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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

ラジオは、テレビが ないころ、なにを とどけて いたの?

テレビより28年早かったラジオ ── 電池のない箱から、株の値段と体操の声が届くまで

日本のラジオ放送の始まり ── 1925年の仮放送から1953年のテレビ開始まで、音だけで届けたもの

分野:歴史・文化

電池でんちも コンセントも ない はこに、みみを つけると、こえが きこえる。むかしの 日本には、そんな ラジオが ありました。

テレビが はじまる 28ねん まえ、ラジオは、なにを どうやって とどけて いたのでしょう。

電池もコンセントもつないでいない小さな箱のイヤホンから、遠くの人の声が聞こえる。1925年の日本には、そんなラジオがありました。

テレビの放送が始まったのは1953年で、ラジオはそれより約28年も早く、音だけで情報と楽しみを届けていました。昼の番組が株の値段でいっぱいだった時期があること、ラジオ体操が生まれたことまで、当時の放送を追います。

日本のラジオ放送は1925年に始まり、1953年のNHKテレビ開始まで約28年間、音だけで情報と娯楽を届けた[11]。初期の平日の昼間は、番組の大半が株式市況と商品相場で占められていたという[1]。

このメモでは、無電源で聴ける鉱石ラジオの原理、関東大震災後の放送への期待、1925年の試験・仮放送・本放送の日付、初期の番組と聴取契約の伸び、スポーツ実況とラジオ体操までを、複数の資料を突き合わせて追う。確かな日付と、資料によって食い違う点は分けて書く。

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1. でんちが ないのに、どうして こえが でるの?

1. 電池もコンセントも使わない箱から、音が出る

1. 鉱石ラジオ ── 無電源で音を出す仕組み

むかしの ラジオには、電池でんちも コンセントも いらない ものが ありました。鉱石こうせきラジオと いいます[5]。

そらから くる でんぱを、アンテナが ひろいます。その ふるえが、ちいさな でんきに なります。でんきを いっぽうにだけ とおす ぶひんを とおすと、イヤホンから おとが でます[7]。

いとでんわに すこし にて います。こえの ふるえが いとを つたわって、あいての みみに とどく しくみです。ただし ほんとうは、いとの かわりに でんぱが はこび、とちゅうで「いっぽうだけ とおす」ぶひんが いります。

おとは ちいさくて、イヤホンで ひとりずつ きく ものでした。みんなで きくのは むずかしかったそうです[5]。

電波が音になるまで

AM放送では、音の形に合わせて、電波の強さを変えて送ります。受け取る側は、まず「同調」で聞きたい局の電波を選び、次に「検波」で音の信号を取り出します[6]。検波では、電流を一方向にしか通さない部品を使い、波の上半分(または下半分)だけを残します。あとはイヤホンが、細かすぎる成分をならして音にします[6]。日本のAM放送に使われる中波帯は、約525〜1605kHzです[6]。

鉱石ラジオは、この検波を鉱石と金属の接触で行います。電源を使わない無電源ラジオの一種で、アンテナとアースをつなぎ、レシーバー(イヤホン)で聴きます[5]。ここで紹介した秋田高専の資料は現代の部品で説明していますが、一方向にしか電流を通さない整流という仕組みは同じです[6]。

電池が要らない理由

アンテナの金属の中の電子が、電波に押されて揺れると、交流の電流が生まれます。これを整流すると音の成分が取り出せます[7]。電池の代わりに電波そのもののエネルギーを使うので、音は弱くなり、一人で聴く形になります[5]。糸電話に少し似ていますが、糸の振動を運ぶのが電波で、途中に整流の部品が入る点が違います。

鉱石ラジオは電源を使わない無電源ラジオの一種で、鉱石と金属の接触が示す整流作用(電流を一方向にのみ通す性質)を検波けんぱに使う。受信にはアンテナとアースを要し、レシーバーで一人が聴く形式である[5]。出力が小さく、複数人で聴くのは難しかった[5]。

原理は次のとおり。AM(振幅変調)は、音の信号で搬送波(一定の高い周波数の電波)の振幅を変える方式で、受信側は同調で目的の局を選び、検波で音の信号を取り出す。検波はダイオードなどの整流で波の上半分(または下半分)を取り出す操作にあたり、イヤホンが高周波成分を除いて音にする。中波帯は約525〜1605kHzである[6]。この資料は現代のゲルマニウムラジオを扱っており、1925年当時の鉱石検波器とは部品が異なるが、整流という原理は共通する。

電池なしで鳴る理由は、アンテナ内の電子が電波に力を受けて動き、交流電流が生じること、その電流を整流して音の成分だけ取り出せることにある[7]。無電源であること自体は鉱石ラジオの説明で支えられる[5]。

2. どうして ラジオが ほしいと おもわれたの?

2. 「ラジオさえあれば」── 震災の記憶が背中を押した

2. 関東大震災(1923年)と放送事業への要望

1923ねんに、関東大震災かんとうだいしんさいが ありました。しんぶんの かいしゃも こまり、しんぶんが つくれなかったり、くばれなかったり しました[4]。

ほんとうの ことが つたわらず、まちがった うわさが ひろがりました。そこで、「ラジオさえ あれば」と いう こえが おおきく なったと いわれます[4]。

ただし、それだけが りゆうでは ありません。1922ねんごろから、国も ほうそうの ことを かんがえて いました[4]。

新聞が届かない日に

1923年の関東大震災では、新聞社も被災して、発行や配達が滞りました。情報が足りない中でデマが広がり、「ラジオさえあれば」という声が高まって、ラジオ局の開局が後押しされたとされています[4]。日本初のラジオ局ができたのは、震災の約1年半後です[4]。

ただし、震災だけが原因だったわけではありません。同じ資料は、1922年ごろから政府が放送の実施を検討していたこと、新聞社も普及に動いていたことを述べています[4]。「あの日の不安」と「準備が進んでいた流れ」が重なった、と読むのが近そうです。

関東大震災(1923年)では新聞社が被災し、発行と配達が滞った。情報の不足からデマが広がり、「ラジオさえあれば…」という声が強まって、開局が後押しされたとされる[4]。日本初のラジオ局の誕生は震災の約1年半後である[4]。

ただし単一の原因ではない。同じ論文は、1922年ごろから政府が放送を検討し、新聞社も普及に動いていたと述べる[4]。「後押しされた」という表現は、放送史研究(竹山昭子『ラジオの時代』)の引用を含む論文の記述であり、震災を唯一の理由として読まないほうがよい。

3. さいしょの ほうそうは、いつ だったの?

3. 1925年の春に始まったが、「本放送」はまだ先だった

3. 試験・仮放送・本放送 ── 1925年3〜7月の日付

1925ねん3がつ22にちの あさ9じ30ぷん、東京の ほうそうきょくが ほうそうを はじめました[2]。この日は、いまも「ほうそう きねんび」です。

この日の ほうそうには、ニュースと てんきよほう、かぶや しょうひんの ねだんの はなしが ありました[2]。

でも これは「かりの ほうそう」です。ほんとうの ほうそうは 7がつ12にちに、東京の 愛宕山あたごやまから はじまりました[1]。大阪おおさかは 6がつ1にちに かりの ほうそうを はじめました。みんな いっせいに はじまった わけでは ありません[1]。

3月1日、3月22日、7月12日

日本のラジオは、いくつかの段階で始まりました。1925年3月1日に試験放送、3月22日に仮放送、そして東京の本放送が7月12日です。本放送は、芝の愛宕山に建てた新しい局舎から、出力1キロワットで行われました[1]。

3月22日の午前9時30分、東京放送局(今のNHKの前身)が中波で仮放送を始めました。この日が今の「放送記念日」です。初日の放送には、ニュースと天気予報、それに株式や商品の市況が含まれていたそうです[2]。

全国いっせいではなかった

大阪は6月1日に仮放送を始め、名古屋の本放送は7月15日でした[1]。「日本のラジオは7月12日に一斉に始まった」と覚えると、少しずれます。

日付を整理すると、1925年3月1日が試験放送、3月22日が仮放送、東京の本放送が7月12日(芝・愛宕山の新局舎、出力1キロワット)である。大阪は6月1日に仮放送を始め、名古屋は7月15日に本放送を始めた。全国同時に始まったのではない[1]。

3月22日は午前9時30分に東京放送局(現NHKの前身)が中波で仮放送を始めた日で、現在の「放送記念日」にあたる。初日の放送にはニュースと天気予報が含まれ、株式・商品の市況も報じられたとされる[2]。

「放送の開始」という言葉は、試験・仮・本のどれを指すかで日付が変わる。以下では、3月22日を仮放送、7月12日を東京の本放送として書き分ける。

4. ひるまの ばんぐみは、なにを ほうそうして いた?

4. 昼の放送の大半は、株の値段だった

4. 初期の番組編成 ── 市況・相場と、本放送初日の内容

いまの ひるの ばんぐみは、ドラマや ニュースなど いろいろです。でも 1925ねんごろの ラジオは、ちがいました。

かぶや しょうひんの ねだんの ほうそうが、ひるまの ほとんどを しめて いたのです[1]。しじょうが ひらいて いる 朝9じから 4じまで、おひるやすみの ほかは、その ほうそうが つづきました[1]。

日ようや やすみの 日は、たのしい ばんぐみが おおかったそうです[1]。

7がつ12にちの 本ほうそうの 一日は、てんきよほうから はじまり、ニュース、りょうりの はなし、えいごの こうざ、こどもの おはなしなどが ならんだと しょうかい されて います[3]。

朝9時から午後4時は「相場の時間」

初期の平日の昼間は、市場が開いている朝9時から午後4時のうち、昼休みを除く大半が、株式の市況や商品の相場で占められていました[1]。今の感覚とはかなり違います。日曜や祝日は、娯楽番組が中心でした[1]。

本放送の初日

1925年7月12日の初日は、天気予報で始まったと紹介されています。そのあとニュース、家庭向けの講座、音楽、中学英語や実用英語といった語学講座、料理と家計の話、子ども向けのお話などが続き、放送は午前9時から午後5時までの約8時間でした[3]。

初期の平日の昼間は、市場が開く朝9時から午後4時のうち、昼休みを除く大半が株式市況・商品相場で占められた。日曜・祝日は娯楽番組が中心だった[1]。日本ラジオ博物館の解説による。

7月12日の本放送初日は、天気予報で始まり、ニュース、家庭講座、音楽、語学講座(中学英語・実用英語)、料理と家計、子ども向けのお話などが放送され、放送時間は約8時間(午前9時〜午後5時)だったと紹介される[3]。3月22日の仮放送の内容とは別の日の内容として扱う。

5. ラジオは、どのくらい ふえたの?

5. 聴取契約は、5,455から100万へ

5. 聴取料と契約数 ── 1925〜32年の伸びと、真空管式への移り変わり

ラジオを きくには、おかねを はらって けいやくを します。さいしょの 月は、ひと月 2円でした。かりの ほうそうの あいだは 1円に なりました[1]。

はじめの けいやくは 5,455。1926ねんには 39まんほどに ふえました[9]。71ばいくらいです。1930年代の はじめには、100まんを こえました[9]。

そのうち、真空管しんくうかんを つかった ラジオが ふえます。でんとうの でんきを つかえる ので、こうせきラジオの ように イヤホンで きくだけでは なくなりました[8]。

数字で見る広がり

聴取料は月額2円で、仮放送の間は1円に下げられていました[1]。放送が始まったときの聴取契約は5,455でした。それが1926年には約39万に増えています。約71倍です。1930年代のはじめには、100万を突破しました[9]。

初期は鉱石ラジオが主流で、イヤホンで聴く形が多かったとされます[1]。

真空管で、家庭の電灯線へ

真空管の改良で、ラジオは家庭の電灯線から電源をとれるようになりました。鉱石ラジオは電源が要らない反面、レシーバーで聴くことしかできませんでした[8]。1928〜31年ごろの技術の進歩が、普及を後押ししたとされています[8]。

聴取料は当初月額2円、仮放送中は1円に引き下げられた。放送開始時の聴取契約は5,455で、1926年に約39万(約71倍)に増え、1932年2月16日に100万を突破した[1][9]。100万突破の時期は、1931年とする資料もあり、日付は資料によってずれる。

初期の受信機は鉱石ラジオが主流で、レシーバーで聴く形が多かった[1]。真空管の改良により家庭の電灯線から電源をとれる受信機が広がり、鉱石ラジオの「電源なし・レシーバーで聴くのみ」という制約から離れていった。1928〜31年ごろの技術の発展が普及を後押ししたとされる[8]。

6. スポーツの ちゅうけいや ラジオたいそうも、ラジオから?

6. 実況中継とラジオ体操 ── 音だけの遊びと運動

6. 1927〜28年の実況中継とラジオ体操、そして1953年のテレビ

1927ねん8がつ13にちに、こうこうやきゅうの たいかいが ラジオで ほうそうされました。日本で はじめての スポーツの じっきょうと いわれます[12]。うつる えは ありません。しゃべる 人の こえで、ようすを つたえます。

1928ねん11月1日には、ラジオたいそうの ほうそうが はじまりました。さいしょの なまえは「こくみん ほけん たいそう」でした[10]。

それから 25ねんほど あと、1953ねん2月1日に、NHKの テレビが はじまります[11]。ラジオが 音だけで つたえた 日々は、およそ 28ねん ありました。

絵がなくても、試合が見える

1927年8月13日、第13回全国中等学校優勝野球大会(今の高校野球の全国大会)がラジオで放送されました。日本初のスポーツ実況中継とされています[12]。この日付は百科事典の記述によるもので、放送局や開催地は原資料で確かめたくなるところです。

ラジオ体操は、1928年生まれ

ラジオ体操は、1928年10月29日に「国民保健体操」の名前で発表され、11月1日に東京中央放送局で放送が始まりました。逓信省の担当者がアメリカで、生命保険会社が体操を放送する企画を知り、昭和天皇の即位を祝う事業として提案した、という経緯が紹介されています[10]。今の「ラジオ体操第1」は、1951年に決められた3代目です[10]。

1953年、テレビが来る

NHKのテレビ本放送は、1953年2月1日に始まりました[11]。ラジオの開始から、約28年(1925年3月〜1953年2月は27年11か月)です。

1927年8月13日に第13回全国中等学校優勝野球大会が放送され、日本初のスポーツ実況中継とされる。この日付は百科事典の記述によるもので、放送局・開催地は原資料で確かめる余地がある。

ラジオ体操は1928年10月29日に「国民保健体操」の名称で発表され、11月1日に東京中央放送局で放送が始まった。逓信省の担当者が渡米中に生保会社のラジオ体操の企画を知り、昭和天皇の即位を祝う事業として提案したという[10]。米国由来の記述はこの財団の資料にのみあり、別の財団は「1928年制定・放送」とだけ記す。現在の「ラジオ体操第1」は1951年制定の3代目にあたる[10]。

NHKのテレビ本放送は1953年2月1日(東京・午後2時)に始まった[11]。1925年3月〜1953年2月は27年11か月で、「約28年」と表現できる。この間のラジオ契約数・番組の全体像は、この記事の範囲外である。

7. ラジオの ばんぐみを ならべて みよう

7. 1日の番組表を、1925年と見くらべてみる

7. 出口 ── 番組表を並べて読む/資料の読みどころ

おうちに ラジオが あれば、AMの ほうそうに あわせて みましょう。なければ、しんぶんか ウェブの ばんぐみひょうを 見るだけで も かまいません。

朝から 夕がたまでの ばんぐみを、1925ねん7月12日の 一日と くらべます。あの日は 朝9じから 午後5じまでの 8じかんで、てんきよほうから はじまりました[3]。いまの ばんぐみには、どんな ものが ふえて いるでしょう。

ラジオたいそうを した ことが あれば、はじまった 年も しらべて みると、おもしろいかも しれません[10]。

新聞かウェブの番組表で、朝から夕方までの番組を、1925年7月12日の1日と見くらべます。あの日は午前9時から午後5時までの約8時間で、天気予報から始まりました[3]。今の番組表には、何が増えていて、何がなくなっているでしょうか。ラジオがあれば、AM(中波)に合わせて聴いてみるのも一つの手です。

資料を読むなら、まず日本ラジオ博物館の解説[1]と、震災とメディアを扱った論文[4]が、話の骨組みを押さえるのに向いています。

手元の番組表を、1925年7月12日の編成(天気予報で始まり、約8時間)[3]と並べ、増えた種類と消えた種類を数えてみる。

資料としては、放送開始の日付は日本ラジオ博物館の解説[1]、震災後の要望とその限界は自然災害科学の論文[4]、AM放送と検波の原理は秋田高専の実験資料[6]、テレビ開始の日付は国立公文書館の資料[11]が読みやすい。実況中継の日付(1927年)は、NHKの一次資料で確かめるところから始めたい[12]。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

出典について:日本ラジオ博物館、国立公文書館、学会誌の論文、高専の実験資料、財団の解説のほか、百科事典(Wikipedia)や個人の解説記事も参考にした。何に使ったかは、各項目の最後に書いている。

  1. 日本ラジオ博物館「解説:放送のはじまりと初期のラジオ」。https://www.japanradiomuseum.com/meseum1 (放送開始の日付、初期の番組、聴取料について)
  2. Wikipedia「1925年のラジオ (日本)」。https://ja.wikipedia.org/wiki/1925年のラジオ_(日本) (3月22日の仮放送について。二次資料)
  3. 今瀬文也「ラジオ放送は、天気予報から始まった」(note)。https://note.com/fumitaka_imase/n/n211375932431 (7月12日の初日の番組について。個人の解説で二次資料)
  4. 大牟田智佐子「関東大震災とメディア考」『自然災害科学』42巻1号。https://www.jsnds.org/ssk/ssk_42_1_001.pdf (震災後のラジオへの期待について)
  5. Wikipedia「鉱石ラジオ」。https://ja.wikipedia.org/wiki/鉱石ラジオ (無電源ラジオの特徴について。二次資料)
  6. 秋田高専「通信工学実験 鉱石ラジオ」。https://www2.akita-nct.ac.jp/itok/materials/5e-communication/communication.pdf (AM放送と同調・検波のしくみ、中波帯について)
  7. 大人の科学.net「検波の秘密」。https://otonanokagaku.net/products/others/radio/secret.html (電波が音になる流れについて。二次資料)
  8. 日本ラジオ博物館「日本のラジオの変遷と放送史の概要」。https://www.japanradiomuseum.com/intro (真空管の改良と電灯線からの電源について)
  9. NHK84年史関連ページ「ラジオ聴取者100万人突破の時代」。https://ogino.c.ooco.jp/bcl/nhk84.htm (契約数の伸びについて。二次資料)
  10. 健康・体力づくり事業財団「ラジオ体操放送開始90年」。https://www.kosho.or.jp/special_topic/detail.php?topic_id=201 (ラジオ体操の始まりについて)
  11. 国立公文書館「昭和28年(1953)2月 テレビ放送が始まる」。https://www.archives.go.jp/ayumi/kobetsu/s28_1953_01.html (テレビ放送の開始日について)
  12. Wikipedia「1927年」。https://ja.wikipedia.org/wiki/1927年 (野球中継の日付について。二次資料)

なおした ところ

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