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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

タイプライターは だれの ために うまれたの?

タイプライターは誰のために生まれたのか ── 目の見えない友人への贈り物から、日本語の難題まで

タイプライターの歴史 ── 19世紀初めの試作、1870年代の量産、和文タイプライター、パソコンへの交代

分野:技術・歴史

字を 1つずつ 打って、印刷いんさつの ように きれいに そろえる 機械きかいが あります。タイプライターです。

この 機械きかいは、はじめ、だれの ために 作られたのでしょう。その 話は、手紙を 書きたい 人の ところから はじまります[1]。

キーを押すと、印刷したようにそろった字が紙に並ぶ。タイプライターは、そういう機械です。ところが、最初の試作機は、字がきれいに読めるようにという理由だけで作られたのではなかったようです。

誰のための機械だったのか。売れなかった時期、有名な作家の自慢話、そして日本語という大きな壁まで、資料を読みくらべながら順にたどります。

タイプライターの起源は、19世紀初めのイタリアに求められる。目の見えない友人のために作られた機械が最初期の例とされるが、その年は資料によって1802年、1808年などと割れる[1][2]。

この機械が、なぜ1870年代に事業として成り立ったのか。デンマーク、アメリカ、日本の3つの流れと、パソコンへの交代までを、資料の食いちがいも含めて整理する。

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1. さいしょの 機械きかいは、だれの ため?

1. 目の見えない友人のために

1. 1801〜1808年 ── トゥッリの機械と年代の食いちがい

むかし、イタリアに トゥッリと いう 人が いました。目の 見えない ともだちの 女の 人の ために、字を 打つ 機械きかいを 作ったと いわれます[1]。

作った 年は、はっきり しません。1801年から 1808年の あいだと いう 資料しりょうも あれば、1808年と いう 資料しりょうも あります。だから「1800年代の はじめ」と 考えて おきます。1808年の 機械きかいは、ほんとうに 動いた いちばん 古い ものと される ことが あります[2]。

イタリアのペレグリーノ・トゥッリは、1808年に、目の見えない伯爵夫人のために、字を打つ機械を作ったとされます[2]。別の資料には、夫人はカロリーナ・ファントーニという名前で、トゥッリの友人だったとあります[1]。

作られた年は、資料によって1802年、1808年と割れています。この記事では「19世紀の初め」としておきます。1808年の機械は、実際に動いたことが確かめられた最初のタイプライターとされることがあります[2]。

資料で分かるのは、目の見えない人のために作られたとされるところまでです。その後の使われ方までは、述べられていません。

イタリアのペレグリーノ・トゥッリ(Pellegrino Turri)は、盲目の伯爵夫人のために、1808年に文字を打つ機械を作ったとされる[2]。Wikipediaは、この夫人を友人のカロリーナ・ファントーニ(Carolina Fantoni)とし、製作を1801〜1808年の間と書く[1]。

年代は資料で割れる。Wikipediaは1801〜1808年の幅で書き、別の資料は1808年を挙げ、この機械を実際に動いたことが確認できる最初のタイプライターとする[2]。単年で断定できないので、本稿では「19世紀初め」とする。

最初期のタイプライターは、目の見えない人のために作られたとされる。これらの資料が示すのは製作の目的と動作の確認までで、その後の使われ方や、後の機械との直接のつながりまでは述べていない。

2. 「はりさし」のような 機械きかいって?

2. ピンクッションのような「ライティング・ボール」

2. 1865〜1870年 ── ハンセンの「ライティング・ボール」と、商業生産の最初の試み

1865年、デンマークの 牧師ぼくしラスムス・マリング=ハンセンが、ふしぎな かたちの 機械きかいを 作りました[3]。

丸い かたちの ところに、キーが 52こ ならんで います。まるで、はりを さす 大きな クッションの ようです。名前は「ライティング・ボール」。1870年に 特許とっきょが とられ、お店に 出る ために 作られた さいしょの タイプライターと されます。

けれども 手作りで、作られた 数は 少なめでした。のちに、たくさん 作れる 機械きかいに おいこされて しまいます[2]。

ドイツの 有名な 考える 人ニーチェは、1882年に この 機械きかいを 買いました。でも、うまく 使えなかったと つたえられます。

デンマークのラスムス・マリング=ハンセンは、王立聾唖学院の校長を務めた牧師です。1865年に、真鍮の半球に52個のキーを並べた機械を考えました。その形は、大きなピンクッションにたとえられます[3]。

この「ライティング・ボール」は、1870年に特許がとられて生産が始まり、商品として作られた最初のタイプライターとされています。ただ、手作りで少数しか作られず、のちに量産の機械に市場で追い越されました[3][2]。

ドイツの哲学者ニーチェは、1882年にこの機械を買いましたが、使いこなせなかったといわれます。彼は同じ年、「私たちの筆記具は私たちの思考に加わる」と書きました[3]。道具が考え方に影響する、という気づきの言葉です。

デンマークのラスムス・マリング=ハンセンは、王立聾唖学院の校長を務めた牧師で、1865年に「ライティング・ボール」を発明した。真鍮の半球に52個のキーが並ぶ形で、巨大なピンクッションにたとえられる。1870年に特許を得て生産が始まり、商業生産された最初のタイプライターとされる[3]。

ただし手作りで少数しか作られず、量産型のショールズ&グリデン機(次章)に市場で追い越された[3][2]。「世界初の量産機」ではない点に注意が要る。

ニーチェ(Nietzsche)は1882年にこの機械を購入したが、使いこなせなかったとされる。同年に「私たちの筆記具は私たちの思考に加わる」と書いた[3]。書く道具が考え方に及ぼす影響への関心は、19世紀の末にすでに文章に現れていたことになる。

3. たくさん 作られる ように なったのは?

3. 銃を作る会社が、タイプライターを売りはじめた

3. 1868年の特許と1874年の発売 ── ショールズ&グリデン機とレミントン社

アメリカでは、1868年に 3人の 男の 人が 特許とっきょを とりました。ショールズさん、グリデンさん、ソウルさんです[4]。

特許とっきょの しょるいには、「ペンの かわりに 字の はんこで、ふつうの 手紙を 書く」ための 機械きかいと 書いて あります。キーは ピアノのように ならびます[4]。

この 機械きかいを、てっぽうを 作って いた 会社が 引きうけ、ニューヨーク州の 町で 作りました。1874年に 売りだされた ときの ねだんは、125ドル。ひとりの 人が 1年で かせぐ お金 ほど だったと いわれます[5]。

ところが、その 年の 12月までに 売れたのは 400だいほど でした。高くて、こわれる ことも 多かったからです[5]。

そのあと 少しずつ よく なり、1877年までに 4000だいに なりました[5]。キーの ならべ方の 話は、べつの ノートに あります。

アメリカのミルウォーキーで、C・レイサム・ショールズ、カルロス・グリデン、サミュエル・ソウルの3人が、1868年6月23日にタイプライターの改良に関する特許を得ました[4]。特許の文書は、この機械をペンの代わりに活字で普通の通信文を書くためのものと説明しています。キーはピアノのように並び、紙をのせた台が動いて字と字、行と行のあいだを送り、インクリボンを使います[4]。

この機械を引き受けたのは、事業の転換を図っていた銃器メーカーのレミントン社です。ニューヨーク州のイリオンで作られ、1874年に市場に出ました。価格は約125ドルで、当時の1人の年収ほどとされます[5]。

売れ行きは、すぐには伸びませんでした。1874年12月までに約400台、値段が高く、不具合も多かったためです。改良を重ねて1877年までに4,000台になり、1878年に販売を外部に任せてから、商業的に成功しました[5]。

キーの並び方(QWERTY)がなぜああなったのかは、別のノートで取り上げています。

C・レイサム・ショールズ(Sholes)、カルロス・グリデン(Glidden)、サミュエル・ソウル(Soule)の3人は、ミルウォーキー在住で、1868年6月23日に米国特許79,265「タイプライティング機械の改良」を得た[4]。文書はこの機械を「ペンの代わりに活字で通常の通信文を書く」ためのものと述べ、ピアノ状に並ぶキー、字間・行間を送る紙台、インクリボンを記す。ただし特許時の内部機構は、後の製品とは異なる[4]。

この機械を取得したのは、事業の転換を図っていた銃器メーカーのE・レミントン社(Remington)で、ニューヨーク州イリオン(Ilion)で生産した。市場に出たのは1874年7月1日で、価格は約125ドル、当時の1人当たり年収ほどとされる。生産開始日は1873年3月説と9月説があり、本稿では「1873年ごろ」とする[5]。

初動は鈍かった。1874年12月までの販売は約400台にとどまり、1877年までに約4,000台。1878年に販売を外部に任せてから、商業的に成功した[5]。QWERTY配列の由来は別のノートで扱っている。

4. 有名な 作家は、どう 使った?

4. マーク・トウェインの「世界初」の自慢

4. トウェインの主張と研究者の指摘 ── 「文学に使った世界初の人」は本当か

『トム・ソーヤーの ぼうけん』で 知られる 作家、マーク・トウェインも、この 機械きかいの 使い手でした。1874年の 12月ごろから、手紙を 打つように なったと いいます[6]。

のちに トウェインは、「文学に タイプの 機械きかいを 使ったのは、世界で 自分が さいしょだ」と 書きました。

ところが、タイプライターの 研究者は、ちがうと 言います。さいしょに タイプで 書かれた 原こうに なった 本は『ミシシッピの 生活』(1882年)で、しかも トウェイン 自身が 打った わけでは ないと いうのです[6]。

本人の 自まんと 研究者の 話が ちがう。

『トム・ソーヤーの冒険』で知られる作家マーク・トウェインは、1874年12月ごろから手紙をタイプで打ちはじめました[6]。この機械を「好奇心を生む小さないたずら者」と呼んだとも伝えられます[5]。

のちに自伝で、トウェインは「文学にタイプの機械を応用した世界初の人間は自分だ」と主張しました。ところが、タイプライター研究者のダリル・レーは、最初にタイプ原稿になった本は『ミシシッピの生活』(1882年)で、トウェイン自身が打ったわけではない、と指摘しています[6]。

そのため「トウェインが世界初」とは、本人の主張にとどまり、そのまま事実としては書けません。記憶や自慢話が、記録と食いちがう例です。

マーク・トウェイン(Twain)は、1874年12月ごろから手紙をタイプで打ち始めたとされる[6]。初期の機械を「好奇心を生む小さないたずら者」と呼んだと伝わるが、これは検索結果の引用に基づく記述で、原文までは確かめていない[5]。

のちの自伝で彼は「文学にタイプ機を応用した世界初の人間は自分だ」と主張した。これに対し研究者ダリル・レーは、最初にタイプ原稿になった本は『ミシシッピの生活』(1882年)で、トウェイン自身が打ったものではないと反論している[6]。

したがって「トウェインが世界初」は本人の主張であり、確定した事実ではない。本人の回想と第三者の調査が食い違う場合の、資料の扱い方の例になる。

5. 打った 字が 見える ように なったのは?

5. 打った字が見えない機械から、見える機械へ

5. ブラインド式から前打ち式へ ── 1878年のシフトキーと1890年代の変化

さいしょの ころの 機械きかいは、打った 字が 見えない ものでした。「ブラインド式」と よばれます[7]。

1891年に、打った 字が すぐ 見える 機械きかいが 売りだされ、1896年には アンダーウッドという 会社の 機械きかいが 出ました。これが 60年 より、ふつうの かたちに なったと いわれます[7]。

1878年には、1つの キーで 大文字と 小文字を 打ち分ける しくみも できました[7]。

そのころ、タイプを 打つ しごとを する 女の 人の ことを「タイプライター」と よぶ ことも ありました。機械きかいと しごとが、同じ 名前だったのです[2]。

初期の機械は、打った字がその場で見えない「ブラインド式」でした[7]。

1891年のドーハティ・ビジブルが、前打ち式の最初の量産機とされます。1896年には、アンダーウッド社がワグナーの前打ち式の設計を商品化し、その機械は60年以上、標準とされました[7]。

1878年のレミントンNo.2は、シフトキーを加え、1つのキーで大文字と小文字を打ち分けられるようにしました[7]。

この頃には、タイプを打つ仕事をする女性のことも「タイプライター」と呼ぶ場合がありました。機械と職業が同じ名前だったのです[2]。この資料が述べているのは名前の重なりまでで、仕事の中身や広がりには触れていません。

初期の機械は、打った字が見えない「ブラインド式」だった。1891年のドーハティ・ビジブル(Daugherty Visible)が、前打ち式の最初の量産機とされる。1896年にはアンダーウッド(Underwood)が、ワグナーの前打ち式を商品化し、その機械は60年以上、標準とされた[7]。

1878年のレミントンNo.2で、シフトキーが加わり、1つのキーで大文字・小文字を打てるようになった[7]。同じ頃、タイプを打つ女性が「タイプライター」と呼ばれた例があり、機械と人が同じ名前だった[2]。

資料が確かめさせるのは名称の重なりまでで、この職業の広がりや待遇までは述べていない。

6. 日本語は、なにが たいへん?

6. 数千字をどう打つか ── 杉本京太の和文タイプライター

6. 1915年の特許 ── 和文タイプライターと「活字盤」という解

日本語は、ひらがなや カタカナの ほかに、たくさんの 漢字を 使います。字の 数は 千ごえ。1字に キー 1つでは、キーが たりません。

そこで 大正4年(1915年)、すぎもと きょうたさんが「和文タイプライター」を 発明し、特許とっきょを とりました[8]。

この 機械きかいには、字の はんこが たくさん 入った ばんが あります。ばんを 上下 左右に 動かして、ほしい 字を 見つけ、1字ずつ 紙に 打ちます[9]。字を さがす ために、手元を 見ながら 打ちます。だから、じょうずに なるには 練習が いりました。

日本語は、ひらがな・カタカナに加えて多くの漢字を使うため、1字に1つのキーでは足りません。杉本京太(1882〜1972)は、大正4(1915)年に和文タイプライターを発明し、特許を取得しました[8]。

その仕組みは、活字を並べた盤を上下左右に動かし、ほしい字を拾い上げる機構で、インクリボン越しに紙へ1字ずつ打つ、というものです[9]。文字盤を見ながら字を探すので、手元を見ずには打てず、熟練が要りました。

活字は2000字をゆうに超えるといわれ、扱いは職人芸でした。字数は資料によって1000〜2000超と幅があり、1つに決められません[10]。杉本は1985年、特許制度100周年で「日本の発明家十傑」に選ばれました[10]。

日本語は、仮名に加えて数千字の漢字を使うため、1字1キーの配置は成り立たない。杉本京太(すぎもときょうた、1882〜1972)は、1915(大正4)年に和文タイプライターを発明し、特許を取得した[8]。

機構は、活字を入れた盤を上下左右に動かし、拾い上げ機構でインクリボン越しに紙へ1字ずつ打つ。文字盤を見て探すため手元を見ずには打てず、熟練を要する[9]。ただしこの機構の説明は検索結果の抜粋に基づく。

活字は2000字をゆうに超えるという記事がある一方、資料によっては1000〜2000超と幅があり、字数は確定できない[10]。杉本は1985年、特許制度100周年で「日本の発明家十傑」に選ばれた[10]。特許(1915年)と実用化の時期の差については、今回の資料では確認できていないため触れない。

7. タイプライターは、どう なった?

7. ワープロとパソコンへの交代

7. 1978年のJW-10から、1999年の生産終了まで

日本では、日本語の ワープロが 出て、安く なって いくと、和文タイプライターは 1980年代から すがたを けして いきました[9]。とうしばの JW-10は 1978年の ワープロです。

作るのは 1999年5月まで つづきました。2018年の ニュースでは、京都や 北海道の 小さな 町の 役所で、まだ 使って いる ところが あると つたえて います[10]。今も 同じかは、分かりません。

アメリカでも、パソコンや プリンターが ふえて、タイプライターは ほとんど 入れかわりました[1]。

日本語ワープロが安くなるにつれ、和文タイプライターは1980年代から姿を消していきました。東芝のJW-10は1978年の製品です[9]。生産は1999年5月まで続き、2018年の記事では、京都府笠置町、北海道夕張市など一部の役所でなお使われていると伝えられています[10]。今も同じかどうかは分かりません。

アメリカでは、パソコン、DTP、安くて高品質なレーザーやインクジェットのプリンターが広まり、タイプライターはおおむね置き換えられました[1]。

目の見えない友人への贈り物から始まった機械は、約200年で、画面の上のキーボードにその役目を引き渡した、と見ることができます。

日本語ワープロの価格が下がるにつれ、和文タイプライターは1980年代から姿を消していった。東芝JW-10は1978年の製品である[9]。ただしこの記述は検索結果の抜粋に基づく。生産は1999年5月まで続き、2018年の記事は京都府笠置町、北海道夕張市など一部の役所でなお使われていると伝える[10]。これは2018年時点の話で、現在の状況は本稿では確認していない。

米国では、パソコン、DTP、安価で高品質なレーザー・インクジェットプリンターの普及で、タイプライターはおおむね置き換えられた[1]。

8. じぶんでも たしかめて みたく なったら

8. 自分でも調べてみたくなったら

8. 自分でも調べてみたくなったら

やってみよう。紙に ひらがなを 50こ ならべた 表を 作ります。この 表を 見ながら、きょうの 日記の 1ぎょうを、指で 1字ずつ さして 書きうつして みましょう。ぜんぶ 書き終わるまで、何分 かかりましたか。

つぎに、漢字を 5つ だけ 足して、同じ ことを して みます。字が 多く なるほど、さがす のが たいへんに なる ことが 分かります。

おうちの 人に、むかしの しょるいで タイプで 打った 字を 見た ことが あるか、聞いて みるのも おもしろいです。

やってみよう。紙にひらがな50字の表を作り、その表を見ながら、日記の1行を指で1字ずつさして書きうつして、かかった時間をはかってみます。次に漢字を5つ足して、同じことをします。字の数がふえると探す時間がどれだけ延びるかで、和文タイプライターの苦労が少し体験できます。

家族や学校の先生に、昔の書類でタイプ文字を見たことがあるか聞いてみるのもよさそうです。杉本京太については、国立国会図書館の人物紹介ページを読むと、生涯と発明の年を確かめられます[8]。

確かめられることが、資料の側にも身近にもある。

  1. 国立国会図書館「近代日本人の肖像」の杉本京太の項目[8]を読み、特許(1915年)以後の実用化について、別の資料で確かめる。今回の資料では、両者の間の年数の差は確認できていない。
  2. ひらがな50字の表を作り、日記1行を「1字ずつ指でさして書きうつす」のにかかる時間をはかる。漢字を5つ足して、時間の伸びを比べる。和文タイプライターの操作の大変さが、想像しやすくなる。

しらべた ところ

参考にした情報源

参考にした情報源

出典について:Wikipedia、研究者の解説ページ、博物館の解説、特許文書、国立国会図書館の人物紹介、記事を突き合わせて使った。年代や字数など資料で食いちがう点は、本文にそのまま書いた。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。

  1. Wikipedia「Typewriter」。 https://en.wikipedia.org/wiki/Typewriter (トゥッリの機械、パソコン時代の交代について)
  2. Richard Polt「A Brief History of Typewriters」(Xavier大学)。 https://site.xavier.edu/polt/typewriters/tw-history.html (1808年の機械、ハンセン機と量産機の関係、「タイプライター」という呼び名について)
  3. Wikipedia「Hansen Writing Ball」。 https://en.wikipedia.org/wiki/Hansen_Writing_Ball (ライティング・ボール、ニーチェについて)
  4. Google Patents「US79265A Improvement in Type-Writing Machines」。 https://patents.google.com/patent/US79265 (1868年の特許の内容について)
  5. Wikipedia「Sholes and Glidden typewriter」。 https://en.wikipedia.org/wiki/Sholes_and_Glidden_typewriter (レミントン社での生産、価格、販売台数、トウェインの言葉について)
  6. Virginia大学 Mark Twain Project「Mark Twain and the Typewriter」。 https://twain.lib.virginia.edu/yankee/cymach4.html (トウェインの主張と研究者の指摘について)
  7. Heinz Nixdorf MuseumsForum「Typewriters: From the idea to a standard」。 https://www.hnf.de/en/permanent-exhibition/exhibition-areas/the-mechanization-of-information-technology/typewriters-from-the-idea-to-a-standard.html (前打ち式、アンダーウッド、シフトキーについて)
  8. 国立国会図書館「近代日本人の肖像 杉本京太」。 https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/6514 (1915年の発明と特許について)
  9. Wikipedia日本語版「和文タイプライター」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/和文タイプライター (和文タイプライターの仕組み、ワープロによる交代について)
  10. ねとらぼ(ITmedia)2018年の記事。 https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1807/08/news007.html (活字の数、杉本の選出、生産終了と役所での使用について)

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