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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

ペダルが ついたのに、なぜ「骨ほねゆすり」?

「骨をゆする」自転車 ── ペダルを前輪につけた、はじまりのころ

ボーンシェーカーとは何か ── 前輪直付けペダル、発明者の諸説、1868〜69年の流行

分野:技術・歴史

むかしの 自転車には、「骨ほねを ゆする」という 名前が つきました。のると、体が がたがた ゆれたからです[1]。

ペダルは ついて いるのに、どうして そんなに ゆれたのでしょう。だれが 作ったのかも、じつは はっきり して いません。

ペダルをこいで進む自転車が生まれたころ、その乗りものには「ボーンシェーカー(骨をゆするもの)」というあだ名がつきました[1]。乗るとそれほど揺れた、ということのようです。

ペダルがついたのに、なぜ乗り心地が悪かったのでしょうか。しかも、この自転車を最初に作ったのがだれなのかは、今も決着がついていません。

「ボーンシェーカー」は、ペダルを前輪の軸に直接つけた初期の自転車に、のちにつけられたあだ名とされる。乗り心地の悪さが由来で、木の車輪や鉄のタイヤなど、衝撃を吸収する仕組みの乏しい構造が理由に挙げられている[1][2]。

この乗りものは、1860年代に大流行して急に下火になった。発明者も年も諸説あり、確定していない。名前の由来、構造、発明者の説、流行の時期を、資料を突き合わせて整理する。

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1. その まえの 自転車は、どう 進んだ?

1. ペダルがなかった時代 ── 地面を蹴って進む乗りもの

1. ドライジーネ(1817年)── ペダルもチェーンもない前史

1817年、ドイツの ドライスさんが、木で できた 乗りものを 作りました。「ドライジーネ」と いいます。ペダルも チェーンも ありません[2]。

のる 人は、いすに すわって、足で 地面を けって 進みます。ハンドルで むきを かえる ことは できました。

これに ペダルを つけたら、足が 地面から はなれて、もっと 楽に 進めそうです。そう 考えた 人が いたのでしょう。

ペダル付き自転車より前に、木でできたドライジーネという乗りものがありました。1817年にドイツのカール・ドライスが発明したと伝えられています。前後の車輪は同じ大きさで、ハンドルで向きを変えられましたが、ペダルもチェーンもなく、足で地面を蹴って進みました[2]。

これに足をのせる部分をつければ、地面を蹴らなくても進めそうです。ペダル付きの自転車は、そんな発想から生まれたと考えられています。

ドライジーネは、1817年にドイツのカール・ドライスが発明した木製の乗りもので、前後同じ直径の2つの車輪と、向きを変えるハンドルをもつ。ペダルやチェーンはなく、足で地面を蹴って進んだ[2]。

ここに「ペダルをつける」という一手が加わって、ペダル付きの初期の自転車が生まれる。ただしその一手を最初に思いついたのがだれかは、あとで見るように、資料によって割れている。

2. ペダルは、どこに ついて いた?

2. ペダルは前輪の軸に直接ついていた

2. 前輪ハブへのクランク直結 ── 操作とこぎを1つの車輪で担う構造

いまの 自転車は、ペダルを こぐと、チェーンで 後ろの 車輪しゃりんが まわります。でも この ころは、チェーンが ありません。

ペダルは、前の 車輪しゃりんの まん中の じくに、じかに ついて いました[1]。ペダルを 回すと、前の 車輪しゃりんが、いっしょに 回ります。

すると 前の 車輪しゃりんは、進む 力を 出しながら、むきを かえる 役目も します。足を 動かしながら ハンドルを きるのは、むずかしそうです。

ペダルは、前輪の中心にある軸にクランクで直接つけられていました。今の自転車のようなチェーンはなく、ペダルを回すと前輪がそのまま回る仕組みです[1]。

このため、前輪は「進む力を伝える」ことと「向きを変える」ことを同時にしなければなりません。足を回しながらハンドルを切るので、操作は簡単ではなかったようです。

当時はこうした乗りものを「ヴェロシペード」と呼びました。ラテン語で「足の速い」という意味の言葉からきています[1]。

ペダルは、クランクを介して前輪のハブ(軸)に直接つけられていた。チェーンはまだなく、前輪が推進と操舵の両方を担う構造で、操作は難しかった[1]。

ペダルが前輪ハブについた初期の自転車は、当時「ヴェロシペード」(velocipede)と呼ばれた。語源はラテン語の「足の速い」である[1]。「ボーンシェーカー」は、次章で見る乗り心地から、あとにつけられたあだ名の面が強いとされる[2]。

3. どうして「骨ほねゆすり」なの?

3. 木の車輪に鉄のタイヤ ── ゆれを吸わない体

3. 木の車輪・鉄のタイヤ・乏しい緩衝 ── あだ名の由来と重さ

車輪しゃりんは 木で できて いて、まわりに 鉄の タイヤが まいて ありました。ゴムの タイヤは ありません[1]。しかも、ゆれを やわらげる しかけが あまり ありませんでした。

石の 道を 走ると、ごつごつが そのまま 体に つたわります。ぜんぶ かたい ものだけで できた 自転車で、でこぼこ道を 走る ところを 思いうかべて みて ください。

そこで 「骨ほねを ゆする」と いう 名前が ついたと いわれます[2]。重さも、かるい ものでも 14キロ ぐらいは あった そうです[2]。

「ボーンシェーカー」の名は、乗り心地の悪さに由来するといわれます。木の車輪のまわりを鉄のタイヤがおおい、ゆれを吸う仕組みも乏しかったため、道のでこぼこがそのまま体に伝わりました[1][2]。

重さも軽くはありません。軽いほうのボーンシェーカーでも、約14キログラム以上あったと書かれています。これは軽いモデルの下限の数字で、すべての機種の重さではありません[2]。

ブレーキも今とはちがいました。アメリカの博物館にある1869年ごろの1台は、ハンドルをひねると革ひもが鋼のレバーを引き、後輪に押しつけて速さを落とす仕組みでした。ただし、これは1台の例で、どの機種もこうだったわけではありません[1]。

ボーンシェーカーの名は、極端に悪い乗り心地に由来するとされ、硬い鍛鉄のフレーム、木の車輪、鉄のタイヤが原因に挙げられる[2]。Lane Motor Museumも、木の車輪と鉄のタイヤがこのあだ名を生んだと説明し、所蔵するポンセ製の1台については、ばねがなかったとしている[1]。

軽いモデルでも重さは約14kg以上とされる。14kgは軽いモデルの下限で、機種全体の重さではない[2]。同館所蔵の1869年ポンセ製の1台は、ハンドルをひねると革ひもが鋼のレバーを引き、後輪に摩擦をかけてブレーキとする構造だった。全機種に共通する仕組みとは限らない[1]。

4. これを 作ったのは、だれ?

4. 発明者は決まっていない ── 3人の名前

4. ミショー父子とラルマン ── 発明者・発明年は確定せず

ペダルを つけた 人の 名前は、いくつか あげられて います。フランスの ミショーさん、その むすこの エルネストさん、そして ラルマンさんです[3]。

いつ 作られたかも、1855年、1861年、1864年と、いろいろな 考えが あります[5]。どれが 正しいか、いまも きまって いません。

はっきり している ことも あります。ラルマンさんは、1866年の 11月20日に、アメリカで 特許とっきょを もらいました[4]。

ペダル付きのヴェロシペードを考えたのはだれでしょうか。フランスのピエール・ミショーの名がよく挙がりますが、歴史家のあいだでは、息子のエルネストや、ピエール・ラルマンの発想だった可能性も指摘されています[3]。

時期もはっきりしません。オンライン自転車博物館は、ミショー父子がペダルをつけたのは1864年の可能性が高いとしつつ、1855年説や1861年説もあると書いています[5]。

ラルマンについては、1862年ごろに前輪の軸にペダルをつけたと伝えられていますが、これは本人の主張がもとで、確定した事実ではありません。確かなのは、1865年にアメリカへ渡り、1866年11月20日にアメリカの特許を得たことです[4]。

その特許の明細書には、前輪の軸のクランクに踏み板(ペダル)をつけること、それにフレームの上のばね付きの座席が書かれています[6]。乗り心地のことは、考えられていたのかもしれません。

ペダル付き自転車の発明者は確定しておらず、ピエール・ミショー、その息子エルネスト、ピエール・ラルマンの名が挙がる。ミショーの名は、ドライジーネにペダルをつけた発想の持ち主としてよく挙がるが、歴史家は息子やラルマンの発想だった可能性を指摘している[3]。

年も割れる。オンライン自転車博物館は、ミショー父子がホビーホース(ドライジーネ)にペダルをつけた時期を1864年の可能性が高いとしつつ、1855年説・1861年説を併記し、ラルマンが発明者だとする説も紹介する[5]。日本語資料にある「1861年発売」は諸説の1つにとどまるため、本稿は採らない。

ラルマンは、1862年ごろにナンシーでホビーホースを見て、前輪ハブにクランクとペダルをつけたと伝えられる。この話は本人の主張が元であり、確定事実としては扱わない。確かなのは、1865年に米国へ移り、1866年11月20日に米国特許を得たことである[4]。

米国特許59,915号の明細書は、前輪の軸のクランクに踏み板(ペダル)をつける構造と、フレーム上のばね付きサドルを述べる[6]。ばね付きサドルの記述からは、乗り心地の悪さへの対処が構想にあった可能性がある。ただし、これは明細書の記述からの推測であり、実際の製品でどうだったかは別問題である。

5. 町で いちばん 流行ったのは、いつ?

5. 売り出しと流行 ── 乗り方教室ができた町

5. 1867年の販売開始から、1868〜69年の流行と衰えまで

ミショーさんの 会社が 自転車を 売り出したのは、1867年ごろと いわれます[5]。1868年には、ミショー商会と いう 会社も できました。

大きな 町には、のり方を ならう 教室も できました。うまの れんしゅうを する 大きな へやのような ところです[2]。

けれども、人気は ながく つづきません。しりょうでは、1869年の 夏の あとに 人気を うしなったと されて います[2]。

ミショーの会社が広告して売り始めたのは、1867年のパリ万国博覧会のころとされます。1868年5月7日には、オリヴィエ兄弟の出資でミショー商会が作られました。推定の生産台数は、ミショー商会で約1,860台、次のパリの会社で約2,940台です。ただし、あくまで推定で、ほかの資料の数字とは合わないため、台数を確定はできません[5]。

1867年ごろまでにミショー型の設計は進み、前輪が後輪より大きく、フレームとフォークが鉄製の型も作られるようになりました。鋳鉄2枚をボルトで留める作りで、量産しやすくなったとされます[3]。

1868〜69年ごろには、大きな町に、室内乗馬場のような乗り方教室がいくつもできました[2]。けれども、ボーンシェーカーは1869年の夏のあとに人気を失ったと書かれています。理由としては、重い、衝撃を吸う仕組みが乏しい、前輪で操作とこぎを兼ねる、といった点が挙げられます[2]。

ミショー社が広告して販売を始めたのは1867年のパリ万国博覧会のころで、1868年5月7日にオリヴィエ兄弟の出資でミショー商会(Michaux & Cie)が設立された。推定生産は、ミショー時代に数百台、ミショー商会で約1,860台、次のパリの会社で約2,940台とされる。この数は推定にすぎず、別の資料の「日産200台」説とは桁が合わないため、台数は確定できない[5]。

1867年ごろまでに、ミショー型は前輪が後輪より大きくなり、フレームとフォークが木製から鉄製へ移る型も作られた。ミショー社の鋳鉄フレームは、2枚をボルトで留める構造で、量産しやすくなったとされる[3]。

Wikipediaは、初期の熱狂を1867〜69年とし、ボーンシェーカーは1869年夏以降に人気を失ったとする。大都市には、ローラーリンクに似た屋内の乗り方教室(riding academy)があった[2]。衰えた理由としては、重い・衝撃を吸う仕組みが乏しい・前輪で操作とこぎを兼ねる、という点が挙げられるが、原因を1つに断定はしない。

6. じぶんでも たしかめて みたく なったら

6. 自分でも調べてみたくなったら

6. 自分でも調べてみたくなったら

やってみよう。おうちに 自転車が あったら、ペダルが どこに つながって いるかを 見て みましょう。ペダルは、どの 車輪しゃりんを 回して いるでしょうか。チェーンは どこを 通って いるでしょうか。さわる ときは、ゆびを はさまないように します。

きょうの 自転車には、ゴムの タイヤや、ゆれを やわらげる しかけが あります。ボーンシェーカーと くらべて、なにが かわったのか、おうちの 人と 話して みましょう。

次のようなことを、調べたり試したりできそうです。

  • 家の自転車で、ペダルがどこにつながり、チェーンがどの車輪を回しているかを見てみましょう。ボーンシェーカーとどこがちがうか、3つ探します。
  • 今の自転車のタイヤ、サドル、ブレーキが、ボーンシェーカーのどの困りごとに答えているか、考えてみましょう。
  • 発明者の説を、資料をくらべて調べる場合は、ミショーとラルマンのそれぞれの説明を読みくらべ、何が「伝えられている話」で何が「記録のある事実」かを分けてみましょう[3][4]。

確かめられることが、資料の側にも身近な自転車にもある。

  1. 家の自転車で、ペダルが前輪と後輪のどちらにつながるか、ハンドル操作とこぐ働きがどう分かれているかを観察し、ボーンシェーカーの構造と見比べる。
  2. ミショー[3]とラルマン[4]の解説、オンライン自転車博物館[5]を読み比べ、発明者・発明年の主張を、記録のあるもの(特許など)と、本人の主張や伝聞に分けて表にする。
  3. 米国特許59,915号の明細書[6](英語)で、前輪軸のクランク、踏み板、ばね付きサドルがどう書かれているかを読み、記述と、実際の機械の構造との差を考える。
  4. フランスと米国とで、流行の時期はずれていたのだろうか。地域ごとの資料を探してみる。

しらべた ところ

参考にした情報源

参考にした情報源

出典について:博物館の解説、Wikipedia、自転車史のサイト、米国特許の明細書を突き合わせて使った。発明者や年は資料で割れているため、断定せず諸説として書いた。何に使ったかは、それぞれの項目に書いている。

  1. Lane Motor Museum, Poncet Velocipede 'Boneshaker' 1869. https://www.lanemotormuseum.org/collection/bicycles/item/poncet-velocipede-1869/ (ペダルの位置、あだ名の由来、ヴェロシペードの語源、ブレーキの例)
  2. Velocipede - Wikipedia. https://en.wikipedia.org/wiki/Velocipede (ドライジーネ、あだ名の由来、重さ、流行の時期)
  3. Pierre Michaux - Wikipedia. https://en.wikipedia.org/wiki/Pierre_Michaux (発明者の諸説、鉄のフレーム)
  4. Pierre Lallement - Wikipedia. https://en.wikipedia.org/wiki/Pierre_Lallement (渡米と特許の日付)
  5. Online Bicycle Museum, 1867 Michaux Serpentine Velocipede. https://onlinebicyclemuseum.co.uk/1866-michaux-serpentine-velocipede/ (発明年の諸説、販売開始、生産台数の推定)
  6. US59915A, Improvement in velocipedes (Google Patents). https://patents.google.com/patent/US59915A/en (特許明細書の記述)

なおした ところ

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