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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

120ねん いじょう まえの 歌声が、いまも きける?

120年以上前のバチカンで録音された、高い男性の歌声 ── 今も聴けるカストラートの声

1902年のバチカン録音とカストラート ── 高い大人の声はなぜ求められ、どう終わり、今に何が残ったか

分野:歴史・文化

いまから 120ねん いじょう まえ、バチカンで、ある 男の 人の 歌声が ろくおん されました。その 声は、いまも きく ことが できます。

でも、どうして 大人の 男の 人が、女の 人の ような 高い 声で 歌って いたのでしょう。この メモを よむと、その わけと、いま その 歌を 歌って いる 人が わかります。

1902年、バチカンで録音された男性歌手の歌声が、いまも聴けます。この歌手は、カストラートと呼ばれる、大人になっても高い声で歌う人たちの1人で、ソロの録音としてはほぼ唯一とされます。

なぜ、大人の男性が高い声で歌う必要があったのでしょうか。この録音の背景と、その後に歌が受けつがれていく道すじが分かります。

1902年4月、ロンドンのグラモフォン社の録音技師がバチカンを訪れ、システィーナ礼拝堂合唱団を録音した。その中の4面は、アレッサンドロ・モレスキという歌手のソロで、カストラートのソロ録音としてほぼ唯一のものとされる[2]。

では、なぜ大人の男性に高い声が求められたのか。その背景(女性が歌えない決まりと声変わり)、1903年の転機、現代のカウンターテナーまでの流れが分かる。

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1. むかしの 声が、のこって いるの?

1. 100年以上前の声が、どうして残っているのか

1. モレスキの録音 ── 1902年と1904年にバチカンで残された声

1902ねんの 春、イギリスの 会社の 人が、バチカンに きました。ろくおんの きかいを もって、バチカンの 教会の 合しょうだんの 声を とったのです[2]。

とった 人は、ガイスバーク兄弟と いう 2人でした。その うち、アレッサンドロ・モレスキと いう 歌い手が 1人で 歌った ものが、4つ のこりました[2]。

モレスキは、カストラートと よばれる 歌い手の 1人です。カストラートで 1人で 歌った ろくおんが のこって いるのは、ほとんど この 人だけと いわれます[2]。

ただし この ろくおんは、モレスキの ばんねんに ちかい ころの ものです。むかし いちばん さかんだった ころの 名人の 声を、そのまま あらわして いるとは いえない と、せつめい されて います[3]。

では、なぜ 大人の 男の 人が、こんなに 高い 声で 歌って いたのでしょう。

1902年4月3日と5日、ロンドンのグラモフォン社のガイスバーク兄弟が、バチカンでシスティーナ礼拝堂合唱団を録音しました。使える録音は18面で、そのうちの4面が、アレッサンドロ・モレスキ(1858〜1922)のソロでした。1904年にも追加で録音されています[2]。

モレスキは、カストラートでほぼ唯一、ソロの録音を残した歌手とされます[2]。日本の辞典も、最後のカストラートとして彼の名を挙げ、その声はレコードに記録されているとしています[1]。

ただし、全盛期の声ではない

録音されたのは、モレスキの晩年にあたる時期です。18世紀の最盛期の名人たちの声を、そのまま代表するとはいえない、と解説されています[3]。それでも、カストラートの歌声を、本人の声として聴ける貴重な手がかりです。

では、なぜ大人の男性が、これほど高い声で歌っていたのでしょうか。

グラモフォン社の録音は、1902年4月3日と5日にガイスバーク兄弟(Will & Fred Gaisberg)が行った。使える録音は18面で、モレスキ(1858〜1922)のソロは4面。1904年にも追加録音がある[2]。ソロを残したカストラートはほぼモレスキだけだとされ、日本の辞典は彼を最後のカストラートとしている[1]。ただし英語の資料は「最後」ではなく「ソロ録音を残した唯一の人」という書き方で、表現に差がある。

もう1つ注意がある。この録音はモレスキの晩年のものであり、18世紀の最盛期の名手の声を代表するとはいえない、と解説されている[3]。録音という資料は、残った声が本物であっても、残らなかった時代の声は教えてくれない。では、なぜ成人男性が高い声を求められたのか。

2. 女の 人が 歌えない 教会で、高い 声は だれが 歌った?

2. 女性が歌えない決まりのなかで、高い声はだれが歌ったのか

2. 女性の歌唱が制限された教会と舞台 ── 少年の声変わりという壁

ヨーロッパの 教会の 合しょうでは、むかし、女の 人が 歌う ことが みとめられて いませんでした。そこで 高い 声の ところは、男の子が 歌いました[4]。

ところが、男の子は 大きく なると 声かわりを します。声かわりが おわると、声は 1オクターブ ほど ひくく なります[9]。せっかく 歌が じょうずに なっても、高い 声が 出せなくなるのです。

イタリアの 一部の 土地では、ぶたいでも 女の 人が 歌えない 決まりが ありました。ローマきょうこうが おさめる 土地です[1]。

だから 大人に なっても 高い 声で 歌える 人が、ほしがられました。

地域や時代によってちがいますが、西洋の教会の合唱では、女性が歌うことが認められていない時代がありました。そのため、高い声のパートは少年が受け持っていました[4]。

ところが、少年の声は声変わりで低くなります。男の子は声変わりが終わると、始まる前より約1オクターブ低くなります[9]。上手になったころに、高い声を失うことになります。

舞台にも似た決まりがありました。ローマ教皇が治める教皇領では、女性が舞台に立つことが禁じられていたため、17〜18世紀のイタリアのオペラでカストラートが大流行したとされます[1]。ただし、これはヨーロッパ全体の決まりではなく、地域の話です。

声変わりの仕組みは、声変わりのメモで詳しく書いています。

地域・時代で差はあるが、西洋の教会音楽では女性がその役割を担えない時期があり、高音部(トレブルなど)は少年が受け持った[4]。ところが少年の声は声変わりで失われる。思春期に喉頭の骨格が大きくなって前に出ると、声帯が長く厚くなり、男子は終わると始まる前より約1オクターブ低くなる[9]。大人の高さに落ち着くのは始まりから2〜3年後とされる[10]。

バッハの時代の少年の声変わりの年齢は、研究で数字が揺れている。S.ドーは1970年に平均17歳ごろと結論したが、のちの研究は2年ほど多く見積もった可能性や、声が変わった後もしばらくソプラノを歌った可能性を示す[11]。「昔は18歳まで変わらなかった」とは言い切れない。

舞台については、教皇領では女性が舞台に立つことが禁じられていたため、17〜18世紀イタリアのオペラでカストラートが大流行した[1]。地域の事情であり、ヨーロッパ全域の決まりではない。声変わりの仕組みは声変わりのメモにある。

3. 声かわりで なくす 高い 声を、どう のこした?

3. 声変わりで失う高い声を、どう保とうとしたのか

3. カストラートの声は、どう説明されているか

カストラートは、子どもの ころの 高い 声を 大人に なっても もてるように、少年の ころに、子どもを つくる はたらきを なくす しゅじゅつを うけた 男の 人たちです[1]。16〜18せいきの イタリアで さかんでした。いちばん さかんな ころは、1650ねんごろから 100ねんほどと いわれます[1]。

その 声は、とくべつだったと いわれます。のどの 声を 出す ところは 子どもの ように 小さいので、高い 声が 出ます。でも 体は 大人なので、息の 力が 強いのです[5]。

ただし、なぜ そんな 声に なるのかは、はっきり わかって いない ところも あります。

カストラートは、少年期の声を保つために去勢した男性歌手です。16〜18世紀のイタリアで盛んで、全盛期は1650年ごろから約1世紀とされます[1]。

その声が特別だったのは、子どものように小さな声帯の高い音域に、大人の肺活量と胸の響きが組み合わさっていたため、と説明されることがあります[5]。広い範囲の音を、よく動く声で歌えたといわれます。ただし「肋骨が長く肺活量が大きい」などの説明は仮説で、仕組みは確定していません。

声変わりで失われる高い声を、大人の歌い手に求める。カストラートは、高い声の大人の歌い手を求めた教会や舞台の事情と、女性が歌えない決まりの中で生まれた歌い手でした。

カストラートは、少年期の声を保つために去勢した男性歌手で、16〜18世紀のイタリアで盛んだった。全盛期は1650年ごろから約1世紀とされる[1]。

声の特徴は、子どものように小さな声帯による高い音域と、大人の肺活量・胸の響きの組み合わせにあったとされ、声は並外れて柔軟だったという[5]。ただし「肋骨が長く肺活量が大きい」という説明は仮説的で、断定できない。声帯の長さと高さの関係は声の高さのメモで扱っている。

では、この声で歌った人たちの中で、最も有名なのはだれか。

4. いちばん 有名な 歌い手は、だれ?

4. 最も有名なカストラート、ファリネッリは何をした人か

4. ファリネッリ ── 舞台を退き、スペイン宮廷に22年仕えた歌手

いちばん 有名な カストラートは、ファリネッリです。1705ねんに うまれ、1782ねんに なくなりました[6]。

1734ねんに イギリスの ロンドンへ いき、1737ねんには スペインの 宮てい(王さまの いえ)から まねかれました。そして ぶたいから しりぞき、22ねんかん、そこで 歌う しごとを しました[6]。

ファリネッリは、トランペットの 人と、長い 音の 長さを きそった という 話も つたえられます。ただし、この 話は、本当かどうか たしかめられて いない むかしから つたわる 話です[6]。

最も有名なカストラートは、ファリネッリ(本名カルロ・ブロスキ、1705〜1782)です[6]。1734年にロンドンへ行き、人気を集めました。ところが1737年、ロンドンで契約中だった夏に、スペイン宮廷から招きを受けます。彼は舞台を退き、その後22年間、宮廷に仕えました[6]。

有名な逸話に、トランペット奏者と長い音の保ちくらべをしたという話があります。ただ、この話は資料上、確かめられない伝説とされています[6]。

音域は、F3からD6までとする説と、3.5オクターブとする説があり、一致していません。広い範囲の声で知られた、という程度にとどめておきます[6]。

ファリネッリ(本名カルロ・ブロスキ、1705〜1782)は、最も有名なカストラートとされる[6]。ロンドンに渡ったのは1734年で、1737年夏にはまだ契約中だったが、スペイン宮廷から訪問を求められた。結果として舞台から退き、約22年、宮廷に仕えた[6]。

トランペット奏者と長い音を競ったという有名な話は、資料上、確かめられないとされる。音域もF3〜D6(約2.5オクターブ)とする説と3.5オクターブとする説があり、出典間で一致しない[6]。このため、記事では音域の数字を確定的には扱わない。

5. 1903ねん、なにが かわったの?

5. 1903年、教会の決まりが変わったとき

5. 1903年の自発教令 ── 高い声は少年が受け持つと定められた

1903ねんの 11月、ローマきょうこうは、教会の 音楽の きまりを 出しました。その なかで、高い 声の ところは 男の子が 歌う ことに なりました[7]。

この きまりで、教会の 音楽では、高い 声を 大人の 男の 人が 歌う 役わりは おわった とされます[7]。日本の じてんも、ローマきょうこうが 1903ねんに カストラートを きんしした と かいて います[1]。

1902ねんの ろくおんは、この きまりが 出る 1ねん まえの ものでした。

1903年11月22日、ローマ教皇ピウス10世は、教会音楽に関する自発教令を出しました。ソプラノやコントラルトのような高い声のパートは、教会の古い習わしにしたがって少年が受け持つよう定めたものです[7]。これで教会音楽でのカストラートの役割は終わったとされます[7]。

日本の辞典も、教皇が1903年にカストラートを禁止したと書いています[1]。つまり、モレスキの1902年の録音は、この決まりの前年に行われたことになります。

では、昔の曲は、そのまま消えてしまったのでしょうか。

ピウス10世は1903年11月22日の自発教令(Tra le sollecitudini)で、ソプラノやコントラルトの高い声のパートは「最も古い教会の習わしにしたがい」少年が受け持つと定めた[7]。これにより教会音楽でのカストラートの役割は終わったとされる。日本の辞典も、教皇が1903年にカストラートを禁止したと述べる[1]。

このため、1902年の録音は決まりの前年にあたる。最後に近い歌い手の声が、制度が変わる直前に記録されたことになる。では、カストラートのために書かれた曲は、その後どうなったのか。

6. いま、むかしの 歌を 歌って いるのは?

6. 今、カストラートのための曲を歌っているのは誰か

6. カウンターテナーの復興 ── 裏声で歌い継がれる役

いまは、「カウンターテナー」と いう 歌い手が、その 曲を 歌って います。おもに、ファルセット(うら声)で 高い 声を 出す 男の 人です[8]。

20せいきには、アルフレッド・デラーと いう 歌い手が、この 声を 広める 中心に なりました。イギリスの ブリテンは、1960ねんの オペラ『夏の 夜の ゆめ』の オーベロンの 役を、デラーの ために 書きました[8]。

ヘンデルの オペラ『リナルド』や『ジュリオ・チェーザレ』など、カストラートの ために 書かれた 役の 多くを、いまは カウンターテナーが 歌い、ろくおんして います[8]。

むかし 高い 声を 出す ために 少年の ころに しゅじゅつを うけた 人の 歌を、いまは、うら声と いう べつの 方ほうで 歌って いるのです。

現在のカウンターテナーは、主にファルセット(裏声)で高い声域を歌います[8]。20世紀には、アルフレッド・デラーが復興の先頭に立ちました。イギリスの作曲家ブリテンは、1960年のオペラ『夏の夜の夢』のオーベロン役を、デラーのために書いています[8]。

カストラートのために書かれた役の多くも、いまはカウンターテナーが歌い、録音しています。たとえばヘンデルの『リナルド』や『ジュリオ・チェーザレ』があります[8]。声の出し方は違っても、同じ曲を聴きくらべられる時代になりました。

ただし、カウンターテナーの声が、昔のカストラートの声と同じだというわけではありません。モレスキの1902年の録音が残っているので、その声は、聴いて確かめることができます[2]。

カウンターテナーは主にファルセットで高い声域を歌い、20世紀にはアルフレッド・デラーが復興の先頭に立った。ブリテンは1960年のオペラ『夏の夜の夢』のオーベロン役をデラーのために書いている[8]。

もともとカストラートのために書かれた役の多く(ヘンデルの『リナルド』『ジュリオ・チェーザレ』など)を、現在はカウンターテナーが歌い、録音している[8]。カストラートの声とファルセットの声は、出し方が異なる。同じ楽譜を異なる方法で歌う録音を並べて聴くことで、曲と声の関係が見えてくる。モレスキの録音が残っているのは、この比較の手がかりになる[2]。

自分でも しらべて みたく なったら

自分でも調べてみたくなったら

自分でも調べてみたくなったら

おうちの 人と いっしょに、小さな 声で やって みましょう。「ほー」と、ひくい 声から 高い 声へ、サイレンのように ゆっくり 上げて いきます。

とちゅうで 声が ひっくり返る 感じが したら、そこから 先が、うら声に ちかい 声です。のどが いたく なる 前に、やめましょう。

また、ヘンデルの『ジュリオ・チェーザレ』を、カウンターテナーが 歌った ろくおんが あります[8]。図書館や おんがくの おみせで、さがして みませんか。

小さな声で、低い声から高い声へ、サイレンのようにゆっくり上げていってみましょう。途中で声がひっくり返ったように感じたら、そこから先は、ファルセットと呼ばれる声に近いといえます。のどが痛くなる前にやめてください。

ヘンデルの『ジュリオ・チェーザレ』には、カウンターテナーが歌った録音があります[8]。図書館や音楽店で、ふつうの歌声との聴きくらべをしてみるのも、1つの楽しみ方です。

もっと読みたくなったら、日本語では[1]のコトバンクの項目が入り口になります。

声の切り替わりを体験するなら、小さな声で、低い音から高い音へ、サイレンのようにゆっくり上げてみる。途中で声がひっくり返る感じがあれば、そこから先がファルセットに近い声だ。のどが痛くなる前にやめること。

資料を読むなら、まず日本語のコトバンク[1]で全体像をつかむとよい。そのうえで、モレスキの録音そのものは、図書館や音楽店で歴史的録音の復刻盤を探してみるのも手だ。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

出典について:辞典、論文、新聞記事、百科事典(Wikipedia)を使った。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。

  1. コトバンク「カストラート」(デジタル大辞泉・日本大百科全書・改訂新版世界大百科事典)。https://kotobank.jp/word/カストラート-462695 (カストラートの定義、全盛期、教皇領の決まり、1903年の禁止、最後のカストラートについて)
  2. Wikipedia「Alessandro Moreschi」。https://en.wikipedia.org/wiki/Alessandro_Moreschi (1902年・1904年の録音について)
  3. The Scotsman「Castrato's note in history」。https://www.scotsman.com/news/world/castratos-note-in-history-2507751 (録音が最盛期の声を代表するとはいえないという解説)
  4. Wikipedia「Boys' choir」。https://en.wikipedia.org/wiki/Boys%27_choir (教会で少年が高い声を受け持ったことについて)
  5. Wikipedia「Castrato」。https://en.wikipedia.org/wiki/Castrato (カストラートの声の特徴について)
  6. Wikipedia「Farinelli」。https://en.wikipedia.org/wiki/Farinelli (ファリネッリの経歴と逸話について)
  7. Wikipedia「Tra le sollecitudini」。https://en.wikipedia.org/wiki/Tra_le_sollecitudini (1903年の自発教令について)
  8. Wikipedia「Countertenor」。https://en.wikipedia.org/wiki/Countertenor (現代のカウンターテナーと役の引きつぎについて)
  9. 相模原協同病院 病児保育室「みどりっこだより」vol.38。https://www.sagamiharahp.com/data/media/sagamihara_hp/page/outpatient/nurseryroom/green/202305midori.pdf (声変わりの仕組みと下がる高さについて)
  10. Wikipedia「Voice change」。https://en.wikipedia.org/wiki/Voice_change (声変わりの経過と安定する年齢について)
  11. Martin Ashley, Small Choirs, Big Boys and Bach (ABCD Choral Research Journal)。https://abcd.org.uk/wp-content/uploads/2024/11/Ashley-Small-Choirs-Big-Boys-and-Bach.pdf (バッハの時代の少年の声変わりの年齢について)

なおした ところ

更新履歴

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