェクト」公式サイト。 https://mahaze.suisan-shinkou.or.jp/ (東京水産振興会が2008年度に「江戸前ハゼ復活プロジェクト」を開始したこと、マハゼがたくさんすめる東京湾を取りもどすため現状調査と減少原因の究明を行っていることは東京水産振興会の公式サイトによる)
  9. TSURI HACK「【ハゼクラ超入門】ハゼのルアー釣りを超わかりやすく元釣具屋が解説」、BRAVO MOUNTAIN「『まさかの理由で釣れる』庶民の遊び『ハゼ釣り』の新ジャンル『ハゼクラ』とは!?」。 https://tsurihack.com/5722 https://bravo-m.futabanet.jp/articles/-/125700 (ハゼクラが「ハゼ」と疑似餌「クランクベイト」を組み合わせた造語で関東圏を中心にブームになったこと、ルアーを川底に接触させながらゆっくり巻きアタリのあとも即座に合わせず巻き続けるという釣り方の基本はTSURI HACKおよびBRAVO MOUNTAINによる)

なおした ところ

更新履歴

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