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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

すうがくの メダルには、どうして 国や 人の 名前を つけないの?

会議の「余り金」から生まれた数学のメダル、フィールズ賞

フィールズ賞とは何か ── 1924年の余剰金、1936年の初回、「40歳未満」の意味

分野:歴史・文化

すうがくには、「フィールズしょう」という 大きな メダルが あります。ところが この メダルには、国の 名前も、おくる 人の 名前も つけない つもりだった と いわれます。

どうして そう したのか、だれが 作ったのか、しらべて みましょう。

数学の世界には、若い数学者に贈られるフィールズ賞という大きなメダルがあります。ところがこのメダルは、国の名前も贈る人の名前もつけないという構想で作られたと伝えられています。

なぜそんな方針だったのか。お金の出どころ、「40歳未満」という線、日本人の受賞者、2026年の受賞者を順に見ていきます。

フィールズ賞は、4年に1度の国際数学者会議(ICM)で、40歳未満の数学者2〜4人に贈られる賞である[1][6]。創設を提案したカナダの数学者J.C.フィールズは、1924年のトロント会議の事務局長だった[1]。

このメモでは、会議の余剰金という出発点、名前を冠さない構想、年齢制限の意味、日本人の受賞者、2026年の受賞者を、国際数学連合(IMU)などの資料を突き合わせてたどる。

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1. どんな 人が もらえるの?

1. 4年に1度、若い数学者に贈られる

1. 賞の概要 ── 4年に1度・40歳未満・2〜4人

フィールズしょうは、メダルの ごほうびです[1]。せかい中の 数学者が あつまる 大きな 会で、はっぴょう されます。

もらえるのは、その 年の 1月1日より まえに 40さいの おたんじょうびを むかえて いない 人です[1]。一どに えらばれるのは、二人から 四人です[6]。

その 会は、オリンピックと おなじ ように、4年に 1ど ひらかれます。ながく まって、やっと もらえる メダルですね。

4年に1度の会議で

フィールズ賞は、世界中の数学者が集まる国際数学者会議で、4年に1度贈られます。国際数学連合の規則では、候補者の40歳の誕生日が、会議の年の1月1日より前であってはならないと決められています[1]。つまり、会議の年の1月1日より前に40歳の誕生日を迎えていない人です(1月1日が誕生日の人も対象です)。

選ばれるのは2人から4人

委員会が選ぶのは少なくとも2人で、できれば4人とされています[1]。2026年の賞も、2人から4人に贈られる賞として紹介されています[6]。

IMUの規則によれば、賞は4年に1度のICMで授与される。候補者の40歳の誕生日が、授与される会議の年の1月1日より前であってはならない。つまり、会議の年の1月1日より前に40歳の誕生日を迎えていないことが条件になる(1月1日が誕生日ならよい)[1]。

委員会は少なくとも2名、できれば4名を選ぶ[1]。1966年に、数学研究の広がりを受けて、1回に最大4個まで贈れることになった[1]。

2. 「あまった おかね」から はじまった

2. トロント会議の「余り金」

2. 1924年のトロント会議 ── 決議と余剰金

1924ねん、カナダの トロントで、数学者の 大きな 会が ひらかれました。その 会で、金の メダルを 2つ おくろう、と きまりました[1]。

メダルを 作ったのは、その 会の じむの 取りまとめ役だった フィールズさんです[1]。

お金は どこから きたのでしょう。会の おかねを しはらった あとに、二千七百ドル ほど のこりました。フィールズさんは、それを メダルに つかおうと 言いました[2]。

ふだんの おこづかいで いえば、おつりを ためて、大切な 一つを 作った ような ものです。ただし 本当は、大きな 会の お金の はなしです。

会議で決まったこと

1924年、カナダのトロントで国際数学者会議が開かれ、会議のたびに金メダルを2個贈るという決議がされました。メダルをつくったのは、その会議の事務局長をつとめたカナダの数学者J.C.フィールズです[1]。

おつりが出発点

会計を締めたあと、約2,700ドルの残りがありました。フィールズは、これをメダルにあてようと提案したと、カナダの人名事典に書かれています[2]。大きな計画の種が、会議のおつりだったことになります。

1924年のトロントICMで、会議ごとに金メダルを2個授与する決議が採択された。メダルを実現させたのは、当時の会議事務局長であったカナダの数学者J.C.フィールズである[1]。

『カナダ人名事典』によれば、会議の会計を締めた後(議事録の出版は1928年)、約2,700ドルの残額があり、フィールズはこれをメダルにあてることを提案した[2]。なお、賞金の原資は後述のとおり遺産に移る。

3. どうして 名前を つけないの?

3. 国も人の名前も冠さないという構想

3. メダルの意匠と「無名」の構想

フィールズさんは、この メダルを 「せかいに ひらかれた もの」に したかったと いわれます。だから メダルに 国や おくる 人の 名前を つけない つもりでした[3]。(メダルの ふちには、もらった 人の 名前が きざまれます。)

メダルには、むかしの ぎりしゃの 学者、アルキメデスの よこがおが あります[3]。

そこに ラテンごの ことばも きざまれます。「自分の かべを こえて、せかいを つかめ」と いう いみだと、しょうかい されて います[3][4]。

いま 「フィールズしょう」と 言われて いるのは、この メダルを 言いだした 人の 名前に ちなんでいます。ふしぎな めぐりあわせですね。

名前を入れない構想

フィールズは、この賞にどこかの国や特定の人の名前をつけず(メダルの縁には受賞者の名前が刻まれます)、国際的な委員会が選ぶものにしたいと考えていたと、資料は伝えています[3][4]。

アルキメデスと、ラテン語の一文

メダルの表には、古代ギリシャの学者アルキメデスの横顔とギリシャ語の名前が刻まれます。あわせて、ラテン語で「TRANSIRE SUUM PECTUS MUNDOQUE POTIRI」と刻まれます。「自分の限界を超えて世界をつかめ」という意味だと説明されています[3][4]。裏には、世界中から集まった数学者がすぐれた業績をたたえて贈るという趣旨の文が入ります[3]。

それでも今、この賞は「フィールズ賞」と呼ばれています。名前を入れない方針だった人の名前が賞の呼び名になったのは、少し不思議な縁です。

フィールズ研究所などの資料によれば、賞はいかなる国・個人の名も冠さず、国際的な委員会が選ぶという構想だった[3][4]。メダルの表にはアルキメデスの横顔とギリシャ語の名前、ラテン語の銘 “Transire suum pectus mundoque potiri”(「自らの限界を超えて世界を掌握せよ」の趣旨)が刻まれる。裏面には、世界中から集った数学者がすぐれた業績を称えて贈る旨が記される[3]。

賞の通称がフィールズ賞である事実は、無名の構想とは対照的だ。

4. フィールズさんは、見られなかった

4. 亡くなった後で、案が通った

4. 1930〜1936年 ── 提案の受容、遺産、最初の受賞者

フィールズさんは、この あんを 世界に ひろげようと、がんばりました。1930ねんの 12月には、アメリカの 数学の 会が さんせいして くれました。ヨーロッパの 会にも たのみました[2][3]。

でも、フィールズさんは 1932ねん 8月9日に なくなります。その 一か月 あとの 9月に、あんは 正式に みとめられました[2][3]。

のこした おかねの 四まん 五せんドル ほどは、メダルに そえる しょうきんに つかうよう、ゆいごんに ありました[2]。

はじめての メダルは、1936ねんです。アメリカの ダグラスさんと、フィンランドの アールフォルスさんに わたされました[4]。

働きかけの6年間

フィールズは1930年12月にアメリカ数学会の支持を得て、ヨーロッパの学会にも働きかけました[2]。しかし1932年8月9日に亡くなります。その翌月の1932年9月、チューリヒの会議で国際数学連合の理事会が案を受け入れました[2][3]。

遺言と最初の受賞者

遺言には、遺産の約4万5千ドルを、各メダルに添える小さな賞金にあてることが書かれていました[2]。遺産額は資料によって少し差があります。

最初の受賞は1936年のオスロ会議で、アメリカのジェシー・ダグラスとフィンランドのラルス・アールフォルスの2人でした[4]。賞金がつくのは、1950年のアメリカ・ケンブリッジ会議からです[2]。

フィールズは1930年12月、アメリカ数学会の支持を得て、ヨーロッパの学会にも働きかけた[2]。1932年8月9日に死去し、同年9月のチューリヒ会議でIMU理事会が案を受け入れた[2][3]。遺言では、遺産のうち約4万5千ドルを各メダルに添える小さな賞金にあてるよう指示された[2]。なお遺産額は、資料により4.5万〜4.7万ドルと幅がある。

最初の受賞は1936年のオスロ会議で、ジェシー・ダグラス(米)とラルス・アールフォルス(Ahlfors、フィンランド)に贈られた[4]。金銭の賞金がつくのは1950年のケンブリッジ会議からである[2]。

5. どうして 40さいまで なの?

5. 「これから」を励ます賞 ── 40歳の線

5. 目的規定と40歳の線 ── ワイルズの銀の銘板、ペレルマンの辞退

この しょうは、もう できた しごとを ほめるだけでは ありません。「これから の しごとにも、きたい して います」と いう いみも あります[1]。

だから わかい 人が えらばれるのです。むかしは 一どに 二人だけでしたが、1966ねんから 四人まで えらべるように なりました[1]。

それでも 40さいを こえると もらえません。1998ねんには、ワイルズさんが、大きな なぞを ときました。でも 40さいを こえて いたので、メダルの かわりに 銀の いたを おくると もうしでを うけました[1]。

2006ねんには、ペレルマンさんが 「もらわない」と ことわりました[1]。

ほめるだけでなく、期待もする

国際数学連合は、賞の目的を、すでにある業績と、これからの業績への期待の両方をたたえることだと述べています[1]。若い人が対象なのは、この期待とつながる、と読めます。

賞が最初は2人でしたが、数学の研究の広がりを受けて、1966年に、1回に最大4人まで贈れることになりました[1]。

線を超えた人と、ことわった人

1998年、アンドリュー・ワイルズは、長く解かれていなかったフェルマーの最終定理を証明しました。でも年齢制限を超えていたので、フィールズ賞のかわりに、国際数学連合から特別の銀の銘板の贈呈が申し出られました[1]。

2006年には、グリゴリー・ペレルマンが、フィールズ賞の受け取りを辞退しました[1]。

IMUは、賞の目的を、既存の業績と将来の業績への期待の両方を顕彰することと述べる[1]。若年者を対象とする理由をこの規定から読み取れるが、規定自体は年齢制限の理由を直接説明していない。

年齢制限の導入時期は、フィールズ研究所が1960年のモスクワ会議、Chalkdustが1966年とし、資料が割れている[3][4]。フィールズ本人の当初案ではなく、のちに加わった規則と読める。

1998年、ワイルズ(Andrew Wiles)はフェルマー(Fermat)の最終定理の証明で、年齢制限を超えていたため、IMUから特別の銀の銘板の贈呈を申し出られた[1]。2006年には、ペレルマン(Grigori Perelman)がフィールズ賞の受け取りを辞退した[1]。

6. 日本の 人は? いちばん あたらしいのは?

6. 日本人の受賞者と、2026年の受賞者

6. 日本人3人、女性3人、2026年の受賞者

日本の 人で もらったのは、三人です。こだいら くにひこ さん(1954ねん)、ひろなか へいすけ さん(1970ねん)、もり しげふみ さん(1990ねん)です[5]。

三人とも、「だいすうきか」という ぶんやの けんきゅうを した 人です。むずかしい ことばですが、しらべて みる 手がかりに なります[5]。

女の 人は、2014ねんに ミルザハニさんが はじめて もらい、これまでに 三人です[1]。

2026ねんの もらった 人は、7月23日に アメリカで はっぴょう された 四人です[6]。

日本人は3人、いずれも代数幾何

日本人の受賞者は、小平邦彦(1954年)、広中平祐(1970年)、森重文(1990年)の3人です。いずれも代数幾何が専門だと、科学技術振興機構のサイトに紹介されています[5]。

女性は3人

女性の受賞者は、2014年にイランのマリアム・ミルザハニが初めて受賞し、2022年のマリーナ・ヴィアゾフスカ、2026年のホン・ワンで3人です[1]。

いちばん新しい2026年

2026年7月23日、アメリカ・フィラデルフィアの国際数学者会議の開会式で、4人が発表されました[6]。そのひとり、ホン・ワンは、調和解析という分野で、3次元でのカケヤ問題に解を示したと紹介されています[6]。内容は難しいので、ここでは名前だけ覚えておいてください。

日本人の受賞者は、小平邦彦(1954年)、広中平祐(1970年)、森重文(1990年)の3人で、いずれも代数幾何が専門である[5]。

女性の受賞者は、マリアム・ミルザハニ(Mirzakhani、イラン、2014年、初の女性)、マリーナ・ヴィアゾフスカ(Viazovska、ウクライナ、2022年)、ホン・ワン(Hong Wang、中国、2026年)の3人である[1]。

2026年7月23日、フィラデルフィアのICM開会式で、Yu Deng(シカゴ大)、John Pardon(ストーニーブルック大)、Jacob Tsimerman(トロント大)、ホン・ワン(ニューヨーク大・IHES)の4人が発表された[6]。ワンは調和解析と幾何学的測度論で3次元のカケヤ問題(Kakeya)に解を示し、デンは偏微分方程式でボルツマン方程式の厳密な導出を示したと紹介されている[6]。

自分でも しらべて みたく なったら

自分でも調べてみたくなったら

自分でも調べてみたくなったら

4年に 1どの 会だと、つぎは 2030ねんに なる はずです。よていどおり なら、その 年に 40さいに なって いない 人が えらばれます。じぶんが その ときに なんさいか、数えて みましょう。

図書かんで、「フィールズしょう」や 日本の 三人の 数学者の 本を さがして みても いいですね。

今日できること:4年に1度という周期から、次の会議の年を数えてみましょう。2026年の次は、4年後の2030年の予定です。そのとき自分が何歳か、そして「会議の年の1月1日の時点で40歳未満」とはいつ生まれた人までかを、自分で計算してみると、この線の意味が実感できます。

出かけてできること:図書館や学校の図書室で、小平邦彦・広中平祐・森重文の著作や、フィールズ賞を紹介した本を探してみましょう。

年齢の線は、実際に計算してみると、規則が何を言っているのかがつかみやすい。たとえば2030年の会議を仮定して、何年何月何日までに生まれた人が対象になるかを、規則の文言(会議の年の1月1日より前に40歳の誕生日がない)から自分で確かめてみるとよい[1]。

賞の規則と歴代の受賞者は、IMUの公式ページ[1]で読める(英語)。創設の経緯はカナダ人名事典[2]やChalkdustの記事[4]に詳しい。2026年の受賞者と業績は、Simons Foundationの発表[6]から入るとよい。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

出典について:国際数学連合・カナダ人名事典・フィールズ研究所などの資料を突き合わせた。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。

  1. 国際数学連合(IMU)「Fields Medal」。https://www.mathunion.org/imu-awards/fields-medal (賞の規則・目的・1924年の決議・ワイルズの銀の銘板・ペレルマンの辞退・女性の受賞者について)
  2. Dictionary of Canadian Biography「Fields, John Charles」。https://www.biographi.ca/en/bio/fields_john_charles_16E.html (余り金・遺言・アメリカ数学会の支持・1950年の賞金について)
  3. Fields Institute「Fields Medal」。https://www.fields.utoronto.ca/about/fields-medal (メダルの意匠・名前を入れない構想・IMU理事会の受け入れ・年齢制限の時期について)
  4. Chalkdust「The birth of the Fields Medal」。https://chalkdustmagazine.com/features/the-birth-of-the-fields-medal/ (1936年の最初の受賞者・メダルの意匠について)
  5. サイエンスポータル(科学技術振興機構)。https://scienceportal.jst.go.jp/newsflash/20140813_03/index.html (日本人受賞者3人について)
  6. Simons Foundation「2026 Fields Medals awarded to four of world's top mathematicians」。https://www.simonsfoundation.org/2026/07/23/2026-fields-medals-awarded-to-four-of-worlds-top-mathematicians/ (2026年の受賞者と業績について)

なおした ところ

更新履歴

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