このサイトは、ほんの入り口です

ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

切手は、なんの しるしなの? ── 手紙を おくる おかねの はなし

切手は「代金を先に払った印」── 受け取る人が払っていた時代から、1840年のペニー・ブラックへ

切手の発明と料金前払い制 ── 1840年の英国ペニー・ブラックと、1871年の竜文切手

分野:歴史・文化

手紙を とどけに きても、うけとる人が「いりません」と いえた 時代が ありました。ことわられると、はこんできた 人は、おかねを もらえません。

この こまりごとを へらした 小さな 紙が、切手です。切手は、なんの しるしなのでしょう。1840年の イギリスと、日本で はじめて できた 切手を、さがして みましょう。

手紙を届けに行っても、受け取る人が「いりません」と断れば、その手紙の代金は入らない。1840年より前の英国には、そんなしくみがありました。

切手は、この困りごとを変えた発明として知られています。切手は何の印なのか、なぜ黒一色の小さな紙が世界に広まったのか、31年後に日本で出た最初の切手と合わせて見ていきます。

1840年より前の英国では、手紙の郵便料金は通常、差出人でなく受取人が払い、受取人は受け取りを断ることもできた[1][3]。料金は距離と紙の枚数によって決まり、複雑でもあった[1]。

この制度を、教師のローランド・ヒルが提案した「前払い」の印、つまり接着式の切手が変えた[2]。このメモでは、1840年のペニー・ブラックに何が新しかったのか、そして1871年に日本最初の切手(竜文切手)が出るまでを、複数の資料を突き合わせて追う。数字のうち、資料の言い方の差が残るものは、その旨を添える。

読み方を切り替えられます。画面の上にある「よみかた」のボタンで、小学校低学年むけ・小学校高学年むけ・中学生むけの3つの書き方に切り替わります。むずかしいと思ったら、いつでもやさしい方に戻ってください。選んだ読み方はブラウザが覚えているので、次に別の記事を開いたときも同じ読み方で始まります。

1. 切手は、なんの しるし?

1. 切手は「代金を先に払いました」という印

1. 切手とは ── 郵便料金の前払いを示す証拠

切手は、手紙を おくる 代金を、もう はらいましたよ、という しるしです[2]。

たとえば、遊園地の リストバンドは、入る お金を はらった しるしです。切手も、それに 少し にて います。ただし 本当は、切手は 手紙に はって、はこぶ 人に 見せる ものです。うでには まきません。

では、切手が なかった 時代は、だれが 代金を はらって いたのでしょう。

切手は、郵便の料金を先に払ったことを示す印です。1840年に英国で出たペニー・ブラックは、その最初の例として知られています[2]。

今は、手紙を出す人が切手を買って貼るのが当たり前です。でも、この当たり前は、1840年より前にはありませんでした。だれが、いつ払うのか。そこが、切手の話の中心です。

切手は、郵便料金を前払いしたことを示す証票だ。ペニー・ブラックは、公的な郵便制度で使われた世界初の接着式切手とされる[2]。

現代では、差出人が切手を買って貼るのは自明に思える。しかし、それは制度の設計の結果であり、1840年より前の英国では別のやり方が通常だった。誰が、いつ払うのか。この一点が、切手という発明の中身である。

2. 昔は、だれが 代金を はらって いたの?

2. 昔の手紙は、受け取る人が払っていた

2. 1840年以前の英国 ── 受取人払いと距離別の複雑な料金

1840年より 前の イギリスでは、手紙の 代金は、たいてい うけとる 人が はらって いました[1][3]。

うけとる 人は、「いりません」と ことわる ことも できました[1]。とどけに いっても ことわられると、はこんだ 人は、おかねを もらえませんでした。

しかも、代金は どれくらい とおいかと、紙が 何まいかで きまって いました[1][3]。ややこしい きまりでした。

払うのは受け取る側

1840年より前の英国では、手紙の代金は通常、差出人ではなく受取人が払っていました[1][3]。受け取る人は、届いた手紙を断ることもできたと説明されています[1]。

届けに行っても断られた手紙は、代金を受け取れないことになります。運ぶ側にとっては、これは大きな悩みだったはずです。

料金は距離と枚数で決まった

料金の決め方も複雑でした。手紙が運ばれる距離と、手紙の紙の枚数で変わったのです[1][3]。

資料には、具体的な旧料金の金額の例までは載っていなかったので、ここでは数字は書きません。

1840年以前の英国では、手紙の料金は通常、受取人が払った。受取人は受け取りを拒むこともできた[1]。英国郵便博物館の教材も、料金は通常受取人が払い、金額は運ばれた距離と紙の枚数によったと説明する[3]。

受取人払いでは、受け取りを拒否された手紙の運賃は回収できない。料金が距離と枚数で細かく変わることも合わせ、制度は複雑だった[1]。なお、資料に個別の旧料金の金額例までは載っておらず、ここでは扱わない。

3. 「先に はらおう」と 考えた 人

3. 教師ローランド・ヒルの提案 ── 均一な料金と前払い

3. 1837年 ── ヒルの『Post Office Reform』と接着式切手の提案

ローランド・ヒルという 人が、あたらしい やり方を 考えました。ヒルさんは、先生を して いた 人です[1]。

1837年、ヒルさんは 本を 書きました。「きょりでは なく、重さで、安くて 同じ 代金に しよう」という 考えです[1]。

それから、「代金を 先に はらった」ことを しめす、はれる 紙、つまり 切手も、考えました[2]。

この制度を変えようとしたのが、教師で改革者のローランド・ヒル(Rowland Hill)です[1]。

ヒルは1837年に『Post Office Reform』という小冊子を出し、距離ではなく重さに応じた、低くて一律の料金を求めました[1]。

あわせて、料金を前払いした証拠として、貼ってつかう接着式の切手を提案しました[2]。払う人を受取人から差出人に移し、その支払いが済んだことを紙で示すという発想です。

ローランド・ヒル(Rowland Hill)は教師・改革者で、1837年に冊子『Post Office Reform』で、距離でなく重さによる「低く均一な料金」を主張した[1]。

同じ年、ヒルは料金の前払いを示す接着式の切手を提案した[2]。ここで、二つの案が組み合わさる。均一料金は料金の計算を単純にし、前払いは支払い者を差出人へ移す。切手は、その支払い済みを、手紙そのものに貼って示す手段だった。

4. 1840年、どこへでも 1ペニー

4. 1840年、「どこへでも1ペニー」が始まった

4. 1840年 ── 均一ペニー郵便とペニー・ブラックの発行

1840年1月10日に、あたらしい やり方の 郵便ゆうびんが はじまりました[1]。

その 5月1日に、世界で はじめての 切手、ペニー・ブラックが 出ました[2]。ほんとうに つかえるように なったのは、5月6日からです[2]。

1ペニーの 切手を はれば、半オンス(およそ 14グラム)までの 手紙を、どこへでも おくれました[2]。とおくても、ちかくても、同じ 代金です。

手紙は ふえたようです。1839年11月と 1840年2月を くらべると、代金を さきに はらった 手紙は、およそ 2倍いじょうに なったと いわれます[1]。ただ、役人の むりょうの 手紙が なくなった ことなども、かんけいして いると いわれます。

均一ペニー郵便は1840年1月10日に始まりました[1]。ペニー・ブラックが発行されたのは5月1日で、5月6日までは使えませんでした[2]。

1ペニーの切手を貼れば、半オンス(約14g)までの手紙を、距離に関係なく英国内のどこへでも送れました[2]。英国郵便博物館の資料でも、1ペニーで半オンスまでを国内どこへでも送れると説明されています[3]。

同じ資料は、役人の無料郵便がなくなったことにも触れています[3]。

手紙は増えたのか

1839年11月と1840年2月を比べると、料金を前払いした国内の手紙は約120%増えたと、Wikipediaは書いています[1]。120%増えたのは、もとの量の2.2倍になったということです。2倍ちょうどではありません。

ただし、この数字は「均一ペニー郵便が始まる前の11月」から「始まった後の2月」までの比較で、目安です。役人の無料郵便がなくなったことなども増えた背景として挙げられ、均一料金だけの効果とは言い切れません[3]。

均一ペニー郵便は1840年1月10日に始まった[1]。ペニー・ブラックは同年5月1日に英国で発行されたが、使用が認められたのは5月6日からだった[2]。

1ペニーで、半オンス(約14g)までの手紙を、距離に関わらず英国内のどこへでも送れた[2]。英国郵便博物館の教材、および郵政系の紹介も同様に説明し、あわせて役人の無料郵便が廃止されたことにも触れる[3]。

英語版Wikipediaには、料金前払いの国内郵便物が1839年11月から1840年2月の間に120%増えたと書かれている[1]。120%増は2.2倍であり、「2倍」とは異なる。比較の始点(1839年11月)は制度開始日(1840年1月10日)より前で、原資料を直接確認できていない二次資料の数字であるため、目安として扱う。また、役人の無料郵便の廃止なども増加の背景にあり得るので、均一ペニー郵便だけの効果とは断定しない。

5. ペニー・ブラックは、どんな 切手?

5. ペニー・ブラックは、どんな姿だったのか

5. ペニー・ブラックの形と発行枚数

ペニー・ブラックは、名前の とおり、黒い インクで 印刷いんさつされました[2]。

いまの 切手には、まわりに ギザギザが あります。手で ちぎる ための あなです。でも、ペニー・ブラックには、その ギザギザが ありませんでした[2]。

売る ときも、つかう ときも、ハサミで 1まいずつ 切って いました[2]。

作った 数は、6880万まいを こえます。およそ 6900万まい です[2]。

ペニー・ブラックは黒いインクで刷られ、周りにミシン目(目打)がありませんでした。売るときも使うときも、ハサミで切り分けました[2]。

印刷されたのは286,700シート、合計68,808,000枚と記録されています[2]。約6900万枚(6880万枚あまり)です。

ペニー・ブラックの絵柄については、取得した資料の範囲では確かなことを書けないので、ここでは触れません。ヴィクトリア女王が切手を使ったと紹介する資料はありますが[3]、詳しい話は資料で確かめてください。

ペニー・ブラックは黒インクで印刷され、目打(ミシン目)がなく、ハサミで切って売られ、使われた[2]。印刷は286,700シート、計68,808,000枚(約6880万枚、およそ6900万枚)とされる[2]。

ヴィクトリア女王が切手を使ったという記述は、英国郵便博物館系の要約にある[3]。ただし、切手の絵柄の詳細は、今回確かめた範囲の本文では確認できていない。

6. 日本の はじめての 切手は?

6. 31年後、日本にも最初の切手が出た

6. 1870〜71年 ── 日本最初の切手「竜文切手」

日本で はじめて 切手を 出すと きまったのは、1870年でした[5]。明治めいじ3年の ことです。

その 切手が、りゅうもん 切手です。1871年に、出されました[4][5]。

ペニー・ブラックと 同じで、ギザギザが ありません。手では ちぎれず、ハサミなどで 切りはなして つかいました[5]。

ペニー・ブラックの 31年あと でした。

日本で最初の切手を出すことが決まったのは、明治3年6月2日(1870年6月30日)です[5]。切手という言葉は、はじめの段階から使われていたと紹介されています[5]。

その切手が、通称「竜文切手(竜切手)」です。明治4年3月1日(1871年4月20日)に発行され、日本最初の切手とされています[4][5]。ペニー・ブラックより31年あとです。

竜文切手にも、ギザギザの目打はありませんでした。手ではちぎれず、切り離すにはハサミなどが必要だったと説明されています[5]。

日本の郵便の仕組みが、英国のどの点を手本にしたのかについては、今回確かめた資料の範囲では断定できません。

日本最初の切手の発行が決まったのは明治3年6月2日(1870年6月30日)で、当初から「切手」の語が使われ、雛形には「賃銭切手」と記されたという[5]。

日本最初の切手は通称「竜文切手(竜切手)」で、明治4年3月1日(1871年4月20日)に発行された[5]。文化遺産オンラインには、額面500文の竜切手(明治4年、1871年)が日本最初の切手として、郵政博物館の所蔵で登録されている[4]。竜文切手の額面は複数の種類があり、500文はそのうちの1つである。

竜文切手には目打がなく、手でちぎれず、切り離しにはハサミ等が必要だった[5]。この点は、ペニー・ブラックと共通する。ただし、英国の制度が日本の切手の直接の手本かどうかは、今回の資料では断定しない。

7. じぶんでも 調べて みたく なったら

7. 自分でも調べてみたくなったら

7. 自分でも調べてみたくなったら

おうちで

手元に 手紙か はがきが あれば、切手の ふちを、よく 見て みましょう。ペニー・ブラックには なかった ギザギザが、ありますか。

おでかけで

りゅう切手を もっているのは、ゆうせい 博物館はくぶつかんと いう ところです[4]。行く 前に、あいて いる 日を 家の 人と しらべて ください。

今日できること

家にある手紙や荷物の切手を、ふちまで観察してみましょう。ギザギザ(目打)はありますか。金額は、いくらでしょうか。

そのうえで、郵便局の窓口や公式サイトの料金表で、いまの手紙の料金が何で決まっているかを調べてみると、1840年の「距離と枚数」の話と比べられます。

出かけてできること

竜切手は、郵政博物館の所蔵として文化遺産オンラインに載っています[4]。見学できるかどうかや開館日は、行く前に公式の案内で確かめてください。

公式資料を読む

日本語の資料では、文化遺産オンラインの「竜切手」の項目[4]が、竜文切手を実物の所蔵情報とともに紹介している。All Aboutの郵便切手の解説[5]は、発行決定の日付や目打のないことに触れる。

英国側は、Wikipediaの「Rowland Hill」「Penny Black」の各項目[1][2]と、英国郵便博物館の教材(PDF)[3]で追える。ここでは、百科事典の記述の数字(120%増、印刷枚数)が、原資料でどう書かれているかを確かめる余地が残る。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

出典について:英語版Wikipedia、英国郵便博物館の教材、文化遺産オンライン、All Aboutの解説を使った。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。

  1. Wikipedia「Rowland Hill」。https://en.wikipedia.org/wiki/Rowland_Hill (旧制度の受取人払い・距離と枚数の料金、1837年の提案、郵便物の増加について)
  2. Wikipedia「Penny Black」。https://en.wikipedia.org/wiki/Penny_Black (接着式切手の提案、発行日と使用開始日、均一料金、目打なし、印刷枚数について)
  3. The Postal Museum「Pop It In The Post」教材(PDF)。https://www.postalmuseum.org/wp-content/uploads/2017/02/Pop-It-In-The-Post-resource.pdf (受取人払いと料金の決め方、1ペニーで半オンスの確認について)
  4. 文化遺産オンライン「竜切手(500文)」。https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/177487 (竜切手が日本最初の切手であること、発行年、所蔵について)
  5. All About「郵便切手」の解説。https://allabout.co.jp/gm/gc/466731 (日本最初の切手の発行決定日、発行日、目打がないことについて。二次資料)

なおした ところ

更新履歴

更新履歴(改版の記録)

  •  初版を公開。

このサイトでは、公開した記事の本文は原則として書き直しません。誤りが見つかったときや、内容が古くなったときだけ手を入れ、その理由をこの欄に残します。