1. 「げんぷく」って、どんな ぎしきなの?
1. 元服は「頭に冠をつける」儀式だった
1. 元服の語義 ── 首(頭)に服する儀式
「元服」の 「げん」は あたま、「ふく」は みに つける ことを あらわします[1]。むかしの おとなが 冠 を つける ぎしきが もとに なった と いわれます。
奈良の じだい より あとに、おとこの こが おとなに なった しるしとして おこなわれました[1]。
いまの わたしたちが 「はたちの おいわい」を するように、むかしにも 「おとなの ひ」が あったのです。ただし、みんなが おなじ やりかたでは ありませんでした。
「元服」の「元」は首、つまり頭のことで、「服」は身につけることを表します。もとになったのは、成人が冠をつける儀式だといわれています[1]。
奈良時代以降、男子が大人になったことを示す儀式として行われました[1]。読み方は「げんぷく」のほか、「げんぶく」ともいいます。
今の成人式のように、大人になったことを周りの人にも示す日だったわけです。ただし、誰もが同じやり方だったのではありません。身分や時代によって、形はかなりちがいました。
「元」は首(頭)、「服」は身に着けることを意味し、成人が冠を着ける儀式に由来する。奈良時代以降、男子の成人を示す儀式として行われた。「げんぷく」とも「げんぶく」とも読まれる[1]。
語の由来からわかるとおり、元服の中心は「頭に何を着けるか」にあった。ただし、着けるものも、行う年齢も、儀式の細部も、時代と身分によって差があり、「元服とはこういうもの」と一つにまとめることはできない。以下では、公家から庶民へと順に見ていく。
2. あたまと ふくと なまえは、どう かわったの?
2. 公家の元服 ── 髪型・服・名前がそろって改まる
2. 公家の元服 ── 総角から冠へ、闕腋から縫腋へ
くげ(おうちの えらい ひと)の おとこの こは、こどもの ころ、かみを りょうがわで わっかに して ゆって いました。おとなに なると、これを やめて、冠 を かぶります[2]。
ふくも かわります。こどもの ふくは わきの したが あいて いて、うごきやすい つくりです。おとなの ふくは、その わきを ぬって ふさぎます[2]。
そして、こどもの ころの なまえも あらためました[1]。かみを ととのえる ひと、冠 を かぶせる ひとと、やくめを わけた ぎしきでも ありました[2]。
あたま、ふく、なまえが いっぺんに かわる ひ。だから 「もう こどもでは ない」と、だれの めにも わかったのでしょう。
3. なまえの 一もじは、だれから もらったの?
3. 武家の元服 ── 烏帽子親から名前の一字をもらう
3. 武家の元服 ── 烏帽子親と偏諱、家康の元信
さむらいの いえでも、元服 が おこなわれるように なりました。へいあんじだいの おわりごろから、と かんがえられて います[3]。
さむらいの ぎしきでは、烏帽子 と いう ぼうしを かぶります。かぶせて くれる ひとを 烏帽子親 と いいます。
この ひとから、なまえの 一もじを もらう ならわしが ありました[3]。はじめに でて きた 家康 さんの 元信 の 「もと」は、今川義元 と いう ひとから もらった、と いわれて います。
「この ひとの みうちに なる」という しるしを、なまえに もらう ようなもの だったのかも しれません。
武家で元服が行われるようになったのは、平安時代の終わりごろからと考えられています[3]。武家の元服では、烏帽子親が烏帽子をかぶせ、烏帽子をかぶった側の人は、烏帽子親から名前の一字をもらう慣習がありました[3][6]。この一字を偏諱といいます。
最初に登場した徳川家康の場合、幼名は竹千代、元服のときの名は元信(のちに元康)でした。この「元」は、人質として暮らした今川義元の一字をもらったものだと説明されています[3]。
国立国会図書館の解説は、こうした家康の例から、名前の一字をもらう関係が、主従の関係を表すものだったと整理しています[3]。名前は、ただの呼び名ではなく、誰とつながっているかを示す印でもあったようです。
4. なんさいで おこなったの? きまりは あったの?
4. 5歳から41歳まで ── 年齢は決まっていなかった
4. 元服の年齢 ── 身分と時代で幅があった、5歳と41歳の例
みぶんや じだいに よって、ちがいました。数え年 で 十二さいから 十六さいごろが おおい、と せつめいする ほんも あります[5]。うまれた とし を 一さいと かぞえる かぞえかたです。
でも、きまりは ゆるやかでした。とよとみひでより の ように 五さいで おこなった ひとも、四十一さいで おこなった おうけの ひとも います[5]。
ぶけの えらい いえでは、徳川家綱 も 五さい、足利義教 が 三十六さいでした[3]。
とし だけで 「おとな」が きまる わけでは なかった ようです。
5. ふつうの いえの こどもは、どう したの?
5. 庶民の元服 ── 前髪をおろして月代をそる
5. 庶民の元服 ── 月代の簡略化と、半元服・本元服の二段階
えどじだいの ふつうの いえでは、烏帽子 は つけません。ひたいの うえの 前髪 を おろして、あたまの まえの ほうを そる、かんたんな ものでした[4]。この そった ところを 月代 と いいます。
年は 十五さい から 十七さい ごろが おおかった そうです[4]。
ふたつに わけて おこなう ばあいも ありました。はじめに 角前髪 という かたちに して、1〜2ねん あとに 月代 を そります[4]。
おみせで はたらく 丁稚 の こどもは、はじめの ぎしきで、こどもの ころの なまえから ほんとうの なまえに あらためました。おわりの ぎしきで、一人まえの てんいんとして、おきゅうきんが もらえる ように なりました[4]。
江戸時代になると、下級武士や庶民では、烏帽子はつけず、前髪を剃って月代にするだけで済ませることもありました[3]。月代は、頭の前のほうから頭のてっぺんにかけて、髪を剃った部分のことです。下級武士では、室町時代から月代をつくることで成人とみなされるようになっていた、とも説明されています[3]。
庶民の元服は15〜17歳が一般的で、前髪をおろして月代を剃る簡単なものでした[4]。2段階に分ける例もあり、半元服では角前髪にし、1〜2年後の本元服で月代を剃りました[4]。
商家の丁稚は、半元服で幼名から実名に改め、手代の補助を任されます。本元服のあとは一人前の店員として給金が出て、酒や煙草も許されたそうです[4]。
元服は、仕事の上での「一人前」の区切りにもなっていたことがうかがえます。
江戸時代には、下級武士や庶民などは烏帽子を着けず、前髪を剃って月代にするだけで済ませることもあった。下級武士では室町時代から月代をつくることが成人の目印となっていた[3]。月代を剃り、髷を結う姿が、元服後の男子の標準的な見た目になっていったといえる。
庶民の元服は15〜17歳が一般的で、前髪をおろして月代を剃る簡略なものだった。半元服では角前髪にし、1〜2年後の本元服で月代を剃る2段階の例もあった[4]。
商家の丁稚の場合、半元服で幼名から実名に改めて手代の補助を任され、本元服で一人前の店員として給金や酒・煙草が許された[4]。元服が、髪型の区切りであると同時に、仕事の格付けの区切りでもあったことが分かる。なお、庶民の元服の実態を伝える資料は多くはなく、地域や職業による差の全体像までは、ここでは言い切れない。
6. おんなの こには、どんな ぎしきが あったの?
6. 女性の成人儀礼 ── 裳着・お歯黒・袖留
6. 女性の成人儀礼 ── 初笄・裳着から、鉄漿つけと袖留まで
おんなの こにも、おとなに なる ぎしきが ありました。元服 とは べつの ものです。
くげの おんなの こは、はじめて 「も」という ながい ふくを つけました。これを 裳着 と いいます[2]。十二さいから 十六さいごろと いわれます。
えどじだいには、はを くろく そめる 鉄漿 も ありました[4]。むずかしい ことばですが、おとなに なった こと、けっこんした ことの しるしでした。
ふく の そでを みじかく する 袖留 も、おなじ ように おとなの しるしです[4]。じだいや みぶんに よって、おとなの しるしは いろいろでした。
貴族の女性の成人儀礼は、9〜10世紀ごろは初笄、10世紀以降は裳着が主流でした[2]。裳着は、初めて裳や下袴を身につける儀式で、腰の紐を結ぶ「腰結」の役が最も重んじられました[2]。年齢は12〜16歳ごろとされます。
結婚や、天皇に嫁ぐ入内に合わせて行われることもあり、後ろ盾を示す意味もありました[2]。
江戸時代になると、鉄漿つけ(歯を黒く染めること)や、袖留(振袖の袖を短くして留袖にすること)で、成人や既婚を示しました[4]。鉄漿つけの年齢は13歳、17歳、18歳と遅くなっていき、婚礼に合わせて行うようになりました[4]。
時代や身分によって、成人のしるしは頭・服・名前・歯の色など、さまざまでした。
貴族女性の成人儀礼は、9〜10世紀に初笄、10世紀以降は裳着が主流となった。裳着は初めて裳・下袴を身につける儀式で、腰結の役が最も重視された。婚姻や入内に合わせて行われ、後ろ盾を示す政治的な意味もあった[2]。年齢は12〜16歳ごろとされるが、これは二次資料の記述にもとづく。
江戸時代には、鉄漿つけと袖留が成人・既婚の目印になった。十三鉄漿・十七鉄漿・十八鉄漿の語があるように、鉄漿つけの年齢は13歳、17〜18歳と遅くなり、婚礼に合わせて行われるようになった[4]。
ここまでに見たように、成人のしるしは髪型・服・名前・歯の色など、時代や身分によってさまざまだった。この多様さは、次章の現代の成人式との比較でも手がかりになる。
7. いまの 「せいじんしき」は、いつ はじまったの?
7. 今の成人式へ ── 1946年の蕨町の青年祭から
7. 成人式のもとになった青年祭と、成人の日・成年年齢の変化
いまの せいじんしきの もとに なった、と いわれる ものが あります。1946ねん 11がつ、埼玉県 の 蕨 という まちで ひらかれた 「せいねんさい」です[7]。
まちの わかい ひとたちの あつまりが なかまを そろえて、つぎの じだいを ささえる わかものを はげまそうと、かんがえました。ふくは もんぺや こくみんふく でしたが、100にんくらいが あつまった そうです[7]。
その あと、1948ねんに 「こくみんの しゅくじつ」の きまりが できました。せいじんの ひは、おとなに なった ことを じかくして、じぶんで いきぬこうと する わかものを おいわい、はげます ひ、と されています[8]。
2022ねん 4がつからは、おとなの ねんれいが 18さいに なりました[9]。
今の成人式のルーツとされるのは、1946年(昭和21年)11月22日〜24日に埼玉県蕨町で開かれた「青年祭」です。蕨町の青年団が中心となり、次の時代を担う若者を励まそうと企画され、国民服やもんぺ姿の若者およそ100人が集まりました[7]。成年式で幕を開けた、と蕨市は紹介しています。
1948年(昭和23年)には「国民の祝日に関する法律」が公布され、成人の日が定められました。趣旨は、「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」ことです[8]。いまは1月の第2月曜日です。
また、民法の成年年齢は、明治9年(1876)の太政官布告以来20歳でしたが、2018年の改正で18歳となり、2022年4月1日に施行されました[9]。ただし、成人式を何歳で開くかは自治体ごとに決めており、法律で決まった年齢があるわけではありません。
現代の成人式のルーツは、1946年(昭和21年)11月22〜24日に埼玉県蕨町で開かれた青年祭とされる。蕨町青年団が中心となり、次代を担う若者を勇気づけ励ますことを目的に、成年式で幕を開けた。国民服やもんぺ姿の若者約100人が来場したという[7]。
1948年(昭和23年)公布の「国民の祝日に関する法律」(昭和23年法律第178号)は、成人の日の趣旨を「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」と定める。現在は1月の第2月曜日である[8]。
民法の成年年齢は、明治9年の太政官布告以来約140年、20歳だった。2018年(平成30年)6月13日公布の改正で18歳となり、2022年(令和4年)4月1日に施行された[9]。成人式の実施年齢は自治体ごとに異なり、法令上の義務はない。髪型・服・名前で区切りを示した元服から、法律の年齢と地域の式へ、「大人になる日」の決め方は大きく変わってきた。
自分でも しらべて みたく なったら
自分でも調べてみたくなったら
自分でも調べてみたくなったら
おうちで できること
おうちの ひとに、きいて みましょう。「じぶんの なまえは、どうして その なまえに なったの?」「せいじんしきの ときは、どんな ふくを きたの?」
むかしは、なまえも ふくも 「おとなの しるし」でした。おうちの なまえの ゆらいにも、だれかの ねがいが こめられて いるかもしれません。
しりょうを よむ なら
くわしく しりたい ときは、こくりつこっかいとしょかんの 「ほんの まんげきょう」の だい31かい 「せいじんの ぎれい」を、おうちの ひとと いっしょに よんで みて ください。
今日できること
家の人に、名前の由来と、成人式のときの思い出を聞いてみましょう。元服のときに名前が変わったように、今の名前にも、つけた人の願いがあるかもしれません。
資料を読むなら
国立国会図書館の「本の万華鏡」第31回は、公家・武家・庶民の成人の儀礼を順に解説しています。そのほか、蕨市の公式ページには、1946年の青年祭のようすがまとめられています。
確かめられること
家族に、名前の由来と、成人式の思い出を聞くのも一つの方法である。名前を改める風習は、家康の「元」のように、人と人との関係を映すものだった。
資料を読む
- 国立国会図書館「本の万華鏡」第31回(第1〜3章):公家・武家・庶民の成人儀礼を身分別に整理している。
- 蕨市公式ページ「成人式発祥の地のまち蕨」:1946年の青年祭の経緯。
- 内閣府「国民の祝日について」・法務省「民法(成年年齢関係)」:成人の日と成年年齢の公的な説明。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
この記事では、次の資料を突き合わせて調べました。本文の[ ]の番号は、下の番号に対応しています。
- コトバンク「元服」 https://kotobank.jp/word/%E5%85%83%E6%9C%8D-61021 (元服の意味・公家と武家の冠と烏帽子・名前の改まり)
- 国立国会図書館 本の万華鏡 第31回 第1章 公家の成人 https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/31/1.html (公家の元服・貴族女性の裳着)
- 国立国会図書館 本の万華鏡 第31回 第2章 武家の成人 https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/31/2.html (武家の元服・年齢の例外・家康・月代)
- 国立国会図書館 本の万華鏡 第31回 第3章 庶民の成人 https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/31/3.html (庶民の元服・丁稚・鉄漿つけと袖留)
- Wikipedia「元服」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E6%9C%8D (年齢の幅・数え年。二次資料)
- ヒストリスト「烏帽子親」 https://www.historist.jp/word_j_e/entry/029500/ (烏帽子親と名前の一字)
- 蕨市公式「成人式発祥の地のまち蕨」 https://www.city.warabi.saitama.jp/1004289/1004495.html (1946年の青年祭)
- 内閣府「国民の祝日について」 https://www8.cao.go.jp/chosei/shukujitsu/gaiyou.html (成人の日の趣旨)
- 法務省「民法(成年年齢関係)」 https://www.moj.go.jp/MINJI/minji07_00218.html (成年年齢18歳)
なおした ところ
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