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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

かふんしょうの 23さいが、しまから でんしの けいさんを かえた

花粉症で島へ逃げた23歳は、なぜ「電子の位置と動きは同時に正確には決まらない」と考えたのか

ハイゼンベルクは、なぜ電子の位置と運動量を同時に正確に測れないと考えたのか

分野:宇宙・天文

ドイツの わかい かがくしゃ ハイゼンベルクは、23さいの とき、ひどい かふんしょうに なりました。かふんの すくない しまへ にげた その しまで、ものすごい けいさんを はじめたと いわれて います。

2ねん後、かれは「でんしを 正しく 見ようと すると、見る ための 光が でんしを うごかして しまう」と かんがえました。これが「ふかくていせい」と よばれる かんがえの はじまりです。この 記事では、2012ねんの じっけんで、どの しきが たしかめられたのかも しょうかいします。

2012年、中性子のスピンを測る実験で、測定の誤差と乱れについてのハイゼンベルクの式が破れ、小澤の式に従う結果が出ました。では、何が破れ、何が残ったのでしょうか。話は、量子力学の中心人物になるハイゼンベルクが23歳のとき、重い花粉症の療養のために、花粉の少ない北海の島へ向かったところから始まります。その島で、見えない軌道をやめて、観測できる量だけで原子を計算する方法を進めたと伝えられています。

それから2年後、彼は「電子の位置を細かく見ようとするほど、動きのほうがぼやける」という関係を発表します。ところが、この関係は100年近くたった今も実験で試されています。この記事では、島での計算、思考実験、波としての説明、そして2012年の実験で何が確かめられたのかが分かります。

ヴェルナー・ハイゼンベルクは、1925年6月7日、重い花粉症の療養のために北海のヘルゴラント島へ向かった。当時23歳。島で観測できる量だけを使う原子の計算を進め、2年後の1927年3月に、位置と運動量のように組になる量を同時に正確には測れないという不確定性関係を発表した[1]。

では、その関係はどんな問いから生まれ、何を意味しているのか。しかも2012年には、そのうち「測定の誤差と乱れ」の部分の式が、実験で破れることが報告された[7]。この記事では、1927年の考え方、いまの標準的な式、2012年の実験が何を確かめたのかが分かる。

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1. かふんしょうの しまで、なにを した?

1. 花粉症の島で、23歳は何を始めたのか

1. ヘルゴラント島の計算 ── 見えない軌道を使わない(1925年)

1925ねん 6がつ、ハイゼンベルクは、きたの うみに ある ヘルゴラントとうと いう しまへ むかいました。かふんしょうが ひどくて、かふんの すくない しまで ゆっくり したかったからです。

しまで かれは、原子の 中の でんしが どんな みちを とおるのかを、けいさんで もとめるのを やめました。かわりに、人が じっさいに はかれる ものだけで けいさんする ことに しました。

けいさんが おわった のは、よなかの 3じ ちかくだったと、のちに かれ じしんが 話して います。わかい かがくしゃの、ねむらない 夜でした。

でも、はかれる ものだけで 理ろんを つくると、ふしぎな 問いが うまれます。でんしを 見るって、どういう こと?

1925年6月7日、23歳のハイゼンベルクは、重い花粉症から回復するため、北海のヘルゴラント島へ向かいました[1]。花粉の少ない場所で療養するための旅でした。

島で彼が取り組んだのは、原子の中で電子がどんな道すじを回っているのか、という「見えない軌道」をやめることでした。かわりに、原子が出す光の振動数や強さのように、実際に測れる量だけで原子を説明しようとしたのです。

計算の最後の結果が出たのは、夜中の3時近くだったと、本人が後年に回想しています[2]。これはあとから語られた思い出なので、時刻は目安として受け取ってください。

ところで、測れる量だけで理論を作ると決めたら、「電子の位置を測る」とは何をすることなのか、という問いが出てきます。

ハイゼンベルクは花粉症の発作から回復するため、1925年6月7日に北海のヘルゴラント島に渡った[1]。23歳である。そこで彼は、電子の軌道という直接観測できないものを前提にせず、スペクトル線の振動数や強度という観測できる量だけで原子を記述する計算に取り組んだ。計算の結果が出たのは夜中の3時近くだったと、本人は後年に回想している[2]。この時刻は回想なので、記録というより逸話として扱うのが穏当だ。

6月19日にゲッティンゲンへ戻ると論文にまとめ、7月9日に完成させた。原子の理論は観測できる量だけで組むべきだ、という考えが指導原理だった[1]。この計算は、のちにボルンとヨルダンが行列を使って数学的に整え、行列力学と呼ばれる形になった[1]。

だが、観測できる量だけで理論を組むなら、次の問いを避けられない。そもそも電子の位置を「観測する」とは、実際には何をすることなのか。

2. 「見える ものだけ」で いいの?

2. 理論を作ったあとの問い ── 「見える」とは何か

2. 観測の意味を問い直す ── アインシュタインとの対話(後年の回想)

ハイゼンベルクは、のちに、アインシュタインと 話した ことを おもいだして います。アインシュタインは、「なにが 見えるかを きめるのは、りろんだ」と いったそうです[4]。

これは、あとから 話された ことなので、「そう つたえられて いる」くらいで 聞いて ください。

それでも、この ことばは ヒントに なります。でんしを 見る とは、どう する こと なのでしょう。

ハイゼンベルクは後年、アインシュタインから「何が観測できるかを決めるのは理論のほうだ」と言われたと回想しています[4]。後年の思い出話なので、逸話として受け取るのがよいでしょう。

この言葉は、1つの疑いを生みます。「測れるものだけで理論を作る」と決めたなら、その「測る」を、ほんとうに考えなければならない。電子の位置を見る、というのは、具体的にどういう手順なのか。

そこで彼は、頭の中だけで行う実験を考えました。

ハイゼンベルクは後年、アインシュタインが、観測できるものを決めるのは理論だという趣旨のことを述べたと回想している[4]。これも後年の回想で、記録としては確定していないので、あくまで逸話の範囲で扱う。

この言葉は、観測量だけで理論を作るという方針に、1つの要求を突きつける。観測の手順そのものを、理論の側から考えなければならない、ということだ。電子の位置を測る操作は、具体的にどんな物理過程なのか。

1927年に彼が使ったのは、実際には装置を作らない、頭の中だけの実験(思考実験)だった。

3. 光で でんしを 見ると どうなる?

3. ガンマ線の顕微鏡で電子を見ると、何が起きるのか

3. ガンマ線顕微鏡の思考実験 ── Δp・Δx ~ h(1927年)

1927ねん 3がつ、ハイゼンベルクは、デンマークの コペンハーゲンで、あたらしい かんがえを はっぴょうしました[1]。

かれは、頭の 中で、とても 小さい ものが 見える けんびきょうを つくりました。光の かわりに ガンマ線と いう、はちょうの みじかい 光を つかいます。

でんしを くっきり 見たいほど、みじかい はちょうが いります。でも、その 光が でんしに あたると、でんしを ポンと けとばして しまいます[3]。

たとえば、まっくらな へやで、ボールを 手さぐりで さがす ところを おもって ください。手が ボールに ふれた しゅんかん、ボールは ころがって いって しまいます。ただし、でんしで おきる ことは、ボールを 手で さわる たとえとは ちがいます。

ハイゼンベルクは、でんしを 見る ための 光が でんしの うごきを みだす、と かんがえました。これは「はかる ときの みだれ」に ついての せつめいです。だから、いまの 場所は よく わかっても、これから どちらへ すすむかは、ぼやけて しまいます。

1927年3月、ハイゼンベルクはコペンハーゲンのボーア研究所で、位置と運動量のように組になる量を同時に測ることには限りがある、という不確定性関係を発表しました[1]。論文は3月27日付で、思考実験のガンマ線顕微鏡を使っています[4]。

電子の位置を細かく見るには、波長の短い光、つまりガンマ線が必要です。ところが、その光が当たると、電子は蹴られて運動量が乱れます[3]。位置をはっきりさせようとするほど、運動量のほうがぼやけてしまうのです。

身近なたとえなら、暗い部屋で転がるボールを手さぐりで探す場面です。触った瞬間にボールが動いてしまう。ただし、電子の場合の「蹴られ方」は、ボールよりずっと本質的です。電子で起きることは、ボールを手で触るたとえとは違います。

ハイゼンベルクは、このぼやけの大きさをΔp・Δx ~ hと見積もりました[3]。ただしこの「~」は、おおまかな見積もりの印です。

とすると、あの「ぼやけ」は、本当に「見ようとして光で蹴ったから」だけが原因なのでしょうか。

1927年3月、ハイゼンベルクはコペンハーゲン(ボーア研究所)で、位置と運動量のように組になる量の同時測定を制限する不確定性関係を発表した[1]。3月27日付の論文で使われたのが、ガンマ線顕微鏡の思考実験である[4]。

電子の位置を高い精度で見分けるには、波長の短い光が要る。そこでガンマ線を使うと、当たった光が電子を蹴って運動量を乱す[3]。位置を精密に決めるほど、運動量のほうが不確かになる。この大きさをハイゼンベルクはΔp・Δx ~ hと見積もった[3]。この式の「~」は桁の目安という意味で、厳密な不等式ではない。

この説明は、測定の誤差と、測定が相手に与える乱れを結びつけている。だが、この「測定が乱すから」という説明だけが原因なのか、という問題は、のちに別の整理が出てくる(5章)。まず、同じ制限が、測定とは関係のない波の性質としても出てくることを見る。

4. 光を つかわなくても、ぼやける の?

4. 「蹴るから」だけではない ── 波として見ると

4. 波のフーリエ変換から見た同じ制限

でんしは「つぶ」の ようでも あり、「なみ」の ようでも あると かんがえます。なみには、こんな せいしつが あります。ひろがった なみの かたちと、その なみの 長さの ならびかたは、りょうほう いっぺんに、とがらせる ことが できません[5]。

ここで いう「ならびかた」は、でんしの 動きの ちがいに あたります。だから、じゅんびした でんしの 場所と 動きは、いっぺんには くっきり しません。これは、光で けとばす はなしとは べつの せつめいです。

実は、電子は粒のようにも波のようにもふるまいます。波の形で表すと、広がった波の形と、その波にどんな波長がどのくらい混ざっているかという分布は、同時には両方とも鋭くできません。これは数学のフーリエ変換という関係から導かれる事実だと説明されています[5]。

位置と運動量は、この関係にある「組」です。そのため、準備した電子の状態では、位置の広がりと運動量の広がりを同時には小さくできません。

この説明には、ガンマ線の顕微鏡は出てきません。光で蹴らなくても、波の性質だけで、位置と運動量が同時には鋭く決まらないことが説明できるのです。これは、測定の誤差や乱れとは別の話です。

では、その2つの説明は、同じ式の別の言い方なのでしょうか、それとも、別のものなのでしょうか。

不確定性関係は、粒子が波としての性質も持つことからも説明される。広がった(局在しない)波の形と、そのフーリエ変換、つまり波長成分の分布は、両方を同時に鋭く絞ることができない[5]。位置と運動量はこの関係にある組であり、波動関数で表した状態では、位置の分布と運動量の分布の広がりを同時には小さくできない。「粒でも波でもあるから」という言い方だけで済ませず、この数学的な関係に基づく制限だと理解するのがよい。この説明は百科事典的な整理に基づくので、数式の導出は一次の教科書やスタンフォード哲学百科事典で確かめるのがよい。

この見方では、測定器が電子を蹴るかどうかとは無関係に、制限が出てくる。つまり、これは測定の誤差・擾乱とは別の話であり、ガンマ線顕微鏡の「測定の乱れ」だけでは、不確定性の全体を説明しきれない。ここから、2つの異なる読み方を区別する必要が生じる。

5. ふたつの よみかたが ある?

5. 2つの読み方 ── 準備のばらつきと、測定の乱れ

5. 準備の不確定性と、測定の誤差・擾乱 ── ケナードの不等式(1927年)

おなじ 1927ねんに、ケナードと いう 人が、きちんと した しきを しょうめい しました[5]。ばしょの ばらつきと うごきの ばらつきを かけた ものは、ある 大きさより 小さく ならない、と いう しきです。

この しきは、おなじ じょうたいの でんしを たくさん つくって、ばしょと うごきを それぞれ はかった ときの、ばらつきの はなしです。

いっぽう、ハイゼンベルクが けんびきょうで いおうと した ことは、1つの でんしを はかる とき、はかりかたが でんしを みだす はなし でした[4]。

ふたつの よみかたは、にて いますが、おなじ ものでは ありません。

同じ1927年に、ケナードが位置と運動量のばらつき(標準偏差)についての厳密な不等式を証明しました。位置のばらつきと運動量のばらつきの積は、プランク定数hを2πで割ったħ(エイチバー)の半分以上になる、というものです[5]。現在の標準的な式はこちらです。

スタンフォード哲学百科事典は、不確定性には2種類の読み方があると整理しています[4]。1つは準備の不確定性で、同じ状態に作った多数の電子について、位置と運動量をそれぞれ測ると、ばらつきの積がħ/2以上になるというものです。ケナードの式がこれにあたります。

もう1つは測定の誤差と乱れの関係で、ハイゼンベルクが顕微鏡の話で言いたかったことに近いと整理されています。

この2つは別のものです。そうすると、片方の式に、ほころびが見つかることもありえます。

同じ1927年に、ケナードが位置と運動量の標準偏差について厳密な不等式 σx・σp ≥ ħ/2(ħ=プランク定数h÷2π)を証明した[5]。現在の標準的な式はこちらだ。ハイゼンベルクの見積もり Δp・Δx ~ h は桁の目安にとどまり、厳密な係数はこの式で定まる。

スタンフォード哲学百科事典は、不確定性には2種類の読み方があると区別している[4]。(a)準備の不確定性は、同じ状態に準備した多数の粒子で位置と運動量を別々に測ったときの広がりの積が、ħ/2以上になるという関係で、ケナードの式に当たる。(b)測定の誤差と乱れの関係は、ある量を測るときに生じる誤差と、その測定が別の量に与える乱れの間の関係で、ハイゼンベルクが顕微鏡で言おうとした内容に当たる。

両者は論理的に別の主張であり、(b)に特化した式が(a)と同じ形で成り立つとは限らない。ここに、後の実験が入りこむ余地があった。

6. いまの じっけんでは、なにが わかった?

6. 2012年、日本人研究者の式は実験で確かめられたのか

6. 小澤の不等式と中性子スピンの実験(2003年提案、2012年報告)

2003ねんに、なごや だいがくの おざわ まさなおさんが、あたらしい しきを ていあんしました。はかる ときの まちがいと みだれの かんけいを あらわす しきです[6]。

おざわさんは、ハイゼンベルクの もとの しきが、はかる まえの じょうたいに よっては やぶれる こと が あると しめしました。

2012ねんには、ウィーンこうかだいがくの 長谷川さんたちが、ちゅうせいしと いう つぶの スピンを はかる じっけんで、これを たしかめました[7]。

ただし、やぶれたのは「はかる ときの まちがいと みだれ」の しきです。ふしぎな ルールが ぜんぶ まちがいだった わけでは ありません。

みなさんが 大きく なる ころには、もっと くわしい ことが わかって いるかも しれません。

2003年、名古屋大学の小澤正直が、測定の誤差と乱れの関係を表す「小澤の不等式」を提案しました。そして、ハイゼンベルクのもとの不等式は、測定前の状態によっては破れうることを示しました[6]。

2012年、長谷川祐司(ウィーン工科大学)らは、中性子のスピンを測る実験で、ハイゼンベルクの誤差と乱れの式から外れ、小澤の式に従う結果が観測されたと報告しました[7]。結果はNature Physics誌(2012年1月15日付)に載っています[6]。

ここで注意したいのは、破れたのが「測定の誤差と乱れ」の式だということです。ケナードの式で表される不確定性の広がりが破れたわけではありません。1927年の考え方が、100年近くたって、どこまで成り立つのかが実験で確かめられている、と読むのがよいでしょう。

ところで、ハイゼンベルクが1932年のノーベル物理学賞を受けた理由は、不確定性関係そのものではなく、量子力学の創造でした[8]。

2003年に小澤正直(名古屋大)が、測定の誤差と乱れの関係を表す小澤の不等式を提案した。同時に、ハイゼンベルクのもとの不等式は、測定前の状態によっては破れうることを示した[6]。破れうるのは(b)の誤差・擾乱の関係であり、(a)のケナードの式ではない。

これを実験で確かめたのが、2012年の長谷川祐司(ウィーン工科大)らである。この中性子スピンの測定実験では、ハイゼンベルクの誤差-擾乱の式から外れ、小澤の関係に従う結果が観測されたと報告された(Nature Physics、2012年1月15日付)[7]。arXivの論文要旨では、測定したスピン成分がハイゼンベルクの定式化を破りつつ、小澤の普遍的な関係には従うと述べられている[7]。

ここで確かめられたのは、測定の誤差と乱れについての式の書き換えであり、不確定性原理そのものが否定されたのではない。なお、ハイゼンベルクの1932年(1933年授与)のノーベル物理学賞の受賞理由は、量子力学の創造であり、不確定性関係の発見そのものではない[8]。

自分でも しらべて みたく なったら

自分でも調べてみたくなったら

自分でも調べてみたくなったら

今日できること

「見る」って どういう ことかを、かんがえて みましょう。くらい へやで ものが 見えるのは、光が ものに あたって、目に とどくからです。では、とても 小さい ものを 見るときは、どう なるでしょう。

こうしきの 情報じょうほう

日本語で よめる、大学や けんきゅうじょの かいせつを さがして みましょう。「ふかくていせい げんり」「おざわの ふとうしき」が キーワードです。

今日できること

「見る」とはどういうことか、自分の言葉で書いてみましょう。暗い部屋でものが見えるのは、光が物に当たって目に届くからです。では、電子のような小さなものを見るとき、この仕組みはどうなるでしょうか。

公式情報

国内の大学や研究機関の解説、JST科学技術ポータルの記事のように、日本語で読める資料に、小澤の不等式や2012年の実験の紹介があります。出典欄のURLから、原典に当たることもできます。

今日できること

σx・σp ≥ ħ/2 と、小澤の不等式のそれぞれが「何についての式か」を、準備のばらつきと、測定の誤差・乱れに分けて、自分の言葉で書き分けてみる。

資料を読むなら

出典欄のJST科学技術ポータルの記事は日本語で、2012年の実験の概要を確認できる。読んだら、準備のばらつきの式と、誤差・乱れの式を、ノートに分けて書いてみるとよい。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

事実の確認に使った資料です。ガンマ線顕微鏡の式の表記や、ノーベル賞の受賞理由など、一部は資料の抜粋・要約を通して確認しました。

  1. Heisenberg-Gesellschaft, The development of quantum mechanics 1925–1927 https://www.heisenberg-gesellschaft.de/3-the-development-of-quantum-mechanics-1925-ndash-1927.html (ヘルゴラント島行き、論文の日付、行列力学、1927年の発表)
  2. Physics World, Return to Helgoland https://physicsworld.com/a/return-to-helgoland-celebrating-100-years-of-quantum-mechanics/ (夜中3時近くという本人の回想)
  3. AIP History, Gamma-ray microscope https://history.aip.org/exhibits/heisenberg/gamma-ray-microscope.html (ガンマ線顕微鏡の思考実験と見積もりの式)
  4. Stanford Encyclopedia of Philosophy, The Uncertainty Principle https://plato.stanford.edu/entries/qt-uncertainty/ (2種類の読み方の整理、アインシュタインとの回想)
  5. Wikipedia, Uncertainty principle https://en.wikipedia.org/wiki/Uncertainty_principle (ケナードの不等式、波とフーリエ変換の説明)
  6. JST科学技術ポータル https://scienceportal.jst.go.jp/newsflash/20120116_01/ (小澤の不等式と2012年の実験の紹介)
  7. Erhart ほか, arXiv:1201.1833 https://arxiv.org/abs/1201.1833 (中性子スピンの実験の要旨)
  8. NobelPrize.org, Nobel Prize in Physics 1932 https://www.nobelprize.org/prizes/physics/1932/summary/ (受賞理由)

なおした ところ

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