1. でんちが ないのに、どうして こえが でるの?
1. 電池もコンセントも使わない箱から、音が出る
1. 鉱石ラジオ ── 無電源で音を出す仕組み
むかしの ラジオには、電池も コンセントも いらない ものが ありました。鉱石ラジオと いいます[5]。
そらから くる でんぱを、アンテナが ひろいます。その ふるえが、ちいさな でんきに なります。でんきを いっぽうにだけ とおす ぶひんを とおすと、イヤホンから おとが でます[7]。
いとでんわに すこし にて います。こえの ふるえが いとを つたわって、あいての みみに とどく しくみです。ただし ほんとうは、いとの かわりに でんぱが はこび、とちゅうで「いっぽうだけ とおす」ぶひんが いります。
おとは ちいさくて、イヤホンで ひとりずつ きく ものでした。みんなで きくのは むずかしかったそうです[5]。
電波が音になるまで
AM放送では、音の形に合わせて、電波の強さを変えて送ります。受け取る側は、まず「同調」で聞きたい局の電波を選び、次に「検波」で音の信号を取り出します[6]。検波では、電流を一方向にしか通さない部品を使い、波の上半分(または下半分)だけを残します。あとはイヤホンが、細かすぎる成分をならして音にします[6]。日本のAM放送に使われる中波帯は、約525〜1605kHzです[6]。
鉱石ラジオは、この検波を鉱石と金属の接触で行います。電源を使わない無電源ラジオの一種で、アンテナとアースをつなぎ、レシーバー(イヤホン)で聴きます[5]。ここで紹介した秋田高専の資料は現代の部品で説明していますが、一方向にしか電流を通さない整流という仕組みは同じです[6]。
電池が要らない理由
アンテナの金属の中の電子が、電波に押されて揺れると、交流の電流が生まれます。これを整流すると音の成分が取り出せます[7]。電池の代わりに電波そのもののエネルギーを使うので、音は弱くなり、一人で聴く形になります[5]。糸電話に少し似ていますが、糸の振動を運ぶのが電波で、途中に整流の部品が入る点が違います。
鉱石ラジオは電源を使わない無電源ラジオの一種で、鉱石と金属の接触が示す整流作用(電流を一方向にのみ通す性質)を検波に使う。受信にはアンテナとアースを要し、レシーバーで一人が聴く形式である[5]。出力が小さく、複数人で聴くのは難しかった[5]。
原理は次のとおり。AM(振幅変調)は、音の信号で搬送波(一定の高い周波数の電波)の振幅を変える方式で、受信側は同調で目的の局を選び、検波で音の信号を取り出す。検波はダイオードなどの整流で波の上半分(または下半分)を取り出す操作にあたり、イヤホンが高周波成分を除いて音にする。中波帯は約525〜1605kHzである[6]。この資料は現代のゲルマニウムラジオを扱っており、1925年当時の鉱石検波器とは部品が異なるが、整流という原理は共通する。
電池なしで鳴る理由は、アンテナ内の電子が電波に力を受けて動き、交流電流が生じること、その電流を整流して音の成分だけ取り出せることにある[7]。無電源であること自体は鉱石ラジオの説明で支えられる[5]。
2. どうして ラジオが ほしいと おもわれたの?
2. 「ラジオさえあれば」── 震災の記憶が背中を押した
2. 関東大震災(1923年)と放送事業への要望
1923ねんに、関東大震災が ありました。しんぶんの かいしゃも こまり、しんぶんが つくれなかったり、くばれなかったり しました[4]。
ほんとうの ことが つたわらず、まちがった うわさが ひろがりました。そこで、「ラジオさえ あれば」と いう こえが おおきく なったと いわれます[4]。
ただし、それだけが りゆうでは ありません。1922ねんごろから、国も ほうそうの ことを かんがえて いました[4]。
3. さいしょの ほうそうは、いつ だったの?
3. 1925年の春に始まったが、「本放送」はまだ先だった
3. 試験・仮放送・本放送 ── 1925年3〜7月の日付
1925ねん3がつ22にちの あさ9じ30ぷん、東京の ほうそうきょくが ほうそうを はじめました[2]。この日は、いまも「ほうそう きねんび」です。
この日の ほうそうには、ニュースと てんきよほう、かぶや しょうひんの ねだんの はなしが ありました[2]。
でも これは「かりの ほうそう」です。ほんとうの ほうそうは 7がつ12にちに、東京の 愛宕山から はじまりました[1]。大阪は 6がつ1にちに かりの ほうそうを はじめました。みんな いっせいに はじまった わけでは ありません[1]。
3月1日、3月22日、7月12日
日本のラジオは、いくつかの段階で始まりました。1925年3月1日に試験放送、3月22日に仮放送、そして東京の本放送が7月12日です。本放送は、芝の愛宕山に建てた新しい局舎から、出力1キロワットで行われました[1]。
3月22日の午前9時30分、東京放送局(今のNHKの前身)が中波で仮放送を始めました。この日が今の「放送記念日」です。初日の放送には、ニュースと天気予報、それに株式や商品の市況が含まれていたそうです[2]。
全国いっせいではなかった
大阪は6月1日に仮放送を始め、名古屋の本放送は7月15日でした[1]。「日本のラジオは7月12日に一斉に始まった」と覚えると、少しずれます。
4. ひるまの ばんぐみは、なにを ほうそうして いた?
4. 昼の放送の大半は、株の値段だった
4. 初期の番組編成 ── 市況・相場と、本放送初日の内容
いまの ひるの ばんぐみは、ドラマや ニュースなど いろいろです。でも 1925ねんごろの ラジオは、ちがいました。
かぶや しょうひんの ねだんの ほうそうが、ひるまの ほとんどを しめて いたのです[1]。しじょうが ひらいて いる 朝9じから 4じまで、おひるやすみの ほかは、その ほうそうが つづきました[1]。
日ようや やすみの 日は、たのしい ばんぐみが おおかったそうです[1]。
7がつ12にちの 本ほうそうの 一日は、てんきよほうから はじまり、ニュース、りょうりの はなし、えいごの こうざ、こどもの おはなしなどが ならんだと しょうかい されて います[3]。
5. ラジオは、どのくらい ふえたの?
5. 聴取契約は、5,455から100万へ
5. 聴取料と契約数 ── 1925〜32年の伸びと、真空管式への移り変わり
ラジオを きくには、おかねを はらって けいやくを します。さいしょの 月は、ひと月 2円でした。かりの ほうそうの あいだは 1円に なりました[1]。
はじめの けいやくは 5,455。1926ねんには 39まんほどに ふえました[9]。71ばいくらいです。1930年代の はじめには、100まんを こえました[9]。
そのうち、真空管を つかった ラジオが ふえます。でんとうの でんきを つかえる ので、こうせきラジオの ように イヤホンで きくだけでは なくなりました[8]。
6. スポーツの ちゅうけいや ラジオたいそうも、ラジオから?
6. 実況中継とラジオ体操 ── 音だけの遊びと運動
6. 1927〜28年の実況中継とラジオ体操、そして1953年のテレビ
1927ねん8がつ13にちに、こうこうやきゅうの たいかいが ラジオで ほうそうされました。日本で はじめての スポーツの じっきょうと いわれます[12]。うつる えは ありません。しゃべる 人の こえで、ようすを つたえます。
1928ねん11月1日には、ラジオたいそうの ほうそうが はじまりました。さいしょの なまえは「こくみん ほけん たいそう」でした[10]。
それから 25ねんほど あと、1953ねん2月1日に、NHKの テレビが はじまります[11]。ラジオが 音だけで つたえた 日々は、およそ 28ねん ありました。
絵がなくても、試合が見える
1927年8月13日、第13回全国中等学校優勝野球大会(今の高校野球の全国大会)がラジオで放送されました。日本初のスポーツ実況中継とされています[12]。この日付は百科事典の記述によるもので、放送局や開催地は原資料で確かめたくなるところです。
ラジオ体操は、1928年生まれ
ラジオ体操は、1928年10月29日に「国民保健体操」の名前で発表され、11月1日に東京中央放送局で放送が始まりました。逓信省の担当者がアメリカで、生命保険会社が体操を放送する企画を知り、昭和天皇の即位を祝う事業として提案した、という経緯が紹介されています[10]。今の「ラジオ体操第1」は、1951年に決められた3代目です[10]。
1953年、テレビが来る
NHKのテレビ本放送は、1953年2月1日に始まりました[11]。ラジオの開始から、約28年(1925年3月〜1953年2月は27年11か月)です。
1927年8月13日に第13回全国中等学校優勝野球大会が放送され、日本初のスポーツ実況中継とされる。この日付は百科事典の記述によるもので、放送局・開催地は原資料で確かめる余地がある。
ラジオ体操は1928年10月29日に「国民保健体操」の名称で発表され、11月1日に東京中央放送局で放送が始まった。逓信省の担当者が渡米中に生保会社のラジオ体操の企画を知り、昭和天皇の即位を祝う事業として提案したという[10]。米国由来の記述はこの財団の資料にのみあり、別の財団は「1928年制定・放送」とだけ記す。現在の「ラジオ体操第1」は1951年制定の3代目にあたる[10]。
NHKのテレビ本放送は1953年2月1日(東京・午後2時)に始まった[11]。1925年3月〜1953年2月は27年11か月で、「約28年」と表現できる。この間のラジオ契約数・番組の全体像は、この記事の範囲外である。
7. ラジオの ばんぐみを ならべて みよう
7. 1日の番組表を、1925年と見くらべてみる
7. 出口 ── 番組表を並べて読む/資料の読みどころ
おうちに ラジオが あれば、AMの ほうそうに あわせて みましょう。なければ、しんぶんか ウェブの ばんぐみひょうを 見るだけで も かまいません。
朝から 夕がたまでの ばんぐみを、1925ねん7月12日の 一日と くらべます。あの日は 朝9じから 午後5じまでの 8じかんで、てんきよほうから はじまりました[3]。いまの ばんぐみには、どんな ものが ふえて いるでしょう。
ラジオたいそうを した ことが あれば、はじまった 年も しらべて みると、おもしろいかも しれません[10]。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
出典について:日本ラジオ博物館、国立公文書館、学会誌の論文、高専の実験資料、財団の解説のほか、百科事典(Wikipedia)や個人の解説記事も参考にした。何に使ったかは、各項目の最後に書いている。
- 日本ラジオ博物館「解説:放送のはじまりと初期のラジオ」。https://www.japanradiomuseum.com/meseum1 (放送開始の日付、初期の番組、聴取料について)
- Wikipedia「1925年のラジオ (日本)」。https://ja.wikipedia.org/wiki/1925年のラジオ_(日本) (3月22日の仮放送について。二次資料)
- 今瀬文也「ラジオ放送は、天気予報から始まった」(note)。https://note.com/fumitaka_imase/n/n211375932431 (7月12日の初日の番組について。個人の解説で二次資料)
- 大牟田智佐子「関東大震災とメディア考」『自然災害科学』42巻1号。https://www.jsnds.org/ssk/ssk_42_1_001.pdf (震災後のラジオへの期待について)
- Wikipedia「鉱石ラジオ」。https://ja.wikipedia.org/wiki/鉱石ラジオ (無電源ラジオの特徴について。二次資料)
- 秋田高専「通信工学実験 鉱石ラジオ」。https://www2.akita-nct.ac.jp/itok/materials/5e-communication/communication.pdf (AM放送と同調・検波のしくみ、中波帯について)
- 大人の科学.net「検波の秘密」。https://otonanokagaku.net/products/others/radio/secret.html (電波が音になる流れについて。二次資料)
- 日本ラジオ博物館「日本のラジオの変遷と放送史の概要」。https://www.japanradiomuseum.com/intro (真空管の改良と電灯線からの電源について)
- NHK84年史関連ページ「ラジオ聴取者100万人突破の時代」。https://ogino.c.ooco.jp/bcl/nhk84.htm (契約数の伸びについて。二次資料)
- 健康・体力づくり事業財団「ラジオ体操放送開始90年」。https://www.kosho.or.jp/special_topic/detail.php?topic_id=201 (ラジオ体操の始まりについて)
- 国立公文書館「昭和28年(1953)2月 テレビ放送が始まる」。https://www.archives.go.jp/ayumi/kobetsu/s28_1953_01.html (テレビ放送の開始日について)
- Wikipedia「1927年」。https://ja.wikipedia.org/wiki/1927年 (野球中継の日付について。二次資料)
なおした ところ
更新履歴
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