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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

あったかい 缶かんコーヒーは どうして じはんきで 買えるように なったの?

冷めたコーヒーが缶になった ── 缶コーヒーと「温めて売る自販機」の話

缶コーヒーとホット販売の自動販売機 ── ミラ・コーヒー、UCCと万博、1973年の冷温兼用機、同時販売機まで

分野:技術

じはんきで あたたかい コーヒーが 買えるのは、あたりまえに 見えます。でも、むかしは そうでは ありませんでした。

きっかけは、高速道路で 出てきた、さめた コーヒーだったと いわれます。どうやって 缶かんに 入れて、あたためて 売るように なったのか、その ながれが わかります。

今ではふつうに見える、自販機のあたたかい缶コーヒー。そのきっかけは、高速道路のサービスエリアで冷めてしまった一杯のコーヒーだった、と伝えられています。

缶に入れれば、いつでも同じ状態で出せるはずだ。その発想は、どのようにして「温めて売る機械」に変わったのでしょうか。缶コーヒーの誕生から、冬も夏も売れる自販機までのつながりが分かります。

缶コーヒーの起点は、1965年に島根県の個人が売り出した「ミラ・コーヒー」、または1969年発売のUCC製品とされ、資料によって扱いが分かれる[1][2]。ところが、ホット缶を連続して売れる自動販売機が現れたのは1973年で、缶コーヒーの売り方はそこで大きく変わった。

ホット缶の発想はどこから出たのか。缶が万博の夏に売れた経緯と、冷温兼用機、同時販売機への進み方から、「売る機械が変わって、缶コーヒーが季節を選ばなくなった」という流れが分かる。

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1. さめた コーヒーが、思いつきの はじまり

1. 高速道路で出てきた、冷めたコーヒー

1. 養老サービスエリアの一杯 ── ホット缶の発想の出どころ

ポッカを つくった 谷田さんは、できたばかりの 高速道路の サービスエリアで、あたたかい コーヒーを たのみました。

ところが、またされて いる うちに、コーヒーは さめて しまったと いわれて います[4]。

「缶かんに コーヒーを 入れて おけば、いつでも 同じ ものが 出せる」。谷田さんは、そう 考えたそうです。

ただし、缶かんコーヒーを 思いついたのは、谷田さんが はじめてでは ありません。

ポッカの創業者、谷田利景は、開通して間もない名神高速道路の養老サービスエリアでホットコーヒーを注文しました。ところが、待たされているうちに、コーヒーは冷めてしまいます。この経験から「缶にコーヒーを入れる」という発想が生まれた、とポッカの話として紹介されています[4]。

ポッカは1972年に190グラム入りの缶コーヒーを発売し、翌1973年に自動販売機メーカーの三共電器(現在のサンデン)と、缶を温めたまま続けて売れる自販機を作りました[4]。

ただし、缶コーヒーそのものは、これより前にもありました。では、最初の一本はだれが作ったのでしょうか。

ポッカの創業者・谷田利景は、開通間もない名神高速の養老サービスエリアで、注文したホットコーヒーを待たされて冷めた経験から、缶にコーヒーを入れる発想を得たと、自動車専門のニュースサイトが紹介している[4]。出来たてを出せないなら、あらかじめ缶に詰めておけばよい、という発想である。

その結果、ポッカは1972年に190g缶のコーヒーを発売し、翌1973年に三共電器(現サンデン)と、缶を連続して加温しながら販売できる自販機を開発した[4]。ただし、缶コーヒーそのものは谷田の発売より前に存在する。では、最初の缶を作ったのは誰なのか。

2. いちばん はじめの 缶かんコーヒーは、だれの もの?

2. 「世界初」の缶コーヒーは、だれのものか

2. 三浦義武とUCC ── 「世界初」が分かれる理由

島根県で コーヒーの みせを して いた みうらさんは、コーヒーを 外国へ おくる とき、びんが 重くて かさばる ことに こまって いました。

そこで 缶かんを 考え、1965年の 7月に 缶かんコーヒーを つくりました。9月には、東京の 三越みつこしで 売りだして います[1]。

ところが、お金が たりず、1968年ごろに つくるのを やめて しまいました[1]。

そのあと、1969年の 4月に、UCCが 缶かんコーヒーを 売りだしました。UCCは、これを 「せかいで はじめて」と いっています[2]。

どちらが 先か、しらべた ものに よって ちがいます。この 記事では、どちらかに 決めません。

びんを、缶に

島根県浜田市でコーヒー店を営んでいた三浦義武は、瓶詰めコーヒーを輸出するとき、重くてかさばることに悩んでいました。それを解決しようと缶を考え、1965年7月に缶コーヒーを完成させます。9月14日には「ミラ・コーヒー」として、日本橋三越本店で売り出しました[1]。

ところが資金が足りず、1968年ごろに製造を中止しています[1]。

もう一つの「世界初」

1969年4月には、UCC上島珈琲が「UCCコーヒーミルク入り」を発売しました。UCCはこれを世界初の缶コーヒーとしています[2]。ミラ・コーヒーの1965年と食い違うので、この記事では並べて書きます。

島根県浜田市のコーヒー店経営者・三浦義武は、瓶詰めコーヒーの輸出で瓶の重さとかさばりに悩み、缶の利用を考えた。1965年7月に缶コーヒーを完成させ、9月14日に「ミラ・コーヒー」として日本橋三越本店で販売した。しかし資金不足のため、1968年頃に製造を中止している[1]。

一方、UCC上島珈琲は1969年4月に「UCCコーヒーミルク入り」を発売し、同社はこれを世界初の缶コーヒーとしている[2]。1965年のミラ・コーヒーと年が食い違うため、このメモでは断定せず、二つを並べて示す。

3. 売れなかった 缶かんが、なつに ひろまった

3. 動かなかった缶が、万博の夏に動いた

3. 1970年の大阪万博 ── 春に鈍かった反応が夏に変わる

UCCの 缶かんコーヒーは、売りだした ばかりの ころ、あまり 売れませんでした。

ところが、1970年の おおさかばんぱくの なつに、いっきに 売れはじめたと いわれて います[2]。

さいしょの デザインの 缶かんは、茶色と 白と 赤の 三色で、1978年に かわるまで 8年ほど 売られました[3]。

この ころ、缶かんを 売る きかいの ほうも 進みました。1970年には、たんさんの ない のみものも 売れる 缶かんの じはんきが 出ました[7]。

けれども、その 缶かんは つめたい ままです。ふゆも 売れるのでしょうか。

春は鈍く、夏に爆発

UCCの缶コーヒーは、発売当初は反応が鈍かったと説明されています。1970年の大阪万博が開かれると、春先の様子から一転して、夏を機に爆発的に売れ始めました[2]。UCC自身も、初めは売れ行きが緩やかで、万博で大ヒットしたと説明しています[3]。初期の茶・白・赤の三色缶のデザインは、1978年の変更まで8年ほど流通しました[3]。

缶を売る機械の側

缶を売る機械も進んでいました。日本の飲料自販機は、1962年に三菱重工とアメリカのベンド社の機械が東京コカ・コーラに納入され、同じ年に880台が全国に置かれたのが始まりです。1970年には缶ベンダーが登場し、炭酸以外の飲料も、たくさんの種類を売れるようになりました[7]。

ただし、そのころの機械が売るのは冷たい缶が中心です。冬の寒い日にも、缶コーヒーは売れたのでしょうか。

UCCの缶コーヒーは、1969年4月の発売当初は反応が鈍かったが、1970年の大阪万博の夏を機に爆発的に売れ始めたという[2]。UCC自身も、当初の売れ行きは緩やかで、万博で大ヒットしたと説明している。初期の茶・白・赤の三色缶は、1978年の変更まで約8年流通した[3]。

缶を売る側の機械も、同じ時期に変わっていた。日本の飲料自販機は、1962年に三菱重工とアメリカ・ベンド社の機械が東京コカ・コーラに納入され、その年に880台が置かれたのが始まりである。そして1970年に登場した缶ベンダーは、非炭酸飲料や多品種の販売を可能にした[7]。したがって缶コーヒーを置ける機械は、1970年ごろに揃い始めていたことになる。ただし、この資料が述べるのは品種の広がりで、缶を温めて売る機能ではない。寒い季節の販売という課題は、まだ残っていた。

4. 缶かんを あたためて 売る きかいが できた

4. 「温かいまま売る」自販機が、高速道路に置かれた

4. 1973年の冷温兼用機 ── 世界初とされる自販機と養老

1973年に、ポッカと さんきょうでんきという 会社が、いっしょに あたらしい じはんきを つくりました[5]。

あたたかい 缶かんと、つめたい 缶かんを、どちらも 売れる きかいです。「せかいで はじめて」と される じはんきで、あの ようろうサービスエリアに おかれたそうです[5]。

さめた コーヒーが 思いつきだった 場所に、あたたかい 缶かんの じはんきが 立った わけです。

この きかいは、日本の のみものの 市場を ひろげる ことに やくだったと いわれます[5]。

1973年、ポッカと三共電器(どちらも当時の社名)は、温かい缶と冷たい缶のどちらも売れる冷温兼用の自動販売機を共同で開発し、養老サービスエリアに設置しました。この機械は世界初とされ、国内の清涼飲料の市場が広がることに役立ったといわれます[5]。

谷田が冷めたコーヒーに出会った場所に、温かい缶を出す機械が立った、という流れです。缶に入ったコーヒーは、機械の中で温めておけば、注文を待たせずに出せます。

「世界初」は資料の表現なので、「とされる」と書いています。では、冬は温かい缶、夏は冷たい缶に切り替えるだけで足りたのでしょうか。

1973年、ポッカ(当時)と三共電器(当時)は、世界初とされる冷温兼用の自販機を共同で開発し、養老サービスエリアに設置した。国内の清涼飲料市場の拡大に貢献したとされる[5]。谷田の着想の場所に、その解決策が置かれたことになる。

缶コーヒーはあらかじめ缶に詰めるので、温度を機械側で保てば、注文から待たずに出せる。冷めるという問題が、作る側の問題から、売る側の機械の問題に置き換わったともいえる。ただし、「世界初」は辞書系サイトの表現である。

この機械は、温かい缶か冷たい缶かを切り替えて使う形だった。次の段階では、その切り替えをなくす工夫が出てくる。

5. あたたかいのと つめたいのが、いっしょに ならんだ

5. 温かいのも冷たいのも、同時に並んだ

5. 「ホット・オア・コールド」から「ホット・アンド・コールド」へ

1973年の きかいは、あたたかい 缶かんか つめたい 缶かんの どちらかを えらんで 入れる やり方でした。

そのあと、あたたかい 缶かんと つめたい 缶かんを、同時に 売れる じはんきが できました。UCCは、これを 1977年と いって います[6]。

UCCは、これで 1年じゅう 売れるように なったと せつめいして います。

切り替える型から、同時に売る型へ

1973年の機械は「ホット・オア・コールド」型で、温かい缶か冷たい缶かのどちらかを入れる切り替え式でした。その後「ホット・アンド・コールド」型、つまり両方を同時に売る型が登場し、季節を問わず缶コーヒーが売れるようになった、とUCCの発表は説明しています[6]。

この同時販売型の年は、UCCの発表では1977年です[6]。1977年は「UCCの説明では」という意味で読んでください。

夏の暑い日にもホットを、冬の寒い日にもアイスを選べる。売る機械が変わったことで、缶コーヒーは季節のものから年中のものになった、とUCCは説明しています。

1973年の「ホット・オア・コールド」型は、季節に応じて温冷を切り替える方式である。これに対し「ホット・アンド・コールド」型は両方を同時に販売でき、季節を問わず売れるようになった、とUCCの発表は説明する[6]。

この登場年は、UCCの発表では1977年である[6]。ただしこれはUCCの説明であり、他社の資料では年が異なる可能性がある。このメモでは1977年をUCCの説明として扱い、正確な年は各社の沿革で確かめてほしい。

その結果、1970年の缶ベンダーによる多品種化、1973年の冷温兼用機、同時販売機と、売る機械が段階的に変わり、缶コーヒーが季節を選ばない商品になっていった、という流れが読み取れる。ただし、この因果は複数の資料を組み合わせた筆者の読みで、各資料が直接述べたものではない。

6. じはんきを 見て みよう

6. 自分でも調べてみたくなったら

6. 自分でも調べてみたくなったら

いま、日本の じはんきは 少なく なって います。nippon.comの 数字では、2000年に 560万だいで いちばん 多く、2017年の 終わりには 427万だいでした[8]。ピークより、2わり ちょっと 少ないです。ただし、2017ねんに かぞえかたが かわったので、ただしく くらべる ことは できません。

じはんきの 前で、あたたかい 缶かんと つめたい 缶かんが 同じ きかいの 中に あるか、見て みましょう。車の 通る 道の そばでは、はなれた 安全な ところから 見て ください。

今日できること

自販機の前で、温かい缶と冷たい缶が同じ機械に並んでいるか、見てみましょう。近くに車が通る道があるときは、安全な場所から見てください。

出かけてできること

nippon.comが紹介する数字では、自販機は2000年の560万台がピークで、2017年末には427万台に減っています[8]。計算すると、ピークより2割強少なくなりました。ただし2017年に集計の方法が変わっているので、単純な比べ方はできません。

公式情報

UCC、ポッカ、サンデン、コカ・コーラの公式サイトで、それぞれの沿革を読み比べると、年のちがいの理由が見えてくるかもしれません。

今日できること

自販機の温冷の並びを観察し、温かい缶を扱う機械と、冷たい缶だけの機械がどれくらいあるかを数えてみる。数える前に割合を予想しておくと、見え方が変わる。

出かけてできること

nippon.comが紹介する集計では、全国の自販機は2000年の560万台をピークに減少し、2017年末には427万台とされる[8]。減少幅は約24%(427÷560≒0.76)だが、2017年に集計方法が変わっているため、単純比較はできない。

公式情報

UCC、ポッカ、サンデン、コカ・コーラの各社の公式沿革を読み、1969年・1972年・1973年・1977年の記述を突き合わせると、このメモで年がずれたままの点(同時販売型の登場年など)を絞れる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

記事の中の年号や数字は、次の資料の説明にもとづきます。「世界初」など、資料によって扱いが異なるものは本文で並べて書いています。

  1. デイリースポーツ「缶コーヒー 資金不足で製造中止の過去」 https://www.daily.co.jp/gossip/subculture/2021/05/04/0014297249.shtml (ミラ・コーヒーの年)
  2. J-Net21「缶コーヒーの発展史」 https://j-net21.smrj.go.jp/special/populardrinks/2011072701.html (UCCの発売と万博)
  3. Impress Watch「UCC復刻ニュース」 https://www.watch.impress.co.jp/docs/news/2004226.html (初代デザインと万博)
  4. くるまのニュース「ホット缶コーヒーと高速道路」 https://kuruma-news.jp/post/117541/2 (ポッカの着想と1972・1973年)
  5. Weblio「自販機」 https://www.weblio.jp/content/%E8%87%AA%E8%B2%A9%E6%A9%9F (冷温兼用機)
  6. 神戸新聞(UCCの発表)2025年4月 https://www.kobe-np.co.jp/news/economy/202504/0018829053.shtml (ホット・アンド・コールド型)
  7. コカ・コーラ「自販機の歴史」 https://www.coca-cola.com/jp/ja/media-center/vending-machine-history (1962年と1970年の自販機)
  8. nippon.com「自販機の減少」 https://www.nippon.com/ja/features/h00258/ (自販機の台数)

なおした ところ

更新履歴

更新履歴(改版の記録)

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