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やねの うらがわは、どうして 2しゅるいの かたちが あるの?

屋根裏の骨組みは、なぜ2つの形になったのか ── 和小屋と洋小屋、大工が工場の大屋根に挑んだ話

和小屋と洋小屋 ── 束で支える小屋組とトラスの小屋組、長崎製鉄所・横須賀製鉄所から富岡製糸場まで

分野:歴史・文化

おてらや ふるい 家の やねの うらを のぞくと、たくさんの 短い 柱はしらが ならんで います。ところが 明治めいじの 工場こうじょうでは、三角形さんかくけいが つながって います。

おなじ やねを ささえる ものなのに、なぜ ちがう 形に なったのでしょうか。日本の 大工さんが、外国から きた 三角形を どう 自分の ものに したのかが 分かります。

お寺や古い民家の屋根裏には、短い柱のような材がたくさん立っています。ところが、明治時代の工場の屋根裏をのぞくと、大きな三角形が並んでいます。同じ屋根を支える骨組みなのに、どうして形がちがうのでしょうか。

1872年に操業した旧富岡製糸場の繰糸所は、長さ140メートルの建物です。その屋根の下に柱の少ない大空間をつくるため、日本の大工は洋小屋という外国の技をどう取りこんだのか。その道すじが分かります。

日本の伝統的な木造の屋根裏は、小屋梁の上に束を立てて母屋を載せる「和小屋」でつくられてきた。これに対して、幕末から明治にかけて工場建築とともに入ってきたのが、三角形の骨組みで屋根を支える「洋小屋」(トラス)である。

では、なぜ2つの形が生まれ、何がちがうのか。1872年(明治5年)に操業した旧富岡製糸場の繰糸所(桁行140メートル)を着地点に、日本の大工が洋小屋を自分たちの材料と技術に取りこんでいった過程が分かる。

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1. やねの うらは、どんな 形を して いるの?

1. 屋根裏をのぞくと、束の林と三角形がある

1. 小屋組の2つの型 ── 束で支えるか、三角形で支えるか

やねの 下、てんじょうの さらに 上には、やねを ささえる ほねぐみが あります。これを「小屋組こやぐみ」と よびます。

日本の むかしからの 形は「和小屋わごや」です。よこに わたした 太い 木の 上に、短みじかい 柱はしらを ならべて 立て、その 上に 木を のせて、やねを ささえます。短みじかい 柱は「束つか」と いいます。

もう ひとつは「洋小屋ようごや」です。長い 木と 木を 三角形に くんで、ななめの 木も くわえます。どうして この ちがいが 生まれたのかを、見て いきましょう。

屋根の下、天井の上に隠れている骨組みを「小屋組」といいます。和小屋は、水平に渡した小屋梁の上に、間をあけて小屋束を立て、その頂点に母屋をのせ、母屋を垂木でつないで屋根を支えるつくりです[1]。束の高さで屋根を支えるので、屋根裏には短い柱がたくさん立って見えます。

洋小屋は、陸梁(水平の材)と2本の合掌(斜めの材)でまず大きな三角形をつくり、そこに斜材と垂直の吊り束を足して固めるつくりです[1]。見た目も、力の受け止め方も、和小屋とはちがいます。

用語集では、和小屋は「垂直な小屋束で屋根の荷重を支える」型、洋小屋は「斜材を入れて水平方向の力に強くした」型と説明されています[3]。ではそれぞれ、何が得意なのでしょうか。

小屋組は、屋根の荷重を下の壁や柱に伝える屋根裏の骨組みで、大きく2つの型に分けられる。和小屋は、小屋梁の上に適当な間隔で小屋束を立て、その頂点に母屋を載せ、母屋を垂木でつなぐ。洋小屋は、陸梁と2本の合掌で大きな三角形をつくり、斜材(方杖)と垂直材(吊り束)で補強する[1]。

住宅・建築の用語集では、和小屋は伝統工法・在来工法の木造に用いられる、垂直な小屋束で荷重を支える小屋組、洋小屋は斜材を組み入れて水平方向の力に強くした小屋組とされる[3]。同じ「屋根を支える」役目でも、束で受けるか、三角形で受けるかという設計の考え方が異なる。では、それぞれ何を得意とするのか。

2. 束つかの 林には、どんな よさが あるの?

2. 束の高さを変えれば、反った屋根もつくれる

2. 和小屋の利点 ── 束の高さで勾配と曲面を調整できる

お寺の やねは、ゆるやかに そって いて、きれいな カーブを えがいて います。あの カーブを つくるとき、和小屋の 束つかが やくに 立ちます。

束つかは、1本ずつ 高さを かえられます。まんなかの 束つかを 高く、はしの 束つかを ひくく すると、やねの 角度や そりを かえられると いわれます。

また、和小屋は つくりやすく、おかねも かかりにくいと いわれます。そのかわり、柱と 柱の あいだを 長くする ことは むずかしいと いわれて います。

お寺の屋根のように、ゆるやかに反った曲面の屋根は、和小屋の得意分野です。束の高さを1本ずつ加減すれば、屋根の勾配を自由に調整でき、反りや起り(むくり)のある屋根の曲面もつくれると説明されています[1]。

一般向けの解説では、和小屋は施工が簡単で費用面で有利な一方、スパン(柱と柱の間の距離)を長くしにくいと整理されています[4]。ただし、どこまで長くできるかという数値は、この解説には書かれていません。

束は、1本ずつ高さを調整できる「調整役」でもあります。ところが、工場のように、柱の少ない広い空間をつくりたいときには、別の考え方が必要になりました。それが三角形です。

和小屋の利点は、束の高さを1本ずつ加減できる点にある。屋根勾配を自由に調整でき、とくに反りや起りのある曲面屋根をつくるのに適している[1]。束の長さを変えるだけで屋根の形が変わるので、同じ骨組みでも、屋根の勾配や曲面を変えられる。

民間の一般向け解説では、和小屋は施工が簡単でコスト効率が高い一方、スパンを長くできないと整理されている[4]。ただしスパンの限界値は出典に示されておらず、数値としては断定できない。

そのため、柱を減らした広い作業空間を求める工場建築では、和小屋とは異なる原理の小屋組が求められた。三角形を組み合わせる洋小屋である。

3. 三角形に すると、どう かわるの?

3. 三角形は、細い材でも広い屋根を支えられる

3. トラスの原理 ── 部材に曲げの力が働かない理想化

三角形は、かたちが かわりにくい 形です。四かくの わくは おすと ぐにゃっと かたむきますが、三角形は かたまって います。

洋小屋は、この 三角形を つなげて つくります。そのため、細い 木でも 力が じょうずに わけられ、ひろい 場所の やねを ささえやすく なります。

ただし ほんとうの つぎめは、少しは うごく ことが あります。「三角形なら かならず 大丈夫だいじょうぶ」とは いえません。

洋小屋は、部材を三角形に配置し、ボルトや金物でしっかりつなぐことで、比較的細い部材でも強さを確保するトラスの原理を使います[1]。

ある解説では、和小屋は屋根の荷重を受けると合掌と束に圧縮、小屋梁に曲げの力が働くため、小屋梁に大きな断面の材が要ると述べられています。トラスは、部材に曲げの力が働かないと考えて設計するため、下弦材(下側の水平材)が小さな断面で済むそうです[2]。

ただし、これは「つぎめが自由に回転できる」と仮定した理想化の話で、実際の接合部は完全にそうなっていません。構造計算を容易にするための約束ごとです[2]。洋小屋は、三角形を組むだけで強くなるわけではありません。部材にかかる力を分けて考えることで、細い材を使える場合があります。

この三角形の骨組みは、日本にはいつ、どこから入ってきたのでしょうか。

洋小屋の要は、部材を三角形に配置し、ボルトや金物で緊結する点にある。これにより、比較的細い部材で強度を確保できる[1]。

林産試験場の解説では、和小屋は荷重に対して合掌と束材が圧縮、小屋梁が曲げを受けるため小屋梁に大きな断面が要るのに対し、トラスでは上弦材・斜材が圧縮、下弦材・束材が引張を受け、部材に曲げが働かないので下弦材は小さな断面で足りると説明される[2]。

ただし、この説明は節点を自由に回転できるピンと仮定した理想化に基づく。実際の接合部は完全なピンではなく、仮定は構造計算を容易にするためのものだ[2]。原理と実物には差があるという点は、押さえておきたい。

ここで問いが残る。この三角形の骨組みは、日本にいつ、どのように入ったのか。

4. 三角形は、いつ 日本に やって きたの?

4. 幕末の長崎と横須賀で、三角形の屋根が建った

4. 洋小屋の導入 ── 長崎製鉄所と横須賀製鉄所

洋小屋は、日本に むかしから あった ものでは ありません。江戸えど時代の おわりごろ、外国の ぎじゅつを つかった 工場こうじょうが つくられる ときに、入って きました。

長崎ながさきの 製鉄所せいてつじょは、1857年に たて はじめ、1860年に 屋根の ほねぐみが できました。れんがを つみ、洋小屋を つかった、日本で はじめての 洋風の 工場と いわれます。

そのあと、横須賀よこすかの 製鉄所せいてつじょでも、れんがや 三角形の ほねぐみの もとに なる やり方が、1870年までに 中の 建物たてものに 見られると いわれます。それが、つぎの 大きな 工場に えいきょうしたと いわれて います。

洋小屋は日本の伝統的な技術ではなく、幕末から明治にかけて、西洋式の工場建築とともに入ってきました。

長崎製鉄所は、1857年(安政4年)に着工し、1860年(万延元年)に上棟しました。煉瓦を積み、洋式小屋組(トラス)を採用しました。出典は日本で最初の洋式工場と紹介しています[5]。

やや遅れて、横須賀製鉄所が1865年(慶応元年)に起工されました。木の骨組みに煉瓦の壁を組み合わせる「木骨煉瓦造」やトラス工法の原型が、明治3年(1870年)までに所内の建物に見られ、これが富岡製糸場に影響を与えたと横須賀市は紹介しています[6]。

では、その技が日本の大工の手でどう形になったのか。次の舞台は、群馬県の富岡です。

洋小屋は、日本の伝統的な建築技術ではなく、幕末から明治期に、工場など西洋式の建築を通じて入ってきた。

長崎製鉄所は、安政4年(1857)10月に着工、万延元年(1860)12月に上棟し、煉瓦を積んで洋式小屋組(トラス)を採用した[5]。

続く横須賀製鉄所は、慶応元年(1865)11月に起工され、明治4年(1871)に第1号ドックが完成した。横須賀市の解説によれば、「木骨れんが造」や「トラス工法」などの手法は、明治3年(1870)までに所内に建つ建物にその原型が見られ、富岡製糸場に影響したという[6]。

では、この技術は、日本の職人の手でどのような形になったのか。富岡製糸場の繰糸所が、その答えの1つになる。

5. 140メートルの やねを、だれが つくったの?

5. 長さ140メートルの屋根を、日本の大工が支えた

5. 旧富岡製糸場の繰糸所 ── 洋小屋と日本の材料・技術の組み合わせ

1872年、群馬県ぐんまけんに 富岡製糸場とみおかせいしじょうが うごき はじめました。糸を つくる 大きな 建物たてもの「繰糸所そうしじょ」は、長さが 140メートルも あります。25メートルの プールを 5つ ならべた よりも、すこし 長い 長さです。

やねの 下には、洋小屋の 三角形が つかわれて います。洋小屋は、ひろい 場所に むいて いると いわれます。

この 建物たてものは、フランス人が かいた 図面を もとに、日本の 大工さんや しょくにんさんが、日本に ある 木や 技術ぎじゅつを つかって 工夫くふうして たてたと いわれます。やねは 日本の 瓦かわらで ふき、れんがの すきまには 漆喰しっくいを つかって います。

旧富岡製糸場の繰糸所は、キングポストトラスの小屋組をもつ、桁行140メートルの長大な建物です。木の軸組に煉瓦の壁を積んだ木骨煉瓦造で、1872年(明治5年)10月4日に操業を始めました[7]。25メートルプールなら5つ分より少し長い(140÷25=5.6)長さです。

建物は、フランス人が引いた図面をもとに、日本の職人や大工が、日本にある材料と技術で工夫して建てたと紹介されています。屋根は瓦ぶきで、煉瓦の目地にはモルタルではなく漆喰が使われています[8]。

洋小屋の三角形が、日本の瓦や漆喰と組み合わさっている点が見どころです。外国の図面を、日本の職人が日本の材料と技術で形にした仕事だったことが分かります。

では、みなさんの身のまわりの屋根の中は、どちらの形でしょうか。

旧富岡製糸場の繰糸所は、キングポストトラスの小屋組をもち、桁行が140メートルと長大である。木造の軸組に煉瓦壁を積んだ木骨煉瓦造で、明治5年(1872)10月4日に操業を開始した[7]。

その建造は、フランス人が引いた図面を基に、日本の職人や大工が、日本にある材料と技術で工夫して行ったと紹介されている。屋根は瓦ぶきで、煉瓦の目地にはモルタルではなく漆喰が使われている[8]。

洋小屋というトラスの原理が、日本の瓦・漆喰・木造軸組と組み合わされた例と読める。日本側がどこまで図面を変えたかは、資料からは読み取れない。

6. 自分の うちの まわりでも 見て みよう

6. 屋根の形を観察する/原典を読む

6. 出口 ── 屋根を観察する/一次資料に当たる

やねの 中に 入る ことは、あぶないので しません。そとから、おてらや 神社、学校、古い 家の やねを 見上げて みましょう。

やねの 形や たてものの 広さから、中の ほねぐみを そうぞう して みましょう。そとから 見ただけでは 分からない ことも あります。「なんで ここは この 形かな」と 考える ことが、はじめの 一歩です。

もっと 知りたいときは、大人と いっしょに、ページの 下の「しらべた もとの じょうほう」を 見て みましょう。

屋根裏に入らなくても、外から観察できます。古い民家や神社の反った屋根、体育館や工場のような柱の少ない大きな建物を見比べて、屋根の形とその下の空間の広さから、どんな骨組みか想像してみてください。外からだけでは分からないこともあります。屋根の上や屋根裏には、危ないので上がらないでください。

原典を読むなら、旧富岡製糸場の繰糸所の解説は文化遺産オンライン[7]、横須賀製鉄所の解説は横須賀市のページ[6]で読めます。

屋根裏に入れなくても、外観からできる観察がある。反りのある屋根と、柱の少ない大空間のある建物とで、屋根の形と内部空間の関係を比べるとよい。屋根や屋根裏には上がらないこと。

一次資料としては、文化遺産オンライン「旧富岡製糸場 繰糸所」[7]、横須賀市の横須賀製鉄所の解説[6]、林産試験場の解説[2]が読める。長崎製鉄所については、解説記事[5]の記述をもとにしているので、当時の記録と読み比べると、記述のちがいが見えてくるかもしれない。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

出典について:日本大百科全書、住宅・建築用語集、林産試験場の解説、民間の一般向け解説、建設プラザ、横須賀市、文化遺産オンライン、nippon.comを使いました。

  1. コトバンク「小屋組み」(日本大百科全書・世界大百科事典)。 https://kotobank.jp/word/小屋組み (和小屋・洋小屋のつくりと特徴について)
  2. 北海道立林産試験場 米田昌世「木製軽量トラスの実用化」(林産試だより)。 https://www.hro.or.jp/upload/9484/19029065001.pdf (和小屋とトラスの力の働き方、理想化の仮定について)
  3. 住宅・建築用語集(smtrc.jp)。 https://smtrc.jp/useful/glossary/print/n/666 (和小屋・洋小屋の定義について)
  4. SUUMO「小屋組とは?」。 https://suumo.jp/article/oyakudachi/oyaku/chumon/c_knowhow/koyagumi/ (和小屋の施工性・費用・スパンについて。民間の一般向け解説)
  5. 建設プラザ「材料からみた近代日本建築史 その4」。 https://www.kensetsu-plaza.com/kiji/post/29681 (長崎製鉄所の着工・上棟年と洋式小屋組について)
  6. 横須賀市「横須賀の誇り!横須賀製鉄所」。 https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/2120/seitetsuzyo/main.html (横須賀製鉄所の起工と、木骨煉瓦造・トラス工法の原型について)
  7. 文化遺産オンライン「旧富岡製糸場 繰糸所」。 https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/124804 (繰糸所の小屋組・寸法・構造・操業日について)
  8. nippon.com「世界遺産『富岡製糸場』の歴史」。 https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu900122/ (日本の大工の工夫、瓦ぶき、漆喰の目地について)

なおした ところ

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