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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

フライドポテトは、どこの くにで うまれたの?

フライドポテトの生まれ故郷はどこか ── ベルギー説とパリの街角説

フライドポテトの起源をめぐる二つの説 ── ミューズ川の伝承(1781年の手稿)とパリの屋台説

分野:歴史・文化

フライドポテトは、えいごで「フレンチ・フライ」と いいます。フレンチは、フランスの ことです。ところが、ベルギーの ひとたちは「これは うちの くにの たべものだ」と、むねを はって います。

どちらが ほんとうなのでしょう。ベルギーの むかしばなしには、ふしぎな ところが あります。しらべてみると、パリの まちかどの おはなしが みえて きます。この きじで、ふたつの せつの ちがいが わかります。

フライドポテトは、英語で「フレンチ・フライ」と呼ばれます。フレンチはフランスのことですが、ベルギーは、揚げ物の屋台の文化を、自分の国の大切な文化として守っています。

ベルギー説の元になった昔話には、ジャガイモがヨーロッパのこの地域に来るより前の話になってしまう、という弱点があります。しかも、そう指摘しているのはベルギーの食の歴史家です。この記事では、二つの説がどこで食い違うのか、パリの街角で何が起きたとされているのかが分かります。

フライドポテトは英語で「French fries」と呼ばれるが、ベルギーは揚げ物屋台の文化を自国の文化として認めている[8]。ベルギー説の根拠とされる「凍ったミューズ川」の話は、ジャガイモの伝来時期とずれるとして、ベルギーの食の歴史家ピエール・ルクレルクが疑いを示している[1]。

では、棒状のジャガイモを油で揚げる料理は、どこで、いつ生まれたのか。この記事では、複数の二次資料を突き合わせ、二つの説の食い違いと、パリ発祥説の年代に幅があることが分かる。原典(手稿・原著)は参照できていない。

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1. ベルギーの フライドポテトやさんは、「まもりたい ぶんか」

1. 揚げ物の屋台が「守りたい文化」になったベルギー

1. ベルギーの主張 ── 揚げ物屋台(フリットコット)文化の認定

ベルギーの まちには、フリットコットと いう、フライドポテトを うる ちいさな おみせが、あちこちに あります。

こういう おみせが たくさん ある くらしそのものが、「まもって いきたい たいせつな ぶんか」だと、ベルギーの ちいきごとに みとめられました。こういう ぶんかを「むけいぶんかいさん」と いいます。2014ねんに フランデレンと いう ちいきが、2016ねんに フランスごの ちいきが みとめました[8]。

ただし、これは ユネスコ(せかいじゅうの ぶんかを まもる きかん)の せかいいさんでは ありません。ベルギーの なかで きめた ものです。

ベルギーには、フリットコットと呼ばれる、フライドポテトなどを売る小さな屋台や小屋が、町のあちこちにあります。

こうした屋台がある食文化そのものが、ベルギーで「無形文化遺産(形のない文化財)」として認められました。国の中の地域ごとの政府が、「守っていきたい大切な文化」と決めた、という意味です。2014年にフランデレン共同体が最初に認め、2016年にフランス語共同体が続いたと報じられています[8]。ただし、ユネスコの世界遺産ではありません。ユネスコへの正式な申請も、この報道の時点では行われていないそうです。つまり「ユネスコ登録」ではなく、ベルギー国内の認定です。

それほど大切にされている食べものが、なぜ「フレンチ」なのでしょう。

ベルギーでは、フリットコット(frietkot、揚げ物の屋台・小屋)の文化、つまり屋台が各地にある食文化そのものが、国内の地域政府によって無形文化遺産として認定されている。2014年にフランデレン共同体、2016年にフランス語共同体が認め、2017年にドイツ語共同体とブリュッセル首都圏も続いた[8]。

この認定はベルギー国内の制度上のもので、UNESCOへの正式な申請は、参照した記事の時点では行われていない。「UNESCO登録」と書くと誤りになる。各共同体の認定文書の原文は確認していない。

2. ベルギーの むかしばなしは、どんな はなし?

2. 凍った川と、魚の形のジャガイモ

2. ミューズ川の伝承 ── ジェラールが語った「小魚の代わり」

ベルギーの むかしばなしは、こう つたわって います。

ミューズがわの ちかくの ひとたちは、ちいさな さかなを あぶらで あげて たべて いました。ところが ふゆに かわが こおって、さかなが とれません。そこで、ジャガイモを さかなの かたちに きって、あげて みたのだと いいます[9]。

ベルギーの れきしか、ジョ・ジェラールが かたった おはなしです。ただし ほんとうの できごとだと、きまった わけでは ありません。むかしから つたわる はなし、と いう ことです。

ベルギー説の元の話は、こう伝えられています。

ミューズ川沿いのナミュール、アンデンヌ、ディナンの人々は、川でとった小魚を油で揚げて食べていました。冬に川が凍って漁ができないとき、ジャガイモを小魚の形に切って揚げたというのです。ベルギーの歴史家ジョ・ジェラールが語った話で、1680年ごろのこととされ、1781年の家族の手稿にもとづくとされます[9]。

ただし、これは紹介ページの内容です。史実というより、伝承として読むのが安全です。

ベルギー説の元になった話は、次のように紹介される。ミューズ川(フランス語Meuse)沿いのナミュール、アンデンヌ、ディナンの人々は小魚を油で揚げる習慣があり、川が凍って漁ができないとき、ジャガイモを小魚の形に切って揚げた。時期は1680年ごろとされ、1781年の家族の手稿にもとづくとされる。語り手はベルギーの歴史家ジョ・ジェラールである[9]。

この紹介は二次的な記述で、ジェラールの原著は1984年とされる[3]。史実とは断定せず、伝承として扱う。

3. この はなしの、どこが ふしぎなの?

3. 話の中の年代が合わない

3. 伝承への疑問 ── 1735年ごろの伝来と「読み違い」

この はなしには、ふしぎな ところが あります。はなしの じだいは 1680ねんごろです。でも、この ちいきに ジャガイモが はいったのは、1735ねんごろと いわれます[1]。

ジャガイモが まだ ないのに、ジャガイモを あげる はなしに なって しまいます。ひきざんを すると 50ねん いじょうの ずれです。

これを いったのは、ベルギーの しょくの れきしか、ピエール・ルクレルク です。ジェラールの はなしは、1781ねんの てがきの ものを よみちがえた ものだと いって います[1]。

この昔話には、年代の問題があります。話の舞台は1680年ごろですが、ジャガイモがこの地域に入ったのは1735年ごろとされます[1]。話の時代のほうが、50年以上早いことになります(1735−1680=55)。

食の歴史家ピエール・ルクレルクは、この話は1781年の手稿の「根本的な読み違い」から来た、と述べています[1]。揚げ油は高価で、農民が日常的に使うものではなかったともいいます。

ルクレルクは、ジェラールが引く18世紀の文献の「ジャガイモを揚げる」は、少しの脂で焼き色をつけた薄切りのことで、棒状のものを油に浸して揚げる今のフライドポテトとは別物だ、とも説明しています[3]。ベルギーの人が、ベルギー説を疑っているところが、この話のおもしろい点です。

この伝承には年代上の問題がある。舞台は1680年ごろだが、この地域にジャガイモが入ったのは1735年ごろとされ、55年ほどの差がある[1][2]。食の歴史家ルクレルクは、この話を1781年の手稿の「根本的な読み違い」から生じたものと述べる[1]。1735年ごろは「とされる」時期で、手稿の年(1781)とは別の話である。

ルクレルクはさらに、ジェラールが引く18世紀の文献が指すのは、少量の脂で焼き色をつけた薄切りで、棒状のジャガイモを油に浸して揚げる現在のフライドポテトとは根本的に異なる、と述べる[3]。英語版Wikipediaも、この話の歴史的価値には疑問があるとまとめる[2]。原著・手稿は未確認で、ルクレルクの説は二次資料経由である。

4. パリの まちかどで、なにが おきたの?

4. パリの街角で生まれたという説

4. ルクレルクのパリ説 ── 屋台・紙の円すい・年代の幅

ルクレルクは、こう かんがえて います。ぼうの かたちの ジャガイモを あぶらで あげる りょうりは、パリの まちで うまれた、と いう せつです[1]。

パリの ポン・ヌフと いう はしの ちかくで、やたいの ひとたちが うって いたと いわれます[3]。かみで つくった えんすいの ふくろに いれて、あるきながら たべられました[1]。

いつごろ かは、しりょうに よって ちがいます。1790ねんだいから 1820ねんだい、1850ねんごろと、はばが あります。だから「せつ」と かきます[1][4]。

ルクレルクの説では、棒状のジャガイモを油で揚げる現在のフライドポテトは、パリの街で生まれました。パリの街角の屋台の工夫で、紙の円すいに入れて売られたといいます[1]。19世紀のパリの庶民、労働者や大道芸人と結びついた食べものだったそうです[3]。

いつごろかは、資料で言い方が違います。ルクレルクの説の紹介では、早ければ1790年代、遅くとも1820年代までとされます[1]。フランスの科学サイトは、パリの古文書が1780年代のポン・ヌフでの販売を示すと書きますが、棒状か薄切りかは説明していません[5]。ベルギーの新聞は、ルクレルクが、料理本に現れるのは1850年ごろ少しあとで、最初は少ない脂で焼いた輪切りだったと述べたと伝えています[4]。

年代は一つに決められません。パリ発祥は有力な説の一つで、定説とまでは書けないようです。

パリ発祥は、ルクレルクの説である。現代型のフライドポテト(棒状のジャガイモを油で揚げたもの)は、早ければ1790年代、遅くとも1820年代までにパリの街で生まれ、紙の円すいに入れて売られたとされる[1]。一方、Sortiraparisの紹介はポン・ヌフでの誕生を18世紀とし、成立時期は資料間で一致しない。屋台商人の工夫で、庶民・労働者・大道芸人の食べものだったという[3]。

年代は資料により幅がある。Futura-Sciencesは、パリの古文書が1780年代のポン・ヌフでの販売を示すと述べるが、形の説明はなく、現代型とは言い切れない[5]。La Libreは、ルクレルクが料理本への登場を1850年ごろ少しあととし、最初は少量の脂で揚げた輪切りだったと述べたと伝える[4]。1780年代〜1850年ごろの幅があり、一つに断定できない。パリ発祥は有力な説の一つとして扱う。

5. パリから ベルギーへは、だれが もって いったの?

5. パリの揚げ方をベルギーへ持ち込んだ楽士

5. フレデリック・クリーガーの逸話 ── 1842年の修業と1844年の開業

パリの あげかたが ベルギーに ひろまった きっかけの ひとつとして、ある ひとの はなしが つたわって います。

ドイツの バイエルンから きた、がくしで やたいの ひと、フレデリック・クリーガーです。1842ねんに パリの おみせで、ジャガイモを あげる わざを ならった と いいます。1844ねんごろ、ベルギーで しごとを はじめました[2]。

おまつりの ひろばに、ぬのを はった やたいを だして、「パリふうの あげジャガイモ」を うった そうです[4]。

パリの揚げ方がベルギーに広まったきっかけとして、ある人物の話が伝えられています。バイエルン出身の楽士で屋台商人のフレデリック・クリーガーです。

クリーガーは1842年にパリのロースト料理店でジャガイモを揚げる技を学び、1844年ごろベルギーで商売を始めた、とされます[2]。会社「フリッツ」を作り、市や縁日に布張りの屋台を出して「パリ風の揚げジャガイモ」を売ったそうです[4]。

これらの年は二次資料の記述です。もしこの話が正しければ、ベルギーが取り入れて育てた料理、ということになります。ルクレルクも、ベルギー的なのは「採用した」ことだ、と結論づけていると紹介されています[4]。

バイエルン出身の楽士で屋台商人のフレデリック・クリーガーは、1842年にパリのロースト料理店でジャガイモを揚げる技を学び、1844年ごろベルギーで事業を始めたとされる[2]。会社「フリッツ」を興し、市や縁日で布張りの屋台から「パリ風の揚げジャガイモ」を売ったという[4]。

この年代は二次資料の記述にとどまる。La Libreによれば、ルクレルクは、フライドポテトはパリの街で生まれた「職業の品」で、ベルギー的なのは採用しただけだ、と結論づけている[4]。

6. 「フレンチ」の なまえは、どこから きたの?

6. 名前とアメリカの話 ── ジェファーソンは広めたのか

6. 名称の初出とジェファーソン伝説の検証

「フレンチ・フライド・ポテト」という ことばが、えいごの ほんに でて くる さいしょの れいは、1856ねんの りょうりの ほんです。みじかい「フレンチ・フライ」は、ワールド・ワイド・ワーズと いう しりょうに よると、1902ねんが さいしょの れいと されます[6]。

ただし、「いちばん さいしょに かかれた」のと「いちばん さいしょに つかわれた」のとは、おなじでは ありません。

アメリカの だいとうりょう ジェファーソンが ひろめた、と いう はなしも あります。でも、かれの メモに あるのは まるい うすぎりで、ぼうの かたちでは ありませんでした[1]。ひろめた しょうこも ないと いわれます。

「French fried potatoes」が英語の印刷物に最初に出たのは、1856年のエリザ・ウォーレンの料理本です。World Wide Wordsによれば、短い「French fries」の最初の明らかな例は1902年とされます[6]。印刷物で確かめられる範囲の話で、実際に使われはじめた時期はもっと前かもしれません。

アメリカでは、第3代大統領ジェファーソンが広めた、という話も聞きます。しかし、ジェファーソンの書き付けにある「揚げたジャガイモ」は、棒状ではなく丸い薄切りでした[1]。米国に広めたという証拠はなく、金持ちの家の料理にとどまったとルクレルクは言います。

1802年の夕食にフライドポテトが出た、という通説も、同時代の牧師の日記と合わないと指摘されています[7]。早い米国の文献は、1824年の料理本にある「薄切りのジャガイモを揚げる」だそうです。名前の由来には、ほかにも広く語られる話がありますが、民間語源とされています[6]。

「French fried potatoes」の印刷物での最初の例は1856年、エリザ・ウォーレンの料理本『Cookery for Maids of All Work』で、World Wide Wordsによれば短い「French fries」の最初の明らかな例は1902年とされる[6]。最初の記録は最初の使用と同じではないので、「印刷物で確かめられる範囲では」と限定する。名前の由来として広く語られる別の説は、民間語源とされる[6]。

米国では、ジェファーソンの書き付けに「生のままの薄切りのジャガイモを揚げる」(Pommes de terre frites à cru, en petites tranches)とあるが、形は丸い薄切りで棒状ではない。米国に広めた証拠はなく、金持ちの家の料理にとどまったとルクレルクは述べる[1]。1802年2月6日の夕食を記したマナセ・カトラー牧師の日記には揚げ卵と揚げ牛肉が出るが揚げジャガイモは出ない[7]。米国の早い文献はメアリー・ランドルフの『The Virginia House-Wife』(1824年)の「薄切りのジャガイモを揚げる」とされる。日記の原典は確認していない。

じぶんでも しらべて みたく なったら

自分でも調べてみたくなったら

自分でも調べてみたくなったら

いえで できること

おうちや おみせの ポテトの かたちを みて みましょう。ぼうの かたち、まるい かたち、くしの かたちなど、いろいろ あります。どの かたちが すきか、おうちの ひとと はなして みましょう。

でかけて できること

ファストフードの おみせで、ポテトが はいって いる かみの ふくろを みて みましょう。むかしの パリでは、かみの えんすいに いれて うって いたと いわれます。

こうしきの 情報じょうほう

としょかんで、たべものの れきしの ほんを さがして みましょう。あげものや ジャガイモの はなしが のって いることが あります。

家でできること

家で食べるポテトや、お店の冷凍食品の形を見比べてください。棒状のほか、輪切りや、くし形などがあります。それぞれの形が、今回の話の「棒状」「薄切り」のどれに近いか、考えてみます。

出かけてできること

ハンバーガー店などのポテトの入れ物を、じっくり見てみてください。紙の袋や紙の容器が使われていることに気づくかもしれません。昔のパリの紙の円すいと比べると、想像が広がります。

公式情報

図書館の食文化・料理の歴史の本には、揚げ物の歴史が載っていることがあります。ジャガイモの伝わり方は、このサイトの「ジャガイモの歴史」のメモも参考になります。

家でできること

身近なポテト製品(棒状・輪切り・くし形)の形を比べ、資料が「棒状か薄切りか」を区別していた理由を考えてみる。形の違いが、調理の仕方(油の量)の違いとどう結びつくかを想像するとよい。

出かけてできること

ファストフード店のポテトの容器を観察し、紙の円すいで売られたという説明と比べる。

公式情報

図書館で日本語の食文化・料理史の本を探し、揚げ物やジャガイモの歴史がどう書かれているかを、この記事の資料と見比べてみるとよい。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

今回は、複数の二次資料(解説記事・報道・辞書的な解説)を突き合わせた。ルクレルクの説はすべて二次資料経由で、原著・原論文は未確認。年代には資料により幅がある。

  1. History.com「French fries origin」 https://www.history.com/articles/french-fries-origin (ジャガイモ伝来年・ルクレルクの説・ジェファーソン)
  2. French fries(Wikipedia英語版) https://en.wikipedia.org/wiki/French_fries (伝承への疑問・クリーガーの逸話)
  3. Sortiraparis「French fries are French, and a Belgian historian is making the claim」 https://www.sortiraparis.com/en/what-to-visit-in-paris/history-heritage/articles/323227-french-fries-are-french-and-a-belgian-historian-is-making-the-claim (薄切りと棒状の違い・パリの屋台)
  4. La Libre「La frite est-elle vraiment un produit belge?」 https://www.lalibre.be/lifestyle/food/2018/08/01/la-frite-est-elle-vraiment-un-produit-belge-XZYRSNQWGJCYDNDBKMVHGY7YY4/ (料理本・クリーガー・ルクレルクの結論)
  5. Futura-Sciences「Les frites n'ont pas l'origine que tout le monde croit」 https://www.futura-sciences.com/sante/questions-reponses/gastronomie-frites-nont-pas-origine-tout-monde-croit-23321/ (1780年代のポン・ヌフ)
  6. World Wide Words「French fries」 https://worldwidewords.org/qa-fre2.html (名前の初出・民間語源)
  7. All Things Liberty「Thomas Jefferson, Life, Liberty, and French Fries」 https://allthingsliberty.com/2019/09/thomas-jefferson-life-liberty-and-french-fries/ (1802年の夕食・1824年の料理本)
  8. Belga News Agency「Is the frietkot culture too Belgian to be recognised as UNESCO World Heritage?」 https://belganewsagency.eu/is-the-frietkot-culture-too-belgian-to-be-recognised-as-unesco-world-heritage (フリットコット文化の認定)
  9. Fries(my-culture.webnode.be) https://my-culture.webnode.be/fries (ミューズ川の伝承の紹介)

なおした ところ

更新履歴

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