1. いろを つけるのと、そめるのは、ちがうの?
1. 色を「つける」ことと、「染める」ことは別
1. 「つける」と「染める」のちがい ── 3万年前の繊維から
あかい はなびらを ぬのに こすりつけると、あかい あとが つく。でも、あらうと、たいてい きえて しまう。
だから、いろを「つける」のと「そめる」のは ちがう。そめる とは、いろの もとを ぬのの 中の せんいまで いれて、あらっても でて こないように する こと だ。その ための いろの もとが、染料。
そめた あとは、ずいぶん むかしから ある。ジョージアと いう くにの どうくつで、3まん ねん ぐらい まえの せんいに、そめた あとが ある、と ほうこく された[1]。ただし、その せんいが なんの せんいか に ついては、ちがう いけんも 出て いる[2]。
この メモは、そめる ざいりょうごとに、いろを どうやって ぬのに とめたのかを みて いく。
布に色をつけるだけなら、むずかしくない。赤い花びらを布にこすりつければ、赤い跡が残る。でも、洗えばたいていは消えてしまう。
「色をつける」ことと「染める」ことは別だ。染めるとは、色のもと(色素)を繊維の中まで入れて、洗っても出てこないようにすることをいう。そのための材料が染料だ。水に溶けて繊維にしみこむものを染料、水に溶けず細かい粒のまま表面にのるものを顔料と呼ぶ(黒いインクを水につけると色が分かれる話は、インクのメモで書いた)。
染めた跡は、思ったより古い。2009年の科学雑誌『Science』の論文は、ジョージアのジュジュアナ洞窟で、約3万年前の地層から、紡いだり結んだり、植物の色素で染めたりした野生の亜麻の繊維が見つかったと報告した[1]。ただし、この繊維が亜麻だという判断には、2010年に別の研究者から疑問も出ている[2]。
この報告だけでは、その色が洗っても残る染めだったのかは分からない。このメモでは、染料ごとに、色を布にとどめる工夫を見ていく。
布に色をつけるだけなら、むずかしくない。赤い花びらを布にこすりつければ、赤い跡が残る。ただ、洗えばたいていは消える。「色をつける」と「染める」は別のことで、染めるとは、色のもと(色素)を繊維の中まで入れ、洗っても出てこないようにすることだ。
水に溶けて繊維にしみこむ色の材料を染料、溶けずに細かい粒のまま表面にのるものを顔料という(黒いインクを水につけると色が分かれる話は、インクのメモで書いた)。このメモで扱うのは、染料のほうだ。
染めの跡は、思ったより古い。2009年の『Science』論文は、ジョージアのジュジュアナ洞窟で、約3万年前(放射性炭素年代で3万2000〜2万6000年前ごろの層を含む)の地層から、紡いだり、結んだり、植物の色素で染めたりした野生の亜麻の繊維が見つかったと報告した[1]。ただし、繊維が亜麻だという同定には、2010年に別の研究者から疑問も出された[2]。
この報告からは、その色が洗っても残る染めだったのかまでは分からない。以下では、染料ごとに、色をどうやって布にとどめたのかを見ていく。
2. あいの あおは、どうして あらっても おちにくいの?
2. 藍 ── 溶けない青を、いったん溶かして布に入れる
2. 藍 ── 水に溶けないインジゴを、いったん溶かして繊維に入れる
あおい あいぞめの いろの もとは、藍と いう くさから とる。この いろは、みずに とけない。とけない から、あらっても おちにくい。でも、とけないと、ぬのの 中にも はいらない。こまった ね。
そこで、むかしの 人は、こう した。まず、いろの もとを、とかす ことが できる かたちに かえる。その 水に ぬのを つけて、ひきあげる。すると、くうきに ふれて、もとの とけない あおに もどる。ぬのの 中で もどる から、でて いけなく なる。
かぎを あけて 中に はいって、中から かぎを かける みたい だ。ただし ほんとうは、かぎでは なく、さんそと くっつく ちいさな かがくの へんかだ。
ぬのを ひきあげた ときは、まだ あおく ない。くうきに ふれて、あおく なる。うすいので、なんども つけて こくする。
ペルーの いせきでは、いまから 6000ねんぐらい まえの 綿の ぬのが、あいの いろで そめて あった[6]。
でも、あいの いろの もとは みずに とけない から できた こと だ。みずに とける いろの もとは、どうやって ぬのに とめたの だろう。
藍の青い色のもとは、インジゴ(インディゴ)という色素だ。水に溶けない。溶けない色は洗っても落ちにくい。でも、溶けないなら、そのままでは繊維の中に入らない。藍染めは、この行きづまりをうまく抜ける。
日本の伝統的な藍染めでは、藍の葉を発酵させた「すくも(蒅)」を使う。徳島県によると、積み上げた藍の葉に水だけをかけ、温度を管理しながら約100日発酵させると、阿波藍(すくも)ができる[3]。
染める液を作ることを「藍を建てる」という。すくもをアルカリ性の液(灰汁など)に入れ、微生物などのはたらきで、インジゴを水に溶ける形(ロイコ体)に変える。この形は黄色っぽい[4][5]。布をこの液に浸して引き上げると、空気にふれて酸素と結びつき、溶けないインジゴに戻る[4]。染液の中の色素は青くなく、繊維にしみこんだあと、空気にふれて青くなる。1回では薄いので、浸けては空気にさらす作業をくり返して濃くする[4]。
鍵を開けて中に入り、中から鍵をかけるようなものだ。ただし本当は、鍵ではなく、酸素と結びつく化学変化で、水に溶ける形から溶けない形に変わっている。
藍染めの歴史も古い。ペルー北部の遺跡ワカ・プリエタで見つかった約6000年前の綿布に、インジゴが使われていたことが、2016年に報告された[6]。
日本では、大阪周辺で綿の栽培が広がり、綿と相性のよい藍染料の需要が増えた。阿波藍は1700年代に全国の市場を支配するようになった、と徳島県は説明している[3]。
藍は、色素そのものが水に溶けない染料だった。では、水に溶けやすい色素は、どうやって布にとどめたのだろう。
藍の青い色のもとは、インジゴ(インディゴ)という色素で、水に溶けない。溶けない色は洗っても落ちにくいが、溶けないなら、そのままでは繊維の中に入らない。藍染めは、この行きづまりをうまく抜ける。
日本の伝統的な藍染めでは、藍の葉を発酵させた「すくも(蒅)」を使う。徳島県によると、積み上げた藍の葉に水だけをかけ、温度を管理しながら約100日発酵させると、阿波藍(すくも)が完成する。1445年の『兵庫北関舩入納帳』に藍の積み出しの記録があり、室町時代にはすでに流通していた[3]。
染液を作る「藍建て」では、すくもをアルカリ性の水溶液(灰汁など)に入れ、微生物のはたらきなどで、インジゴを水に溶ける形(還元体のロイコ体)に変える。この形は黄色みを帯びた水溶液になる[4][5]。布を浸して引き上げ、空気にふれさせると、酸素と結びついて溶けないインジゴに戻る[4]。つまり、染液の中の色素は青くなく、繊維にしみこんだあと、空気にふれて青くなる。1回では薄いので、浸けては空気にさらす作業をくり返す[4]。
ペルー北部のワカ・プリエタ遺跡では、約6000年前(6200〜4000年前の層)の綿布から、インジゴの色素が確認され、2016年に報告された。この研究者たちは、世界で知られるもっとも古い藍染めの例だとしている[6]。
日本では、大阪周辺で綿の栽培が広がり、綿と相性のよい藍染料の需要が増えた。阿波藍は1700年代に全国の市場を支配するようになった、と徳島県は説明している[3]。
藍は、色素そのものが水に溶けない染料だった。では、水に溶けやすい色素は、どうやって布にとどめたのだろう。
3. いろと ぬのの あいだに たつ、きんぞく
3. 茜と灰汁 ── 色と布のあいだに立つ金属
3. 茜と灰汁 ── 媒染という発明
くさや きの いろの もとには、ただ ぬのに つけただけでは、せんいに とどまりにくい ものが ある。そこで つかわれたのが 媒染。きんぞくが、いろの もとと せんいの あいだに はいって、りょうほうに くっつく、りょうめんテープの ような はたらきを する[7]。ただし ほんとうは、テープでは なく、きんぞくの つぶ(イオン)が、でんきの ちからで りょうほうを ひきつけるのだ。
茜と いう くさの ねっこからは、あかい いろが とれる。きんぞくが ちがうと、おなじ くさでも、いろが かわる。ミョウバンだと きいろから あかい いろ、てつだと ふかい みどりや あおに なる ことが おおい[7]。
にほんでは、はいを みずに とかした 灰汁を つかう。はいの 中に ある アルミニウムが、きんぞくの やくめを する ことが ある。つばきの はいは、アルミニウムが おおい と いわれ、むらさき いろを そめる ときに つかわれた[9]。
まんようしゅうの うたにも、この はなしが でて くる。「紫は 灰さす ものぞ」と いう ことばで はじまる うただ[10]。
いろを とめる くふうは、こうして わかって きた。でも、いろの ざいりょうが なかなか 手に 入らない ばあいも あった。
藍のように、溶かして布に入れてから溶けない形に戻す染料は、ほかの染料と染め方がちがう。植物の色素には、ただ布に浸しただけでは繊維にとどまりにくいものがある。そこで使われたのが媒染だ。金属のイオンが、色素と繊維のあいだに入って両方に結びつき、色素をしっかり繊維にとどめる[7]。色素と繊維の両方にくっつく両面テープのようなものだ。ただし本当は、テープではなく、電気的にひかれあう力で結びついている。
茜は、その代表だ。根から赤い色素(アリザリンなど)が取れる。アメリカのゲティ美術館の解説によると、茜で布を染めるには媒染が必要で、アルミニウムのような金属のイオンが根の成分と結びついて繊維との結合を助け、色を赤みのほうへ寄せる[8]。
媒染に使う金属で、同じ植物でも色が変わる。草木染め全般では、ミョウバン(アルミニウム)だと黄色〜赤系統の色に、鉄だと深い緑〜深い青系統の色になることが多い[7]。
日本では、金属の塩のかわりに、灰を水に溶かした灰汁が使われてきた。灰汁に含まれるアルミニウムのイオンが、色素と結びついて色を鮮やかにし、固定する。椿の灰は、藁の灰より酸化アルミニウムの割合が高く、古くから紫染めに使われてきたと説明されている[9]。
万葉集には、その話が歌の中に出てくる。「紫は灰さすものぞ海石榴市の八十の街に逢へる子や誰れ」(巻12・3101、作者不明)。紫を染めるには灰を加える、という前置きから、海石榴市(椿と同じ字を使う地名)の人ごみで出会った人の名を尋ねる歌へつながっていく。「灰さす」が地名の「つばいち」=椿を引き出す、と解説されている[10][11]。化学の言葉がなかった時代の人も、経験で、椿の灰が紫をきれいに染めることを知っていたのだろう。
色をとどめる工夫は、こうして見えてきた。ところが、色の材料そのものが手に入りにくい場合もあった。
藍のように、溶かして布に入れてから溶けない形に戻す方法とは別に、「媒染」という方法がある。植物の色素には、ただ布に浸しただけでは繊維にとどまりにくいものがある。媒染では、金属のイオンが色素と繊維のあいだに入って両方に結びつき、色素を繊維にしっかり結びつける[7]。
茜はその代表だ。根から赤い色素(アリザリンなど)が取れる。ゲティ美術館の解説によると、茜で布を染めるには媒染が必要で、アルミニウムのような無機のイオンが根の成分と錯体を作り、繊維との強い結合を助けて、色を赤みのほうへ寄せる。茜が確かに使われたと分析で確認された最古の例は、エジプトの中王国第11王朝(前2124〜前1981年ごろ)の革の矢筒の断片だ。インダスのモヘンジョ・ダロの木綿から茜が見つかったという話もよく紹介されるが、同じ解説は、古い分析方法によるもので確かではないとしている[8]。
媒染に使う金属で、同じ植物でも色が変わる。草木染め全般では、ミョウバン(アルミニウム)だと黄色〜赤系統の色に、鉄だと深い緑〜深い青系統の色になることが多い[7]。
日本では、金属の塩のかわりに、灰を水に溶かした灰汁が使われてきた。灰汁に含まれるアルミニウムのイオンが色素と結びつき、色を鮮やかにして固定する。椿の灰は酸化アルミニウムを0.84%含み(藁灰は0.36%)、古くから紫染めに使われてきたと説明されている[9]。
万葉集にも、これが歌の中に出てくる。「紫は灰さすものぞ海石榴市の八十の街に逢へる子や誰れ」(巻12・3101、作者不明)。歌垣・求婚の歌に分類されている。紫を染めるには灰(椿の灰)を加える、という前置きから、海石榴市(椿と同じ字を使う地名)の人ごみで出会った人の名を尋ねる歌へつながる[10][11]。染めの技術が、ことば遊びに使えるほど知られていたことがうかがえる。
色をとどめる工夫は、こうして見えてきた。ところが、色の材料そのものが手に入りにくい場合もあった。
4. かいと むし ── いきものから とる、たかい いろ
4. 貝と虫 ── 生きものから取る、高い色
4. 貝紫とコチニール ── 生きものから取る高価な色
いろの ねだんは、ざいりょうで ぜんぜん ちがう。ちちゅうかいの まきがいから とる 貝紫は、とても たかかった。1908ねんから 1909ねんに かけて、ある かがくしゃが、貝を 1万2000こ あつめて、いろの もとを とりだした。とれたのは 1.4グラム。1えんだま 1まいぶん ちょっと だと いわれる[13][29]。
この いろの もとは、あいの なかまで、そめかたも あいに にて いる[12]。イスラエルの いせきからは、3000ねん いじょう まえの、貝紫で そめた ひつじの けの ぬのが 見つかった[12]。
あかい いろには、むしを つかった。サボテンに つく むしを かわかすと、あかい いろの もとが とれる[15]。メキシコで むかしから つかわれ、スペインが ヨーロッパへ うった。おしろの おかねの もとに なる ほど、たいせつな もの だった[16]。
この あかい いろの もとは、いまも おかしや かまぼこなどの いろに つかわれて いる[31]。
むしから とる あかも、かいから とる むらさきも、いきものが いないと つくれない。それを こうじょうで つくれる ように なった きっかけは、ある しっぱいだった。
色の値段は、材料が何かで大きく変わる。地中海の巻貝から取る貝紫は、その極端な例だ。貝紫の色素は、化学的には藍の親戚で、インジゴに臭素がついた形の色素(6,6'-ジブロモインジゴなど)を含む[12][13]。染め方も藍に似ていて、還元して黄色い水溶性の形にし、布にしみこませてから空気で酸化させる[12]。
取れる量はごくわずかだ。化学者パウル・フリートレンダーが、1908年に Murex brandaris という貝を約1万2000個集め、色素約1.4グラムを取り出して、1909年に発表した、と伝えられている[13][29]。1円玉1枚とちょっとの重さに、貝1万2000個だ。
貝紫で染めた布として、イスラエルのティムナ谷の銅の精錬遺跡(紀元前11世紀末〜10世紀初め)から出た羊毛3点は、南レバント(地中海東岸の南部)で知られているうちで最古のものだ。論文は、貝紫を「古代の多くの社会でもっとも格式の高い染料」と紹介している[12]。ローマ帝国では、424年に皇帝テオドシウス2世が、黒みを帯びた赤の貝紫を皇族だけのものとする法を出したと伝わる[14]。
赤には、虫がいる。ウチワサボテンにつくコチニールカイガラムシを乾かすと、カルミン酸という赤い色素が取れる[15]。メキシコで古くから使われ、16世紀にスペインがヨーロッパへ輸出しはじめた[15]。アメリカの科学史研究所の解説によると、1600年ごろには年に約15万ポンド(約68トン)がスペインへ運ばれ、重さの半分以上の銀に相当するほど高価だったこともあった。三世紀にわたってスペイン王室にもたらした富で、コチニールを一貫して上回った輸出品は、ほかに1つだけだった、とも書かれている[16]。
コチニールの色素は、今も食品や化粧品に使われている[15]。食品添加物の解説では、飲料や菓子、かまぼこなどの練り物、ハム・ソーセージなどに使われ、原材料表示では「コチニール色素」「カルミン酸色素」などと書かれる例が挙げられている[31]。ナショナル ジオグラフィックの記事(2013年)は、ヨーグルトやキャンディの例を挙げている[17]。
生きものから取っていた紫や赤を、工場で作れるようになったのは、ある失敗がきっかけだった。
色の値段は、材料が何かで大きく変わる。地中海の巻貝(Bolinus brandaris、Hexaplex trunculus、Stramonita haemastoma)から取る貝紫は、その極端な例だ。色素は化学的には藍の親戚で、インジゴに臭素がついた形の色素(6,6'-ジブロモインジゴなど)を含む[12][13]。染め方も藍に似ていて、還元して黄色い水溶性の形(ロイコ体)にし、布にしみこませてから空気で酸化させる[12]。
取れる量はごくわずかだ。化学者パウル・フリートレンダーが、1908年に Murex brandaris を約1万2000個集め、色素約1.4グラムを取り出して、1909年に発表した、と伝えられている[13][29]。1円玉1枚とちょっとの重さに、貝1万2000個だ。
貝紫で染めた布として、イスラエルのティムナ谷の銅の精錬遺跡(放射性炭素年代で前11世紀末〜前10世紀初め)から出た羊毛3点は、南レバントで知られているうちで最古だ。論文は、貝紫を「古代の多くの社会でもっとも格式の高い染料」と紹介している[12]。ローマ帝国では、424年に皇帝テオドシウス2世が、黒みを帯びた赤の貝紫を皇族だけのものとする法を出したと伝わる[14]。「紫は王の色」といわれることが多いが、着る人を法で決めたのは後の時代の話で、古い時代の使われ方は、ティムナのような出土品から少しずつ分かってきている段階だ。
赤には、虫がいる。ウチワサボテンにつくコチニールカイガラムシを乾燥させると、カルミン酸という赤い色素が取れる[15]。メキシコで古くから使われ、16世紀にスペインがヨーロッパへ輸出しはじめた[15]。科学史研究所(Science History Institute)の解説によると、1600年ごろには年に約15万ポンド(約68トン)がスペインへ運ばれ、重さの半分以上の銀に相当するほど高価だった時期もあった。三世紀にわたってスペイン王室にもたらした富で、コチニールを一貫して上回った輸出品は、ほかに1つだけだった、とも書かれている[16]。
コチニールの色素は、今も食品や化粧品に使われている[15]。食品添加物の解説では、飲料や菓子、かまぼこなどの練り物、ハム・ソーセージなどに使われ、原材料表示では「コチニール色素」「カルミン酸色素」などと書かれる例が挙げられている[31]。ナショナル ジオグラフィックの記事(2013年)は、ヨーグルトやキャンディの例を挙げている[17]。
生きものから取っていた紫や赤を、工場で作れるようになったのは、ある失敗がきっかけだった。
5. くすりを つくろうと したら、むらさきが できた
5. 1856年 ── 薬を作ろうとして、紫ができた
5. 1856年のモーブ ── キニーネを作ろうとした18歳の実験
1856ねんの はるやすみ、イギリスの 18さいの わかもの、パーキンは、ある くすりを つくろうと して いた。マラリアの くすり、キニーネ だ。その ころ、この くすりは、きの かわからしか とれ なかった[18]。
パーキンは、せきたんから とれる むしょくの あぶらを つかって、じっけんを した。できたのは、くすりでは なく、くろい どろ みたいな もの。そこから いろを とりだして、きぬを つけると、むらさきに そまった[19]。
くすりは できなかった。でも、この しっぱいの のこりものが、せかいで はじめて うれた「ごうせいせんりょう」に なった[18]。パーキンは、この いろに モーブと いう なまえを つけた。
ここまでの あいや あかねや 貝や むしは、みんな、くさや いきものから とる いろだった。ここから、いろを こうじょうで つくる じだいが はじまる。
1856年のイースター休暇、ロンドンの王立化学大学の学生だった18歳のウィリアム・パーキンは、自宅の実験室で、ある薬を作ろうとしていた。マラリアの薬、キニーネだ。当時キニーネは、キナの木の樹皮からしか取れなかった。先生のホフマン教授が、これを人工的に作れたらよい、と話していた[18]。
パーキンは、石炭タールから取れる無色の油、アニリンを、二クロム酸カリウムで酸化させた。できたのはキニーネではなく、黒い沈殿だった。その沈殿から色を取り出して絹に試すと、紫に染まった[19]。彼はこの紫を「モーブ(アニリン・パープル)」と名づけ、1856年8月26日に特許を申請した[19]。ホフマンの勧めに反し、建設業者だった父の資金で、1857年にロンドン近郊のグリーンフォード・グリーンに工場を開いた[18]。
薬は作れなかった。でも、その失敗の残りものが、世界で初めて商売になった合成染料だった[18]。これまで見てきた藍・茜・貝紫・コチニールは、植物・貝・虫から取る色だった。ここから、色を工場で作る時代が始まる。
1856年のイースター休暇、ロンドンの王立化学大学の学生だった18歳のウィリアム・パーキン(1838〜1907)は、自宅の実験室で、ある薬を作ろうとしていた。マラリアの薬キニーネだ。当時キニーネは、キナの木の樹皮からしか取れなかった。師のアウグスト・ホフマンが、これを人工的に作れたらよい、と話していた[18]。
パーキンは、石炭タールから取れる無色の油、アニリンを、二クロム酸カリウムで酸化させた。できたのはキニーネではなく、黒い沈殿だった。この沈殿から色を取り出して絹に試すと、紫に染まった[19]。彼はこの紫を「モーブ(アニリン・パープル)」と名づけ、1856年8月26日に特許を申請した[19]。ホフマンの勧めに反して、建設業者だった父の資金を得て、1857年にロンドン近郊のグリーンフォード・グリーンに工場を開いた[18]。
目的の薬は作れなかった。しかし、その失敗の残りものが、世界で初めて商業化された合成染料だった[18]。ここまでに見た藍・茜・貝紫・コチニールは、植物・貝・虫から取る色だ。モーブは、色を化学工場で作れることを示した。
6. いろの もとは、はたけから こうじょうへ
6. 畑から工場へ ── 茜と藍のゆくえ
6. 畑から工場へ ── アリザリンと合成藍が変えたもの
1868ねんには、ドイツの かがくしゃが、あかねの いろの もとを、せきたんから つくる ほうほうを 見つけた。あかねを そだてる しごとは、大きな ダメージを うけた[20]。
あいも おなじだ。1897ねん、ドイツの 会社が、こうじょうで つくった あいの いろの もとを うりだした。ここまでに、17ねんの けんきゅうと、1800まんマルクの おかねが かかった[21]。てんねんの あいの りょうは、1900ねんの 1まん9000トンから、1914ねんには 1000トンぐらいまで へった、と しょうかい されて いる[30]。
にほんの あわあいも、この ながれの 中に ある。1903ねんに、あわあいの はたけは いちばん ひろく なった。その あと、インドや ヨーロッパの あいが たくさん 入って きて、あわあいの りょうは ぐっと へった、と せつめい されて いる[3]。
ごうせいの あいも、てんねんの あいと おなじ いろの もとだ。いまは、ごうせいの あいが 1ねんに 5まんトンぐらい、てんねんの あいは 500トンぐらいしか つくられて いない。ごうせいの あいの おもな つかいみちは、ジーンズなどの デニム だ[30]。
では、いまの ふくは、どうやって いろを とめて いるのだろう。
畑や海から取っていた色が、次々に工場の製品に置きかえられていった。1868年、ドイツのグレーベとリーバーマンが、茜の色素アリザリンを、石炭タールから取れる物質から作る方法を見つけた。すぐにイギリスでも特許がとられ、茜を育てる産業は大きな打撃を受けた[20]。
藍は、もう少し時間がかかった。バイヤーが藍を合成する方法を見つけたのは1880年ごろだ[23]。工場で作れるようにするまでには時間がかかり、ドイツのBASF社は、17年の研究と1800万金マルク(当時の同社の資本金を超える額)をかけて、1897年に合成藍を売り出した[21]。天然藍の生産は、1900年の年約1万9000トンから、1914年には約1000トンへ減ったと紹介されている[30]。
日本の阿波藍も、この流れの中にある。徳島の藍栽培の面積は1903年に約1万5000ヘクタールでピークになった。しかし、そのあとはインドからの沈殿藍とヨーロッパからの合成藍の輸入が増え、阿波藍の生産量は激減した、と徳島県は説明している[3]。今も阿波藍は作られている[3]。
合成藍は、天然藍と同じインジゴという物質だ。今の世界の生産量は、合成が年約5万トン、天然は約500トンにとどまり、合成藍の主な用途はデニムやジーンズだという[30]。
では、今の服は、どうやって色をとどめているのだろう。
畑や海から取っていた色が、次々に工場の製品に置きかえられた。1868年、ドイツのグレーベとリーバーマンが、茜の色素アリザリンを、石炭タール由来の物質から合成する方法を見つけた。すぐにイギリスでも特許がとられ、茜を育てる産業に大きな打撃を与えた[20]。
藍には時間がかかった。バイヤーが藍の合成法を見つけたのは1880年ごろだ[23]。ただ、工場で作れるようにするまでに、ドイツのBASF社は、17年の集中的な研究と1800万金マルク(当時の同社の資本金を超える額)をかけて、1897年に合成藍「インディゴ・ピュア」を売り出した[21]。天然藍の生産は、1900年の年約1万9000トンから、1914年には約1000トンへ減ったと紹介されている[30]。
日本でも同じ流れがあった。徳島の藍栽培の面積は1903年に約1万5000ヘクタールでピークになった。しかし、そのあとはインドからの沈殿藍とヨーロッパからの合成藍の輸入が増え、阿波藍の生産量は激減した、と徳島県は説明している[3]。現在も阿波藍は作られている[3]。
合成藍は、天然藍と同じインジゴという物質だ。今の世界の生産量は、合成が年約5万トン、天然は約500トンにとどまり、合成藍の主な用途はデニムやジーンズだという[30]。
では、今の服は、どうやって色をとどめているのだろう。
7. いまの ふくは、どうやって そめて いるの?
7. いまの服 ── 繊維ごとに、染料も染め方もちがう
7. 今の服の染料 ── 繊維ごとの組み合わせと、色が出ていく理由
いまの ふくは、せんいの しゅるいに あわせて、そめる ざいりょうを えらぶ。綿の ふくには、はんのう せんりょう。ポリエステルには、ぶんさん せんりょう[24]。
綿の はんのう せんりょうは、1956ねんに イギリスの 会社が うりだした。せんりょうが、せんいの 一ぶんに なる ように、くっつく。だから、せんたくに つよい[25]。ポリエステルは、せんいの すきまが せまく、そまりにくい。130どぐらいの あつい おゆで、せんりょうを おしこむ ように そめる[24][26]。
それでも、せんたくで いろが でる ことが ある。せんりょうが しっかり くっついて いない ふくや、ぬのの ひょうめんに あまった せんりょうが、みずに とけ出して、ほかの ふくに つく から だ[27]。
ジーンズは、あべこべの ふくだ。あいの いろは、せんいの 中まで はいりにくい。だから、いとの まわりだけが あおく、まんなかは しろい ままだ。はいて あらうと、あおい ところが すこしずつ とれて、しろが 見えて くる。これが ジーンズの「いろおち」の おもしろさ[28]。
今の服の染料は、繊維ごとに選ばれる。繊維の品質検査を行うニッセンケン品質評価センターの解説では、綿やレーヨンには反応染料、毛とナイロンには酸性染料、アクリルにはカチオン染料、ポリエステルには分散染料(カチオン可染タイプにはカチオン染料)が使われる[24]。
綿の反応染料は、1956年(モーブの発見からちょうど100年後)にイギリスのICI社が「プロシオン」として発表したものが最初だ。アルカリ性の染液の中で、染料が繊維(セルロース)と化学反応して結びつく。染料が繊維の一部になるので、洗濯に強い[25]。
ポリエステルは繊維の結晶性が高く、染料が入りにくい。分散染料を使い、約130℃の高温で、繊維の隙間に染料を押しこむように染める[24][26]。
それでも洗濯で色が出ることがある。「色移り」は、染料と繊維の結びつきが弱いものや、表面に余った染料が、洗濯中に水に溶け出し、別の繊維についてしまう現象だと説明される。水温が高いとき、強いアルカリ性の洗剤を使うとき、洗濯槽に詰めこみすぎて摩擦が強いときに起こりやすい[27]。
ジーンズは、色の出ていきやすさを逆に生かした服だ。インジゴは繊維に入りにくいので、糸を染液に浸しては空気にさらす染め方だと、糸の表面だけが青く染まり、中心は白いまま残る(「中白」)。着て洗ううちに表面の青がすり減り、中の白が出てくる。これがジーンズの色落ちの味わいになる[28][22]。ジーンズは、色が落ちていく変化そのものが楽しまれる服だ。
今の服の染料は、繊維ごとに選ばれる。繊維製品の品質評価を行うニッセンケン品質評価センターの解説では、綿・レーヨンには反応染料、毛・ナイロンには酸性染料、アクリルにはカチオン染料、ポリエステルには分散染料(カチオン可染タイプにはカチオン染料)が使われる[24]。
綿の反応染料は、1956年(モーブの発見からちょうど100年後)にイギリスのICI社が「プロシオン」として発表したのが最初だ。アルカリ性の染浴中で、染料がセルロース繊維の水酸基と反応して共有結合を作る。染料が繊維の一部になるので、洗濯堅牢度がすぐれている[25]。
ポリエステルは繊維の結晶性が高く、染料が入りにくい。分散染料を使い、約130℃の高温で繊維構造をゆるめ、微細な隙間に染料を入りこませて染める[24][26]。
それでも洗濯で色が出ることがある。「色移り」は、染料と繊維の結びつきが弱いものや、表面に余った染料が、洗濯中に水へ溶け出し、別の繊維に付着して起こる現象だと説明されている。水温が高い、強いアルカリ性の洗剤を使う、洗濯槽に詰めこみすぎて摩擦が強い、といった条件で起こりやすくなる[27]。
ジーンズは、色の出ていきやすさを逆に生かした服だ。インジゴは繊維の内部に入りにくく、糸を染液に浸しては空気にさらす染め方だと、糸の表面だけが染まって中心は白く残る(「中白」)。着用と洗濯で表面の青が少しずつ落ち、中の白が出てくる。これが「色落ち」の味わいになる[28][22]。ジーンズは、色が落ちていく変化そのものが楽しまれる服だ。
8. じぶんで しらべて みよう
8. 自分でも調べてみたくなったら
8. 自分でも調べてみたくなったら
おうちの 人と いっしょに、ジーンズの すそが ほつれて いる ところを、むしめがねで 見て みよう。いとの まんなかが しろい かな。(いとを きったり、ほどいたり は しない。あたらしい ジーンズは、まだ 見えない ことも ある。)
ふくの タグには、「綿」「ポリエステル」など、なにで できて いるか かいて ある。この メモの 7の しょうの はなしと くらべて みよう。ただし、タグには そめる ざいりょうの 名まえは かいて ない。
おかしや かまぼこの うらの もじも 見て みよう。「コチニール」と いう ことばが あるか な。ない ものも おおい[31]。あれば、むしから とった あかい いろが、いまも つかわれて いる れいに なる。
ジーンズを持っているなら、裾のほつれや、すり切れたところの糸を虫めがねで見てみよう。中心が白い糸が見つかるだろうか。(糸を切ったり、ほどいたりはしない。新しいジーンズだと、まだ見えないこともある。)
服のタグには、「綿」「ポリエステル」など、繊維の組み合わせが書いてある。染料の名前までは書いていないが、このメモの対応(綿は反応染料、ポリエステルは分散染料)を当てはめて、その服はどう染められていそうか考えてみるとおもしろい。
菓子やかまぼこなどの原材料表示で、「コチニール色素」や「カルミン酸色素」という名前を探してみる[31]。見つからないことも多い。あれば、虫から取った赤が今も使われている、という例になる。
ジーンズを持っているなら、裾のほつれや、すり切れた部分の糸を虫めがねで見る。中心が白い糸(中白)が見つかるかもしれない。(糸を切ったり、ほどいたりはしない。新しいジーンズだと、まだ見えないこともある。)
服の品質表示のタグには、繊維の組み合わせが書いてある。染料名までは書いていないが、このメモの対応(綿は反応染料、ポリエステルは分散染料、毛やナイロンは酸性染料など)を当てはめて、その服がどう染められていそうかを考えてみる。
菓子やかまぼこなどの原材料表示では、「コチニール色素」「カルミン酸色素」といった名前を探せる[31]。見つからなくても、そういう食品もある、ということが分かる。
論文まで読んでみたくなったら、ティムナ谷の貝紫の論文[12]は、インターネットで全文が公開されている(PLOS ONE)。パーキンについては、科学史研究所の解説[18]がある。
藍染めを見学・体験できる工房や資料館もある。行く場合は、火や薬品を使う作業は、係の人の指示にしたがう。
しらべた ところ
参考にした情報源
参考にした情報源
出典について:科学雑誌の論文、公的機関(徳島県)、美術館・科学史研究所・企業・検査機関などの解説、辞典、万葉集のデータベースを使いました。数字は資料が示した年・条件のものです。染料や色の歴史は資料によって年代の書き方が分かれることがあり、本文では出典に近い言い方にしています。
- Kvavadze, E. ほか「30,000-Year-Old Wild Flax Fibers」『Science』325巻5946号(2009年)、1359ページ。 https://doi.org/10.1126/science.1175404 (ジョージア・ジュジュアナ洞窟の約3万年前の層から、紡いだ・結んだ・植物の色素で染めた野生の亜麻の繊維が見つかったという報告)
- Bergfjord, C. ほか「Comment on “30,000-Year-Old Wild Flax Fibers”」『Science』328巻5986号(2010年)。 https://doi.org/10.1126/science.1186345 (繊維が亜麻であるという同定に対する疑問。これに対する著者側の回答も同じ号に載っている)
- 徳島県「阿波藍」(ようこそ徳島県へ)。 https://www.pref.tokushima.lg.jp/japanese/natural_culture/traditional_culture/awa-ai (すくもの製造:約100日発酵。1445年の記録、1700年代に全国市場を支配、綿の栽培と藍の需要、1903年に栽培面積が約1万5000ヘクタールでピーク。その後は輸入の沈殿藍・合成藍が増え生産量が激減)
- 染裕(SOMEHIRO)「藍染の染色方法」。 https://somehiro.com/about_indigo/indigo_dyeing/ (インジゴは水に不溶。アルカリ性の水溶液中で還元して繊維に吸収させ、繊維の中で酸化させて戻す。濃く染めるには複数回浸ける)
- Wikipedia「Indigo dye」。 https://en.wikipedia.org/wiki/Indigo_dye (インジゴの還元体ロイコ体は黄色で水溶性、空気で酸化して不溶性の青に戻る。天然藍の生産量:1897年に約1万9000トン、1914年に約1000トンという記述)
- Splitstoser, J. C. ほか「Early pre-Hispanic use of indigo blue in Peru」『Science Advances』2巻9号 e1501623(2016年)。 https://www.science.org/doi/10.1126/sciadv.1501623 (ペルー北部ワカ・プリエタ遺跡の約6000年前の綿布から、インジゴを確認)
- リケラボ(パーソルテンプスタッフ)「染色の化学 草木染め」。 https://www.rikelab.jp/post/3234.html (媒染:金属イオンが色素と繊維を結びつける。ミョウバン媒染は黄色〜赤系統、鉄媒染は深い緑〜深い青系統に染まることが多い)
- J. Paul Getty Museum「The Matter of Madder in the Ancient World」(Mummy Portraits of Roman Egypt)。 https://www.getty.edu/publications/mummyportraits/part-one/3/ (茜には媒染が必要。アルミニウムが根の成分と錯体を作り、色を赤みに寄せる。確認された最古の茜はエジプト中王国の革の矢筒。モヘンジョ・ダロの茜の例は古い分析による)
- iroai.jp「染色・草木染めにおける灰汁(あく)の効用と作り方」。 https://iroai.jp/lye/ (灰汁中のアルミニウムイオンが色素を固定する。椿灰の酸化アルミニウムは0.84%、藁灰は0.36%。椿灰は紫染めに使われてきた)
- 万葉集一覧データベース「万葉集3101番」。 https://www.manyoshu-ichiran.net/waka3101/ (原文・訓読・読み仮名。作者不明、巻12、歌垣の求婚の歌、灰と紫染めを関連づけた表現)
- たのしい万葉集「(3101) 紫は灰さすものぞ海石榴市の」。 https://art-tags.net/manyo/twelve/m3101.html (「紫は灰さすものぞ」は、紫染めにツバキの木灰を使う技術を詞に使ったもの。海石榴市の地名と椿の関係の解説)
- Sukenik, N. ほか「Early evidence of royal purple dyed textile from Timna Valley (Israel)」『PLOS ONE』16巻1号 e0245897(2021年)。 https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0245897 (貝紫染めの羊毛3点、前11世紀末〜前10世紀初め。臭素を含むインジゴ系の色素、還元して黄色い形にして空気で酸化させる方法、「もっとも格式の高い染料」という記述)
- Wikipedia「Paul Friedländer (chemist)」。 https://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Friedl%C3%A4nder_(chemist) (1909年の研究で、Murex brandaris 約1万2000個から純粋な色素1.4gを分離。構造は臭素を含むインジゴ)
- USC「A Woven Empire: Textiles and the Roman World」の「Class Markers and Sumptuary Laws」。 https://scalar.usc.edu/works/a-woven-empire-textiles-and-the-roman-world/class-markers-and-sumptuary-laws (424年、テオドシウス2世が黒みを帯びた赤の貝紫を皇族に限った)
- 中部大学 堀部研究室「サボテンの利用法(食用以外)」。 https://pfs.chubu.ac.jp/faculty/horibe-takanori/usage/ (コチニール染料はウチワサボテンに寄生する虫から取れる。カルミン酸が赤色。16世紀にスペインが輸出を開始)
- Science History Institute「Red the World Over」。 https://www.sciencehistory.org/stories/magazine/red-the-world-over/ (1600年ごろ年約15万ポンドがスペインへ。重さの半分以上の銀に相当する時期もあった。王室の収入源としてコチニールを上回った輸出品は1つだけ)
- ナショナル ジオグラフィック日本版「赤い着色料の原料、虫からイモに転換?」(2013年10月3日)。 https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/8409/ (コチニールカイガラムシ由来の赤い着色料がヨーグルト、キャンディ、医薬品などに使われてきた)
- Science History Institute「William Henry Perkin」。 https://www.sciencehistory.org/education/scientific-biographies/william-henry-perkin/ (1856年、18歳。キニーネ合成が目的。ホフマンの勧めに反し父の資金で商業化、1857年にグリーンフォード・グリーンに工場)
- Science and Industry Museum「William Henry Perkin and the world’s first synthetic dye」。 https://blog.scienceandindustrymuseum.org.uk/worlds-first-synthetic-dye/ (イースターの自宅実験室、アニリンを二クロム酸カリウムで酸化、黒い沈殿から色を取ると絹が紫に染まった、1856年8月26日に特許)
- Pigments through the Ages「Madder lake (Alizarin) — History」。 https://www.webexhibits.org/pigments/indiv/history/alizarin.html (1868年にグレーベとリーバーマンがアリザリンを合成し、英国で特許。茜を育てる産業への打撃)
- BASF「1897 / Indigo Pure BASF」。 https://www.basf.com/global/en/who-we-are/history/chronology/1865-1901/1897 (17年の研究と1800万金マルクの投資、当時の資本金を上回る額。1897年に合成藍を発売)
- Denimhunters「The History and Different Types of Indigo (Natural and Synthetic)」。 https://denimhunters.com/denim-wiki/denim-explained/indigo/ (1914年までに天然藍の95%が消えたこと、現在のデニムの多くは合成インジゴ、デニムの色落ちとリングダイ)
- iroai.jp「日本における藍染(ジャパンブルー)の歴史」。 https://iroai.jp/japanblue-history/ (1880年にバイヤーが合成藍。1903年以降、ドイツからの合成藍の輸入が本格化し、阿波藍が市場を失う)
- 一般財団法人ニッセンケン品質評価センター「ものつくり原点回帰シリーズ 染色 その1」。 https://nissenken.or.jp/2022/04/01/sanpomichi39/ (繊維ごとの染料の対応表、染料は非結晶領域に染着する、ポリエステルは高温高圧で染料を押し込む)
- 「反応染料」『日本大百科全書(ニッポニカ)』ほか(コトバンク掲載)。 https://kotobank.jp/word/%E5%8F%8D%E5%BF%9C%E6%9F%93%E6%96%99-118559 (1956年にICI社のプロシオン染料が最初。アルカリ性の染浴中でセルロースと結びつく共有結合染色で、洗濯堅牢度がすぐれる)
- 西澤「反応染料と分散染料の違いとは?」。 https://kk2438.co.jp/blog/663/ (分散染料は約130℃で繊維構造がゆるみ、隙間に染料が入って定着)
- リネンナ(株式会社Heulie)「洗濯物が色移り・色落ちの原因・対処法・防止法を洗濯研究家が解説!」(洗濯研究家・クリーニング師 平島利恵)。 https://rinenna.jp/en/blogs/column/20231020 (染料の溶け出しと再付着、濃色衣類、水温、強いアルカリ性洗剤、詰めこみによる摩擦)
- Denew「デニムができるまで(2.染色)」。 https://denew.jp/contents/466/ (ロープ染色、インディゴの繊維への浸透力が弱く糸の中心が白く残る「中白」、色落ち)
- Blue Fringes「Paul Friedländer: La couleur pourpre du Murex / Murex extracted purple color」(2025年12月10日)。 https://bluefringes.com/2025/12/10/paul-friedlander-la-couleur-pourpre-du-murex-%E2%A7%B8-murex-extracted-purple-color/ (1908年夏に約1万2000個のMurexを集め、1909年に発表。約1.4gの結晶性の紫の生成物、6,6'-ジブロモインジゴ)
- The Chemical Engineer「Old King Coal Part 4: Coal Colours」。 https://www.thechemicalengineer.com/features/old-king-coal-part-4-coal-colours/ (天然藍の世界生産は1900年に1万9000トン、1914年には1000トン。現在の合成藍は年約5万トンで主にデニム用、天然藍は約500トン)
- 株式会社鹿光生物科学研究所「コチニール色素」(天然色素/天然着色料一覧)。 https://www.rokkou-co.jp/wp/naturalfoodcolor/%E3%82%B3%E3%83%81%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%AB%E8%89%B2%E7%B4%A0/ (食品への表示例は「コチニール色素、カルミン酸色素、カルミン酸、コチニール」。飲料、菓子、かまぼこなどの練り物、ハム・ソーセージなどに使われる)
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