1. CDの おおきさは、ほんとうに 「だい九」で きまったの?
1. 「第九が入るように」という話は、どこまで本当なのか
1. 直径12cm・約74分は、誰がどう決めたのか:「第九説」と別の見方
CDは、1980ねんに ソニーと フィリップスという 会社が きめた 規格です。直径は 12センチで、おんがくは ながくて 74ふんぐらい はいります。
どうして この 大きさに なったのでしょう。ソニーの 大賀典雄さんが「だい九が はいらなければ こまる」と いった、という はなしが ひろく つたえられて います。だい九を ぜんぶ 入れるには、これくらいの 時間が いる、という わけです。
ただし、ほんとうに そうだったかは、はっきり しません。フィリップスの ぎじゅつしゃは「だい九の はなしは、会社の せんでんの ような ものだった」と のべたそうです。
どちらにしても、おんがくの ために つくった 円盤が、そのあと べつの しごとを する ことに なります。
1980年、ソニーとフィリップスが音楽CDの規格を決めました。直径は12センチ、収められる長さは最大でおよそ74分です。この大きさについて、ソニーの大賀典雄さんが「第九が入らなくては」と主張して決まった、という話が広く伝えられています[1]。
ただし、この話は一つの見方にすぎません。フィリップス側の技術者が、ベートーベンの話は広報的な語りだった、と述べたという別の説もあります[1]。本当の決め手が何だったのかは、はっきり言い切れません。
はっきりしているのは、12センチ・約74分という器が、音楽の次の仕事を引き受けたことです。次の章では、その器に音ではなく文字や数字を入れたらどうなったかを見ます。
音楽用CDの規格は1980年にソニーとフィリップスが定め、直径12cm、収録は最大約74分となった。この大きさの由来として最も有名なのが、ソニーの大賀典雄が「第九が入らなくては」と主張した、という話である。参照した記事によれば、フィリップスはもともと11.5cmのディスクを望んでおり、約75分が必要だったために12cmになったとされる[1]。
ただし、第九説は逸話の域を出ない。同じ記事は、指揮者のカラヤンの名を挙げる資料もあること、フィリップス側の技術者イミンクが、ベートーベンの話は広報的な語りだったと述べたことも伝えている[1]。この記事は英語記事の翻訳であり、一次資料で確かめたものではない。そのため、本稿では「第九のため」と断定せず、「といわれる」にとどめる。
では、決まった12cmの円盤は、音楽以外の用途に使えたのか。次章では、音を入れるための円盤に文字や数字を入れる規格と、その容量を、フロッピーディスクとの比較で確かめる。
2. おんがくの えんばんに、ソフトを いれたら どれくらい はいる?
2. 音楽の円盤にデータを入れたら、フロッピー何枚ぶんになるのか
2. CD-ROMの規格と容量:650MBは、1.44MBのフロッピー何枚に当たるか
おんがくでは なく、もじや すうじを いれる ための CDが、CD-ROM(シーディーロム)です。きまりを かいた 本は「イエローブック」、つまり きいろい 本と よばれます。
650メガバイト がた の CD-ROMには、650メガバイトの データが はいります。メガバイトは、じょうほうの りょうの たんいです。そのころ よく つかわれた フロッピーディスクは、1まいで 1.44メガバイトでした。
650を 1.44で わると、およそ 450に なります。フロッピー 450まいぶんです。たとえば、フロッピーが ノートの 1ページなら、CD-ROMは 450ページの ぶあつい 本の ようです。
ただし ほんとうは、ページの ように ならんで いるわけでは ありません。あくまで、入る りょうの くらべです。
音楽CDの円盤に、音ではなくコンピュータのデータを入れる規格が、CD-ROMです。その規格書は表紙の色から「イエローブック」と呼ばれ、英語版のウィキペディアによると、1983年に作られ、1988年にISO/IEC 10149として標準化されました[2]。
12センチのディスクに入るのは、650MB型で650MB、80分型で約703MBです[2]。当時のフロッピーディスクは1枚1.44MBなので、650MB型で650÷1.44を計算すると約451。650MB型のCD-ROM1枚は、フロッピー約450枚ぶんに当たります。これは規格上の容量での計算で、実際の中身の詰め方で多少変わります。
この差は、ソフトを配る人にとって大きな意味を持ちます。たとえばWindows 95は、特別な形式(DMF)で普通より多く入るようにしたフロッピーでも13枚が必要でした[5]。その大半はCD-ROMで出荷されたとされます。ただし、この話はフロッピーの側から見たものなので、ここでは一例にとどめます。
1990年代なかばには、CD-ROMは当時の標準的なハードディスク(300〜500MB程度)より多くのデータを入れられたといいます[3]。では、この大きな器に最初に入ったのは、どんなものだったのでしょうか。
CDにコンピュータ用のデータを入れる規格がCD-ROMで、その規格書は「イエローブック」と呼ばれる。英語版ウィキペディアによれば、作成は1983年、1988年にISO/IEC 10149として標準化された[2]。注意したいのは、1985年が規格の年ではなく、最初の製品が出てきた年だという点である。規格の年と製品の年を混ぜると、時系列を読みちがえる。
容量は、120mmディスクの650MB型で650MB、80分型で約703MBである[2]。フロッピーディスクの1.44MBで割ると、650÷1.44≒451、703÷1.44≒488となる。つまりCD-ROM1枚は、650MB型でフロッピー約450枚、80分型で約490枚の容量に当たる(規格上の容量での計算であり、実際の収録量は詰め方で変わる)。
この差が配布の考え方を変えた。Microsoftの技術者レイモンド・チェンによれば、Windows 95のフロッピー版は、通常の1.44MBより多く入るDMFという特別な形式でも13枚で、DMFによって2枚減っていた[5]。CD-ROM版の流通形態は版によって異なるため、本稿ではフロッピー側の枚数を「容量の差を実感する一例」にとどめる。さらに日本語版ウィキペディアは、1990年代なかばのCD-ROMが、当時のハードディスク(300〜500MB程度)より多くのデータを格納できたと述べる[3]。
容量があるだけでは、ソフトは広まらない。では、誰が最初にこの円盤を使ったのか。次章では、日本と米国の最初の例を見る。
3. さいしょに CD-ROMに はいったのは、なんだった?
3. 最初に入ったのは、辞典と百科事典だった
3. 最初のCD-ROMソフト:日本の用語辞典と、米国の百科事典1枚
1985ねん 10月、日本で はじめての CD-ROMの ソフトが うられました。さんしゅうしゃと いう 会社が だした、かがくと ぎじゅつの ことばを あつめた じてんです。
アメリカでも、1980ねんだいの なかごろに、Grolier(グロリエ)しゃの ひゃっかじてんが、さいしょの CD-ROMせいひんの ひとつとして うられました。ほんの かわりに つかう ものでした。
あとの 年の ばんでは、しゃしんが 入り、さらに どうがと おとも 入るように なりました。ほんの かわりだった ものが、だんだん 見て きいて たのしむ ものに なって いったのです。
日本で最初のCD-ROMソフトは、1985年10月に三修社が出した『最新科学技術用語辞典』だとされます[3]。科学や技術の言葉を引くための辞典でした。
米国では、Grolier社の百科事典が、最初の消費者向けCD-ROM製品の一つとされています。辞書のように引いて使う内容が、CD-ROM1枚に入りました[2]。紹介された年は、資料によって1985年と1986年に分かれるため、「1980年代なかば」としておきます。
この百科事典は、のちに1990年版で写真が、1992年版で動画と音が加わりました[2]。文字だけの本の置き換えとして始まったものが、見て聞いて楽しむ資料へ変わっていったことが分かります。
とはいえ、これらはまだ、専用の読み取り装置を持つ人のための製品でした。装置が最初からパソコンやゲーム機に付いたとき、何が起きたのでしょうか。
日本語版ウィキペディアの年表によれば、日本初のCD-ROMソフトは、1985年10月に三修社が発売した『最新科学技術用語辞典』である[3]。科学技術用語という、文字が中心で、引いて使う内容だった点が興味深い。
米国では、Grolier社の百科事典が、最初の消費者向けCD-ROM製品の一つとされる。百科事典1つぶんの内容が、CD-ROM1枚に入った[2]。ただし、導入年は資料によって1985年と1986年で食いちがう。そのため年は断定せず、「1980年代なかば」と読む。
この百科事典は、1990年版で写真を、1992年版で動画と音を取り入れたと伝えられる[2]。ここから、CD-ROMの容量の使い道が、文字から写真、映像・音声へ広がっていったことが分かる。ただし、これらは英語版ウィキペディアに基づく記述であり、一つの出典に頼っている点は割り引いて読む必要がある。
とはいえ、当時これらを読むには、専用のドライブが必要だった。では、そのドライブがゲーム機やパソコンに最初から付いたとき、何が変わったのか。次章でゲーム機とFM TOWNSを見る。
4. ドライブが さいしょから ついた パソコンが でた
4. ゲーム機とパソコンに、CD-ROMドライブが付いた
4. 1988〜89年:PCエンジンとFM TOWNSが、CD-ROMを「ふつうの入口」にした
1988ねん 12月、ゲームきの PCエンジンに つける CD-ROMドライブが でました。せかいで はじめての CD-ROMの ゲームも、この ときに うられました。
つぎの 年の 2月28日には、ふじつうが FM TOWNS(エフエム タウンズ)を はっぴょうしました。CD-ROMドライブが さいしょから ついた、せかいで はじめての パソコンと いわれます。
はっぴょうの ときに あった CD-ROMの ソフトは、27しゅるいです。まだ 少なかったのですが、ここから ふえて いきます。
1988年12月には、PCエンジン用のCD-ROMドライブが登場し、世界初のCD-ROMゲームソフトが発売されたとされます[3]。ゲーム機にとっても、CD-ROMは新しい入れ物でした。
翌1989年2月28日には、富士通がFM TOWNSを発表しました。世界で初めてCD-ROMドライブを標準で搭載したパソコンとされ、発表の時点でCD-ROMソフトは27種類ありました[4]。「発表」の日付なので、売り出された日とは別です。
ドライブが最初から付いていれば、買った人は別の装置を足さなくても、すぐCD-ROMソフトを使えます。作る会社から見れば、売る相手が確実にいる場所ができたことになります。
では、ソフトを作る側は、フロッピーからCD-ROMへ簡単に移れたのでしょうか。
1988年12月、PCエンジン用のCD-ROMドライブが登場し、世界初のCD-ROMゲームソフトとされるものが発売された[3]。この時点で、CD-ROMは「専門用の記憶媒体」から、家庭用ゲーム機の周辺機器へ出てきたことになる。
その翌年、1989年2月28日に富士通がFM TOWNSを発表した。PC Watchの業界コラムによれば、世界で初めてCD-ROMドライブを標準搭載したパソコンであり、発表時に用意されたCD-ROMソフトは27種類だった[4]。日本語版ウィキペディアは発売を1989年3月とするため、発表と発売は区別して読む必要がある。
標準搭載の意味は、利用者の側と作り手の側で分けて考えられる。利用者は、周辺機器を買い足さずにCD-ROMソフトを使える。作り手は、ソフトを買う人が確実にドライブを持っている場所を得る。ただし、この因果は資料が直接述べたものではなく、仕組みからの推測である。
では、売り場が整えば、作る側はすぐ移行できたのか。次章では、FM TOWNSの時代のソフト開発の費用と期間を見る。
5. ソフトを つくる ひとは、らくに なった?
5. ソフトは増えても、作る側の負担は軽くならなかった
5. 27種類から305本へ:増えるソフトと、フロッピー版の1.5倍・2倍という開発の重さ
FM TOWNSの ソフトは、1989ねん 12月に 125しゅるい、1990ねん 11月には 305ほん まで ふえました。
けれど、つくる 人たちは たいへんでした。ゲームを つくる ばあい、フロッピーばんの ゲームと くらべて、CD-ROMばんは つくる きかんが 1.5ばい、おかねが 2ばい かかったそうです。
たとえば、フロッピーなら 6か月で できる ゲームは、9か月。100万円なら、200万円という けいさんです。これは たとえ ばなしで、ほんとうの ゲームの かずでは ありません。
また、これは ゲームの はなしです。ほかの ソフトも おなじとは かぎりません。
FM TOWNSのソフトは、1989年12月に125種類、1990年11月には305本まで増えました[4]。発表時の27種類から、1年半ほどで10倍をこえたことになります。ただし「種類」と「本」で数え方がちがう可能性もあり、目安として読んでください。
ところが、作る側には大きな課題がありました。フロッピーのゲーム開発と比べて、CD-ROM版の開発は、期間で1.5倍、コストで2倍かかったというのです[4]。
たとえば、フロッピー版を6か月・100万円で作れるゲームなら、CD-ROM版は9か月・200万円という計算です。この数字は、倍率を実感するための例で、実際の費用ではありません。
これはゲーム開発の話で、ソフト全般にそのまま当てはまるわけではありません。容量が大きいことは、作る側には「たくさん作らなければならない」ことでもあった、と読めますが、資料はそこまで述べていません。
それでも、CD-ROMは広がり続けました。次章は、パソコン雑誌の付録に注目します。
FM TOWNSのソフトは、1989年12月に125種類、1990年11月に305本に増えた[4]。発表時の27種類から約1年9か月で、305÷27≒11.3倍になった計算である。ただし、「種類」と「本」で数え方が異なる可能性があるため、倍率は目安にとどめる。
ところが、数が増えることと、作る側の負担が軽いことは別である。同じコラムは、フロッピーのゲーム開発と比べて、CD-ROM版の開発は期間で1.5倍、コストで2倍かかる課題があったと述べる[4]。仮にフロッピー版が6か月・100万円なら、9か月・200万円になる計算だが、この数字は倍率の実感を得るための仮の例であり、実際の費用ではない。
この数字はゲーム開発の話であり、ソフト全般に広げられない。また、なぜ負担が増えたのかという理由は、引用した範囲では述べられていない。入れるものを用意する手間が増えたのかもしれないが、資料の主張ではない。
それでもCD-ROMが続いたのは、利用者に届く量が桁ちがいだったからだと考えられる(これも推測である)。では、パソコンを持つ家庭へ、ソフトはどう届いていったのか。次章では、雑誌の付録をたどる。
6. ざっしの ふろくが CD-ROMに なった
6. 雑誌の付録のCD-ROMは、ソフトを家に届ける道になった
6. 1994〜96年:フロッピーの付録からCD-ROMへ、そして100万枚の配布計画へ
パソコンの ざっしの ふろくは、1994ねん 2月に 5インチの フロッピーが つき はじめました。6月1日からは 3.5インチも つけられるように なり、そのあと CD-ROMに かわって いきました。
ふろくCD-ROMの いい ところは、ダウンロードを しなくて よい こと、インターネットに つないで いない パソコンにも 入れられる こと、へんしゅうぶが えらんだ ものだと わかる ことです。
よわい ところは、おかねが かかる こと、ざっしが でた ときの バージョンの ソフトが 入って いることです。
1996ねん 12月、インテルジャパンは、8つの ざっしの ふろくCD-ROMで、3か月に 100万まいを くばる よていだと はっぴょうしました。1つの ざっし あたり、へいきんで 約12万5千まいです。
その あと、2000ねんだいの はじめから、DVDと ダウンロードが CD-ROMに かわって いきました。いま、ソフトを CDで うって いるのは めずらしく なりました。
日本のパソコン雑誌では、付録のメディアが時代とともに変わりました。AKIBA PC Hotline!の解説によると、1994年2月に5インチのフロッピーディスクが付き始め、1994年6月1日からは3.5インチも付録にできるようになり、その後CD-ROMへ変わっていきました[6]。
2006年のAll Aboutの解説は、雑誌付録CD-ROMのよさを、ダウンロードが要らず、ネットにつながないパソコンにも入れられること、編集部が選んだ安心感があることだと挙げました。弱みは、購入費がかかることと、収録ソフトが雑誌の発行時点の版であることです[7]。
インターネットが広がり始めた時期にも、付録CD-ROMは使われました。1996年12月、インテルジャパンは「Web&CD Magazine」を、パソコン・インターネット雑誌8誌の付属CD-ROMで、3か月に計100万枚配る予定と発表しています[8]。100万÷8で、1誌あたり平均12万5千枚。これは予定の数字を割っただけの計算で、実際の部数ではありません。
この仕組みでは、必要に応じてCD-ROMから動画や音声が再生されます。ネットの回線が細かった時代に、重いデータをCD-ROM側に置いたものと読み取れますが、これは記事の仕組みからの推測です[8]。
その後、2000年代初めからDVDとダウンロードがCD-ROMを置き換え始めました[2]。いま、CDで売られるソフトは珍しくなりました。では、手元のCDから何が確かめられるでしょうか。
日本のパソコン雑誌の付録メディアは、AKIBA PC Hotline!の解説によれば、1994年2月に5インチのフロッピーが付き始め、同年6月1日から3.5インチも付録として認められ、その後CD-ROMへ変わっていった[6]。付録の変化は日本の雑誌の話であり、年は原文の範囲で読む。
なぜ付録CD-ROMが定着したのか。2006年のAll Aboutの解説は、よさとして、ダウンロードが不要でネットにつながないPCにも入れられること、編集部が選んだ安心感を挙げる。弱みは、購入費がかかることと、収録ソフトが発行時点の版であることである[7]。回線が細く、まだ誰もがネット接続を持っていない時代には、この「ネット不要」という点が強みだったと考えられるが、解説が時期を限っているわけではない。
インターネットの普及期にも付録CD-ROMは使われた。1996年12月、インテルジャパンは、ホームページとCD-ROMを連携させる「Web&CD Magazine」を、パソコン・インターネット雑誌8誌の付属CD-ROMで、3か月に計100万枚配布する予定だと発表した[8]。100万÷8=12.5万なので、1誌あたり平均約12.5万枚の計画である(予定の合計を等分した値で、実際の部数ではない)。
原文は、必要に応じてCD-ROMから動画や音声が再生される、と述べる[8]。ここから、細い回線では送りにくい重いデータをCD-ROMに置いた、と読み取れるが、これは記事の仕組みからの読み取りである。
やがて、2000年代初めからDVDとダウンロードがCD-ROMを置き換え始め、いまCDでの市販ソフトは珍しくなった[2]。この記述は英語版ウィキペディア一つに依拠しているため、傾向を示すものとして読む。
ここまで見てきた「12cm」「74分」「650MB」は、手元のCDで確かめられる。
7. おうちの CDで、12センチと 74ふんを たしかめよう
7. 家のCDで、12センチと74分を確かめる
7. 手元のCDで規格を検算する:12cm・74分・450枚という数字
おうちの 人に きいて、おんがくの CDを 1まい かりて みましょう。ものさしで、はしから はしまでを はかります。12センチに なるはずです。
つぎに、ケースの かみに かいて ある きょくの ながさを たして みます。ぜんぶで 74ふんを こえては いないはずです。74ふんが いちばん ながい、という かぎりでは ありません。
もう 1まい あれば、ケースや えんばんの おもての もじを くらべて みましょう。ながさや メーカーの なまえが ちがうか、さがせます。
家に音楽CDがあれば、1枚借りて、定規で端から端まで測ってみてください。直径は12センチのはずです。
次に、ケースの紙に書かれた曲の長さを足します。最大の約74分を超えていないか、確かめてみましょう。なお、74分はあくまで規格上の最大で、全部の曲が長さいっぱいに入っているとは限りません。
パソコンのソフトに興味があれば、図書館で古いパソコン雑誌を探すと、付録CD-ROMの紹介を見つけられるかもしれません。ここで紹介した年代と、雑誌の巻末の広告を比べると、フロッピーからCD-ROMへの移り変わりが、紙面にも表れているか調べられます。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文で使った資料です。ウィキペディアは二次資料なので、数字を引用するときは原典に当たってください。
- Gizmodo Japan「CDが74分な理由」 https://www.gizmodo.jp/article/why-the-cd-is-74-minutes-long/ (CDの大きさの由来と別の見方)
- Wikipedia「CD-ROM」(英語版) https://en.wikipedia.org/wiki/CD-ROM (規格・容量・百科事典・置き換えの時期)
- Wikipedia「CD-ROM」(日本語版) https://ja.wikipedia.org/wiki/CD-ROM (日本初のソフト・PCエンジン・ハードディスクとの比較)
- PC Watch 業界コラム https://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/gyokai/1572032.html (FM TOWNSの発表・ソフト数・開発の重さ)
- Raymond Chen, The Old New Thing(Microsoft) https://devblogs.microsoft.com/oldnewthing/20050819-10 (Windows 95のフロッピー枚数)
- AKIBA PC Hotline! レトロソフト https://akiba-pc.watch.impress.co.jp/docs/column/retrosoft/2012300.html (雑誌付録メディアの移り変わり)
- All About https://allabout.co.jp/gm/gc/48016/ (付録CD-ROMのよさと弱み、2006年の解説)
- INTERNET Watch https://internet.watch.impress.co.jp/www/search/article/9612/0204.htm (1996年のWeb&CD Magazineの発表)
なおした ところ
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