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ここに書いてあることは、誰かが実際に手を動かして調べ、考え、作り上げてきたものを拾い集めています。専門の本や論文、作品、そしてそれを生み出した人たち。気になったことがあれば、ぜひそのおおもとに直接ふれてみてください。このメモには書ききれない熱を、感じてもらえると思います。

月に 行った 3人の うち、おりたのは 2人だけ?

アポロ11号は月へどう行き、どう帰ったのか ── 母船を月に残し、着陸船だけが降りたわけ

アポロ11号の月往復の道すじ ── 月周回ランデブーの採用から、地球周回・月遷移・着陸・離陸・帰還まで

分野:宇宙・天文

アポロ11ごうには、3人が のりました。ところが、月に おりたのは 2人だけ。のこりの 1人は、ひとりで 月の まわりを まわりつづけました。

どうして みんなで おりなかったのでしょう。そして、どうやって 月まで いって、かえって きたのでしょう。

1969年7月16日、アポロ11号は3人を乗せて打ち上げられました。月まで、約3日。ところが、月に降りたのは3人のうちの2人だけです。もう1人のマイケル・コリンズは、司令船しれいせんコロンビアに残って、月のまわりを回り続けました。

行って帰るだけなのに、なぜ宇宙船を分けたのでしょうか。地球を出てから海に降りるまで、NASAの資料の数字を拾いながら追いかけます。

アポロ11号(1969年)は3人で月へ向かったが、月面に降りたのは2人で、地球へ戻ったのは円すい形の司令船だけだった。1961年にケネディ大統領が掲げた目標は「月に着陸させる」と「無事に帰す」の2つで、NASAはその両方を満たすために、船を分ける方式(月周回ランデブー)を選んでいる。

この方式が決まるまでの議論と、打ち上げから着水までの数字を、NASAの一次資料で確かめる。

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1. ぜんぶ もって おりたら、どうなるの?

1. 「行って帰る」を、どんな船でかなえるか

1. 1961年の目標と、月へ行く3つの案

1961ねんに、アメリカの大統領だいとうりょうが やくそくしました。「10ねんの うちに、人を 月に おろして、ぶじに かえす」。おりるだけでは なく、かえるまでが やくそくです[1]。

やりかたは、大きく 3つ ありました。1つめは、とても 大きな ロケットで まっすぐ 月に いって、おりて、そのまま かえって くる やりかた。2つめは、地球の まわりで 船を くみたてて から 出かける やりかた。3つめは、月に おりる 小さな 船だけを、べつに する やりかたです[1]。

えんそくを 思いうかべて ください。バスで 山の ふもとまで いって、山みちは かるい リュックで あるきます。バスは ふもとで まって います。かえりは また バスに のれます。3つめの やりかたは、これに にて います。ただし ほんとうは、月では バスが とまって いません。月の まわりを、ずっと まわって います。

1961年5月25日、アメリカのケネディ大統領は、「この10年が終わるまでに、人を月に着陸させ、無事に地球へ帰す」ことを国の目標にすると宣言しました。降りるだけでなく、帰るところまでが約束です[1]。

月へ行く方法は、主に3つの案がありました。1つめは「直接上昇」で、巨大なロケット1本で月へまっすぐ行き、そのまま降りて、月面から地球へ帰る案です。ただしこの案には、「ノヴァ」という、推力1200万ポンドの巨大ロケットが必要でした[2]。2つめは「地球軌道ランデブー」で、何回かに分けて打ち上げた部品を、地球を回る軌道の上で組み立てる案。3つめが「月周回ランデブー」で、月に降りる小さな着陸船だけを別に作り、母船は月のまわりを回り続ける案です[1]。

3つめの案は、遠足に似ています。山のふもとまでバスで行き、山道は軽い荷物で歩き、帰りはふもとで待つバスに乗ります。ただし本当は、月ではバスは止まっていません。母船は、月のまわりを回り続けています。

1961年5月25日、ケネディ大統領は「この10年が終わるまでに、人を月に着陸させ、無事に地球へ帰す」ことを国の目標にすると宣言した。目標は着陸と帰還の2つで、片方だけでは達成にならない[1]。

月へ行く方法は、NASA内で主に3案が検討された。(1)直接上昇:1本の巨大ロケットで月へ直行し、そのまま着陸して、月面から地球へ帰る。この案は、推力約1200万ポンドの「ノヴァ」を必要とした[2]。(2)地球軌道ランデブー:複数回の打ち上げで、地球周回軌道上で組み立てる。(3)月周回ランデブー(LOR):小さな着陸船だけが降り、母船は月周回軌道を回り続ける[1]。

アポロ11号を打ち上げたサターンVの第1段の推力は760万ポンドで[3]、ノヴァはその約1.6倍にあたる(1200÷760の計算)。

月面から飛び立つ船まで一緒に降ろすと、その分の燃料を積んだまま降りることになり、その燃料を運ぶためにも燃料が要る。着陸する部分を小さく軽くすれば、この連鎖が小さくなる。これはこのメモの説明で、資料の言い回しではない。LORの利点は、NASAの歴史ページも3点にまとめている。サターンVが1本で済むこと、地球周回軌道上で大きな宇宙船を組み立てなくてよいこと、月面に降ろす質量がずっと小さいことだ[2]。

2. 月へ 行く やりかたを かえた 1まいの 手紙

2. 指揮系統を飛び越えて届いた、9ページの手紙

2. ホーボルトの手紙と1962年の決定 ── 弱点を知ったうえで選んだ方式

この 3つめの やりかたを 強く すすめた 人が います。アメリカの ラングレー研究所けんきゅうじょの ぎじゅつしゃ、ジョン・ホーボルトさんです。1961ねんの 11月、じゅんばんを とばして、えらい 人に 9ページの 手紙を おくりました[1]。

手紙は「だれも いない 野原で さけぶ 声の ように」と はじまり、「月へ 行きたいのですか、行きたくないのですか」と たずねて います[1]。

でも、この やりかたには、こわい ところが ありました。月の まわりで、2つの 船を 宇宙飛行士うちゅうひこうしが 自分たちで あわせなければ ならない ことです。そこは 地球から 38万kmも はなれて いて、たすけを よべません。それでも、しらべた 人たちが 少しずつ 考えを かえて、1962ねんに この やりかたに 決まりました[1]。

この3つめの案を強く訴えたのが、NASAのラングレー研究所の技術者ジョン・ホーボルトです。1961年11月15日、決まった指揮系統を飛ばして、NASAの副長官に9ページの手紙を送りました[1]。

手紙は「荒野の声のように」と書き出され、「われわれは月へ行きたいのか、行きたくないのか」とたずねています(日本語は私の訳です)[1]。

この方式には、大きな不安がありました。地球から約24万マイル(約38万km)も離れた月の軌道で、宇宙飛行士自身が2つの船を会合させなければならず、助けを呼べないことです。ロケット開発を率いていたマーシャル宇宙飛行センターも、最初は慎重でした。それが、1962年6月7日、フォン・ブラウンのもとで「不安は利点で十分に上回られる」と結論を変えました[1]。

NASAの有人宇宙飛行の会議が6月22日に月周回ランデブーを支持し、7月11日に長官が採用を発表しました。ケネディ大統領の科学顧問は、最後まで反対でした[1]。決めたのはホーボルト1人ではなく、多くの人が調べ、考えを変えていった結果です。

ラングレー研究所の技術者ジョン・ホーボルト(John Houbolt)は、1961年11月15日、正規の指揮系統を飛ばして、NASA副長官シーマンズに9ページの手紙を送り、LORを検討すべきだと訴えた。手紙は「荒野の声のように」と書き出し、「われわれは月へ行きたいのか、行きたくないのか」と問う(日本語は筆者の訳)[1]。

LORの最大の不安は、地球から約24万マイル(約38万km)の月周回軌道上で、宇宙飛行士自身が船どうしを会合させなければならず、助けを呼べないことだった。ロケット開発を率いるマーシャル宇宙飛行センターも当初は懐疑的で、1962年6月7日、フォン・ブラウンの下で「不安は利点で十分に上回られる」と結論して方針を転換した[1]。弱点がなかったから選ばれたのではなく、弱点を承知のうえで、利点のほうが大きいと判断されたことになる。

NASAの有人宇宙飛行管理会議は1962年6月22日にLOR支持を決め、7月11日にウェッブ長官が採用を発表した。ケネディの科学顧問ウィーズナーは、最後まで反対だった[1]。「決定日」は内部決定と発表で2つあり、ホーボルト1人の手紙で決まったわけでもない。ヒューストンとハンツビル(マーシャル)の判断の転換も要った。

3. まっすぐ 月に 行かないのは、どうして?

3. 月へは直行せず、地球を1周半してから出発する

3. 駐機軌道と月遷移軌道投入 ── 秒速7.79kmから10.83kmへの5分48秒

1969ねん7月16日、アポロ11ごうは、ロケットの サターンVで うちあげられました。ロケットの 高さは 110mです。たとえると、ビルの 30かいだてに ちかい 高さです。のった 人は、アームストロングさん、オルドリンさん、コリンズさんの 3人です[4]。

ところが、すぐには 月へ むかいません。まず 地球の まわりを 1しゅうはん まわります。その あいだに、きかいが ちゃんと うごくか しらべます[3]。

だいじょうぶと わかったら、ロケットの いちばん うえの 部分に、もう 1回 ひを つけて、月の ほうへ おしだします。5分ちょっとの あいだに、スピードは かなり 上がります。そのあと、船は ロケットから はなれて、むきを かえて もどります。ロケットの 中に しまって あった 月に おりる 船を、ひっぱりだして、くっつけます[3]。

1969年7月16日午前9時32分(米国東部夏時間)、アポロ11号は、フロリダのケネディ宇宙センターから打ち上げられました。乗員は、船長のニール・アームストロング、月着陸船操縦士のバズ・オルドリン、司令船操縦士のマイケル・コリンズの3人です[4]。サターンVは高さ約110mで、第1段は5基のエンジンで灯油と液体酸素を燃やします[3]。ロケットの原理は、ロケットのメモにあります。

でも、月へはまっすぐ向かいません。まず地球のまわりの軌道に入り、約1周半して、機器を点検します。そのときの速さは秒速約7.8kmです[3]。

点検が終わると、打ち上げから2時間44分後に、いったん止まっていた第3段のエンジンをもう一度点火します。5分48秒の燃焼で、秒速約7.79kmから約10.83kmへ、約3.04km/s速くなります[4]。その後、司令船と機械船は第3段から離れ、向きを変えて戻り、第3段の中にしまわれていた月着陸船と結合して、引き出します。計画では、打ち上げ約3時間21分後でした[3]。

アポロ11号は1969年7月16日午前9時32分(米国東部夏時間、UTC13時32分)に、ケネディ宇宙センターの39A発射台から打ち上げられた。乗員は船長アームストロング、月着陸船操縦士オルドリン、司令船操縦士コリンズの3人だ[4]。サターンVは高さ363フィート(110.6m)、第1段は5基のF-1エンジンで灯油(RP-1)と液体酸素を燃やす[3]。ロケットの原理はロケットのメモに譲る。

月へは直行せず、まず地球周回の駐機軌道に入って約1周半し、機器を点検する。駐機軌道での速度は秒速25,567フィート(=7,793m/s、約7.79km/s)[3]。

月遷移軌道投入(TLI)は、打ち上げ2時間44分後、第3段(S-IVB)の再点火で行われる。燃焼は5分48秒で、速度は25,567fpsから35,533fps(約10.83km/s)へ上がる[4]。増分は35,533−25,567=9,966fps、つまり約3.04km/sだ。プレスキットの本文は、この増分を読み取りにくい形で載せているので、引き算は自分でやり直した[3]。

その後、司令船・機械船は第3段の先端から離れ、向きを変えて戻り、第3段の中の月着陸船と結合して引き出す(計画では打ち上げ約3時間21分後)[3]。

4. うごく 月を、どこに ねらうの?

4. 動いている月の「行く先」をねらう、約3日の旅

4. 月の公転と約73時間の飛行 ── 到着時の月の位置へ撃つ、自由帰還軌道という保険

月は、じっと して いません。地球の まわりを、1しゅうに 27日ちょっと かけて まわって います。スピードは 1秒に 1kmぐらい。月まで 行くのに 3日 ぐらい かかるので、その あいだに 月は ずいぶん うごきます[8]。

ボールを パスする ときを 思いだして ください。はしって いる ともだちの「いる ところ」では なく、「はしって いく さき」に なげますね。アポロも おなじです。今の 月ではなく、3日 あとに 月が いる ばしょを ねらって 出発します。ただし ほんとうは、月は 円を かいて 決まった 道を まわるので、先の ばしょを 計算できます。

とちゅうで、船は ゆっくり まわりながら とびます。おひさまの ひかりが かたよって あたって、あつく なりすぎないように するためです。「バーベキュー」と いう なまえが ついて います[3]。

もうひとつ、ほけんが ありました。ブレーキを かけなくても、月の うらを まわって、地球へ もどって くる みちです。アポロ11ごうは、この みちに のせて もらって いました[4]。

月は、地球から平均約38万4400kmのところを、秒速約1kmで回っています。1周は約27.3日です[8]。月へ向かう旅は、加速してから月に近づくまで約73時間、およそ3日かかります。

その間に、月は軌道の上を約40度動きます。この数字は、資料に書かれた値ではなく、私の計算です。73時間÷655.7時間(1周の時間)×360度で、約40度になります。腕を伸ばしたこぶし1つ分が約10度なので、こぶし4つ分です。だから宇宙船は、「いまの月」ではなく、「到着したときに月がいる場所」へ向けて出発します。走っている友だちにパスを出すとき、いる場所ではなく、走っていく先へ投げるのと同じ考え方です。ただし本当は、月は決まった軌道を回っているので、先の位置を計算で出せます。

月へ向かう途中、機体は太陽の熱が片側にかたよらないよう、ゆっくり回転しながら飛びました。この飛び方は「バーベキューモード」と呼ばれます。計画では、軌道を直す噴射は最大4回でした[3]。

この旅には、保険もありました。アポロ11号は「自由帰還軌道」に乗せられていました。月に入るための減速をしなくても、月の裏側を回って地球へ戻ってくる軌道で、月のまわりを回る軌道に入る前なら、いつでも中止できる保険です[4]。

月は地球から平均約38万4400km、平均軌道速度は約1.02km/s(0.97〜1.08km/s)、公転周期は約27.3日(655.7時間)だ[8]。TLIが打ち上げ2時間44分15秒後、月周回投入(LOI)が75時間54分28秒後なので、月へ向かう間は約73.2時間になる。

この73.2時間のあいだに月が進む角度は、73.2÷655.72×360=約40.2度だ(この角度は資料の値ではなく、自分の計算)。1.02km/sで73.2時間を進むと、約27万kmにあたる。だから宇宙船は、発射時の月ではなく、到着時の月の位置を目指して投入される。

飛行中は、太陽熱を機体に均等に受けるため、ゆっくり回転する「バーベキューモード」で飛んだ。ミッドコース修正は計画では最大4回だった[3]。

アポロ11号は「自由帰還軌道」に乗せられていた。月周回に入るための減速をしなくても、月の裏を回って地球へ戻る軌道で、LOIの前ならいつでも中止できる保険になる。アポロ11号は、通常の計画でこの方式を使った最後のアポロ飛行になった[4]。

5. 月に ついたら、まず ブレーキを かけるの?

5. 月の裏でブレーキをかけ、着陸船が降りる

5. 月周回投入と降下 ── 1202警報と、岩場を避けた手動操縦

月に ちかづくと、船の スピードは 上がって いきます。ブレーキを かけないと、月に つかまらず、そのまま とおりすぎて しまいます。月の うらがわを とおる ときに、エンジンを 6ふんぐらい ふいて、スピードを おとします。こうして 月の まわりを まわる みちに はいりました。この あいだ、地球とは つうしんが できません[5]。

そのあと、3人の うち 2人が 着陸ちゃくりく船「イーグル」に うつって、司令船しれいせん「コロンビア」から はなれます。着陸ちゃくりく船の エンジンを 12ふんぐらい ふかして、ゆっくり おりて いきます[4]。

おりる とちゅう、けいほうが なりました。ちじょうの チームは、「そのまま すすんで いい」と こたえました。つぎに、下に 大きな いわが ごろごろ している ところが 見えました。アームストロングさんは、じぶんの 手で そうじゅうして、いわを さけました[7]。

1969ねん7月20日、「しずかの うみ」と よばれる ばしょに ちゃくりく しました[7]。

月に近づくと、船は月の重力に引かれて速くなります。そのまま減速しなければ、月に捕まらず、通りすぎてしまいます。7月19日、打ち上げから約75時間50分後、司令船は月の裏側で主エンジンを逆向きに約357.5秒(約6分)噴射して減速しました。月の重力に捕まって、周回軌道に入ります。この間、地球との通信は切れます[5]。月の裏側で通信できない間の噴射では、船に積んだ計算機が働きました[11]。

月を回るだけなら、前の年にアポロ8号が試しています。1968年12月、3人が約20時間、月のまわりを回って帰ってきました。月着陸船は積んでいません[13]。

打ち上げから約100時間後、着陸船「イーグル」が司令船「コロンビア」から切り離されました。降下用のエンジンを約756秒(約12分36秒)噴射して、月へ降りていきます[4]。

降下の途中、高度約1万m(3万3000フィート)で、訓練では見たことのない「1202」という警報が出ました。地上の管制は「続けてよい」と返し、着陸は続きました。さらに高度約180m(600フィート)で、計算機が導く先に岩がごろごろした地帯があると気づいたアームストロングは、手動で操縦を引き継ぎました[7]。降りた場所は「静かの海」、日付は1969年7月20日(協定世界時20時17分40秒)です。

LOIは7月19日、打ち上げから約75時間50分後に、月の裏側を通るときに行う。主エンジン(SPS)を逆向きに約357.5秒噴射して減速し、月の重力に捕まって周回軌道に入る。この間、地球との通信は切れる[5]。この噴射は通信圏外で行われるため、船上の誘導計算機が働いた。地上の大型計算機が航法の主役で、船上の計算機は補助だった、と国立航空宇宙博物館は解説している[11]。

月周回だけを先に試したのがアポロ8号(1968年12月21日打ち上げ、27日着水)だ。着陸船は積まず、3人が約20時間、月を周回して帰った[13]。

月周回の後、打ち上げから約100時間12分で、月着陸船「イーグル」が司令船「コロンビア」から切り離された。降下エンジンは756.3秒(約12分36秒)噴射した[4]。着陸は1969年7月20日(UTC20時17分40秒)、静かの海だ[7]。

降下の途中、高度約3万3000フィート(約1万m)で、訓練で見たことのない「1202」の警報が出た。地上管制は続行してよいと返し、着陸は続いた。高度約600フィート(約180m)では、計算機の誘導する先に岩が多い地帯があるとアームストロングが気づき、手動で操縦を引き継いだ。高度約100フィート(約30m)で燃料の警告灯がつき、残りは約5%、ホバリングの余裕は約90秒とされた[7]。

着陸時点での燃料の残りは、資料によって秒数の幅がある。警告灯の時点の数字と、着陸時点の数字を混ぜないのが、この話を読むときの注意だ。

6. ひとりで まつ 人と、たった 1つの エンジン

6. 月の裏で待つコリンズと、予備のない離陸エンジン

6. 上昇段の単一エンジンと月周回ランデブー ── 待つ1人の47分

アームストロングさんと オルドリンさんは、月の うえに 21時間ぐらい いました。そとに 出て あるいた のは、2時間ぐらいです。ほかの 時間は、着陸ちゃくりく船の 中に いました[4]。

そのころ、コリンズさんは、ひとりで 司令船しれいせん「コロンビア」に のって、月の まわりを まわって いました。月の うらがわを とおる 47ふんぐらいの あいだ、地球とも、月の 上の 2人とも、むせんが つながりません。管制室かんせいしつの 人は、人間の れきしの 中で これほど ひとりに なった 人は いない、とまで 言いました。でも、コリンズさん ほんにんは、「3人目の 自分も、ほかの 2人と おなじように 必要ひつようだ」と 話して います[10]。

かえる ときは、着陸ちゃくりく船の 上の 半分だけが とびあがります。下の 半分は、月に のこります。とびあがる エンジンは、たった 1つ。予備よびの エンジンは ありませんでした。これが うごかなければ、かえれません[9]。

アームストロングとオルドリンは、月面に21時間36分いました。船外に出て歩いた時間は2時間半ほどで、着陸船から最大約90m離れました。残りの時間は、着陸船の中にいたことになります[4]。

そのあいだ、コリンズは1人で司令船コロンビアを操縦して、月を回り続けました。月の裏側にいる約47分は、地球とも月面の2人とも無線が通じません。管制官は、人類の歴史でこれほど1人きりになった人はいない、という意味のことを言いました。でも本人は、「3人目の自分も、ほかの2人と同じくらい必要だ」と述べています(スミソニアン博物館の紹介)[10]。孤独な英雄という見方だけに決めず、本人の言葉も読んでみてください。

月から飛び立つのは、着陸船の上半分です。上昇用のエンジンは1基だけで、推力は約3,500ポンド(約1.6トン重)。向きを変えず全力で噴射する単純な作りで、予備はありませんでした。軽くするためです[9]。7月21日、打ち上げから124時間22分後に点火し、435秒(約7分15秒)で月周回軌道に入りました。着陸に使った下半分は、離陸台として月面に残りました[4]。

そして待っていたコロンビアに近づいて、128時間3分後にドッキングします。2人が司令船へ移ったあと、着陸船の上半分は切り離され、月に落ちたと推定されています[4][6]。

2人の月面滞在は21時間36分で、船外活動は2時間半あまり、着陸船から最大約300フィート(約90m)離れた。残りの時間は、着陸船の中にいたことになる[4]。

コリンズは1人で司令船コロンビアを操縦し、月を周回した。月の裏側にいる約47分間は、地球とも月面の2人とも無線が通じない。スミソニアン国立航空宇宙博物館は、管制官が「アダム以来、これほどの孤独を知る人間はいない」という意味の言葉を発した一方で、本人は「3人目(自分)も、他の2人と同じくらい必要だ」と述べたと紹介している[10]。孤独と受け取るか、役割と受け取るかは、本人の言葉を原典で読んで決めたい。

月から出発する上昇段のエンジンは1基で、推力は約3,500ポンド(約1.6トン重)。首を振らず全力で噴射する単純な作りで、予備はなかった。重量の制限のためと、NASAの技術報告は述べる[9]。7月21日、打ち上げ124時間22分後に点火し、435秒(約7分15秒)で月周回軌道に入った。着陸に使った下降段は、離陸台として月面に残された[4]。

上昇段は、月周回軌道で待つ司令船に、約3.5時間のランデブー手順で追いつき、128時間3分後にドッキングした(3.5時間は計画値)[3]。会合とは、軌道を少しずつ変えながら追いつく手順のことだ。乗員が移った後、上昇段は切り離され、月面に落ちたと推定される[4][6]。

司令船の居住空間は約210立方フィート(約5.9立方m)で3人、月着陸船の乗員室は約160立方フィート(約4.5立方m)で2人だ。単純に人数で割ると、ひとりあたりは約2.0立方mと約2.3立方mで、近い値になる(自分の計算)[3]。

7. かえって きたのは、どの ぶぶん?

7. 大気圏に突入して海へ ── 帰ってきたのは司令船だけ

7. 地球への帰還 ── 月の裏を回る軌道は、アポロ13号をどう助けたか

コロンビアは、月の うらで エンジンを 2ふん半 ふいて、地球へ むかいました。地球に ちかづく ころの スピードは、1秒に 11kmぐらいです。空気に とびこむ とき、船の まわりは とても あつく なります[5]。

そこで、船の そとがわには、とける ざいりょうが ぬって あります。とけながら、あつさを もって いって くれます[3]。

7月24日、コロンビアは パラシュートで 太平洋に おりました。かえって きたのは、円すいの かたちを した 司令船しれいせんだけです。おもさは 5.6トン。ロケットぜんぶの おもさから 見ると、ほんの すこしです[3]。

あとの アポロ13ごうでは、「月の うらを まわって かえる みち」が 3人を たすけました。月へ 行く とちゅうで、さんその タンクで じこが おきて、司令船しれいせんが つかえなく なったのです。3人は 着陸ちゃくりく船を きゅうめいボートの かわりに して、月の うらを まわって 地球へ もどって きました[12]。

月周回を約59.5時間続けたのち、司令船は月の裏で主エンジンを約2.5分噴射して、地球へ向かいました。地球の大気圏には、秒速約11kmで突入します[5]。空気とぶつかって、船の外側は非常に熱くなります。そこで司令船の熱シールドは、樹脂の層が蒸発しながら熱を持ち去る作り(アブレーター)になっています[3]。

7月24日12時50分(米国東部夏時間)、司令船はパラシュートで太平洋に着水しました。空母ホーネットから約21kmの位置です。全飛行時間は195時間18分35秒(約8日3時間)でした[5]。

地球に戻ったのは、円すい形の司令船だけです。打ち上げ時の重さは約5.6トンで[3]、サターンV全体は約2800トンとされるので、その1%にも届きません。

第4章で見た、月の裏を回って戻る軌道は、アポロ13号(1970年4月)で脱出の道になりました。飛行3日目の約56時間ごろに酸素タンクが爆発し、司令船と機械船が使えなくなりました。乗員は月着陸船を救命ボートがわりにして、降下エンジンで、月の裏を回って地球へ戻る軌道に乗せ替え、4月17日に太平洋へ着水しました[12]。着陸船というもう1つの船があったことが、この時は役に立ちました。

アポロ計画で月に着陸したのは6回で、月面を歩いたのは合計12人です[14]。

月周回を約59.5時間続けたのち、月の裏で主エンジンを約2.5分噴射して地球へ向かった(TEI)。大気圏への突入速度は約11km/s(計画値36,194fps=約11.03km/s、時速約39,700km)[5]。熱シールドは、ろう付けしたステンレス製ハニカムに、フェノール系エポキシ樹脂のアブレーター層を重ねた構造で、厚さは頂点で約0.7インチ、後部で約2.7インチ(約1.8〜6.9cm)ある。樹脂が蒸発しながら熱を持ち去って、内部を守る[3]。

着水は7月24日12時50分(米国東部夏時間)、空母ホーネットの約13マイル(約21km)の位置で、全飛行時間は195時間18分35秒だった[5]。

地球に戻ったのは司令船だけで、打ち上げ時の重さは12,250ポンド(約5.6トン)。着陸船は打ち上げ時に約15.1トンで、下降段は月面に、上昇段は月周回軌道から月へ残った[3][6]。サターンV全体の重さを約2800トンと見積もると、5.6÷2800=0.2%になるが、この総重量は二次資料の値なので、ここでは「1%に届かない」とだけ言える。

第4章の、月の裏を回って戻る軌道は、アポロ13号(1970年4月11日打ち上げ)で脱出の道になった。飛行3日目の約56時間ごろに酸素タンクが爆発し、司令船・機械船が使えなくなった。乗員は月着陸船を救命ボートに使い、着陸船の降下エンジンで、月の裏を回って地球へ戻る軌道へ乗せ替えて、4月17日に太平洋へ着水している(飛行142時間54分41秒)[12]。船を2つに分けた設計が、この事故では役に立った例といえる。

アポロ計画の月面着陸は6回(11、12、14、15、16、17号)、月面を歩いたのは合計12人だ[14]。石や採取の話は月の石のメモに譲る。

8. 月を 見て みよう

8. 自分でも調べてみたくなったら

8. 自分でも調べてみたくなったら

月が 出て いる 夜に、おうちの 人と いっしょに、まどや ベランダから 月を 見て みましょう。月の ちかくに 明るい 星が あれば、月と 星の 場所を、絵に かいて おきます。つぎの 夜も、おなじ 時こくに 見て、どのくらい はなれたか くらべます。うでを のばして、こぶし 1つ ぶんぐらい ずれるはずです。月は 1日で、こぶし 1つぶん いじょう 動きます。アポロは、その 先を ねらって 出発 しました。

くもりや 月が 出ない 夜は、むりを しなくて だいじょうぶです。月の 出る じかんの はなしは、月の 出の メモに あります。

月は、星々の間を、1日に約13度ずつ東へ動きます(360度÷27.3日の計算)。こぶし1つ分は約10度なので、月と近くの明るい星の位置を同じ時刻に2晩続けて見ると、こぶし1つ分より少し多くずれているはずです。窓やベランダから、大人といっしょに確かめられます。曇りの日は、あきらめて大丈夫です。月の出る時刻は、月の出のメモにあります。

原典を読むなら、NASAが公開しているアポロ11号のプレスキットの、飛行の道すじを説明した章を開いてみてください[3]。ホーボルトの手紙は、NASAの歴史書『Enchanted Rendezvous』に載っています[1]。

確かめられることが2つある。

  1. 月は星々の間を1日に約13度東へ動く(360度÷27.32日=約13.2度、自分の計算)。同じ時刻に2晩続けて、月と近くの明るい星の位置を見て、こぶし1つ分(約10度)より少し大きくずれるかを確かめる。曇りや月の出ない夜は無理をしない。月の出の時刻は月の出のメモに書いた。
  2. 着陸の燃料の残り秒数を、資料どうしで読み比べる。NASAの「50 Years Ago」のページ[7]に出てくる警告灯の時点の数字と、ほかの資料に出てくる着陸時点の数字を、着陸のどの時点のものか、時点ごとに並べ直してみる。

一次資料としては、アポロ11号のプレスキットの飛行経路の章[3]と、SP-4504のホーボルトの手紙の部分[1]から入るのがよい。

しらべた ところ

参考にした情報源

参考にした情報源

出典について:NASA・NSSDC(NASAの国立宇宙科学データセンター)・NTRS(NASAの技術報告書サーバー)・スミソニアン国立航空宇宙博物館は、公的機関の資料です。

  1. NASA SP-4504「Enchanted Rendezvous: John C. Houbolt and the Genesis of the Lunar-Orbit Rendezvous Concept」。 https://www.nasa.gov/wp-content/uploads/2023/04/sp-4504-enchanted-rendezvous.pdf (1961年の目標、3つの案、ホーボルトの手紙、1962年の決定)
  2. NASA History「60 Years Ago: NASA Decides on Lunar Orbit Rendezvous for Moon Landing」。 https://www.nasa.gov/history/60-years-ago-nasa-decides-on-lunar-orbit-rendezvous-for-moon-landing (月周回ランデブーの3つの利点)
  3. NASA「Apollo 11 Press Kit」(1969年6月26日)。 https://www.nasa.gov/wp-content/uploads/static/apollo50th/pdf/A11_PressKit.pdf (飛行前の計画値。ロケット、駐機軌道、月への飛行、司令船、熱シールド)
  4. NASA「Apollo 11 Mission Overview」。 https://www.nasa.gov/history/apollo-11-mission-overview/ (打ち上げ、月への加速、自由帰還軌道、降下、月面滞在、離陸、ドッキング)
  5. NASA NSSDC「Apollo 11 Command and Service Module」。 https://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraft/display.action?id=1969-059A (月周回投入、地球帰還の噴射、着水、全飛行時間)
  6. NASA NSSDC「Apollo 11 Lunar Module / EASEP」。 https://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraft/display.action?id=1969-059C (月着陸船の重さ、上昇段のその後)
  7. NASA「50 Years Ago: One Small Step, One Giant Leap」。 https://www.nasa.gov/feature/50-years-ago-one-small-step-one-giant-leap (着陸の日時、1202警報、手動操縦、燃料警告灯)
  8. NASA NSSDC「Moon Fact Sheet」。 https://nssdc.gsfc.nasa.gov/planetary/factsheet/moonfact.html (月までの距離、公転の速さと周期)
  9. NASA NTRS「Harmon, lunar ascent engine」(学会論文)。 https://ntrs.nasa.gov/citations/20100027321 (上昇エンジンが1基で予備がなかったこと)
  10. スミソニアン国立航空宇宙博物館「Michael Collins: orbiting alone」。 https://airandspace.si.edu/amp-stories/michael-collins/index.html (コリンズの月の裏側での約47分と、本人の言葉)
  11. スミソニアン国立航空宇宙博物館「The Apollo Guidance Computer and the First Silicon Chips」。 https://airandspace.si.edu/stories/editorial/apollo-guidance-computer-and-first-silicon-chips (船上の計算機と地上の計算機の役割)
  12. NASA NSSDC「Apollo 13 Command and Service Module」。 https://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraft/display.action?id=1970-029A (アポロ13号の酸素タンク爆発と帰還)
  13. NASA「Apollo 8」。 https://www.nasa.gov/mission/apollo-8/ (アポロ8号の月周回)
  14. NASA「The Apollo Program」。 https://www.nasa.gov/the-apollo-program/ (月面着陸の回数と、月面を歩いた人数)

なおした ところ

更新履歴

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