1. どうして、へやの あかりが きえなかったの?
1. 辞書は1冊だけ ── 「ヅーフ部屋」の夜
1. ヅーフ辞書と「ヅーフ部屋」── 1冊しかない辞書をめぐる塾生の学び
てきじゅくには、オランダごの ことばの いみが わかる じしょが、たった 1さつ しか ありませんでした。[2]
その じしょは、「ヅーフ」と よばれました。よみかたは「ずーふ」です。わかものたちは、じしょを おいた 部屋に あつまり、じゅんばんを まって しらべました。
そのため、この 部屋は 「ヅーフ部屋」と よばれ、あかりが きえる ひまが なかった、と いわれて います。
もしも、クラスの みんなで じしょを 1さつ しか つかえなかったら、だれから じゅんばんに つかうか、どうやって きめますか。
2. てきじゅくって、どんな がっこう?
2. 千人をこえる若者が入門した塾
2. 適塾には何人が集まり、塾生はどこで暮らしたのか
てきじゅくは、1838ねんに、おおさかで はじまりました。ひらいたのは、お医者さんの 洪庵です。25ねん つづきました[1]。
はいった 人の 名前を かいた ノートには、636人の 名前が のって います。ほかの しりょうも あわせると、1000人を こえる わかものが まなんだ ようです[3]。
いまも のこる たてものが あります。1かいの おくは 洪庵の かぞくが くらし、2かいで、わかものたちが ねおきして いました[4]。
3. がっこうで、どんな べんきょうを したの?
3. 会読と塾頭 ── 実力で進む学び
3. 会読・採点・塾頭 ── 福沢諭吉の述懐と、門下の顔ぶれ
てきじゅくでは、月に 6かいほど、オランダごの 本を みんなで よみとく 時間が ありました。よみとく ことを 会読と いいます[5]。
できぐあいに よって、○や ●や △の しるしが つき、それが すすむ めやすに なった、と つたわって います[5]。
ここで まなんだ 人の なかには、福沢諭吉が います。福沢は、「これいじょう できないほど べんきょうした」と おもいだして います[2]。
4. 洪庵は、うでから うでへ、なにを つたえたの?
4. 種痘を広める ── 腕から腕へ、無償の除痘館
4. 除痘館と種痘(1849〜1858年)── 植え継ぎ・風評・官許
洪庵は、てんねんとうと いう こわい びょうきを ふせぐ 種痘を、おおさかで ひろめた 人でも あります[6]。
1849ねん、除痘館と いう ばしょを ひらきました。そこでは、子どもの うでから うでへ、てんねんとうを ふせぐ くすりの なえ(うしの びょうきから つくった もの)を つないで いきました[7]。
「うけると うしに なる」と いう うわさも ありましたが、洪庵は、ただしい ことを ねばりづよく つたえ つづけた、と いわれます[7]。いまは、その うわさは まちがいだと わかって います。
1849年、除痘館を開く
洪庵は1849年(嘉永2)、大坂の道修町で医師たちと一緒に、種痘を行う「除痘館」を設けました[6]。西日本の各地に痘苗を分ける拠点も置き、天然痘が広がるのを防ごうとしました[6]。
腕から腕へ、そして風評
除痘館では、子どもの腕から腕へと牛痘の苗を植え継ぎました。当時は「種痘を受けると牛になる」といったうわさも流れましたが、洪庵は粘り強く正しい情報を伝え続けたとされます。このうわさは、現在では誤りと分かっています[7]。
民間の支えと官許
除痘館は、民間の資金や薬を扱う商人・大和屋喜兵衛らの支えで運営され、無償の社会奉仕として始められたとされます[8]。1858年(安政5)には、幕府が種痘を公認しました[7]。
5. まちがいを みとめる ことは、はずかしい こと?
5. 5〜6日で手引きを書き、批判を受けて改訂する
5. 『虎狼痢治準』(1858年)── 手引きの執筆と、批判を受けた改訂
1858ねん、虎狼痢と よばれた こわい びょうきが はやりました。洪庵は、5〜6日で、なおしかたの 本を かいて、お医者さんに ただで くばった、と いわれます[7]。
この 本に ついて、でしの ひとりが ひはんした ことが、きろくに のこっています。また、洪庵が じぶんの まちがいを みとめた ことと、その としの 12月に あらためた 本が でた ことも、つたえられています[9]。
先生でも、まちがえる ことが あります。まちがいに 気づいて なおす 先生を、わかものたちは どう おもったでしょう。
6. お医者さんの 心がまえって、なに?
6. 「人のために生きる」── 医師の心得12か条
6. 『扶氏医戒之略』── 洪庵が訳した12か条と、その後
洪庵は、ドイツの お医者さんが かいた 本の さいごに ある「お医者さんの 心がまえ」を、12の きまりに して、日本ごに しました[6]。
いちばん はじめの きまりは、むかしの ことばで、こう かいて あります。
人の為に生活して己のために生活せざるを医業の本体とす
むずかしい ことばですが、「お医者さんの しごとは、まず 人の ために ある」と いう いみに よめます。ただし、この よみとき方は、この メモの ものです。(もとの ことばは、おおさかだいがくの洪庵の しごとを しょうかいした ページに のって います[6]。)
ドイツの医師の本から
洪庵は、ドイツの医師フーフェランドの著作『扶氏経験遺訓』の巻末にある医師の心得を、12か条の訳文としてまとめました。これが『扶氏医戒之略』として知られています[6]。
第一条を読んでみる
第一条は次のとおりです。
人の為に生活して己のために生活せざるを医業の本体とす
「自分のためではなく、人のために生きることが、医者の仕事のもとにある」という意味に読めます。この条文は、大阪大学「洪庵の業績」の引用によります[6]。
そのあと
洪庵は1862年、幕府に召されて江戸に出て、奥医師と西洋医学所の頭取になり、翌1863年に亡くなりました[1]。適塾は、1931年にできた大阪大学の原点の一つとされています[1]。
自分でも しらべて みたく なったら
自分でも調べてみたくなったら
自分でも調べてみたくなったら
今日 できること
おうちに じしょが あれば、しらない ことばを 1つ ひいて みましょう。いみを うつさずに、じぶんの ことばで いいなおして みます。じしょが 2さつ あれば、おなじ ことばを ひいて、せつめいの ちがいを くらべても おもしろいです。
しりょうを 読むなら
おおさかだいがくの てきじゅくの ページや、てきじゅく記ねんセンターの ページに、写真と せつめいが あります。
今日できること
家に国語辞典があれば、知らない言葉を1つ引いて、意味を写さずに自分の言葉で言い直してみましょう。国語辞典が複数あれば、同じ言葉を引いて説明の違いを比べるのも面白いです。1冊の辞書を大切に使った塾生の気持ちに、少し近づけるかもしれません。
資料を読むなら
大阪大学の「適塾」のページには、沿革・教育・洪庵の業績がまとまっています。適塾記念センターのページには、入門者数などの説明があります。適塾の建物は、大阪市の資料でも紹介されています。
今日できること
洪庵の『扶氏医戒之略』第一条を、自分の言葉で言い換えてみる。家に複数の国語辞典があれば、同じ言葉を引いて説明の違いを比べてみるのもよい。
資料を読むなら
大阪大学「適塾」のページ(沿革・教育・洪庵の業績)と、適塾記念センターの概要が参考になる。福沢諭吉『福翁自伝』の適塾の章を読めば、塾生の側からの記述に触れられる。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文で使った資料。Wikipedia や新聞記事による情報は、本文で「とされる」など強さを抑えて書いた。
- 大阪大学「適塾の沿革」 https://www.osaka-u.ac.jp/ja/guide/tekijuku/outline.html (開塾・閉塾の年、主な塾生、洪庵の晩年、阪大との関係)
- 大阪大学「適塾の教育」 https://www.osaka-u.ac.jp/ja/guide/tekijuku/education.html (ヅーフ部屋、福沢諭吉の述懐)
- 大阪大学 適塾記念センター「概要」 https://www.tekijuku.osaka-u.ac.jp/ja/tekijuku (入門者数、建物の移転)
- 大阪市「旧適塾」 https://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000009601.html (建物の使われ方)
- Wikipedia「適塾」 https://ja.wikipedia.org/wiki/適塾 (ヅーフ辞書、会読、塾頭、指定年。二次資料)
- 大阪大学「洪庵の業績」 https://www.osaka-u.ac.jp/ja/guide/about/tekijuku/achievements.html (除痘館、12か条)
- 日本経済新聞「洪庵、感染症と闘った不屈の医師」 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO59042020T10C20A5AA1P00/ (植え継ぎ、風評、官許、コレラの手引き)
- 関西・大阪21世紀協会「なにわ大坂をつくった100人」 https://www.osaka21.or.jp/web_magazine/osaka100/017.html (除痘館の運営と無償)
- 九州大学附属図書館「蘭書・訳書と洪庵・椋亭」 https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/ja/exhibition/takeya/chapter2 (改訂版)
なおした ところ
更新履歴
更新履歴(改版の記録)
- 初版を公開。
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