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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

むかしの 人は、どんな ところで ねて いたの?

ベッドは新しいものではない? ── 奈良時代の寝台から、綿布団と現代のベッドへ

布団とベッドの歴史 ── 正倉院の御床畳から昭和のベッド普及まで、資料でたどる寝具の変遷

分野:歴史・文化

「ベッドは、外国から 来た あたらしい もの」と 思って いませんか。ところが、1200年 いじょう まえの 日本にも、ベッドの 上に 畳たたみを しいて ねた てんのうが いたと みられて います。

この 記事では、ねどこが どう かわって きたのかを、畳たたみ、布団ふとん、ベッドの じゅんに 見て いきます。

ベッドは西洋から入ってきた新しいもの、と思っていませんか。奈良時代の聖武天皇が、ベッドの上に畳を敷いて使ったとみられる品が、いまも正倉院に伝わっています[1]。

台の上に畳を敷く寝床から、綿を詰めた布団、そして洋式のベッドへ。日本の寝具がどう移り変わってきたのかを、資料の幅もふくめて見ていきます。

聖武天皇がベッド(寝台)の上に敷いて使ったとみられる「御床畳」が、正倉院に伝わっている。756年に光明皇后が、亡き天皇の愛用品を東大寺に納めたなかの一つとされる[1]。

ベッドは西洋の新しい道具、布団は日本古来の寝具、という単純な図式は成り立たない。古代の敷物から江戸の綿布団、大正末期の洋式寝具メーカー、昭和のベッド普及まで、複数の資料を突き合わせ、時期に幅のある点は幅のまま整理する。

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1. てんのうの ねどこは、どんな ものだった?

1. 奈良時代の寝台(台の形をした寝床)に敷かれた畳

1. 御床畳 ── 756年に東大寺へ納められた天皇の寝具

756年、こうみょうこうごうは、なくなった しょうむてんのうが 大切に して いた 品物を、東大寺とうだいじに おさめました。その 中に、ベッドの 上に しいて つかったと みられる 「ごしょうのたたみ」が ありました。いまも 正倉院しょうそういんに つたわって います[1]。

この たたみを 調べた けっかが、2025年に 発表されました。中には マコモと いう 草の 葉が 入って いて、おもては い草を とても こまかく おった むしろでした。つなぎ目の 作り方には、今にも つたわる ぎじゅつが 見られたと つたえられて います[2]。

ベッドのような 台の 上に、たたみを しいた ねどこです。

756年、光明皇后は、亡くなった聖武天皇の愛用品などを東大寺に納めました。その宝物の一つに、天皇がベッドの上に敷いて使ったとみられる「御床畳」があり、いまも正倉院に伝わっています[1]。

宮内庁正倉院事務所の調査結果は、2025年4月の『正倉院紀要』第48号で報告されました。芯にはマコモの葉が使われ、表は、い草をとても高い密度で織った筵でした。つなぎ目の加工には、現代にも受け継がれている技術が見られたと伝えられています[2]。

台の上に畳を敷いて寝る。畳のうえに直接寝ることの多いイメージとは少しちがう、ベッドと畳が組み合わさった寝床です。ただし、これが日本で最も古い畳かどうかは、今回見た資料では言い切れません。

正倉院には、聖武天皇がベッド(寝台)の上に敷いて使ったとみられる「御床畳」が伝わる。756年6月21日、七七忌にあたって光明皇后が天皇の遺愛品などを東大寺の大仏に奉献した宝物の一つとされる[1]。

宮内庁正倉院事務所は2024年度から御床畳を調査し、結果を2025年4月22日の『正倉院紀要』第48号で報告した。報道によれば、芯にはマコモの葉、表面にはい草を極めて高い密度で織った筵が使われ、つなぎ目の加工には現代に受け継がれる技術が見られたと伝えられる[2]。

「最古の畳」とする表現は、確認した資料では裏づけられなかったので使わない。

2. むかしは、なにを しいて、なにを かけて いた?

2. 敷く「むしろ」、掛ける「衾」、寝床を囲う「帳台」 ── 古代から平安の寝具のことば

2. むしろ・衾・帳台 ── 敷くもの、掛けるもの、寝床を囲う帳台

古い 時代の 日本では、下に しく ものを 「むしろ」、上から かける ものを 「ふすま」と よびました[3]。むしろは、草や わらを あんで 作った しきものです。

平安へいあん時代の、とても 高い 身分の 貴族きぞくは、ぬので かこんだ 「ちょうだい」の 中に 畳たたみを しいて ねて いました。ぬので かこんだ 大きな テントの ような ものです。ただし 本当は あそぶ ための ものでは なく、えらい 人の ねどこでした[3]。

古代の日本では、敷布団にあたるものが「むしろ」、掛け布団にあたるものが「衾」と呼ばれていました。むしろは、かやや藁、蒲などを編んだ敷物です[3]。

平安時代の高位の貴族は、布で囲った寝床(出典の表記は「御帳」。ここでは「帳台」と呼びます)の中に畳を敷いて使っていました。布で囲んだテントのようなものですが、遊び場ではなく、身分の高い人のための寝床でした[3]。

古代の敷布団に相当するものは「むしろ」、掛け布団に当たるものは「衾」と呼ばれた。むしろは、かや・藁・蒲などを編んだ敷物である[3]。

平安時代の高位の貴族は、布で囲った寝床(出典の表記は「御帳」。ここでは「帳台」と呼ぶ)の中に畳を敷いて使っていたとされる[3]。畳は、敷物から高位の人の寝床へと使われ方を広げていったことになる。ただし、この記述は寝具業者系の解説と検索要約が中心で、原典までは確かめていない。

3. ふとんの わたは、どこから 来た?

3. 木綿が広がり、麻から木綿へ

3. 16世紀の木綿栽培と、江戸時代の「麻から木綿へ」

いまの ふとんに 使う わたは、木めんから とれます。日本で 木めんを 作りはじめたのは、1500年代と いわれます。せんごくじだいの うちに、東北を のぞく ほとんど 全国に 広まったと されます[4]。

はじめは、ふとんの ためでは ありません。さいしょの 使いみちは、服や 船の ほなどでした[4]。

江戸時代えどじだいに なると、ふつうの 人の 服は、あさから もめんに かわって いきました。もめんは じょうぶで、はだざわりが よく、水を すいやすく、色も つけやすい ためです。しかも きぬより 安く、布団ふとんにも 使われました[5]。

日本での木綿の栽培は16世紀に始まり、戦国時代のうちに東北地方を除くほぼ全国へ広がったとされます。最初の主な用途は、兵の衣や帆布などでした[4]。布団のための素材として広がったわけではありません。

江戸時代になると、庶民の衣料は麻から木綿へと大きく移りました。木綿は丈夫で肌触りがよく、湿気を吸いやすく、染めやすい。しかも絹より安い。こうした利点から、浴衣、綿入れ、足袋、そして布団などに使われました[5]。

日本への木綿栽培の導入は16世紀とされ、戦国期のうちに東北地方を除いてほぼ全国に広がった。最初の主な用途は兵衣・帆布・火縄・陣幕などで、寝具のための繊維として入ってきたのではない[4]。

江戸時代には庶民の衣料が麻から木綿へと大きく移った。江戸・東京デジタルミュージアムは、木綿の利点として、丈夫さ、肌触りのよさ、吸湿性の高さ、染めやすさ、絹より安いことを挙げ、浴衣や綿入れ、足袋、布団などに使われたと説明する[5]。布団の中身になる綿が身近になる土台は、衣料の変化と同時に整っていった。

4. 江戸時代えどじだいの ふとんは、だれでも 買えた?

4. 綿を詰めた掛けものと、高価だったとされる綿布団

4. 夜着・かいまきと元禄の綿ふとん ── 「30両以上」という説明の扱い

江戸時代えどじだいには、わたを つめた かけものが あらわれました。「よぎ」や 「かいまき」と いいます。今の かけ布団ふとんのような 四角い 形では なく、かたまで おおえる、きものの ような 形でした。さいしょは、身分の 高い 人が 使いました[6]。

げんろくの ころから、わたを 入れた ふとんが 使われる ようになりました。けれど、1まいが 30両いじょうも したと いわれ、ふつうの 人には 手が とどきにくかったようです。そのため、紙の ふとんや、わらの ふとんを 使った 人も いたと されて います[7]。

ただし この ねだんは、布団ふとんを 売る 会社の ページに あった もので、くわしい きろくまでは 見て いません。

綿を詰めた掛けもの「夜着」や「かいまき」は、綿の流通が進んだ江戸時代に現れました。今の掛け布団のような四角い形ではなく、肩まで覆える着物のような形で、最初は身分の高い人が使ったとされます[6]。

元禄のころから綿を入れた布団が使われるようになりましたが、1枚30両以上したとされ、庶民には手が届きにくかったといいます。貧しい人は紙の布団や藁の布団を使ったとも説明されています[7]。

ただし、この30両という金額は、寝具を扱う業者のサイトにある記述で、出典が強いとはいえません。いまのお金にすればいくら、とは書かないでおきます。

綿の流通が進んだ江戸時代に、綿を詰めた掛けものである「夜着」「かいまき」が現れた。着物のような形で肩まで覆う作りで、当初は身分の高い人が使ったとされる[6]。

元禄年間から綿ふとんが使われるようになったが、1枚30両以上したとされ、庶民には手が届きにくく、貧しい人は紙の布団や藁布団を使ったという説明がある[7]。

ただし、「30両以上」は寝具業者のサイトの記述に由来し、Wikipediaの要約も含めて、価格の一次資料は確かめていない。当時の物価や庶民の収入との比較は、この資料では書けないので、断定せず「とされる」にとどめる。

5. ふとんが 多くの 家に ひろまったのは、いつ?

5. 綿布団が庶民に広まるのは、明治から昭和にかけて

5. 明治〜昭和中期 ── 綿布団の普及と、家庭での手作り

わたの ふとんが ふつうの 家に ひろがったのは、明治めいじの あとと いわれます[7]。

ただし、いつ ごろかは、しりょうに よって 「明治めいじ」と 書く ものも あれば、「昭和しょうわ」と 書く ものも あり、はばが あります。1つの 年には きめられません。

昭和しょうわ30年代ごろまでは、家で ふとんを 手作りする ことが ふつうだったと いわれます。地方では、わらの ふとんも つづいて 使われて いたと されます[7]。

綿布団が広く庶民に普及したのは、明治以降とされます。資料によって「明治」から「昭和中期」までと幅があり、1つの年に決めることはできません[7]。

昭和30年代ごろまでは、家庭で布団を手作りするのが一般的だったとされます。地方には、藁布団も引き続き残ったと説明されています[7]。布団は、買うものというより、家で作って手入れするものだった時代が長かったようです。

綿布団が広く庶民に普及したのは明治以降とされる。資料の書き方は「明治〜昭和中期に広く普及」と幅があり、時期を1つの年に断定できない[7]。

昭和30年代ごろまでは家庭での手作りが一般的だったとされ、地方では藁布団も使われ続けたとされる[7]。ここまでの江戸時代から昭和にかけての記述は、Wikipediaと寝具業者系の解説の要約に頼っており、統計的な数字は見つけていない。

6. 日本で ベッドが 使われはじめたのは?

6. 大正末の洋式寝具メーカーと、最初の納入先

6. 1926年の日本羽根工業社 ── 最初の顧客は家庭ではなかった

1926年、洋ふうの ねぐを つくる 会社が できました。「日本羽根工業社」と いい、いまの 日本ベッドの もとに なった 会社です。

さいしょに 品物を 買った ところは、てつどうの 役所や 船会社、ホテル、びょういんなどでした。ふつうの 家では、ベッドで ねる くらしは、まだ ひろまって いませんでした[8]。

これは 会社が 自分たちで 書いた 話で、この 会社が 日本で いちばん はじめだった、とは 言えません。

1926(大正15)年、洋式寝具の製造会社「日本羽根工業社」が興りました。のちの日本ベッドの前身です。初期の納入先は、鉄道省、日本郵船、ホテル、病院などで、一般の家庭には、ベッドとマットレスで寝る暮らしはまだ浸透していませんでした[8]。

ただし、これは会社自身の記述です。この会社が日本で最初のベッドメーカーだった、とまでは言えません。

1926(大正15)年、洋式寝具の製造会社である日本羽根工業社(日本ベッドの前身)が興った。日本ベッド製造の年表によれば、初期の納入先は鉄道省・日本郵船・ホテル・病院などで、一般家庭にベッドとマットレスの睡眠スタイルはまだ浸透していなかった[8]。

メーカー自身の記述であり、同社が日本初のベッド製造会社だとは判断できない。この段階の洋式寝具は、まず交通機関や宿泊・医療の施設で使われ、家庭に届くのはもう少し先のことになる。

7. ベッドは、いつ 家に ふえたの?

7. 昭和30〜40年代 ── 家にベッドが広がった理由

7. 食寝分離・住宅政策・1964年の東京オリンピック ── 家庭へのベッド普及

せんごは、家が たりない 時期が ありました。そこで、食べる 部屋と ねる 部屋を わける 「しょくしんぶんり」が、家の 作り方の きほんと なりました。1950年代には、家を 作る ための お金を かす しくみや、こうえいの 家を 作る きまりが できました。日本ベッドは、それに あわせて、ベッドの 市場を ひろげて いったと せつめいして います[9]。

ベッドが 家に 本当に ふえたのは、昭和しょうわ30〜40年代と いわれます。1964年の 東京オリンピックに むけて ホテルが たくさん 作られた ことも あり、わしつにも 洋室にも 合う、おりたたみの あしの ある ベッドなどが うまれました[9]。

ただし、何%の 家に ベッドが あったかを しめす 数字は、今回の しりょうでは 見つかって いません。

戦後は住宅が足りず、食べる部屋と寝る部屋を分ける「食寝分離」が住宅の基本方針になりました。1950年代には、住宅金融公庫、公営住宅法、住宅公団などの政策が進みます。日本ベッドはこれらに合わせるように、国内のベッド市場を開拓していったと、同社は説明しています[9]。

ベッドが家庭で本格的に広まったのは昭和30〜40年代とされます。1964年の東京オリンピックに向けてホテルの建設が続いたことも背景にあり、和室にも洋室にも使える折り畳み脚の商品などが作られました[9]。

年ごとの普及率を示す統計は、今回の資料では見つかっていません。「本格化は昭和30〜40年代とされる」という書き方にとどめます。

日本ベッド製造の年表によれば、戦後の住宅不足(推定420万戸)のなかで、食寝分離が住宅の基本方針となり、1950年代に住宅金融公庫の設立、公営住宅法の制定、住宅公団の設立が続いた。日本ベッドはこれらの政策に合わせるように国内のベッド市場を切り拓いたとされる[9]。

ベッドが家庭で本格的に広まったのは昭和30〜40年代とされる。1964年の東京オリンピックに向けたホテル建設ラッシュもあり、和室にも洋室にも使える折り畳み脚や和風デザインの商品が開発された[9]。ベッドは、住宅の間取りの考え方と、和室の暮らしの両方に合わせる形で家に入ってきたことになる。

ここも大半が当事者であるメーカーの記述に基づく。年ごとの普及率の統計は見つからなかったため、「本格化は昭和30〜40年代とされる」以上のことは書かない。

8. いまの 人は、ベッドと ふとん、どちらで ねて いるの?

8. 今はベッド派が多い? ── 2022年のネット調査から

8. LINEリサーチの調査(2022年)にみる、ベッド派とふとん派

2022年に、インターネットで 5254人に「ベッドと ふとん、どちらが すき?」と きく 調査ちょうさが ありました。10代から 60代までの 人です。ベッドが すきな 人は 10人の うち 6人ほど、ふとんが すきな 人は 3人 ちょっと でした。20代の 女の 人では、ベッドが すきな 人が 75%でした[10]。

年れいが 上がると、ベッドが すきな 人は 半分くらいまで 下がります。ただし、これは 会社が 1回だけ おこなった ネットの 調査ちょうさです。日本ぜんたいの 数だとは 言えません。

LINEリサーチが2022年に、全国の10〜60代の5254人に「いちばん好きな寝具」を聞いた調査があります。ベッド派は全体で約6割、ふとん派は3割を超えました。20代の女性ではベッド派が75%にのぼり、30〜50代では5割台に下がります[10]。

ただし、これは民間による1回のインターネット調査です。日本全体の割合を表しているとは言えません。聞いたのは好みで、いま寝ている人の割合ではありません。それでも、ベッドを好む人が多いようすは、うかがえます。

LINEリサーチは2022年、全国の10〜60代5254人に「いちばん好きな寝具」を尋ねた。ベッド派は全体で約6割、ふとん派は3割超だった。20代女性ではベッド派が75%、30〜50代ではベッド派が5割台に下がる[10]。

民間のインターネット調査1回の結果であり、日本全体の割合とは言えない。回答者の年齢の範囲も10〜60代に限られ、聞いたのは好みであって、実際に寝ている割合ではない。この調査では、回答者の中にベッド派とふとん派の両方がいた。

9. じぶんでも しらべて みたく なったら

9. 自分でも調べてみたくなったら

9. 自分でも調べてみたくなったら

やってみよう。おうちの 人に 「子どもの ころ、どんな ところで ねて いたの?」と 聞いて みましょう。ゆかに ふとんを しいたのか、ベッドだったのか。話を メモして おくと、この 記事の 歴史れきしと くらべられます。

もっと 知りたく なったら、正倉院しょうそういんの ページを おとなと いっしょに 読んで みましょう。

次のようなことを調べてみましょう。

  • 家の人や親せきに、「子どものころ、どんなところで寝ていたの?」と聞いてみましょう。聞いた話を年表に並べると、この記事の流れと重なるところがあるかもしれません。
  • 近くに郷土資料館や博物館があれば、昔のくらしの道具の展示に、寝具がないか探してみましょう。
  • 必要なら家の人といっしょに、宮内庁の正倉院のページで、正倉院や宝物の由来を読んでみましょう[1]。

資料と身の回りの両方から、寝具の歴史を調べられる。

  1. 宮内庁正倉院事務所のサイトで、正倉院の由来[1]を読み、『正倉院紀要』第48号の原文が公開されているか探す。
  2. 江戸の綿布団の価格(「30両以上」)は、業者サイトの記述にとどまる。当時の物価を扱った歴史の資料で、裏づけが取れるか調べる。
  3. 昭和30〜40年代のベッド普及率の統計が、公的な調査に残っているか、図書館で探す。家の人に聞いた話(いつからベッドで寝るようになったか)と並べて、年表を作ってみる。

しらべた ところ

参考にした情報源

参考にした情報源

出典について:宮内庁の正倉院のページ、報道、寝具業者や図書館・博物館の解説、Wikipedia、寝具メーカーの年表、民間の調査記事を突き合わせて使った。江戸時代の布団の価格や普及の時期については、一次資料までは確かめていない。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。

  1. 宮内庁 正倉院「正倉院の由来」。 https://shosoin.kunaicho.go.jp/about/history/ (756年の奉献、御床畳が宝物として伝わることについて)
  2. 読売テレビ報道(Yahoo!ニュース)「御床畳の調査結果」。 https://news.yahoo.co.jp/articles/dfdec1dedc2edcf6cab19ce9debd538231a0e672 (御床畳の芯と表の材料、つなぎ目の技術について)
  3. エムール睡眠・生活研究所「寝具の歴史」。 https://nemuri-kurashi.jp/bedclothes/1406-2/ (むしろ、衾、帳台ということばについて)
  4. 岸和田市立図書館「木綿栽培と綿織物業」。 https://www.city.kishiwada.lg.jp/site/toshokan/saihakken-momen.html (木綿栽培が広がった時期と最初の用途について)
  5. 江戸・東京デジタルミュージアム「麻から木綿へ」。 https://www.library.metro.tokyo.lg.jp/portals/0/edo/tokyo_library/fashion/page3-1.html (江戸時代の木綿の利点と使われ方について)
  6. 伊藤清商店「寝具の歴史」。 https://itokiyoshi.com/blogs/column/%E5%AF%9D%E5%85%B7%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2 (夜着・かいまきについて。寝具業者のサイト)
  7. Wikipedia「布団」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%83%E5%9B%A3 (江戸時代の綿布団、普及の時期、手作り、藁布団について)
  8. 日本ベッド製造 note「日本羽根工業社の創業」。 https://note.com/nihonbed/n/n60e3606d72ff (1926年の創業と初期の納入先について。メーカー自身の記述)
  9. 日本ベッド製造 note「戦後から高度成長期」。 https://note.com/nihonbed/n/nf62d4d751590 (戦後の住宅政策とベッド市場、東京オリンピックのころについて。メーカー自身の記述)
  10. @DIME「ベッド派とふとん派の調査」(LINEリサーチ)。 https://dime.jp/genre/1427106/ (2022年のベッド派・ふとん派の割合について)

なおした ところ

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