1. 「そこに 山が あるから」の ことばの なぞ
1. 「そこに山があるから」という言葉のなぞ
1. マロリーの名言と、いまだに分からない登頂の真実
1923年、とざんかの ジョージ・マロリーは、せかいで はじめて エベレストの 山ちょうに たとうと して いた。「なぜ のぼるのか」と きかれて、この ことばを のこしたと いわれて いる[1]。
その つぎの 年、マロリーは エベレストで ゆくえふめいに なった。1999年に なって やっと、山の 中から からだが 見つかった。でも、山ちょうまで たどりついて いたのかは、今でも わからない[1]。
1923年、登山家のジョージ・マロリーは、世界ではじめてエベレストの山頂に立とうとしていた。「なぜ登るのか」と聞かれて、この言葉を残したと新聞で伝えられているが、本人が本当にそう言ったのかを確かめる記録は見つかっていない[1]。
その次の年、マロリーはエベレストで行方不明になった。1999年になってやっと、山の中から体が見つかった。でも、山頂までたどりついていたのかは、今でもわからない[1]。
1923年3月、エベレスト初登頂を目指していたイギリスの登山家ジョージ・マロリーは、アメリカの新聞記者から登山の動機を尋ねられ、「Because it is there」と答えたと報じられた。ただし、この短い一言をマロリー自身が実際に口にしたことを裏づける講演原稿などの一次資料は見つかっておらず、真偽をめぐる議論が今も続いている[1]。
1924年6月8日、マロリーは登山仲間のアンドリュー・アーヴィンとともにエベレストの山頂を目指す姿を最後に目撃され、行方不明となった。1999年5月1日、捜索隊によって彼の遺体がエベレストの北東稜で発見されたが、2人が実際に山頂に到達していたかどうかは、確認できる証拠が見つからず、今なお結論が出ていない[1]。
2. 1888年、外国人が 日本の 山の みりょくを 広めた
2. 1888年、外国人が日本の山の魅力を広めた
2. ウォルター・ウェストンが「日本アルプス」を世界に伝えた
マロリーが いた イギリスでは、はやくから 山に のぼる ことが さかんだった。そんな イギリスから、日本の 山に みりょくを かんじた 人も やって きた。1888年、ウォルター・ウェストンが 日本に やって きた。たくさんの 山に のぼり、1896年に その きろくを 本に して 出した。この 本が、日本の 山を せかいに しらせる きっかけに なった[2]。
じつは、「日本アルプス」と いう よびかたは、ガウランドと いう べつの 外国人が さいしょに つかったと しょうかいされる ことが 多い。ウェストンが この よびかたを 本の 名前に つかった ことで、ひろく しられる ように なったと いわれて いる[2]。
マロリーがいたイギリスでは、早くから山に登ることがさかんだった。そんなイギリスから、日本の山に魅力を感じてやってきた人もいる。1888年、ウォルター・ウェストンが日本にやってきた。たくさんの山に登り、1896年にその記録を本にして出した。この本が、日本の山を世界に知らせるきっかけになった[2]。
実は、「日本アルプス」という呼びかたは、ガウランドという別の外国人が最初に使ったと紹介されることが多い。ウェストンがこの呼びかたを本の名前に使ったことで、広く知られるようになったといわれている[2]。
マロリーを生んだイギリスは、近代登山発祥の地とされる国でもあった。そのイギリスから、日本の山々に魅せられて渡ってきた人物がいる。イギリス人宣教師のウォルター・ウェストンは、1888年に来日した。以後3回、通算14年あまりの滞在期間中に富士山をはじめ日本各地の山に登り、1896年に『日本アルプス 登山と探検』という本を刊行した。この本によって、日本の山岳地帯が世界に広く知られるようになったことから、ウェストンは「日本近代登山の父」と呼ばれている[2]。
「日本アルプス」という呼び名は、お雇い外国人だったウィリアム・ガウランドが使い始めたと紹介されることが多い。この呼び名がウェストンの1896年の著書のタイトルに採用されたことで、世界に広く知られるようになったとされる[2]。
3. 植村直己、せかいで はじめて 5つの 大りくの さいこうほうに のぼった
3. 植村直己、世界初の五大陸最高峰登頂者
3. 植村直己と、1984年マッキンリーでの消息不明
ウェストンの 本を きっかけに、日本の 山が せかいに しられる ように なった あと、今度は 日本人 じしんが、せかいの 山々へと 出て いく ように なった。日本の ぼうけんか・植村直己は、1970年、せかいで はじめて、5つの 大りくの いちばん 高い 山すべてに のぼった 人に なった[3]。
その 後も、いぬぞりで きたきょくに たどりついたり、いろいろな きろくを のこした。でも 1984年、北アメリカの マッキンリーと いう 山を ふゆに ひとりで のぼった あと、下山の とちゅうで ゆくえが わからなく なった[3]。
ウェストンの本をきっかけに、日本の山が世界に知られるようになったあと、今度は日本人自身が、世界の山々へと出ていくようになった。日本の冒険家・植村直己は、1970年、世界ではじめて、5つの大陸のいちばん高い山すべてに登った人になった[3]。
その後も、犬ぞりで北極にたどりついたり、いろいろな記録を残した。でも1984年、北アメリカのマッキンリーという山を冬にひとりで登ったあと、下山の途中で行方がわからなくなった[3]。
ウェストンの著書をきっかけに日本の山が世界に知られるようになったあと、今度は日本人自身が世界の山々へと目を向けはじめていた。兵庫県出身の冒険家・植村直己は、1970年に日本人として初めてエベレストに登頂し、同じ年、世界初の五大陸最高峰登頂者となった。1978年には犬ぞりによる単独行で北極点に到達するなど、数々の世界初の記録を打ち立てた[3]。
1984年2月12日、植村は北アメリカ大陸最高峰マッキンリー(現デナリ)の冬季単独登頂に世界で初めて成功した。しかし、下山中の2月13日、無線で登頂成功と自分の位置を伝えたのを最後に連絡が途絶えた。その後の捜索では、竹竿や日記・カメラといった所持品は見つかったものの本人は発見されず、2月26日に捜索が打ち切られた。遺体も見つかっておらず、どのような状況で遭難したのかは、現在も分かっていない[3]。
4. 三浦雄一郎、80さいで エベレストの 山ちょうに 立った
4. 三浦雄一郎、80歳でエベレストの山頂に立った
4. 2013年、三浦雄一郎が80歳でエベレスト最高齢登頂
植村の ように わかい ころに ちょうせんする 人が いる いっぽう、年を かさねて からの ちょうせんに 人生を かけた 人も いる。プロスキーヤーの 三浦雄一郎は、65さいの ころ、からだの ちょうしを くずして いた じきが あった。そこから きたえなおし、70さい、75さい、80さいと、なんども エベレストに ちょうせんした[4]。
そして 2013年、80さいで エベレストの 山ちょうに 立つ ことに せいこうした。これは、せかいで いちばん 年上の、山ちょうに 立った きろくだった[4]。
5. ぐうぜんの じっけんから 生まれた、水を とおさない 生地
5. 偶然の実験から生まれた、水を通さない生地
5. 1969年、ゴアテックスが偶然の実験から生まれた
マロリーや 三浦のような きびしい 山での ちょうせんを、かげで ささえて きたのが、すすんで きた 登山どうぐだった。1969年、アメリカの ロバート・ゴアが、プラスチックの なかまの ざいりょうを 大きく のばす じっけんを して いた。すると、水は とおさないのに、あせの すいじょうきは とおす、ふしぎな まくが できた[5]。
これが「ゴアテックス」だ。この まくには、1cm四方あたり 何おくもの、とても 小さな あなが あいて いる。あなの 大きさを たとえるなら、水の つぶは 大きな ビーチボール、あせの すいじょうきは 小さな ハエくらいの ちがいが ある(ただし ほんとうに ビーチボールや ハエが 通るわけでは なく、大きさの ちがいを たとえた ものだ)。ビーチボールほど 大きい 水の つぶは あなを 通れないが、ハエほど 小さい 水じょうきなら らくらく 通りぬけられる。だから、水は とおさず、あせだけ にがす ことが できる[5]。
マロリーや三浦のような厳しい山での挑戦を、陰で支えてきたのが、進歩してきた登山道具だった。1969年、アメリカのロバート・ゴアが、プラスチックの仲間の材料を大きく伸ばす実験をしていた。すると、水は通さないのに、汗の水蒸気は通す、不思議な膜ができた[5]。
これが「ゴアテックス」だ。この膜には、1cm四方あたり何億もの、とても小さな穴があいている。穴は水のつぶよりずっと小さいが、水蒸気のつぶよりは大きい。だから、水は通さず、汗だけ逃がすことができる[5]。
マロリーや三浦のような極限的な挑戦を、陰で支えてきたのが、進化を続けてきた登山道具である。1969年、W・L・ゴア&アソシエイツ社のロバート・ゴアは、ポリテトラフルオロエチレン(PTFE)という樹脂を急激に延伸させる実験の過程で、多孔質構造を持つ新素材の開発に成功した。この延伸ePTFE膜は、防水性と透湿性をあわせ持つ画期的な素材だった[5]。
この膜には1平方センチメートルあたり約14億個もの微細な孔があいており、孔の大きさは水滴の約2万分の1である一方、水蒸気分子の約700倍にもなる。このサイズの差が、水は通さず水蒸気だけを通すという性質のもとになっている。ただし、実際に製品として防水性・透湿性がどれだけ発揮されるかは、膜と組み合わせる生地の構造や縫製など、製品全体の作りにもよる。この技術は1976年に「ゴアテックス」として製品化され、その後、登山用ウェアをはじめとするアウトドア用品に広く使われるようになった[5]。
6. アイガーに のぼった 青年が、日本の 登山ようひんメーカーを つくった
6. アイガーに登った青年が、日本の登山用品メーカーを作った
6. 1975年、辰野勇がモンベルを創業した
ゴアテックスの ような 新しい そざいを、日本の 登山者に とどけて きたのが、日本の 登山ようひんメーカーだ。「モンベル」を つくったのは、辰野勇と いう 人だ。わかい ころ、スイスの アイガーと いう けわしい 山の 北がわの がけを のぼった けいけんを もつ、本かくてきな とざんかだった[6]。
辰野さんは 1975年、28さいの ときに モンベルを つくった。じぶんが とざんかだった けいけんを いかして、つかいやすい 道具を つくって きた[6]。
近くの たかい ところに のぼって、けしきを たしかめてみよう
近くの高いところに登って、景色をたしかめてみよう
登山用品店やアウトドア雑誌で、素材の進化を見くらべる
きんじょの 山や、てんぼうだいの ような たかい ところが あったら、大人と いっしょに のぼって みよう。上まで のぼった ときの けしきは、下から 見る けしきとは、ぜんぜん ちがう はずだ。
近所の山や、展望台のような高いところがあったら、大人といっしょに登ってみよう。上まで登ったときの景色は、下から見る景色とは、ぜんぜんちがうはずだ。
登山用品店やアウトドア雑誌で、レインウェアやシューズの素材表示を見てみよう。「ゴアテックス」以外にも、さまざまな防水透湿素材が使われていることに気づくはずだ。
しらべた ところ
参考にした情報源
参考にした情報源
- フリー百科事典『ウィキペディア』「ジョージ・マロリー」、山と溪谷オンライン「101年前のエベレストの天気を再現」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョージ・マロリー https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=3970 (1923年にマロリーが「Because it is there」と発言したと新聞で報じられたこと、この発言を裏づける一次資料〈講演原稿等〉が見つかっておらず真偽が議論されていること、1924年6月8日にアーヴィンとともに山頂を目指す姿を最後に目撃され行方不明になったこと、1999年5月1日に遺体が発見されたが登頂の成否は確認できていないことはウィキペディアおよび山と溪谷オンラインの記事による)
- フリー百科事典『ウィキペディア』「ウォルター・ウェストン」、サライ.jp「世界中に日本アルプスの名前を知らしめた『日本近代登山の父』ウォルター・ウェストン」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/ウォルター・ウェストン https://serai.jp/hobby/1190791 (ウェストンが1888年に来日し通算14年あまり滞在して日本各地の山に登ったこと、1896年に『日本アルプス 登山と探検』を刊行したこと、「日本アルプス」という呼び名はウィリアム・ガウランドが使い始めたと紹介されることが多く、ウェストンの著書のタイトルへの採用によって世界に広く知られるようになったとされることはウィキペディアおよびサライ.jpの記事による)
- フリー百科事典『ウィキペディア』「植村直己」、日本経済新聞「植村直己氏が遭難(1984年) 世界初の五大陸最高峰登頂」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/植村直己 https://www.nikkei.com/article/DGKKZO69011410Q1A210C2TJN000/ (植村直己が1970年に日本人初のエベレスト登頂を果たし世界初の五大陸最高峰登頂者となったこと、1978年に犬ぞりの単独行で北極点に到達したこと、1984年2月12日にマッキンリーの冬季単独登頂に世界で初めて成功したこと、2月13日に無線で登頂成功と位置を伝えたのを最後に連絡が途絶えたこと、その後の捜索で竹竿や日記・カメラ等の所持品は見つかったが本人は発見されず2月26日に捜索が打ち切られたこと、遺体が発見されていないことはウィキペディア「植村直己」による。世界初の五大陸最高峰登頂という位置づけは日本経済新聞の記事による)
- フリー百科事典『ウィキペディア』「三浦雄一郎」、nippon.com「三浦雄一郎さん、80歳でエベレスト登頂」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/三浦雄一郎 https://www.nippon.com/ja/japan-topics/today05230/ (三浦雄一郎が65歳のころ体調を崩し本格的なトレーニングを再開したこと、70歳・75歳・80歳と自身のエベレスト登頂の年齢記録を更新していったこと、2013年5月23日に80歳と223日でエベレスト登頂に成功し世界最高齢登頂記録としてギネス世界記録に認定されたことはウィキペディアおよびnippon.comの記事による)
- フリー百科事典『ウィキペディア』「ゴアテックス」、日本ゴア「ロバート・W・ゴアが逝去」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/ゴアテックス https://www.gore.co.jp/news-events/press-release/robert-gore-passing (1969年にロバート・ゴアがPTFEを急激に延伸させる実験の中で多孔質の延伸ePTFE膜を発見したこと、この膜が1平方センチメートルあたり約14億個の微細な孔をもち孔の大きさが水滴の約2万分の1・水蒸気分子の約700倍であること、1976年に「ゴアテックス」として製品化されたことはウィキペディアおよび日本ゴアの記事による。製品としての防水性・透湿性が生地全体の構造にも左右されることは、孔のサイズだけで性能のすべてが決まるわけではないという一般的な理解にもとづく)
- フリー百科事典『ウィキペディア』「辰野勇」、モンベル公式「創業者紹介(辰野勇)」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/辰野勇 https://about.montbell.jp/founder/ (辰野勇が1969年にアイガー北壁の日本人第2登を成功させたこと、1975年に28歳で株式会社モンベルを設立したことはウィキペディアおよびモンベル公式の創業者紹介による)
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