1. ビタミンって、そもそも なに
1. ビタミンって、そもそも何なのか
1. ビタミンって、そもそも何なのか
みかんの ふくろや、サプリメントの はこには、「ビタミンC」 「ビタミンD」の ような もじが よく 書いて あります。
ビタミンとは、体の 中では ほとんど つくる ことが できないのに、体の ちょうしを たもつ ために かかせない、 ほんの すこしの りょうで はたらく えいようその ことです。
ビタミンは、ごはんの ように おもに エネルギーに なったり、 体そのものの ざいりょうに なったり する ものでは ありません。 まるで、サッカーの しあいで ゴールは きめないけれど、 しんぱんとして しあいを うまく すすめて くれる 人の ような やくわりです。
みかんの袋や、サプリメントの箱には、「ビタミンC」「ビタミンD」のような言葉がよく書いてあります。
ビタミンとは、体の中ではほとんど作ることができないのに、体の調子を保つために欠かせない、ごくわずかな量ではたらく栄養素のことです[4]。
ここで大事なのは、ビタミンは、ご飯のようにおもにエネルギーのもとになったり、体そのものの材料になったりする栄養素とはちがい、体の中のさまざまな化学変化を助ける役目をはたす、という点です[4]。
現在、ビタミンは全部で13種類が知られており、水にとけるビタミンは「水溶性ビタミン」(ビタミンCやビタミンB群など9種類)、油にとけるビタミンは「脂溶性ビタミン」(ビタミンA・D・E・Kの4種類)です[4]。
みかんの袋や、サプリメントの箱には、「ビタミンC」「ビタミンD」のような言葉がよく書いてある。
ビタミンとは、体の中ではほとんど合成できないにもかかわらず、体の調子を保つために欠かせない、ごく微量ではたらく栄養素のことだ[4]。
ここで大事なのは、ビタミンは、おもにエネルギー源や体そのものの材料になる栄養素とはちがい、体の中で起こるさまざまな反応を助ける役目をはたす、という点だ[4]。たとえば、ビタミンCは体をさびつかせる反応(酸化)をおさえ、ビタミンB群などは食べものからエネルギーを取り出すはたらきを助ける。
現在、ビタミンは全部で13種類が知られており、水にとける「水溶性ビタミン」(ビタミンCやビタミンB群など9種類)と、油にとける「脂溶性ビタミン」(ビタミンA・D・E・Kの4種類)に分けられる[4]。
2. げんいん ふめいの びょうき、海ぐんを すくった しょくじかいかく
2. 原因不明の病気、海軍を救った食事改革
2. 原因不明の病気、海軍を救った食事改革
ビタミンと いう ことばが 生まれるより 30年ちかくも まえ、 日本には「げんいんの わからない びょうき」に くるしむ ばしょが ありました。海軍の ぐんかんです。
手や 足が しびれて、力が 入らなく なる「脚気」という びょうきが、 当時の 日本の ぐんかんで たくさん おきて いました。イギリスの ぐんかんでは この びょうきが ほとんど 見られない ことに 気づいた お医者さんの 高木兼寛は、 げんいんは しょくじに あるのでは ないかと かんがえました。
1884年、高木は ふねの中の しょくじを あたらしく して、287日間の こうかいで ためして みました。その けっか、 のりくんで いた 330人 あまりの うち、脚気に なった 人は 20人より すくなく、なくなった 人は 1人も いませんでした。 この じっけんの あと、海ぐんでは 食べものを よくする くふうが すすみました。その中で、イギリスから つたわった カレーも 食べられるように なりました[8]。
ビタミンという言葉が生まれるより30年近くも前、日本には「原因の分からない病気」に苦しむ場所がありました。海軍の軍艦です。
手足がしびれ、力が入らなくなる「脚気」という病気が、当時の日本の軍艦では大流行していました。イギリス海軍の乗組員にはこの病気がほとんど見られないことに気づいた海軍軍医の高木兼寛は、原因は食事にあるのではないかと考えました[2]。
1884年、高木は練習艦「筑波」で、洋食を取り入れた新しい食事を287日間の航海のあいだ試しました。その結果、乗組員330人あまりのうち脚気になったのは20人以下、死者はゼロでした[2][6]。その後、日本海軍では脚気対策を含む兵食改革が進み、その流れの中でイギリス式のカレーも取り入れられました。1889年の「五等厨夫教育規則」や1908年の「海軍割烹術参考書」にはカレーの調理法が登場し、海軍の食事として広まっていきました[8]。
ただし、この時点では、なぜ食事を変えると脚気が防げるのか、その理由はまだだれにも分かっていませんでした。
ビタミンという言葉が生まれるより30年近くも前、日本には「原因不明の病気」に苦しむ場所があった。海軍の軍艦だ。
手足がしびれ、力が入らなくなる「脚気」という病気が、当時の日本の軍艦では大流行していた。イギリス海軍の乗組員にはこの病気がほとんど見られないことに気づいた海軍軍医の高木兼寛は、原因は食事にあるのではないかと考えた[2]。
1884年、高木は練習艦「筑波」で、洋食を取り入れた新しい食事を287日間の航海のあいだ試した。その結果、乗組員330人あまりのうち脚気になったのは20人以下、死者はゼロだった[2][6]。その後、日本海軍では脚気対策を含む兵食改革が進み、その流れの中でイギリス式のカレーも取り入れられた。1889年の「五等厨夫教育規則」や1908年の「海軍割烹術参考書」にはカレーの調理法が登場し、海軍の食事として広まっていった[8]。
ただし、この時点では、なぜ食事を変えると脚気が防げるのか、その理由はまだだれにも分かっていなかった。
3. 米ぬかから せいぶんを とりだした 人
3. 鈴木梅太郎、米ぬかから成分を取り出す
3. 鈴木梅太郎、米ぬかから成分を取り出す
その りゆうに 近づいたのが、けんきゅうしゃの 鈴木梅太郎です。
すずきは、米ぬかの 中に、脚気を ふせぐ せいぶんが ふくまれて いる ことを 見つけ、1910年から 1911年に かけて その けんきゅうを はっぴょうしました。 この せいぶんは、のちに「オリザニン」と よばれる ように なりました。
米ぬかとは、玄米を 白米に する ときに とりのぞかれる ぶぶんです。当時、白米ばかり 食べる ことが おおくなり、 この せいぶんが たりなく なりやすかったと かんがえられて います。
その理由に手が届いたのが、農芸化学者の鈴木梅太郎でした。
鈴木は、米ぬかの中に、脚気を防ぐ有効な成分が含まれていることを突き止め、1910年に研究を報告し、1911年1月に論文を発表しました。この成分を、はじめは「アベリ酸」、のちに「オリザニン」と名づけました[1]。
米ぬかとは、玄米を白米にするときに取り除かれる部分です。当時、白米ばかりを食べる習慣が広まったことで、この成分が不足しやすくなっていたと考えられています。
その理由に手が届いたのが、農芸化学者の鈴木梅太郎だった。
鈴木は、米ぬかの中に、脚気を防ぐ有効な成分が含まれていることを突き止め、1910年に研究を報告し、1911年1月に論文を発表した。この成分を、はじめは「アベリ酸」、のちに「オリザニン」と命名した[1]。
米ぬかとは、玄米を白米にするときに取り除かれる部分だ。当時、白米ばかりを食べる習慣が広まったことで、この成分が不足しやすくなっていたと考えられている。
4. フンクの「ビタミン」と、すずきが 有名に なれなかった りゆう
4. フンクの「ビタミン」と、鈴木梅太郎が有名になれなかった理由
4. フンクの「ビタミン」と、鈴木梅太郎が有名になれなかった理由
ところが、せかいで ひろく しられるように なったのは、 すずきの オリザニンでは ありませんでした。
すずきが 日本で はっぴょうした あと、1911年の おわりから 1912年に かけて、ポーランドの かがくしゃ フンクが、おなじような せいぶんを 「ビタミン」と なづけて はっぴょうしました。
日本では すずきの ほうが 先に はっぴょうして いましたが、 すずきの ろんぶんが ドイツの ざっしに のったのは 1912年7月で、 フンクの はっぴょうから 半年より あとでした。フンクの はっぴょうは おおきく しょうかいされ、フンクの「ビタミン」の ほうが ひろく しられる ことに なりました。 まるで、さきに こたえを 見つけたのに、その こえが とおくまで とどく まえに、 あとから おおきな こえで こたえた 人の ほうが ゆうめいに なって しまったような ものです。
それでも、すずきの がんばりが わすれられた わけでは ありません。1914年には、ドイツの 大学の きょうじゅに よって、すずきが ノーベルしょうの こうほに すいせんされて います。
ところが、世界で広く知られるようになったのは、鈴木のオリザニンではありませんでした。
鈴木が日本で発表したあと、1911年の終わりから1912年にかけて、ポーランドの化学者カシミール・フンクが、同じような成分について発表し、ラテン語で「生命」を意味する「ビタ(vita)」と、化合物の種類を表す「アミン(amine)」を組み合わせて「ビタミン(vitamine)」と名づけました[3][7]。
日本では鈴木のほうが先に発表していましたが、鈴木の論文がドイツの学術雑誌に載ったのは1912年7月で、フンクの発表から半年以上あとでした。フンクの発表は英国の学術雑誌などで大きく紹介され、国際的にはフンクの「ビタミン」という名前のほうが広く知られることになりました[3]。
それでも鈴木の功績が忘れられたわけではありません。1914年には、ドイツ・ゲッティンゲン大学のホイブナー教授によって、鈴木がフンクらとともにノーベル生理学・医学賞の候補として推薦されています[1]。
ところが、世界で広く知られるようになったのは、鈴木のオリザニンではなかった。
鈴木が日本で発表したあと、1911年の終わりから1912年にかけて、ポーランドの化学者カシミール・フンクが、同じような成分について発表し、ラテン語で「生命」を意味する「ビタ(vita)」と、化合物の種類を表す「アミン(amine)」を組み合わせて「ビタミン(vitamine)」と名づけた[3][7]。
日本では鈴木のほうが先に発表していたが、鈴木の論文がドイツの学術雑誌に載ったのは1912年7月で、フンクの発表から半年以上あとだった。フンクの発表は英国の学術雑誌などで大きく紹介され、国際的にはフンクの「ビタミン」という名前のほうが広く知られることになった[3]。
それでも鈴木の功績が忘れられたわけではない。1914年には、ドイツ・ゲッティンゲン大学のホイブナー教授によって、鈴木がフンクらとともにノーベル生理学・医学賞の候補として推薦されている[1]。
5. いまの ビタミンと、みかんの はなし
5. いまのビタミンと、みかんの話
5. いまのビタミンと、みかんの話
こうして すこしずつ けんきゅうが すすみ、いまでは 13しゅるいの ビタミンの、それぞれの やくわりが くわしく わかって います。
たとえば ビタミンCには、体を さびつかせる はんのうを おさえる はたらきが あり、ビタミンDや ビタミンKは、ほねの けんこうを たもつのを たすけます。
みかんには、食べる ぶぶん 100グラムあたり およそ 33〜35ミリグラムの ビタミンCが ふくまれて います。 ビタミンCは、水に とける なかまの ビタミンです。
じぶんでも やって みる
自分でも調べてみたくなったら
自分でも調べてみたくなったら
じぶんの まわりの 食べものに、どんな ビタミンが ふくまれて いるか しらべて みましょう。
きょう できる こと
- 食べものの ふくろの うらを 見て みる。 「えいよう せいぶん ひょうじ」に、どんな ビタミンが 書いて あるか さがして みましょう。
- おうちの 人に、海ぐんカレーの はなしを して みる。 カレーが すきな りゆうを 聞いて みるのも おもしろいかもしれません。
きょう 出て きた ことばを 1つだけ ノートに 書いて おきましょう。「オリザニンって、いまは なんて よばれて いるの?」だけで じゅうぶんです。
自分の周りの食べものに、どんなビタミンが含まれているか調べてみましょう。
今日できること
- 食べものの袋の裏を見てみる。「栄養成分表示」に、どんなビタミンが書いてあるか探してみましょう。
- 家の人に、海軍カレーの話をしてみる。カレーが好きな理由を聞いてみるのもおもしろいかもしれません。
出かけてできること
- スーパーで、ビタミンCが多い果物や野菜を探してみる。
- 科学館や博物館で、栄養や食べ物の歴史に関する展示を見てみる。
気になった言葉を1つだけ書いておくと、あとで調べる入口になります。「脚気って、いまの日本でもあるの?」だけでも十分です。
自分の周りの食べものに、どんなビタミンが含まれているか調べてみよう。
手を動かして確かめる
- 食品の栄養成分表示を読みくらべる。数種類の食品パッケージの「栄養成分表示」を比べ、ビタミンの種類と量がどう違うか記録してみる。
- 鈴木梅太郎とフンクの発表年を年表にしてみる。1884年の高木兼寛の実験から、1910〜1911年の鈴木、1911年末〜1912年のフンク、1914年のノーベル賞候補推薦までを時系列で整理すると、発見の全体像がつかみやすくなる。
信頼できる情報を探す
栄養について調べるときは、厚生労働省や国立健康・栄養研究所の公式サイトから始めるとよい。歴史的な経緯については、国立公文書館のデジタル展示など、一次資料に基づいた解説を探すと、伝聞で単純化された部分に気づける。
鈴木梅太郎のように、日本で先に発表していても、論文が世界に伝わる時期や紹介のされ方で、名前が知られるかどうかが分かれることがある。科学の歴史は、発見そのものだけでなく、それがどう伝えられたかにも関わっている。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
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出典について:厚生労働省と海上自衛隊は政府機関、Wikipediaは百科事典、その他は歴史・食品系の専門メディアです。
- Wikipedia「鈴木梅太郎」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/鈴木梅太郎 (1910〜1911年の発見・報告と論文、「アベリ酸」から「オリザニン」への改名、1914年のノーベル賞候補推薦についての出典)
- 大麦百科「海軍カレーのルーツは、『麦飯男爵』考案の脚気予防にあり!」。 https://www.hakubaku.co.jp/omugi-lab/hyakka/navy-curry/ (高木兼寛による1884年の海軍食事改革、練習艦「筑波」での実験航海についての出典)
- 和樂web「鈴木梅太郎がノーベル賞を逃した理由は?ビタミンB1発見のきっかけは」。 https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/211437/ (鈴木とフンクの発表時期の前後関係と、フンクの名前が広まった経緯についての出典)
- 厚生労働省 e-ヘルスネット「ビタミン」。 https://kennet.mhlw.go.jp/information/information/dictionary/food/ye-027.html (ビタミンの定義、13種類の分類、それぞれの役割についての出典)
- くだもの・果物ナビ「ビタミンCの多い順 一般果物」。 https://www.kudamononavi.com/eiyou/eiyouhyou/direction=desc/sort=vitaminc/level=1 (温州みかんのビタミンC含有量についての出典。可食部100グラムあたりの値)
- Wikipedia「日本の脚気史」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/日本の脚気史 (1884年の練習艦「筑波」の航海日数・乗組員数・脚気患者数についての出典。資料によって人数の数え方にちがいがある)
- Wikipedia「カシミール・フンク」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/カシミール・フンク (フンクによる1912年の「ビタミン」の命名についての出典)
- 海上自衛隊「海上自衛隊カレーの秘密」(海上自衛隊レシピ)。 https://www.mod.go.jp/msdf/kanmeshi/tip2.html (脚気に悩んでいた日本海軍が兵食改革を進めるなかで、イギリス海軍で採用されていたカレーを取り入れ、「5等厨夫教育規則」(明治22年=1889年)や「海軍割烹術参考書」(明治41年=1908年)などで調理法を紹介し、兵食改革の一環として広まったことについての出典)
なおした ところ
更新履歴
更新履歴(改版の記録)
- 初版を公開。
- 2章の海軍カレーの説明を直した。理由: 高木兼寛の1884年の「筑波」の実験がきっかけでカレーが広まったように読めたため。海上自衛隊の説明に合わせ、海軍の兵食改革の流れの中でイギリス式のカレーが取り入れられ、1889年の「五等厨夫教育規則」や1908年の「海軍割烹術参考書」を通じて広まったと書き直し、出典を足した。あわせて、まとめの「13種類のビタミンそれぞれの役割がくわしく分かっている」を、13種類が知られ主な働きが分かってきた(研究は続いている)という言い方に弱めた(言い切りすぎのため)。
- 低学年むけで、「脚気」という病名が出る前に症状だけを説明していたため、最初の説明に病名を足しました。中学生むけの「一次情報」という言い方が分かりにくかったため、公式サイトから調べ始めるとよいという書き方に直しました(先生の目での読み直しによる)。あわせて、低学年むけの高木兼寛の実験結果で、「びょうき」としか書いていなかった所を「脚気」に直しました。さらに、低学年むけの「20人いか」を「20人より すくなく」に、高学年むけのビタミンの分け方、中学生むけのビタミンの定義とはたらきの説明、小見出し「一次情報にあたる」を、分かりやすい言い方に直しました(先生の目での読み直しによる)。
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