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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

ワクチンの もとの ことばは、なんと 「うし」?

ワクチンの語源は「牛」── 種痘から始まった予防接種の話

種痘からワクチンへ ── 人痘法・ジェンナーの牛痘(1796年)・パスツール・日本の種痘所(1849年)・天然痘根絶(1980年)

分野:からだ

「ワクチン」という ことばは、ラテンご(むかしの ヨーロッパの ことば)の「うし」から 来た、と いわれます。びょうきを ふせぐ くすりと、うしは、どう つながるのでしょう。

むかし、こわい びょうきが ありました。それを ふせぐ ほうほうが、どう 見つかり、どう ひろがったのか。いっしょに たどって みましょう。

病気を防ぐ「ワクチン」という言葉は、ラテン語で牛を意味する言葉から来たとされています。なぜ、牛なのでしょうか。

天然痘という病気をめぐって、膿を使って死亡率を下げようとする人痘法があり、そこへ牛の病気を使う考えが出てきました。その考えがワクチンという名前になり、日本にも届き、天然痘がなくなるまでを見ていきます。

「vaccine(ワクチン)」は、ラテン語で牛を意味する vacca に由来し、ジェンナーが牛痘を使ったことにちなむとされる[4]。予防接種の歴史は、天然痘の膿を使う人痘法から、牛痘による種痘(1796年)、パスツールによる一般化、日本への伝来(1849年)、根絶宣言(1980年)へとつながる。

このメモでは、その流れを公的機関や医学史の資料を突き合わせて追う。ジェンナーの実験は、8歳の少年に接種したもので、現在の倫理では許されない点も含めて書く。

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1. どうして、わざと びょうきに するの?

1. 天然痘と、膿を使う「人痘法」

1. 天然痘の致死率と人痘法 ── 中国の記録と、人痘法の死亡率

てんねんとうと いう、とても こわい びょうきが ありました。かかった 人の 10人に 3人ぐらいが、なくなった と いわれます[1]。

一どかかると、もう かかりにくい、と 考えられて いました。そこで、あちこちで、てんねんとうの うみを 人に うって、しぬ 人を へらそうと する ほうほうが 行われました。たとえば 中国では、かさぶたを かわかして こなに し、くだで はなに ふきこんだ、という 記ろくが あります[2]。

ただし、これは あんぜんでは ありませんでした。この ほうほうで なくなる 人も、100人に 1〜2人 いました[3]。

10人に3人が亡くなる病気

天然痘は、かかった人の平均10人に3人が亡くなる病気でした[1]。ただ、一度かかると再びかかりにくい、と考えられていたようです[2]。

天然痘の膿を使う「人痘法」

そこで、天然痘にかかったことのない人に、天然痘の膿を傷から入れたり、鼻から吸わせたりして、自然にかかるより死亡率を下げようとする方法が、アジアやアフリカなどで行われました。人痘法と呼ばれます。1500年代半ばの中国では、かさぶたを乾かして粉にし、管で鼻に吹き込む方法の記録があります[2]。始まりの古さには諸説あり、紀元前200年ごろという説もあります[2]。

この方法で亡くなる人は1〜2%で、自然にかかった場合の約30%よりはずっと低いものでした。それでも安全ではなく、軽い症状の人から周りに広がる危険もありました[3]。

天然痘は、罹患者の平均10人に3人が死亡した[1]。この病気には、一度かかると再びかかりにくいと考えられており、それを使って、未罹患者に天然痘の膿うみを傷から接種する、あるいは鼻から吸入させて、自然感染より死亡率を下げようとする人痘法(variolation)が、アジア・アフリカなどで古くから行われた。1500年代半ばの中国では、乾燥させたかさぶたを粉にし、管で鼻に吹き込む吹入法の記述がある。起源には諸説あり、紀元前200年ごろとする説もあるが、断定はできない[2]。再びかかりにくいという認識も、この資料にもとづく。

米国立医学図書館(NLM)の展示解説によれば、人痘法を受けた人の死亡は1〜2%で、自然感染での約30%より低い。ただし安全ではなく、軽症の被接種者から周囲へ広がるおそれもあった[3]。

2. びょうきの ふせぎかたは、どうやって 海を わたった?

2. 1717年、大使の妻がイギリスへ持ち帰った

2. 1717年 ── モンタギュー夫人と人痘法のヨーロッパ伝播

1717ねん、イギリスの たいしの おくさん、メアリーさんが、トルコの まちで この ほうほうを 知りました[3]。

メアリーさんは、のちに イギリスへ ひろめた、と つたえられて います。1721ねんごろには、王ぞくの 人にも おこなわれました[3]。

この ころの ほうほうは、まだ あぶなさが ありました。もっと あんぜんな ほうほうを さがす 人が、あらわれます。

1717年、イギリス大使の妻レディ・メアリー・ウォートリー・モンタギューが、コンスタンティノープル(今のイスタンブール)で人痘法を知りました[3]。のちに彼女がイギリスへ広めたとされます。

1721年ごろには、人痘法が安全かどうかを確かめるため、囚人や孤児などに接種が行われたと伝えられ、王族にも接種されました[3]。当時の人たちの選択を、いまの感覚でそのままよいとは言えません。それでも、この試みがヨーロッパで人痘法を広げるきっかけの1つになったと、資料では説明されています。

1717年、英国大使の妻レディ・メアリー・ウォートリー・モンタギューは、コンスタンティノープルで人痘法を知り[3]、のちに英国へ広めたとされる。1721年ごろには、安全性を確かめる目的で、囚人や孤児などにも接種が行われたとされ、王族にも接種された。なお、囚人や孤児を対象としたこうした試験は、現代の研究倫理では認められない。

3. うしの びょうきが、ヒントに なった

3. 「乳しぼりの女性は天然痘にかからない」── ジェンナーの1796年

3. 1796年5月14日 ── ジェンナーの牛痘接種と、1798年の報告

1796ねん、イギリスの おいしゃさん ジェンナーさんは、ある うわさに ちゅうもくしました。うしの 「ぎゅうとう」と いう びょうきに かかった、ちちしぼりの 女の人は、てんねんとうに かからない、と いうのです[5]。

ジェンナーさんは、5月14日に、8さいの 男の子に、ぎゅうとうの うみを うちました[5]。そのあと、てんねんとうの うみを うっても、男の子は 元気だった、と つたえられて います[2]。

ただし、これは いまの 目で 見ると、子どもに とても あぶない ことを した、ということです。いまでは、こんな ふうには ゆるされません。

地元の言い伝えを、確かめた人

1796年、イギリスの医師ジェンナーは、「牛痘(牛がかかる天然痘に似た病気)にかかった乳しぼりの女性は、天然痘にかからない」という話に注目しました[5]。この話はもともと地元にあった言い伝えで、ジェンナーはそれを試して確かめた人です。

5月14日、ジェンナーは、乳しぼりの女性サラ・ネルムズの手の牛痘から取った膿を、8歳の少年ジェームズ・フィップスに接種しました[5]。その後、少年に天然痘の膿を接種しても発症せず、健康だったと伝えられます[2]。

当時の実験は、いまの倫理では許されません。8歳の子どもに、天然痘という命にかかわる病気を近づけたからです。それを頭に置いたうえで、この記録がのちの予防接種の出発点の1つになったことを見ていきます。

本にして、世界へ

成果は1798年に『牛痘の原因と効果についての研究』という本にまとめられました。20年たたないうちに、ポルトガル語・フランス語・オランダ語・イタリア語、そして日本語など多くの言語に訳されたと、NLMは紹介しています[4]。

1796年、英国の医師エドワード・ジェンナーは、牛痘に感染した乳搾りの女性は天然痘にかからない、という地元の話に注目した。ジェンナーは「牛痘に最初に気づいた人」ではなく、この言い伝えを検証した人物だ。5月14日に、乳搾りのサラ・ネルムズの手の牛痘から採った膿を、8歳のジェームズ・フィップスに接種した[5]。その後、少年に天然痘の膿を接種しても発症せず、健康を保ったと伝えられる[2]。

ここで、実験の倫理に触れておく。8歳の子に、致死的な病気の膿を接種することは、現代の研究倫理では認められない。この歴史的な事例は、その前提で読む必要がある。

成果は1798年に『牛痘の原因と効果についての研究』として発表され、出版から20年たたないうちに、ポルトガル語・フランス語・オランダ語・イタリア語・日本語など多くの言語に訳されたという[4]。

4. 「ワクチン」は、どうして この なまえ?

4. 牛にちなむ名前を、パスツールが広げた

4. 語源 vacca とパスツールによる呼称の一般化

ワクチンは、ラテンごで うしを あらわす「ワッカ」から 来た ことばと いわれます[4]。ジェンナーさんが、うしの びょうきを つかったから です。

そのあと、フランスの パスツールさんという 人が、ほかの びょうきを ふせぐ くすりにも、この なまえを つけました。ジェンナーさんの 見つけた ことを たたえて、と つたえられて います[7]。

「ワクチン(vaccine)」は、ラテン語で牛を意味する vacca に由来し、ジェンナーが牛痘を使ったことにちなみます[4]。ただし、ジェンナー本人が一般的な名前としてそう呼んだわけではありません。

のちに、フランスのパスツールが、弱めた病原体を使う予防法にも「ワクチン」という呼び名を広げました。ジェンナーの発見をたたえるためだった、と説明されています[7]。

「vaccine」はラテン語 vacca(牛)に由来し、ジェンナーの牛痘の利用にちなむ[4]。ただし、この語を一般名として使い始めたのはジェンナー自身ではない。パスツールが、人工的に弱毒化した病原体を使う予防法にも、ジェンナーの発見を称えて「vaccines」という呼び名を広げた[7]。

5. ほかの びょうきにも、つかえるように なった

5. 弱めた菌で、ニワトリコレラ・炭疽・狂犬病へ

5. パスツールの弱毒ワクチン ── 炭疽(1881年)と狂犬病(1885年)

パスツールさんは、ニワトリの びょうきの けんきゅうで、ふしぎな ことに 気づきました。ふるく なって よわく なった ばいきんを うたれた ニワトリは、かるい びょうきで すんで、なおった のです[6]。

この 考えを つかって、1881ねんには、たんそと いう びょうきの ワクチンが うまく いく ことを、人の 前で しめしました[6]。

1885ねんには、きょうけんびょうの 犬に かまれた 9さいの 男の子に、きょうけんびょうを ふせぐ ワクチンを うちました[7]。1886ねんの おわりまでに、350人に つかわれ、なくなったのは 1人でした[7]。

古くなった菌は、弱くなる

パスツールは、ニワトリコレラの菌を使った実験で、古くなった培養菌をうたれたニワトリが、軽い症状だけで回復することに気づきました[6]。菌が弱くなると、病気は軽くてすみ、そのあとは同じ病気にかかりにくくなる。この考えを、炭疽など別の病気でも試しました。

1881年には、炭疽(家畜がかかる病気)のワクチンがうまくいくことを、公開の実験で示しました[6]。

狂犬病ワクチン

1885年7月6日、パスツールは、狂犬に咬まれた9歳のジョゼフ・マイスターに、狂犬病のワクチンを使いました[7]。1886年末までに350人に使われ、亡くなったのは1人だったと記録されています[7]。

パスツールは、ニワトリコレラの菌を使った実験で、古くなった培養菌を接種したニワトリが、軽症のみで回復することを見いだした[6](実験の年は出典により1877〜1879年と揺れるため、ここでは示さない)。この知見を弱毒ワクチンの考え方へ広げ、1881年には炭疽ワクチンの有効性を公開実験で示した[6]。

1885年7月6日には、狂犬に咬まれた9歳のジョゼフ・マイスターに、狂犬病ワクチンを使用した。1886年末までに350人に使われ、死亡は1人にとどまったとされる[7]。なお、この数字は英語版Wikipediaなどの二次資料による。

6. 日本には、いつ とどいたの?

6. 1849年、長崎から。緒方洪庵と、お玉ヶ池

6. 1849年の伝来 ── モーニッケ、緒方洪庵、お玉ヶ池種痘所(1858年)

日本には、1849ねんに とどきました。ながさきの 出島(でじま)に いた オランダの おいしゃさん、モーニッケさんが、7月20日に 3人の 子に うちました[8]。うまく いったのは 1人でした[8]。

その あと、おおさかで おがた こうあんさんが、たねを もらって ひろめました。「うしに なる」と いう うわさが あって、なかなか すすみません でした[9]。1858ねんには、えどの おやくしょも みとめました[9]。

長崎・出島から

1849年(嘉永2年)7月20日、長崎の出島にいたオランダ商館の医師モーニッケが、日本で種痘を行いました。バタビア(今のジャカルタ)から送られたかさぶたを、3人の子どもに接種し、うまくついたのは楢林宗建の三男1人だけでした[8]。

広がる種痘所

同じ1849年に、緒方洪庵が京都でモーニッケ由来の痘苗を手に入れ、大坂に除痘館を開きました。「牛になる」といった迷信があったと伝えられ、接種を広めるには苦労があったようです[9]。1858年には、幕府が牛痘による種痘を免許制で公認しました[9]。

同じ1858年、江戸にお玉ヶ池種痘所が開かれました。ここは、東京大学医学部の前身、発祥の地とされています[10]。

1849年(嘉永2年)7月20日、長崎出島のオランダ商館医モーニッケが、日本で種痘を行った。バタビアから送られた痘痂とうかを3児に接種し、成功したのは楢林宗建の三男1人だった[8]。

同じ1849年、緒方洪庵は京都でモーニッケ由来の痘苗を得て、大坂に除痘館を開いた。「牛になる」などの迷信が普及の妨げになったとされる。1858年には幕府が牛痘種痘を免許制で公認した[9]。江戸のお玉ヶ池種痘所(1858年)は、東京大学医学部の前身・発祥の地とされる[10]。

7. てんねんとうは、どう なったの?

7. 1980年、天然痘の根絶が宣言された

7. 1980年5月8日 ── 天然痘の根絶宣言

1980ねん5月8日、せかいの 国が あつまる かいぎで、「てんねんとうは、せかいから なくなった」と せんげんされました[1]。

ワクチンで ふせぐ ことを つづけた けっか、この びょうきが 人の 中から、きえた のです[1]。

1980年5月8日、第33回世界保健総会が、天然痘の根絶を宣言しました[1]。自然にかかった最後の患者は、1977年10月にソマリアで見つかった軽症型だとされます[1]。人痘法、牛痘、ワクチン、日本の種痘所と続いた歴史が、ここへつながりました。

1980年5月8日、第33回世界保健総会が天然痘の根絶を宣言した[1]。自然感染の最後の患者は、型により年が異なり、軽症型では1977年10月にソマリアで見つかった例が最後とされる。重症型では1975年(バングラデシュ)とされる[1]。

8. 「ワクチン」の ことばを、さがして みよう

8. 身近な予防接種の記録と、地元の種痘の歴史

8. 出口 ── 記録を読むこと、地元の種痘所を探すこと

おうちの 人に たのんで、母子健康手帳ぼしけんこうてちょうの 予防接種よぼうせっしゅの ページを、いっしょに 見せて もらいましょう。ワクチンの なまえが、いくつ かいて あるでしょうか。

この 記事は、ワクチンを うけるか どうかを すすめるもの では ありません。うけるか どうかは、おうちの 人や おいしゃさんと 話して きめます。

家の人にお願いして、母子健康手帳の予防接種のページを見せてもらいましょう。ワクチンの名前がいくつ書いてあるか、数えてみます。天然痘の種痘は、いまの記録には出てこないことも、そこから気づけるかもしれません。

もう1つ、自分の住む地域に、江戸時代の種痘所や除痘館の跡が残っていないか、市や県の郷土資料で探してみるのもよさそうです。見つからなければ、近くの郷土資料館や図書館で、地域の昔の病気や医療を調べてみましょう。この記事は、予防接種を受けるかどうかをすすめるものではありません。受けるかどうかは、家の人やお医者さんと相談して決めるものです。

資料を読むなら、まず米国CDCの天然痘の歴史[1]とWHOの種痘の歴史[2]。ジェンナーの実験の経緯は、History of Vaccinesのタイムライン[5]が英語で読める。日本の種痘は、長崎大学附属図書館の「牛痘の父モーニッケ」[8]が日本語で読める。

自分の住む地域の種痘所や除痘館の跡が、県史・市史などの郷土資料に残っていることがある。この記事は、予防接種を受けるかどうかの助言ではない。個人の接種は、医師などの専門家に相談するべきものだ。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

出典について:米国CDC・WHO・米国立医学図書館(NLM)などの公的機関の資料、医学史の解説、大学図書館の資料、Wikipedia(二次資料)を使った。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。

  1. CDC「History of Smallpox」。https://www.cdc.gov/smallpox/about/history.html (天然痘の致死率、1980年の根絶宣言について)
  2. WHO「History of smallpox vaccination」。https://www.who.int/news-room/spotlight/history-of-vaccination/history-of-smallpox-vaccination (人痘法の記録、フィップスのその後について。後者は検索抜粋にもとづく)
  3. NLM「Smallpox: Variolation」。https://www.nlm.nih.gov/exhibition/smallpox/sp_variolation.html (人痘法の死亡率、1717年・1721年の話について)
  4. NLM「Smallpox: Vaccination」。https://www.nlm.nih.gov/exhibition/smallpox/sp_vaccination.html (1798年の報告の翻訳、ワクチンの語源について。語源は要約にもとづく)
  5. History of Vaccines「Edward Jenner timeline」。https://historyofvaccines.org/history/edward-jenner-frs-frcpe/timeline/ (1796年5月14日の接種について)
  6. Gavi「Age of modern vaccines」。https://www.gavi.org/vaccineswork/age-modern-vaccines-abridged-history-vaccines-part-2 (ニワトリコレラと炭疽の実験について。二次資料)
  7. Wikipedia「Louis Pasteur」。https://en.wikipedia.org/wiki/Louis_Pasteur (「ワクチン」の総称と、狂犬病ワクチンについて。二次資料)
  8. 長崎大学附属図書館「牛痘の父モーニッケ」。https://www.lb.nagasaki-u.ac.jp/siryo-search/ecolle/igakushi/contents/08_mohnike.html (1849年の日本での最初の種痘について)
  9. Wikipedia「緒方洪庵」。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%92%E6%96%B9%E6%B4%AA%E5%BA%B5 (除痘館と幕府の公認について。二次資料)
  10. Wikipedia「種痘所」。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%AE%E7%97%98%E6%89%80 (お玉ヶ池種痘所について。二次資料)

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