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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

ラジオは、スマホが あるのに、どうして まだ きかれて いるの?

電話が混んでも、ラジオは聞こえた ── スマホの時代にラジオが残っている理由

災害時の輻輳とラジオ ── 1964年新潟地震から現在の聴取実態まで、ラジオが聞かれ続ける理由

分野:技術

おおきな 地震じしんの あと、でんわが つながらない ことが あります。そんな とき、ちいさな ラジオだけは、こえを とどけ つづけて いました。

スマホも テレビも ある いま、ラジオは どうして きかれて いるのでしょう。3つの ことから、かんがえて みます。

大きな地震のあと、家族に電話をかけても、つながらない。東日本大震災では、そういう状況が実際に起きました。一方で、電池で動く小さなラジオなら、放送が届く場所では、電話がつながりにくいときにも放送を聴ける場合があります。

スマホもテレビもある今、ラジオはなぜ聞かれているのでしょうか。災害のときの強さ、「いつもの声」が与える安心、普段の聞き方の3つを、公的な資料や論文を突き合わせて読んでいきます。

東日本大震災の直後、携帯電話や固定電話では、通話の発信が大きく規制された[1]。それでも、電池式の受信機があればラジオ放送は聴けたと、災害放送の研究は指摘する[3]。

このメモでは、電話の輻輳が起きる仕組み、1964年の新潟地震で定まった「ラジオは被災地向け」という役割、日常の声が持つ意味、2024〜25年の聴取実態を、総務省の資料と地域安全学会の論文などを突き合わせて整理する。ラジオが万能でないことも、あわせて書く。

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1. じしんの あと、でんわは どうして つながらないの?

1. 大きな地震のあとは、電話が「渋滞」する

1. 輻輳と発信規制 ── 東日本大震災の通信

おおきな じしんの あと、たくさんの 人が いっせいに、かぞくに でんわを かけます。すると、でんわの みちが こんで しまいます[2]。この こんざつを、「ふくそう」と いいます。

みちが こんだ ままだと、ひつような れんらくも できなく なります。そこで、でんわの かいしゃは、わざと かける ことを へらします。

2011ねんの 東日本大しんさいの あと、けいたい でんわの かいしゃは、いちばん おおい ときで、7わり から 9わり5ぶごうの でんわを へらしました[1]。いちばん おおい ときには、10かいの うち 7〜9かい いじょうが せいげんされる ことが ありました。ただし これは「いちばん おおい ときの かず」です。いつも、どこでも、では ありません。

道がせまくなる

災害のあと、被災した地域への電話が一気に増えると、回線や交換機が受け止められる量を超えてしまいます。この渋滞を「輻輳(ふくそう)」と呼びます[2]。

渋滞が続くと、救助や病院の連絡まで届かなくなるおそれがあります。そこで通信会社は、あえて発信の数を絞る「規制」をかけます。東日本大震災では、携帯電話の各社が音声通話で最大70〜95%、固定電話も最大80〜90%の規制を行いました[1]。いちばん多いときには、10回かけて7〜9回ほどが制限される、という規模だったことになります。

「最大」という言葉に注意

この数字は、規制が最も強かった場面の上限です。全国一律に続いたわけではありません[1]。文字やデータを送るパケット通信の規制は、音声より低い割合か、かけられていませんでした[1]。

災害時に電話がつながりにくくなるのは、被災地宛ての通話が回線や交換機の許容量を超えるためで、この現象を輻輳という[2]。東日本大震災では、携帯電話各社が音声通話で最大70〜95%、固定電話でも最大80〜90%の発信規制を実施した。パケット通信の規制は、非規制か音声より低い割合にとどまった[1]。

数値は「最大」であり、全国一律でも常時でもない。最大70〜95%は、その時点で10回の発信のうち7〜9.5回分が抑えられうる水準を指すが、実際の接続のしやすさは地域と時間で異なる。

2. ラジオは どうして こまないの?

2. 一度に大勢へ届く「放送」のしくみ

2. 一斉配信と受信機 ── ラジオが混雑しにくいと考えられる理由

でんわは、ひとりと ひとりを むすぶ ものです。かける 人が ふえるほど、みちが たりなく なります。

ラジオは ちがいます。ほうそうきょくが でんぱを ひろく おくり、きく 人は それを うけとるだけです。ひとりが きいても、百まんにんが きいても、おくる ほうは おなじです。たとえば、ひろばの まんなかで 大きな こえで はなす のに にて います。ただし ほんとうは、こえの かわりに でんぱを つかいます。

こうした しくみだから、ラジオは こみにくいと いえます。それに、でんちで うごく ラジオなら、ほうそうが とどく ところで きけます[3]。

とはいえ、ラジオが ぜったいに とまらない わけでは ありません。東日本大しんさいでは、ていでんなどで、ほうそうが とまった ところも ありました[4]。

「一対一」と「一対大勢」

電話は、話す人と聞く人を一組ずつつなぐしくみです。かける人が増えるほど、設備が足りなくなります。放送は、局が電波を広く送り、受信機を持つ人が受け取ります。受け取る人が何人でも、送る側の仕事は変わりません。こう考えると、放送は混雑しにくいと考えられます。

この説明は、資料からの推論です。総務省の白書は、携帯電話の緊急地震速報が、特定地域の端末に一斉に配信され、輻輳の影響を受けずに届く、と書いています[4]。「一斉に配る方式は混みにくい」という原理は、そこから読み取れます。

電池があれば聴ける、でも絶対ではない

災害放送の研究論文は、ラジオを「受信機と電池があればどこでも聴け、テレビが見られない状況でもリアルタイムの情報が得られる」ため、災害に強いメディアとされていると述べます(放送が届く場所であることが前提です)[3]。

ただし、放送局そのものが止まることもあります。東日本大震災では、東北6県を含む11県で放送局の停波が最大時120か所確認され、うち118か所が停電によるものでした[4]。「ラジオは止まらない」と覚えるのは、正確ではありません。

電話は一対一の接続を積み上げる方式で、需要が設備の許容量を超えると輻輳する。ラジオ放送は、局が電波を広域に送り、受信機を持つ人がそれを受け取る一斉配信の方式である。総務省の白書が、携帯電話の緊急地震速報を、特定地域の端末への一斉配信で「輻輳の影響を受けずに」届けていると記すこと[4]から、一斉配信型は混雑に強い、と考えられる。ここは資料からの推論にとどまる。

災害放送の論文は、ラジオを「受信機と電池があればどこでも聴け、テレビが見られない状況でもリアルタイムの情報を入手できる」ため「災害に強いメディア」とされている(放送が届く範囲での話である)、と述べる[3]。他方、東日本大震災では停波が最大時120か所(損壊2、停電118)に及び[4]、ラジオ放送が常に続くわけではない。NHKは緊急地震速報に続き、ラジオ第1を含む全8波で発生2分後から地震報道を始めた[4]。

3. ラジオと テレビは、どう やくわりを わけたの?

3. 1964年の新潟地震 ── 「ラジオは中へ、テレビは外へ」

3. 新潟地震(1964年)と災害放送の役割分担

1964ねんに、にいがたで おおきな じしんが ありました。ラジオが たいせつだと、みんなに しられた さいしょの できごとと いわれます[3]。

そのころ、テレビが ひろまりはじめて いました。NHKの にいがたの きょくは、まちの 中に いる 人には ラジオで、まちの 外の 人には テレビで、ようすを つたえる ことに しました[3]。

この「ラジオは 中へ、テレビは 外へ」と いう かんがえは、その あとの さいがい ほうそうでも、ずっと つづく きほんに なったと、さいがい ほうそうを しらべる 人が しめして います[3]。

ラジオの重要性が知られた日

災害時のラジオの重要性が一般に広く知られたのは、1964年の新潟地震だった、と論文は述べます[3]。当時はテレビが普及し始めた時期でした。NHK新潟放送局は、被災地の中にはラジオで、被災地の外には、テレビで映像を通して惨状を伝える、という方針をとりました[3]。

災害放送の研究者、廣井脩(ひろい・おさむ)の指摘として、論文はこの方針が、その後の災害放送を一貫する基本的な立場になった、と紹介しています[3]。

今もつづく「中の人へ」

民放ラジオ局へのアンケートでは、AM・FMとも、災害時の「ラジオ特有の放送」として最も多く挙げたのは、生活情報でした。被災地の中にいる人へ届けることを、強く意識している様子がうかがえます[3]。

論文は、ラジオの重要性が初めて一般に認識されたのは1964年の新潟地震だったとする。当時普及し始めていたテレビについて、NHK新潟放送局は、ラジオは被災地向け、テレビは被災地外へ惨状を伝える、という方針をとった。廣井脩の指摘として、この方針はその後の災害放送を貫く基本的立場になった、と紹介される[3]。

この役割分担は現在も意識されている。同論文が紹介する民放ラジオ局へのアンケートでは、AM・FMともに、災害時の「ラジオ特有の放送」として最も多く挙げたのは生活情報だった。次に意識する点は、AMがデマを防ぐこと、FMが日常に近い、笑ったりほっとしたりできる放送であることだった[3]。

4. ラジオの 「いつもの こえ」は、なにを くれるの?

4. ほしかったのは、情報だけではなかった

4. 心理的役割 ── 阪神・淡路大震災と東日本大震災の声

1995ねんに、こうべの ほうを おそった おおきな じしんの ときの ことです。ラジオきょくには、「いつもの パーソナリティの こえが きこえて、ほっと した」と いう たよりが、たくさん とどいたそうです[3]。

東日本大しんさいの あとの アンケートでも、「ラジオに たすけられた」と こたえた 人が いました[3]。

ろんぶんを かいた 人は、こう かんがえて います。みんなが ほしかったのは、しらせだけでは なかったのかも しれません。いつもの ばんぐみを おもいださせる、おちついた こえも、ひつよう だったのでは ないか、と[3]。

いつものパーソナリティー

阪神・淡路大震災(1995年)のとき、「いつものパーソナリティーの声が聞こえてほっとした」という声が、ラジオ局に数多く寄せられたと、論文は紹介しています[3]。東日本大震災の被災3県の調査でも、「ラジオに物心両面で救われた」という回答がありました[3]。

論文の考察

論文はこうした声から、人々は役立つ情報だけでなく、日常を思い出させる番組や落ち着いた声も求めていたのではないか、と考察しています[3]。これは研究者の解釈で、すべての人に当てはまると言い切れるものではありません。

逆に言えば、ふだん耳にしている声だからこそ、非常時の一言が届きやすいのかもしれません。

阪神・淡路大震災では、「いつものパーソナリティーの声が聞こえてほっとした」というリスナーの声が多くのラジオ局に寄せられた。東日本大震災の被災3県への調査でも、「ラジオに物心両面で救われた」という回答があった[3]。

論文は、被災者が有用な情報だけでなく、日常を思い出させる番組や落ち着いた声を求めた面があると考察する[3]。これは著者の解釈であり、調査の対象や設問は原資料に当たる必要がある。前段の民放アンケート(生活情報が最多)と合わせると、放送局側が「情報」と「日常性」の両方を意識していたことは読み取れる。なお論文は、東日本大震災でAMラジオの評価が60.1%と最も高く、FMが続いたこと、2018年の北海道胆振東部地震で「避難時にラジオの情報が役に立った」とする人が62.3%だったことも紹介するが、いずれも引用の孫引きにあたる[3]。

5. いま、どんな ときに ラジオを きいて いるの?

5. 普段は、車の中や家で「ながら」聞かれている

5. 2024〜25年の聴取実態 ── 習慣・BGM・スマホ

2024ねんの 10がつから 25ねんの 3がつまでの ちょうさが あります。15さいから 70だいまでの 人に、ネットで たずねた ものです。こどもは ふくまれて いません[5]。

ひと月に 1にち いじょう ラジオを きく 人は、ネットラジオも ふくめて、100人の うち 36人ほどでした[5]。きく ばしょは、いえと、くるまの 中が おおく、りゆうは「しゅうかん」や「BGMの かわり」が めだちました[5]。

いまは、なにかを しながら ラジオを ながして おく きき かたも あります。ラジオを きく きかいは、くるまの オーディオと スマホが おおい そうです[5]。

100人のうち36人

総務省の調査(2024年10月〜25年3月、インターネットによる調査で対象は15〜70代)では、月に1日以上ラジオを聴く人は35.9%でした。100人のうち36人ほどにあたります。インターネットラジオを月1日以上聴く人は16.8%でした[5]。子どもは調査の対象外なので、これは大人の数字です。

家と車で、習慣として

聴く場所は、自宅、通勤・通学中、自動車の中が多く、目的は「習慣として」や「BGMの代わり」が目立ちます。聴く機器は、カーオーディオ・カーナビとスマートフォンが多いと報告されています[5]。

ラジオを聴く人の半分は50〜70代ですが、インターネットラジオに限ると、20代・30代の割合が高くなります[5]。手や目がふさがっているとき、耳だけで聞ける放送が使われている、と読めます。

総務省の調査研究(2024年10月〜25年3月、15〜70代を対象としたインターネット調査、人口構成比でウェイト集計)では、媒体を問わず月1日以上ラジオを聴く人は3,967人(35.9%)、インターネットラジオを月1日以上聴く人は16.8%だった[5]。小中学生は対象外で、この数値は成人の傾向を示す。

聴取場所は自宅・通勤通学中・自動車乗車中が多く、目的は「習慣として」「BGMの代わり」が目立つ。聴取機器はカーオーディオ・カーナビとスマートフォンが多い。聴取者の半数は50〜70代で、インターネットラジオに限ると20〜30代の割合が高い[5]。

6. ラジオを、じぶんの みみで たしかめて みよう

6. 家のラジオを、一度だけ点けてみる

6. 出口 ── ラジオを試す/読みどころ

おうちの 人に、ラジオが あるか、きいて みましょう。あれば、あさごはんの ときに、15ふんだけ つけて みます。テレビと ちがって、めを はなして いても、はなしが わかります。

もうひとつ、でんちで うごく ラジオなら、でんちが はいって いるか、おうちの 人と いっしょに、かくにんして みても いいかも しれません。おうちに ラジオが なければ、じどうしゃの ラジオでも、だいじょうぶです。

家にラジオがあれば、朝食や片づけの間に、15分だけ点けてみます。画面を見なくても話がわかるかどうか、体験してみます。電池で動くラジオなら、電池が入っているかどうかも、家の人と一緒に確かめます。ラジオがなければ、車のラジオでもかまいません。

資料を読むなら、電話の規制の数字は総務省の資料[1]、新潟地震以後の役割分担と「いつもの声」は論文[3]が、それぞれ出発点になります。

家にラジオがあれば、平日の朝に15分だけ、何かをしながら聴いてみる。「ながら」で内容が入るかを自分で確かめると、調査の「BGMの代わり」「習慣として」という回答の意味が具体的になる[5]。電池式の受信機なら、家の人と一緒に、電池が入っているか、期限が切れていないかも確かめる。

資料としては、発信規制の数値は総務省の東日本大震災の資料[1]、輻輳の仕組みはNTTグループの解説[2]、新潟地震以後の役割分担と心理的役割は地域安全学会論文集No.38[3]、停波の数は情報通信白書[4]、現在の聴取実態は総務省の報告書概要[5]が読みやすい。論文が引く元の調査は、原典に当たって確かめたい。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

出典について:総務省・NTTグループの公的な資料と、地域安全学会の論文を主に使った。何に使ったかは、各項目の最後に書いている。

  1. 総務省「東日本大震災における通信の被災状況、復旧等に関する取組状況」(2011年9月)。https://www.bousai.go.jp/oukyu/higashinihon/4/pdf/soumu.pdf (携帯電話・固定電話の発信規制の割合について)
  2. NTTグループ「災害時の通信の状況について」。https://group.ntt/jp/disaster/simulation/01.html (輻輳のおこる理由について)
  3. 「非常時にラジオが果たす役割と日常の放送との関連性」『地域安全学会論文集』No.38(2021)。https://isss.jp.net/isss-site/wp-content/uploads/2021/03/2020-0763.pdf (新潟地震以後の役割分担、「いつもの声」、放送局アンケートについて)
  4. 総務省「平成23年版 情報通信白書」第1部。https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h23/pdf/n0010000.pdf (放送局の停波と、緊急地震速報の一斉配信について)
  5. 総務省「ラジオ放送聴取等の実態に関する調査研究報告書<概要>」(令和7年3月)。https://www.soumu.go.jp/main_content/001016562.pdf (今のラジオの聴かれ方について)

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