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ここに書いてあることは、誰かが実際に手を動かして調べ、考え、作り上げてきたものを拾い集めています。専門の本や論文、作品、そしてそれを生み出した人たち。気になったことがあれば、ぜひそのおおもとに直接ふれてみてください。このメモには書ききれない熱を、感じてもらえると思います。

どうして ひらがなと 漢字が あるの? 「安」が 「あ」に なるまで

なぜ漢字とひらがなの両方があるのか ── 「安」が「あ」になるまで

漢字とかなを混ぜて書く日本語 ── 万葉仮名からひらがな・カタカナへ、そして世界の文字と比べて

分野:歴史・文化

むかしの みやこ、京都の 平安京の あとから、お皿の かけらが 見つかった。いまから 1100ねん いじょう まえの もの。その かけらに、墨すみで 「かつらきへ」と、ひらがなが かいて あった[1]。

この ひらがなは、だれが つくったんだろう。しらべて いくと、どうして 漢字と ひらがなの りょうほうが あるのかも、わかって くる。

京都の平安京の跡から、9世紀後半の土器のかけらが見つかった。墨で「かつらきへ」などと、ひらがなが書いてある[1]。1100年以上前の皿の破片に、今も読める仮名が残っていた。

この文字は、だれが、どうやって作ったのだろう。調べていくと、「なぜ漢字とひらがなの両方があるのか」という問いの答えにもつながっていく。

2012年、京都市埋蔵文化財研究所は、平安貴族の藤原良相の邸宅跡から出た9世紀後半の土器片約20点に、墨で「かつらきへ」などとひらがなが書かれていたと発表した[1]。宴会などに使われたあと捨てられたとみられる皿で、同じ時期のひらがなとしては最古級とされる[1][2]。

この文字を、誰が、どうやって作ったのか。たどっていくと、日本語が漢字とひらがなとカタカナを混ぜて書かれる理由や、ほかの国の文字とのちがいまで見えてくる。

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1. お皿に かいて あった ひらがな

1. 皿のかけらに書かれた「かつらきへ」

1. 平安京の土器片 ── 9世紀後半のひらがなと、「作者」をめぐる俗説

お皿の かけらは 90こ ほど 見つかって、そのうち 20こに ひらがなが かいて あった。よめた ことばの 1つが 「かつらきへ」。ひらがなが できて まもない ころの ものと いわれる[1]。

この ひらがなを つくったのは、だれだろう。むかしの 人は、「空海くうかいという おぼうさんが つくった」と しんじて いた。でも いまの けんきゅうでは、「だれか 1人が つくったのでは ない」と 考えられて いる[2]。

それなら、ひらがなは なにを もとに して できたのか。ひらがなを よく 見ると、ヒントが ある。「あ」は 「安」から、「い」は 「以い」から、「う」は 「宇う」から できて いる[15]。ひらがなの おやは、漢字 だった。

では、その 漢字は、どこから きたのだろう。

見つかったのは、平安時代の貴族の家の跡にあった池から出た、皿などの土器の破片約90点。そのうち約20点に、計約150字のひらがなが墨で書かれていた。大半は読み取れなかったが、「かつらきへ」などの言葉が読めた[1][23]。同じ場所の9世紀前半の井戸の跡からは、漢字の音を借りた万葉仮名まんようがなで「奈尓波」と書かれた木の札や檜扇ひおうぎも出た。万葉仮名から、くずした字、ひらがなへ。文字が変わっていく道すじが、一つの遺跡で追えると報じられた[1]。

ひらがなは誰が作ったのか。国立国語研究所の研究者は、「誰か一人が作ったというものではありません」と答えている[2]。江戸時代までは、空海(774〜835年)が作ったと広く信じられていた。「いろは歌」の作者が空海だという俗説が鎌倉時代以降に生まれ、そのいろは歌が子どもの習字の手本に長く使われたため、ひらがなまで空海が作ったと信じられるようになったという。いろは歌ができたのは空海のずっと後、11世紀のことだ。片仮名も、江戸時代までは奈良時代の吉備真備が作ったと考えられていた[2]。

ひらがなの材料は、漢字だった。「あ」は安、「い」は以、「う」は宇をくずした形が元になっている[15]。では、その漢字はどこで生まれ、日本でどう使われたのか。そこから順に見ていく。

京都市埋蔵文化財研究所の発表によると、見つかったのは藤原良相(813〜867年)の邸宅跡の池から出た皿などの土器片約90点で、うち約20点に、計約150字のひらがなが墨で書かれていた。大半は解読できなかったが、「かつらきへ」などが読み取れた[23]。「かつらきへ」は神楽歌の一節かもしれないという指摘がある[1]。調査に加わった研究者は、ひらがなの確立は10世紀といわれてきたが、約50年さかのぼることがわかったと述べている[1]。

同じ遺跡の9世紀前半の井戸跡からは、檜扇(ひおうぎ)と木簡に、万葉仮名で「奈尓波」などと書かれたものも出た。「難波津」の手習い歌を写したものとされる。仮名は、1音に1字をあてる万葉仮名まんようがな、その草書体を用いた草仮名そうがな、そしてひらがなの順に移るとされ、その全部が一つの遺跡から見つかったことで、変遷が追えるという[1]。

では、ひらがなを作ったのは誰か。国立国語研究所の矢田勉さんは、「平仮名は、誰か一人が作ったというものではありません」と答えている[2]。江戸時代までは空海(774〜835年)が作ったことが広く信じられていたが、いろは歌ができたのは空海の時代よりだいぶ後の11世紀で、作者を空海とするのは鎌倉時代以降に生まれた俗説だという。いろは歌が平安時代末期から明治の初めまで、子どもがひらがなを習う手本として使われたため、やがてひらがなまで空海が作ったと信じられるようになった、という説明である。片仮名も、江戸時代までは奈良時代の吉備真備が作ったと考えられていた[2]。大辞林も、ひらがなの作者を弘法大師とする説は信じるに足りないとしている[12]。

ひらがなは漢字をくずしてできた。「あ」は安、「い」は以、「う」は宇、「え」は衣、「お」は於が元の字(字母)にあたる[15]。では、その漢字はどこで生まれ、日本でどう使われたのか。次の章から順に見ていく。

2. 漢字は どうやって できたの?

2. 漢字は絵から始まった ── 作り方は大きく4つ

2. 漢字の成り立ち ── 六書と、辞書ごとに割れる分類

漢字は、ずっと むかしの 中国で うまれた。いま わかって いる いちばん ふるい 漢字は、かめの こうらや どうぶつの ほねに ほって あった もの[3]。

漢字の つくりかたは、いくつか ある[3]。

  • ものの 形から。「日」「月」「山」「川」。
  • 漢字を くみあわせる。「木」が 2つで 「林」、3つで 「森」。
  • いみを あらわす ぶぶんと、おとを あらわす ぶぶんを くっつける。「河か」は、いみを あらわす 「水」と、「か」と いう おとを あらわす 「可か」から できて いる。

ただし、漢字の できかたの せつめいは、じしょに よって ちがう ことも ある[4]。

いまの 学校では、1年生の 80字から はじまって、6年生までに ぜんぶで 1026字 ならう[5]。すこしずつ ならう ように なって いる。この 漢字を、日本語を かく ために つかい はじめた 人たちが いた。

漢字は中国で生まれた。確かめられる最も古い漢字は、紀元前1300〜1000年ごろのもので、亀の甲羅や獣の骨に刻まれている。「鳥や獣の足跡から蒼頡が発明した」という伝説もあるが、今では信じられていない[3]。

漢字の作り方は、後漢の許慎が「六書(りくしょ)」としてまとめた。字を作る方法にあたる4つは、次のとおり[3]。

  • 象形:ものの形を写す。日、月、人、馬。
  • 指事:象形の字に記号を付けて、目に見えない考えを表す。上、下、本、末。
  • 会意:字を組み合わせて新しい意味を作る。林(木が2つ)、森(木が3つ)、鳴(鳥に口)[4]。
  • 形声:意味を表す部分と、音を表す部分を合わせる。江や河のほか、「視」は「見」(意味)と「示」(音)、「創」は「刀」(意味)と「倉」(音)[4]。

漢字全体では、形声が8割ほどを占めるといわれる[3]。ただ、成り立ちの分類は辞書によって少しずつちがう。2011年の論文では、当時の小学校の漢字1006字のうち、4冊の漢和辞典で分類がそろったのは154字で、約15%だった。許慎が会意の例にした「信」も、今は形声と考えられている[4]。成り立ちの説明は、答えが一つに決まっているとは限らない。

学校で習う漢字は、1年生の80字から6年生までで1026字。大人が新聞や役所の文書で使うときの目安になる「常用漢字」は2136字で、小学校で習う字はその半分ほどにあたる[5][6]。この漢字を、日本語を書くために使おうとした人たちがいた。

確認できる最古の漢字は、殷(商)の後期(紀元前1300〜1000年ごろ)の甲骨文字で、亀の甲羅や獣の骨に、占いの内容と結果が刻まれている。鳥獣の足跡から蒼頡が発明したという伝説は、今日では信じられていない[3]。

漢字の構成原理は、後漢の許慎の『説文解字』が六書りくしょとして整理した。うち4つが字を作る方法にあたる[3]。象形は事物の形を写したもの(日・月・人・馬)、指事は象形字に符号を付けて抽象的な概念を表したもの(上・下・本・末)、会意は二つ以上の字を合わせたもの(林は木が二つ、森は三つ、鳴は鳥に口)、形声は意味を表す部分(義符)と音を表す部分(声符)を合わせたものである。形声の例には江・河のほか、視(見+示)や創(刀+倉)がある[3][4]。漢字全体では、形声が8割ほどを占めるとされる[3]。

ただし、どの字がどの成り立ちかは、資料によって割れる。漢検の漢字文化研究奨励賞の佳作になった論文(2011年)は、2008年告示の学年別漢字配当表にあった1006字を、漢和辞典4種の分類で比べた。4種の分類がそろったのは154字、約15%にとどまった。そろった154字の内訳は、象形78字、形声41字、会意32字、指事3字である[4]。許慎が会意の例とした「信」も、後の研究では、言に従い人を音符とする形声字と考えられている[4]。

数の面では、2017年告示の学習指導要領の学年別漢字配当表は1026字で、第1学年80字、第2学年160字、第3学年200字、第4学年202字、第5学年193字、第6学年191字である[5]。この1026字は、常用漢字表(2010年告示)の2136字に含まれる。常用漢字表は、一般の社会生活での漢字使用の目安を示すもので、専門分野や個人の表記にまで及ぼすものではない、と前書きにある[6]。漢和辞典が親字として収める字は、1万〜1万4千字ほどである[4]。この漢字が、日本に来る。

3. 漢字の 「おと」だけ かりて かく

3. 漢字の「音」だけを借りる ── 鉄剣から『万葉集』へ

3. 万葉仮名 ── 5世紀の鉄剣銘から『万葉集』まで

漢字は、中国や ちょうせんはんとうから、日本に つたわった。いまから 1600ねん ぐらい まえの ことだ[3]。でも、日本には もともと 日本語が あった。漢字で 日本語を かくには、どうする? 2つの やりかたが うまれた。

  • いみを つかう。「山」を 「やま」と よむ。
  • おとだけ つかう。いみは わすれて、漢字を 「おとの しるし」に する。

おとだけ つかう かきかたを、万葉仮名まんようがなと いう。万葉集まんようしゅうという うたの 本に、たくさん つかわれて いるから。この 本には、およそ 4500首の うたが のって いる[3][10]。

たとえば 「さくら」は、「佐さ」「久く」「良ら」と かける。漢字の いみは かんけい ない。おとだけ つかって いる。

埼玉県さいたまけんで 見つかった 鉄の 剣けんには、金色の 文字が 115字 ある。人の 名前が、漢字の おとを かりて かいて ある[7][9]。1500ねん いじょう まえの ものだ。

漢字が日本に本格的に入ってきたのは、4世紀後半から5世紀初めごろ。中国や朝鮮半島から来た人たちの中に、文字を書くことを仕事にする人が現れた。使い方は大きく二つあった。一つは、漢文で事柄を書くこと。もう一つは、漢字の音だけを借りて、人の名前や地名などを書くことである[3]。

埼玉県の稲荷山古墳から出た金錯銘鉄剣(国宝)には、5世紀の115字の銘文があり、文化庁の解説は「現存最古の日本の文章といえる」と評価している[7]。「獲加多支鹵大王」など、人名は漢字の意味ではなく音を借りて書かれていて、これは「ワカタケル」と読まれる[9]。

「山」を「やま」と読むように、漢字に日本語の読み(訓)を当てることも定着した。中国語にない言葉には、日本で漢字を作ることもあった。「働」「辻」「躾」などの国字である[3]。

音を借りる書き方は、『万葉集』に多く見えるので万葉仮名と呼ばれる。『万葉集』は全20巻、約4500首を収め、万葉仮名で書かれているのが特徴だ[10]。音を借りたものを音仮名、訓を借りたものを訓仮名という。主要な万葉仮名の表では、「や」に14字が挙がる。夜は音を借りた音仮名、矢は「や」という訓を借りた訓仮名にあたる[3]。

この書き方では、漢字の意味は関係ない。「さ」に佐、「く」に久、「ら」に良をあてれば、「さくら」は「佐久良」と書ける。漢字は、ここで「音の記号」として働いている。ひらがなの元は、この使い方にある。

漢字は、4世紀後半〜5世紀初めごろ、渡来人によって本格的に日本に入り、書記を職業とする者も現れた。漢字の用法は二つに分けられる。漢文で事柄を書き記す用法と、漢字の音だけを借りて固有名詞を書き表す用法である[3]。

後者の早い例が、埼玉県行田市の稲荷山古墳から出た金錯銘鉄剣(国宝)の銘文である。百十五字の銘文は5世紀の同時代史料で、文化庁の解説は「現存最古の日本の文章といえる」とする[7]。表に57字、裏に58字が金で象嵌されている[8]。「辛亥年」は471年とされ、「乎獲居臣」「獲加多支鹵大王」など、人名は漢字の意味ではなく音を借りて書かれている(後者はワカタケルと読まれる)[9]。

漢文を日本語で理解するには、「山」の字を日本語の「やま」と読む、つまり訓が必要になる。この結びつきは、はじめは流動的だったが、しだいに安定した。中国語にない語には、漢字の構成原理にならって日本で作った字(国字)もあり、「働」「辻」「躾」などがその例で、多くは会意にあたる[3]。

音を借りる書き方は、『万葉集』に多いことから万葉仮名と呼ばれる[3]。『万葉集』は全20巻で、何度かの編集を経て奈良時代の末ごろに成立したと考えられ、約4500首を収める[10]。音を借りたものを音仮名、訓を借りたものを訓仮名という。主要な万葉仮名の表を見ると、一つの音に多くの字があてられていて、「あ」には阿・安・吾・足など、「や」には夜・矢・屋・八など14字が並ぶ。夜は音を借りた音仮名、矢は「や」という訓を借りた訓仮名にあたる[3]。

この書き方では、漢字の意味は関係しない。「さ」に佐、「く」に久、「ら」に良をあてれば、「さくら」は「佐久良」と書ける。漢字は「音の記号」として働く。ひらがなとカタカナの出発点は、この使い方にある。

4. 「安」が 「あ」に、「阿あ」が 「ア」に なる

4. 「安」が「あ」に、「阿」が「ア」になるまで

4. ひらがなとカタカナの成立 ── 全体をくずした字と、一部だけ取った字

ノートを とる とき、いそいで 字を くずして かいたり、かんたんに したり するよね。むかしの 人も、おなじ ような ことを した。ただし 本当は、だれか 1人が きめたのでは なく、たくさんの 人が すこしずつ そう かいて いった。

ひらがなは、漢字 ぜんたいを くずして できた。「宇う」が 「う」に なる ように。

カタカナは、漢字の 一ぶぶんだけ とって できた。「阿あ」から 「ア」、「伊い」から 「イ」、「宇う」から 「ウ」[14]。おぼうさんが、ふるい 本の 行の あいだに、日本語の よみかたを ちいさく かきこむ ために つかいはじめた[13]。

ひらがなを つかったのは、女の 人だけ だったのかな? しらべて みると、そうでは ない。「土佐日記とさにっき」は、男の 人の 紀貫之きのつらゆきが、女の 人の ふりを して かいたと いわれる 日記[16][22]。男の 人も、ひらがなを つかって いた[2][12]。

むかしは、おなじ おとを あらわす ひらがなが、いくつも あった。いまの かたちに きまったのは 1900ねん。それより まえの ひらがなは、変体仮名へんたいがなと いって、おそばやさんの のれんなどに のこって いる[12]。

さいしょの お皿の 「かつらきへ」は、もう ひらがなの 形に ちかい。おなじ ばしょからは、漢字の おとだけ つかった 万葉仮名まんようがなの 木の ふだも 見つかった[1]。

万葉仮名は書くのに手間がかかる。急いで書くうちに字がくずれ、9世紀には草書体の万葉仮名(草仮名そうがな)が使われるようになり、それをさらに簡単にしたものがひらがなだ[12]。年代のわかる最古のひらがなの資料は、867年に藤原有年が書いた文書(有年申文)で、漢文の中にひらがなが混ぜてある[2]。

ひらがなは漢字の全体をくずしてできた。「あ」は安、「い」は以、「う」は宇、「え」は衣、「お」は於をくずした形だ[15]。カタカナは漢字の一部を取ってできた。「ア」は阿、「イ」は伊、「ウ」は宇が元になっている[14]。9世紀のはじめごろ、奈良の学僧が漢文を日本語で読むために、経典の行間に万葉仮名の一部を省いて小さく書き入れたのが始まりと考えられている。名前の「片」は不完全の意で、ひらがなが全体をくずしたのに対して、一部の字画を省いたことによると考えられている[13]。

「ひらがなは女の人の文字」という話を聞いたことがあるかもしれない。国立国語研究所の説明では、生まれたばかりのひらがなの資料で、女性が書いたと確かめられるものは一つもなく、男性が書いたことが明らかなものはいくつもある[2]。ひらがなは「女手」とも呼ばれたが、女性専用ではなく、初期の物語や日記に使ったのは多く男性だったとされる[12]。紀貫之の『土佐日記』は「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」と始まる[16]。男性の書き手が、女性のふりをして書いた日記として知られる[22]。

もう一つ、意外なことがある。初期のひらがなは、年月日や書き手の名前を書かない、私的なやりとりに使われた。公の書類は漢文で書き、ひらがなは手紙や和歌などに使われたので、残っている資料がきわめて少ない。平安京の土器のひらがなも、宴会などに使われて捨てられた皿に書かれていた。矢田勉さんは、ひらがなは初め「消費される文字」だったと表現している[2]。

今の「1音に1字」に決まったのは、1900年の小学校令施行規則の改正による。それまでは、同じ音に何種類もの字があった。今のひらがなにない字体は変体仮名へんたいがなと呼ばれ、商店の名前や暖簾、箸袋などに名残がある[12]。

万葉仮名を速く書くうちに、字はくずれていった。9世紀に入ると草書体で書く草仮名が現れ、それをさらに簡略化して作り出されたのがひらがなである[12]。「仮名」は「仮の字」(かりな)が転じた語で、漢字を「真字(まな)」と呼ぶのに対する名だった。漢字(万葉仮名)は「男手」、ひらがなは「女手」とも呼ばれた[12]。

ひらがなの元の字(字母)は、あ=安、い=以、う=宇、え=衣、お=於など。国立国語研究所の変体仮名一覧表は、同じ音に何種類もの字母があったことを示していて、たとえば「あ」には、安のほかに惡・愛・阿が並ぶ[15]。

カタカナは、万葉仮名の字画の一部を省いた字である。阿→ア、伊→イ、宇→ウといった対応がある。「ク」は久、「サ」は散のように最初の数画を取った字、「エ」は江、「ヌ」は奴のように最後の数画を取った字もある[14]。9世紀初めごろ、奈良の学僧が漢文を日本語で読み下すために、経典の行間に小さくすばやく書き込む必要から生まれたと考えられている。最初は個人の備忘のための書き込みで、字体はまちまち、社会的な統一もなかった[13]。名前の「片」は不完全の意で、ひらがなが万葉仮名の全画をくずしたのに対して、一部の字画を省いたことによると推測されている[13]。

ひらがなを使った人については、誤解が多い。矢田勉さんによれば、誕生したてのひらがなの資料で、女性が書いたと確かめられるものは一つもなく、男性が書いたことが明らかなものはいくつかある。年代のわかる最古の資料は、讃岐介だった藤原有年が867年に書いた「有年申文」で、漢文の中にひらがなが混ぜてある。天台宗の高僧・円珍(814〜891年)が晩年に書いた手紙の末尾にも、ひらがなが混じっている[2]。漢字が書けない人の文字というイメージについても、矢田さんは、漢字を使いこなせない人たちが漢字から独自の文字を生み出したと考えるほうが不自然だと述べる[2]。

「女手」の呼び名は、女性が主にこの文字を使ったことによるが、必ずしも女性専用ではなく、消息文や和歌、初期の物語や日記に使ったのは多く男性だったと、大辞林は述べる[12]。紀貫之の『土佐日記』は、承平4年(934年)の12月に土佐を出発する旅を記したもので、「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」で始まる[16]。男性の書き手が、女性のふりをして書いた日記として知られる[22]。

初期のひらがなは、日付や書き手の名前を書かない、私的なやりとりに使われた。漢文の文書は、いつ誰が書いたかを明記して証拠として残すが、ひらがなにはその配慮が要らなかったのだろうと、矢田さんは考える。残る資料がきわめて稀なのはそのためで、平安京の邸宅跡の土器のひらがなも、宴会などに使われて廃棄された皿に書かれていた。ひらがなは初め「消費される文字」だったというのが、矢田さんの表現である[2]。

現在の1音1字の形に統一されたのは、1900年(明治33年)の小学校令施行規則の改正による。それ以外の字体は変体仮名へんたいがなと呼ばれ、商店名や暖簾、箸袋などに名残がある[12]。カタカナの現行の字体も、同じ改正で統一された[13]。

5. どうして まぜて かくの?

5. なぜ、三つの文字を混ぜて書くのか

5. 漢字かな交じり文 ── 混ぜて書くと、何が起きるか

「ここではきものをぬいでください」。ぜんぶ ひらがなで かくと、2とおりに よめる。

  • 「ここで、はきものを ぬいでください」(げんかんで くつを ぬぐ いみ)
  • 「ここでは、きものを ぬいでください」(きものを ぬぐ いみ)

漢字を まぜて かくと、「ここで 履物はきものを ぬいで ください」「ここでは 着物きものを ぬいで ください」と、どちらの いみか すぐ わかる。

日本語は、えいごの ように ことばの あいだを あけない。かわりに、漢字と ひらがなを まぜる。漢字は ことばの 中心、ひらがなは 「を」「は」や ことばの おわりに つかう。だから 漢字と ひらがなの さかいめが、ことばの きれめの ヒントに なる[17]。カタカナは、そとの 国から きた ことばなどに つかう[13]。

おとなに、ひらがなだけの 文と、漢字まじりの 文を よんで もらった じっけんが ある。漢字まじりの ほうが はやく よめた。でも おなじ 文を なんども よむと、ひらがなだけも はやく なった。なれる ことも たいせつ[17]。だから、漢字が むずかしいと 思うのは ふつうの こと。おとなも、なれるまでには じかんが かかった。この 文の ひらがなの ところは、よみやすい ように、ことばの あいだを あけて いるよ。

やってみよう。「ここではきものをぬいでください」を ノートに ひらがなで かいて、「、」を いれる ばしょを かえて みよう。「、」を どこに いれるかで、いみが かわる。

「ここではきものをぬいでください」を、全部ひらがなで書いてみる。「ここで、はきものを」なのか「ここでは、きものを」なのか、切れ目で意味が変わる。漢字を使えば「ここで履物を脱いでください」「ここでは着物を脱いでください」と、どちらか一目でわかる。よく引かれる例文だ。

日本語は、英語のように単語の間をあけて書かない。その代わり、意味の中心になる名詞や動詞の語幹は漢字、助詞や活用語尾はひらがなで書く。漢字とひらがなの境目が、語の切れ目のヒントになる[17]。カタカナは、外来語や擬声語、方言の表記などに向いている[13]。

混ぜ書きは、実際に読みやすいのだろうか。1990年の論文に、大学生・高校生37人の実験がある。約1000字の文章を、漢字かな交じり(原文)、ひらがなだけ、カタカナだけの3通りにして、3つの群に1種類ずつ黙読させた。この実験では、漢字かな交じりを読んだ群の平均時間がいちばん短かった(2分11秒。ひらがなだけは3分28秒、カタカナだけは4分5秒)。内容の理解テストの正答率は、どれも8割前後で、大きな差はなかった[17]。

ただし、ここから「ひらがなは読みにくい」と決めるのは早い。論文が紹介する1960年の別の実験では、同じ文を3回続けて読ませると、ひらがな文の読了時間は回を重ねるごとに縮み、3回目には漢字かな交じり文にほぼ並んだ。読みやすさには「慣れ」が大きく関わるらしい、と論文は述べる[17]。漢字を習っている最中に、漢字まじりの文がむずかしく感じるのも、自然なことだろう。

三つの文字の役割は、常用漢字表の書き方にも表れている。表では、音読みはカタカナ、訓読みはひらがなで示されている[6]。「山」なら、音はサン、訓はやま。

「ここではきものをぬいでください」は、読点の位置で意味が変わる例文としてよく引かれる。全部ひらがなだと、「ここで履物を」と「ここでは着物を」の二通りに読める。漢字を交ぜると、語の切れ目が見える。日本語は英語のように単語の間をあけないが、そのぶん漢字とかなの交ぜ書きが、区切りの手がかりになると説明される[17]。

漢字かな交じり文では、名詞・動詞・形容詞などの実質的な意味を表す部分に漢字を使い、助詞や助動詞などはひらがなで書くのが普通である。この使い分けについて、小山内一陽子さんの論文は、本多勝一の指摘を引いている。漢字とカナを併用するとわかりやすいのは、言葉のまとまりが絵のように見えるためで、ローマ字の分かち書きにあたる役割を果たしている、という内容である[17]。カタカナは、外来語や擬声語、俗語、方言の表記などに適している[13]。

では、混ぜ書きは実際に読みやすいのか。同じ論文には、大学生・高校生37人(13人・12人・12人の3群)の実験がある。鈴木孝夫『ことばと文化』の約1000字を、原文(漢字率36.9%)、ひらがなだけ、カタカナだけにして、1群に1種類ずつ黙読させた。平均の読了時間は、原文が2分11秒、ひらがなだけが3分28秒、カタカナだけが4分5秒で、この実験では原文を読んだ群がいちばん短かった。ただし論文は、読む速さは読みやすさと同じ概念ではなく、その一部にあたるものだと断っている。内容を問う10問のテストの正答は、平均で8.5問、8.1問、7.7問と、大きな差はなかった[17]。

ただし、この差を文字そのものの性質だけに帰すのは早い。論文が紹介する1960年の別の実験(500音節の文章を3回続けて微音読)では、ひらがな文の読了時間は1回目77.5秒、2回目61.0秒、3回目58.5秒と縮み、漢字かな交じり文の59.5秒、55.0秒、55.0秒に近づいた。論文は、漢字かな交じり文は「慣れる」時間を必要としない分だけ効率的だと考え、あわせて漢字そのものの働きも理由に挙げている[17]。1950年代の調査では、漢字の割合が100字あたり20字以下になると読みにくさが急に増すと報告されている[17]。読みやすさの背景に「慣れ」があるなら、漢字を習っている途中で難しく感じるのは、不思議なことではない。

三つの文字の分担は、常用漢字表の凡例にも表れている。音訓欄では、字音はカタカナ、字訓はひらがなで示されている(山なら、音はサン、訓はやま)[6]。

6. ほかの 国の 文字は?

6. ハングルは「作った人と年」が記録に残る文字

6. ハングルと漢字文化圏 ── 作者と日付が残る文字、残らない文字

日本語には、漢字と ひらがなと カタカナが ある。3年生で ならう ローマ字も ある[5]。ほかの 国には、また ちがう 文字が ある。

かんこくの ハングルは、いまから 580ねん ぐらい まえの もの。むかしの きろくに、世宗セジョンと いう 王さまが つくったと かいて ある。いつ、どんな 考えで つくったかも、本に のこって いる[18]。

もじは、おとを だす ときの 口の 中の 形を まねて つくられた。たとえば ある もじは、したの さきが はぐきに つく 形[18]。

ひらがなは、はんたいに、だれか 1人が つくったのでは ない[2]。おなじ 「おとを かく 文字」でも、うまれかたが ずいぶん ちがう。

ちょうせんはんとうでも、むかし、漢字の 一ぶぶんを とった しるしを つかって、漢文を よんで いた[11]。カタカナと にた 考えだ。

文字は、大きく分けると、漢字のように1字が語の意味をもつもの(表語文字)と、かなのように音を表すものがある[3][13]。日本語は漢字とかなの両方を使い、小学3年ではローマ字も習う[5]。

韓国のハングルは、ひらがなとちがって、作った人と時期が記録に残っている。世宗実録には、1443年の陰暦12月に王が諺文28字を作り、訓民正音と名づけたという内容の記録がある。3年の試行期間を経て、1446年に公布された[18][19]。同じ年に出た本『訓民正音』には、字の作り方の原理が書かれている。この本は、1997年にユネスコの「世界の記憶」に登録された[18]。

作り方も独特だ。基本の字は8つで、子音5字は発音するときの奥歯・舌・唇・歯・喉の形をまねて、母音3字は天・地・人の形をまねて作った。残りの字は、基本の字に画を足したり、組み合わせたりして作る[18]。

ひらがなは反対に、誰か一人が作ったのではなく、9世紀ごろ、漢字を書ける人たちの間で、私的な用途から生まれてきたと考えられている[2]。同じ「音を書く文字」でも、生まれ方がまるでちがう。

似た工夫は、ほかの土地にもあった。国立国語研究所の資料によると、朝鮮半島では12世紀中ごろの文献に、漢字の一部を取って作った口訣という符号が、漢文の読みを補うために書き加えられている。日本の訓読と同じように、当時の朝鮮語で読んだことがわかる。ベトナムにも、字喃という文字を交えて漢文の内容を書き添えた資料がある[11]。漢字の文化がおよんだ地域は、それぞれのやり方で、自分たちの言葉を書こうとした。

文字は、1字が語を表すもの(表語文字。漢字)と、音を表すもの(表音文字。かな)に大別できる[3][13]。日本語はこの両方を混ぜて使い、学習指導要領では、平仮名・片仮名・漢字に加えて、第3学年でローマ字を読み書きすることも定めている[5]。

ハングルは、作者と時期が記録に残る文字として知られる。国立ハングル博物館によれば、『世宗実録』の1443年(陰暦12月)の項に、「今月、王が諺文28字を作り、これを訓民正音と名づける」という趣旨の記述がある。当時の朝鮮語は、漢字を借りて表記されていたが、漢字では朝鮮語の構造や特徴を十分に表せないという問題があった。新しい文字は3年の試行期間を経て、1446年10月9日に『訓民正音』の名で公布された[18][19]。同年に出た漢文の解説書『訓民正音』には、創製の目的と原理、字の音価と使い方が書かれていて、1997年にユネスコの「世界の記憶」に登録された[18]。「ハングル」という呼び名は、この文字が作られたときのものではなく、1910年代に確認できるようになる[18]。

作り方は、基本字(子音5字・母音3字)を作ってから、加画と合字で増やす形だった。子音の基本字は、奥歯・舌・唇・歯・喉の発音器官、または発音するときの形をまねたもの。たとえば、舌の音を表す字は、舌先が前歯の上の歯ぐきにつく姿を写している。母音の基本字は、天・地・人の形をまねたものである[18]。

ひらがなは対照的に、誰か一人が作ったのではなく、平安時代の9世紀中ごろ、漢字を使いこなせる人たちの間で、公式でない用途のために生まれたと考えられている[2]。同じ「音を書く文字」でも、作者・年・設計図が記録に残る文字と、そうでない文字がある。

漢字の一部を取る工夫は、朝鮮半島にもあった。国立国語研究所の小助川貞次さんによると、高麗時代12世紀中ごろの『旧訳仁王経』には、漢字の一部を取って作られた口訣が漢文本文に加えられ、日本の訓読と同じように当時の朝鮮語で訓読したことがわかる。ベトナムにも、18世紀以降の版本を中心に、字喃というベトナム製の漢字を交えた文字で漢文の内容を注記した資料がある[11]。日本のカタカナと同じ工夫が、漢字文化圏の別の場所でも行われていた。

7. じぶんでも しらべて みよう

7. 自分でも調べてみたくなったら

7. 自分でも調べてみたくなったら

じぶんの 名前の ひらがなを、万葉仮名まんようがなの ように、漢字だけで かいて みよう。万葉仮名まんようがなの ひょうは、「だいじりん」と いう じしょの ページの いちばん したに ある[3]。おうちの 人と いっしょに 見て みよう。「さ」は 「佐さ」、「く」は 「久く」、「ら」は 「良ら」。おなじ おとに、漢字が いくつも あるから、すきな ものを えらんで いい。ちいさい 「ゃ」「ょ」や 「ん」など、ひょうに ない おとは、ひらがなの ままで だいじょうぶ。

まちで、おそばやさんの のれんも 見て みよう。「そば」の ところに、ふだんとは ちがう ひらがなが あるかも しれない[21]。見つからなくても だいじょうぶ。お店の まえで たちどまる ときは、くるまや じてんしゃに 気を つけて、お店の 人の じゃまに ならない ように そとから 見よう。

  1. 自分の名前か好きな言葉を、万葉仮名の表から一字ずつ選んで書いてみる。表は大辞林の特別ページ「漢字」の下のほうにある[3]。同じ音にいくつも字があるので、選び方で見た目が変わる。書いた字の意味と、もとの言葉の意味は関係ないことを確かめてみよう。小さい「ゃ」「ょ」や「ん」など、表に載っていない音は、ひらがなのままでよい。
  2. 街のそば屋の暖簾には、ふだんと違う形のひらがなが使われていることがある。「そ」と「は」にあたる変体仮名は、楚と者をくずした形だといわれる[21]。見かけたら、国立国語研究所の変体仮名一覧表で字母を引いてみよう[15]。店の前で立ち止まるときは、通行の妨げにならない場所から見る。
  3. 自分の名前の漢字を、漢和辞典で引いて、成り立ち(象形・会意・形声など)を調べる。読みから引く音訓索引や、画数から引く総画索引で探せる。辞書によって説明がちがう字が見つかるかもしれない[4]。

読み比べるなら、まず矢田勉さんの「平仮名は誰が作ったのですか」[2]と、大辞林の特別ページ「平仮名」[12]がよい。どちらも、女手という呼び名と、実際の使い手のずれに触れている。書き方の重心がどう違うかを見ると、同じ話でも資料によって強調点が変わることがわかる。

手を動かすなら、大辞林の特別ページ「漢字」の下の万葉仮名表[3]から、自分の名前を書いてみる。同じ音に複数の字があるので、選び方で見た目が変わる。仕上がった字面から、漢字の意味ではなく音だけが使われていることを確かめられる。小さい「ゃ」「ょ」や「ん」など、表に載っていない音は、ひらがなのままでよい。

ひらがなの字母は、国立国語研究所の変体仮名一覧表[15]で引ける。そば屋の暖簾に使われるといわれる、楚と者をくずした形の仮名[21]は、そのなかで「そ」「は」の字母として並んでいる。くずし字の資料を読んでみたいなら、人文学オープンデータ共同利用センターの「みを」は、撮影したくずし字をAIが現代の文字に直すスマートフォンのアプリで、認識結果と元の字形を並べて見比べられる[20]。

常用漢字表の前書きと音訓欄[6]は、最初の数ページを開くだけで、「音はカタカナ、訓はひらがな」を自分の目で確かめられる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

出典について:国立国語研究所・文化庁・文部科学省・国文学研究資料館・国立ハングル博物館は公的機関の資料、大辞林特別ページは辞典社の解説、漢検の論文と小山内論文は学術的な論文、日本経済新聞は報道である。同じ内容を複数の資料で読み比べている。

  1. 日本経済新聞(2012年11月28日、共同)「京都で最古級の平仮名発見 出土の土器片に」。 https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2804H_Y2A121C1CR8000/ (藤原良相邸跡の土器片、「かつらきへ」、万葉仮名から平仮名までが同じ遺跡から出たこと)
  2. 国立国語研究所 ことば研究館 矢田勉「平仮名は誰が作ったのですか」(2019年)。 https://kotoba.ninjal.ac.jp/qa/yokuaru/qa-72/ (空海説、女性のイメージ、有年申文、初期のひらがなの使われ方)
  3. 三省堂 大辞林 特別ページ「日本語の世界 1 漢字」。 http://daijirin.dual-d.net/extra/kanji.html (六書、日本への漢字の伝来、訓、国字、万葉仮名と主要万葉仮名表)
  4. 早川咲「「六書」について」漢検 漢字文化研究奨励賞 佳作(2011年)。 https://www.kanken.or.jp/project/data/investigation_incentive_award_2011_hayakawa.pdf (会意・形声の例、辞書による分類のちがい、漢和辞典の親字の数)
  5. 文部科学省 小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 国語編。 https://www.mext.go.jp/content/20220606-mxt_kyoiku02-100002607_002.pdf (学年別漢字配当表の字数、第3学年のローマ字)
  6. 文化庁 常用漢字表(平成22年内閣告示第2号)。 https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/naikaku/pdf/joyokanjihyo_20101130.pdf (2136字、目安であること、音訓欄の書き方)
  7. 文化庁 文化遺産オンライン「武蔵埼玉稲荷山古墳出土品」。 https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/159795 (金錯銘鉄剣の115字の銘文、5世紀、国宝)
  8. 埼玉県立さきたま史跡の博物館「金錯銘鉄剣」。 https://sakitama-muse.spec.ed.jp/金錯銘鉄剣 (表57字・裏58字)
  9. コトバンク「稲荷山古墳出土鉄剣」(日本大百科全書ほか)。 https://kotobank.jp/word/稲荷山古墳出土鉄剣-1505344 (人名が漢字の音を借りて書かれていること、辛亥年は471年とされること)
  10. 国文学研究資料館「万葉集」書物で見る日本古典文学史。 https://www.nijl.ac.jp/etenji/bungakushi/contents/detail/detail01-01_005.html (全20巻、約4500首、奈良時代の末ごろの成立、万葉仮名で書かれていること)
  11. 国立国語研究所 ことば研究館 小助川貞次「漢文の訓読はいつから始まりましたか」。 https://kotoba.ninjal.ac.jp/qa/yokuaru/qa-84/ (朝鮮半島の口訣、ベトナムの字喃)
  12. 三省堂 大辞林 特別ページ「日本語の世界 3 平仮名」。 http://daijirin.dual-d.net/extra/hiragana.html (草仮名、女手・男手、仮名の語源、1900年の字体の統一、変体仮名)
  13. 三省堂 大辞林 特別ページ「日本語の世界 4 片仮名」。 http://daijirin.dual-d.net/extra/katakana.html (訓点から生まれたこと、名前の由来、外来語などへの使われ方)
  14. コトバンク「片仮名」(デジタル大辞泉・精選版 日本国語大辞典ほか)。 https://kotobank.jp/word/片仮名-44906 (阿・伊・宇、久・散、江・奴など、字源の対応)
  15. 国立国語研究所 変体仮名一覧表(学術情報交換用変体仮名)。 https://cid.ninjal.ac.jp/kana/list/ (ひらがなと変体仮名の字母)
  16. 紀貫之『土佐日記』(青空文庫)。 https://www.aozora.gr.jp/cards/000155/files/832_16016.html (冒頭の一文、承平4年)
  17. 小山内一陽子「漢字・仮名まじり文の読みやすさ」『人文科教育研究』18号(1990年)。 https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/record/4767/files/8.pdf (読了時間の実験、漢字とかなの使い分け)
  18. 国立ハングル博物館「ハングル · 訓民正音」。 https://www.hangeul.go.kr/lang/jp/html/education/Hangeul.do (創製の記録、製字原理、世界記憶遺産)
  19. 島根大学外国語教育センター「ハングルはいつ、誰が作ったの?」。 https://cfle.shimane-u.ac.jp/korean/language-naiyo1-2.html (1443年の完成、1446年の公布、漢字の借用との関係)
  20. 人文学オープンデータ共同利用センター(CODH)「みを(miwo)とは?」。 https://codh.rois.ac.jp/miwo/about/ (くずし字を読むアプリ)
  21. フードボイス「蕎麦屋の暖簾には変体仮名がよく似合う」。 https://fv1.jp/1961/ (そば屋の暖簾に使われる楚・者の変体仮名)
  22. コトバンク「土佐日記」(日本大百科全書ほか)。 https://kotobank.jp/word/土佐日記-105064 (筆者を女性に仮託した、仮名文の日記であること)
  23. J-CASTニュース「最古級のひらがな出土 平安京の有力貴族邸宅跡で」(2012年11月29日、ライブドアニュース掲載)。 https://news.livedoor.com/article/detail/7186992/ (土器片約90点、うち約20点に計約150字、大半は解読できなかったこと)

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