1. 610ねんの 一ぎょうには、なんと 書いてある?
1. 『日本書紀』610年の条 ── 曇徴は何を「作れた」のか
1. 推古18年(610年)の条 ── 「紙墨を作る」という記述の範囲
日本で いちばん ふるい 歴史の 本の ひとつに、『日本書紀』が あります。その 610ねんの ところに、こう いう 話が のって いると、ウィキペディアが 文を ひいて しょうかい して います[1]。
「高句麗という 国の 王さまが、僧の 曇徴を おくって きた。曇徴は、かみと すみを 作る ことが できた」。
ここで 大じな ことは、「作る ことが できた」と いう ところです。「日本で はじめて 作った」とは、書いて ありません。
『日本書紀』の推古天皇18年(610年)の春3月の条に、次のような記事があります。高句麗の王が、僧の曇徴と法定を献上した。曇徴は儒教の経典に通じ、絵の具や紙・墨をよく作り、水力で回す石うすも造った、という内容です[1]。
ここで大事なのは、書かれているのが「紙や墨を作る腕があった」という点だということです。「日本で初めて紙を作った」「紙づくりを発明した」とは書かれていません。
紙を作る人が610年に来た、というのが、この一行から読み取れる範囲です。
2. 「かいて ある 年」と 「きた 年」は、おなじ?
2. 「最古の記録」と「伝わった年」はちがう
2. 最古の記録と伝来年の区別 ── 5世紀説・6世紀説はどこまで言えるか
たとえば、クラスの めいぼに 名前が はじめて のった 日が 4月だと します。でも、その 子が 4月に はじめて 学校に きたとは かぎりません。もっと まえから、となりの 町から かよって いたかも しれません。
かみも、これに にて います。610ねんの 話は、「日本の かみづくりに ついて、いま 手もとに ある いちばん ふるい 記ろく」と 言われます[2]。
ただし、本当に かみが いつ 日本に きたのかは、はっきり しません。5せいきごろには、もう 日本で かみが 作られて いたかも しれない、と いう 見かたも あります。でも、これは すいそくです[2][3]。
クラスの名簿に名前が初めて載った日と、その子が初めて登校した日は、同じとはかぎりません。610年の記事と紙の伝来の関係も、これに似ています。
紙の博物館は、610年の曇徴の記事を「日本の製紙に関する最古の記録」とする一方で、5世紀ごろまでには渡来した人たちによって国内で紙が作られていただろう、という見方も示しています[2]。日本製紙連合会も、610年に曇徴が伝えたと「いわれる」と書いたうえで、それ以前から紙すきが行われていたという説もあると注記しています[3]。
さらに、538年ごろの仏教の伝来といっしょに、紙づくりの知識も入ったのではないか、540年に渡来人に戸籍を作らせた記事から紙があったと考えられないか、といった推測もあります。ただ、これらは伝承をもとにした推測で、遺物では確かめられていません[6]。
610年の記事は、日本の製紙に関する最古の記録とされる一方、伝来年そのものを示すものではない。紙の博物館は、5世紀ごろまでには渡来人によって国内でも紙が作られていただろうという見方を併記し[2]、日本製紙連合会も、610年に曇徴が墨とともに製紙法を伝えたと「いわれる」としつつ、それ以前から紙すきがあったとする説を挙げる[3]。
さらに古い説として、538年(宣化天皇3年)の仏教伝来とともに造紙の知識が入った可能性や、540年(欽明天皇元年)に渡来人に戸籍を編ませた記事から紙の存在を推す見方が紹介されている[6]。ただし、これらは伝承ベースの推測で、遺物や一次史料で裏づけられたものではない。
整理すると、紙の博物館などが610年の記事を「最古の記録」としていること、そして推測にとどまるのは「それ以前に紙が入っていた」ことである。両者を混ぜないことが、この話を読むときの要点になる。
3. 「年が たしかな」 いちばん ふるい かみは?
3. 年代がたしかな現存最古の紙 ── 702年の戸籍
3. 702年の戸籍用紙 ── 美濃・筑前・豊前
では、いまも 見られる かみで、年が はっきり している いちばん ふるい ものは なんでしょう。
それは、702ねんの 戸籍の かみだと されて います。戸籍は、どこに だれが すんで いるかを 書いた、役所の 名ぼの ような ものです。奈良の 正倉院という 場所に、つたえられて います[2]。
さきほどの 610ねんから、およそ 90ねん あとの ものです。
4. どうして、その かみだけ のこったの?
4. 戸籍はなぜ、写経の帳簿の裏紙になったのか
4. 戸籍はなぜ、帳簿の裏紙として約1300年残ったのか
おどろく ことに、その 戸籍は、大じに しまって おかれた から のこった のでは ありません。
戸籍には、ほぞんする 年数が きまって いました。この ころの 戸籍は、その 年数が すぎたら、すてる ことに なって いました[5]。
ところが、東大寺という お寺の 写経所に、ゆずられました。お経を 書きうつす ところです。そこで、748ねんの 帳ぼの うらがわに、もう 一ど つかわれました[5]。
うら紙に なった おかげで、およそ 1300ねん、つたえられたのです。
実はこの戸籍は、大切に保存されるために残ったのではありません。美濃国の半布里の戸籍は、決められた保存期間が終わったあと、本来なら廃棄されるところでした[5]。
ところが、東大寺の写経所に払い下げられました。写経所は、お経を書き写す仕事をする場所です。そこで748年の写経の帳簿の裏側に、もう一度使われたのです。
役所の記録としての役目を終えた紙が、写経所の帳簿の裏紙として使われ、そのまま正倉院に約1300年伝わりました[5]。捨てられずに、もう一度使われたことが、残った理由の一つです。
美濃国半布里(はにゅうり)の702年の戸籍は、保存期間の満了後は廃棄されるはずだったが、東大寺の写経所へ払い下げられた。写経所は、経典を書き写す部署である。そこで748年の写経の帳簿の裏面に再利用され、結果として正倉院に約1300年伝わった[5]。
この戸籍が残った理由の一つは、裏紙として再利用されたことだ。役所の書類として大切に保管されたのではない点が、この話の面白さである。
5. そのあと、かみは どう かわった?
5. 麻から楮へ ── 日本らしい「和紙」になるまで
5. 原料の変化と流し漉き ── 麻から楮・雁皮へ、平安時代の独自技法
はじめの ころの 日本の かみは、麻という 草が 主な 原料でした。あとから、楮や 雁皮など、日本に ある 木や 草も つかわれるように なりました[3]。
平安じだいには、「流し漉き」と いう 日本ならではの すき方が はったつしたと されます。トロロアオイという 草の 根を つかい、ねばりを 出します[6]。
こうして できた かみが、いま 「和紙」と よばれて います。
自分でも しらべて みたく なったら
自分でも調べてみたくなったら
自分でも調べてみたくなったら
今日 できること
おうちに、うらを つかった 紙が ないか、さがして みましょう。チラシの うらや、コピー用紙の うらなどです。702ねんの 戸籍と、おなじ ことを して いるかも しれません。
紙を 光に かざして みると、あつさが ところどころ ちがうのが 分かるかも しれません。
もっと しりたい とき
「紙の 博物館」の ホームページには、日本の かみの 歴史が のって います。気に なったら、おうちの 人と 見て みても いいですね。
今日できること
家の中で、裏面を使った紙を探してみましょう。チラシの裏、使い終わったコピー用紙の裏など、もう一度使われた紙が見つかるかもしれません。何のために作られ、あとから何に使われたのか、順番を書いてみると、写経所の帳簿の話がぐっと近く感じられます。
公式の情報
紙の博物館の「紙のQ&A」や、日本製紙連合会の「紙の歴史」には、日本への伝わり方がまとまっています。文化遺産オンラインでは和紙の技術の説明を読めます。気になったときに開いてみてください。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源
同じ話を、複数の資料で突き合わせて書きました。
- 「曇徴」Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/曇徴 (『日本書紀』610年の記事の引用と、創始者かどうかの議論)
- 紙の博物館「紙のQ&A」 https://papermuseum.jp/ja/qa/ (最古の記録の位置づけ、5世紀説、702年の戸籍用紙)
- 日本製紙連合会「紙の歴史 日本への伝播」 https://www.jpa.gr.jp/p-world/p_history/p_history_04.html (伝来に関する見方、原料の変化)
- 文化庁「文化遺産オンライン 和紙:日本の手漉和紙技術」 https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/288723 (702年の戸籍用紙、石見の製紙)
- 富加町「奈良正倉院に残る最古の戸籍」 https://www.town.tomika.gifu.jp/docs/271.html (戸籍が写経所で再利用された経緯)
- 「和紙」Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/和紙 (6世紀説の紹介、流し漉きの成立)
なおした ところ
更新履歴
更新履歴(改版の記録)
- 初版を公開。
このサイトでは、公開した記事の本文は原則として書き直しません。誤りが見つかったときや、内容が古くなったときだけ手を入れ、その理由をこの欄に残します。