1. ひとつの しゃりんが、ふたつの しごとを して いた
1. 一つの大きな前輪に、二つの仕事がかかっていた
1. 高輪車の前輪 ── 直接駆動が「大きさ」を必要とした
むかしの じてんしゃの ペダルは、まえの しゃりんの まんなかに、じかに ついて いました。ペダルを 1かい まわすと、まえの しゃりんも 1かい まわります[1]。
だから、しゃりんが おおきいほど、1かいの ペダルで すすむ みちが ながく なります。はやく はしりたければ、しゃりんを おおきくするしか ありませんでした。
ただし、おおきさには かぎりが ありました。しゃりんを おおきく しすぎると、ペダルに あしが とどかなく なるからです。ふつうの いちばん おおきい ものは 60インチ、つまり 152センチほどでした[1]。
ペダルが車輪に直結していた
この大きな前輪の自転車は、高輪車やペニー・ファージングと呼ばれます。前の輪が大きく、後ろの輪が小さいのが特徴で、1870年代から80年代にかけて流行しました[1]。
ペダルは前輪の軸にじかについていました。チェーンも歯車もないので、ペダルを1回まわすと前輪も1回まわります。輪が大きいほど、1回転で進む距離が長く、速く走れました[1][2]。
大きさを決めたのは、脚の長さ
輪を大きくすると、ペダルに足が届かなくなります。そのため前輪の大きさは乗る人の脚の長さで決まり、標準の最大は60インチ、約152cmでした[1]。これは輪の直径です。
では、大きいことは速さだけの話だったのでしょうか。次の章で、もう一つの役目を見ます。
高輪車の駆動は直接駆動で、ペダルのクランクが前輪の軸に直結する。前輪の回転数とペダルの回転数が等しいので、速さを上げる手段は、車輪の直径を大きくすることに限られた[1][2]。流行は、1870〜80年代とする資料と、1880〜1890年ごろの短い期間とする博物館の解説があり、時期の切り方は資料で少し異なる[1][2]。
ところが、直径は際限なく伸ばせなかった。乗り手の脚がペダルに届く範囲で決まり、標準の最大は60インチ(約152cm)だった。この60インチは車輪の直径である[1]。博物館に展示されている1台(ウィリアム・ハリソン作、1885年ごろ)は、高さが約1.5mある[2]。
速さは直径に頼るしかなく、その直径は脚の長さに縛られる。この行き詰まりが、のちの設計変更の出発点になる。では、大きな車輪は速さのためだけにあったのか。
2. ペダル 1かいで、どれだけ すすむ?
2. ペダル1回で進む距離を、計算してみる
2. 円周で見る「大きさ=速さ」── 60インチと26インチの比較
しゃりんが 1かい まわると、すすむ 長さは、しゃりんの まわりの 長さと おなじです。60インチ(152センチ)の しゃりんなら、およそ 4.8メートルです。
いまの ふつうの じてんしゃの しゃりんは、26インチ(66センチ)ほどの ものが あります。これが ペダルに じかに ついていたと すると、1かいで すすむ のは 2.1メートルほどです。
おおきい しゃりんは、1かいで 2ばいくらい すすむ ことが できました。これは わたしの けいさんで、しりょうに かいてある 数では ありません。
3. おおきい しゃりんは、ゆれにも つよかった
3. 大きな車輪は、路面のでこぼこにも強かった
3. 段差への接触角 ── 車輪半径Rと段の高さhの幾何
でこぼこの みちを はしると、おしりが ゆれます。むかしは、いまの ような 空気の はいった タイヤが まだ ありませんでした。
そのころ、おおきな しゃりんには、みちの でこぼこで のり心地を よくする はたらきも あったと いわれます[1]。
たとえば、ボールと ビーだまを、ちいさな だんに ころがして みます。おおきい ボールの ほうが、なめらかに のりこえる ことが おおいです。ただし ほんとうは、ボールの かたさ でも かわります。
大きい輪は、段差に浅い角度で当たる
空気入りタイヤが現れる前の自転車では、大きな前輪には、路面のでこぼこで乗り心地をよくする面もあったといわれます[1]。自転車の技術者の解説にも、輪が大きいほど路面のあらさが平均化され、乗り心地がよくなるという説明があります[4]。ただしこれは一人の技術者の説明で、「大きければ必ず快適」と言い切れる話ではありません。
理由を図形で考えてみましょう。高さ5cmの段に、まっすぐな向きで車輪が当たるとします。車輪の中心と段のかどを結ぶ線が、真下の向きから何度かたむくかを角度として比べます。半径をR、段の高さをhとして、cosθ=1−h/Rという式が成り立ちます。
直径152cmの車輪(R≒76cm)ではθは約21°、直径66cm(R≒33cm)では約32°です。角度が浅いほど、車輪はやさしく段に乗り上げられます。これは幾何の計算で、資料の引用ではありません。実際のタイヤは変形するので、目安にとどまります。
ゆれを小さくする方法が「輪を大きくする」しかなかった時代に、前輪が巨大になった理由の一つがここにあったと考えられます。
大きな前輪が乗り心地に寄与したことは、空気入りタイヤ以前の状況として説明されている[1]。技術者の解説でも、大きい車輪ほど路面のあらさを平均化して乗り心地がよいとされる[4]。ただしこれは個人の技術解説で、大きければ常に快適とまでは述べられていない。
では、なぜ大きいと段差に強いのか。剛体の円が高さhの段のかどに当たる場面を考える。中心とかどを結ぶ線が鉛直方向となす角θは、cosθ=(R−h)/R=1−h/Rを満たす。R=76.2cm、h=5cmならθ≒21°、R=33cmならθ≒32°になる。Rが大きいほどθは小さく、段への当たりが浅く、乗り上げの衝撃が小さくなると読める。
この式は幾何からの導出で、資料の直接引用ではない。実際にはタイヤの変形、サスペンション、空気圧が効くので、あくまで剛体の理想化だ。それでも、鉄や中実ゴムの輪しかなかった時代に大きな輪が有利だったことの、説明の一つにはなる。
しかし、その大きさは乗り手の脚の長さで頭打ちになる。そこで、別の道が探された。
4. はやさは、チェーンに まかせよう
4. 速さはチェーンに任せ、車輪を小さくした
4. 1885年のローバー安全型 ── ギヤ比が「車輪の大きさ」を不要にした
1885ねん、イギリスの ローバーがいしゃが、あたらしい じてんしゃを つくりました。まえと うしろの しゃりんは おなじ おおきさで、チェーンで うしろの しゃりんを まわします[3]。
ペダルの まわりの 歯車が おおきく、うしろの 歯車が ちいさいと、ペダルが 1かい まわると、うしろの しゃりんは 何かいか まわります[5]。だから、しゃりんを おおきく しなくても、はやく はしれます。
のる 人は、じめんに ちかくなりました。このころは、のる 人を じめんに ちかづけたほうが あんぜんだと かんがえて、あたらしい つくりかたを さがして いました[3]。
チェーンが「歯車の比」で速さを作った
1885年、イギリスのコヴェントリーにあるローバー社の「安全型」自転車は、チェーンで後輪を回す作りでした。前後の車輪を同じ大きさにでき、ダイヤモンド型のフレームで、乗る人は地面に近い位置に座れました[3]。1870年代の終わりごろから、乗り手を地面に近づければ安全になると考えた設計が探られていました[3]。安全型の発明者を一人に決めることはできません。
チェーンでつなぐと、ペダル側の歯車と後輪側の歯車の歯の数の比(ギヤ比)で、速さを作れます。車輪を大きくしなくても、速くできるのです[5]。
「ギヤインチ」という物差し
ギヤ比の効き目は、「ギヤインチ」という数で表されます。直接駆動の高輪車ならどのくらいの車輪に相当するか、という指標で、今も使われています[5]。計算は「駆動輪の直径×前の歯車の歯数÷後ろの歯車の歯数」です。
たとえば26インチの車輪に、前44枚・後16枚の歯車の組み合わせなら、26×44÷16=71.5インチ。ギヤインチの値では、60インチを上回ります。この歯数は説明のための例です。
直接駆動の限界を超えたのが、1885年に登場したチェーン駆動の安全型である。ローバー社(イギリス、コヴェントリー)の一台は前後輪を同径にでき、ダイヤモンド型フレームで乗り手の位置を下げた。1870年代末から、乗り手を地面に近づければ安全だとする設計が探られていた。当時のタイヤは中実のゴムだった[3]。安全型の発明者を単独の人物に帰することは避ける。
チェーン駆動が効いたのは、速さを駆動輪の直径から切り離せたからだ。ギヤインチは「高輪車の駆動輪の等価直径」を表す指標で、駆動輪の直径×前ギヤ歯数÷後ギヤ歯数で求める[5]。26インチ・前44T・後16Tなら26×44÷16=71.5インチで、ギヤインチの値では60インチを上回る。歯数は説明のための例である。
これで「速さ」は歯車が担えるようになった。ところが、中実ゴムのタイヤではゆれの問題が残る。それを引き受けたのは何か。
5. ゆれは、空気が うけとめた
5. ゆれを受け止めたのは、タイヤの中の空気
5. 空気入りタイヤ ── 空気量と空気圧が担った乗り心地
1887ねんか 1888ねんごろ、アイルランドの じゅう医、ダンロップが、空気を いれた ゴムの ふくろを じてんしゃの しゃりんに まきました[9]。くわしい おはなしは、ほかの メモで しらべた ことが あります。
空気の はいった タイヤは、みちの ちいさな でこぼこを のみこんで、のり心地を よくします[6]。ただし、空気を いれすぎると、かえって がたがたします。
こうして、はやさは チェーン、ゆれは 空気が うけもつように なりました。高い しゃりんは 1893年までに つくられなく なりました[1]。
空気が路面の小さな凹凸を吸収する
アイルランドの獣医ダンロップが空気入りタイヤを考えたのは、1880年代の終わりごろとされます(年は資料で1887年か1888年かがゆれます)。空気でふくらませたゴムの袋を丈夫な帆布で包み、自転車の車輪に巻いたものでした[9]。特許などの詳しい経緯は、ほかのメモで扱っています。
ちょうどよく空気の入ったタイヤは、路面の小さな凹凸を吸収して乗り心地をよくします。入れすぎると、なめらかな舗装以外ではがたがたした乗り心地になります[6]。
役割が分かれた結果
チェーン駆動と空気入りタイヤは、小さな車輪でも速さと快適さを両立させました。高輪車は1893年までに作られなくなったと伝えられます[1]。
大きな車輪が一人でしていた仕事は、速さは歯車、乗り心地は空気、と分かれました。ではいまの空気入りタイヤでは、空気の量をどう考えればよいのでしょうか。
ゆれ吸収の役目を引き継いだのは空気入りタイヤである。ダンロップ(アイルランドの獣医)は1887年に発明、1888年に特許取得、1889年に製造会社を設立したとされるが、発明年は資料で揺れるので「1880年代末」と書くのが穏当だ[9]。特許の詳しい経緯は、既存のメモが扱う。
適正な空気圧のタイヤは小さな凹凸を吸収して乗り心地を高め、入れすぎると、なめらかな舗装以外ではがたがたした乗り味になる[6]。国内の解説でも、適正値より少し(10%以内程度)上げるとペダルが軽く、下げると衝撃が体に伝わりにくい柔らかな乗り味になることが多い、とされる[7]。空気圧を変えると、乗り心地と走りの軽さのどちらにも影響する。
チェーン駆動と空気入りタイヤが、小さな車輪でも速さと快適さを両立させ、高輪車は1893年までに生産されなくなった[1]。大きな輪一つが担った二つの仕事が、歯車と空気に分かれたということだ。
6. いまの しゃりんの おおきさは、なにで えらぶの?
6. 車輪が小さくなれたあとは、何で大きさを選ぶのか
6. 車輪径が「唯一の手段」でなくなった後の設計 ── 幅・空気圧・路面
いまは、はやさは 歯車で、ゆれは 空気で かえられます。しゃりんの おおきさは、ほかの ことを かんがえて えらべる ように なりました。
たとえば、はばの ひろい タイヤは、ひくい 空気の つよさが むく そうです[6]。ざらざらした みちでは、ひくめの 空気の ほうが はやい、と いう けんきゅう者も います[8]。
ただし、この 人は じてんしゃを つくる 会社の 人です。なめらかな みちでは、ちがいは ちいさい と いわれます。ちょうどよい 大きさは、のる みちや つかいかたで かわります。
大きさを変えなくても速さとゆれを調整できるようになると、車輪の大きさは、乗る人の位置や使い方など、ほかの理由も含めて選べるようになりました。
タイヤの幅と空気圧も、乗り心地に関わります。幅の広いタイヤには低い空気圧が向くといわれます[6]。ロードバイクを扱う研究者は、粗い路面では低めの空気圧のほうが速い、高い圧は「速く感じる」だけで振動が増える、と述べています[8]。
ただしこれは自転車メーカー系の意見です。なめらかな路面では差は小さいとされます。いまの車輪の大きさがなぜその値なのか、その理由をここで一つに決めることは避けます。
車輪径が速さと乗り心地の唯一の手段でなくなったので、設計の自由度は増えた。速さはギヤ比、ゆれはタイヤの空気量と幅で調整できる[5][6]。安全型は乗り手を地面に近づける方向も選んだ[3]。
タイヤの空気圧については、幅の広いタイヤは低い圧が向く[6]。ロードバイクのメーカー系の研究者は、粗い路面では低圧が速く、高圧は「速く感じる」だけで振動が増えると主張する[8]。これは一メーカーの立場からの主張であり、滑らかな路面では差は小さい。
現在の車輪径は、速さや乗り心地だけでなく、乗り手や使い方も考えて選ばれている。大きな車輪が路面のあらさを平均化するという見方は今も技術者の間で示されるが[4]、それが唯一の基準というわけではない。
7. ボールで ためして みよう
7. 大きさのちがう丸いもので、段差を試す
7. 自分で確かめる ── 段差の角度を、計算と実験で
ほんを かさねて、ひくい だんを つくります。おなじ かたさの、おおきい ボールと ちいさい ボールを、おなじ くらいの はやさで ころがして みましょう。
だんに あたった とき、ボールが どう のりこえるか、どう はねるかを みます。ボールの おおきさと、だんの たかさは、ひとつずつ かえます。じてんしゃも おなじとは かぎりません。
ボールが ころがる ゆかは、ものを おいて ころばない ように しましょう。じてんしゃで ためす ときは、おうちの 人と いっしょに してください。
本を重ねて低い段を作り、大きさのちがう丸いもの(かたさの近いボールなど)を同じくらいの速さで転がして、段を乗り越えるようすを見比べてみましょう。ボールがどう上がるか、どれくらい弾むかを観察します。
ボールは変形するので、自転車の車輪とは同じではありません。ボールの大きさと段の高さは、一度に一つずつ変えて比べます。自転車でも同じになるとは限りません。
もう一つ。家にある自転車のタイヤを、指で軽く押してみるのもよい方法です(おうちの人といっしょに)。空気の量で固さがどう変わるかが分かります。
本を重ねた低い段に、直径の異なるボールを同じくらいの速さで転がし、乗り越え方を観察して比べる。ボールの変形や滑りが入るので、上の式の理想値とは一致しない。別の項目として、段の高さhを変えながらcosθ=1−h/Rを手で計算し、角度がどう変わるかも比べる。式は実験結果を予測するものではない。
資料を読むなら、博物館の解説[2]と[3]で高輪車と安全型の実物の様子が分かる。技術者による解説[4][6]と、国内の空気圧の解説[7]、メーカー系の主張[8]を読み比べ、どの点で意見がそろい、どの点で立場が分かれるかを見るとよい。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
出典について:博物館の収蔵品解説、自転車技術者の解説、国内の解説記事、事典項目を突き合わせた。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。段差の角度や円周の値は、この記事の筆者が式で計算したもので、資料の数字ではない。
- Wikipedia「Penny-farthing」。https://en.wikipedia.org/wiki/Penny-farthing (直接駆動、前輪の大きさの上限、乗り心地、1893年までの生産終了)
- Science Museum Group「Penny Farthing Bicycle」。https://collection.sciencemuseumgroup.org.uk/objects/co8421051/penny-farthing-bicycle (展示品の高さ、ペダル1回転で遠くへ進むこと)
- Science Museum Group「Rover Safety Bicycle」。https://collection.sciencemuseumgroup.org.uk/objects/co25833/rover-safety-bicycle (1885年のチェーン駆動安全型、前後同径、乗り手を地面に近づける設計の探究)
- Sheldon Brown「Ideal tire size」。https://www.sheldonbrown.com/brandt/ideal-tire-size.html (車輪が大きいほど路面のあらさが平均化されるという技術者の説明)
- Sheldon Brown「Glossary: Gear inches」。https://www.sheldonbrown.com/gloss_g.html (ギヤインチの定義と計算)
- Sheldon Brown「Tires」。https://www.sheldonbrown.com/tires.html (空気入りタイヤの衝撃吸収、空気の入れすぎ、幅と空気圧)
- 乗りものニュース「自転車の空気入れ」。https://trafficnews.jp/post/55698/3 (空気圧の上げ下げと乗り味)
- René Herse Cycles「Tire Pressure Take-Home」。https://www.renehersecycles.com/tire-pressure-take-home/ (粗い路面と低い空気圧。メーカー系の意見)
- コトバンク「ダンロップ」。https://kotobank.jp/word/%E3%81%A0%E3%82%93%E3%82%8D%E3%81%A4%E3%81%B7-3158748 (空気入りタイヤの発明者と時期)
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