このサイトは、ほんの入り口です

ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

ミシンは、てぬいを まねして できたの? ── くさりぬいから ほんぬいまで

ミシンはどうやって生まれたのか ── くさり縫いから本縫いまで

ミシンはどう発明され、本縫いはどう広まったのか ── 1790年から日本伝来まで

分野:技術

ふくの ぬいめを、じっと 見た ことは ありますか。ミシンは、人の てぬいを そっくり まねして 作ろうと しました。でも、うまく いきませんでした。

ミシンは、はじめは 1本の いとで ぬう「くさりぬい」でした。そのあと、針はりの さきに あなを あけ、したの いとと からめる「ほんぬい」の ミシンが できて いきます。どんな ふうか、いっしょに 見て みましょう。

ミシンを作ろうとした人たちは、まず、手縫いの動きを機械にそっくり写そうとしました。ところが、この方法ではなかなかうまくいきませんでした。

のちに、上糸と下糸をからめる「本縫い」のミシンが登場します。設計図だけが残った1790年の特許、仕立屋に工場をこわされた発明者、特許を出し合ったライバルたち。針先の小さな穴をめぐる話を追います。

ミシンの歴史は、手縫いの動作を機械にうつす試みから、上糸と下糸をからめる本縫い(lockstitch)の機械へと進んだ道すじとして語られる。1790年の特許図面、1830年代のくさり縫いの実用化、1846年のHowe特許、1856年の特許プールをたどり、日本への伝来までを、博物館や図書館の資料を突き合わせて整理する[1][2][3]。

「だれが最初の発明者か」に単純な答えはない。各地で同時に試みが進んでいたことも、あわせて確かめる。

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1. 1790ねんの ずめんは、うごいたの?

1. 1790年の特許 ── 図面だけが残った機械

1. 1790年のSaint特許 ── 図面のミシンは実在したか

1790ねん、イギリスの トマス・セイントと いう 人が、特許とっきょを とりました。くつを 作る ための ものでしたが、その ずめんの 中に、ミシンのような きかいが かいて ありました[1]。

ぬいかたは、「くさりぬい」。くさりのように、ぬいめが つながる ぬいかたです。

ただ、この きかいを 本当に 作ったかは、はっきり しません。それから 84ねん あとの 1874ねん、ウィルソンさんが ずめんどおりに 作って みると、じつは、いちぶを ちょうせつしたら うごいたと いいます[1]。

くつの特許の中の、ミシンの図

1790年、イギリスのトマス・セイント(Thomas Saint)が特許を取りました。特許の主題は、靴やブーツ用の人工皮革の作り方でした。ミシンは、その中の図面のひとつとして載っていました[1]。

描かれていたのは、糸を輪のようにつないでいく「くさり縫い」の機械です[1]。

84年後に動いた図面

この機械は、図面のままでは使いにくく、セイント本人が実際に作ったとは考えにくいと、ロンドンの科学博物館は説明しています。ところが1874年、ウィリアム・ニュートン・ウィルソンが図面から機械を作り、糸をひっかける部品(ルーパー)を調整すると動いたそうです[1]。

「最初のミシンの発明者」と言い切るには、動く機械が当時あったかどうかがわかりません。ここでは、作られなかった先駆けの図面として紹介します[7]。

1790年、英国のThomas Saintは、靴・ブーツ用の人工皮革の製法を主題とする特許を取得した。その中にくさり縫い(chain stitch)のミシンの図面が含まれていた[1]。

Science Museum Groupは、特許どおりの機械は実用性に欠け、Saint本人が製作したとは考えにくいとする。1874年にWilliam Newton Wilsonが特許図面から機械を製作し、looper(糸をひっかける部品)を調整して動作を確認した[1]。Wikipediaも「設計したが製作はしなかった」とする[7]。このため、Saintを最初の発明者と断定せず、製作されなかった先駆けの設計と位置づけておく。

2. ミシンを こわしに きたのは だれ?

2. 仕立屋が、仕立屋の機械をこわした

2. Thimonnierのくさり縫いミシンと1831年の破壊

つぎに 出て きたのは、フランスの したてやさん、ティモニエさんです。したてやさんは、ふくを 作る しごとを して いる 人です。

この 人の きかいは、はじめて 人の しごとの 役に たつ と いわれます[2]。針はりの さきに かえしが ついて いて、いとを した から ひっぱり 上げます。

でも 1831ねん、ほかの したてやさんたちが おしかけて、その きかいを こわして しまいました。しごとを とられると 思ったからです[2]。

返しのついた針で、糸を引き上げる

次に登場するのが、フランスの仕立屋バルテレミー・ティモニエ(Barthélemy Thimonnier、1793〜1857)です。この人のくさり縫いミシンは、最初に実用的な成功をおさめたといわれます[2]。

針の先には返しがついていて、布の下から糸を引き上げます。すると、布の表にくさり状の縫い目ができます[2]。

1831年、機械がこわされた

ティモニエは、パリの作業場で、軍服などの衣類を作る機械を数十台動かしていました。台数は、80台とする資料も、60台以上とする資料もあります。ところが1831年、仕事を失うことを恐れた仕立屋たちの群衆が、その機械をこわしました[2]。

新しい機械は、便利さと同時に、人の仕事をめぐる不安ももたらしました。この出来事のあとの経緯は、資料によって話が分かれるため、ここでは書きません。

フランスの仕立屋Barthélemy Thimonnier(ティモニエ、1793〜1857)のくさり縫いミシンは、最初に実用的な成功を収めたものとされる。返しのある針(barbed needle)が布の下から糸を引き上げ、布の表にくさり状の縫い目を作る[2]。

Science Museum Groupによれば、Thimonnierはパリの作業場で軍服などを縫う機械80台を動かしていたが、生計が脅かされると考えた仕立屋の暴徒により、1831年に破壊された[2]。台数は、Wikipediaでは60台以上とされ、資料により差がある[7]。その後の経緯にも二次資料の記述しかなく、ここでは断定しない。

3. おなじころ、ほかの くにでも?

3. 世界のあちこちで、同時に進んでいた

3. 同時進行の試み ── Madersperger・Hunt

ミシンを 作ろうと した 人は、ひとりでは ありませんでした。

オーストリアの したてやさん マデルスペルガーさんは、1814ねんに、うごく きかいを みんなに 見せたと いわれます。アメリカの ハントさんは、1832ねんに、ちがう ぬいかたの ミシンを 作ったと いわれます[7]。

いろいろな ところで、おなじ ことを かんがえた 人が いたのです。

ミシンの発明は、ひとつの国の、ひとりの天才の仕事ではありませんでした。

オーストリアの仕立屋ヨーゼフ・マデルスペルガー(Josef Madersperger)は、1807年から機械の開発を始め、1814年に動く機械を公開したとされます。アメリカのウォルター・ハント(Walter Hunt)は、1832年にアメリカで最初の本縫いミシンを作ったといわれます[7]。

発明者の順番は、はっきり決めにくいのです。

同じ時期に、各地で独立した試みがあったとされる。オーストリアの仕立屋Josef Maderspergerは1807年から開発を始め、1814年に動作する機械を公開した。アメリカのWalter Huntは、1832年にアメリカ初の本縫い(lockstitch)ミシンを作ったとされる[7]。

これらは英語版Wikipediaなどの二次資料に依拠する記述で、一次資料での確認はしていない。発明者の順序づけには慎重でありたい。

4. ハウさんの ほんぬいは、どんな しくみ?

4. 本縫いを実現した仕組み ── ハウの機械

4. Howeの本縫い ── 針とシャトルの組み合わせ

てぬいでは、はりの おしりに いとを とおします。ミシンでは、針はりの さきに あなの ある はりが つかわれます。エリアス・ハウさんは、この はりに、いとを のせた ぶひんを くみあわせました。

さらに、いとを のせた ちいさな ぶひんが、ぬのの した で いったり きたり します。この ぶひんが、した の いとを、うえの いとと からめます[3]。

うえと したの 2ほんの いとで ぬう ほうほうを、「ほんぬい」と いいます。ハウさんの 特許とっきょは 1846ねんに みとめられました[3]。

手縫いの動きから、機械の縫い方へ

手縫いでは、針の後ろの穴に糸を通し、布の上から下へ、また上へと針を動かします。ミシンの発明者たちは、この動きを機械で再現しようとして、苦労しました。

エリアス・ハウ(Elias Howe)の機械は、針先に穴のある針と、行ったり来たりするシャトルを組み合わせていました。シャトルはボビンから糸を出し、その糸を上糸とからめます。こうしてできるのが、本縫いです[3]。

米国で5番目のミシン特許

ハウは1846年に米国で特許を得ましたが、これは、米国特許庁が認めたミシン特許の5番目にあたります[3]。すでに何人もが、いろいろな機械を試していた時代だったことが分かります。

Elias Howeの1846年の米国特許は、米国特許庁が認めたミシン特許として5番目だった。機械は、針先に穴のある針と、ボビンから糸を出して往復するシャトルで、上糸と下糸をからめる本縫いを作った[3]。

針先に穴のある針そのものはHoweの発明ではない。Howeの機械の要点は、この針と、下糸を運ぶシャトルを組み合わせ、本縫いを実現した機構にある。

5. ライバルどうしが、どうして なかよく なったの?

5. 特許の争いから、特許プールへ

5. Howeの訴訟、Singerの直針、1856年の特許プール

ハウさんは、イギリスに わたりましたが、うまく いかず、1849ねんに アメリカへ かえりました。すると、アイザック・シンガーさんたちが、ハウさんの ぎじゅつを つかった ミシンを うって いました[3]。

シンガーさんは 1851ねんに、針はりが まっすぐ うえ したに うごく ミシンで 特許とっきょを とって いました[4]。ハウさんは さいばんを おこしました。

けっきょく 1856ねん、ライバルたちは、特許とっきょを みんなで だしあう ことに しました。ハウさんは、1だい うれる たびに、すこしずつ おかねを もらいました[4]。

帰国したら、他社が売っていた

ハウは英国へ渡りましたが、お金を得られず、1849年に米国へ戻りました。帰ってみると、シンガーたちが、ハウの特許の技術を使ったよりよい機械を売っていました。ハウは裁判を起こし、1853年以降、他社は1台ごとに特許料を払うことになりました[3]。

アイザック・シンガー(Isaac Singer)は1851年8月12日に特許を取りました。針が水平な台の上を垂直に上下する直針型で、他社の設計と区別されました[4]。

ライバルが特許を出し合った

1856年、シンガーやハウなどが、特許を出し合う「ミシン・コンビネーション」を作り、訴訟をやめました。ハウは、1台売れるごとに少額を受け取りました。米国で最初の特許プールといわれます[4][7]。

シンガー社は、訪問販売と分割払いというめずらしい売り方も取り入れ、1875年には25万台を売ったそうです[4]。

Howeは英国で成功せず1849年に帰国した。帰国後、Singerらが彼の特許技術を使ったより良い機械を販売していたため訴訟を起こし、1853年以降、他社は1台ごとに特許料を支払うことになった[3]。特許料の額は資料により25ドル説などがあり、ここでは書かない。

Isaac Singerは1851年8月12日に特許を取得した。針が水平な作業台の上を垂直に上下する直針型で、他社の様々な設計と区別された[4]。1856年、Singer、Howe、Wheeler & Wilson、Grover & Bakerなどが特許を出し合う「Sewing Machine Combination」を結成し、訴訟をやめた。Howeは1台ごとに少額を受け取った。米国初の特許プールとされるが、これは二次資料に基づく[4][7]。

Singer社は訪問販売と分割払いを取り入れ、1875年に25万台を販売した(他社の約10倍)。Singer本人は1863年に会社を去っている[4]。販売網そのものの起源は、別のメモ(フランチャイズ契約)で扱っている。

6. にほんには、いつ、きたの?

6. 日本へ ── 黒船の贈り物から国産第1号まで

6. 日本への伝来と国産第1号(1854〜1881)

にほんに ミシンが きたのは、1854ねんごろと いわれます。ペリーの 黒船が 2ど目に きた とき、ばくふへの おくりものの 中に ありました[5]。

1860ねんには、なかはま まんじろう(ジョン まんじろう)が、アメリカから おみやげに もちかえりました[5]。

「ミシン」と いう ことばは、えいごの「machine(マシン)」の 音から きたと いわれます[6]。国で 作った 第1ごうは、1881ねんの はくらんかいで 見せられました[5]。

黒船の献上品と、万次郎の土産

日本へミシンが伝わった最も古い記録は、1854年のペリー2度目の来航のときで、幕府への献上品の中にありました。1860年には、遣米使節の通訳だった中浜万次郎(ジョン万次郎)が、土産として持ち帰りました[5]。

「ミシン」という言葉は、英語のmachineの音から来て、「裁縫ミシン」の略として広まったといわれます。万次郎の聞き間違いという話も見かけますが、根拠は弱いようです[6]。

国産第1号は、1881年の博覧会

国産ミシン第1号は、1881年に東京で開かれた第2回内国勧業博覧会に展示されました。作ったのは、元大砲職人の左口鉄造といわれます[5]。

日本への伝来の最古の記録は、1854年のペリー再来航時の幕府への献上品にミシンが含まれていたことだとされる。1860年には、遣米使節の通訳を務めた中浜万次郎(ジョン万次郎)が土産として持ち帰った[5]。

「ミシン」の語は、英語machineの音を写し、「裁縫ミシン」の略が一般化したものとされる。ジョン万次郎の聞き間違い説は出典が弱い[6]。

国産ミシン第1号は、1881年の第2回内国勧業博覧会(東京)に展示された。製造者は元大砲職人の左口鉄造とされる[5]。国産の本縫いミシン(パイン)の製造開始は1924年(JUKIの記述)、量産の始まりは1921年創業のパイン裁縫機械製作所とする記述(ja Wikipedia)があり、年が食い違う。製造開始と量産開始は、別の出来事を指している可能性がある[5][6]。

7. ぬいめを 見くらべて みよう

7. 自分の服の縫い目を、じっくり見てみる

7. 出口 ── 縫い目を見て、資料を読む

おうちの ふくや ハンカチの ぬいめを、ひっくり かえして、おもてと うらから 見くらべて みましょう。ミシンで ぬった ところと、てで ぬった ところが あれば、ちがいを さがして みます。

いとが どう つながって いるか、ゆびで そっと さわって みると、わかりやすいです。はりは つかいません。

家にある服やハンカチの縫い目を、表と裏の両側から見比べてみましょう。ミシンで縫った部分と、手縫いの部分があれば、違いを探します。糸の並び方や、縫い目の細かさを、ゆびでなぞって確かめると分かりやすいです(針は使いません)。

今日できることは、それだけです。もっと知りたくなったら、JUKIのミシン博物館のページ[5]で、日本のミシンの歴史を日本語で見られます。英語が読める人は、ロンドンの科学博物館のサイトで、セイントの機械の復元品の解説も読めます[1]。

手元の服の縫い目を表と裏から観察し、ミシン縫いと手縫いの違いを探すと、本縫いの構造が実感しやすい(針は使わない)。

資料を読むなら、Science Museum Groupの所蔵品解説(Saint、Thimonnier)[1][2]と、Linda Hall Libraryの人物解説(Howe、Singer)[3][4]が原典に近い。日本のミシンの歴史は、JUKI ミシン博物館のページ[5]が日本語で読める。Howe特許の範囲をめぐる裁判の細部(針先に穴のある針が特許の対象だったか)は、今回は原文を確認できていない。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

出典について:博物館・図書館の所蔵品や人物の解説、メーカーの博物館ページ、百科事典を使った。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。

  1. Science Museum Group「Saint's sewing machine, 1874」。https://collection.sciencemuseumgroup.org.uk/objects/co44734/saints-sewing-machine-1874 (Saintの1790年特許と、1874年の復元について)
  2. Science Museum Group「Copy of Thimonnier's chain-stitch sewing machine, 1830」。https://collection.sciencemuseumgroup.org.uk/objects/co44718/copy-of-thimonniers-chain-stitch-sewing-machine-1830 (くさり縫いの仕組みと、1831年の機械の破壊について)
  3. Linda Hall Library「Elias Howe」。https://www.lindahall.org/about/news/scientist-of-the-day/elias-howe/ (Howeの本縫いの機械と、特許・訴訟について)
  4. Linda Hall Library「Isaac M. Singer」。https://www.lindahall.org/about/news/scientist-of-the-day/isaac-m-singer/ (Singerの1851年特許、特許プール、販売について)
  5. JUKI ミシン博物館「ミシンの歴史」。https://www.juki.co.jp/jp/muse/his/history01.html (日本への伝来と国産第1号について)
  6. Wikipedia「ミシン」。https://ja.wikipedia.org/wiki/ミシン (言葉の由来と、国産の製造開始年について。二次資料)
  7. Wikipedia「Sewing machine」。https://en.wikipedia.org/wiki/Sewing_machine (Madersperger・Huntなど、同時進行の試みについて。二次資料)

なおした ところ

更新履歴

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