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「はじめて しゃべった えいが」で、はなした のは ほんの すこし?

「初めて話した映画」で、話す場面は約2分だった? ── 映画に音をつけた二つの方法と、畳を敷いた日本の夜

映画に音がついた1920年代 ── 円盤式とフィルム式の競争、『ジャズ・シンガー』(1927)の実際、『マダムと女房』(1931)

分野:歴史・文化

「はじめて しゃべった 映画えいが」と よばれる 映画えいがが あります。ところが、その 映画えいがで ひとが はなす ばめんは、ぜんぶ あわせても ふたつぶん ほど だったと いわれます。

のこりは、字幕じまくで すすみました。どうして そんな ことに なったのでしょう。この メモでは、映画えいがに おとが ついた いきさつと、日本での ようすが わかります。

「初めて話した映画」と呼ばれる『ジャズ・シンガー』(1927年)は、同期した会話が合計でおよそ2分ほどしかなく、残りは字幕で進みます[2]。

それなのに、なぜこの映画が映画史の転機になったのでしょうか。映画の音は、音を別に持つ方式と、同じフィルムに焼きつける方式が競い合って広がりました。この記事では、その競争と、畳を敷いて夜中に録音した日本の『マダムと女房』、弁士のその後が分かります。

1927年の『ジャズ・シンガー』は「初のトーキー」として語られるが、資料によれば、同期した会話は合計でごく短く、資料では約2分ほどとされ、残りは字幕(インタータイトル)で進む[2]。

では、なぜこの作品が転機とされ、映画の音はどの方式で定着したのか。音を円盤に別録りするヴァイタフォンと、同じフィルムに光として焼くムービートーンの違い、トーキーが商売になると示した作品、日本の『マダムと女房』(1931)と活動弁士の変化が分かる。

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1. その えいがでは、なにが きこえたの?

1. 「初めて話した映画」で、実際に聞こえたもの

1. 『ジャズ・シンガー』(1927)── 同期した会話が約2分ほどの映画

1927ねん、アメリカで『ジャズ・シンガー』という 映画えいがが でました[2]。歌の うまい ひと、アル・ジョルソンが 6きょく うたいます。

おきゃくさんが いちばん わいたのは、うたの あいまの ひとことだと いわれます。「まだ なにも きいて ないよ」と いう いみの ことばです[2]。

でも、ひとが はなして いる ばめんは ぜんぶで 2ふん ほど。ほかは 字幕じまくを よんで すすみました。映画えいがの なかで こえが きこえた ことに、みんなが おどろいたのです。

1927年10月6日にニューヨークで公開された『ジャズ・シンガー』では、歌手のアル・ジョルソンが6曲を歌います[2]。ただし、俳優が話して映像と音がぴったり合う場面は合計で約2分ほどで、残りは字幕が物語を運びます[2]。約2分は資料による目安の数字です。

客席が熱狂したのは、歌の合間のひとこと「まだ何も聞いてないよ」でした。この決まり文句は、ジョルソンが以前から舞台で使っていて、1926年の短編映画でも口にしていたとされます[2]。

映画の中で俳優の声が聞こえた、それだけで客席は驚きました。では、音をつける試みは、この映画が最初だったのでしょうか。

『ジャズ・シンガー』(1927年10月6日、ニューヨーク公開)は、俳優が話して映像と音が合う場面が合計で約2分ほどとされる。残りは字幕(インタータイトル)で進み、映画の音はジョルソンが歌う6曲が中心だった[2]。この約2分は資料の表現が揺れる目安の数字なので、断定せずに読みたい。

それでも観客が熱狂した場面がある。歌の合間にジョルソンが言った「まだ何も聞いてないよ」である。ただし、この口上は彼が舞台で以前から使い、1926年の短編映画でも使っていたとされる[2]。話のきっかけになったのは、言葉の新しさというより、映画の中で人が話すこと自体だったと考えられる。

ここで疑問が出る。約2分の会話で世界が驚いたのなら、音をつける技術はそれまでどこまで進んでいたのか。

2. その まえの ねんに、おとは もう ついて いた?

2. 前の年には、もう音楽つきの長編映画が公開されていた

2. 『ドン・ファン』(1926)とヴァイタフォン ── 音を円盤に別録りする方式

じつは 1926ねんに、おんがくと こうかおんの ついた 映画えいがが もう ありました。『ドン・ファン』です。ひとの おはなしが きこえる のは『ジャズ・シンガー』の ほうです[1]。

でも この 映画えいがでは、ひとの セリフは ありません。がっきの えんそうと、ドアの おとなどの こうかおん だけが ついて いました[1]。

おとは、レコードの ような 円盤えんばんに べつに いれて ありました。えほんの えと、べつの おはなしの CDを いっしょに すすめる ような ものです。ただし ほんとうは、えいしゃきと レコードを きかいで つないで います。

1926年8月6日に公開された『ドン・ファン』には、オーケストラの伴奏と効果音がつきましたが、セリフはありませんでした。会話が入るのは『ジャズ・シンガー』です[1]。使われたのはヴァイタフォンという方式で、ベル研究所とウェスタン・エレクトリック社が開発しました[1]。

音を「別に持つ」というやり方

ヴァイタフォンは、音をレコード盤に別に録っておき、映画の上映に合わせて再生します。盤は直径16インチで、毎分33⅓回転です[1]。1巻のフィルムは約1000フィートで、24コマ/秒で映すと約11分。盤の再生時間も、それに合わせたものでした[1]。

映像と音が別々の物だとしたら、ずれたときはどうなるのでしょうか。

長編映画にヴァイタフォンの音(音楽と効果音)を付けた『ドン・ファン』は、『ジャズ・シンガー』の前年、1926年8月6日に公開されていた。ただし、この作品は管弦楽の伴奏と効果音だけで、セリフはなかった。会話が入るのは『ジャズ・シンガー』である[1]。方式はヴァイタフォンで、音を映像とは別のレコード盤に録音する円盤式(sound-on-disc)である。ベル研究所とウェスタン・エレクトリック社が開発した[1]。

数字には理由がある。盤は直径16インチ、毎分33⅓回転で、約1000フィートの1巻を24コマ/秒で映したときの最長約11分に、盤の再生時間を合わせたからだ[1]。1巻ごとに盤が対応する仕組みだった。

この方式の泣きどころは、映像と音が別の物であることだった。

3. おとが ずれたら、どうなるの?

3. 音と映像がずれたとき、だれが直したのか

3. 同期のずれとフィルム式 ── 音を光に変えて同じフィルムに焼く

おとと えが ずれると、くちが うごいて いるのに こえが あとから きこえて きます。円盤えんばんの ときは、映画えいがを うつす ひとが、てで ちょうせつしなければ ならない ことが ありました[1]。

そこで、おとを えと おなじ フィルムに いれる やりかたが ひろがります。おとを ひかりの つよさに かえて、フィルムの はしに うつす のです[4]。

フィルムが うごけば、おとも いっしょに うごきます。ずれにくい わけです[5]。1931ねんの なかごろには、ヴァイタフォンを つかった ワーナーの かいしゃも、この やりかたに かえました[1]。

円盤式の弱点は、映像と音のタイミングを合わせる作業でした。盤に針を置く位置を手で合わせるため、ずれたときは映写技師が手で直す必要がありました[1]。

光で音を焼きつける

もう一つの方法が、フィルム式です。音を光の強弱に変え、映像と同じフィルムの端の細い帯に写します。上映のときは光検出器が、その帯を音に戻します[4]。リー・ド・フォレストのフォノフィルムは、1923〜25年ごろに米国・欧州・南アフリカ・オーストラリア・日本など30以上の劇場に設備が入りましたが、資金が続かず、1928年に事業を売りました[4]。

フォックスのムービートーンは、セオドア・ケースらの技術を使い、フォックス社が1926年7月23日に特許を取りました。同じフィルムに音があるので、同期のずれが起きにくい方式です[5]。ケースが採った24コマ/秒は、以後の音つき映画の標準の速さになりました[5]。1931年半ばには、ワーナー側もフィルム式に切り替えています[1]。

円盤式の弱点は同期である。盤の針の置き位置を手で合わせるため、ずれが出ると映写技師が手で修正する必要があった。この問題が最後まで残ったことが、1931年半ばにワーナー・ファースト・ナショナルが光学録音のフィルム式へ切り替えた背景にあるとみられる[1]。

フィルム式(光学録音)は、音を光の強弱に変え、映像と同じフィルム端の細い帯に写す。読み取りでは光検出器が光を電気に戻し、音にする[4]。すでにリー・ド・フォレストのフォノフィルムが1923〜25年に米・欧・南アフリカ・豪・日本など30以上の劇場に設備を持っていた。ところが資金が続かず、1928年に事業を売却した[4]。

これに対し、セオドア・ケースらの技術を使うフォックス・ムービートーンは、音と映像を同じフィルムに記録するので、同期がずれにくい。フォックスは1926年7月23日に特許を取り、最初の長編は1927年の『サンライズ』だった。ケースが採った24コマ/秒が、以後の音つき映画の標準速度になった[5]。

技術で勝負がついたように見える。だが、映画会社が音つきに踏みきるかは、別の問題だった。

4. おとを つけると、おかねは かかるの?

4. 音つきにするのは、もうかるのか

4. 『シンギング・フール』(1928)と防音ブース ── 商売になると示した作品

おとを つけるのは、おかねが かかります。ほかの 会社は、はじめの うちは ようすを みて いたと いわれます[3]。

ところが 1928ねんの『シンギング・フール』は、つくるのに 20まんドルほど、もうけは 500まんドルほどと いわれます[3]。これを みて、まわりも うごきだしました。

はじめの ころは、カメラの おとが マイクに はいって しまいました。だから カメラは、おとを とおさない ブースの なかに おきます。うごきまわる とりかたは、むずかしく なりました[6]。

1928年9月の『シンギング・フール』は、制作費が約20万ドルだったのに、約500万ドルを稼いだとされます[3]。この数字は、トーキーが商売になることを示したと伝えられます。他の会社は、設備の費用がかかるため、はじめは様子見でした[3]。

音つきの撮影には、もう一つ苦労がありました。カメラが出す音がマイクに入ってしまうので、カメラを防音のブースに入れる必要があり、撮り方の自由が狭まったのです[6]。それでも1929年までに、米国では4000を超える劇場が音響設備を入れました[6]。

ここまで、話は米国です。では日本では、音はどうやって映画に入ったのでしょうか。

技術が整っても、映画会社が動くかは費用しだいだった。1928年9月の『シンギング・フール』は、制作費が約20万ドルで、約500万ドルを稼いだと推定される。この成功が、トーキーは商売になると示した。それまで他社は費用の面から様子見だった[3]。

撮影現場にも制約があった。初期は、カメラの作動音がマイクに入るため、カメラを防音ブースに入れる必要があり、カメラは動かしにくく、撮影の自由が制限された。それでも1929年までに、米国では4000を超える劇場が音響設備を入れた[6]。

では、同じ時期の日本はどうだったのか。日本には、音つきの映画より前から、映画の声を「人」が担う文化があった。

5. にほんの えいがは、よなかに たたみの うえで?

5. 畳を敷いて夜中に録音した『マダムと女房』

5. 『マダムと女房』(1931)── 畳を敷いて夜に録音したと伝わる国産の本格トーキー

1931ねんに、日本でも 『マダムと女房にょうぼう』と いう 映画えいがが できました[7]。国立えいがアーカイブは、日本で はじめて ちゃんと おとの ついた 映画えいがだと しょうかいして います[7]。

おとが はいらない ように、とる のは よなかだった と つたえられます。テントのような ぬのを てんじょうに はり、ゆかには 畳たたみを しいた そうです[8]。

ねこの こえや ラジオ、めざましどけいの おとも、映画えいがに つかわれました[8]。この 映画えいがは、その ねんの キネマ旬報じゅんぽうベスト・テンで 1いに なったそうです[8]。

1931年8月1日に公開された松竹の『マダムと女房』は、五所平之助(ごしょ へいのすけ)監督の作品です。国立映画アーカイブは、五所監督を「国産初のトーキー劇映画」の演出者として紹介しています[7]。ただし「初のトーキー」ではなく「本格的な国産の」という言い方に注意が要ります。それ以前にも、たとえば『藤原義江のふるさと』のように、レコード再生で一部に音を入れた作品がありました[8]。

畳と帆布の防音スタジオ

雑音を避けるため、セットの撮影は夜中に行われたと伝えられます。天井にズック(帆布)を張り、床には畳を敷いて、防音のスタジオをつくったといいます[8]。猫の鳴き声、ラジオ、目覚まし時計など、暮らしの音も映画に生かされました[8]。この作品は1931年のキネマ旬報ベスト・テンで1位になっています[8]。

『マダムと女房』は1931年8月1日公開、松竹製作、五所平之助(ごしょ へいのすけ)監督の作品で、国立映画アーカイブは「国産初のトーキー劇映画」と紹介する[7]。ただし、この言い方は「初のトーキー」ではなく、「本格的な」国産という限定つきで読むべきだ。これ以前に、たとえば『藤原義江のふるさと』は、レコード再生による部分的な音声だった[8]。

では、雑音が入りやすい当時の録音を、現場はどう乗りきったのか。セットの撮影は雑音を避けて夜中に行い、天井にズック(帆布)を張り、床に畳を敷き詰めて防音スタジオにしたと伝えられる[8]。猫の声、ラジオ、目覚まし時計など日常の音も、演出に取りこまれた。作品は1931年のキネマ旬報ベスト・テン1位になった[8]。

6. こえを だして いた ひとは、どう なったの?

6. 声を演じていた弁士は、どうなったのか

6. 日本のトーキー移行と活動弁士 ── 1936年に過半数、いまも続く語り

おとの ない 映画えいがの ころ、日本には 弁士べんしが いました。スクリーンの よこで、ひとの こえを まねしたり、ばめんを せつめいしたり する ひとです[10]。

トーキーが ひろがると、しごとを うしなった ひとが おおくいました[10]。それでも、いまも 数十にんの 弁士べんしが かつやくして いるそうです。2025ねんの はるには、ある 弁士べんしさんが おおきな しょうを うけました[10]。

活動弁士は、無声映画の上映で登場人物の声を演じ、場面を説明した人気の職業でした[10]。1927年には6818人(うち女性180人)という数字も伝えられますが、幅をもって読む必要がある数字です[10]。

トーキーが広まると、弁士は職を失い、多くが漫談などへ転じたとされます[10]。ただし、この変化が日本のトーキーの広がりを遅らせたのかどうかは、資料によって強弱があり、はっきりとは言えません。

日本では1931年以後も、本格的なトーキーは少数派で、サイレントと並んで作られました。1933年にはP.C.L.とJ.O.スタジオが、トーキー専門の製作を始めています[9]。国内で作られる映画の過半数が本格的なトーキーになったのは、1936年とされます[9]。

弁士は今も数十人ほどが活動しており、2025年春には坂本頼光さんが芸術選奨新人賞を受けました[10]。

日本では、サイレントの上映で活動弁士が登場人物の声を演じ、場面を説明した。1927年に弁士は6818人(うち女性180人)とされるが、幅をもって読む必要がある数字だ[10]。トーキーの普及で弁士は失職し、多くが漫談などへ転じたとされる。ただし、弁士の存在がトーキーの導入を遅らせたという因果は、資料により強弱が分かれ、断定できない[10]。

移行そのものは緩やかだった。日本では1931年以後も本格トーキーは少数派で、サイレントと並行して作られ、1933年にP.C.L.とJ.O.スタジオがトーキー専門の製作を始めた。国内製作の過半数が本格トーキーになったのは、1936年である[9]。

弁士という職は消えたわけではない。今も国内で数十人ほどが活動するとされ、2025年春には坂本頼光さんが芸術選奨新人賞を受けた[10]。

7. しずかな えいがに、じぶんで こえを あてて みよう

7. 音を消して見て、自分で声をあててみる

7. 出口 ── 音を消して観る/資料の読みどころ

テレビで、すきな アニメの ばめんを ひとつ えらびます。おとを ぜんぶ けして、みて みましょう。

なにが わからなく なるでしょう。つぎに、じぶんが 弁士べんしに なって、こえを あてて みます。おうちの ひとに きいて もらうのも たのしい ですよ。

もっと しりたく なったら、国立えいがアーカイブの しょうかいを よんで みて ください[7]。

テレビで、好きなアニメやドラマの短い場面を1つ選び、音量をゼロにして見てみましょう。話の筋が分かるか、どこで困るかを考えます。困ったところに、自分の声で説明や会話をつけてみると、弁士の仕事の一端が分かります。

資料を読むなら、国立映画アーカイブの五所平之助特集の案内[7]が、『マダムと女房』の位置づけを知る入口になります。

『ジャズ・シンガー』の約2分、『ドン・ファン』のセリフなし、『マダムと女房』の「本格的な国産初」。この三つは、どれも「初」の言葉が付くが、条件がそれぞれ違う。同じ「初」でも、何が初めてなのかを分けて読むと、資料の書き方の差が見えてくる。

同じフィルムに音を記録すると、円盤式のどんな困りごとが減るのか。二つの方式を比べてみよう。

資料を読むなら、国立映画アーカイブの五所平之助特集の案内[7]が、『マダムと女房』の位置づけを知る入口になる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

このメモで使った資料。Wikipediaなどの二次資料は、その旨を書いている。

  1. Wikipedia「Vitaphone」。https://en.wikipedia.org/wiki/Vitaphone (ヴァイタフォンの方式・同期の弱点について。二次資料)
  2. Wikipedia「The Jazz Singer」。https://en.wikipedia.org/wiki/The_Jazz_Singer (公開日・同期した会話の長さ・有名な口上について。二次資料)
  3. EBSCO Research Starters「Warner Bros. Introduces Talking Motion Pictures」。https://www.ebsco.com/research-starters/history/warner-bros-introduces-talking-motion-pictures (『シンギング・フール』の制作費と収益について)
  4. ETHW「Phonofilm」。https://ethw.org/Phonofilm (フィルム式録音としくみ、フォノフィルムについて)
  5. Wikipedia「Movietone sound system」。https://en.wikipedia.org/wiki/Movietone_sound_system (ムービートーンと24コマ/秒について。二次資料)
  6. Cinemontage「When Movies Learned to Talk」。https://cinemontage.org/?p=23774 (防音ブースと劇場の設備数について)
  7. 国立映画アーカイブ「五所平之助特集 プレスリリース」。https://www.nfaj.go.jp/wp-content/uploads/gosho_release.pdf (『マダムと女房』の位置づけについて)
  8. Wikipedia「マダムと女房」。https://ja.wikipedia.org/wiki/マダムと女房 (公開日・土橋式・夜間の撮影について。二次資料で、原文は未確認)
  9. Il Cinema Ritrovato「Japan Speaks Out」。https://ilcinemaritrovato.it/en/sezioni/the-space-machine/japan-speaks-out-singers-and-swordsmen/ (日本での移行の速さについて)
  10. 文春オンライン。https://bunshun.jp/articles/-/81898 (活動弁士の仕事とその後について。弁士の人数は一次資料で未確認)

なおした ところ

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