1. おだんごは、なんこ おそなえするの?
1. 団子の数は、記録でも12個と15個に分かれる
1. 団子の数 ── 京坂の12個と、東京の15個
おつきみの おだんごの かずは、15こと いう ことが おおい。十五夜だから 15こ、と いう わけだ。 でも、むかしの 本には、ちがう かずも 出て くる。
いまから 170ねんほど まえ、江戸じだいの おわりごろに、喜田川守貞と いう 人が 本を 書いた。 そこには、京と 大坂では、おだんごを 12こ おそなえする、と ある[1]。 その 年に「閏月」が ある ときは、13こ。むかしの こよみでは、閏月の ある 年は 1年が 13か月に なる。 だから、月の かずに あわせて いたのかも しれない。
それから 60ねんほど あとの 明治の 本には、十五夜は 15こ、十三夜は 13こ、と 読める ところが ある[3]。
おにごっこの ルールが 学校ごとに ちがう こと、あるよね。おだんごの かずも、土地ごとの きまりだったのかも しれない。 ただし、おつきみは あそびでは なくて、むかしの 人の おいのりの おまつりだった。
十五夜の団子の数は、「十五夜にちなんで15個」と説明されることが多い。ところが、昔の記録を見ると、ほかの数も出てくる。
江戸時代の終わりごろ、喜田川守貞は『守貞謾稿』という本に、江戸と京・大坂の暮らしのちがいを書き残した。その1853年の記述として、京・大坂では団子を三方(お供え物をのせる台)に12個ずつ盛り、閏月のある年は13個盛る、という文章が紹介されている[1]。昔の暦は、閏月のある年は1年が13か月になる。団子の数は、月の数に合わせていたと読める。
それから約60年後の1911年(明治44年)の『東京年中行事』には、「大団子十三(十五夜は十五)」という言い方が出てくる。十三夜は13個、十五夜は15個、という意味に読める。辞典がこの本を最初の用例として引いている[3]。
京・大坂は12個、東京は15個。時代も場所もちがうが、この2つを並べるだけでも、全国どこでも同じ数が決まっていたとは見えない。数の意味は、暦の月の数や「十五夜」という名前に合わせて、それぞれの土地の人が考えてきたのだろう。
月見団子の数は、「十五夜にちなんで15個」と説明されることが多い。ほかに「1年の月の数に合わせて12個(閏月のある年は13個)」という説明もある。昔の記録には、実際にどちらも出てくる。
『守貞謾稿』は、大坂生まれの喜田川守貞が江戸で書き継いだ全35巻の風俗記録で、江戸と京坂の暮らしを比べている[20]。1853年の記述として、京坂では団子を三方に12個ずつ盛り、閏年には13個盛ると紹介されている[1]。ここでの「閏年」は、旧暦で閏月がある年(1年が13か月)のことだ。月の数に合わせた数だった可能性がある。
1911年(明治44年)の『東京年中行事』には、「大団子十三(十五夜は十五)の外に、柿栗枝豆を三宝に盛り」とある。精選版『日本国語大辞典』が「月見団子」の最初の用例として引いている[3]。十三夜は13個、十五夜は15個と読める。
盛り方について、農林水産省の広報誌『aff』は、団子をピラミッド型に並べるのは、感謝や願いを月まで届けるためだと説明する[2]。
京坂の12個と東京の15個は、時代も場所もちがう2つの記録にすぎない。それでも、同じ数が全国で昔から決まっていたとは読み取れない。数のいわれは、月の数や十五夜という名前に合わせて、土地ごとに意味づけられてきたと考えるほうが、記録には合う。
2. おだんごは、まるい ものだけ?
2. 江戸は丸、京坂は里芋の形
2. 団子の形 ── 江戸の球形、京坂の里芋形、各地の団子
おつきみの おだんごは 白くて まるい、と おもって いる 人が おおい。まんげつに 見たてて いるからだ。 江戸の おだんごは、まるかった と いわれる[4]。
ところが、『守貞謾稿』には、京と 大坂では おだんごを さといもの かたちに つくった、と ある[1]。 さといもの かたちを した おだんごに、あまい きなこを まぶして、さといもの にものと いっしょに おそなえした。
いまでも、ところに よって かたちが ちがう[2]。
- しずおかには、まんなかが へこんだ「へそもち」が ある。へこみに あんこを のせて たべる。
- おきなわの「フチャギ」は、細長い おもちに、しおで ゆでた 小豆を まぶす。
- なごやでは、さといもに にせた 茶いろ・白・ピンクの 3しょくの だんごを つくる ところが ある。
どうして さといもの かたちなのだろう。
月見団子といえば白くて丸い形だ。満月に見立てているからだと説明される。江戸の団子は丸かったといわれる[4]。
『守貞謾稿』を紹介した文章によると、団子を三方に盛って供えるところは、江戸も京坂も似ている。ちがうのは京坂の団子で、里芋の形に作り、砂糖を加えたきな粉をまぶして、醤油で煮た里芋といっしょに供えた[1]。
いまの関西の団子は、細長い形にあんを巻いたものが知られている。農林水産省の解説では、里芋に由来する形とされる[2]。江戸時代の記録ではきな粉だった衣が、いまの関西ではあんになっているのは、途中で変わったのかもしれない。
ほかにも、静岡には真ん中をくぼませた「へそもち」、沖縄には、小判形や俵形の餅に、塩ゆでの小豆をまぶした「フチャギ」がある[2]。名古屋には、里芋をイメージした茶色、皮をむいた里芋に似せた白、子どもが喜ぶピンクの3色の団子を作るところがある[2]。
丸ではなく、里芋に似せた団子が、なぜ生まれたのだろう。
『守貞謾稿』を紹介する松下幸子氏(千葉大学名誉教授)の文章によると、団子を三方に盛って供えるところは江戸も京坂も似ているが、京坂の団子は里芋の形に作り、砂糖を加えたきな粉を衣にして、醤油煮の里芋と共に12個ずつ盛った[1]。江戸の団子は球形だったとされる[4]。
関西では、いまも細長い餅にあんを巻いた団子が知られる。農林水産省の解説は、里芋に由来する形としている[2]。ただし『守貞謾稿』の衣はきな粉で、いまのあんとはちがう。形は里芋に見立てる伝統が続き、衣は時代で入れかわった可能性がある。
各地の形も、同じ解説にまとまっている[2]。静岡には、中央がへこんだ「へそもち」があり、くぼみにあんをのせて食べる。沖縄の「フチャギ」は、小判形や俵形の餅に、軽く塩ゆでした小豆をまぶす。名古屋には、里芋をイメージした茶色、皮をむいた里芋に似せた白、子どもが喜ぶピンクの3色の団子がある。関東の団子がやや潰れているのは、死者の枕元に供える団子と区別するため、といわれる。
満月に見立てたはずの団子が、里芋の形をとる。団子より前に、里芋が供えられていたのではないか。
3. さといもが せんぱいだった?
3. 団子より前の主役は、里芋だった
3. 芋名月 ── 里芋の初穂祭と、団子への置きかわり
十五夜の おつきみは、「芋名月」とも よばれる。この ころ、さといもが とれる。あたらしい いもを おそなえした ことから、この 名まえに なったと いう[6]。
江戸の 本にも、おもしろい ことが 書いて ある。むかし、いまの 六本木に「芋洗坂」と いう 坂が あって、十五夜の まえに いもの 市が ひらかれ、いもが たくさん うられた[1]。 この 坂は いまも ある。港区の せつめいでは、名まえの わけは いもを あつかう 店が あったからだ と いう[19]。
おなじ 本には「家々が だんごを おそなえする」とも 書いて ある[1]。 いもから だんごへ、おそなえが かわって いったのかも しれない。 さといもの かたちの だんごは、いもの おそなえの すがたが、だんごに なって のこった ものかも しれない。
十五夜は、「芋名月」ともよばれる。このころが里芋の収穫期にあたり、新しい芋を供えたことからついた名前だ[6]。日本大百科全書は、里芋を月見のもっとも大切な供え物の1つとして挙げ、月見は稲と里芋の祭りに結びついた行事だとする。しかも畑で作るものにかかわる儀礼のほうが、はるかに比重が大きいという[5]。
江戸の記録にも、その名残がある。1838年の『東都歳事記』は、昔は麻布六本木の芋洗坂に青物屋があって、十五夜の前に市が立ち、芋がおびただしく売られた、と書く。同じ本は、十五夜に「家々団子、造酒、すすきの花等月に供す」とも書いている。ページの筆者の松下幸子氏は、これを、江戸の供え物が芋から団子に変わったことを示す記述と読んでいる[1]。芋洗坂という坂は、いまも六本木にある。港区の説明では、名前の由来は、芋問屋があったからだという[19]。
団子はどこから来たのか。辞典は、団子のもとは中国の月餅だという見方を挙げる[5]。農林水産省は、米の収穫の時期と重なるため、満月に見立てた団子を作るようになったのは江戸時代からとする[2]。説はいくつかある。
京坂の里芋の形をした団子は、芋を供えていた時代の姿が、団子に置きかわるときに形だけ残ったものかもしれない。ただ、これは記録から読み取れる筋書きの1つで、はっきり書いた資料があるわけではない。
十五夜は「芋名月」とも呼ばれる。ちょうど里芋の収穫期にあたり、新芋を供えたことからいう[6]。日本大百科全書は、里芋を月見のもっとも重要な供物の1つとし、十五夜の行事を稲と里芋の祭りに結びつくものとしたうえで、畑作にかかわる儀礼の比重がはるかに大きいと述べる。中国の華南でも、十五夜の満月祭にサトイモ系の芋類の収穫儀礼としての意味があるという[5]。精選版『日本国語大辞典』は、8月15日は初穂祭にあたり、民間では農耕儀礼としての色合いが濃いと説明する[5]。
江戸の記録にも名残がある。1838年の『東都歳事記』は、昔は麻布六本木の芋洗坂に青物屋があり、十五夜の前に市が立って、芋がおびただしく売られたと書く。ところが同じ本の十五夜の項には「家々団子、造酒、すすきの花等月に供す」ともある。ページの筆者の松下幸子氏は、これを、江戸の供え物が芋から団子に変わったことを示す記述と読んでいる[1]。芋洗坂は、いまも六本木にある。港区の説明では、名前の由来は、芋問屋があったからだという[19]。
では団子はどこから来たのか。説は分かれる。同辞典は、団子のもとは中国の月餅だという見方を挙げる[5]。国立国会図書館の調べものの回答も、団子を供える習慣は中国で月餅を供えていた習慣に由来すると書く本を挙げている[11]。農林水産省は、米の収穫期と重なるので満月に見立てた団子を作るようになったのは江戸時代からだと説明する[2]。
京坂の里芋形の団子は、芋の供え物が団子に置きかわるとき、形だけが残った姿とも読める。ただ、これは記録から読み取れる筋書きの1つで、そう書いた資料があるわけではない。
4. おそなえを もって いって いい 夜が あった?
4. 供え物を持っていってもよかった夜
4. 供物の持ち去り ── 神への贈り物が届いたしるし
むかしの おつきみには、ふしぎな きまりが あった。おそなえを、どこの 家の ものでも、とって よかった と いう ところが おおい[5]。 子どもが とって あるく ことを、よろこぶ 家も あった。東京の ちかくでも、子どもが もって いくのは えんぎが よいと いわれた[5]。
どうして よろこんだのだろう。おそなえを 子どもが もって いくのは、かみさまが うけとった しるしだと かんがえられたから、と いう[5]。
これは むかしの おまつりの きまりの はなし。いまは、人の 家や 畑の ものを かってに とっては いけない。
昔の月見には、不思議な決まりがあった。月見の供え物は、どこの家のものでもとってよい、という地方が多かった。東京近郊でも、子どもが持っていくのは縁起がよいことだと伝えられた[5]。
なぜ、持っていかれるのを喜んだのか。日本大百科全書は、供え物が神に受け取られたと理解されていたからだと説明する[5]。世界大百科事典は、団子やサトイモを子どもたちが持ち去って歩く習わしについて、神の代わりに子どもが供え物をいただく役目をしている、という見方を紹介している[7]。「芋名月」の項にも、子どもが供え物を取ったり、他人の畑の芋を持っていったりしても大目に見る習わしがあったと書かれている[6]。
これは昔の祭りの決まりの話だ。いまは、他人の家や畑のものを勝手に持っていってはいけない。
日本大百科全書は、月見の供物は、どこの家のものでもとってよいという地方が多く、東京近郊でも、子どもが持っていくのは縁起がよいことだと伝えられていたと書く。本来、持ち去られるのを喜んだのは、供物が神に受け取られたと理解されていたからだという[5]。
改訂新版『世界大百科事典』は、十五夜の行事で供物を持ち去ることが、本土ではなかば公認されていたと述べる。同じ項の解説も、団子やサトイモを子どもたちが持ち去って歩く習わしを、神への供え物を神の代わりにいただく行いと理解し、その役を子どもが担うものとみている[7]。「芋名月」の項にも、子どもが供え物を取ったり他人の畑の芋を持っていったりしても大目に見る習わしがあったと書かれている[6]。
供え物が神への贈り物であるなら、それを持ち去られることは、贈り物が届いたしるしになる。団子や芋は、神と人が分け合う食べ物だったのかもしれない。
これは昔の行事の決まりの話。いまは、他人の家や畑のものを勝手に持っていくと、罪に問われることがある。
5. ススキは、なんの ために かざるの?
5. ススキを飾る理由は、1つではない
5. ススキ ── 稲穂の代わり、依り代、農耕儀礼をめぐる説明
おだんごの となりに かざる ススキ。どうして かざるのか、いろいろな せつが ある。
- まだ みのって いない いねの ほの かわりに した。
- くきの 中が からっぽで、かみさまが やどる ところだと かんがえた。
- きりくちが するどいから、わるい ものを ふせぐ おまもりに した。
こういう せつは、お花屋さんや くらしの サイトで よく 見かける[10]。 じてんには、ススキは「かみさまの よりしろ」を あらわす、と 書いて ある[9]。 べつの じてんは、むかしの まつりの なごりで、はたけの さくもつを むしや さいがいから まもって、みのりを いのる ものだと 書く[9]。
もう ひとつ おどろく ことが ある。ある じてんは、おだんごと ススキの おつきみは、まちと その まわりで 見られる れいで、いなかには ふしぎな ならわしが あると 書く[8]。 たとえば 和歌山県の ある ところでは、いねの ほと いもを むすびつけた 高い さおを、にわに たてた[7]。
月見にススキを飾る理由は、よく次のように説明される。まだ実らない稲穂の代わりにした。茎の中が空洞なので、神様が宿る依り代(目じるし)になった。切り口が鋭いので魔除けになる。供えたあと、軒先に吊るすと1年間病気にならない、という言い伝えも紹介される。こうした説明は、花店や生活情報のサイトに多い[10]。
百科事典は、少しちがう角度から書いている。世界大百科事典は、ススキは神の依り代や、場所を占める目じるしを表し、十五夜にススキを供える風習は広く見られるとする。秋祭で高灯籠の上にススキをしばって庭先に立てる所もある[9]。日本大百科全書は、十五夜にススキを飾るのも、本来は病害虫や災害から農作物を守り、豊作を願う農耕儀礼の名残だと説明する[9]。ススキは古くは「カヤ」と呼ばれ、屋根をふく材料でもあった[9]。
もう1つ、意外な指摘がある。世界大百科事典の旧版は、団子を作ってススキを供える月見は都市とその近くの姿で、地方の十五夜には意外な習わしや信仰が結びついている、と書く[8]。たとえば和歌山県西牟婁郡では、稲穂とイモを結びつけた高い竿を庭先に立てた[7]。団子とススキは、日本の十五夜の全国共通の姿ではなく、都市で広まった型なのかもしれない。
月見にススキを飾る理由は、次のように説明されることが多い。穂の出たススキを、まだ実らない稲穂に見立てた。茎の中が空洞で、神が宿る依り代とされた。切り口が鋭く、魔除けになると考えられた[10]。供えたあと軒に吊るすと1年病気をしない、と伝える地域もある。こうした説明は、花店や生活情報のサイトに数多く見られる。
百科事典の書き方は少し異なる。改訂新版『世界大百科事典』は、ススキは神の依り代や占有(場所を占める目印)を示すもので、十五夜の月見にススキを供える風習は広く見られる、秋祭に高灯籠の上にススキをしばって各戸の庭先に立てる所もあるとする。水戸の鹿島社でススキで屋根をふく祭りがあることや、諏訪の御射山祭でススキの仮屋(穂屋)を作ることも例に挙げる[9]。『日本大百科全書』は、十五夜にススキを飾るのも、本来は病虫害や災害から農作物を守り、豊作を願う農耕儀礼の残存だと述べる[9]。ススキは古くは「カヤ(茅)」と呼ばれ、屋根を葺く材料でもあった[9]。
旧版『世界大百科事典』は、団子を作ってススキの穂を供える月見は都市とその周辺の姿であり、地方の十五夜には意外な習俗や信仰が結びついていると指摘する[8]。たとえば和歌山県西牟婁郡では、稲穂とイモを結びつけた高い竿を庭先に立てた[7]。団子とススキの取り合わせは、全国共通の古い型というより、都市で広まった型の可能性がある。
説は複数あり、どれか1つに絞りにくい。ただ、辞典の説明にくり返し出てくるのは、農作物を守ることと、神を迎えることの2つだ。
6. ほかの 国の おつきみは?
6. 中国・韓国・ベトナム・台湾の、中秋の食べ物
6. 中秋節の広がり ── 月餅、ソンピョン、提灯、バーベキュー
おなじ 十五夜を、ほかの 国も いわう。たべる ものは、国ごとに ちがう。
- 中国では、まんげつに にせた 平たくて まるい おかし「月餅」を 食べる。家ぞくが あつまる しるしと されて いる[13]。
- 韓国の「ソンピョン」は、あたらしい おこめの こなで つくる。かたちは、まんげつでは なくて、はんげつや 三日月に にせて ある。まつの はを しいて むす[14][15]。
- ベトナムでは、子どもたちが てづくりの ちょうちんを もって、まちを パレードする。まるい 月餅も おくりあう[16]。
- 台湾では、外で やきにくを する 人が おおい。これは 1980ねんだいに、しょうゆの 会社の テレビの こうこくから ひろまった と いわれる[18]。
まるい もの、みのりの もの、家ぞくで あつまる こと。にて いる ところも あるし、ぜんぜん ちがう ところも ある。
同じ旧暦8月15日の月を、中国・韓国・ベトナム・台湾でも祝う。食べ物は国ごとにちがう。
中国では、庭先の祭壇に月餅や果物、枝豆などを供えて月を祭った。月餅は、満月に見立てた平たく丸い菓子で、家族団らんの象徴とされる[13]。
韓国の「秋夕(チュソク)」には、ソンピョンという餅を食べる。その年の新米の粉で作り、栗や豆、ゴマなどを包んで、半月の形に整え、松の葉を敷いて蒸す。名前の「ソン」は松の意味だ[14][15]。満月の日の食べ物なのに、半月の形をしているのがおもしろい。
ベトナムの中秋節は、稲の収穫期の祭りだ。子どもたちが手作りの提灯を持ってパレードし、丸い焼き月餅ともち月餅を贈り合う。獅子舞は、悪運を追い払うと信じられている[16][17]。
台湾では、中秋節にバーベキューをする。台北の英字新聞『タイペイ・タイムズ』(2018年)によると、この習慣の始まりは30年ほど前で、1986年に醤油会社が流したテレビ広告の「一家で焼き肉、万家が香る」という言葉が広めるきっかけだった[18]。
丸いもの、収穫の実り、家族の集まり。重なるところはあるが、形も意味づけも国ごとにちがう。台湾の焼き肉のように、由来が新しい習慣もある。
中国では、月を祭る中秋節に、庭先の祭壇へ月餅や果物、枝豆などを供えた。月餅は、満月に見立てた平たく丸い菓子で、家族団らんの象徴とされる[13]。さきに見たとおり、華南の十五夜はサトイモ系の芋の収穫儀礼でもあった[5]。丸い菓子と芋の収穫が、同じ夜に重なっている。
韓国の秋夕(チュソク)に食べるソンピョンは、その年に収穫した米の粉の生地に、栗・豆・ナツメ・ゴマなどを入れ、半月形に整えて、松の葉を敷いて蒸す。「ソン(松)」の名はそこからきている[14]。韓国の英字新聞『コリア・ヘラルド』は、新米で作るこの餅を、豊作の終わりを表す食べ物と紹介し、記録は高麗時代までさかのぼると信じられているが、正確な起源ははっきりしないと書く[15]。満月の夜に、半月の餅を食べる。
ベトナムの中秋節(テト・チュン・トゥ)は、稲の収穫期の祭りに根ざし、家族が集い、子どもが手作りの提灯を持ってパレードする。丸い焼き月餅ともち月餅が贈られ、獅子舞は悪運を追い払うとされる[16][17]。
台湾の中秋節のバーベキューは、比較的新しい習慣だ。『タイペイ・タイムズ』(2018年9月25日)は、始まりは30年ほど前で、大手の醤油メーカー2社が焼き肉ソースの広告で競い合い、1986年の万家香(ワンジャーシャン)のテレビ広告「一家烤肉萬家香」(一家で焼き肉をすれば一万の家がにおう)が習慣を広めるきっかけだったと書く。1980年代半ばまでの台湾の中秋節は、中国と同じように、家族で満月を見て月餅を食べ、月の女神・嫦娥をたたえるものだった[18]。
丸いもの、収穫、家族の集まりという共通点はあっても、形も意味づけも国ごとに異なる。古くから受け継がれた習わしと、近年に広まった習わしが、同じ中秋節のなかに混ざっている。
7. おうちの 人に、おつきみの おもいでを きいて みよう
7. 自分の町の月見を聞いてみる
7. 十三夜と、自分の家の月見を調べる
お月見は、もう すこし つづく。国立天文台の こよみでは、2026ねんの「十三夜」は 10月23日[12]。この ころは、くりや まめが おそなえされる ので「くり名月」「まめ名月」とも よばれる[5]。
おうちの 人や、おじいちゃん おばあちゃんに、むかしの おつきみを きいて みよう。
- おだんごは、どんな かたちだった? なんこ そなえた?
- ススキは、どうした? かざった? のきに つるした?
きいた ことを 友だちと くらべると、ところに よって ちがうか どうか、じぶんで たしかめられる。
ススキの 葉の ふちは するどくて、手を きる ことが ある。のはらで さわる ときは、おうちの 人と いっしょに。ひとの 土地や 公園の 草は、かってに とらない。
お月見は、もう少し続く。国立天文台の暦では、2026年の十三夜は10月23日。旧暦9月13日の夜の月で、栗や豆を供えることから、栗名月・豆名月とも呼ばれる[12][5]。十三夜は日本独自の習わしだとされる[12]。
この土地の月見を、家の人に聞いてみよう。団子の形と数、ススキの使いみち(飾る・軒に吊るす・田に立てる)、里芋や栗を供えたか、子どもが供え物を持っていく習わしがあったか。何人かの答えを比べると、このメモに出てきた「数も形も土地でちがう」が、自分の町でも当てはまるかどうか、確かめられる。
江戸時代の『守貞謾稿』は、国立国会図書館のデジタルコレクションで見られる。昔の団子の話を、原文でどう書いているか読んでみたくなったら、まず探してみるとよい。
ススキの葉のふちは鋭く、手を切ることがある。野原で触るときは大人といっしょに。他人の土地や公園の植物を勝手に採らない。
中秋の名月の1か月ほどあとに、もう1つの月見がある。国立天文台の暦では、2026年の十三夜は10月23日。旧暦9月13日の夜で、栗や豆を供えることから、栗名月・豆名月とも呼ばれる[12][5]。国立天文台は、十三夜を日本独自の風習と紹介している[12]。
ここまで見た「数」「形」「ススキの使いみち」は、土地ごとのちがいが大きい。自分の家や町の月見は、次の点を家族や近所の人に聞いてみると、記録として残せる。団子の数と形、衣(あん・きな粉・なし)、里芋や栗を供えたか、ススキを飾るか・軒に吊るすか・田に立てるか、子どもが供え物を持っていく習わしがあったか。聞いた年代と場所も控えておくと、あとで昔の記録と比べられる。
もっと調べたい人には、国立国会図書館のレファレンス協同データベースの回答が、『三省堂年中行事事典』『歳時記の系譜』などの入り口を挙げている[11]。『守貞謾稿』は、国立国会図書館のデジタルコレクションで公開されている。
ススキの葉のふちは鋭く、手を切ることがある。野原で触るときは大人といっしょに。他人の土地や公園の植物を勝手に採らない。
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出典について:コトバンクは、複数の辞典・事典(『日本大百科全書』『世界大百科事典』『精選版 日本国語大辞典』など)の項目をまとめて読めるサイトで、項目ごとにどの辞典の記述かが示されています。歌舞伎座のページは、食文化研究者の松下幸子さんが江戸の食を紹介する連載です。農林水産省・国立天文台・港区・国立国会図書館・Korea.net は公的機関のページです。ベトナム航空・日比谷花壇は企業の情報ページ、ホーチミン観光情報ガイドは観光情報サイト、All About は解説サイトです。『コリア・ヘラルド』と『タイペイ・タイムズ』は英語の新聞記事です。
- 歌舞伎座事業株式会社「江戸食文化紀行 ─江戸の美味探訪─ no.44 月見と団子」(松下幸子監修、2002年)。 https://www.kabuki-za.co.jp/syoku/2/no44.html (『守貞謾稿』1853年の京坂の団子の形・衣・個数(12個、閏年13個)、『東都歳事記』(このページでは「東都歳時記」と表記)1838年の芋洗坂の芋の市と「家々団子、造酒、すすきの花等月に供す」の記述)
- 農林水産省『aff(あふ)』2025年10月号「日本の年中行事と食『十五夜とお月見団子』」(監修:一般社団法人 和食文化国民会議)。 https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/2510/event03.html (ピラミッド型に積む理由、関西・静岡・名古屋・沖縄の団子の形、団子の由来の説明)
- コトバンク「月見団子」(精選版 日本国語大辞典、デジタル大辞泉、『和・洋・中・エスニック 世界の料理がわかる辞典』)。 https://kotobank.jp/word/%E6%9C%88%E8%A6%8B%E5%9B%A3%E5%AD%90-571244 (1911年『東京年中行事』の用例に「大団子十三(十五夜は十五)」とあること)
- All About「月見団子、関東と関西では違う!? 白くて丸い形だけではない? 地域特有の形や味わい」(暮らしの歳時記)。 https://allabout.co.jp/gm/gc/505946/ (関東の丸い団子、関西の里芋形の団子、地域ごとの形の紹介)
- コトバンク「月見」(日本大百科全書、精選版 日本国語大辞典、改訂新版 世界大百科事典ほか)。 https://kotobank.jp/word/%E6%9C%88%E8%A6%8B-99138 (里芋の供物、稲と里芋の祭儀、華南の芋の収穫儀礼、供物を子どもがとる習わし、十三夜の名称、団子と月餅の関係)
- コトバンク「芋名月」(デジタル大辞泉、精選版 日本国語大辞典、日本大百科全書)。 https://kotobank.jp/word/%E8%8A%8B%E5%90%8D%E6%9C%88-436121 (新芋を供えたことから芋名月と呼ぶこと、供え物や芋を盗んでも大目に見る習わし)
- コトバンク「十五夜」(デジタル大辞泉、精選版 日本国語大辞典、改訂新版 世界大百科事典)。 https://kotobank.jp/word/%E5%8D%81%E4%BA%94%E5%A4%9C-76962 (供物を盗む習わしの解釈、和歌山県西牟婁郡の稲穂とイモを結んだ竿)
- コトバンク「お月見」(世界大百科事典 旧版)。 https://kotobank.jp/word/%E3%81%8A%E6%9C%88%E8%A6%8B-1283473 (月見団子とススキの穂を供えるのは都市とその周辺の例であること)
- コトバンク「ススキ」(改訂新版 世界大百科事典、日本大百科全書)。 https://kotobank.jp/word/%E3%82%B9%E3%82%B9%E3%82%AD-83826 (ススキが神の依り代や占有を示すこと、農耕儀礼の名残とする説明、カヤとして屋根をふく材料だったこと)
- 日比谷花壇「十五夜(中秋の名月)のすすきの意味は?お月見のお供え物について」。 https://www.hibiyakadan.com/item/LIFESTYLE_Z_0066.html (稲穂に見立てた、神様の依り代、鋭い切り口が魔除けと考えられた、という一般向けの説明の例)
- 国立国会図書館 レファレンス協同データベース「お月見の歴史がわかる資料はあるか。」(福井県立若狭図書学習センター、2024年)。 https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/reference/show?page=ref_view&id=1000360272 (月見の歴史を調べるための本の一覧、団子を供える習慣が月餅に由来するとする本の紹介)
- 国立天文台「中秋の名月(2026年9月)」。 https://www.nao.ac.jp/astro/sky/2026/09-topics03.html (2026年の十三夜が10月23日であること、十三夜が日本独自の風習であること)
- コトバンク「中秋節」(世界大百科事典ほか)。 https://kotobank.jp/word/%E4%B8%AD%E7%A7%8B%E7%AF%80-97259 (中国の中秋節の供え物と月餅、家族団らんの象徴、朝鮮の秋夕、ベトナムへの影響)
- Korea.net「Korean recipes: Songpyeon varieties across Korea, part 1」(2016年9月13日)。 https://www.korea.net/NewsFocus/Culture/view?articleId=140612 (ソンピョンの形、具、松の葉を敷いて蒸すことと名前の由来)
- The Korea Herald「Songpyeon, a perennial Chuseok treat」(2011年9月9日)。 https://koreaherald.com/view.php?ud=20110909000666 (新米で作ること、豊作の終わりを表す食べ物とされること、起源が高麗時代までさかのぼるとされること)
- ベトナム航空「ベトナム中秋節:魔法のような夜への地元ガイド」。 https://www.vietnamairlines.com/jp/ja/useful-information/travel-guide/mid-autumn-festival-in-vietnam (ベトナムの中秋節の農業的な由来、子どもの提灯パレード、2種類の丸い月餅、獅子舞)
- ホーチミン観光情報ガイド「ベトナムの中秋節 ― 家族の団らんと伝統文化の祭り」。 https://www.hcm-cityguide.com/c/sights/s/historial-caltual/articles/2127 (稲作農耕文化が起源であること、月餅の意味、獅子舞が邪気を払うこと)
- Edward Jones「Secret sauce: The surprising origins of Taiwan's Mid-Autumn Festival barbecue craze」Taipei Times、2018年9月25日。 https://www.taipeitimes.com/News/lang/archives/2018/09/25/2003701075 (台湾の中秋節のバーベキューが1980年代の醤油会社の広告競争から広まったこと、それ以前の過ごし方)
- 港区「芋洗坂」(港区教育センター 子ども向け 街並みと坂)。 https://www.city.minato.tokyo.jp/kyouikucenter/kodomo/kids/machinami/saka/10.html (芋洗坂の場所と、名前の由来を、芋問屋があったからだと説明していること)
- nippon.com「たった一人で私家版百科事典を編んだ男の軌跡:幕末の東西文化の違いを記録した『守貞漫稿』(その1)」(2020年8月11日)。 https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00915/ (『守貞謾稿』の著者・成立時期・巻数・内容)
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