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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

花粉かふんの つぶは、いきて いるの? スフィンクスの かけらまで ためした ブラウンさんの はなし

花粉の粒は生きているのか ── スフィンクスのかけらまで試したブラウンと、原子の証拠になった動き

ブラウン運動の発見 ── ブラウンの観察(1827)、アインシュタインの予言(1905)、ペランの実験まで

分野:自然

1827ねん、ある 学者さんが、水に うかべた 花粉かふんの なかの ちいさな つぶが、ぷるぷると 動くのを 見つけました。つぶは、いきて いるの かも しれません。

ところが、ガラスや 石の こなでも、おなじ 動きが 見られました。この 動きは、あとで 「げんしは ある」という しょうこに なります。どうして そう なったのか、わかります。

1827年、イギリスの植物学者ロバート・ブラウンは、水に浸した花粉の中の小さな粒が、ふるえるように動くのに気づきました[1]。生きものの動きかもしれない、と思ったのも無理はありません。

ところが、窓ガラスを砕いた粉や、スフィンクスのかけらでも、同じ動きをする粒が見つかります。生きものを疑った問いが、約80年後には、原子や分子が本当にあることの証拠に変わります。その道すじが分かります。

1827年、植物学者R.ブラウンは、水に浸した花粉の中の粒が動くのを見て、生命の動きではないかと疑った。ところが、窓ガラスやスフィンクスのかけらを砕いた粉でも同じ動きが見つかり、生きもの由来ではないと分かった[1]。

ブラウンは、動きの原因については推測を控えた。それを約80年後に理論で予言したのがアインシュタイン(1905)、実験で確かめたのがペラン(1908年ごろから)で、この動きは原子・分子の実在を支える証拠になった。観察から予言、検証へとつながった流れが分かる。

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1. 花粉かふんの なかで、なにが 動いて いたの?

1. 水に浮かべた花粉の中で、何が動いていたのか

1. 1827年6月 ── ブラウンが顕微鏡で見た動き

ブラウンさんは、草や 木の 花を しらべる 学者さんでした。1827ねんの 6がつ、クラーキアと いう 花の 花粉かふんを 水に つけて、顕微鏡けんびきょうで 見ました[1]。

すると、花粉かふんから 出た 小さな つぶが、ふるふると 動いて いました。水が ながれて いるのでも、かわいて いくのでも ありません。ブラウンさんは、なんども たしかめて、「つぶ そのものの 動きだ」と 考えました[1]。

花粉かふんが おどって いたのでは ありません。花粉かふんが われて 出た、もっと 小さな つぶが 動いて いました。

生きて いる から 動くのかな。ブラウンさんは、ここで 1つ ためしたく なりました。

ブラウンは、植物の花粉を調べていました。1827年6月、最初に選んだクラーキアという植物の花粉を水に浸し、1枚だけの小さなレンズの顕微鏡でのぞきます[1]。

すると、粒が動いていました。動いていたのは花粉そのものではなく、花粉が破れて出てきた、もっと小さな粒です。ブラウンはこれを「分子」と呼びました。今の化学でいう分子とは別の意味で、彼なりの呼び名です[1]。

水の流れのせいではないか。水が蒸発するせいではないか。何度も繰り返して見た末に、ブラウンは、どちらでもなく粒そのものの動きだ、と当初は結論しました[1]。では、その粒は生きているのでしょうか。

1827年6月、ブラウンは、最初の観察対象に選んだクラーキア(Clarkia pulchella)の花粉を水に浸し、数年前から手元にあった単レンズの顕微鏡で観察した。そこで粒が動くことに気づいている[1]。

動いていたのは花粉そのものではなく、破れた花粉から出た、さらに小さな球形の粒だった。ブラウンはこれを「分子(molecules)」と呼んだが、現在の化学でいう分子とは別の意味である[1]。

流体中の流れや蒸発が原因ならば、粒の動きは液体の動きに引きずられるはずである。だが、繰り返し観察した結果、ブラウンは当初、動きは流れでも蒸発でもなく粒自身に属すると結論した[1]。では、粒自身が動くのなら、それは生命の動きなのか。ブラウンはそこを確かめに向かう。

2. 死んだ 花の 花粉かふんでも、動くの?

2. 「生きているから動く」なら、枯れた標本はどうなる

2. 乾燥標本・アルコール漬けでの追試 ── 生命説の検証

もし 生きて いるから 動くのなら、かれた 花の 花粉かふんは 動かない はずです。ブラウンさんは、かわかした 花や、アルコールに つけた 花粉かふんで、ためしました[1]。

ところが、つぶは 動きました。100ねんも 前に 作った ひょうほんでも、おなじでした。ブラウンさんは、「しんだ あとも 生きて いるような 動き」に おどろきました[1]。

これは 生きものの ふしぎな ちからなのか、それとも べつの ことなのか。ブラウンさんは、もっと ひろく しらべる ことに しました。

生きているから動くのなら、死んだ花粉は動かないはずです。ブラウンは、乾かした標本や、アルコールに漬けた花粉で確かめました。

すると、やはり粒は動きます。標本室に20年以上しまわれていたものでも、少なくとも約100年前のものでも、動く粒が見つかりました。ブラウンは、死んだ後も生きているような動きに驚き、生命の動きかもしれないと考えたと書いています[1]。

本当に生命の動きなら、植物のものだけに起きるはずです。ブラウンは、植物ではないものでも試してみることにしました。

生命の動きだとすれば、死んだ組織では止まるはずである。そこでブラウンは、乾燥させた標本、標本室に20年以上保存された標本、少なくとも約100年前のもの、さらにアルコール漬けの花粉で観察を繰り返した。結果は、どれでも粒は動いた[1]。

死後の標本でも生きているような動きが残ることに、ブラウンは驚き、生命に関わる動きの可能性を考えた[1]。ただし、これは決着ではなく、次の検証の動機である。植物由来のものだけで起きる現象ならば生命説が残るが、植物由来でない物質でも起きるなら、生命説は退けられる。ブラウンは、この二者を分ける試料を探した。

3. ガラスや 石の こなでも、動くの?

3. 窓ガラスから岩まで ── スフィンクスのかけらまで試した理由

3. 無機物でも動く ── 生命説の否定

ブラウンさんは、まどガラスの かけらを くだいて、水に 入れて みました。すると、花粉かふんと おなじように、動く つぶが たくさん 見つかりました[1]。

それから、いろいろな 石、火山の はい、そらから おちて きた 石、金ぞくの こなも ためしました。エジプトの スフィンクスの かけらも、しらべた 中に 入っています[1]。

水に うく ほど 細かい こなに できれば、どれも 動く つぶが 見つかりました。でも、あぶらや、水に とける ものでは 見つかりませんでした[1]。

生きものでは ない ものでも 動く。つまり、「いきて いるから 動く」のでは ありませんでした。

ブラウンは、窓ガラスの小さなかけらを砕いて水に入れてみました。すると、花粉のときと同じように、動く粒が簡単にたくさん得られました[1]。

そこから、試す範囲は一気に広がります。いろいろな岩石、花崗岩の鉱物、溶岩、火山灰、隕石、金属。エジプトのスフィンクスのかけらも、試したものの1つに入っています。水に浮かぶほど細かい粉にできれば、どれでも動く粒が見つかりました[1]。

ただし、何でも動いたわけではありません。油や樹脂、ロウ、硫黄、水に溶ける物質では、同じ粒は得られなかったと書かれています[1]。

生きものではないものでも、同じ動きが起きる。生きものだけの動きではないと分かりました。では、動く原因は何でしょう。

ブラウンは、窓ガラスの小片を砕いて水に入れ、花粉のときと同様に動く粒が容易に多数得られることを確認した[1]。ここから、試料を無機物へと大きく広げた。各種の岩石、花崗岩を構成する鉱物、溶岩、火山灰、隕石、金属などで、水に浮くほど細かい粉にできれば動く粒が見つかっている。スフィンクスのかけらもその1つである[1]。

この結果は、動く粒が生きもの由来であるという考えと合わない。ただし、何でも動いたわけではない。油、樹脂、ロウ、硫黄、水に溶ける物質では、動く粒は得られなかったと原文にある。「何でも動く」わけではなく、「水に浮くほど細かく、溶けない固体の粒」で見られた現象である[1]。

これで、生命説は退けられた。残る問いは、では動きの原因は何か、である。

4. ブラウンさんは、りゆうを なんと 言ったの?

4. 原因をたずねられたブラウンは、何と書いたのか

4. 発表(1828)── 原因への推測を控えた報告

ブラウンさんは、見た ことを 1828ねんに ほうこく しました[1]。でも、りゆうについては「いまは なにも すいそく しません」と 書きました[1]。

見た ことを 書き、動きの りゆうは すいそく しない、と した のです。

ブラウンさんは、「この 動きを はじめて 見たのは、わたしでは ない」とも 書いて います。すこし 前の 学者さんが、もう 見て いました[1]。1780ねんだいには、ヤン・インヘンハウスさんが、アルコールに うかべた すみの こなの 動きを つたえて います。でも、あまり 知られませんでした[2]。

それでも この 動きは、ブラウンさんの 名前で よばれる ように なりました。それから 80ねんほど、動きの しくみを めぐる けんきゅうや かせつが つづきました。

ブラウンは、1827年6〜8月の観察を、1828年に報告にまとめました。題は「花粉に含まれる粒子と、有機物・無機物における活動分子の一般的存在についての顕微鏡観察の短い報告」です[1]。

注目したいのは、原因についての書き方です。「今は、この粒について、どんな推測もしない」と、はっきり控えています[1]。粒の大きさも見積もっていますが、自分でも満足できないと述べていて、およそ千分の1ミリ前後という程度の話です[1]。

もう1つ、ブラウンは、この動きを全く新しい発見とは考えていませんでした。ニーダムやグライヒェンがすでに見ていたと、自分で書いています[1]。1780年代には、インヘンハウスが、アルコールの表面に浮かべた炭の粉の不規則な動きを報告していたとも伝えられますが、あまり注目されなかったようです[2]。

それでも、この動きはブラウンの名で呼ばれるようになりました。自分が見たものと見ていないことを分けて書き、多くの物質で確かめた報告だったからでしょう。なぜブラウンの名で呼ばれるようになったのかは、ここでは説明しません。原因は、次の世代に残されました。

観察は1827年6〜8月で、報告は1828年(冊子の日付は7月30日)に、Philosophical Magazine 誌に載った。題は「花粉に含まれる粒子と、有機物・無機物における活動分子の一般的存在についての顕微鏡観察の短い報告」である[1]。

注目したいのは原因への姿勢だ。ブラウンは「これらの分子について、今は、いかなる推測もしない」と明記した。粒の直径の見積もりもあるが、自身が満足できないと述べており、資料によって分母が揺れるため、ここでは「千分の1ミリ前後」とにとどめる[1]。

ブラウン自身、この粒の動きを全く新しい発見とは考えていなかった。ニーダムやグライヒェンが以前に見ていたと書いている[1]。さらに、1780年代にインヘンハウスが、アルコール表面の炭の粉の不規則な動きを報告したとされるが、年が1784・1785で資料が分かれ、当時は注目されなかった[2]。

では、なぜこの現象にブラウンの名が付いたのか。この点を直接述べた資料は今回は確認していない。少なくとも、観察を広い物質に及ぼし、原因については言わなかったことが、後の理論の余地を残したとは言える。

5. 80ねん あと、べつの ぎもんから、おなじ 動きが 出て きた

5. 約80年後、別の問いが同じ動きにたどりついた

5. アインシュタインの予言(1905)と、その限界

1905ねん、ドイツ ごで ろんぶんを 書いて いた アインシュタインさんは、ブラウンさんの 動きを しらべようとは して いませんでした。

「ねつは、ぶんしの 動きだ」と いう 考えから、「目に 見える 大きさの つぶなら、水の 中で ふるえて 見えるはずだ」と 考えたのです。そして、「これは ブラウンさんの 動きと おなじかも しれない。でも、わたしの 知って いる ことは くわしく ないので、きめられない」と 書きました[3]。

わからない ことを わからない と 書いた ところから、はなしが つながって いきます。

つぎの もんだいは、その 予言が ただしいか、だれが どう たしかめたのか です。

1905年、アインシュタインは論文の中で、熱は分子の動きだという考え(熱の分子運動論)から、顕微鏡で見えるほどの粒が、液体の中で熱の影響で動いて見えるはずだと予言しました[3]。

注目したいのは、その書き方です。この動きが、ブラウンの観察した動きと同じかもしれない。ただし、ブラウン運動について手元にある情報はあまりに不正確で、判断できない。そう断っています[3]。つまり、ブラウン運動を説明しようとして理論を作ったのではなく、予言が先で、同じだと分かったのは後です。

予言の中心は、粒のふれ幅の目安が、時間の平方根に比例して増えるという関係でした[4]。時間が4倍になれば、ふれ幅の目安は約2倍になります。論文は同じ1905年に、物理学の雑誌 Annalen der Physik に載ったと伝えられています[4]。

実は、ギュイという人は1888年ごろから、動きの大きさが粒の大きさと温度でほぼ決まることを実験で示し、分子の動きの表れだと考えていました。ただ、数式の理論は作りませんでした。スモルコフスキも1906年に、ほぼ同じ式を別に導いたとされます[6]。これらは二次資料による話です。

予言は出ました。あとは、誰かが粒の動きを測って、この「時間の平方根」が本当かどうか確かめるだけです。

理論は、観察とは別の問いから出てきた。1905年、アインシュタインは、熱の分子運動論から、顕微鏡で見える大きさの粒は、液体中で熱運動の結果として動くはずだと予言した。論文では、この動きがブラウン運動と同一かもしれないが、手元の情報は不正確で判断できない、と断っている[3]。ブラウン運動を説明するために作った理論ではない点が重要だ。なお、この引用は英訳を介しており、ドイツ語原文との照合はしていない。

予言の中心は、粒の平均二乗変位が時間に比例すること、言いかえればふれ幅の目安が時間の平方根に比例することだった。時間が4倍でふれ幅は約2倍になる。論文は1905年5月11日受理、7月18日に Annalen der Physik 17巻に掲載された[4](受理日・掲載日は二次資料による)。

一方、ギュイは1888年以降、動きの大きさが粒の大きさと温度にほぼ左右されることを示し、分子運動の表れと考えたが、数式による理論は作らなかった。スモルコフスキも1906年に、ほぼ同じ式を独立に導いたとされる[6]。理論の種は、同じ時期に複数の場所にあった。

ただし、予言は予言にすぎない。時間の平方根という関係が現実の粒で成り立つかどうかを、粒の位置を測って確かめなくてはならない。

6. 「つぶの 動き」が、どうして げんしの しょうこに なったの?

6. ペランの実験 ── 粒の動きから原子の数を数える

6. ペランの実験(1908年ごろ〜)と、原子・分子の実在

たしかめたのは、フランスの ペランさんです。ペランさんは、大きさが そろった つぶを、ねん月を かけて 作りました。1キログラムの 木の じゅしから、ほんの すこしだけ 取れた そうです[5]。

その つぶの いちを、ときどき 書きとめて いくと、ふれはばは、アインシュタインさんの 予言の とおりに ふえて いきました[5]。

さらに ペランさんは、ちがう やり方を 3つ 使って、ものの 中の 「ぶんしの かず」を もとめました。どれも 近い 数に なりました。ちがう 道から 同じ 答えが 出る。それは、ぶんしが ほんとうに ある しょうこに なります[5]。

ペランさんは 1926ねんに ノーベルしょうを もらいました。こうえんで「20ねん 前には うたがわれて いた ぶんしや げんしが ほんとうに ある ことは、いまでは みとめられる」と のべました[5]。

アインシュタインさんは、ペランさんに「こんなに せいみつに しらべられるとは 思わなかった」と 書いたと つたえられます[7]。手紙そのものは、たしかめられて いません。

確かめたのは、フランスのジャン・ペランです。彼は、樹脂の粒を丁寧に選り分けて、大きさのそろった粒を作りました。1キログラムの樹脂から、何か月も毎日作業して、ほんの少ししか取れなかったと講演で述べています[5]。

そのそろった粒の位置を一定の時間ごとに記録すると、ふれ幅が時間の平方根で増えることが確かめられました[5]。

ペランは、さらに3つの別の方法で、1グラム分子あたりの分子の数(アボガドロ数にあたる数)を求めました。講演で挙げた値は、6.8×10の23乗、6.2×10の23乗、6.0×10の23乗です。今使われている値は約6.02×10の23乗なので、異なる方法で、かなり近い数になっています[5]。

ペランは1926年、物質の不連続構造に関する研究でノーベル物理学賞を受けました。講演では、20年前は疑われていた分子と原子の客観的な実在が、今日では原理として受け入れられる、と述べています[5]。

アインシュタインはペランへの手紙に、ブラウン運動をこれほど精密に調べられるとは思わなかったと書いたと伝えられます[7]。ただし、手紙の原文は確かめていません。

花粉の中の粒を見て、生きているのかと疑う。ガラスの粉でも動くと確かめる。80年ほどかけて、その動きは、目に見えない分子の動きを映す証拠にもなりました。

予言を検証したのがペランだった。ペランは共同研究者とともに、ガンボージ(樹脂)の粒を丁寧に選り分けて大きさのそろった乳濁液を作った。直径は約0.75マイクロメートル(約1000分の0.75ミリ)で、1キログラムの樹脂から、数か月の毎日の作業を経て数デシグラムの分画を得たと、ノーベル賞講演で述べている[5]。

この粒の位置を一定時間ごとに記録し、ふれ幅が時間の平方根で増えることを確かめた[5]。実験の開始年(1908〜09年ごろ)は二次資料による。

さらにペランは、異なる3つの方法で、1グラム分子あたりの分子数(アボガドロ数に相当)を求めた。講演で挙げた値は、気体に似た乳濁液の分布から68×10の22乗、液体に似た乳濁液の分布から62×10の22乗、濃い乳濁液のゆらぎから60×10の22乗(つまり6.8、6.2、6.0×10の23乗)。現在の値は約6.02×10の23乗なので、異なる方法の結果が近い数に集まっている[5]。ただし、3つ目の方法名は、検索抜粋に基づく。

ペランは1926年にノーベル物理学賞を受賞した。受賞理由は「物質の不連続構造に関する研究」とされる。講演で、20年前には疑われていた分子・原子の客観的な実在が、今日では原理として受け入れられると述べた[5]。

アインシュタインがペランに宛てた手紙で、ブラウン運動をこれほど精密に調べられるとは思わなかったと書いたと伝えられるが、手紙の原文は未確認で、伝聞にとどまる[7]。

生命を疑った1827年の問いは、80年ほどをへて、原子の実在を支える証拠の1つになった。ブラウンが原因を語らなかったことが、後の世代の問いを残した、という見方もできる。

7. じぶんで しらべて みたく なったら

7. 自分でも調べてみたくなったら

7. 資料案内と、ふれ幅の実験

コインを 1まい 用意して、ノートに 1本の 線を ひきます。まんなかに、点を 1つ うちます。

コインを なげて、おもてなら 右に 1ます、うらなら 左に 1ます すすみます。25回 なげた 所と、100回 なげた 所を くらべて みましょう。

1回では ばらばらなので、なんども くりかえして、まんなかからの きょりを へいきんして くらべます。100回の ほうが、25回の ときの 2ばいぐらいに なって いくはずです。これは 本物の ブラウン運動では ありませんが、「時間が 4ばいに なると、ふれはばは 2ばい」という かんけいを まねして います。

ブラウンさんは、動きの りゆうを すいそく しない ことに しました。あなたなら、ふしぎな 動きを 見たとき、なにを しらべますか。

ふれ幅が時間の平方根で増えるという関係は、コインを使って、紙の上で確かめられます。紙に1本の線を引き、真ん中に点を打ちます。

コインを投げて、表なら右に1マス、裏なら左に1マス進みます。25回投げた位置と、100回投げた位置の、真ん中からの距離を記録しましょう。1回では大きくばらつくので、何度も繰り返して、距離の平均を比べてください。100回のほうが、25回のときの約2倍に近づくはずです。

これは本物のブラウン運動ではなく、「ふれ幅が時間の平方根で増える」関係のまねです。粒が実際にどう動いているかは、この記事の範囲では扱っていません。

もう1つ、家にある小麦粉を、ほんの少し透明なコップの水に入れて、じっと眺めてみましょう。粉が舞い上がり、ゆっくり沈んでいきます。ただし、見えている動きは水の流れなどによるもので、ブラウン運動ではありません。ブラウン運動は粒がとても小さく、顕微鏡がないと見えません。見えないものを、動きの目安から考える。ペランたちが挑んだのは、そういう仕事でした。

ふれ幅が時間の平方根で増える関係は、コインでまねられる。真ん中に点を打ち、表なら右へ1マス、裏なら左へ1マス進む。25回後と100回後の、原点からの距離を記録する。1回ごとのばらつきが大きいので、何度も繰り返し、距離の平均を比べる。100回のほうが、25回の約2倍に近づくはずだ。これは、時間が4倍になるとふれ幅が2倍になるという関係を、離散的なランダムな歩みでまねたもので、ブラウン運動そのものではない。

原典は、ブラウンの1828年の報告(英語、PDFが公開されている)と、ペランのノーベル賞講演(英語)にあたれる[1][5]。ブラウンの報告はOCRの崩れがあり、数値は二次資料との突き合わせが必要だった。アインシュタイン論文は、英訳と原文の版を照合できていないので、引用は二次資料の訳による。

この記事で触れたギュイとスモルコフスキは、二次資料での確認にとどまる[6]。この二人の仕事を一次資料で読んで、アインシュタインの理論と何が同じで何が違うのかを調べると、予言が「誰のものか」という問いが、より具体的になる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

出典について:ブラウンの1828年の報告とペランのノーベル賞講演は原文にあたった。アインシュタインの論文とギュイ・スモルコフスキ、インヘンハウスは二次資料による。コインの実験は筆者が考えた、ふれ幅の関係のまねである。

  1. R. Brown, "A brief account of microscopical observations made in the months of June, July and August 1827 ...," Philosophical Magazine 4, 161-173 (1828). https://www.rpgroup.caltech.edu/marseillePBoC2024/assets/pdfs/Brown1828.pdf (観察の内容、試した物質、原因への姿勢、先行する観察者について)
  2. APS News, Physics History(ブラウン運動とインヘンハウスの記述)。 https://aps.org/publications/apsnews/201608/physicshistory.cfm (1780年代のインヘンハウスの観察について。アインシュタインの年は誤記があり使っていない)
  3. アインシュタイン1905年論文の引用を含む資料(arXiv physics/0701240)。 https://arxiv.org/pdf/physics/0701240 (同じ動きかどうか判断できないと書いた点について。英訳による引用)
  4. arXiv cond-mat/0502053(平均二乗変位と時間の関係の解説)。 https://arxiv.org/pdf/cond-mat/0502053 (予言の中心と掲載の時期について。受理日・掲載日は二次資料の記述)
  5. Jean Perrin, Nobel Lecture, 1926. https://www.mit.edu/~kardar/research/seminars/motility/PerrinNobelLecture.html (ペランの実験の手順、3つの方法の数値、分子の実在についての言葉)
  6. arXiv 2211.14190(ブラウン運動の歴史についての論文)。 https://arxiv.org/pdf/2211.14190 (ギュイの実験とスモルコフスキの式について。二次資料)
  7. arXiv cond-mat/0504610(ペランの実験とアインシュタインの手紙の言及を含む資料)。 https://arxiv.org/pdf/cond-mat/0504610 (アインシュタインの手紙について。原文は未確認で、伝聞として扱う)

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