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ここに書いてあることは、誰かが実際に手を動かして調べ、考え、作り上げてきたものを拾い集めています。専門の本や論文、作品、そしてそれを生み出した人たち。気になったことがあれば、ぜひそのおおもとに直接ふれてみてください。このメモには書ききれない熱を、感じてもらえると思います。

山小屋の カップめんは、どうして たかいの?

山小屋のカップ麺は、なぜ高いのか

山小屋のカップ麺は、なぜ高いのか

分野:歴史・文化

山に のぼって 山小屋で カップめんを たのむと、ねだんに びっくりする ことが ある。ふもとの お店より、ずっと たかいのだ。

どうして、そんなに たかいの?

登山中、山小屋でカップ麺を注文すると、値段にびっくりすることがある。500円をこえることも、めずらしくない。

どうして、そんなに高いのだろうか。

標高3000m近い山小屋で売られているカップ麺は、500円前後することがある。ふもとのコンビニなら200円前後で買えるのに、なぜこれほど差がつくのか。

答えは、値段そのものではなく、そこまで「運ぶ」ことの大変さにある。

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1. たかいのは、はこぶのが たいへんだから

1. 高いのは、運ぶのが大変だから

1. 値段の正体は、運送費だった

山小屋は、道路の ない 高い 山の 上に ある。カップめんも、お水も、ぜんぶ だれかが した から はこんで こなければ ならない[1]

はこぶ ほうほうは、いまは おもに ヘリコプターだ。でも ヘリコプターは、1かい とばす だけで、なん十万円も かかる。その お金を、山小屋に とまる 人たちの ねだんに、すこしずつ わけて のせて いる[1]。たとえば、ふもとで 200円くらいの カップめんを、1つだけ ヘリコプターで はこぶと、はこぶ お金だけで 300円くらい かかって しまう ことも ある。だから 山小屋では 500円くらいに なるのだ。ただし ほんとうは 1こだけ 運ぶ わけでは なく、たくさんの にもつを いっしょに はこんで いる[1]

山小屋は、車の通れる道がない高い山の上にある。カップ麺も、水も、燃料も、すべて誰かが下から運んでこなければならない[1]

今、その役目を担っているのは主にヘリコプターだ。1回飛ばすだけで数十万円かかるといわれ、その費用が、山小屋の商品の値段に少しずつのせられている。ある山小屋関係者の試算では、300kg分の荷物を1回のヘリで運ぶと、1kgあたり300円を超える運送費になるという。その試算にあてはめると、コンビニで200円前後のカップ麺1個を運ぶだけでも、それと同じくらいの運送費がかかる計算になる[1]

山小屋の多くは、車道が通じていない標高2,000〜3,000m級の稜線や中腹に立っている。食料や水、燃料、寝具にいたるまで、すべて外から運び入れなければならない[1]

現在、その輸送を主に担うのはヘリコプターである。荷揚げ用の大型ヘリを1回飛ばすと数十万円の費用がかかるとされ、山小屋関係者による試算では、300kg程度の荷物を運ぶ場合、1kgあたり300円を超える運送費になるという。この運送費が、山小屋で売られる商品の価格に上乗せされる。ふもとでは200円前後で買えるカップ麺が、山小屋では500円前後になる背景には、こうした輸送コストの大きさがある[1]

2. むかしは 人が せなかで はこんで いた

2. ヘリコプターより前は、人の背中で運んでいた

2. 歩荷 ── 今も尾瀬に残る、人力の輸送

ヘリコプターが つかわれる ように なったのは、1960年だいからだ。それより 前は、大きな にもつを せなかに せおって 山を のぼる 人が、山小屋の にもつを はこんで いた。この しごとを する 人を「ぼっか」と いう[2]

「ぼっか」は、じぶんの 体じゅうより おもい にもつを はこぶ ことも あった。1941年、白馬岳しろうまだけと いう 山に、大きな 石の 目じるしを はこびあげた 小宮山正と いう 人が いる。石の おもさは 1つ やく187kgも あり、2かいに わけて せおって のぼった。この 話は、のちに 小説しょうせつにも なった[2]。いまも 尾瀬おぜと いう ばしょでは、ぼっかを せんもんに する 人が、まいにち にもつを はこんで いる[2]

北アルプスの山小屋でヘリコプターが使われ始めたのは1960年代のことだ。それより前は、重い荷物を背負って山道を登る「歩荷(ぼっか)」という仕事の人たちが、荷物を運びあげていた[2]

歩荷は、自分の体重より重い荷物を背負うこともあった。1941年、白馬岳(しろうまだけ)の山頂に、花こう岩でできた大きな道しるべを運びあげた小宮山正という強力(ごうりき、歩荷とほぼ同じ仕事)がいる。石の重さは1個およそ187kgもあり、2回に分けて背負って登ったという。この実話は、のちに新田次郎の小説『強力伝』のもとになった[2]。今も尾瀬(おぜ)では、歩荷を専門の仕事とする人たちが、毎日荷物を運んでいる[2]

北アルプスの山小屋がヘリコプターによる荷揚げを始めたのは1960年代である。それ以前、荷物を運びあげていたのは「歩荷(ぼっか)」と呼ばれる人たちだった。背負子(しょいこ)に荷物を積み、数十kgから、ときには100kgを超える荷物を背負って、山道を何度も往復する[2]

富士山や立山では、歩荷と近い仕事をする人を「強力(ごうりき)」と呼び、道案内も兼ねることが多かった。1941年8月、強力の小宮山正は、白馬岳の山頂に設置する花こう岩製の風景指示盤(道しるべ)を、2回に分けて人力で担ぎあげた。石の一つは50貫(約187kg)もあったという。この実話をもとに、新田次郎が山岳小説『強力伝』を書いた[2]。ヘリコプターの登場によって歩荷の仕事は各地で減っていったが、現在も尾瀬ヶ原では歩荷を専業とする人たちが、一年を通して山小屋への荷揚げを続けている[2]

3. 山小屋には、ふたつの はじまりが ある

3. 山小屋には、二つの始まりがある

3. 信仰の宿と、近代登山の山小屋、二つの系譜

ぼっかが はこんで いた 山小屋は、いつから あるのだろう。じつは、山小屋には 大きく わけて ふたつの はじまりが ある[3]

ひとつは、富士山ふじさんを おがみに くる 人たちを とめる やどだ。むかしから「おし」と よばれる 人たちが、とまる ところや ごはんを せわして きた。もうひとつは、山を のぼる こと じたいを たのしむ ために たてられた 山小屋だ。1906年に できた「はくばさんそう」は、その ひとつ で、いまでも 日本で いちばん 大きい 山小屋だと いわれて いる[4]

歩荷が運んでいた山小屋は、いつからあるのだろう。実は、山小屋には大きく分けて二つの始まりがある[3]

一つは、富士山を信仰のために登る人たちを泊める宿だ。室町時代にはすでに「御師(おし)」と呼ばれる人たちが、宿泊や食事の世話をしていた記録がある。江戸時代後半には人気が高まり、たった夏の2か月間で8,000人もの人が訪れることもあったという[3]。もう一つは、登山そのものを楽しむために建てられた山小屋だ。1906年、登山家の松沢貞逸(まつざわていいつ)が、北アルプスの白馬岳に山小屋を開いた。これが今の「白馬山荘(はくばさんそう)」の始まりで、宗教目的でない山小屋としては日本最古とされ、今でも収容人数800人という日本最大の山小屋だ[4]

歩荷が運びあげていた山小屋は、いつごろから存在するのか。山小屋の歴史をたどると、大きく二つの系譜が見えてくる[3]

一つは、富士山信仰にもとづく宿である。富士講(ふじこう)の信者を受け入れる「御師(おし)」の家は、室町時代にはすでに存在したとされる。江戸時代後半には富士講が大流行し、上吉田(現在の富士吉田市)だけで86軒もの御師坊が軒を連ね、最盛期には夏の2か月間で8,000人もの参詣者を迎えたという[3]。もう一つは、登山そのものを目的とする近代的な山小屋である。1906年、登山家の松沢貞逸が、軍の測量隊が使っていた岩室の使用権を得て、北アルプス・白馬岳の山頂近くに「頂上小屋」を開いた。これが白馬山荘の始まりで、宗教登山に由来しない山小屋としては日本最古とされる。2023年時点の収容人数は800人(かつては1,200人の時期もあった)で、山小屋としては今も日本最大の規模を誇る[4]

4. 山小屋は だれの もの?

4. 山小屋は、だれが経営しているのか

4. 国の土地を借りて、代々受けついで経営する

はくばさんそうのように、いまも つづいて いる 山小屋は、だれが もって いるのだろう[5]

じつは 山小屋の たって いる 土地は、多くが 国の 土地だ。だから、あたらしく 山小屋を たてる には、くにの きびしい ゆるしが いる[5]。いまの 山小屋は、せんそうが おわった あとくらいの 時代に たてた 人たちの、子どもや まごが うけついで いる ところが 多い。夏の あいだだけ、アルバイトの 学生や 山が すきな 人たちが、山小屋に すみこみで はたらく[5]

白馬山荘のように、今も続いている山小屋は、いったいだれのものなのだろうか[5]

実は、山小屋の建つ土地の多くは国有林や国立公園にあたる。そのため、今新しく山小屋を建てるには、国の厳しい許可を受けなければならない[5]。今営業している山小屋の多くは、戦後まもない時期に建てた人たちから、子や孫の世代へと受けつがれてきたものだ。たとえば北アルプスの雲ノ平山荘(くものたいらさんそう)は、1963年に父親が建てた小屋を、その子が受けついで経営している。夏のあいだだけ、アルバイトの学生や山が好きな若者たちが、山小屋に住みこみで働くことも多い[5]

白馬山荘のように長く営業を続ける山小屋は、いったいだれが所有し、経営しているのか[5]

山小屋の敷地の多くは国有林や国立公園内にあり、新規に山小屋を建設するには自然公園法にもとづく国(または知事)の許可が必要で、実際に新しく建てるのは難しいとされる。そのため、現在営業する北アルプスの山小屋の大半は、戦後まもない時期に開業した創業者から、その子や孫の代へと世襲で引きつがれてきたものだ。たとえば雲ノ平山荘は、1963年に父親が建てた小屋を子が受けつぎ経営を続けている例として知られる。日本の国立公園は、こうした山小屋の経済力に日常的な維持管理の多くを事実上依存しているとも指摘され、本来は国が担うべき管理の一部を、山小屋が実質的に肩代わりしている面がある。夏季には、オーナー家族に加えて、アルバイトの学生や登山好きの若者が住みこみで働き、荷揚げから調理、案内までを分担している[5]

5. 山小屋の なかは、どう なって いる?

5. 山小屋の中は、どうなっているのか

5. 混雑期の雑魚寝と、ほとんどないお風呂

国から 土地を かりて、家族で つづけて きた 山小屋。その なかに とまると、どんな ようすなのだろう[6]

いつもは、1人に 1くみの ふとんが よういされる。でも、夏休みや おぼんなど、こんで いる ときは、1まいの ふとんを 2人いじょうで つかう ことも ある。おへやは 男の人も 女の人も いっしょの 大べやが ふつうだ[6]。おふろが ある 山小屋は、とても めずらしい。おおねに ある 山小屋では、お水を あつめる こと じたいが たいへんだからだ。たとえるなら、じぶんの 家の おふろに 入れる お水を、ぜんぶ せなかで はこんで くる ような ものだ(ほんとうは ヘリコプターも つかうが、それでも かぎりが ある)。ただし、おんせんが わく めずらしい 山小屋も、少しだけ ある[6]

国有地を借りて、家族で代々続けてきた山小屋。その中に泊まると、どんな様子なのだろうか[6]

ふだんは、1人に1組の敷布団と掛け布団が用意される。でも夏休みやお盆など、混雑する時期には、1枚の布団を2人以上で使うこともある。部屋は男女の仕切りがない大部屋が一般的だ[6]。お風呂がある山小屋は、とても珍しい。稜線にある山小屋では、そもそも水を確保すること自体が大変だからだ。ただし、白馬鑓温泉小屋(しろうまやりおんせんごや)のように、山の中で温泉がわく珍しい山小屋も、ごく一部にはある[6]

国有地を借りて家族で代々経営してきた山小屋。実際に宿泊すると、内部はどのような様子なのか[6]

通常は1人に1組の敷布団・掛け布団・枕が用意されるが、お盆や夏休みのピーク期には1枚の布団を2人以上で使う「雑魚寝」に近い状態になることもある。限られた空間になるべく多くの登山者を収容するため、部屋は男女の仕切りのない大部屋が基本となる[6]。お風呂やシャワーがある山小屋は、稜線上ではごく一部にかぎられる。剱澤小屋(つるぎさわごや)や剣山荘(けんさんそう)のようにシャワー室を備える例もあるが、多くの山小屋では水の確保自体が容易でなく、入浴設備を持てない。一方で、白馬鑓温泉小屋や本沢温泉(もとざわおんせん)のように、山中でも源泉が得られる立地のため温泉に入れる山小屋も、少数ながら存在する[6]

6. 「しろい かわ」から、きれいな トイレへ

6. 「白い川」から、きれいなトイレへ

6. 「白い川」問題と、2006年度までのトイレの転換

お水が とても たいせつな 山小屋。では、トイレは どう して いるのだろう[7]

むかしの 富士山ふじさんの トイレは、ためた よごれた 水を、山はだに そのまま ながして いた。その ため、白い かみくずが すじの ように のこって、「しろい かわ」と よばれる もんだいに なって いた[7]。1999年、くにの きかんが、もえやすい ごみに かえたり、水を きれいに して また つかったり する あたらしい トイレを ためして みた。それが うまく いった ため、やまなしけんと しずおかけんが ちからを あわせ、2006年どまでに、富士山ふじさんの 42の 山小屋 ぜんぶで、かんきょうに やさしい トイレに かわった[7]。いま とざんしゃが はらう「トイレチップ」と いう お金は、この トイレを まもる ために つかわれて いる[7]

水がとても大切な山小屋。では、トイレはどうしているのだろうか[7]

かつて富士山のトイレの多くは、ためたし尿を夏山シーズンの終わりに山肌へそのまま流す方式だった。その結果、水に溶けないティッシュペーパーが白い筋のように残り、「白い川」と呼ばれる問題になっていた[7]。1999年、環境省が、燃やして処理する方式や水を浄化して再利用する方式など、し尿を外に出さない新しいトイレを試験的に設置した。この取り組みがうまくいったことから、山梨県と静岡県が協力し、国の補助金も使いながら整備を進め、2006年度までに、富士山にある42か所の民間の山小屋すべてが、環境に配慮したトイレに切りかわった[7]。今、登山者が払う「トイレチップ」というお金は、このトイレを維持するために使われている[7]

運ぶこと自体が難しい山の上で、水はとりわけ貴重な資源になる。その水を大量に必要とするトイレは、山小屋にとって長年の課題だった[7]

かつて富士山5合目より上のトイレの多くは、地下浸透式や、ためたし尿を夏山シーズン終了後に山肌へ放流する方式だった。この方式では、水に溶けないティッシュペーパーやごみが白い筋状に固まって残り、悪臭も放つ「白い川」と呼ばれる景観問題を引き起こしていた[7]。1997年ごろからトイレの改良が模索され、1999年7月には環境省が、吉田口下山道7合目に燃焼式、富士宮口登下山道5合目に水循環式という、し尿を外部に排出しない実証実験用トイレを設置した。この方式が有効と確認されたことから、山梨県・静岡県と環境省が協力し、国の補助金(31か所)、県単独の補助(9か所)、山小屋の自己資金(2か所)を組み合わせて整備を進め、平成18年度(2006年度)までに、富士山にある民間山小屋42か所すべてで、バイオ式・水循環式・燃焼式などの環境配慮型トイレへの転換が完了した[7]。現在、登山者が任意で支払う「トイレチップ」は、こうした環境配慮型トイレの維持・管理費用にあてられている[7]

じぶんでも しらべて みたく なったら

自分でも調べてみたくなったら

自分でも調べてみたくなったら

山小屋の ホームページを、いくつか 見て みよう。カップめんや ジュースの ねだんが、どのくらい するか さがして みると いい。車で 行ける 山と、高い 山とで、ねだんが ちがうかも しれない。

山小屋の公式サイトを、いくつか見比べてみるといい。標高3000m近い山小屋と、車道が通じている低い山の山小屋とで、カップ麺や飲み物の値段がどれくらいちがうか、さがしてみよう。

身近な山の山小屋と、標高2,000〜3,000m級の山小屋の公式サイトを見比べてみてほしい。多くの山小屋は宿泊料金や食事つき・素泊まりの選択肢を公開しており、ヘリコプターによる荷揚げの様子を紹介しているところもある。車道が届く山かどうかで、値段や設備がどれくらいちがうかを比べると、この記事で説明した「運ぶことの大変さ」が、値段のどこにあらわれているかが見えてくるはずだ。実際に山小屋に泊まる機会があれば、トイレチップを払うときにその仕組みを思い出してみてほしい。

しらべた ところ

参考にした情報源

参考にした情報源

  1. noteブログ「山小屋のヘリ事情」(つの@標高2600mの元仲居)、ブログ「山小屋の料金は高いのか!?歩荷の給料とヘリコプターの相場について」(アオヒゲ危機一髪♪)。 https://note.com/tsunodake/n/n2140fdbe58ab https://www.aohigetozan.com/entry/2017/09/05/224351 (荷揚げ用ヘリコプターを1回飛ばすのに数十万円規模の費用がかかること、300kg程度の荷物を運ぶ場合の1kgあたりの運送費が300円を超えるという試算は、山小屋スタッフ経験者による現地取材ベースのブログ記事による。この試算は特定の条件をおいた一つの計算例であり、山小屋・年・ヘリの機種によって実際の費用は変動するため、あくまで目安として紹介した)
  2. フリー百科事典『ウィキペディア』「歩荷」、山と溪谷オンライン「知っておきたい!北アルプスの山小屋」、ニッポン旅マガジン「新田次郎『強力伝』で知られる白馬山頂の巨大な風景指示盤が崩壊の危機に!」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/歩荷 https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=2616&pg=2 https://tabi-mag.jp/hakuba-landscape/ (歩荷が数十kgから、ときには100kgを超える荷物を運ぶこと、現在も尾瀬ヶ原地区で歩荷が専業として一年を通して活動していることはウィキペディア「歩荷」による。北アルプスの山小屋でヘリコプターによる荷揚げが1960年代に始まったことは山と溪谷オンラインの解説記事による。1941年〈昭和16年〉8月、強力・小宮山正が白馬岳山頂の風景指示盤〈花こう岩製、1個50貫=約187kg〉を2回に分けて担ぎあげ、これが新田次郎の小説『強力伝』のもとになったことはニッポン旅マガジンの記事による)
  3. フリー百科事典『ウィキペディア』「御師」、御師の家「御師の家について」、YUI旅と暮らしと「富士山信仰の歴史・文化・民族 御師町の今昔を往く」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/御師 https://oshinoie.client.jp/ https://yui-tabitokurashito.jp/livings/reading/3410/ (富士山の御師が鎌倉時代から室町時代初期にはすでに活動していたことはウィキペディア「御師」による。江戸時代後半の最盛期には夏の2か月間で8,000人もの参詣者を迎えたことは御師の家公式サイトによる。上吉田地区に86軒もの御師坊が軒を連ねていたことはYUI旅と暮らしとの解説記事による)
  4. フリー百科事典『ウィキペディア』「白馬山荘」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/白馬山荘 (1905年に松沢貞逸が軍の測量部が使っていた岩室の使用権を入手し、1906年にこれを改造して「頂上小屋」として開業したこと、これが宗教登山に由来しない山小屋としては日本最古とされること、2023年時点の収容人数が800人〈かつては1,200人の時期もあった〉で山小屋としては日本最大であることは、ウィキペディア「白馬山荘」による)
  5. ダイヤモンド・オンライン「山小屋主が訴える国立公園管理の窮状、国の管理責任はどこへ?」、noteブログ「なぜ素人が山小屋を運営しようと思ったのか【その2】」(花谷泰広)、環境省「国立公園内(普通地域を除く。)における各種行為に関する審査指針について」。 https://diamond.jp/articles/-/216594 https://note.com/hana1976/n/n51c990ca21c3 https://www.env.go.jp/hourei/18/000075.html (国立公園の特別地域で建築を行う場合、自然公園法にもとづき環境大臣(一部の都県では知事)の許可が必要であり、全国的な基準と地域ごとの管理計画書に照らして審査されることは環境省公式サイトによる。北アルプスの山小屋の多くが戦後まもない時期に開業した創業者から世襲で引きつがれてきたこと、日本の国立公園が山小屋の経済力に日常的な管理を事実上依存している面があることはダイヤモンド・オンラインの記事による。雲ノ平山荘が1963年に父親の建てた小屋を子が受けついで経営している例はnoteブログ〈花谷泰広〉による)
  6. YAMA HACK「『山小屋』が謎すぎる……みんなの山小屋での過ごし方は?」、図解ひとり登山「振り返って考える山小屋マナー(3)山小屋での過ごし方」。 https://yamahack.com/2210 https://kakutama.com/hut-manners3 (通常は1人1組の布団が用意されるが、お盆や夏休みなど混雑する時期には1枚の布団を2人以上で使うこともあること、部屋が男女の仕切りのない大部屋であること、稜線上の山小屋では水の確保が大変なためごく一部を除いて風呂やシャワーがないこと、剱澤小屋・剣山荘にシャワー室があること、白馬鑓温泉小屋や本沢温泉のように温泉のある山小屋も少数存在することは、いずれもYAMA HACKおよび図解ひとり登山による登山者向け解説記事による)
  7. 環境省「環境省の取組|富士山世界文化遺産」、富士山NET「トイレ事情・処理方式」。 https://www.env.go.jp/nature/isan/fujisan/torikumi.html https://www.fujisan-net.jp/post_detail/2001642 (かつて富士山のトイレの多くが地下浸透式やし尿の放流方式で、水に溶けないティッシュペーパーが白い筋状に残る「白い川」問題を引き起こしていたことは富士山NETによる。1999年7月に環境省が吉田口下山道7合目〈燃焼式〉・富士宮口登下山道5合目〈水循環式〉に実証実験用トイレを設置したこと、山梨・静岡両県の協力と環境省の補助金〈国31か所・県9か所・自己資金2か所〉により平成18年度〈2006年度〉までに富士山の民間山小屋42か所すべてで環境配慮型トイレへの転換が完了したことは環境省公式サイトによる。登山者が支払う「トイレチップ」が維持管理費にあてられていることは富士山NETによる)

なおした ところ

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