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ゲームの うらわざは、どうして ぶあつい ほんに なるほど あつまったの?

ゲームの裏技は、なぜ本一冊分も集まったのか ── 口コミ・雑誌・「大技林」・コナミコマンド

ゲーム裏技の蒐集と出版 ── 雑誌投稿欄から「大技林」(1989年〜)へ、コナミコマンドの由来を添えて

分野:歴史・文化

ゲームの 「うらわざ」を 本に した 「だいぎりん」は、2011年の ふっこくばんで 1830ページも ありました[2]。じてんのように あつい 本です。

ゲームの ひみつを、どうして こんなに たくさんの 人が しって いたのでしょう。むかしは、友だちの 「おにいちゃんが 言ってた」が たよりでした。そこから 本に なるまでの みちのりが 分かります。

ファミコン時代のゲームの裏技をまとめた「大技林」は、2011年の復刊版で1830ページに達しました[2]。ゲームの秘密が、辞典のような分厚い本になったのです。

元はといえば、裏技は友達の「兄ちゃんから聞いた」という口コミで回っていた話でした。それが雑誌の投稿欄になり、攻略本になり、年に一度の付録になった流れを、複数の資料から整理します。最後には、いちばん有名な裏技「コナミコマンド」が、なぜ作られたのかも分かります。

個人の口コミだった裏技が、なぜ事典のような本になったのか。1989年に始まった「ウル技大技林」は、家庭用ゲームの裏技を事典のように集めた付録で、のちに書籍化され、2011年の復刊版は1830ページと歴代最大になった[2]。

この記事では、Wikipedia系の記述、ゲーム媒体の回顧記事、開発者の発言を報じた記事を突き合わせ、口コミ・雑誌・攻略本・大技林の関係と、コナミコマンドの由来を整理する。

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1. 1980ねんだいの なかごろ、ゲームの ひみつは どこで 知ったの?

1. 「兄ちゃんが言ってた」── 攻略本のない時代(1980年代半ば)

1. 攻略本のない時代、ひみつはどう伝わったのか(1980年代半ば)

いまは、ゲームの ヒントを ネットで すぐに 見られます。でも ファミコンの ころは ちがいました。ひみつは、友だちから 聞いたり、ざっしを 読んだり して 知る ことが ありました。

たとえば 1986年5月に 出た ドラゴンクエストは、とちゅうの ようすを ゲームの中に セーブできません。「ふっかつの じゅもん」を 紙に 書き うつして、つぎの 日に つづきを あそびました[6]。

ゲームの 中で 出会う ヒントも、メモを とって、友だちと おしえあう 人が 多かったと 言われます。ひみつは、教えあうと ふえる たからものでした。

今なら、ゲームで詰まったら検索すれば答えが出ます。ファミリーコンピュータが広まった1980年代半ばは、そうではありませんでした。

1986年5月発売の『ドラゴンクエスト』には、進み具合を保存する機能がありませんでした。遊ぶ人は「復活の呪文」という文字の列を紙に書き写し、次に遊ぶときに入力して続きから始めました[6]。

ゲーム内で得た情報も、その場でメモを取ったり、友達と交換したりするのが普通だったと、回顧記事は伝えています。裏技や攻略のコツが、教室の噂として広がっていく土壌は、こうしてできていたようです。

今なら、ゲームで詰まれば検索で答えが出る。1980年代半ばは、事情がちがった。『ドラゴンクエスト』(1986年5月発売)のカートリッジにはセーブ機能がなく、プレイヤーは「復活の呪文」を書き写して続きを遊んだ。石碑の情報は一度きりで、メモや友人との情報交換が頼りだったという回顧がある[6]。

この回顧からは、攻略情報が「自分で書き留める」「人から聞く」形で流通していたことがうかがえる。ここで紹介した回想は、当時の子ども全体の様子を示すものではない。では、そうした口コミの外側で、裏技はどこに集まりはじめたのか。

2. ざっしは、どうやって うらわざを あつめたの?

2. 雑誌が裏技を集め始める(1985〜1986年)

2. 口コミの外へ ── 雑誌が裏技を集め始める(1985〜1986年)

1985年ごろ、ざっしや まんがの ざっしが、うらわざを 記事に しはじめました。「コンプティーク」という ざっしは、シューティングゲームの 「ゼビウス」の むてきに なる コマンドを しょうかいしました[4]。

「しゅうかん しょうねん ジャンプ」の 「ファミコン しんけん」も、1985年8月に はじまりました[5]。ジャンプの 本を 買った 子は、うらわざも 一しょに 知る ことが できたのです。

1985年6月に できた 「ファミリーコンピュータ ひっしょうぼん」は、ひょうしに 「バグ・かくれキャラ全集」と 書きました。うらわざが、うりに なる 時代が きたのです[4]。

1985年ごろから、雑誌が裏技を記事の目玉にし始めます。角川書店の『コンプティーク』は、1985年7・8月号でファミコン版『ゼビウス』の無敵コマンドを紹介し、続く号で「バグ&隠れキャラ大集合」を特集しました。1986年2月号には「バグ&隠れキャラ大辞典」を別冊付録にしています[4]。

1985年6月には、JICC出版局が『ファミリーコンピュータ必勝本』を創刊しました。表紙に「バグ・隠れキャラ全集」と掲げ、1986年春に雑誌になったときは、裏技のコーナーを「バグボーイ情報局」と名づけたそうです[4]。

『週刊少年ジャンプ』の「ファミコン神拳」は、1985年8月19日発売の36号から始まり、ゼビウスの無敵コマンドなどを載せました[5]。子どもたちが手に取る雑誌に、裏技が載る流れができていきます。

裏技は、雑誌の企画になりはじめる。1985年に、複数の雑誌が裏技を継続的な企画に据えた。『コンプティーク』(角川書店)は1985年7・8月号で『ゼビウス』の無敵コマンドを紹介し、次号で「バグ&隠れキャラ大集合」を特集、1986年2月号で「バグ&隠れキャラ大辞典」を別冊付録とした[4]。一方、JICC出版局は1985年6月に『ファミリーコンピュータ必勝本』を創刊し、表紙に「バグ・隠れキャラ全集」と掲げ、1986年春の雑誌化で「バグボーイ情報局」を設けた[4]。

子どもが手に取る雑誌でも、同じ流れが起きていた。『週刊少年ジャンプ』の「ファミコン神拳」は1985年8月19日発売の36号に始まり、ゼビウスの無敵コマンドなどを掲載した。のちの単行本『ファミコン神拳大全書 巻の五』(『ドラゴンクエストIII』の攻略本)は200万部を超えたとされる[5]。裏技・攻略が大部数の商品になったことがわかる。では、雑誌とは別に、一冊の本はどこまで売れたのか。

3. こうりゃくぼんが 売れ、ざっしは ちずの とくしゅうで のびた

3. 攻略本と地図 ── 読者が「持ち歩けるヒント」を求めた

3. 地図の特集は、部数を変えたのか ── 攻略本の成立(1985〜1988年)

1985年8月に、「ドルアーガの とう」の すべてが わかる 本が 出ました。日本で はじめての ほんかくてきな こうりゃくぼんと 言われます。30万部 うれましたが、ねだんは 300円で、もうけは ほとんど 出なかったそうです[3]。

1986年6月、「ファミコン つうしん」が できました。さいしょは うれのこりが 8わりを こえました。でも 2ごうの 「ドラゴンクエスト ぜんマップ」の とくしゅうで、ぐんと 読まれるように なりました[3]。

ゲームは 一人で すすめると、まようものです。ちずが あれば、「ここに いくのだ」と 分かります。ちずが やくに立つ 場面は 多かったのかも しれません。

1985年8月に塩崎剛三氏がまとめた『ドルアーガの塔のすべてがわかる本』は、初の本格的なゲーム攻略本とされます。30万部売れたものの、定価が300円だったため、利益はほとんど出なかったといいます[3]。

『ファミコン通信』は1986年6月に独立創刊し、創刊号の返本率は80%を超えました。ところが第2号で「ドラゴンクエスト全マップ大公開」を特集すると、状況が変わりました。その後、『ドラゴンクエストIII』の特集号(1988年)は43万部、1990年には58万部を記録しました[3]。

地図を載せるのは、迷いやすい広いゲームで「ここに何がある」を一目で示せる、確かな方法でした。表や図で見せる紙の本は、当時のゲーム画面の情報量にも合っていたのでしょう。

塩崎剛三氏による『ドルアーガの塔のすべてがわかる本』(1985年8月)は、当事者の回顧では日本初の本格的なゲーム攻略本とされる。30万部を売ったが、定価300円で利益はほぼ出なかったという[3]。

攻略の本は売れても、儲かるとは限らない。では、雑誌はどうだったか。『ファミコン通信』は1986年6月に独立創刊し、創刊号の返本率は80%を超えたが、第2号の「ドラゴンクエスト全マップ大公開」特集で巻き返した。ドラクエIII特集号(1988年)は43万部、1990年には58万部を記録している[3]。地図の掲載が部数に寄与した可能性は高いが、因果を直接示す統計ではない。

4. 「だいぎりん」は、どうして うまれたの?

4. 読者の投稿が「大技林」になるまで

4. 読者の投稿は、どうやって「大技林」になったのか(1989〜2011年)

「ファミリーコンピュータMagazine」という ざっしでは、よみ手が おくって くれた うらわざを 「ウルわざ」として しょうかいして いました。

これが 人気に なって、1989年1月20日 はつばいの 号から、「ウルわざ だいぎりん」が ふろくに なりました。年に 1回 出る 本です[1]。

のって いたのは、ソフトの データと うらわざだけでは ありません。よみ手が つけた 点すうを あつめた 「ゲームつうしんぼ」も ありました[2]。じてんに にせた つくりでした。

『ファミリーコンピュータMagazine』は、読者が投稿した裏技を「ウル技」として紹介する連載を持っていました。1989年1月20日発売の同年No.2からは、この連載をまとめた『ウル技大技林』が付録として年1回出されるようになりました[1]。

大技林は事典を似せた作りで、各ソフトのデータと裏技に加え、読者の評点を集計した「ゲーム通信簿」も載せました[2]。情報は読者の投稿に基づいていて、雑誌を通じて集められていました。

その後、1995年8月以降は書籍『超絶大技林』に改訂され、2000年に発行元が変わって『広技苑』と改題、2011年にアンビットから復刊されました[2]。2011年版はファミコンから2011年5月発売のニンテンドー3DSソフトまでを収め、1830ページと歴代最大でした。

裏技を集めたのは、編集部だけではなく、読者でもあった。『ファミリーコンピュータMagazine』(徳間書店)の読者投稿による裏技紹介連載「ウル技」が母体になり、1989年1月20日発売の同年No.2から付録「ウル技大技林」が年1回発行されるようになったとされる[1]。ウル技はウルトラテクニックの略。

では、その付録は、どんな本になったのか。大技林は、家庭用ゲームソフトのデータ・裏技を収録した事典型のムックで、読者の評点を集計した「ゲーム通信簿」も併載した。1995年8月以降は『超絶大技林』として書籍化された。2000年に発行元が毎日コミュニケーションズへ移って『広技苑』に改題、2011年にアンビットから復刊された。復刊版はファミコンから2011年5月発売の3DSソフトまでを収録し、1830ページで歴代最大となった[2](1830ページは2011年版の数字で、全版のものではない)。

5. いちばん 有名な うらわざは、だれが 作ったの?

5. コナミコマンドは、開発者が自分のために作った

5. いちばん有名な裏技は、誰が何のために作ったのか ── コナミコマンド

「上上下下左右左右BA」を 知って いますか。ゲームで つかう、有名な コマンドです。ファミコンばんの 「グラディウス」(1986年)で、ポーズ中に 入れると、そうびが つよく なると いう しかけでした[7]。

作ったのは、かいはつした 橋本かずひささんです。2003年の インタビューで、「自分は あまり あそんで いなくて、クリアできそうに なかった。だから 自分のために、おぼえやすい コマンドを 入れた」という 話を したと つたえられます[8]。

つまり、ゲームを 作った 人が、つくる ときの ためしの ために 入れた ものだった、と 橋本さんは 話したと つたえられます。それが、多くの 人に 知られる うらわざに なりました。

コナミコマンド「上上下下左右左右BA」は、ファミコン版『グラディウス』(1986年)で、ポーズ中に入力すると装備が強化される隠しコマンドとして初登場しました[7]。

開発した橋本和久氏は、2003年のインタビューで、元のゲームをあまり遊んでおらずクリアできそうになかったので、デバッグ用にコマンドを入れたと話したと伝えられます。自分で使うつもりだったので、覚えやすい並びにしたそうです[8]。製品版から消し忘れたとする紹介もありますが、本人談かどうかは分かりません。

その後コナミの他作品に広がり、海外では『魂斗羅』で広く知られました。のちにはメタルギアソリッドやフォートナイトなど他社作品でも、遊び心として使われています[7]。デバッグ用の入力が、遊ぶ人の見つける楽しみに変わった例でもあります。

口コミから本にまで広がった裏技のなかで、いちばん有名な入力は、誰が作ったのか。コナミコマンド「↑↑↓↓←→←→BA」は、ファミコン版『グラディウス』(1986年)でポーズ中に入力すると装備が強化される隠しコマンドとして実装された[7]。開発した橋本和久氏は、2003年のインタビューで、自身が元ゲームをあまり遊んでおらずクリアできそうになかったためデバッグ用に入れ、自分で使う想定だったので覚えやすいものにしたと語ったとされる[8]。インタビュー本体は未確認で、記事経由の引用にとどまる。製品版から消し忘れたとする紹介は英語圏に見られるが、本人談かは不明。

では、その後どうなったのか。コマンドはコナミ作品に広がり、海外では『魂斗羅』で広く知られ、メタルギアソリッドやフォートナイトなど他社作品でも遊び心として引用された[7]。開発中に確認用として入れた入力が、遊ぶ人にとっては「裏技」として広まった。

自分でも しらべて みたく なったら

自分でも調べてみたくなったら

自分でも調べてみたくなったら

今日できること

おうちの 人や、としうえの 人に 聞いて みましょう。「むかしの ゲームの ひみつを、どうやって 知ったの?」と。話を 聞いて、おもしろかった ことを 紙に 書いて みます。

出かけてできること

としょかんに 行って、ゲームの 本や むかしの ざっしが ないか、さがして みましょう。

本で しらべる

おうちに ある ゲームの 本や、としょかんの ゲームの れきしの 本にも、ヒントが あります。

今日できること

家族や年上の知り合いに、「昔のゲームの秘密を、どうやって知ったの?」と聞いてみてください。友達の話、雑誌、攻略本など、人によって答えが違うかもしれません。聞いた話は、あとで見返せるよう紙にメモしておきます。

出かけてできること

図書館で、ゲーム史の本や当時のゲーム雑誌の縮刷版などを探してみてください。蔵書があれば、記事の広告や裏技のページを見比べられます。

本で調べる

家にある攻略本や、図書館のゲーム史の本にも、当時の様子が書かれています。出典に挙げた記事から読んでみるのもよい方法です。

今日できること

家族や年上の知人に、当時ゲームの秘密をどこで知ったかを聞き取り、雑誌・友人・攻略本のどれが多いかを整理してみる。個人の記憶は偏るので、一般化せず「この人の場合」として扱う。

出かけてできること

図書館で、1980〜90年代のゲーム雑誌や大技林系の書籍(復刊版など)の所蔵を調べ、実物で掲載の形式を確かめる。

本で調べる

本記事の出典に挙げた回顧記事を起点に、大技林の版ごとの発売時期や部数、橋本氏の2003年のインタビュー本体など、未確認の点を原資料で探すのもよい。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

大技林の来歴はWikipedia系の記述が中心で、独立した資料での確認はできていない。雑誌・攻略本の年や部数は、ゲーム媒体の回顧記事による。コナミコマンドの発言は記事経由で、インタビュー本体は未確認。

  1. Weblio辞書「大技林」 https://www.weblio.jp/content/%E5%A4%A7%E6%8A%80%E6%9E%97 (大技林の始まり)
  2. Wikipedia「大技林」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%8A%80%E6%9E%97 (内容・改題の経緯・ページ数)
  3. 4Gamer.net(塩崎剛三氏の回顧記事) https://www.4gamer.net/games/991/G999112/20250814043/ (ドルアーガ本・ファミコン通信)
  4. 電ファミニコゲーマー「バグ」を広めた雑誌の歴史 https://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/210108a/2 (コンプティーク・必勝本)
  5. GAME Watch 企画記事(ゲーム攻略本・裏技の歴史) https://game.watch.impress.co.jp/docs/kikaku/1613458.html (ファミコン神拳)
  6. GAME Watch ドラゴンクエスト36周年記事 https://game.watch.impress.co.jp/docs/kikaku/1412291.html (セーブ機能のない時代)
  7. 電ファミニコゲーマー(橋本和久氏追悼) https://news.denfaminicogamer.jp/news/200227g (コナミコマンドの登場と広がり)
  8. GIGAZINE(橋本氏逝去の記事) https://gigazine.net/news/20200227-konami-code-kazuhisa-hashimoto-passed-away/ (開発者の発言)

なおした ところ

更新履歴

更新履歴(改版の記録)

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