1. かがみの かおと、しゃしんの かおは べつの かお
1. 鏡の顔と、写真の顔は別の顔
1. 顔の左右非対称と、鏡映反転という思いこみ
だれの かおも、右がわと 左がわが、じつは ぴったり おなじ かたちでは ない。まゆげの かたむきや、口の はしの 上がりかたなど、よく 見ると すこしずつ ちがって いる。これは だれの かおでも ふつうの ことだ。
「かがみは 左右が ぎゃくに なる」と よく 言われる。でも じつは、かがみが 入れかえて いるのは 左右では なく 前と 後ろの ほうだ(くわしくは べつの メモ)。それでも、かがみに うつる じぶんと、しゃしんに うつる じぶんとでは、なんとなく うける いんしょうが ちがって 見える。左右対称では ない かおを、まいにち かがみで 見なれて いる ことが、その りゆうの ひとつに なって いる[1]。
誰の顔も、右側と左側が、実はぴったり同じ形ではない。まゆげの傾きや、口の端の上がりかたなど、よく見ると少しずつ違っている。これは誰の顔でも普通のことだ。
「鏡は左右が逆になる」とよく言われる。でも実は、鏡が入れかえているのは左右ではなく、前と後ろのほうだ(くわしくは別のメモ)。それでも、鏡に映る自分と、写真に映る自分とでは、なんとなく受ける印象が違って見える。左右対称ではない顔を、毎日鏡で見慣れていることが、その理由の一つになっている[1]。
人の顔は完全な左右対称ではない。眉の傾き、口角の上がりかた、目の大きさなど、細部にわずかな非対称性がある。これは誰の顔にも見られる、ごく普通の特徴だ。
「鏡は左右を反転させる」というのは広く信じられているが、これは思いこみに近い。鏡が実際に反転させているのは、鏡面に垂直な方向(前後)であり、左右も上下もそのまま保たれる。「左右が逆に見える」と感じるのは、見る側が頭の中で自分を回転させて比較しているために起きる知覚の作用だとされる(この点は当サイトの別記事「鏡はなぜ映るのか」で詳しく扱っている)。ただし、顔が左右対称でない以上、鏡に映る自分の像と、写真に写る自分の像(他人がふだん見ている向き)とでは、見た目の印象に違いが生まれる。鏡の中の見慣れた顔と、写真に写る顔とのあいだに感じる違和感は、この非対称性と、鏡像を見慣れているという経験の両方から生じると考えられる[1]。
2. じぶんは かがみの かお、ともだちは しゃしんの かおを えらんだ
2. 自分は鏡の顔、友達は写真の顔を選んだ
2. 1977年の実験 ── 本人と友人で好みが分かれた
かおの ちがいが 分かった ところで、ある じっけんを しょうかいしよう。
1977年、アメリカの 心理学者たちが、33人の 女子 大学生と、その ともだちに、じっけんを した。1人ずつの かおを しゃしんに とり、ふつうに うつした しゃしんと、右と 左が ぎゃくに 見える ように つくった しゃしんの 2まいを 見せて、「どちらが すき?」と きいた。すると、本人は 右と 左が ぎゃくに 見える ほう(かがみで 見なれた ほう)を すきだと えらび、ともだちは ぎゃくに 見えない ほう(いつも 見て いる ほう)を すきだと えらんだ[2]。
顔の違いが分かったところで、ある実験を紹介しよう。
1977年、アメリカの心理学者たちが、33人の女子大学生と、その友達に、実験をした。1人ずつの顔を写真に撮り、普通に写した写真と、右と左が逆に見えるように作った写真の2枚を見せて、「どちらが好き?」と聞いた。すると、本人は右と左が逆に見えるほう(鏡で見慣れたほう)を好きだと選び、友達は逆に見えないほう(いつも見ているほう)を好きだと選んだ[2]。
この左右の違いが、実際に人の好みにどう影響するのかを調べた古典的な研究がある。
1977年、心理学者のティオドール・ミタ、マーシャル・ダーマー、ジェフリー・ナイトは、33人の女子大学生とその親しい友人に協力してもらい、実験を行った。参加者の正面の顔を1枚撮影し、実際の姿どおりの写真(真像)と、左右を反転させた写真(鏡像)の2枚をプリントする。参加者本人と、その友人それぞれに2枚を見せ、どちらを好むかを尋ねた。参加者本人は自分の鏡像を好む傾向を示し、友人は参加者の真像を好む傾向を示した[2]。
3. 見なれた かおを、すきに なる
3. 見慣れた顔を、好きになる
3. 単純接触効果 ── 繰り返し見たものを好きになる心理
なぜ 本人は かがみの かおを えらんだのだろう。
人には、何度も 見た ものを、なんとなく すきに なる せいしつが ある。まいにち はみがきや みだしなみの ときに かがみを 見るので、右と 左が ぎゃくに 見える「かがみの かお」の ほうが、じぶんに とって 見なれた「いつもの かお」に なって いる[3]。
なぜ本人は鏡の顔を選んだのだろうか。
人には、何度も見たものを、なんとなく好きになる性質がある。毎日歯みがきや身だしなみのときに鏡を見るので、右と左が逆に見える「鏡の顔」のほうが、自分にとって見慣れた「いつもの顔」になっている[3]。
なぜ本人と友人とで好みが分かれたのか。手がかりは、それぞれが見てきた回数の違いにある。
心理学には「単純接触効果(たんじゅんせっしょくこうか)」と呼ばれる現象がある。同じ対象に繰り返し接するほど、その対象への好意度が高まるというものだ。本人は、毎日の身支度で鏡を通して自分の鏡像に接してきた回数が圧倒的に多い。一方、友人が接してきたのは、本人の実際の顔(真像)のほうだ。1977年の実験の結果は、この接触回数の差が好みの違いを生んだ可能性があると解釈されている[3]。
4. じぶんだと わかるように なるのは、いつから
4. 自分だと分かるようになるのは、いつから
4. ルージュテスト ── 1970年、ギャラップの実験
そもそも 人は、いつから かがみの 中の じぶんを「じぶんだ」と わかるように なるのだろう。
1970年、アメリカの けんきゅうしゃ ゴードン・ギャラップが、チンパンジーに、ねむって いる あいだに、じぶんでは 見えない おでこなどに 口べにを つけた。目が さめた チンパンジーは、かがみを 見て、じぶんの おでこの 口べにを ゆびで さわった。じぶんの すがただと 分かって いる しょうこだ[4]。おなじ ような テストを すると、人間の 赤ちゃんは、生まれて 1年 はんばから 2さいくらいの あいだに、じぶんの かおに ついた いろに 気づけるように なる[4]。
そもそも人は、いつから鏡の中の自分を「自分だ」と分かるようになるのだろうか。
1970年、アメリカの研究者ゴードン・ギャラップが、チンパンジーに、眠っているあいだに、自分では見えないおでこなどに口紅をつけた。目が覚めたチンパンジーは、鏡を見て、自分のおでこの口紅を指でさわった。自分の姿だと分かっている証拠だ[4]。同じようなテストをすると、人間の赤ちゃんは、生まれて1年半から2歳くらいのあいだに、自分の顔についた色に気づけるようになる[4]。
そもそも人は、いつから鏡の中の像を「自分自身」だと認識できるようになるのか。
1970年、心理学者ゴードン・ギャラップJr.は「ルージュテスト(マークテスト)」と呼ばれる実験手法を考案した。チンパンジーを麻酔で眠らせているあいだに、自分では直接見えない眉や耳のあたりに染料でマークをつけておく。麻酔から覚めた後、鏡のある環境に置き、マークに触れようとするかどうかを観察する。ギャラップはこの手法を用いて、チンパンジーが鏡像を自分の姿として扱っていると解釈できる行動を確認した[4]。人間の乳幼児の場合、生後18か月ごろからこのテストに反応を示す子どもが増え始め、2歳前後になると多くがマークに触れるようになる。ただし、この行動が「自己」をどこまで認識していることの証拠といえるかについては、研究者のあいだでなお議論が続いている[4]。
5. さかなも、かがみの じぶんが わかった
5. 魚も、鏡の自分が分かった
5. チンパンジーから魚まで広がった鏡像自己認知
この テストに とおる どうぶつは、チンパンジーだけでは ない。
2006年には アジアゾウ、2008年ごろには カササギ(とりの なかま)が、この テストに とおった。そして 2019年、なんと 魚の なかまである ホンソメワケベラも、かがみに うつった じぶんに 気づいた ことが たしかめられた[5]。人間の 赤ちゃんと おなじで、どうぶつも「かがみの 中の じぶん」を わかるように なるには、その どうぶつなりの じかんが かかるようだ。
このテストに通る動物は、チンパンジーだけではない。
2006年にはアジアゾウ、2008年ごろにはカササギ(鳥の仲間)が、このテストに通った。そして2019年、なんと魚の仲間であるホンソメワケベラも、鏡に映った自分に気づいたことが確かめられた[5]。人間の赤ちゃんと同じで、動物も「鏡の中の自分」を分かるようになるには、その動物なりの時間がかかるようだ。
ギャラップの実験以降、ルージュテストに合格する動物種は少しずつ広がっていった。
2006年にはアジアゾウ、2008年にはカササギ(5羽中2羽が合格)が報告された。当時、鳥類でマークテストに合格したのはこれが初めてだった。2020年にはインドハウスガラスでも同様の報告があり、鳥類で合格が確認された種はこの2種にとどまる。さらに2019年2月には、魚類のホンソメワケベラが、喉元につけられた目立たないマークに気づき、鏡を見ながら体をこすりつける行動を示したことが報告された。哺乳類や鳥類に限らず魚類にまで鏡像自己認知に近い行動が及ぶ可能性を示した点で、この報告は研究者のあいだで大きな注目と議論を呼んだ[5]。
6. スマホの じどりが、おもって いたのと ちがう かおに なる りゆう
6. スマホの自撮りが、思っていたのと違う顔になる理由
6. 前面カメラのプレビューは鏡像、保存は真像という仕様
さいごに、いまの スマホでも おなじ ことが おきて いる 話を しよう。
スマホの じどり(セルフィー)で じぶんを うつす とき、がめんに うつる じぶんは、かがみと おなじように 右と 左が いれかわって 見える。でも シャッターを おして、のこった しゃしんを あとから 見ると、右と 左が もとに もどって いる ことが 多い。がめんで 見て いた かおと、じっさいに のこった しゃしんの かおが ちがうので、「あれ、おもって いたのと ちがう」と かんじて しまう[6]。
最後に、今のスマートフォンでも同じことが起きている話をしよう。
スマートフォンの自撮り(セルフィー)で自分を写すとき、画面に映る自分は、鏡と同じように右と左が入れかわって見える。でもシャッターを押して、残った写真をあとから見ると、右と左がもとに戻っていることが多い。画面で見ていた顔と、実際に残った写真の顔が違うので、「あれ、思っていたのと違う」と感じてしまう[6]。
最後に、この鏡像と真像の関係が、現代のスマートフォンでも再現されている例を紹介する。
スマートフォンの前面カメラで自撮りをする際、多くの機種はプレビュー画面を鏡のように左右反転させて表示する。撮影時に鏡を見ている感覚に近づけ、違和感を減らすための仕様だと考えられる。ところが、シャッターを切って保存される画像は、反転させていない実際の向き(真像)であることが一般的だ。撮影中に見ていた鏡像の顔と、保存後に確認する真像の顔とが食い違うため、「思っていた自分の顔と違う」という感覚が生まれる。iPhoneでは2020年ごろ配信のiOSアップデートで、機種によって時期は異なるものの、前面カメラの左右反転をプレビューだけでなく保存時にも適用できる設定が追加された[6]。この体験のしくみは、1977年の実験が示した、鏡像に慣れた自分と真像しか知らない他者との違いと、根っこの部分でつながっている。
じぶんでも やって みる
自分でも調べてみたくなったら
自分でも調べてみたくなったら
大きな かがみを 2まい、90ど(かどの かたち)に ひらいて おくと、その 中に うつる かおは、右と 左が いれかわらない「ほんとうの かお」に 見える そうだ。おうちに かがみが 2まい あったら、ためして みよう。
大きな鏡を2枚、90度に開いておくと、その中に映る顔は、右と左が入れかわらない「本当の顔」に見えるそうだ。家に鏡が2枚あったら、試してみよう。
鏡を2枚、90度の角度で組み合わせて向き合うと、光が2回反射することで「左右が逆に見える」という現象が起きなくなり、他人が見ている本来の顔(真像)を確認できるとされる。機会があれば試してみて、鏡1枚で見慣れた自分の顔と、実際にどれくらい違って見えるかを比べてみてほしい。
しらべた ところ
参考にした情報源
参考にした情報源
- 公益財団法人日本科学協会「鏡の中の自分 他人が見るあなたの顔は?」、東京大学「鏡の左右逆転 1種類ではなかった」(高野陽太郎 大学院人文社会系研究科教授、2007年11月)、きになるノート「鏡はなぜ映るのか」。 https://proto-ex.com/column/613.html https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/press/p01_191101_01.html ../articles/mirror.html (人の顔が完全な左右対称ではないため鏡に映る顔と他人が見る実際の顔とでは印象が異なって見えることは日本科学協会による。鏡が実際に反転させているのは鏡面に垂直な方向〈前後〉であり左右はそのまま保たれること、「左右が逆に見える」と感じるのは見る側が頭の中で自分を回転させて比較するために生じる知覚の作用であることは東京大学・高野陽太郎教授の研究による。この鏡映反転の仕組みの詳細は、当サイトの別記事「鏡はなぜ映るのか」で扱っている)
- Mita, T. H., Dermer, M., & Knight, J. (1977) "Reversed facial images and the mere-exposure hypothesis", Journal of Personality and Social Psychology, 35(8), 597-601(原著論文)。 https://doi.org/10.1037/0022-3514.35.8.597 (1977年、ティオドール・ミタ、マーシャル・ダーマー、ジェフリー・ナイトが33人の女子大学生とその友人を対象に、参加者の真像と鏡像の写真2枚を見せてどちらを好むか尋ねる実験を行い、参加者本人は鏡像を、友人は真像を一貫して好んだことは原著論文の要旨および複数の紹介記事による)
- Zajonc, R. B. (1968) "Attitudinal effects of mere exposure", Journal of Personality and Social Psychology, 9(2, Pt.2), 1-27(単純接触効果の提唱論文)。 https://doi.org/10.1037/h0025848 (同じ対象に繰り返し接するほどその対象への好意度が高まるという「単純接触効果」がロバート・ザイアンスにより1968年に提唱されたこと、本人が鏡像に接する頻度が友人よりはるかに高いことが1977年の実験結果の説明として用いられていることは心理学における一般的な知見による)
- 脳科学辞典「鏡像認知」。 https://bsd.neuroinf.jp/wiki/鏡像認知 (1970年にゴードン・ギャラップJr.がチンパンジーを対象に、麻酔中に自分では見えない部位に染料でマークをつけ覚醒後の反応を観察する「ルージュテスト(マークテスト)」を考案したこと、人間の乳幼児は生後18か月ごろから反応を示し始め2歳前後で多くがテストに通過するとされることは脳科学辞典による)
- フリー百科事典『ウィキペディア』「ミラーテスト」、PMC「比較研究〈マークテストに合格した鳥類種の一覧を含む〉」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/ミラーテスト https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC9876878/ (2006年にアジアゾウ、2019年2月に魚類のホンソメワケベラがミラーテストに合格したと報告されたことはウィキペディア「ミラーテスト」による。2008年にカササギ〈Prior et al., 5羽中2羽が合格〉、2020年にインドハウスガラス〈Buniyaadi et al., 6羽中4羽が合格〉が報告され、鳥類で合格が確認されたのはこの2種にとどまることはPMC掲載の比較研究による)
- マイナビニュース「iPhoneやMacで"自撮り"すると、なぜ反転表示されるのか」、Apple公式サポート「iOSおよびiPadOSのアップデートについて」。 https://macfan.book.mynavi.jp/article/46632/ https://support.apple.com/ja-jp/118390 (前面カメラのプレビュー画面が鏡のように左右反転して表示される一方、保存される写真は反転させていない向きであるのが一般的な仕様であることはマイナビニュースによる。前面カメラの静止画撮影時に左右反転を適用できる機能が、2020年ごろのiOSアップデート〈対応機種によりiOS 14.1またはiOS 14.3〉で追加されたことはApple公式サポートによる)
なおした ところ
更新履歴
更新履歴(改版の記録)
- 初版を公開。
このサイトでは、公開した記事の本文は原則として書き直しません。誤りが見つかったときや、内容が古くなったときだけ手を入れ、その理由をこの欄に残します。