1. ポケモンは、だれが かんがえたの?
1. 虫とりが好きな少年が、ポケモンを考えた
1. 田尻智と通信ケーブル ── 昆虫採集から「交換」の発想へ
ポケモンは、だれが、どうして かんがえたのでしょう。
かんがえた ひとは、田尻智さんです。
小さい ころ、むしとりが 大すきでした。とった むしを ともだちと 見せあったり、とりかえたり して いたそうです。その あそびが、ポケモンの もとに なりました。
ゲームボーイと いう ゲームの きかいが 出た とき、この ひとは、ケーブルで 2だいを つなげる ところに 目を つけました。ケーブルを とおして、ポケモンを とりかえられたら おもしろい、と かんがえたのです。
はじめの よていから 6年より 長く たって、発売されました。
虫とりの少年が、ゲームボーイを見つけた
ポケモンは、どんな人が、どんな遊びから思いついたのでしょうか。考えたのは、ゲームフリークの田尻智です。東京都町田市で育った少年のころ、昆虫採集に夢中になり、捕まえた虫を友達と見せ合ったり、交換したりしていました。小学館の子育て情報サイトは、この経験が『ポケットモンスター』の原点になったと紹介しています[1]。
ゲームボーイは1989年4月21日に発売された携帯ゲーム機で、専用のケーブルで2台をつないで遊ぶこともできました[2]。日本語版Wikipediaによると、田尻はこの通信機能に注目して、データを「交換する」という発想から、「カプセルモンスター」という仮のタイトルで任天堂に企画を持ち込みました[3]。
当初の予定から、6年以上が過ぎて発売
日本語版Wikipediaによると、ポケモンは、当初の予定から6年以上が過ぎた1996年に発売されました[3]。
ポケモンのデザインでは、田尻と同じ、個人や小さなグループが作る雑誌(ミニコミ誌)『ゲームフリーク』にかかわっていた杉森建が、公式イラストをまとめる役を務めています。全部を1人で描いたのではなく、たとえばピカチュウは、同じ会社のにしだあつこがデザインし、公式のイラストは杉森が描いたと、日本語版Wikipediaは説明しています[4]。
『ポケットモンスター』は、何がきっかけで生まれたのでしょうか。企画者は、ゲームフリークの田尻智です。東京都町田市で育った少年時代、昆虫採集に熱中し、捕まえた虫を友達と見せ合ったり交換したりした経験が原点になったと、小学館の子育て情報サイトは紹介しています[1]。
ゲームボーイは1989年4月21日に発売され、専用のケーブルで2台をつないで遊べました[2]。日本語版Wikipediaによると、田尻はこの通信機能に着目し、データを「交換する」という発想から、「カプセルモンスター」という仮のタイトルで任天堂に企画を持ち込みました[3]。ゲームフリークはもともと、田尻が創刊したミニコミ誌(個人や小さなグループが作る雑誌)の名前でもあります[3]。
当初の予定から6年以上が経過した1996年に発売された、と日本語版Wikipediaは記しています[3]。デザインでは、同じミニコミ誌にかかわっていた杉森建が、複数のスタッフのデザインを公式イラストにまとめる役でした。たとえばピカチュウは、同じ会社のにしだあつこがゼロからデザインし、公式のイラストは杉森が描いたと、日本語版Wikipediaは記しています[4]。
2. さいしょは、しずかな スタートだった
2. 発売のときは、静かなスタートだった
2. 発売と初動(1996年)── 出荷13万本から、口コミで広がる
「ポケットモンスター 赤・緑」は、1996年2月27日に 発売されました。ゲームボーイの ソフトです。ねだんは、ぜいを ぬいて 3900円でした。
発売した日から、すごく 売れたのでしょうか。じつは、はじめは、すごく 売れたわけでは ありません。友だちから 友だちへ、「おもしろいよ」と はなしが ひろがって、だんだん 売れて いきました。
発売から 1年 4か月 たった 1997年6月には、赤と 緑を あわせて 300万本 売れた、と つたえられて います。
1996年2月27日
発売した日から、ポケモンは大ヒットしたのでしょうか。『ポケットモンスター 赤・緑』は、1996年2月27日に、ゲームボーイ用ソフトとして発売されました。任天堂の商品ページには、価格は税別3,900円、通信ケーブルで交換や対戦ができること、151種類のポケモンが登場することが書かれています[5]。
13万本から、300万本へ
電撃オンラインの30周年連載は、初日の出荷が赤・緑を合わせて約13万本、最初の1週間で約23万本だったと書いています[6]。ファミ通.comは、口コミ(人から人へ、話で伝わること)でどんどん広がっていったと説明し、ゲームボーイもポケモンの人気で再びブームになったと書いています[7]。
1997年6月の日本食糧新聞は、すでに発売されていた赤・緑が、合計300万本の売上になっていたと伝えています[8]。発売から、およそ1年4か月です。出荷の数と売上の数は、数え方がちがうかもしれないので、そのまま比べることはできません。
発売直後の売れ行きは、どうだったのでしょうか。『ポケットモンスター 赤・緑』は、1996年2月27日にゲームボーイ用ソフトとして発売されました[9]。任天堂の商品ページには、価格が税別3,900円で、通信ケーブルを使った交換・対戦機能と、151種類のポケットモンスターがあることが記されています[5]。同じ年の7月21日には、小型のゲームボーイポケットが6,800円で発売されました[6]。
電撃オンラインの30周年連載は、初日の出荷を赤・緑あわせて約13万本、初週を約23万本と記しています[6]。ファミ通.comは、最初から爆発的に売れたのではなく、口コミ(人から人へ話で伝わること)で拡大していったと述べ、ゲームボーイもポケモン人気に牽引されて再ブームになったとしています[2][7]。
1997年6月20日号の日本食糧新聞(ローソンの予約販売の記事)は、すでに発売されていた赤・緑が合計300万本の売上を記録し、小学生に人気のキャラクターになっていた、と伝えています[8]。約1年4か月で、初日出荷の20倍以上になった計算です。ただし、出荷と売上が同じ数え方かどうかは、これらの資料からは分かりません。
3. ケーブルで、ともだちと とりかえっこ
3. 通信ケーブルで、友達と交換して、対戦する
3. 通信ケーブル ── 交換と対戦が、ゲームの中心だった
ポケモンは、それまでの ゲームと、なにが ちがったのでしょう。ともだちと ポケモンを とりかえたり、たたかわせたり できる ことでした。
そのために、ゲームボーイを 2だい、ケーブルで つなぎます。「赤」と 「緑」では、出て くる ポケモンが 少し ちがうので、とりかえて 集める 楽しみが ありました。
とりかえるのは、シールを こうかんするのに にて います。ただし、シールを わたすのでは なく、ゲームの データが ケーブルを 行き来します。
ともだちと 2だいの ゲームボーイを ケーブルで つなぐと、ポケモンを とりかえたり、たたかわせたり できます。赤を もって いる 子と 緑を もって いる 子が とりかえれば、じぶんの ゲームでは 出て こない ポケモンが 手に はいります。とりかえないと 進化しない ポケモンも いました。
ケーブルと、もう1だいの ゲームボーイと、ともだちが そろわないと、とりかえも たたかいも できません。だから、ともだちと 会って あそぶ ことが、あそびの 大事な ぶぶんだったのです。
ケーブルと2台の本体
ポケモンは、それまでのゲームと何がちがったのでしょうか。その答えが、友達と交換し、対戦できることでした。ゲームボーイの通信ケーブルは、本体を2台つないで遊ぶ専用のケーブルです[2]。4Gamerは、複数のバージョンを用意して「友達と通信・交換してポケモンを集める」という新しい遊びが生まれたことが、大ヒットにつながったと説明しています[10]。
個人の特集記事は、赤と緑で出てくるポケモンが一部ちがっていて、通信交換をしないと進化しないポケモンもいたと書いています[11]。
やる相手と、もう1台が必要だった
電撃オンラインの筆者は、当時、通信のやり方を知って、スーパーゲームボーイでは通信交換ができないこと、自分でやるにはもう1台のゲームボーイが必要なことが分かった、と振り返っています[12]。交換や対戦には、相手と、本体と、ケーブルがそろう必要がありました。
ポケモンは、それまでのゲームと何がちがったのでしょうか。新しさは、通信ケーブルによる「交換」と「対戦」が、遊びの中心にあることでした。通信ケーブルは、ゲームボーイの発売時(1989年)から用意されていた専用ケーブルで、本体2台をつないで遊べます[2]。4Gamerは、複数のバージョンを用意して「友達と通信・交換してポケモンを集める」という新しい遊びが生まれ、それが爆発的なヒットにつながったと説明しています[10]。個人の特集記事は、赤と緑で出現するポケモンが一部ちがい、通信交換でしか進化しないポケモンも設計されていたと書いています[11]。
遊ぶ側の記録もあります。電撃オンラインの筆者は、通信のやり方を知って、スーパーゲームボーイでは通信交換ができないこと、自力でやるにはもう1台のゲームボーイが必要なことが分かった、と書いています。周囲に交換相手がいなかった時期についても述べています[12]。当時の教室や公園で、実際にどのくらいの子が交換していたのかを数えた資料は、今回は見つかりませんでした。
4. 「青」は、ざっしで ちゅうもんした
4. 『青』は、コロコロコミックの通販から始まった
4. 『青』の通信販売 ── コロコロコミックからローソン、一般発売まで
「青」は、どこで 買えたのでしょう。さいしょは、おみせでは 売って いませんでした。1996年の 10月ごろ、「コロコロコミック」などの ざっしで、ちゅうもんを うけつける やりかたでした。
1997年6月から、ざっしの もうしこみ用紙を コンビニの ローソンに もって いって、もうしこむ ことも できるように なりました。
おみせで だれでも 買えるように なったのは、1999年10月10日です。
1996年、雑誌で申し込む
『青』は、赤・緑のあと、どこで買えたのでしょうか。『ポケットモンスター 青』は、1996年10月から、「コロコロコミック」などの雑誌で限定販売されました[7]。電撃オンラインによると、月刊コロコロコミックの11月号と12月号で募集し、価格は3,000円(税込)、応募は55万通を超えたそうです[6]。
1997年、ローソンでも申し込めた
1997年6月13日からは、小学館の雑誌についている申込書を持って、全国のローソンで申し込む方法が加わりました。日本食糧新聞は、価格が3,000円で、商品の受け取りは7月16日からだったと伝えています[8]。電撃オンラインは、受付が8月31日までで、ローソンが近くにない人は雑誌上で買うこともできた、と書いています[13]。
一般の店で買えるようになったのは、1999年10月10日です[7]。
『青』は、どのように販売されたのでしょうか。『ポケットモンスター 青』は、1996年10月から「コロコロコミック」などの雑誌で限定販売されました[7]。電撃オンラインによると、月刊コロコロコミックの11月号と12月号で募集があり、消印有効は11月30日、価格は税込3,000円、応募は「55万通を超える」ものでした[6]。
1997年6月13日には、ローソンの独占予約販売が始まりました。日本食糧新聞は、小学館の13誌についている申込書を、ローソン店頭で代金と一緒に出す方式で、価格は3,000円、店頭での受け取りは7月16日から、と報じています[8]。電撃オンラインは、これを6月13日〜8月31日の受付とし、小学館の12誌、ローソンが近くにない場合は誌上販売、と書いています[13]。誌数が13誌と12誌で食いちがっているので、このメモでは誌数は数えません。
一般販売は1999年10月10日に始まりました[7]。ポケモン公式サイトも、青は1999年に一般発売されたと書いています[9]。
5. ミュウが くばられて、バグの うらわざが ひろまった
5. 幻のミュウが配られ、バグの裏技が広まった
5. 幻のミュウの配布と、バグ技の広まり
ゲームの 中に、うわさの ポケモンは いたのでしょうか。「151ぴきめが いる」と いう うわさが ありました。その ポケモンが、ミュウです。
1996年に、「コロコロコミック」の プレゼントで、ミュウが もらえる ことに なりました。5月号では 20人だけ。はがきが 7万8千まいも 来た、と いわれて います。
ゲームには、つくった 人が 考えて いなかった うごきで おきる「バグ」も ありました。とくべつな やりかたを すると、ふつうは 出ない ものが 出る ことが ありました。子どもたちは、うわさを きいて、いろいろ ためして いたそうです。
ただし、バグの うらわざの なかには、データが おかしく なる ものも ある、と 書かれて います。まねを しない ほうが いいです。
ミュウは、うわさから本物になった
「151匹目のポケモンがいる」といううわさは、本当だったのでしょうか。ファミ通.comによると、都市伝説のようなうわさとして広まり、あとで実在が分かりました[7]。ミュウは、雑誌の企画やイベントで配られました。
電撃オンラインは、4月発売の月刊コロコロコミック5月号に、幻のポケモン「ミュウ」の読者プレゼント企画が載ったと書いています。当選は20名、締切は5月14日で、応募は約7万8千通だったと言われています[12]。8月号では100名の枠に約8万の応募があり、1996年8月23日と24日の次世代ワールドホビーフェアでは、抽選で両日350名ずつ、合計700名にミュウが配られました[6]。
バグの裏技
初代には、作った人が考えていなかった動きで起きるバグを使った裏技もありました。マグミクスは、道具欄でセレクトボタンを押してキャンセルする「セレクト技」で、トレーナーを決める数値が書き換わり、使われなかったデータの「オーキドせんせい」が出てくると書いています。当時の子どもたちは、うわさでそれを知って、いろいろな方法を試していたそうです[14]。
同じ解説は、「けつばん」という、見た目が文字化けしたようになるポケモンも紹介しています。けつばんが出たあとは、セーブのときに別のバグ技を使わないとデータがおかしくなる、と書かれています[14]。いま真似をするのはおすすめしません。
「151匹目のポケモンがいる」という噂は、本当だったのでしょうか。ファミ通.comは、都市伝説的な噂があり、後に実在が発覚した、と書いています[7]。電撃オンラインによると、月刊コロコロコミックの1996年5月号(4月発売)に「ミュウ」の読者プレゼント企画が載り、当選枠は20名、締切は5月14日で、応募は約7万8千通と「言われています」[12]。8月号は100名枠に約8万通の応募があり、1996年8月23日・24日の次世代ワールドホビーフェアでは、抽選で両日350名ずつ計700名に配布されました。事前告知にはミュウと書かず、画像も別のポケモンでした[6]。
並行して、意図されない動きで起きるバグを使った裏技も広まりました。マグミクス(2024年3月31日)は、道具欄でセレクトボタンを押してキャンセルする「セレクト技」で、トレーナーや敵を指定する数値が書き換わり、没データの「オーキドせんせい」を呼び出せると書いています。当時の子どもたちは、うわさで知って、さまざまな方法を試していたそうです[14]。
同じマグミクスの解説の2ページ目は、「けつばん」を、セレクト技で技を不正常な状態にしたポケモンを捕まえると出現する、見た目が文字化けしたポケモンとして紹介しています。セーブするときに別のバグ技を使わないと、データがおかしくなるとも書かれています[14]。ミュウを出すバグ技も知られていますが、確かな資料でその手順を確かめられなかったので、ここでは扱いません。
6. ピカチュウが アニメで にんきものに
6. アニメが始まり、ピカチュウが人気者になる
6. アニメ化(1997年)で人気が広がり、『ピカチュウ』バージョン(1998年)が出た
ゲームで にんきが 出た ポケモンは、テレビでは どうなったのでしょう。1997年4月1日、テレビで アニメの 「ポケットモンスター」が はじまりました。
1998年9月12日には、「ピカチュウ」バージョンが 出ました。さいしょに えらぶ ポケモンは ピカチュウです。ピカチュウは モンスターボールに はいらず、うしろを ついて あるきます。なきごえも、アニメと おなじ です。
1997年4月1日のアニメ
ゲームで人気が出たポケモンは、テレビでどうなったのでしょうか。アニメ『ポケットモンスター』は、1997年4月1日にテレビ東京系列で始まりました。毎週火曜日の18時30分からの30分番組です[13]。電撃オンラインは、アニメでピカチュウの印象が大きく変わり、ポケモンは子どもだけでなく親の世代にも広がった、と書いています[13]。
1998年9月12日の『ピカチュウ』
『ピカチュウ』バージョンは、1998年9月12日に発売されました。最初に選ぶポケモンはピカチュウで、モンスターボールに入らず、主人公の後ろをついて歩きます。鳴き声もアニメと同じです[15]。
ゲームで人気が出たポケモンは、テレビでどう広がったのでしょうか。アニメ『ポケットモンスター』は、1997年4月1日にテレビ東京系列で放送を開始しました(毎週火曜18時30分、30分枠)[13]。電撃オンラインは、アニメによってピカチュウの印象が大きく変わり、ポケモンが子どもだけでなく親の世代にも広がって、商品展開が急速に進んだと述べています[13]。
1998年9月12日発売の『ピカチュウ』バージョンは、ストーリーは基本的に同じで、アニメに準じて大幅に改修されていました。最初に選ぶポケモンはピカチュウで、モンスターボールに入らず後ろについて歩き、鳴き声もアニメと同じです[15]。4Gamerも、ピカチュウ版でアニメと同様の鳴き声と、ポケモンが追従する機能が加わったと書いています[10]。
7. テレビでも、ゲームの きかいでも、たいせんが できた
7. テレビ番組でも、ゲームでも、カードでも、対戦の場が広がった
7. 対戦の場の広がり ── テレビ番組やNINTENDO64のソフト、ゲームボーイのカードゲームにも広がった
ゲームボーイが なくても、ポケモンの たいせんは 見られたのでしょうか。テレビの 「64マリオスタジアム」と いう ばんぐみに、ポケモンの たいせんの コーナーが あったと いわれて います。しかいは、渡辺徹さんでした。
1998年8月1日には、ゲームボーイの ポケモンを、ゲームの きかい 「NINTENDO64」に よびだして たたかえる ソフト「ポケモンスタジアム」が 出ました。
ポケモンの カードも ありました。1996年10月20日に カードゲームが 出て、1998年12月18日には、ゲームボーイで あそべる 「ポケモンカードGB」も 出ました。
ただし、テレビで どんな たいせんが あったのかは、この メモでは、くわしく たしかめられませんでした。
テレビ番組『64マリオスタジアム』
子どもたちは、ゲームの外でも、ポケモンで対戦できたのでしょうか。日本語版Wikipediaによると、『64マリオスタジアム』は、1996年7月4日から2000年9月28日まで、テレビ東京系列で放送された、任天堂一社提供のゲーム情報バラエティです。司会は、全期間を通して俳優の渡辺徹でした。企画のひとつ「ポケモンリーグ」は、赤・緑での対戦で、3週勝ち抜くと殿堂入りになる形式だったと書かれています[16]。ただし、この項目には出典が足りないという注意書きがあり、当時の資料では、この形式を確かめられませんでした。番組でどんな名勝負があったのかは、このメモでは確かめられませんでした。
ゲームでも、カードでも
『ポケモンスタジアム』は、1998年8月1日に発売された、NINTENDO64用のソフトです。価格は6,800円(税抜)で、64GBパック(ゲームボーイのカセットをNINTENDO64につなぐ部品)を使って、ゲームボーイのカセットから自分のポケモンを呼び出し、3体ずつのチームで対戦できました。使えるポケモンは40匹です[17]。国内で137万本売れたと、電撃オンラインは書いています[15]。
ポケモンカードのゲームは、1996年10月20日に発売されました[10]。カードの歴史は、トレーディングカードのメモで扱っています。1998年12月18日には、ゲームボーイカラー対応の『ポケモンカードGB』が出て、通信ケーブルでの対戦と、カードの交換ができました[15]。
子どもたちは、ゲームの外でも、ポケモンで対戦できたのでしょうか。日本語版Wikipediaによると、『64マリオスタジアム』は、1996年7月4日から2000年9月28日まで、テレビ東京系列(毎週木曜18時30分)で放送された、任天堂一社提供のゲーム情報バラエティ番組です。司会は俳優の渡辺徹が全期間を務め、企画のひとつ「ポケモンリーグ」は『赤・緑』による対戦で、3週勝ち抜くと殿堂入りとなる形式だったと書かれています[16]。ただし、この項目には出典不足の注意書きがあり、この形式も、番組内の具体的な名勝負や参加した子どもの様子も、当時の資料では確かめられませんでした。
『ポケモンスタジアム』は1998年8月1日発売のNINTENDO64用ソフトで、価格は6,800円(税抜)です。64GBパック(ゲームボーイのカセットをNINTENDO64につなぐ部品)を使って、ゲームボーイのカセットから手持ちのポケモンを呼び出し、3体ずつのチームで対戦でき、バトルで使えるポケモンは40匹でした[17]。電撃オンラインは、国内の売上を137万本と書いています[15]。
ポケモンカードは1996年10月20日に発売され[10]、1998年12月18日にはゲームボーイカラー対応の『ポケモンカードGB』が発売されました。通信ケーブルでの対戦と、GBリンクでのカード交換ができました[15]。カードの歴史は、トレーディングカードのメモを参照してください。
じぶんでも やって みる
自分でも調べてみたくなったら
自分でも調べてみたくなったら
おうちの 大人に、ゲームボーイで あそんだ ことが あるか、きいて みましょう。
あんぜんな ばしょで できる こと
- ゲームボーイの はなしを きく。 むかし、ともだちと どんな ふうに あそんだか、おしえて もらいましょう。
- バグの うらわざは、まねを しない。 セーブした データが おかしく なる ことが あると 書かれて います。
きょう 出て きた 日づけを ひとつ だけ ノートに 書いて おきましょう。「1996年2月27日」だけでも いいです。
このメモの話は、当時の資料を自分で読んで確かめることができます。
今日できること
- 家族に、当時の話を聞く。ゲームボーイで遊んだことがあるか、通信ケーブルで交換したことがあるか、聞いてみましょう。
- バグの裏技は、まねをしない。データがおかしくなることがあると書かれています。
調べてみよう
電撃オンラインの「ポケモンと歩いた30年」は、年ごとに1996年から順に読めます[12][13][15]。
気になった数字や日づけを1つだけ書いておくと、あとで調べる入口になります。「13万本、300万本」だけでも十分です。
年ごとの出来事と、数字の出どころを自分で追うと、資料ごとに書き方がちがうところ(たとえば、青のローソン予約の誌数)が見えてきます。
手を動かして確かめる
- 数字の出どころを比べる。出荷本数と売上本数が、同じ数え方かどうかを、資料ごとに確かめてみましょう。
- 当時の雑誌を探す。月刊コロコロコミックの1996年の号が、近くの図書館に残っていないか調べてみましょう。
- バグの裏技は、試さない。データがおかしくなることがあると、資料に書かれています[14]。
一次情報にあたる
任天堂の商品ページ[5][17]と、ポケモン公式サイト[9]が、発売日と機能を確かめる出発点になります。
気になった数字や言葉を1つだけノートに記録しておきましょう。「初日約13万本、1年4か月で300万本」という一文でもかまいません。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
この記事は、下にあげた公開情報をもとに書いています。文章や図を無断で転載してはいません。もっと正確に知りたいときは、必ず下の出典にあたってください。リンク先の内容や、リンク先で起きたことについて、当サイトは責任を負いません。
出典について:任天堂・ポケモン公式サイト、雑誌・新聞社のサイト、個人の特集記事、日本語版Wikipediaを使っています。日本語版Wikipediaと個人の特集記事は、ほかで確かめられなかった点にだけ使い、そう分かるように書きました。このメモは、任天堂・株式会社ポケモン・ゲームフリークなどの公式のものではなく、個人のまとめです。
- HugKum(小学館)「ポケモンをつくった男・田尻 智『少年時代の昆虫採集がポケモンの原点』【学習まんが特別公開】前編」。 https://hugkum.sho.jp/190781 (田尻智の少年時代の昆虫採集と、ポケモンの原点についての解説)
- GAME Watch「『ゲームボーイ』生誕35周年! ゲームを持ち歩くプレイスタイルを確立した携帯ゲーム機の金字塔」(2024年4月21日)。 https://game.watch.impress.co.jp/docs/kikaku/1585845.html (ゲームボーイの発売日、通信ケーブル、ポケモンによる再ブームについての記事)
- 日本語版Wikipedia「田尻智」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%B0%BB%E6%99%BA (ゲームボーイの通信機能に着目して企画を持ち込んだ経緯、当初の予定から6年以上が経過して発売されたこと、ゲームフリークの成り立ち。誰でも編集できる百科事典で、公式の資料では確かめていないので、この点にだけ使った)
- 日本語版Wikipedia「杉森建」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E6%A3%AE%E5%BB%BA (杉森建の役割と、ピカチュウのデザインについての記述。誰でも編集できる百科事典で、公式の資料では確かめていないので、この点にだけ使った)
- 任天堂「ポケットモンスター赤・緑」(ゲームボーイのソフト紹介ページ)。 https://www.nintendo.co.jp/n02/dmg/apajapbj/index.html (発売日、価格、通信ケーブルでの交換・対戦、151種類という記述。ページの大部分が画像で、文字は限られる)
- 電撃オンライン「ポケモンと歩いた30年【1996年】初代『赤・緑』と幻のミュウ 後編【30周年記念コラム】」。 https://dengekionline.com/article/202602/67271 (初日・初週の出荷数、青の募集、ミュウの配布、ゲームボーイポケットの発売)
- ファミ通.com「『ポケットモンスター 赤・緑』が発売された日&ポケモンデー。一大ブームを巻き起こしたシリーズの原点で幻のポケモン“ミュウ”も話題に【今日は何の日?】」(2024年2月27日)。 https://www.famitsu.com/news/202402/27335693.html (口コミでの拡大、ミュウのうわさ、青の限定販売と一般販売についての記事)
- 日本食糧新聞「ローソン、『ポケットモンスター青』独占予約販売開始」(1997年6月20日号、8221号4面)。 https://news.nissyoku.co.jp/news/nss-8221-0031 (ローソンでの予約販売の日付、価格、申込方法、赤・緑の合計売上300万本という記述。ページで読めるのは記事の冒頭だけで、続きは会員向け)
- ポケットモンスターオフィシャルサイト「『ポケットモンスター』シリーズの原点|ニンテンドー3DSバーチャルコンソール用ソフト『ポケットモンスター赤・緑・青・ピカチュウ』」。 https://www.pokemon.co.jp/ex/VCAMAP/game/ (赤・緑の発売日、青の一般発売年の記述)
- 4Gamer.net「『ポケットモンスター』が2016年2月27日で20周年。第一作『ポケットモンスター 赤・緑』から20年の歩みを振り返る」。 https://www.4gamer.net/games/316/G031663/20160226129/ (複数バージョンと通信交換がヒットにつながったこと、ポケモンカードやピカチュウ版の発売日についての記事)
- しんこうろ「【特集】ポケモン赤緑の開発秘話|虫取り少年・田尻智が“ポケモン”に辿り着くまでの6年間の物語」。 https://sin-koutrocom.jp/pokemon-red-green-development-story/ (個人の特集記事。赤と緑で出現するポケモンが一部ちがうことと、通信交換で進化するポケモンについてだけ使った)
- 電撃オンライン「ポケモンと歩いた30年【1996年】初代『赤・緑』と幻のミュウ 前編【30周年記念コラム】」(2026年2月27日)。 https://dengekionline.com/article/202602/67042 (ミュウの最初のプレゼント企画、通信のやり方を知ったときの筆者の体験)
- 電撃オンライン「【ポケモン30周年記念コラム】ポケモンと歩いた30年を振り返る(1997年)。『青』とアニメのピカチュウ 前編」。 https://dengekionline.com/article/202603/67867 (ローソンでの青の受付期間、アニメの放送開始)
- マグミクス「初代『ポケモン』ヤバすぎるバグ技『オーキドせんせい』『けつばん』とは?」(2024年3月31日)。 https://magmix.jp/post/222154 / 2ページ目 (「セレクト技」で起きるバグと、「オーキドせんせい」「けつばん」の紹介)
- 電撃オンライン「【ポケモン30周年記念コラム】ポケモンと歩いた30年を振り返る(1998年)『ピカチュウ』バージョンと映画のミュウツー…そして『ピカチュウげんきでちゅう』」。 https://dengekionline.com/article/202603/68919 (ピカチュウ版、ポケモンスタジアム、ポケモンカードGBの発売日と内容)
- 日本語版Wikipedia「64マリオスタジアム」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/64%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%A0 (番組の放送期間・司会・ポケモンリーグの企画。出典不足の注意書きがあり、当時の資料では確かめていないので、この点にだけ使った)
- 任天堂「ポケモンスタジアム」(NINTENDO64のソフト紹介ページ)。 https://www.nintendo.co.jp/n01/n64/software/nus_p_npsj/index.html (発売日、価格、64GBパックでの対戦、40匹という記述)
なおした ところ
更新履歴
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