このサイトは、ほんの入り口です

ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

だがしやは、いつごろから 子どもの 近くに あったの?

駄菓子屋はいつから子どもの身近にあったのか 「駄菓子」の名と一文菓子屋

駄菓子屋の来歴と10円の行方 上菓子との対、明治の「一文菓子屋」、文字焼き説、うまい棒の値上げ

分野:歴史・文化

東京とうきょうの 古い だがしやの 店主さんは、「10円で 売る だがしは、4しゅるいだけに なりました」と 話して います[8]。むかしは、子どもが 10円玉 1まいで、いくつも 買えたのに。

どうして だがしは、子どもの おこづかいで 買える お菓子かしに なったのでしょう。だがしやの 名前の わけ、もんじゃの はなし、値段ねだんが 上がった わけが 分かります。

東京にある古い駄菓子屋の店主は、税別10円で売っている駄菓子が「糸引き飴」「ばら売りのキャラメル」「きなこ飴」「フーセンガム」の4種類だけになったと話しています[8]。子どもが10円玉1枚で選べた時代は、遠くなりつつあるようです。

そもそも駄菓子は、なぜ子どものお小遣いで買えるお菓子になったのでしょうか。駄菓子という名前の由来、明治の「一文菓子屋」、もんじゃ焼きとのつながり、うまい棒の値上げまでを資料で確かめると、その道すじが分かります。

東京の駄菓子屋「上川口屋」の店主は、税別10円で売る駄菓子が「糸引き飴」「ばら売りのキャラメル」「きなこ飴」「フーセンガム」の4種類だけになったと語る。同店は1781年(天明元年)創業で、日本最古の駄菓子屋とされる[8]。

10円で買えることは、駄菓子屋のどこまで本質なのか。「駄菓子」という語の成り立ち、明治の「一文菓子屋」という呼び名、文字焼きから出たとされるもんじゃ焼き、2022年のうまい棒の値上げまでが分かる。

読み方を切り替えられます。画面の上にある「よみかた」のボタンで、小学校低学年むけ・小学校高学年むけ・中学生むけの3つの書き方に切り替わります。むずかしいと思ったら、いつでもやさしい方に戻ってください。選んだ読み方はブラウザが覚えているので、次に別の記事を開いたときも同じ読み方で始まります。

1. 「いちばん 古い」 だがしやは、どんな お店?

1. 最古とされる駄菓子屋の店主が語ること

1. 上川口屋 ── 1781年創業と「今の駄菓子屋」になった時期

東京とうきょうに、1781ねんに はじまった とされる お店が あります。「上川口屋」という、日本で いちばん 古い だがしやと いわれる お店です[8]。

店主さんは、「10円の だがしが へって きた」と 話します。「ここ 数年で、だがしが 大きく 値段ねだんが 上がって いる」とも 言って います[8]。

この お店は、はじめから 今の ような だがしやでは なかったと いう 話も あります。昭和しょうわ30年代に、ざいりょうが 手に 入らなく なり、今の すがたに なったそうです[1]。お店の 中でも、だがしは 少しずつ かわって いたのですね。

東京の上川口屋は、1781年(天明元年)に創業したとされ、「日本最古の駄菓子屋」と紹介されることがあります[8]。この店の店主は、税別10円の駄菓子が4種類だけになり、ここ数年で駄菓子が軒並み値上がりしていると話しています[8]。

ただし、この店が最初から今のような駄菓子屋だったわけではないようです。別の記事では、昭和30年代に材料が手に入らなくなり、今の駄菓子屋になったと述べられています[1]。長く続く店でも、扱うものは時代に合わせて変わってきたのでしょう。

これは1軒の店主の話で、全国の駄菓子屋の状況とは限りません。ここでは、あとの章を読む入口として使います。

上川口屋は1781年(天明元年)の創業で、「日本最古の駄菓子屋」とされる[8]。「最古」は記事の紹介であり、断定は避けて「最古とされる」と書く。別の記事は、この店が昭和30年代に材料が手に入らなくなり、今の駄菓子屋になったと述べる[1]。つまり創業の江戸後期から現在の姿までは連続していない可能性がある。

店主は、税別10円の駄菓子が「糸引き飴」「ばら売りのキャラメル」「きなこ飴」「フーセンガム」の4種類だけになり、ここ数年で駄菓子が軒並み値上がりしていると語る[8]。これは1店・その記事の取材時点の証言で、全国の状況を示す数字ではない。

2. 「だがし」って、もともと なんの こと?

2. 江戸時代の「上菓子」に対する「駄菓子」

2. 「駄菓子」の語 ── 上菓子との対と、仙台の黒砂糖

江戸時代えどじだい、お菓子かしには 2つの よび名が ありました。しろい さとうを たくさん つかう 高い お菓子かしは 「じょうがし」。ふつうの 人が 食べる、ざっこくや みずあめで つくる お菓子かしが 「だがし」です[1]。

江戸えど時代、しろい さとうは とても 高い ものでした。

仙台せんだいでは、ふつうの 人は しろい さとうを 食べては いけなくて、黒い さとうの 「ざつがし」だけが ゆるされた と いわれます[2]。この ざつがしが、そのころの だがしです。これは 仙台せんだいの 話で、日本じゅう おなじ きまりだった とは 言えません。

江戸時代には、高級品だった白砂糖を使う菓子を「上菓子」と呼びました。これに対して、庶民が食べる雑穀や水飴などでつくった菓子が「駄菓子」です[1]。

農林水産省は仙台の例を紹介しています。江戸時代の仙台では、庶民は白砂糖を口にすることを禁じられ、黒砂糖を使った「雑菓子(当時の駄菓子)」だけが認められていたとされます[2]。

仙台の事例は、全国一律の決まりではありません。それでも、白砂糖が高級品だったことは、二つの資料から読み取れます。

江戸時代、高級品の白砂糖を使う菓子を「上菓子」と呼び、庶民が食べる雑穀や水飴などの菓子を「駄菓子」と呼んだと説明される[1]。

農林水産省の仙台駄菓子の解説は、江戸時代の仙台で庶民は白砂糖を禁じられ、黒砂糖の「雑菓子(当時の駄菓子)」のみが認められていたと述べる[2]。前者は民間の解説、後者は公的機関の資料であり、両者は独立している。ただし後者は仙台という一地域の事例で、全国一律の禁令の証拠にはならない。

3. 「いちもんがしや」って、なんだろう?

3. 明治の「一文菓子屋」と、安い菓子の店

3. 「一文菓子屋」の呼び名 ── 明治には存在した店

明治めいじの ころ、だがしやは 「いちもんがしや」と よばれて いました[3]。

「一文」は、江戸時代えどじだいに いちばん 小さかった お金の たんいです。そこから 「とても 安い お菓子かし」と いう 意味で つかわれた と いわれます[3]。お店の 名前に、お金の 小ささが 入って いたのですね。

こくどこうつうしょうの かんこうちょうの せつめいでも、だがしやは 明治めいじに はじまった、安い お菓子かしや おもちゃを 売る お店と されて います[4]。少なくとも 明治めいじには、もう あった ようです。

明治時代、駄菓子屋は「一文菓子屋」と呼ばれました。江戸時代に最も小さな単位の通貨が「一文」だったことから、「安い菓子」を表す言葉として使われたとされます[3]。

国土交通省観光庁の多言語解説も、駄菓子屋を、明治時代に起源をもつ、安価な菓子や玩具を売る店として紹介しています[4]。二つの資料を合わせると、「明治にはすでに、安いお菓子を売る店があった」ところまでは言えそうです。

いつ、どこで、最初の駄菓子屋が生まれたのかは、集めた資料からは分かりません。「明治に始まった」と言い切らず、「明治には、そう呼ばれる店があった」とします。

明治時代、駄菓子屋は「一文菓子屋」(いちもんがしや)と呼ばれた。江戸時代の最小単位の通貨が一文であったことから、「安い菓子」の意味を持たせた名だとされる[3]。

国土交通省観光庁の多言語解説文データベースは、駄菓子屋を明治時代(1868〜1912年)に起源をもつ、安価な菓子や玩具を販売する店とする(英語解説の日本語要約による)[4]。

二つの資料から確認できるのは「明治には一文菓子屋の呼び名があった」ことまでで、駄菓子屋の成立年や、広まった時期を示す軒数などは資料から確認できなかった。「明治に始まった」とは断定しない。

4. どうして 子どもが 1こずつ 買えたの?

4. 1個売りと、子どもの社交場になった店

4. 少額・1個売りと昭和初期の隆盛 ── 店主の証言と限界

だがしやでは、小さな お菓子かしが 1こ 1こ、ばらで 売られて いました。子どもの おこづかいでも 買える ためです[1]。

ある 店主さんは、「子どもが 買えるように」と、タラという さかなで イカの あじを つけた お菓子かしが 多いと 話します。「これなら 10円」だそうです[1]。これは 1人の 店主さんの はなしで、ぜんぶの だがしやに あてはまる とは かぎりません。

昭和しょうわの はじめごろ、だがしやは いちばん にぎやかでした。おこしや せんべい、ビー玉や ベーゴマも 売られて、子どもが あつまる 場所に なりました[3]。昭和しょうわ40年代まで、子どもの あつまる 場所だったと する しりょうも あります[6]。

駄菓子屋では、お菓子が1個ずつ、安く売られていました。子どもが自分の小遣いで買えるようにするためです。ある店主は、「子どもが買えるようにするため」タラでイカの風味をつけた菓子が多くなっていて、「これなら10円」と説明しています[1]。ただしこれは1軒の店主の説明で、業界全体の説明にはできません。

昭和初期に、駄菓子屋はもっとも栄えたとされます。芋羊羹、カルメ焼、おこし、せんべいのほか、ベーゴマやビー玉といった玩具も並び、子どもの社交場にもなりました[3]。別の資料は、昭和40年代まで駄菓子屋が子どもの社交場だったと説明しています[6]。

小さな菓子を1個から買える店は、お金を少ししか持たない子どもにとって、友達と過ごす場所でもあったのだと読めます。

駄菓子屋で子どもが買えるのは、1個売りで安価だからだと説明される。ある店主は、子どもが買えるようにするためにタラでイカ風味を付けたものが多くなり、「これなら10円」と述べる[1]。1軒の店主の言であり、業界全体の慣行とは言えない。「なぜ1個ずつ売れたか」を制度や流通の面から説明する一次資料は、集めた範囲では乏しい。一文という少額商売の系譜(第3章)が背景にあると考えるのが妥当だろう。

駄菓子屋は昭和初期に最も栄え、芋羊羹・金花糖・カルメ焼・おこし・せんべいのほか、ベーゴマやビー玉などの玩具も扱い、子どもの社交場にもなった[3]。別の資料は、昭和40年代まで駄菓子屋が子どもの社交場だったとする[6]。ただし後者は、次章のもんじゃ焼きの起源を述べる記事の中の記述である。

5. だがしやで、もんじゃも 食べたの?

5. もんじゃ焼きは「文字焼き」から?

5. もんじゃ焼きと駄菓子屋 ── 文字焼き説と、起源の時期の食い違い

もんじゃ焼やきの 名前は、「文字焼やき」が かわった ものと いわれます[5]。

こむぎこを 水で とかして、てっぱんの 上に へらで 文字を 書く。そうして 子どもたちが 文字を おぼえた、と のうりんすいさんしょうの 子ども向けの ページは のべて います[5]。

いつ ごろの はなしかは、しりょうに よって ちがいます。せんそうが おわった すぐあとの ころ、という みかたも あれば、江戸時代えどじだいの おわりから 明治めいじにかけて、という みかたも あります[6]。どちらが 本当か、まだ 決められません。

だがしやでは、もんじゃが 人気だった、と する しりょうも あります[6]。

もんじゃ焼きの名は、「文字焼き」が変化したものだといわれます。農林水産省の子ども向けページは、小麦粉を水でといて、鉄板の上にへらで文字を書きながら教えたことから「文字焼き」と呼ばれ、それが変化して「もんじゃ焼き」になったと説明しています[5]。

この習慣がいつからかは、資料で食い違います。同ページは終戦直後、紙や習字道具がなかったころの話として述べています[5]。別の資料は、江戸時代末期から明治にかけて、子どもたちが生地で鉄板に文字を書いて覚えながら食べていたとし、戦後は駄菓子屋で大流行した、とも述べます[6]。

どちらの時期が正しいのか、ここでは決めません。「文字焼きが名前のもとといわれる」と、「駄菓子屋でもんじゃが食べられていたという資料がある」の二つを、別々の事実として並べます。

もんじゃ焼きの名は「文字焼き」が変化したものといわれる。農林水産省は、小麦粉を水でとき、鉄板にへらで文字を書いて教えたことから「文字焼き」と呼ばれ、それが変化したと説明する。同ページは背景として、終戦直後に紙や習字道具がなかったことを挙げる[5]。

これに対し、ダ・ヴィンチWebの解説は、文字焼きの習慣を江戸末期〜明治とし、子どもたちが生地で鉄板に文字を書いて覚えながら食べていたと述べる。戦後は駄菓子屋で大流行し、昭和40年代まで駄菓子屋が子どもの社交場だったという[6]。

起源の時期は「戦後直後」と「江戸末〜明治」で食い違い、断定できない。確かなのは、名の由来としての「文字焼き」説が公的機関の資料にもあること、駄菓子屋でもんじゃが食べられたと述べる資料があること、の二点に限られる。

6. 10円の だがしは、どうして へったの?

6. 店が減り、うまい棒も値上がりした

6. 駄菓子屋の減少とうまい棒の値上げ ── 2022年の10円→12円

大きな お菓子かしの 会社の 商品が 安く なって、テレビゲームなどの あそびも ふえました。すると、子どもが だがしやで 買う ことは 少なく なりました。コンビニも ふえて、だがしやの 数は ゆっくり へって きたと いわれて います[3][4]。

うまいぼうは、1979ねんに 出た お菓子かしです。1本 10円で 売られて きましたが、2022ねん4月1日 出荷分から、12円に なりました[7]。

42年目の はじめての 値段ねだんの 上がり方です。10円から 12円は、2円 ふえた ことで、もとの 値段ねだんの 20パーセント ぶんです。

会社は、コーンや 植物の あぶらなどの ざいりょう、つつむ ざいりょう、はこぶ お金、はたらく 人への お金が 上がった ことを 理由に あげて います[7]。

大手菓子メーカーの商品が安く手に入るようになり、テレビゲームなどの娯楽が増えると、子どもたちが駄菓子屋でこぞって菓子や玩具を買うことはなくなりました。コンビニエンスストアが少しずつ増えるにつれて、駄菓子屋の数もゆっくり減ったと説明されています[3][4]。ただし、減った時期や軒数を示す数字は、集めた資料にありませんでした。

値段のほうは、うまい棒が例になります。1979年に発売された1本10円のうまい棒は、2022年4月1日出荷分から12円(税別)になりました。発売から42年目にして初めての値上げでした[7]。

10円から12円は2円の増加で、割合にすると20%です。メーカーは、コーンや植物油などの原材料、包装資材、物流費、人件費の上昇を理由にあげています[7]。10円の駄菓子が4種類だけになった店主の実感は、こうした背景の中にあるのでしょう。

大手菓子メーカーの商品が安くなり、テレビゲームなど娯楽が増えたことで、子どもが駄菓子屋の菓子や玩具をこぞって買う状況は変わったと、文春オンラインの記事は述べる[3]。コンビニエンスストアの出店にともない、駄菓子屋は徐々に数を減らした、と国土交通省観光庁の解説は述べる(日本語要約による)[4]。衰退の時期や軒数を示す統計は、集めた資料に含まれなかったため、数字は書かない。

価格の例として、やおきん発表のうまい棒がある。1979年発売のうまい棒は、2022年4月1日出荷分から1本10円が12円(税別)となった。発売42年目にして初の値上げで、理由は、コーンや植物油などの原材料、包装資材、物流費、人件費の上昇とされる[7]。上昇は2円、10円に対して20%である。

7. じぶんでも たしかめて みたく なったら

7. 自分でも調べてみたくなったら

7. 自分でも調べてみたくなったら

やってみよう。おうちの 人に、「子どもの ころ、10円で 何が 買えた?」と 聞いて みましょう。そのあと、お店で、1こから 買える 小さな お菓子かしの 値段ねだんを 見て みます。

ちかくに だがしやが あるなら、おとなと いっしょに 行って みましょう。

次のようなことを、調べたり試したりできそうです。

  • 家の人に「子どものころ、10円や50円で何が買えたか」を聞いてみましょう。その話を、今の値段の菓子と比べると、どんな違いが見えるでしょうか。
  • スーパーやコンビニで、1個から買える小さな菓子の値段札を見てみましょう。1個いくらになるかを、自分で計算できます。
  • 近所に駄菓子屋があれば、大人と一緒に行き、店の人にいつごろからある店かを聞いてみましょう。この記事で見た「昭和に今の形になった」という店の話と、比べられます。

資料を読むなら、次のような疑問が残っている。

  • 駄菓子屋が全国に広まった時期と軒数は、どの統計に残っているか。明治の「一文菓子屋」から昭和初期の隆盛までの間をたどれる資料はあるか[3][4]。
  • 文字焼きの習慣は、終戦直後か江戸末〜明治か。それぞれの記述の根拠となる原典は何か[5][6]。
  • うまい棒の2022年以降の価格は、やおきんの公式発表ではどうなっているか[7]。
  • 近くの駄菓子屋で、税別・税込の10円の商品が何種類あるか数え、この記事の店主の証言と比べる[8]。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文は、次の資料を突き合わせて書きました。起源の時期が資料で食い違う点や、1軒の店主の話にとどまる点は、本文にそう書いています。

  1. nippon.com 駄菓子の記事. https://www.nippon.com/ja/views/b02101/ (上菓子と駄菓子、1個売り、店主の説明、上川口屋の変遷について)
  2. 農林水産省「仙台駄菓子」. https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/traditional-foods/menu/sendai-dagasi.html (仙台で庶民が食べた雑菓子について)
  3. 文春オンライン 駄菓子屋の記事. https://bunshun.jp/articles/-/45201?page=3 (一文菓子屋の呼び名、昭和初期の駄菓子屋について)
  4. 国土交通省 多言語解説文データベース「昭和ロマン蔵 駄菓子屋の夢博物館」. https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/en/R1-02612.html (明治に起源をもつ店の説明、駄菓子屋の減少について)
  5. 農林水産省 こどもナビ「もんじゃ焼き」. https://www.maff.go.jp/j/syokuiku/kodomo_navi/cuisine/cuisine2_6.html (文字焼きの由来について)
  6. ダ・ヴィンチWeb「もんじゃ焼きの由来」. https://ddnavi.com/article/d689604/a/ (文字焼きの時期と、駄菓子屋が子どもの社交場だった時期について)
  7. グルメWatch「うまい棒 値上げ」(やおきんの発表を伝える記事). https://gourmet.watch.impress.co.jp/docs/news/1383783.html (2022年の値上げと理由について)
  8. 現代ビジネス 駄菓子10円の記事. https://gendai.media/articles/-/124814 (上川口屋の創業と、10円の駄菓子が4種類になった店主の話について)

なおした ところ

更新履歴

更新履歴(改版の記録)

  •  初版を公開。

このサイトでは、公開した記事の本文は原則として書き直しません。誤りが見つかったときや、内容が古くなったときだけ手を入れ、その理由をこの欄に残します。