40年も 早く、気づいて いた 人

フリッツ・ツビッキー ── 40年早すぎた人

フリッツ・ツビッキー ── 40年早すぎた人

分野:宇宙・天文

あんこくぶっしつ、じゅうりょくレンズ、ちゅうせいし星。 いまでは あたりまえに つかわれて いる これらの ことばは、 ぜんぶ、ある ひとりの 天文学者が、みんなより ずっと 早く いいだして いた ことでした。

この きじでは、スイスの 天文学者 フリッツ・ツビッキーが、 なぜ こんなにも 多くの ことを、はやくから 見ぬけたのかを 見て いきます。

暗黒物質、重力レンズ、中性子星。いまではあたりまえに使われているこれらの言葉は、ぜんぶ、ある1人の天文学者が、みんなよりずっと早く言いだしていたことでした。

この記事では、スイスの天文学者フリッツ・ツビッキーが、なぜこんなにも多くのことを、早くから見ぬけたのかを見ていきます。

暗黒物質、重力レンズ、中性子星。現代の天文学を支えるこれらの概念は、どれもスイスの天文学者フリッツ・ツビッキーが、ほかの誰よりも数十年早く提唱していたものだった。

周囲との衝突をおそれない、はげしい気性の持ち主でもあった彼が、なぜここまで多くのことを見通せたのか。ロケット工学者としてのもう1つの顔もあわせてたどる。

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1. ブルガリアうまれの、スイス人

1. ブルガリア生まれの、スイス人

1. ブルガリア生まれのスイス人天文学者

フリッツ・ツビッキーは、1898年、ブルガリアと いう 国で うまれました。りょうしんは スイス人だったので、ツビッキー じしんも スイスの こくせきを もって いました [1]

その後、アメリカに わたり、カリフォルニアこうか大学 (カルテック)と いう だいがくで、天文学の せんせいに なりました[1]

ツビッキーが のこした しごとを 見て いくと、どれも 「はやすぎた」と いう ことばが ぴったりな ものばかりです。

フリッツ・ツビッキーは、1898年、ブルガリアという国で生まれました。両親はスイス人だったので、ツビッキー自身もスイスの国籍を持っていました[1]

カルテックの天文学者

その後、アメリカにわたり、カリフォルニア工科大学(カルテック)という大学で、天文学の先生になりました[1]

ツビッキーが残した仕事を見ていくと、どれも「早すぎた」ということばがぴったりなものばかりです。

フリッツ・ツビッキーは、1898年2月14日、ブルガリアのヴァルナに生まれた。両親はスイス人で、ツビッキー自身もスイス国籍を保持していた[1]

カルテックの天文学者

1925年にアメリカへ渡ったツビッキーは、カリフォルニア工科大学(カルテック)に籍を置き、1942年には正教授に就任した[1]

彼の業績を並べてみると、いずれも同時代の天文学界より数十年先を行くものだったことがわかる。1974年、パサデナで死去するまでの間に、ツビッキーは天文学のいくつもの分野に、早すぎるほど的確な足跡を残した。

2. あたらしい ことばと、33年後の しょうめい

2. 新しい言葉と、33年後の証明

2. 「超新星」の命名と、中性子星の予言

なかまの 天文学者 バーデと いっしょに、ほしが さいごに おおきく ばくはつする げんしょうに、「ちょうしんせい」と いう 名まえを つけたのは、1934年の ことでした [1]

そして 2人は、その ばくはつの あとに、ぎゅっと おしつぶされた、とても ちいさくて おもい ほしが のこるのでは ないかとも かんがえました[1]

この かんがえが、じっさいに でんぱの かんそくで たしかめられたのは、1967年の ことでした[3]。 2人が よそうして から、じつに 33年も あとの ことです。

仲間の天文学者バーデといっしょに、星が最後に大きく爆発する現象に、「超新星」という名前をつけたのは、1934年のことでした[1]

33年後に確認された予言

そして2人は、その爆発のあとに、ぎゅっとおしつぶされた、とてもちいさくて重い星がのこるのではないかとも考えました[1]

この考えが、実際に電波の観測でたしかめられたのは、1967年のことでした[3]。2人が予想してから、じつに33年もあとのことです。

ドイツ出身の天文学者ヴァルター・バーデとともに、恒星が最期に起こす大爆発を指す「超新星(supernova)」という用語を導入した論文をツビッキーが発表したのは、1934年のことである[1]

33年後に確認された予言

同じ論文で2人は、超新星爆発の後に、極限まで圧縮された高密度の天体、すなわち中性子星が形成されるという仮説も提示した[1]

この仮説が電波観測によって裏づけられたのは、1967年のことである。イギリスの大学院生ジョスリン・ベル・バーネルが、規則正しい電波パルスを発する天体(パルサー)を発見し、これが中性子星の存在を示す証拠と確認された[3]。ツビッキーとバーデの予言から、じつに33年後のことだった。

3. まだ だれも しんじて いなかった ころ

3. まだだれも信じていなかったころ

3. 「早すぎた人」と呼ばれる理由

「はやすぎた」のは、ちゅうせいし星だけでは ありません。 1933年には、うちゅうに 目に 見えない 「あんこくぶっしつ」が たくさん あるらしい ことに 気づきました(くわしくは べつの きじへ)この かんがえが、多くの 学者に みとめられる までには、40年 いじょうも かかりました。

1937年には、おもい ぎんがの そばで、光が レンズの ように まがる「じゅうりょくレンズ」も よそうして います (くわしくは べつの きじへ)これも、じっさいに 見つかるまでに、 40年 あまり かかりました。

「早すぎた」のは、中性子星だけではありません。1933年には、宇宙に目に見えない「暗黒物質」がたくさんあるらしいことに気づきました(くわしくは別の記事へ)この考えが、多くの学者に認められるまでには、40年以上もかかりました。

40年、というものさし

1937年には、重い銀河のそばで、光がレンズのように曲がる「重力レンズ」も予想しています (くわしくは別の記事へ)これも、実際に見つかるまでに、40年あまりかかりました。

「早すぎた」のは中性子星だけではない。1933年、数千個もの銀河が群れ集まる「コマ銀河団」を観測したツビッキーは、目に見える星の質量だけでは説明できない、はるかに大きな重力の存在に気づき、「暗黒物質」という着想の先駆けとなった(詳しくは別記事「見えないものの見つけ方」を参照)

40年、というものさし

この着想が観測的な証拠によって広く受け入れられるまでには、40年以上を要した。さらに1937年には、銀河のような重い天体が、その重力によって背景の光を曲げ、レンズのようにはたらく可能性を指摘している (詳しくは別記事「重力レンズ」を参照)。これも、最初の強い重力レンズ(遠方のクエーサーの像が二つに分かれて見える例)が確認されたのは1979年、彼の予言から40年以上あとのことだった。

中性子星(33年)、重力レンズ(40年以上)、暗黒物質(40年以上)。分野の異なる3つの大発見すべてで、同じような年月の空白がある。これは偶然というより、当時の観測技術や理論の枠組みが、彼の着想に追いついていなかったことのあらわれだと考えられる。

4. きびしい せいかくの 天文学者

4. きびしい性格の天文学者

4. 妥協のない気性と、周囲との軋轢

あたまが きれる うえに、まわりの 人と ぶつかる ことも 多い。それが ツビッキーと いう 人でした。じぶんが 「なまけて いる」と おもった あいてには、きびしい ことばを 言う ことも あったと つたわって います[1]

きらいな 人の ことを、「どこから 見ても、いやな やつだ」 と いう いみの、へんてこな ひょうげんで よぶのが くちぐせだったとも いわれて います[1]

頭がきれるうえに、まわりの人とぶつかることも多い。それがツビッキーという人でした。自分が「なまけている」と思った相手には、きびしい言葉を言うこともあったと伝わっています[1]

「どこから見てもいやなやつ」

きらいな人のことを、「どこから見ても、いやなやつだ」という意味の、へんてこな表現で呼ぶのが口ぐせだったとも言われています[1]

天才的な洞察力を持つ半面、同僚に対して妥協のない、しばしば攻撃的な態度をとる人物としても、ツビッキーは知られていた[1]。知的に怠慢だと感じた相手を手きびしく批判することも珍しくなく、共同研究者だったバーデとの関係も、のちに深刻な不和に至ったと伝えられている[1]

「どこから見てもいやなやつ」

よく知られた逸話によると、気に入らない人物を指す彼のお気に入りの言い回しは、「球状の卑劣漢(spherical bastards)」というものだった。「どの方向から見ても卑劣漢だから」というのが、本人による説明だったという[1]。物理学者らしい、皮肉のきいた言い回しだ。

5. たくさんの ちょうしんせいを 見つけた 人

5. たくさんの超新星を見つけた人

5. 120個以上の超新星発見という記録

パロマー天文台に ある、シュミットしき ぼうえんきょうと いう どうぐを つかって、ツビッキーは そらを くまなく さがしまわりました。その けっか、じぶん ひとりで 120こ いじょうの ちょうしんせいを 見つけました [2]

また、ふつうより ずっと ちいさな「わいしょうぎんが」や、 ぎゅっと あつまった ぎんがの ずかんも つくりました [1]

パロマー天文台にある、シュミット式望遠鏡という道具を使って、ツビッキーは空をくまなくさがしまわりました。その結果、自分ひとりで120個以上の超新星を見つけました[2]

銀河のカタログ作り

また、ふつうよりずっとちいさな「矮小銀河」や、ぎゅっとあつまった銀河のカタログ(図鑑)もつくりました[1]

パロマー天文台のシュミット式望遠鏡(口径18インチと48インチ)を使い、系統的な超新星探索を先駆的に行ったのがツビッキーだった。生涯を通じて彼自身が発見した超新星は120個をこえ、これは長らく個人記録として際立ったものだった[2]

銀河のカタログ作り

晩年には、妻マーガレットとともに、コンパクト銀河や、通常よりはるかに小さく暗い「矮小銀河」をまとめた詳細なカタログ(通称「レッドブック」、1971年刊)も編纂している[1]

6. ロケットを つくった 天文学者

6. ロケットをつくった天文学者

6. ロケット工学者としてのもう1つの顔

もう1つの かおが、ツビッキーには ありました。だい2じせかいたいせんの ころから、エアロジェットと いう かいしゃで、ロケットの エンジンを つくる しごとを して いたのです [1]

ツビッキーは、この しごとで 50を こえる とっきょを とりました。1949年には、アメリカせいふから、 この しごとを たたえる しょうを うけとって います [1]

てんもん学の ちしきと、こうがくの ちしき、りょうほうを もって いた ことが、ツビッキーが だれよりも 早く、うちゅうの ひみつに 気づけた りゆうの 1つだったのかも しれません。 まわりの 人に どう おもわれるかを きにしない せいかくも、 あたらしい ことを さがす のに やくだった ようです。

もう1つの顔が、ツビッキーにはありました。第2次世界大戦のころから、エアロジェットという会社で、ロケットのエンジンをつくる仕事をしていたのです[1]

50をこえる特許

ツビッキーは、この仕事で50をこえる特許をとりました。1949年には、アメリカ政府から、この仕事をたたえる賞を受けとっています[1]

天文学の知識と、工学の知識、両方を持っていたことが、ツビッキーがだれよりも早く、宇宙のひみつに気づけた理由の1つだったのかもしれません。まわりの人にどう思われるかを気にしない性格も、新しいことをさがすのに役立ったようです。

1943年から1961年にかけてエアロジェット・エンジニアリング社の研究部門を率い、ジェット推進・ロケット推進の技術開発に携わったのも、このツビッキーである[1]

50をこえる特許

この分野での業績により、ツビッキーは生涯で50件をこえる特許を取得している。第二次世界大戦中のロケット推進技術への貢献により、1949年にはアメリカ大統領自由勲章を授与された[1]。天文学者としてだけでなく、応用工学の分野でも確かな足跡を残した人物だった。

理論物理学の深い知識と、実際に手を動かして装置を作り上げる工学者としての実践力。この両方を併せ持ち、かつ周囲の評価に妥協しない気性を持っていたことが、同時代の誰よりも早く宇宙の真の姿を見抜く力の一端になっていたと考えられる。

じぶんでも やって みる

自分でも調べてみたくなったら

自分でも調べてみたくなったら

じぶんでも、ツビッキーが のこした しごとを たしかめて みましょう。

あんぜんな ばしょで できる こと

  • 「あんこくぶっしつ」「じゅうりょくレンズ」「ちゅうせいし星」の うち、1つを えらんで、かぞくに せつめいして みる。 この きじで しょうかいした ことを、じぶんの ことばで はなして みましょう。
  • じぶんが しんじて いる ことが、みんなに みとめられる までに どれくらい かかりそうか、かんがえて みる。 ツビッキーの ばあいは、40年ほど かかりました。
メモの すすめ

きょう 出て きた ことばを 1つだけ ノートに 書いて おきましょう。「ツビッキーは、ロケットの しごとも して いた」だけで じゅうぶんです。

自分でも、ツビッキーが残した仕事を確かめてみましょう。

今日できること

  • 「暗黒物質」「重力レンズ」「中性子星」のうち、1つをえらんで、家族に説明してみる。この記事で紹介したことを、自分の言葉で話してみましょう。
  • 自分が信じていることが、みんなに認められるまでにどれくらいかかりそうか、考えてみる。ツビッキーの場合は、40年ほどかかりました。
メモのすすめ

気になった言葉を1つだけ書いておくと、あとで調べる入口になります。「バーデって、そのあとどうなったの?」だけでも十分です。

ツビッキーの業績を分野ごとに調べたり、彼が名づけた言葉の由来をたどったりすると、この記事で扱った内容がより具体的につかめます。

手を動かして確かめる

  • 中性子星・暗黒物質・重力レンズのそれぞれについて、提唱された年と、実際に確認された年を書き出し、空白の年数を比較してみる。どの発見がいちばん長く「早すぎた」状態だったでしょうか。
  • ヴァルター・バーデについても調べてみる。ツビッキーとの共同研究者でありながら、のちに関係が悪化した人物です。

一次情報にあたる

Wikipediaの「Fritz Zwicky」の項目には、この記事で扱った経歴がより詳しくまとめられています。

メモのすすめ

気になった数字や言葉を1つだけノートに記録しておきましょう。「ツビッキーは超新星を120個以上見つけた」という一文でもかまいません。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

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出典について:Wikipediaと、カリフォルニア工科大学・専門誌の解説サイトを使っています。

  1. Fritz Zwicky - Wikipedia(英語版)。 https://en.wikipedia.org/wiki/Fritz_Zwicky (生没年、経歴、1934年の超新星・中性子星の論文、性格に関する逸話、矮小銀河カタログ、ロケット工学の仕事と特許・自由勲章についての解説)
  2. "Zwicky Transient Facility Opens Its Eyes to the Volatile Cosmos" - Caltech(カリフォルニア工科大学)。 https://www.caltech.edu/about/news/zwicky-transient-facility-opens-its-eyes-volatile-cosmos-80369 (パロマー天文台のシュミット式望遠鏡と、ツビッキーが発見した120個以上の超新星についての解説)
  3. Jocelyn Bell Burnell - Wikipedia(英語版)。 https://en.wikipedia.org/wiki/Jocelyn_Bell_Burnell (1967年11月28日のジョスリン・ベル・バーネルによるパルサー発見と、中性子星の実在確認についての解説)

なおした ところ

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