このサイトは、ほんの入り口です

ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

ゆびが ふたつに わかれた くつで、どんな 仕事を して いるの?

足の指が分かれた履物は、どんな仕事を支えてきたのか ── 地下足袋をたどる

地下足袋はなぜ仕事の現場で使われ続けるのか ── 1923年の貼付式と、職種ごとの作り分け

分野:技術

たかい ところで はたらく 人の 足もとを、見た ことが ありますか。くつでは なくて、ゆびが ふたつに わかれた 地下足袋じかたびを はいて いる 人が います。

どうして くつでは なく、この かたちなのでしょう。うまれた ときの お話と、仕事ごとの ちがいを、のぞいて みましょう。

工事の現場や、祭りの行列、庭木を切る人の足もとに、親指だけが別れた履物が見えることがあります。地下足袋です。

靴が当たり前の時代に、なぜこの形が仕事の道具として残っているのでしょうか。生まれたきっかけには、外国のテニス靴が出てきます。そのあと、職人や農林業の人たちの手で、仕事ごとに姿を変えていきました。順にたどります。

親指と残りの4本に分かれたつま先、ゴム底、かかとの小さな金具。地下足袋は、工事現場や農林業、祭りの場で、いまも見かける履物だ[1]。

靴が一般的になっても、この形が仕事の現場に残っているのはなぜか。1923年の発売にはアメリカ製のテニス靴がヒントになったとされ[3]、その後は職種ごとの作り分けが進んだ。社史・メーカーの製品情報・現場側の声という性格の違う資料を突き合わせ、確かなことと、事業者の声にとどまることを分けながら整理する。

読み方を切り替えられます。画面の上にある「よみかた」のボタンで、小学校低学年むけ・小学校高学年むけ・中学生むけの3つの書き方に切り替わります。むずかしいと思ったら、いつでもやさしい方に戻ってください。選んだ読み方はブラウザが覚えているので、次に別の記事を開いたときも同じ読み方で始まります。

1. 地下足袋じかたびって、どんな もの?

1. 足袋にゴムの底をつけた作業の履物

1. 地下足袋の構造と、名前の由来の諸説

地下足袋じかたびは、はたらく 人の ための 足袋たびです。足の うらに ゴムの そこが ついて いて、つまさきは、おや指と ほかの ゆびに ふたつに わかれて います[1]。

かかとの ほうでは、ふとい 糸に、小さな 金ぐ(こはぜ)を ひっかけて とめます。ひもを むすぶ くつとは、はきかたが ちがいます。

「地下」という 名前の 由来は、ひとつに きまって いません。もとは「直(じか)」で、じかに 地めんに ふれる ことから、という 話が あります。地下の たんこうで つかったから、という 話も あります[7]。

地下足袋は、足の裏にゴムの底がつき、つま先が親指とそれ以外の二つに分かれた作業用の足袋です[1]。かかとの側では、太い掛け糸に金属の小さな留め具(こはぜ)を掛けて履きます。靴のようにひもを結ぶのではなく、足袋の作りのまま、底だけが丈夫になっている形です。

「地下」の字は当て字で、もとは「直」だったといわれます。履物をはかずに直接地面にふれる足袋、という意味の説と、地下の炭鉱で使われた足袋という説があり、どちらが正しいのかは分かれています[7]。

地下足袋は、足裏にゴム底がつき、足指が親指とそれ以外の二股に分かれた作業用の足袋である[1]。かかと側では、太い掛け糸に金属の小鉤(こはぜ)を掛けて留める。紐を結ぶ靴と違い、足袋の構造にゴム底を合わせた履物といえる。

名称の「地下」は当て字で、もとは「直(じか)」だったとされる。履物を履かずに直接地面に触れる足袋の意とする説と、地下の炭鉱で使われた足袋とする説があり、由来は一つに定まっていない[7]。

2. ゆびが わかれて いると、なにが いいの?

2. 足の裏を「手のひら」のように使う

2. 二股構造と足裏の感覚 ── 鳶職の高所作業

おや指が ほかの ゆびと はなれて いると、地めんを つかむように 歩けます。足の うらの ようすが、手の ひらで さわった ときのように わかる、と いわれて います[2]。

だから、たかい ところで はたらく 鳶職とびしょくの 人など、あしばが ぐらぐらする 仕事に むいて います[2]。ほかにも、農業や林業の 人、大工さん、左官さかんさんが つかって います[1]。

手ぶくろで、ゆびの 分かれて いない ミトンと、ゆびが 分かれた ものを くらべた ことを 思い出して ください。ゆびが 分かれて いると、こまかい ことが しやすいですよね。ただし 足の ゆびは、手ほど 自由には 動かない 人が 多いです。

親指が独立しているため、地面をつかむように歩けます。足裏の状態を、手のひらのように察知できるともいわれます[2]。足場が不安定な高所で働く鳶職の人に向くのは、このためだと説明されています。

使い手も広く、農林業の人のほか、大工、左官、鳶職といった建設の職人に用いられています[1]。

たとえば、ミトンと五本指の手袋を思い浮かべると、指が分かれているほうが細かい動きに向きます。ただし、足の指は手ほど自由に動かせない人も多く、そこまで同じとはいえません。

親指が独立しているため、地面をつかむように歩け、足裏の状態を手のひらのように察知できると説明される。足場の不安定な高所で働く鳶職に向く理由として、この特徴が挙げられている[2]。

用いる職種は、農林業の従事者のほか、大工・左官・鳶職などの建設職人である[1]。ただし「察知できる」は、履き心地の説明として語られているものである。

3. ゴムの そこが できる まえは?

3. ゴム底の前は、革や厚い木綿の足袋

3. ゴム底以前の作業足袋と、1921年の縫付け式

ゴムの そこの 地下足袋じかたびが できる まえにも、はたらく 人は 足を まもる くふうを して いました。

むかしは、革足袋かわたびや、あつい わたの ぬのを ぬい合わせた 刺子足袋さしこたびが つかわれました。江戸えどじだいから、山や のらで はたらく 人や、火消しひけしの 人が、足を まもる ために、革かわの 足袋たびを はいた とも いわれます[2]。

1921ねんには、久留米くるめの 足袋たびの 会社が、ゴムの そこを ぬい つけた 足袋たびを つくり はじめました。「豆底まめぞこ」と よばれた ものです[3]。

ゴム底の地下足袋が生まれる前にも、働く人たちは足を守る工夫をしていました。革でできた足袋や、厚手の木綿を刺し縫いした刺子足袋が使われました。江戸時代から、山や野で働く人や火消しが、足を守るために革の足袋を使ったといわれます[2]。

1921年には、久留米の足袋の会社が、ゴム底を縫い付けた足袋の製造を始めました。通称「豆底」です[3]。底はまだ、縫って留める方式でした。

ゴム底以前の作業足袋としては、革足袋や、厚手の木綿を刺し縫いした刺子足袋が使われた。江戸時代から、山野で働く人や火消しが、足を保護するために革製の足袋を用いたという[2]。

ブリヂストンの社史は、久留米の足袋の会社が1921年にゴム底足袋の製造に着手したと記す。縫付け式のもので、通称「豆底」である。ゴム底は、岡山・広島のゴム会社から買い入れていたという[3]。なお同じ社史は、ゴム底の足袋が1902年ごろから阪神や岡山県などで作られていたとも記す。日本足袋の1921年は、縫付け式での製造着手である。

4. ヒントは、外国の テニスぐつ

4. 外国のテニス靴をヒントに、縫うのをやめた

4. 1922〜23年 ── 縫付けから貼り合わせへ

ここから、いまの 地下足袋じかたびに 近づきます。1922ねんの はじめ、石橋徳次郎いしばしとくじろうという 人が、三越みつこしで 外国の テニスぐつを 買いました。この くつが、ヒントに なったと つたえられて います[3]。

それまでは、ゴムの そこを 足袋たびに ぬい つけて いました。とくじろうは、ぬうのを やめて、のりの ように くっつける やりかたに かえました。すると 同じ年の 8月に、せいさんに できました[3]。

そこで、すべりにくい なみの かたちの ゴムの そこも、とくじろうの かんがえと いわれます。1923ねん 1月に「アサヒ地下足袋じかたび」として 売り出されました[3]。

売り出した ころは 1日に 1,000足でしたが、その 年の おわりには 1万足に ふえた、と 会社の 記ろくに あります[3]。10ばいです。

1922年の初め、石橋徳次郎が三越でアメリカ製のテニス靴を買い、それをヒントに考えたと伝えられます[3]。ゴム底を縫い付ける方式をやめ、貼り合わせる方式に変えたのです。同じ年の8月に生産に成功し、1923年1月に「アサヒ地下足袋」として発売されました[3]。

滑りにくい波形のゴム底も、徳次郎の発想とされます[3]。1923年10月には、貼付式が実用新案として権利が確定しました[4]。同じ流れをくむ会社の沿革も、この貼付式を「履物史上の革命」と記しています[4]。

ブリヂストンの社史によると、発売のころ日産1,000足だった生産は年末には1万足に増えました[3]。10倍です。ただ、これは企業の記録で、日本全体の統計ではありません。

1922年初め、石橋徳次郎が三越で買ったアメリカ製のテニス靴をヒントに、ゴム底を縫い付ける方式から貼り合わせる方式へ転換した。同年8月に生産に成功し、1923年1月にアサヒ地下足袋として発売された。滑りにくい波形のゴム底も徳次郎の発想とされる[3]。発明者は兄の徳次郎であり、弟でブリヂストン創業者の正二郎ではない点に注意したい。

貼付式は、1923年10月に実用新案(第80594号・第80595号)として権利が確定した。アサヒシューズ社の沿革も、1922年に「履物史上の革命といわれる貼付式地下足袋を発明」と記す[4]。

ブリヂストン社史によれば、1923年1月の発売当初の日産1,000足は、年末には1万足に増えた(10倍)[3]。ただし自社の記録であり、日本全体の統計ではない。同じ社史が示す1923年約200万足から1933年4,000万足への伸びは、地下足袋のみの数と合計とで比較の条件が異なるため、ここでは並べない。

5. だれが、どんな ところで つかったの?

5. 炭鉱、電気工事、そして農村へ

5. 初期の使い手 ── 炭鉱・電気工事・農村

できた ばかりの 地下足袋じかたびを、たんこうで はたらく 千人ほどの 人たちに ためして もらいました。みつい みいけと いう たんこうです[3]。

電気の 工事を する 人には、ゴムの そこが 電気を とおしにくい ことが、あぶない ことを ふせぐ のに やくだちました。たんこうでは、病気の よぼうに なると 受け入れられました。農村でも、売り歩く 活動が 行われました[3]。

できたばかりの地下足袋は、三井三池炭鉱の千人ほどの人たちに試してもらいました[3]。

電気工事の人にとっては、ゴム底が電気を通しにくいことが、危険を防ぐのに役立ちました。鉱山では、病気の予防になると受け入れられ、農村でも販売活動が行われたと記されています[3]。仕事ごとに「ここが助かる」という理由が違っていたことが、広まった背景のようです。

社史によれば、試作品は三井三池炭鉱の千人あまりに実験として供された。電気工事従事者には絶縁性が危険防止に、鉱山では病気予防になるとして受け入れられ、農村でも販売活動が行われた[3]。

職種ごとに、受け入れられた理由が異なる点が興味深い。なお、ここで述べた炭鉱での試用と、名称の「地下」を炭鉱由来とする説[7]は、別々の話であり、結びつけて語られる根拠は今回の資料には見当たらない。

6. 仕事に あわせて、かたちも かわる

6. 仕事に合わせた作り分けと、いまの作り手

6. 用途別の設計と、現在の作り手

いまの 地下足袋じかたびは、仕事に あわせて つくりが ちがいます。ある メーカーの せつめいでは、鳶職とびしょくの 人むけは、ゆびの 分かれめを ぎゅっと しめて、足との 一体感を たかめて います[5]。

農作業むけには、ゆびの 分かれめの ない、まるい つまさきの ものも あります。林業むけには、じょうぶな はりあわせの もの、ぬかるみむけには、うえに とくべつな コーティングを した ものが あります[5]。

庭師にわしさんの なかには、木に のぼって えだを きる とき、ゆびの さきで えだを とらえて 体を ささえられる ところが いい、と いう 人が います。これは、ある 会社の 書いた ひとつの 声です[6]。

1919ねんに できた 東京の 足袋たびの 会社は、いまも 鳶職とびしょくの 人や、おまつりの 人の 足もとを まもる 地下足袋じかたびを つくって います[8]。

メーカーの製品情報を見ると、地下足袋は仕事ごとに作り分けられています。鳶用は指股の締まりを良くして、足との一体感を高めています。農作業用には指股のない先丸型があり、林業用には丈夫な貼付型、ぬかるみ用には甲に特別なコーティングをしたものがあります[5]。

庭師の立場からは、薄く平らな足の底で地面の状態を感じ、木に登っての剪定でも指先で枝をとらえて体を支えられる点が、利点として挙げられています[6]。これは事業者のコラムに書かれた実感で、一つの声として読むのがよさそうです。

1919年創業の足袋メーカーは、鳶職をはじめ職人や祭りの人々の足もとを守る地下足袋を作り、2019年8月に東京・京橋に店を開きました[8]。

メーカーの製品情報によれば、地下足袋は用途別に作り分けられている。鳶用は指股の締まりを良くして足との一体感を高め、農作業用は指股のない先丸型、林業用は堅牢な貼付型、ぬかるみ用は甲部に特殊コーティングを施す[5]。

庭師側の声として、薄く平らな足底で地面の状態を感じ、木に登っての剪定でも指先で枝をとらえて体を支えられる点が利点に挙げられる[6]。ただし、事業者のコラムであり、個人の感想に近い。

現在の作り手の例として、1919年創業の丸五は、鳶職をはじめとする職人や祭りの人々の足元を守る地下足袋を作り、2019年8月に京橋に店を開いた[8]。林業用のスパイク底やつま先に鉄芯の入ったものについては、今回の資料では販売者側の記述しか確認できなかったため、扱わない。

7. じぶんでも たしかめて みたく なったら

7. 自分でも調べてみたくなったら

7. 自分でも調べてみたくなったら

やってみよう。はだしか くつしたで、たいらな ゆかに たって、足の ゆびを ひらいたり とじたり して みましょう。おや指だけを うごかせますか。ゆびで タオルを つかめるかも ためして みましょう。

そとに 出たら、道ばたの 工事や 畑を、すこし はなれた ところから 見て みましょう。はたらく 人の 足もとは、どんな ものでしょうか。じゃまを しないように、とおくから 見るだけです。

次のようなことを、試したり調べたりできそうです。

  • 平らな床の上で、裸足か靴下のまま、足の指を開いたり閉じたりしてみましょう。親指だけを動かせるでしょうか。タオルを足の指でつかめるかも試せます。
  • 町で工事や農作業をしている人を、離れたところから見てみましょう。足もとの履物は、靴でしょうか、地下足袋でしょうか。仕事の邪魔にならないよう、遠くから見るだけにします。
  • 祭りの行列で足もとに目をやると、どんな履物が見えるでしょうか。

調べられることが二つある。

  1. 足の感覚の話。「足裏を手のひらのように察知できる」という説明は、履き心地の言い伝えに近い[2]。実際に足の指や足裏の感覚を扱った研究があるかは、日本語の論文検索サイト(CiNii Research や J-STAGE)で「足底感覚」「足趾(あしゆび)」「履物」などの語を入れて探せる。図書館の「足」や「靴」の棚、家にある健康・スポーツの本の索引も手がかりになる。
  2. 名前と歴史の食い違い。名称の由来(「直」説と炭鉱説)[7]や、1921年の豆底と、1902年ごろから作られていたとされるゴム底足袋との関係は、この記事では決着していない。図書館の履物や郷土の歴史の本など、日本語の資料で確かめる余地がある。

いちばん手軽な観察は、近所の工事現場や祭りで、働く人の足元を離れて見ることだ。

しらべた ところ

参考にした情報源

参考にした情報源

出典について:地下足袋の解説、企業の社史と沿革、メーカーの製品情報、庭師の事業者コラム、名前の由来の解説を突き合わせて使った。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。

  1. Wikipedia「地下足袋」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E8%B6%B3%E8%A2%8B (形・使う職種について)
  2. WORKERS TREND「地下足袋」。 https://wawawork.work/workerstrend/skills/593/ (ゴム底以前の足袋と、足裏の感覚について)
  3. ブリヂストン「ブリヂストン物語 第1章第3節」。 https://www.bridgestone.co.jp/corporate/history/story/01_03.html (豆底、貼り合わせ方式の誕生、初期の使い手について)
  4. アサヒシューズ「沿革」。 https://www.asahi-shoes.co.jp/company/history.html (貼付式の発明の記録について)
  5. 力王「製品情報」。 https://www.rikio.co.jp/seihin.html (用途別の作り分けについて)
  6. 庭革命「プロ庭師の地下足袋」。 https://zoen-uekiya.com/column/niwashi-recommenditem/jikatabi (庭師の使い方の一例について)
  7. 雑学ネタ帳「地下足袋」。 https://zatsuneta.com/archives/004207.html (名前の由来の諸説について)
  8. 東京街人「京橋の地から世界へ」。 https://guidetokyo.info/work/forefront/00017.html (いまの作り手の一例について)

なおした ところ

更新履歴

更新履歴(改版の記録)

  •  初版を公開。

このサイトでは、公開した記事の本文は原則として書き直しません。誤りが見つかったときや、内容が古くなったときだけ手を入れ、その理由をこの欄に残します。