このサイトは、ほんの入り口です

ここに書いてあることは、誰かが実際に手を動かして調べ、考え、作り上げてきたものを拾い集めています。専門の本や論文、作品、そしてそれを生み出した人たち。気になったことがあれば、ぜひそのおおもとに直接ふれてみてください。このメモには書ききれない熱を、感じてもらえると思います。

なぜ 大むかしの アメリカで、何日も おどりつづける 大かいが あったの

大恐慌時代のダンスマラソン

大恐慌時代のダンスマラソン

分野:歴史・文化

1920年から 1930年ごろの アメリカに、何百時間も おどりつづける きょうぎが あった。

さいしょは ちょっとした あそびだったが、けいきが わるく なると、お金の ために からだを こわすまで おどる 人たちが 出て きた。

1920年から1930年代のアメリカに、何百時間も踊りつづける競技があった。

最初はちょっとした遊びだったが、景気が悪くなると、お金のために体をこわすまで踊る人たちが出てきた。

1923年、ニューヨークのダンス教師アルマ・カミングスが27時間踊りつづけて記録を作った。この余興は数週間のうちに全米で流行し、やがて大恐慌の時代に、賞金と食事と寝床をかけて何百時間も踊りつづける、大がかりな見世物興行へと姿を変えていった。

読み方を切り替えられます。画面の上にある「よみかた」のボタンで、小学校低学年むけ小学校高学年むけ中学生むけの3つの書き方に切り替わります。むずかしいと思ったら、いつでもやさしい方に戻ってください。選んだ読み方はブラウザが覚えているので、次に別の記事を開いたときも同じ読み方で始まります。

1. 1923年、27じかん おどりつづけた 人が いた

1. 1923年、27時間踊りつづけた人がいた

1. 1923年、アルマ・カミングスが作った27時間の記録

1923年、アメリカの ニューヨークで、ダンスの 先生を して いた アルマ・カミングスと いう 女の人が、6人の あいてを かえながら、27じかんも おどりつづけた[1]

この きろくは、すぐに ニュースに なり、3しゅうかんの あいだに アメリカの あちこちで、もっと 長く おどろうと する 人たちが 出て きた[1]

1923年、アメリカのニューヨークで、ダンスの先生をしていたアルマ・カミングスという人が、6人の相手をかえながら、27時間も踊りつづけた[1]

この記録はすぐにニュースになり、3週間のあいだにアメリカのあちこちで、もっと長く踊ろうとする人たちが出てきた[1]

1923年、ニューヨークのオーデュボン・ボールルームで、ダンス教師アルマ・カミングスが、6人のパートナーを交代させながら27時間続けて踊り、当時の記録を打ち立てた[1]

この記録は3週間のうちに全米で少なくとも9回更新され、耐久ダンスは全国的な流行となった[1]

2. けいきが わるく なると、お金の ための きょうぎに かわった

2. 景気が悪くなると、お金のための競技に変わった

2. 大恐慌下で賞金・食事・寝床をかけた興行へと変質する

1929年ごろから、アメリカは しごとの ない 人が とても 多い、くるしい じだいに 入った(大きょうこう)。すると ダンスマラソンは、たんなる あそびでは なく なった。しゅさいする 会社が、しょうきんや ごはん、ねる ばしょを よういして、生活に こまった 人たちを 出場させる ように なった[2]

学校の じゅぎょうと 休みじかんを、よるも ねないで 何日も くりかえす ような ものだ(ただし ほんとうは、休める じかんは もっと みじかく、1じかんの うち 45ふんは 立ったまま 足を うごかしつづけ、のこり 15ふんだけ 休めた)。

1929年ごろから、アメリカは仕事のない人がとても多い、苦しい時代に入った(大恐慌)。すると、ダンスマラソンはただの遊びではなくなった。主催する会社が、賞金や食事、寝る場所を用意して、生活に困った人たちを出場させるようになった[2]

きまりは、1時間のうち45分は立って踊りつづけ、のこり15分だけ休めるというものだった[2]

1920年代に始まったダンスマラソンは、1929年に始まる大恐慌のもとで、単なる余興から、生活に困窮した人々を出場させる大がかりな興行へと変質した。主催者は年収に相当するような賞金と、多いときで1日12回ほどの食事、休息用の簡易ベッドを提供し、経済的に行き場を失った人々を集めた[2]

競技のルールは、1時間のうち45分間は直立して足を動かしつづけ、残り15分間だけ休憩できるというものだった。夜間は生バンドが演奏し、昼間はレコードや放送で音楽が流されることが多かった[2]

3. お客さんは、25セントで これを 見にきた

3. お客さんは、25セントでこれを見にきた

3. 見世物としての興行が、2万人規模の産業になった

この もよおしは、見て たのしむ ショーでも あった。お客さんは やすい 入場りょうを はらって、なかに 入り、くたくたに つかれても おどりつづける 出場者たちを ながめた[3]

この催しは、見て楽しむショーでもあった。お客さんは25セントほどの安い入場料をはらって、くたくたに疲れても踊りつづける出場者たちをながめた[3]

ダンスマラソンは、来場者から入場料(1回あたり25セント程度)を取って収益を上げる興行としても成立していた。研究者キャロル・マーティンの推定によれば、司会者、審判、トレーナー、看護師、出場者などを含め、この産業には約2万人が関わっていたという[3]

観客は、極度の疲労で足をもつれさせたり、うたた寝しながらも足だけを動かし続けたりする出場者の姿を見物した。出場者にとっては年収に相当する賞金をかけた真剣な挑戦であったが、その姿が娯楽として消費される構造でもあった[3]

4. からだと こころを こわして しまう 人も いた

4. 体と心をこわしてしまう人もいた

4. 睡眠不足がもたらした死亡事故と精神的な変調

長い あいだ ろくに ねむらずに おどりつづけると、からだにも こころにも、大きな ふたんが かかる。1923年には、モアハウスさんと いう 人が、87じかん おどりつづけた あと に たおれて、なくなって しまった[4]

長いあいだ、ろくに眠らずに踊りつづけると、体にも心にも、大きな負担がかかる。1923年には、ホーマー・モアハウスという人が87時間踊りつづけたあとにたおれ、亡くなってしまった[4]

1928年には、睡眠不足で錯乱状態に陥ったとみられる相手に、出場者がなぐられてしまうという事件も起きている[4]

長時間にわたる睡眠不足は、身体面だけでなく精神面にも深刻な影響を及ぼした。1923年4月、ホーマー・モアハウスは87時間の連続ダンスのあとに倒れ、死亡した[4]

1928年には、シアトルでの大会中、極度の睡眠不足で錯乱状態に陥ったとみられるパートナーに、出場者のグラディス・レンツが殴られる事件が起きた[4]

5. 町ごとに、この きょうぎは きんしされて いった

5. 町ごとに、この競技は禁止されていった

5. 死亡事故と事件を機に、各都市が禁止に踏み切る

モアハウスさんが なくなった あと、ボストンと いう 町が、いちばん はやく この きょうぎを きんしした。その あとも、いくつもの 町で、おなじように きんしされて いった[5]

モアハウスさんが亡くなったあと、ボストンという町が、いちばん早くこの競技を禁止した。ロサンゼルスもすぐに続いた。1928年のなぐられた事件のあとは、シアトルとニュージャージー州でも禁止された[5]

モアハウスの死のあと、1923年にボストンが全米で初めてダンスマラソンを禁止し、同年のうちにロサンゼルスも禁止した。1928年のレンツの事件のあとには、シアトルとニュージャージー州でも禁止されたとされる[5]

1933年にはニューヨーク市も禁止に踏み切った。1930年代の終わりごろまでには、多くの自治体で禁止が広がり、大衆の関心も自然に薄れていった[5]

6. いまの きろくちょうせんは、休みを ちゃんと とる

6. 今の記録挑戦は、休みをちゃんととる

6. 現在のダンスマラソンは、休憩と年齢制限が必須になっている

いまでも、長い じかん おどりつづける きろくに ちょうせんする 人は いる。でも いまは、1じかん おどるごとに 5ふん 休める という きまりや、16さいに ならないと ちょうせんできない ことなど、からだを まもる ルールが きめられて いる[6]

今でも、長い時間踊りつづける記録に挑戦する人はいる。でも今は、1時間踊るごとに5分休めるという決まりや、16歳未満は挑戦できないことなど、体を守るルールが決められている[6]

現在も大学の学生団体などが主催する「ダンスマラソン」は残っているが、多くはチャリティを目的とした、定期的な休憩をともなうイベントとして行われている。ギネス世界記録の公式ルールでも、連続して1時間踊るごとに5分の休憩が認められ(取らなければ蓄積できる)、16歳未満は挑戦できないという安全のための規定が設けられている[6]

じぶんでも しらべて みる

自分でも調べてみたくなったら

自分でも調べてみたくなったら

「1じかんの うち 45ふん、その ばで 足ぶみを しつづけ、のこり 15ふんだけ 休める」と いう きまりを、よるも ねずに 何日も くりかえすと したら、どう なるだろうか。とけいを 見ながら、1じかんぶんだけでも ためして 考えて みよう。

「1時間のうち45分、その場で足踏みをしつづけ、残り15分だけ休める」という決まりを、時計を見ながら1時間ぶんだけ想像してみよう。それを夜も寝ずに何日もくりかえすとしたら、体はどうなるだろうか。

「1時間のうち45分はその場で足踏みをしつづけ、残り15分だけ休める」という当時の規則を、時計を見ながら1時間ぶんだけ体験してみよう。それを昼夜を問わず何日もくりかえすとしたら、体と心にどんな影響が出るか、想像してみるとよい。

しらべた ところ

参考にした情報源

参考にした情報源

  1. 英語版ウィキペディア「Dance marathon」。 https://en.wikipedia.org/wiki/Dance_marathon (1923年、ニューヨークのオーデュボン・ボールルームでダンス教師アルマ・カミングスが6人のパートナーを交代させながら27時間踊り記録を作ったこと、この記録が3週間のうちに全米で少なくとも9回更新されたことは英語版ウィキペディアによる)
  2. 英語版ウィキペディア「Dance marathon」。 https://en.wikipedia.org/wiki/Dance_marathon (大恐慌下で賞金・食事・寝床を提供する興行へと変質したこと、1日12食の食事が提供されたこと、1時間のうち45分踊り15分休憩するという規則、夜間は生バンド・昼間はレコードや放送で音楽が流されたことは英語版ウィキペディアによる)
  3. 英語版ウィキペディア「Dance marathon」。 https://en.wikipedia.org/wiki/Dance_marathon (入場料が25セント程度であったことは英語版ウィキペディアによる。司会者・審判・トレーナー・看護師・出場者を含め約2万人がこの産業に関わっていたという推定は、同ページが紹介する研究者キャロル・マーティンによるものである)
  4. Guinness World Records「The dark history of dance marathons and why USA banned them」、英語版ウィキペディア「Dance marathon」。 https://www.guinnessworldrecords.com/news/2023/7/the-dark-history-of-dance-marathons-and-why-usa-banned-them-755476 https://en.wikipedia.org/wiki/Dance_marathon (1923年4月、ホーマー・モアハウス〈Homer Morehouse〉が87時間の連続ダンスのあとに倒れ死亡したこと、1928年にシアトルでグラディス・レンツが睡眠不足で錯乱状態に陥ったとみられるパートナーに殴られる事件が起きたことはGuinness World Recordsおよび英語版ウィキペディア双方による)
  5. Guinness World Records「The dark history of dance marathons and why USA banned them」、英語版ウィキペディア「Dance marathon」。 https://www.guinnessworldrecords.com/news/2023/7/the-dark-history-of-dance-marathons-and-why-usa-banned-them-755476 https://en.wikipedia.org/wiki/Dance_marathon (モアハウスの死を受けて1923年にボストンが全米で初めてダンスマラソンを禁止しロサンゼルスが続いたこと、1928年の事件を受けシアトルとニュージャージー州でも禁止されたこと、1933年にニューヨーク市も禁止したこと、1930年代終わりごろまでに多くの自治体で禁止が広がり大衆の関心も薄れていったことはGuinness World Recordsおよび英語版ウィキペディア双方による)
  6. Guinness World Records「The dark history of dance marathons and why USA banned them」。 https://www.guinnessworldrecords.com/news/2023/7/the-dark-history-of-dance-marathons-and-why-usa-banned-them-755476 (現在のギネス世界記録の公式ルールで、連続して1時間活動するごとに5分の休憩が認められ〈取らなければ蓄積できる〉こと、16歳未満は挑戦できないことはGuinness World Recordsによる)

なおした ところ

更新履歴

更新履歴(改版の記録)

  •  初版を公開。

このサイトでは、公開した記事の本文は原則として書き直しません。誤りが見つかったときや、内容が古くなったときだけ手を入れ、その理由をこの欄に残します。