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月餅げっぺいは、どうして まるいの? ゆうめいな おはなしは ほんとう?

月餅はなぜ丸いのか ── 家族がそろう願いと、有名な「密書」の話の行方

月餅の円形と団円の意味づけ ── 明代の記録、朱元璋伝説への疑問、日本への華僑ルート

分野:歴史・文化

ちゅうごくの おかしに、月餅げっぺいが あります。まんまるで、おつきさまの ようです。むかし、この おかしの なかに ひみつの てがみを かくして、おおきな くにを たおした、という おはなしが あります。

でも この おはなしは、あとから つくられた もの だと いう せつめいも あります。では、月餅げっぺいは なぜ まるいのでしょう。いつから 家族の おかしに なったのでしょう。この 記事では、その こたえが わかります。

中国の月餅には、「元を倒した朱元璋が、月餅に蜂起の日を隠した」という有名な話があります。ところが、この話は史実ではなく、清の末期になって作られたものだ、という説明があります。

では、月餅はなぜ丸いのでしょうか。そして「家族がそろう」という意味は、いつ月餅と結びついたのでしょうか。この記事では、南宋の書物、明代の記録、日本の中華街の月餅までが分かります。

月餅の起源として語られる朱元璋の密書伝説は、清末の秘密結社や革命派が清朝打倒のために作ったもので、史実ではないと指摘されている[3]。円形が満月と団円を表すという意味づけも、記録の上で確かめられるのは南宋ではなく明代である[2]。

では、月餅と中秋節はいつ結びつき、日本にはどのようなルートで伝わったのか。この記事では、辞典類、中国語の解説、日本の大学の研究を突き合わせて、確かな部分と説にとどまる部分が分かるように書く。ただし中国語の解説は二次資料であり、原典そのものは参照していない。

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1. 月餅げっぺいは どうして まるいの?

1. 満月に見立てた、まるい菓子

1. 円形の意味 ── 満月の象徴と「団円」

月餅げっぺいは、こむぎこの かわで、あんなどを つつんで、まるく たいらに やいた おかしです。ちゅうごくで、むかしの こよみの 8がつ15日に あたる「ちゅうしゅうせつ」に つくります[1]。

まるい かたちは、まんげつを あらわして います。おそなえや おくりものに して、みんなが しあわせに なる ことを いのりました。

この日は「だんえんせつ」とも よばれます。だんえんは、家族が まるく あつまる ことです[1]。

でも、月餅げっぺいは、さいしょから 家族の おかしだったのでしょうか。

月餅は、小麦粉の皮にあんなどを包み、丸く平たく焼いた中国の菓子です。旧暦8月15日の中秋節に、満月の円満な姿を形にして作り、丸い果物とともに月に供えたり、親しい人に贈り合ったりしてきました[1]。

中秋節は「八月節」や「団円節」とも呼ばれます。団円とは、家族が丸く集まることです。満月の形から一家の大団円を願う意味で、中国の家庭に欠かせない菓子だと説明されています[1]。

丸い形に「家族がそろう」願いを重ねる。分かりやすい話です。けれども、この意味づけは、月餅が生まれたときからあったのでしょうか。

月餅は、小麦粉の皮に餡などを包んで丸く平たく焼く中国菓子で、旧暦8月15日の中秋節に満月(月輪)の円満な姿を象徴して作られ、丸い果物とともに月に供えたり贈答したりする習慣があった[1]。中秋節は八月節・団円節とも呼ばれ、満月の形から一家の大団円をはかる意味を持つ、とされる。

「丸い=満月=団円」という対応は、現在では自明に見える。しかし、菓子としての月餅と中秋の行事、団円という意味づけが、同時に成立したとは限らない。次の章で、記録の面から確かめる。

2. 月餅げっぺいは、むかしから 中秋の おかしだった?

2. 南宋にも月餅はあった。でも中秋の食べ物とは限らない

2. 南宋の「月餅」と中秋の食べ物 ── 蘇軾の詩の扱い

月餅げっぺいという なまえは、800ねんくらい まえの ちゅうごくの ほんに でて きます。「なんそう」という じだいの ほんです[2]。

ところが、その ほんの 月餅げっぺいは、中秋の たべものとは かぎりません。おなじ じだいの 人が かいた 中秋の すごしかたにも、月餅げっぺいを たべる はなしは ありません。

詩人の 蘇軾そしょくの 詩に、月を かんだ ような ちいさな おもちが でて くると いわれます。でも、この 詩は あとの 人の にせものだと いう 人も います。

「月餅」という名前は、南宋(12〜13世紀)の周密『武林旧事』や、呉自牧『夢粱録』に出てきます[2]。月餅が南宋から伝わる点心の一種とされるのも、このあたりが根拠です[7]。

ただし、そこに書かれた月餅が中秋の節句の食べ物だとは限らない、と説明されています。しかも南宋の人が記した中秋の風習には、月餅を食べる話が見当たらないそうです[2]。

蘇軾の「小餅は月をかむようで、中に酥(バターのようなもの)と飴がある」という詩も、月餅の例によく引かれます。けれどもこの詩を後世の偽作とみる研究者がいて、小餅が月餅とは限らないという指摘もあります。有名な話ほど、疑いながら読む必要がありそうです。

月餅の名は、南宋の周密『武林旧事』と呉自牧『夢粱録』に見える[2]。中身の異なる月餅が南宋以来の点心とされる説明とも合う[7]。中秋節そのものも唐代から記録があり、宋代に盛んになったとされる[4]。

そのため「宋代の中秋に月餅を食べた」と結論したくなる。ところが、これらの書物にある月餅が節令食である保証はなく、南宋人が書いた中秋の風習にも月餅を食べる記述はない、と指摘されている[2]。「南宋に月餅があった」と「中秋に食べた」は別の主張である。

蘇軾の詩「小餅嚼月如、中有酥与飴」(蘇軾は「そしょく」)を最古の例とする説明もある。しかしこの詩「留別廉守」を後世の偽作とみる研究者もおり、詩中の小餅が月餅である保証もない[2]。初出の根拠として断定しないのが妥当である。

3. 家族の おかしに なったのは いつ?

3. 「団円」と結びついたのは明代の記録から

3. 明代の記録 ── 贈答と団円の意味づけ

「だんえん」の いみが つくのは、そのあと、みんという じだいの ほんからです。

ある ほんには、8がつに 月餅げっぺいを おくりあう、と かかれて います。べつの ほんには、まちの 人たちが 月餅げっぺいを おくりあって、だんえんの いみを とる、と かかれて います[2]。

月餅げっぺいは、おいしい だけの おかしでは ありません。「また みんなで あおうね」という きもちを はこぶ、おくりものに なっていきました。

中秋に月餅を贈り合う習慣ができたのは、明代とされます。明の沈榜『宛署雑記』には「八月に月餅を贈る」、田汝成『西湖遊覧志余』には「民間で月餅を贈り合い、団円の意味をとる」と記されています[2]。

この記事が挙げる明代の記録では、月餅・中秋・団円が一つの文の中で結びつきます。南宋の書物には、この意味づけは出てきません。

丸い形は、もらった人に「あなたを思って満月のような菓子を選びました」と伝える道具になったのかもしれません。ただしこの部分は、私の想像にすぎません。記録が示すのは、贈り合ったことと、団円の意味をとったことまでです。

中秋の月餅と団円が同じ文に現れるのは、明代の記録である。沈榜『宛署雑記』(沈榜は「しんぼう」、宛署雑記は「えんしょざっき」)に「八月に月餅を贈る」旨の記述があり、田汝成『西湖遊覧志余』(田汝成は「でんじょせい」、西湖遊覧志余は「せいこゆうらんしよ」)には「民間で月餅を贈り合い、団円の意味をとる」とある[2]。

だから、丸い形に団円の意味が重ねられたことを記録で確認できるのは、宋代ではなく明代まで下る。ただし、これは中国語の解説が引用する文言に基づく。原典の該当箇所そのものは参照していないため、「明代の書物にそう記された」という限りで受け取る。

4. 月餅げっぺいに ひみつの てがみを かくした、って ほんとう?

4. 月餅に密書を隠した、という有名な話

4. 朱元璋の密書伝説 ── 清末に作られたとする説明

ゆうめいな おはなしが あります。むかし、ちゅうごくは、ほかの くにの 人に おさめられて いました。そこで、中秋の 月餅げっぺいの なかに、「この 日に たちあがろう」と かいた かみを いれて くばった、と いうのです。

ところが、この おはなしは、ずっと あとの じだいに つくられた ものだ と いう せつめいが あります[2]。

ほんとうの ことか わからない おはなしは、「と いう はなしが ある」と きいて おくと いいですね。

有名な話はこうです。元の支配に苦しんだ人びとが、中秋の月餅の中に、蜂起の日を書いた紙を隠して配りました。朱元璋はそれで元を倒し、明を開いた、というものです。

けれども、この話は晩清(清の末期)の秘密結社や革命派が、清朝を倒すために作ったもので、史実ではないと指摘する説明があります[2]。中国のニュース記事も、この話に歴史資料の裏付けが見つからない、とまとめています[3]。

月餅は、人びとが心を一つにする象徴として描かれたのでしょう。後の時代に、この話が作られたという説明があります。

月餅の起源として最もよく語られるのが、中秋の月餅に蜂起の日時を書いた紙を仕込み、朱元璋が元を倒したという話である。しかしこの「八月の中秋に月餅を食べて異民族を殺す」という伝説は、晩清の秘密結社(会党)や革命派が清朝打倒を目的に編み出したもの、との指摘がある[2]。中国新聞網の記事も、史料的な裏付けが見つからないとする[3]。

そのため、この話を月餅の起源の史実として書くことはできない。「〜という話がある」と扱い、いつ、誰の目的で広まったのかを考えるのが、伝説との付き合い方になる。なお、この判断も中国語の解説記事によるものであり、原史料に当たった結論ではない。

5. 月餅げっぺいの なかみは みんな おなじ?

5. 中身は地域ごとにちがう

5. 月餅の地域差 ── 中身から見える食文化

月餅げっぺいの なかみは、ばしょによって ちがいます。ホンコンや マカオでは、はすの みと、しおづけの たまごの きみが はいって います[7]。

ちゅうごくの きたに ある ちいきでは、ナッツが ぎっしり つまった ものも あります。

まるい かたちは おなじでも、なかみは その ちいきの ものが はいって いる のですね。

丸い形は共通でも、中身は地域ごとに違います。香港・マカオでは蓮の実と塩漬けの卵黄、中国の北西部では木の実がぎっしり入るものもある、と報告されています[7]。

形が団円の願いをそろえ、中身が土地のくらしを映す。そんな二重の面白さが、月餅にはあります。

ところで、この菓子は日本にはどうやって来たのでしょう。

形が共通でも、中身は地域で異なる。香港・マカオは蓮の実と塩漬けの卵黄、中国北西部はミックスナッツの例が報告されている[7]。団円という共通の意味づけの下で、各地の食材が入るため、同じ月餅でも味の印象は大きく異なる。

この菓子と行事が日本でどのように受け入れられたかは、次の章で見る。日本への伝来を担った人びとに注目する。

6. 日本には、だれが 月餅げっぺいを つたえたの?

6. 日本の中華街と月餅 ── 横浜・長崎、そして神戸

6. 日本への伝来 ── 華僑・華人と三つの中華街

日本に 月餅げっぺいを つたえたのは、日本で くらす ちゅうごくの 人たちだと 考えられて います[5]。

日本で さいしょに 中秋の おまつりを ひらいた ちゅうかがいは、神戸の 南京町です。けれども 月餅げっぺいを うる れきしは、よこはまと ながさきの ほうが さきでした[5]。

よこはま ちゅうかがいの ホテルでは、1994ねんから、ちょくけい 1メートルほどの おおきな 月餅げっぺいを かざって います。おもさは 60キロくらいで、300人ぶんに あたります[6]。

ちゅうごくの 中秋節せつには、およめに いった むすめが 実家へ かえって、家族と すごす ことも あると しょうかいされます。日本の 十五夜と おなじ 日ごろの 行事です。

日本に月餅を伝えたのは、日本に暮らす華僑・華人の人びとです。長崎大学の研究によると、日本で最も早く中秋節を地域イベントとして開いたのは神戸の南京町ですが、月餅の販売の歴史は横浜と長崎のほうが先でした[5]。南京町で最初に手作りの月餅を売った職人は、横浜中華街とのつながりがあったといいます。

横浜中華街のローズホテル横浜では、直径約1メートル、重さ約60キロ(約300人分)の巨大な月餅が飾られます。2022年に29回目とされているので、1994年からです。開始年は、回数からの逆算です[6]。

中秋節は日本の十五夜にあたり、団円節とも呼ばれ、嫁いだ娘が実家に帰ってくる日とも紹介されます。丸い月餅は、日本の人にとっても「家族の日」を思い出させる形なのかもしれません。

日本で最初に中秋節を開催した中華街は神戸の南京町だが、月餅販売の歴史は横浜と長崎のほうが先行しており、南京町で最初に手作り月餅を売った職人は横浜中華街と人的関係があった、と長崎大学の修士論文の要旨は述べる[5]。行事の開催が早い街と、菓子の販売が早い街が異なるのは、担い手が華僑・華人であり、街ごとの人のつながりを通じて伝わったためと読める。

横浜中華街のローズホテル横浜は、直径約1m・重さ約60kg・約300人分の「中秋大月餅」を展示する。2022年で29回目という報道から、開始は1994年と逆算できる[6]。同報道は、中秋節が日本の十五夜にあたり、嫁いだ娘が実家に戻って団らんする日であるとも紹介する。

なお、日本への月餅伝来の時期を年号で示す資料は、今回は参照できていない。ここでは、長崎・横浜が先、という比較にとどめる。

自分でも しらべて みたく なったら

自分でも調べてみたくなったら

自分でも調べてみたくなったら

今日できること

家に ある まるい おかしを、ひとつ えらんで みましょう。どうして まるいのか、家の 人と いっしょに 考えて みます。「まるいと、なにが いいのかな」と、はなしあうだけで だいじょうぶです。

出かけてできること

よこはま、こうべ、ながさきの ちゅうかがいに いく ことが あれば、月餅げっぺいを うる おみせを さがして みましょう。なかみの せつめいが かいて ある ことが あります。

こうしきの 情報じょうほう

としょかんで、ちゅうごくの おまつりの ほんを さがして みると、月餅げっぺいの はなしが のって いる かも しれません。

今日できること

家にある丸い菓子を一つ選び、なぜ丸いのかを家族と話してみてください。焼いた形、包みやすさ、縁起など、答えはいくつも出てきます。月餅の丸さの意味も、そのうちの一つです。

出かけてできること

横浜・神戸・長崎の中華街を訪ねる機会があれば、月餅を売る店を探して、中身の説明書きを読み比べてみましょう。地域ごとの違いを、自分の目で確かめられます。

公式情報

図書館の中国の年中行事の本や、大学の研究報告書に、月餅と中秋節の解説があります。

今日できること

家にある丸い菓子や食べ物を選び、なぜその形なのかを家族と考えてみる。焼きやすさ、持ちやすさ、縁起など、理由はいくつも挙がるはずだ。月餅の「丸い=満月=団円」も、その理由の一つにすぎない。

出かけてできること

中華街で月餅の原材料表示や店の説明書きを読み比べ、香港・マカオなどの地域名が書かれているかを見る。産地や由来の書き方が、店ごとにどう違うかも比べられる。

公式情報

長崎大学の修士論文要旨(南京町の中秋節と月餅)と、南宋・明代の書物の該当箇所を、図書館や文献データベースで探してみるとよい。中国語の解説が引く文言を原典で確かめると、この記事の「〜と記された」という慎重な書き方の理由が分かる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

月餅の意味と中秋節は辞典類、宋代・明代の記録と朱元璋の話は中国語の解説記事、日本への伝来は大学の研究と報道を突き合わせた。中国語の解説は二次資料で、原典は未参照。

  1. コトバンク「月餅」(デジタル大辞泉・日本大百科全書・世界大百科事典・ブリタニカ) https://kotobank.jp/word/月餅-59721 (月餅の形・中秋節・団円)
  2. 儒家中国「月饼」 https://www.rujiazg.com/article/28490 (南宋・明代の記録、蘇軾の詩、朱元璋の話)
  3. 中国新聞網(2016年9月14日) https://www.chinanews.com.cn/cul/2016/09-14/8003772.shtml (朱元璋の話への評価)
  4. 澎湃新聞(中秋節の記事) https://www.thepaper.cn/newsDetail_forward_4407298 (中秋節の記録)
  5. 長崎大学 修士論文要旨(南京町の中秋節と月餅) https://www.hss.nagasaki-u.ac.jp/wp/wp-content/uploads/2023/03/paper_zhuang.pdf (日本への伝来)
  6. All About ニュース(横浜中華街の中秋大月餅) https://news.allabout.co.jp/articles/o/48478/ (巨大月餅・団円節)
  7. 香川大学 中秋イベント報告 https://www.kagawa-u.ac.jp/files/5417/6171/3127/deb6ac2b96c272b018abb4f494089ec6.pdf (地域ごとの中身)

なおした ところ

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