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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

がくらんの「らん」って、なんのこと?

学ランの「ラン」とは何か ── 軍服を手本にした学生服の始まり

詰襟学生服の成立と「学ラン」の語源 ── 1879〜1888年、帝国大学と兵式体操、諸説の整理

分野:歴史・文化

がくらんの「らん」は、なんの ことでしょう。らんどせるの「らん」でも、らんぷの「らん」でも ないようです。

じつは、この ふくの おてほんは、がっこうの ふくでは ありませんでした。そして「らん」の いみは、いまも はっきり きまって いません。どこから きた ふくなのか、いっしょに みて みましょう。

男子の詰襟の学生服は「学ラン」と呼ばれます。ところが、この「ラン」が何を指すのかは、実ははっきり決まっていません。

しかも、詰襟のお手本になったのは、学校の服ではなく陸軍下士官の服だったといわれています。明治のはじめに生まれた服が、どう全国の中学校に広がったのか、そして「ラン」にはどんな説があるのかが分かります。

学ランの「ラン」の由来には諸説あり、決着がついていない。一方、詰襟学生服の型は、1886年(明治19年)前後に、当時の陸軍下士官の服をモデルにして学校へ入ったとされる[1]。

なぜ学校の制服に軍の服の型が選ばれたのか。この記事を読むと、学習院と帝国大学の制服、兵式体操との関係、全国への広がり、語源の諸説が分かる。

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1. がくらんは、どんな ふくかな?

1. 学ランの形 ── 高い襟と金ボタン

1. 詰襟学生服の特徴 ── 通称「学ラン」

がくらんは、くびの まわりが たかい えりの ふくです。まえに、ボタンが ずらっと ならびます。

この えりの かたちを「つめえり」と いいます。おとこの こが きる がくせいふくを、「がくらん」と よぶ ことが あります。

でも、「らん」って なんでしょう。だれかに きいても、こたえが わかれるかも しれません。これから、その なぞに ちかづいて みます。

学ランは、首の周りをぐるりと囲む高い襟に、前がボタンで留まる上着です。この襟の形を「詰襟」と呼びます。

学ランは、詰襟の男子用学生服の通称です。学校の制服の話で、正式な名前として出てくることは多くありません。

ここで疑問がわきます。「学」は学生の学だとして、「ラン」は何でしょう。まず、この服がどこから来たのかを見て、あとで「ラン」に戻ります。

学ランは、詰襟(襟を折り返さず、首を囲んで立てる型)の男子用学生服の通称である。制服としては黒の布に金ボタンの上着と、同じ布のズボンが基本の型として説明される[1]。

「学ラン」の「ラン」の由来は6章で扱う。先に、この型がどこから来たのかを、学校と軍服の両方から見る。

2. さいしょに きた がっこうは?

2. 学習院と帝国大学 ── 洋服の制服のはじまり

2. 1879年の学習院と1886年の帝国大学

いまから 140ねんくらい まえ、めいじの じだいの おはなしです。はじめの ころに つめえりの せいふくを きめた がっこうが ありました。

がくしゅういんという がっこうは、1879ねんに、おとこの こ ようの せいふくを きめました。1886ねんには、こうとうしはんがっこうや、ていこくだいがくでも きめました[2]。

がっこうが ようふくを えらんだのは、ふるい きものから あたらしい じだいへ、かわろうと して いたからです。

明治のはじめ、日本の学校では、まだ着物で通う人が多くいました。そのなかで、学習院は1879年(明治12年)に、男子用の詰襟の学生服とズボン、学帽の制服を決めています[2]。ただし、学習院の最初の型は詰襟とする資料が多い一方、別の型(海軍士官型)とする資料もあり、食い違いは原資料で確かめていません。

1886年(明治19年)には、帝国大学が詰襟の学生服、ズボン、角帽の男子制服を定めました。詰襟は、いち早く洋服を取り入れた軍服をまねた形だとされます[2]。

金ボタンの詰襟のはじまり

ある解説では、1886年の帝国大学の制服が金ボタンの詰襟の始まりといわれ、お手本は陸軍の制服だったと紹介されています[3]。大学は国の学問の一番上にあたる場所で、そこが率先して制服を決めたのは、近代の教育の象徴でもあったようです[3]。

学習院では1879年(明治12年)に、男子の詰襟学生服・ズボン・学帽が制服として定められた。帝国大学では1886年(明治19年)に、詰襟学生服・ズボン・角帽の男子制服が定められた。詰襟は、早くに洋服を導入した軍服を模した型とされる[2]。

なお、学習院の当初の型は「詰襟」とする資料が多い一方、別の型(海軍士官型)とする資料も見られる。この食い違いは、原資料(学習院の史料)で確かめていない。金ボタンの詰襟の始まりとしては、1886年の帝国大学の制服が挙げられ、お手本は陸軍の制服だったといわれる[3]。

学習院・帝国大学が率先して制服を導入した背景には、権威や近代教育の象徴という性格があったと解説されている[3]。

3. おてほんは、どこの ふく?

3. お手本は学校の服ではなかった

3. 陸軍下士官の服と兵式体操

この つめえりの おてほんは、がっこうの ふくでは ありませんでした。りくぐんの、ある ひとたちが きて いた ふくです。

そのころ、がっこうでは「へいしきたいそう」と いう じゅぎょうが はじまって いました。みんなで そろって うごく れんしゅうです。

そろって うごくには、そろった ふくが いい。それで、りくぐんの ふくの かたちが、えらばれたと いわれて います[1]。

いえの ちかくの、そろいの ふくを きて おどる ようすを おもいだして ください。おなじ ふくを きると、みための ようすが そろいます。ただし、これは たとえで、ほんとうの りゆうは、ぜんぶ わかって いるわけでは ありません。

意外なことに、詰襟のお手本は学校ではなく、軍にありました。世界大百科事典によると、この服が学校に入ったきっかけは、兵式体操の服装としてだったといいます[1]。

兵式体操は、生徒の集団性、つまり皆で動く力を育てるために取り入れられた授業です[1]。同じ服で動くほうが、そろいやすいと考えられたのでしょう。

型は、黒い布の詰襟・金ボタンの上着と、同じ布のズボンで、当時の陸軍下士官の戦闘服をモデルにしています[1]。軍服そのものではなく、その型を手本にしたことになります。

なぜ下士官の服だったのかは、参照した資料には書かれておらず、体操の服装として型が選ばれたところまでが分かることです。

『世界大百科事典』の「学生服」の項によると、学校への制服の導入は、生徒の集団性の育成をねらって取り入れられた兵式体操の服装としてであった。その型は、黒色の布による詰襟・金ボタンの上衣と、同布のズボンという、当時の陸軍下士官の戦闘服をモデルとする[1]。

ここで注意したいのは、モデルは陸軍下士官の服の型であり、軍服そのものが学校へ持ち込まれたのではない点である。学習院・帝国大学の例と合わせると(2章)、軍服を洋服の先例とする見方は、複数の資料に共通して見られる[2][3]。

なぜ下士官の服だったのかは、この資料に理由の記述がなく、体操の服装として型が選ばれたところまでが言える。

4. どうやって ぜんこくに ひろがったの?

4. 大学の制服が全国の中学へ

4. 1886〜1888年の採用と全国への波及

いちばん えらい だいがくの ふくは、ほかの がっこうの おてほんに なりました。

1886ねんに こうとうしはんがっこうや ていこくだいがくで つかわれると、つぎの としからは、ぜんこくの ちゅうがっこうや しはんがっこうも、つぎつぎに おなじ ふくを えらんだと いわれます[1]。

ずっと あとに なると、わたしたちの まわりの がっこうでも、ふつうの ふくに なって いきました。

1886年に高等師範学校や帝国大学で採用されたのを皮切りに、翌1887〜88年のうちに、各地の師範学校や中学校でも制服として採用されたとされます[1]。

最高学府で決まった制服は、全国の中学や高校の模範になり、しだいに広まっていったと説明されます[2]。学校のいちばん上が着る服は、下の学校にとっても、ちょっとしたあこがれだったのかもしれません。

その後、明治の中ごろから後半にかけて、私立学校でも広く用いられるようになりました[1]。

『世界大百科事典』によれば、1886年に高等師範学校・帝国大学などで採用されたのが最初で、1887〜88年のうちに各地の師範学校・中学校が制服として採用した[1]。

最高学府で採用された制服が全国の中学・高校の模範となり、次第に広まったとも解説される[2]。学習院・帝国大学の制服(2章)と兵式体操(3章)が、ほぼ同じ時期に重なった形になる。

また、日清・日露戦争期ごろには私立学校でも広く用いられたと同事典は記す[1]。この記事では、広がりの時期を示すためにだけ触れる。詰襟が学生の服として定着した時期は、このころと重なるようである。

5. 「らん」は、なんの ことなの?

5. 「ラン」の語源 ── 三つの説

5. 「学ラン」の語源 ── 諸説の整理

さいごに、「らん」の なぞに もどります。ひとつめの こたえは、「おらんだ」の「らん」です。

むかし、ようふくを「らんぷく」と よびました。「らん」は、おらんだの ことです。がくせいが きる らんぷくで、「がくらん」に なったと いう はなしが あります[4]。

ほかにも、いくつか かんがえが あります。でも、どれが ほんとうかは、まだ きまって いません。

「らん」の ことばの もとは、いろいろな せつが あって、まだ わかって いません。

ここで「ラン」の謎に戻ります。辞書には、いくつかの考え方が並んでいます。

一つ目は「蘭服」説です。江戸時代に洋服を「蘭服」と呼び、学生が着る蘭服の意味で「学ラン」になった、という説です。デジタル大辞泉などが紹介しています(蘭はオランダのこと)[4]。

二つ目は、江戸時代に一部の人たちが使った、舶来の反物を指す言葉「ランダ」を略した、という説です。定説として紹介されることがありますが、具体的な出典は示されていません[5]。

三つ目は、蘭学を学ぶ学生をからかって「学蘭」と呼んだものが変わった、という説もあるようです。

三つとも「蘭」につながっている点は共通していますが、どれが本当なのかは決まっていません。

「学ラン」の「ラン」については、複数の説が並ぶ。

①蘭服説:江戸時代に洋服を「蘭服」と呼び、学生が着る蘭服の意から、とする。デジタル大辞泉と実用日本語表現辞典が、この説を紹介している[4]。

②「ランダ」略称説:江戸時代に特定の人々の間で使われた、舶来の反物を指す隠語「ランダ」の略、とする。ある解説記事は定説として紹介するが、その出典は明記されていない[5]。

③「学蘭」転訛説:蘭学を学ぶ学生を揶揄した「学蘭」が転じた、とする説もある。これは検索結果の要約で見た記述にとどまり、一次資料では確かめていない。

いずれも「蘭」(オランダ)に結びつく点は共通する。ただし、どの説が正しいと断定できる状態にない。

6. じぶんでも しらべて みよう

6. 自分でも調べてみたくなったら

6. 自分でも調べてみたくなったら

いえの ひとの むかしの しゃしんや、そつぎょう アルバム、まちで みかける がくせいの ふくを、みて みましょう。えりの たかさや、ボタンの かずが ちがう かも しれません。

じしょで「がくらん」を ひいて みるのも おもしろいです。じしょに よって、かいて ある ことが ちがうか、くらべて みましょう。

今日できること

家の人の昔の写真や卒業アルバムを、許可を得て見せてもらい、街で見かける学生服は人を撮影せず形だけ観察してみてください。襟の高さ、ボタンの数や色、飾りの有無などを見比べると、同じ詰襟でも意外な違いが見つかるかもしれません。

図書館や家の辞書で「学ラン」を引き、説明が本によってどう違うか比べるのもよいでしょう。この記事で紹介した「ラン」の説のうち、どれが載っているでしょうか。

出かけてできること

学校の歴史や制服の変化は、学校の沿革を紹介するページや、地域の図書館の資料で読めることがあります。

今日できること

家の人の昔の写真や卒業アルバムは許可を得て見せてもらい、街の学生服は人を撮影せず形だけ観察して、襟の高さ・ボタン・襟章などの違いを見比べる。辞書や事典で「学ラン」「学生服」を引き、語源の説明が資料ごとにどう違うかを比べるのもよい。

出かけてできること

学校や大学の沿革ページ、図書館の百科事典・服飾史の本で、制服が定められた時期や型を確かめられる。本記事の学習院の型の食い違い(2章)は、そうした一次資料で確かめる余地が残っている。

資料を読むなら

『世界大百科事典』の「学生服」の項は、学生服全体の成り立ちを短くまとめている。入口としてすすめる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

この記事で使った資料です。語源など、資料どうしで説明が分かれる点は本文で「説」と書いています。

  1. 『改訂新版 世界大百科事典』「学生服」(コトバンク) https://kotobank.jp/word/%E5%AD%A6%E7%94%9F%E6%9C%8D-460439 (1886〜88年の採用、兵式体操、陸軍下士官の服、私立学校への広がり)
  2. nippon.com「時代とともに移り変わる学校制服の意味」 https://www.nippon.com/ja/column/g00554/ (学習院1879年・帝国大学1886年の制服、模範として広がったこと)
  3. All About「学生服・制服の歴史」 https://allabout.co.jp/gm/gc/503627 (金ボタンの詰襟の始まり、権威と近代教育の象徴)
  4. Weblio辞書「学ラン」(デジタル大辞泉ほか) https://www.weblio.jp/content/%E5%AD%A6%E3%83%A9%E3%83%B3 (蘭服説)
  5. ITmedia ねとらぼ「『学ラン』の『ラン』って何なの?」 https://nlab.itmedia.co.jp/research/articles/1425356/ (「ランダ」略称説)

なおした ところ

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