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うわばきは、むかしから あったの? 学校で くつを はきかえる わけ

上履きは意外と新しい ── 学校で靴を履き替える理由と、体育館の床

「上履き」の名の商品は1957年 ── 履き替えの習慣と、体育館の床を守る工夫

分野:歴史・文化

1957ねんに、「うわばき」という 名まえで くつが しょうかいされました[2]。学校の うわばきは、思ったより 新しい くつなのかも しれません。

では、それより 前の 子どもは、学校の 中で 何を はいて いたのでしょう。どうして 学校では、くつを はきかえるのでしょう。体育館で 外の くつを さける ところが ある わけも、いっしょに 分かります。

「上履き」という名前で商品が紹介されたのは、1957年だとメーカーは説明しています[2]。戦前に生まれた12人にたずねた調査では、全員が、校舎の中ではだしか足袋・草履で過ごしていました[1]。上履きは、思ったより新しい靴なのかもしれません。

では、学校で靴を履き替える習慣は、いつ、どこから来たのでしょう。体育館で外靴を避ける施設があるのは、なぜでしょう。明治の校舎の成り立ちから、今の学校の選び方までが分かります。

ムーンスターの案内では、「上履き」の名で商品が紹介されたのは1957年である[2]。また、戦前に生まれた一般市民12名は全員、小学生のころ校内ではだしか足袋・草履で過ごしたと答えている[1]。ゴムの上履きは、学校の歴史から見ると意外に新しい。

では、履き替える習慣そのものは、どこから来たのか。体育館で外靴を避ける施設があるのは、なぜか。日本建築学会の論文、靴メーカーの案内、自治体・研究機関の資料から、由来の推定と理由、そして一足制に動く学校の理由が分かる。

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1. 学校の うわばきは、むかしから あったの?

1. 昔の子どもは、校舎で何を履いていたのか

1. 戦前の子どもは校舎で何を履いていたか ── 12名の回答と「上履き」の名

学校の げんかんで、外の くつを ぬいで、うわばきに はきかえます。あたりまえの ことに 見えます。

ところが、うわばきという名まえの 商品が しょうかいされたのは、1957ねんだと メーカーは せつめいして います[2]。

戦前せんぜんに 生まれた 12人に 聞いた ちょうさでは、ぜんいんが、学校の 中では はだしや たび、ぞうりなどで すごして いました[1]。はだしが 7人、ぞうりが 5人です。12人の 話なので、日本ぜんぶが そうだとは 言えません。

では、そのころの 学校は、どんな たてものだったのでしょう。

学校の昇降口で外靴を脱ぎ、上履きに履き替える。今は当たり前の光景ですが、「上履き」という名前で商品が紹介されたのは1957年で、「室内ばきに最適」と説明されたとムーンスターは伝えています[2]。これは名前が商品に現れた年で、履き替えが始まった年ではありません。

戦前に生まれた一般市民12人に小学生のころの様子をたずねた先行調査では、全員が校内ではだしか足袋・草履などで過ごしていました(はだし7人、草履5人)[1]。12人の回答なので、全国の割合とは言えません。

靴を脱ぐ習慣が先にあり、専用の靴は後から生まれたのだとすると、その習慣はどこから来たのでしょう。

「上履き」という名の商品が現れたのは1957年で、ムーンスターは「室内ばきに最適」と紹介したと説明している[2]。ただしこれは名称の初出であり、履き替え習慣の起点ではない。

日本建築学会の論文が引く先行調査では、戦前に生まれた12名が全員、校内で裸足または足袋・草履などを履いていたと答えた(裸足7名、草履5名)[1]。小規模な聞き取りで、全国の傾向とは言えない。それでも、専用の上履きが今の形になる前から、校内で外靴を脱ぐ暮らしが存在したことは読み取れる。

そうなると問いは、「上履きはいつ生まれたか」から、「なぜ、脱ぐ前提の校舎だったのか」に移る。

2. うわばきより 前に、くつを ぬぐ くらしが あった ── おてらや 家が 学校に

2. 上履きより前に、靴を脱ぐ習慣があった ── 寺や民家が学校になった

2. 上履きより前に、靴を脱ぐ習慣があった ── 寺子屋・寺・民家が校舎になった

1872ねんに、学校の きまりが できました。それより 前の むかしの 学校や てらこやは、日本の 家の たてものでした。げんかんで くつを ぬいで、たたみや 木の ゆかの 上で べんきょうして いたようです[1]。

そして、あたらしく 作られた 学校の 多くは、じつは、おてらや ふつうの 家を つかった ものでした。1873〜1875ねんに 作られた 学校の うち、7わりを こえるのが、おてらと 家でした[1]。

おてらや 家に 入る ときは、くつを ぬぎます。学校も その ままだった のかも しれません。

1872年に学制が出される前の藩校や寺子屋は、日本家屋でした。玄関で靴を脱ぎ、畳や板の間で学び、室内ではだしか足袋の状態だったと考えられています[1]。

学制のあとも、学校の多くは新築ではなく、既存の建物の転用でした。1873〜75年に作られた学校では、寺院と民家の転用が合わせて約70%強を占めていました[1]。寺や家に上がるときは靴を脱ぐのがふつうなので、脱ぐ前提の床がそのまま学校になった例が多かったようです。

その後、机と腰掛けが入って、畳は板の間に改められていったと考えられています[1]。足を床に下ろす暮らしのまま、教室の形だけが変わっていきました。

ただ、「だから日本の学校は履き替えるようになった」というのは、校舎の成り立ちから考えられる見方です。

学制(1872年)以前の藩校・寺子屋は日本家屋で、玄関で土足を脱ぎ、畳の間か板の間で学習していた。室内は上履きなしの裸足か、足袋を履いた裸足に準じた状態だったと考えられている[1]。

学制発布後も、学校は新築より転用が中心だった。明治6〜8年(1873〜75)に設立された学校では、寺院と民家の転用が合わせて約70%強で推移している(海後宗臣『明治初年の教育』1973の表による)[1]。寺や民家は靴を脱いで上がる建物であるため、校舎が「脱ぐ床」を引き継いだ可能性がある。のちに机と腰掛(イス座)が導入されて畳は板間に改装されていったと考えられているが、床に足を下ろす前提は残った。

これは校舎の成り立ちから考えられる見方だ。以下では、確かな記録である昇降口の規則と、靴メーカーの動きを順に見る。

3. きまりは、うわばきを 決めて いたの?

3. 昇降口の規則は、上履きを決めていなかった

3. 小学校設備準則(1891年)が示したもの、示さなかったもの

1891ねんに、ぶんぶしょうという 国の やくしょが、学校の たて方の きまりを 出しました。その 中に、しょうこうぐち、つまり 学校の 入り口に 場所を とることが 書かれて いました[1]。

しょうこうぐちが あれば、外の くつを ぬぐ ことは できます。でも、この きまりは、「うわばきを はきなさい」とは 言って いません。

では、うわばきという くつは、いつ ごろ 生まれたのでしょうか。

1891年には、文部省が「小学校設備準則」を出し、学校建築で昇降口の場所を確保する必要が示されました[1]。履き替えの習慣が国の決まりから始まったように見えますが、ここが読み違えやすいところです。

論文によると、昇降口があることは「下履きを脱ぐ」ことを意味しても、上履きを使うよう明示したものではありません[1]。決まりは、入り口で靴を脱げる場所を用意させただけでした。

脱いだあとに何を履くのかは、決まっていなかったのです。そこへ登場するのが、ゴムの上履きでした。

明治24年(1891)、文部省が「小学校設備準則」を出し、学校建築で昇降口の空間確保の必要性が示された[1]。ここから、履き替えが制度で定められたと読みたくなる。

しかし論文は、昇降口の存在は下履きを脱ぐことを意味しても、上履きの使用を明示するものではないと指摘している[1]。したがって準則は、脱ぐ場所を用意することを求めたのであって、何を履くかを命じたとは読めない。

制度は上履きを規定していなかった。では、上履きという靴は誰が、いつ広めたのか。

4. うわばきの くつは、いつ 広まったの?

4. バレエシューズ型から色分けまで ── 上履きの姿ができるまで

4. 1950年代後半のメーカーの動き ── 上履きが「靴」になる過程

1958ねんごろ、バレエの くつに にた かたちの うわばきが 売られました[1]。1960ねんごろから、学校で つかわれる ように なって いったと 言われて います。

その あと、つま先が ゴムで できた くつに かわって いったそうです[1]。

1964ねんには、学年ごとに 色が ちがう「スクールカラー」が 出ました[2]。色を 見れば、何年生か 分かります。

ぬいで はく 場所が あって、そこに はく ための くつが 生まれた、という じゅんばんです。

靴メーカーの社史を調べた論文によると、1958年にムーンスターがバレエシューズ型の上履きを発売しました。アキレスは、1957年に前ゴムの学童用シューズを試作し、1968年にはバレエシューズを大量に作ったと書かれています[1]。1960年前後にバレエシューズが上履きとして広まり始め、のちに前ゴムのシューズに取って代わられたとされます[1]。

さらに、ムーンスターは1964年に、学年やクラスを色で見分けられる「スクールカラー」を出しました。2013年には、長く愛されるデザインとしてグッドデザイン・ロングライフデザイン賞も受けています[2]。

床の作りはすでに脱ぐ前提でした。その床の上を歩くための専用の靴が、1950年代後半から、形を変えながら学校に定着していったと考えられます。

では、なぜ今も、ほとんどの学校が履き替えを続けているのでしょう。

靴メーカーの社史を分析した論文によると、1958年にムーンスターがバレエシューズ型の上履きを発売し、アキレスは1957年に前ゴム布靴(学童用シューズ)を試作、1968年にバレエシューズを大量生産している。1960年前後にバレエシューズが上履きとして普及し始め、のちに前ゴムシューズに取って代わったとされる[1]。前ゴムとバレエの順序は論文の記述に従っており、年を混ぜて読まないよう注意が要る。

ムーンスターの案内によると、1964年には学年・クラスを色分けする「スクールカラー」が登場し、2013年にはグッドデザイン・ロングライフデザイン賞を受けた[2]。これらは企業の公式説明で、上履きが普及した背景(生活水準の向上など)を直接示す一次資料は、今回の材料には無い。

ここまでで分かるのは、床の側の習慣が先にあり、その上を歩く専用の靴が1950年代後半以降に整った、という順序だ。では、習慣が今も続く理由は何か。

5. いま、どうして はきかえる の?

5. 743校に理由を聞いた調査 ── 砂・衛生・床、そして雪

5. 二足制を選ぶ学校の理由 ── 743校の回答と、履き替え線の多様さ

2018ねんに、全国の 小学校743校に 聞いた 調べが あります。そのうち 740校が、くつを はきかえる 学校でした[1]。

りゆうとして、「中と 外を 分けたい」「きれいに したい」「すなや つちを 校しゃに 入れない」「ゆかを まもる」などが 出ました[1]。

ひろさきしの 学校は、「ゆきの 日に 校しゃが 水びたしに なる」と 答えました[1]。ゆきの とけた 水を、くつが 中まで はこんで くるのです。

はきかえる 場所も、げんかんだけでは ありません。体育館や トイレなど、学校ごとに ちがいます。

2018年8〜11月に行われた調査では、全国の公立小学校743校の有効回答のうち、740校が履き替える二足制でした。土足のまま過ごす一足制は、墨田区の2校と港区の1校でした[1]。ただし、これは調査で選ばれた自治体の学校の回答で、全国の全校ではありません。

二足制を採る理由には、「屋内と屋外の区別」「衛生上の理由」「校舎内への土砂侵入防止」「床の保護」などがありました[1]。弘前市の学校は、積雪時に校舎が水浸しになることを挙げています[1]。雪国では、靴についた雪が中でとけて、廊下に水がたまるのです。

履き替える場所も一つではありません。昇降口のほか、体育館、トイレ、特別教室などで、学校ごとに違います。論文は、敷地の広さ、寒さなどの気候、地域の文化、トイレでは衛生対策などが、その場所を決めていると結論づけています[1]。

このなかに「床の保護」がありました。特に床に気を使う場所が、体育館です。

2018年8〜11月に、選ばれた自治体の公立小学校を対象に行われた調査では、有効回答743校のうち740校が二足制で、墨田区の2校と港区の1校が土足の一足制だった[1]。全国全校の調査ではなく、選ばれた自治体の回答である点に注意したい。

二足制の理由としては、「屋内と屋外の区別」「衛生上の理由」「校舎内への土砂侵入防止」「床の保護」などが挙がった。積雪地の弘前市の学校は、積雪時に校舎が水浸しになることを理由に挙げている[1]。理由は文化的な区別だけでなく、砂・水・雪という、物理的な問題への対処でもある。

論文は、履き替える位置(履き替え線)が昇降口だけでなく体育館・トイレ・特別教室などで学校ごとに異なることを示し、その多様さは、敷地条件や寒冷・温暖といった環境、地域文化の継承、トイレでは衛生対策によると結論づけている[1]。トイレは乾式化を機に、履き替えをやめて上履きのまま入る学校が増えているとされる。

「床の保護」は、とくに体育館で問題になる。

6. たいいくかんで 外の くつを さける ところが ある わけ

6. 体育館で外靴を避ける施設があるのは、なぜか

6. 体育館の床と外靴 ── 砂・水分と「ささくれ」事故の位置づけ

体育館の ゆかは、木で できて いて、つるつるに ぬって あります。すなや 水が つくと、いたみやすい そうです。

ながの県の ある 体育館では、ゆかの ぬり物が、水分・すな・ほこりで いたむので、体育館用の くつを つかい、入り口で くつの よごれを おとして ください、と おねがいして います[3]。

ゆかが ささくれて くると、木の かけらが 体を きずつける ことが あります。体育館の ゆかを まもるのは、みんなの あんぜんの ためでも あるのです。

長野県茅野市の総合体育館は、ポリウレタン樹脂で塗装されたフローリングが、水分・砂・ほこりで傷みやすいとして、体育館用のシューズを使い、入り口の足ふきマットで靴の汚れを落とすよう求めています[3]。これは一つの自治体の案内で、全国共通の規則ではありません。

北海道立総合研究機構の解説によると、体育館の床には安全性や運動のしやすさから木質フローリングが広く使われ、適度な弾力性や緩衝性があります。ただし、使い方や手入れによっては劣化・損傷し、放置するとけがにつながります[4]。

実際に、スライディングをしたとき、床の一部がささくれのようにはがれて体に刺さる事故が起き、消費者庁の消費者安全調査委員会が調べました。2017年5月の報告書は、適切な維持管理を提案しています[4]。

ただし、床がいたむ原因は外靴だけではありません。器具の移動や床材の伸び縮みなども関わるとされます[4]。外靴を脱ぐのは、床を守る手立ての一つです。

茅野市運動公園総合体育館の案内は、ポリウレタン樹脂塗装のフローリングは水分・砂・埃で負担がかかって傷みが進むとして、体育館用シューズの使用と、入口の足ふきマットでの汚れ落としを求めている[3]。ただし一自治体の施設案内であり、外靴禁止の全国共通の規定を示すものではない。

北海道立総合研究機構の解説によると、体育館の床は安全性・運動のしやすさから木質フローリングが広く使われ、適度な弾力性・緩衝性をもつ。しかし使い方や手入れ次第で劣化・損傷し、放置するとけがにつながる。スライディングの際に床の一部がささくれ状にはく離して体に刺さる事故が起き、消費者庁の消費者安全調査委員会が調査し、平成29年5月の報告書で適切な維持管理を提唱した[4]。

ここで、外靴と事故を単純に結びつけないことが大切だ。同じ資料によれば、損傷の原因は外靴だけでなく、器具の移動や伸縮などにも及ぶ[4]。外靴を持ちこまないことは、砂と水分による負担を減らして床の状態を保つための、一つの手立てと位置づけられる。

7. はきかえない 学校も あるって、ほんとう?

7. 履き替えをやめた学校がある ── 東京都港区の場合

7. 一足制へ動く学校の理由 ── 港区の報道と、子どもと保護者の意見の差

じつは、はきかえない 学校も 出て きて います。東京の 港区では、小学校19校の うち 18校が、うわばきを やめた、と ほうどう されました[5]。

りゆうは、うわばきを 持ち帰って あらったり かわかしたり する てまを へらす ため、そして、さいがいの とき すぐ にげられる ように、などです[5]。

なやみながら えらぶ 学校も あります。「なぜ はきかえる の?」の 答えは、ひとつでは ないのです。

報道によると、東京都港区では小学校19校中18校、中学校10校中7校が上履きを廃止しています。理由は、持ち帰って洗い、乾かす手間を減らすこと、昇降口のスペース、災害時の避難のしやすさ、登校時の混雑をやわらげることなどです[5]。学校数は記事の時点のものです。

意見が割れる場面もあったようです。ある調査では、保護者30人中19人が賛成したのに対し、子ども30人中の賛成は4人だと報じられました[5]。子どもにとっては、慣れた習慣を変えるのが不安だったり、気持ちの区切りだったりするのかもしれません。

履き替えをやめると、校庭の整備や、雨の日の濡れた靴の扱いなど、新しく考えることも生まれるとされます。どちらが正解というより、学校ごとの条件で選ばれているのです。

報道によると、東京都港区では小学校19校中18校、中学校10校中7校がすでに上履きを廃止している。理由は、持ち帰り・洗う・乾かす手間の軽減、昇降口のスペース、災害時の避難、登校時の混雑緩和などである[5]。学校数は記事時点の数字で、調査対象や時点は元記事に依存する。

同じ記事は、保護者30人中19人が賛成する一方、子ども30人中の賛成は4人という調査も伝えている[5]。保護者が手間や避難の面を重く見るのに対し、子どもがどう考えたのかは、この報道からは読み取れない。二足制が「区別」という感覚に支えられてきたのかもしれないが、それも推測にとどまる。

論文の結論が示すとおり、履き替え線の位置は敷地条件・気候・地域文化・衛生対策で学校ごとに異なる[1]。二足制が740校、一足制が3校というデータは、それぞれの学校が条件に合わせて選んだ結果と読める。

「なぜ履き替えるのか」への答えは、学校ごとの条件の数だけある、というのが本稿の暫定的な結論だ。

8. じぶんでも たしかめて みたく なったら

8. 自分でも調べてみたくなったら

8. 自分でも調べてみたくなったら

やってみよう。あそんで かえった あとの くつを、外で、白い 紙の 上で とんとん たたきます。すなが どれくらい 出るか、見て みましょう。この すなが 校しゃの 中に 入ると どうなるかを、考えて みます。

おうちの 人に、「学校で 何を はいて いた?」と 聞いて みるのも、おもしろいかも しれません。

次のようなことを、試したり調べたりできそうです。

  • 遊んで帰ったあとの靴を外で白い紙の上でたたき、砂がどのくらい出るかを見てみましょう。その砂が校舎の床に入ったらどうなるか、考えてみます。
  • 自分の学校で、どこで履き替えるのかを歩いて確かめ、なぜそこなのかを先生に聞いてみましょう。体育館やトイレなど、場所によって違うかもしれません[1]。
  • 家の人や地域の人に、学校で何を履いていたかを聞き、聞いた時代とあわせて記録してみましょう。

この記事は、明治の校舎の成り立ちからの推定と、いくつかの資料の突き合わせでできている。原典にあたるなら、次の順が入りやすい。

  • 神崎・砂本の論文(日本建築学会技術報告集)で、昇降口と履き替え線の話を読む[1]。
  • ムーンスターの案内で、メーカー側から見た上履きの歴史を読む[2]。
  • 自分の学校の昇降口と体育館を歩き、履き替え線が敷地条件や気候とどう関わるかを考えてみる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

数字や年は、各資料に書かれているものを使っています。資料の間で用語や範囲が違うため、比べるときは元の資料を見てください。

  1. 神崎・砂本「小学校建築における二足制の歴史的展開と現状」日本建築学会技術報告集25(61), 2019 https://www.jstage.jst.go.jp/article/aijt/25/61/25_1397/_pdf (明治の校舎の転用・昇降口の規則・戦前の12名・メーカー社史の分析・743校の調査・履き替え線)
  2. ムーンスター「上履きの歴史」 https://www.moonstar.co.jp/kidsnavi/uwabaki/ (上履きの名の商品の初出・スクールカラー。企業の公式説明)
  3. 茅野市運動公園総合体育館「綺麗なフローリングを保つために」 https://www.city.chino.lg.jp/uploaded/attachment/16746.docx (体育館の床と砂・水分。一自治体の案内)
  4. 北海道立総合研究機構「林産試だより」2018年3月号 https://www.hro.or.jp/upload/8613/1803-1.pdf (体育館の木質床・劣化・ささくれ事故)
  5. coki.jp(報道記事。港区の上履き廃止)https://coki.jp/article/news/46371/ (港区の一足制と理由・意見。報道の数字)

なおした ところ

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