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すうがくを きそいあう 「オリンピック」が あるって、ほんとう?

数学で競い合う「オリンピック」があるって、本当?

国際数学オリンピック(IMO)は、何を競う大会なのか

分野:歴史・文化

2日間、まいにち 4時間はんも、もんだいと むきあいつづける 「オリンピック」が ある。はしったり、およいだり しない。かみと えんぴつだけで きそう、「国さいすうがくオリンピック」だ。

日本の 6人は、2025年に せかい 4いに なった。

2日間、毎日4時間半、問題と向き合い続ける「オリンピック」がある。走ったり、泳いだりはしない。紙と鉛筆だけで競う、「国際数学オリンピック」だ。

1959年、冷戦下のヨーロッパで7カ国から始まったこの大会は、今では117の国と地域が参加する規模に育った。日本は2023年に自国開催を果たし、2025年には世界4位、満点世界一の選手も生んだ。

2日間、毎日4時間半、電卓を使わず証明問題と向き合い続ける競技がある。国際数学オリンピック(IMO)である。

1959年、冷戦下の東側7カ国から始まったこの大会は、今では117の国と地域が参加する規模に育った。日本は2023年に千葉で自国開催を果たし、2025年には110カ国・地域中4位、満点で世界1位タイの選手も生まれている。史上最年少で金メダルを取った少年と、満点で金メダルを取った後に大数学者になった青年の話も追う。

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1. すうがくだけで たたかう「オリンピック」が ある

1. 運動をしない「オリンピック」がある

1. IMOは、鉛筆と紙だけで競う国際大会である

「オリンピック」と きくと、はしったり、およいだり する すがたを おもいうかべる。でも 世界には、うんどうぐつの かわりに、けしゴムの ついた えんぴつだけを もって のぞむ 「オリンピック」が ある。「国さいすうがくオリンピック」、りゃくして IMOだ[1]

2日間、まいにち 朝から 4時間はん、3もんずつ、あわせて 6もんの もんだいを とく。けいさんきは つかえない。たよれるのは、あたまの 中と、かみと えんぴつだけだ[1]

せいせきの よい 人から じゅんに、出た 人の やく 半分が、金・銀・どうの メダルを もらえる。金・銀・どうの 人数は、だいたい 1:2:3の わりあいに なって いる[1]

「オリンピック」と聞いて思い浮かべるのは、100メートル走や、水しぶきをあげる競泳だろう。でも世界には、運動靴の代わりに、消しゴムのついた鉛筆だけを持って臨む「オリンピック」がある。「国際数学オリンピック」、略してIMOだ[1]

競技は2日間。1日目も2日目も、朝から4時間半、3問ずつ合計6問の数学の問題を解く。電卓は使えない。頼れるのは頭の中と、紙と鉛筆だけだ[1]

成績のいい人から順に、出場者のおよそ半分がメダルをもらえる。金・銀・銅の人数の割合は1:2:3で、銀は金のおよそ2倍、銅は金のおよそ3倍の人数がもらえる仕組みになっている[1]

「オリンピック」という名前から、陸上競技や競泳を連想する人は多いだろう。しかし世界には、身体を動かさず、紙と鉛筆だけで競う「オリンピック」が存在する。国際数学オリンピック(International Mathematical Olympiad、略称IMO)である[1]

競技は2日間にわたって行われる。各国代表が、1日目・2日目それぞれ4時間半かけて3問ずつ、合計6問の問題に取り組む。電卓の使用は禁止されており、頼れるのは自分の頭と、紙・鉛筆だけである。各問題は7点満点で、6問合計の満点は42点になる[1]

成績上位からおよそ半数の参加者にメダルが与えられ、金・銀・銅の人数比はおよそ1:2:3に定められている。単なる正誤ではなく、答えに至る論理の筋道、つまり証明の完成度が採点の対象になる点が、この競技の最大の特徴である[1]

2. 1959年、ヨーロッパの 7つの 国で はじまった

2. 1959年、冷戦下のヨーロッパで始まった

2. 1959年、東側陣営の7カ国から大会が始まった

はじめての 国さいすうがくオリンピックは、1959年、ルーマニアと いう 国で ひらかれた。あつまったのは、7つの 国、52人だけだった[2]

その ころ 世界は、アメリカの なかまと、ソビエトれんぽうの なかまに わかれて、にらみあって いた 時だいだった。さいしょの 7つの 国は、みんな ソビエトがわの 国だった[2]

そこから すこしずつ なかまが ふえて、いまでは 117の 国と ちいきが さんかする、大きな 大会に なって いる[2]

最初の国際数学オリンピックは、1959年、ルーマニアで開かれた。集まったのはハンガリー・ブルガリア・ポーランド・チェコスロバキア・東ドイツ・ソビエト連邦を合わせた7カ国、52人の選手だけだった[2]

このころ世界は、アメリカを中心とする国々と、ソビエト連邦を中心とする国々に分かれて、にらみ合う「冷戦」の時代だった。最初の7カ国は、すべてソビエト連邦側の国だった[2]

そこから少しずつ参加する国が増え、アメリカは1978年、中国は1988年に加わった。今では117の国と地域が参加する、世界規模の大会になっている[2]

第1回国際数学オリンピックは、1959年、ルーマニアがハンガリー・ブルガリア・ポーランド・チェコスロバキア・東ドイツ・ソビエト連邦を招待するかたちで開催された。参加はこの7カ国、選手52人にとどまった[2]

当時は、アメリカを中心とする西側陣営と、ソビエト連邦を中心とする東側陣営が対立する冷戦の時代であり、最初の参加国はすべて東側陣営に属していた[2]

その後、西側諸国も加わるようになり、アメリカは1978年、中国は1988年に初参加した。参加国・地域数は1990年に54、2009年に104、2019年に112と増え続け、2026年には117カ国・地域に達している[2]

3. こたえだけでは だめ、りゆうを せつめいする

3. 答えを出すだけでなく、理由を証明する

3. 求められるのは正答ではなく、証明の正しさだ

IMOの もんだいは、けいさんの こたえを 出すだけでは おわらない。「なぜ そう なるのか」を、じぶんの ことばで せつめいしなくては いけない[3]

たとえば さいしょの 大会(1959年)に 出た もんだいは、「ある 分すうが、どんな 数字を いれても、それいじょう かんたんに できない」ことを たしかめる もんだいだった。1つや 2つの 数字で ためすだけでは たりない。すべての 数字で なりたつ りゆうを、じぶんで 見つけなくては いけない[3]

この もんだいには、おどろくほど みじかい とき方が ある。すうがくオリンピックの もんだいは、なぞなぞと おなじで、うまい 見方を 見つけた しゅんかんに、すっと とけて しまう ことが ある。ただし ほんとうは、なぞなぞの ように おもいつきの こたえを 言うだけでは だめで、「なぜ そう なるのか」を、だれもが なっとくする ように せつめいしなくては ならない。

IMOの問題は、計算の答えを出すだけでは終わらない。「なぜそうなるのか」を、筋道立てて自分で証明しなければならない[3]

第1回大会(1959年)に出た問題の1つは、「(21n+4)/(14n+3)という分数は、nにどんな整数を入れても、それ以上簡単にできない(約分できない)ことを証明せよ」というものだった。1個や2個の数字で確かめただけでは正解にならない。無限にあるすべての数字で成り立つ理由を、論理で示す必要がある[3]

この問題には、驚くほど短い証明がある。3×(14n+3)から2×(21n+4)を引くと、答えはいつも1になる。1しか共通の約数を持たない2つの数は、それ以上約分できない――この性質を使えば、どんなnでも一発で証明できてしまう[3]

IMOの問題は選択式ではなく、すべて記述式の証明問題である。得られた数値が正しいかどうかではなく、そこに至る論理の正しさと厳密さが採点の対象になる[1]

第1回大会(1959年)の第1問は、「すべての自然数nについて、分数(21n+4)/(14n+3)が既約分数であることを証明せよ」というものだった。有限個のnで成り立つことを確かめるだけでは証明にならず、任意のnで成り立つことを論理で示す必要がある[3]

この問題には、ユークリッドの互除法の考え方を使った短い証明が知られている。3(14n+3)-2(21n+4)=1という関係から、21n+4と14n+3の最大公約数が1であること、つまり既約分数であることが一発で導かれる。出題分野は代数・幾何・組合せ・整数論の4つに大別され、いずれも高校数学の枠を超えた発想力を要求される[3]

4. 「だれでも 出られる」は、ほんとう?

4. 「誰でも出られる」って、本当?

4. 日本代表になるまでには3回の選考がある

日本から IMOに 出る 6人は、こうこうせいだけとは かぎらない。じょうけんを みたせば、ちゅうがくせいでも ちょうせんできる[4]

まず 11月に、「日本すうがくオリンピック」(JMO)の よせんが ある。こたえだけを 書く 12もんの テストだ。ここで 上いに 入ると、2月に、りゆうを きちんと 書く 「本せん」に すすめる[4]

本せんで よい せいせきを とった 人は、3月に あつまって いっしょに べんきょうする 「代表せんこう合しゅく」に よばれる。そこから、さいごに 6人が えらばれて、日本代表に なる[4]

日本代表としてIMOに出る6人は、高校生だけとは限らない。条件を満たせば、中学生でも挑戦できる[4]

まず11月に、「日本数学オリンピック」(JMO)の予選がある。3時間で、答えだけを書く12問のテストだ。ここで上位に入ると、2月11日に行われる、証明をきちんと書く「本選」に進める[4]

本選でよい成績を取った、高校2年生以下の受賞者(およそ20人)は、3月下旬に開かれる「代表選考合宿」に招かれる。中学生以下を対象とする大会の上位者も合わせて招かれ、そこから最終的に6人が選ばれて、日本代表になる[4]

日本代表としてIMOに出場する6名は、高校生に限らない。参加資格は「大学教育を受けていない20歳未満」であり、条件を満たせば中学生も挑戦できる[4]

選考は3段階に分かれる。まず11月、各都道府県で「日本数学オリンピック」(JMO)予選が実施される。3時間で12問、答えのみを記入する形式である。予選通過者は、2月11日に行われる「本選」に進む。本選は4時間で5問、すべて証明を要求する記述式であり、形式そのものがIMO本大会の縮図になっている[4]

本選で入賞した高校2年生以下の受賞者(約20名)と、中学生以下を対象とする日本ジュニア数学オリンピック(JJMO)の上位入賞者は、3月下旬の代表選考合宿に招集される。そこでの成績にもとづき、最終的に6名がIMO日本代表として選抜される[4]

5. 日本は つよいのか

5. 日本は強いのか

5. 日本は、世界でどのくらい強いのか

日本が はじめて IMOに 出たのは、1990年、中国の 北京だった[5]

それから 33年 たった 2023年、こんどは 日本の 千葉けんで、IMOが ひらかれた。この 年、日本の 6人は ぜんいん メダルを とり、112の 国・ちいきの 中で 6いに なった[5]

2025年には、さらに じゅんいが 上がり、110の 国・ちいきの 中で 4いに。金メダルを とった 1人は、6もん すべてで まんてんの 42点を とり、世界で 1いタイに なった[5]

日本が初めてIMOに参加したのは、1990年、開催地は中国の北京だった[5]

それから33年後の2023年、今度は日本の千葉県でIMOが開かれた。この大会で日本の6人は全員メダルを獲得し、112の国・地域の中で6位になった[5]

2025年にはさらに順位が上がり、110の国・地域の中で4位に。金メダルを取った選手の1人は、6問すべてで満点の42点をたたき出し、世界1位タイになった[5]

日本が初めてIMOに参加したのは、1990年、北京大会でのことだった。以来、毎年6名の代表団を派遣し続けている[2][5]

2023年、日本は20年ぶりに自国開催(千葉県・幕張メッセ)を果たした。112の国・地域が参加したこの大会で、日本代表6名は全員メダルを獲得し、国別順位は6位だった[5]

2025年のオーストラリア大会では、110の国・地域中4位まで順位を上げ、これは第50回大会(ドイツ大会)に次ぐ好成績になった。金メダルを獲得した狩野慧志は、6問すべてで満点となる42点を取り、世界1位タイに輝いた[5]

6. 金メダルを とった 子どもは、その後 どう なったか

6. 金メダルを取った子どもは、その後どうなったか

6. 金メダリストたちは、その後どうなったか

オーストラリアの テレンス・タオと いう 男の子は、1988年、12さいから 13さいに なる ころ、いちばん わかい きろくで 金メダルを とった。この きろくは、いまも やぶられて いない[6]

おとなに なった タオは、大学の 先生に なり、2006年、すうがくの せかいで もっとも めいよある しょう「フィールズしょう」を もらった[6]

ソビエトれんぽうの グリゴリー・ペレルマンと いう 男の子は、1982年、6もん すべてで まんてんを とって 金メダルを とった[6]。おとなに なった ペレルマンは、100年 ちかく だれも とけなかった すうがくの もんだいを といた。でも、もらえる はずだった フィールズしょうも、100万ドルの しょうきんも、じぶんから ことわって しまった[6]

オーストラリアの少年、テレンス・タオは1988年、12歳から13歳になるころ、金メダルを獲得した。これはいまも破られていない、金メダリストの最年少記録だ[6]

大人になったタオは、カリフォルニア大学の数学教授になり、2006年、数学の世界でもっとも名誉ある賞「フィールズ賞」を受賞した[6]

ソビエト連邦の少年、グリゴリー・ペレルマンは1982年、16歳で6問すべて満点の42点を取り、金メダルを獲得した[6]。大人になったペレルマンは、100年近く誰にも解けなかった数学の超難問「ポアンカレ予想」を解き明かした。ところが2006年、その功績で贈られるはずだったフィールズ賞を辞退。2010年には、同じ功績に対する100万ドルの賞金も、自分から断ってしまった[6]

オーストラリアのテレンス・タオは、1988年のIMOで12歳から13歳になる時期に金メダルを獲得した。これは現在まで破られていない、金メダリストの最年少記録である[6]。タオは後にカリフォルニア大学ロサンゼルス校の教授となり、2006年、素数の並びに関する研究などが評価されてフィールズ賞を受賞した[6]

一方、ソビエト連邦のグリゴリー・ペレルマンは1982年のIMOで、16歳にして6問全問正解、満点の42点で金メダルを獲得している[6]。ペレルマンは2002年から2003年にかけて、100年近く未解決だった「ポアンカレ予想」を証明する論文を発表した。その功績により2006年にフィールズ賞、2010年には賞金100万ドルのミレニアム賞が贈られることになったが、ペレルマンはいずれも受け取りを拒否した。数学界の評価のあり方に異議があったことなどが理由とされている[6]

じぶんでも やって みる

自分でも調べてみたくなったら

自分でも調べてみたくなったら

1959年の もんだいを、じぶんでも たしかめて みよう。21×1+4=25、14×1+3=17。この 2つの 数字を、ほかの 数字で わりきれるか、けいさんして みると おもしろい。

JMOの よせん もんだいは、インターネットで だれでも 見る ことが できる。むずかしいけど、1もんだけ ちょうせんして みよう。

21n+4と14n+3に、n=1、n=2…と数字を入れて計算してみよう。本当に約分できないかどうか、実際に確かめると、証明のありがたみが分かる。

JMOの予選問題は、インターネットで公開されている。答えだけを書く問題なので、1問でも挑戦してみると、IMOの難しさを体感できる。

n=1, 2, 3…と実際に代入して(21n+4)/(14n+3)を計算し、本当に約分できないかどうか手で確かめてみると、証明の意味が実感できる。公益財団法人数学オリンピック財団のサイトでは、JMO予選・本選の過去問が公開されている。1問だけでも取り組んでみると、要求される発想の水準がどれくらい高いか体感できるはずだ。

しらべた ところ

参考にした情報源

参考にした情報源

  1. 公益財団法人 数学オリンピック財団「国際数学オリンピック(IMO)とは?」。 https://www.imojp.org/archive/whatis/whatisIMO.html (IMOの目的、6問2日間・1日4時間半・電卓禁止の競技形式、参加者のおよそ半分がメダルを受け金・銀・銅の割合が1:2:3であること)
  2. 数学オリンピック財団「国際数学オリンピック 概要」。 https://www.imojp.org/overseas/imo_statistics.html (1959年にルーマニアが東側6カ国を招待し7カ国52人で始まったこと、アメリカが1978年・中国が1988年・日本が1990年に参加を始めたこと、参加国・地域数が1990年54、2009年104、2019年112、2026年117と増えてきたこと)
  3. The Kalva IMO archive「1959 IMO Problem 1」、日本語版ウィキペディア「国際数学オリンピック」。 https://prase.cz/kalva/imo/isoln/isoln591.html https://ja.wikipedia.org/wiki/国際数学オリンピック (第1回大会の第1問が「(21n+4)/(14n+3)が既約分数であることを証明せよ」であったこと、3(14n+3)-2(21n+4)=1を使う証明、出題分野が代数・幾何・組合せ・整数論の4分野であること)
  4. 数学オリンピック財団「日本数学オリンピック概要」。 https://www.imojp.org/domestic/jmo_overview.html (JMOの参加資格が高校生以下であること、予選が11月・3時間・12問の答えのみ形式であること、本選が2月11日・4時間・5問の証明記述式であること、本選受賞者とJJMO上位者が3月下旬の代表選考合宿から6名選抜されること)
  5. 数学オリンピック財団「国際数学オリンピック結果」、IMO2023クイックレポート、IMO2025クイックレポート。 https://www.imojp.org/overseas/imo_results.html https://www.imojp.org/archive/mo2023/imo2023/quick_report/index.html https://www.imojp.org/archive/mo2025/imo/quick_report/index.html (日本の初参加が1990年北京大会であること、2023年千葉大会で112カ国・地域中6位・全員メダルだったこと、2025年オーストラリア大会で110カ国・地域中4位、狩野慧志が42点満点で世界1位タイだったこと)
  6. IMO公式サイト個人成績(1988年・1982年)、日本語版ウィキペディア「テレンス・タオ」「グリゴリー・ペレルマン」。 https://www.imo-official.org/results/individual/year/1988/ https://www.imo-official.org/results/individual/year/1982/ https://ja.wikipedia.org/wiki/テレンス・タオ https://ja.wikipedia.org/wiki/グリゴリー・ペレルマン (テレンス・タオが1988年、12歳から13歳になるころにIMO金メダルを取った史上最年少記録、2006年フィールズ賞受賞、グリゴリー・ペレルマンが1982年16歳で満点42点の金メダルを取ったこと、ポアンカレ予想を証明し2006年のフィールズ賞と2010年の100万ドルのミレニアム賞をいずれも辞退したこと)

なおした ところ

更新履歴

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