1. ビーだまは、どこから うまれたの?
1. ビー玉の「B」は不良品のB? ラムネの栓から遊びへ
1. ビー玉の名前は「B玉」から来たのか ── ラムネ瓶のガラス玉栓と名の由来
むかしの ラムネの びんには、ガラスの たまで ふたを する しくみが ありました。この たまを とりだして あそんだのが、ビーだまあそびの はじまりと いわれます[1]。
のちには、ビーだまだけを うる みせも でてきたと いわれます。ふたの たまが、おもちゃの ひとつに なったのですね。
では、なまえの「ビー」は、どこから きたのでしょう。ポルトガルごで ガラスを いう「ビードロ」から きたと いう せつが、ゆうりょくです。
ラムネの瓶は、口のところにガラス玉でふたをする作りでした。この玉を取り出して遊んだのが、日本でビー玉遊びが始まったきっかけだといわれます。明治時代のうちに、おもちゃとして使われ始めたと説明されています[1]。
日本では1872年(明治5年)に、東京の千葉勝五郎がラムネの製造販売の願書を出しました。5月4日の「ラムネの日」は、これにちなむそうです[2]。のちには、駄菓子屋などでビー玉だけが売られるようにもなったといわれます[1]。
名前の由来にも、もう一つ有名な話があります。ラムネ用の正規品がA玉で、規格外がB玉という説です。ただ、この説は1990年以降の本にしか見当たらず、現在は俗説とされています。ポルトガル語でガラスを意味する「ビードロ」の略とする説のほうが有力です[1][2]。
ビー玉遊びの発端は、日本で販売されたラムネの栓であるガラス玉を取り出し、玩具として使ったことだとされる。その後、駄菓子屋等でビー玉単体が商品として売られるようにもなったという[1]。いずれもWikipediaの記述で、年代は明治から昭和初めごろまでと幅をもたせて読んでおく。
では、ラムネそのものは日本でいつ始まったのか。1872年(明治5年)に千葉勝五郎が東京でラムネ製造販売の願書を提出したことが、5月4日の「ラムネの日」の由来になっている[2]。
名称については、ラムネ用の正規品がA玉、規格外がB玉という説が広く知られる。しかし、この説は1990年以降の書籍にしか見当たらず疑わしいとの指摘があり、現在は俗説とされる。有力なのは、ポルトガル語でガラスを意味するビードロ(vidro)の略とする説である[1][2]。名前の説は有力なものから順に確かさが変わる、という例になる。
ここまでの「別のものが遊びに変わる」話は、ほかの遊びにもあてはまるのか。次は、地面に置いて打ち合うめんこを見てみよう。
2. めんこの はじまりは、おとなの あそび?
2. 泥のめんこは、大人の遊びを子どもが取り入れて生まれた?
2. 泥面子の発祥 ── 大人の銭打ち(穴一)から子どもの遊びへ
めんこの せんぞは、どろで つくった どろめんこです。えどじだいの なかごろから めいじの はじめに はやりました[3]。
おおきさは 2から5センチほど。いえの もんしょうや、やくしゃ、おすもうさん、ひけしの ひとなど、あこがれの スターの えが ありました。
あそびの もとは、おとなが ぜにを つかって した あそびだと いわれます。こどもが とりいれる うちに、どろめんこが つくられました。
めいじの ころから、かみの めんこが でてきます[5]。
めんこの先祖にあたる泥面子は、江戸時代の中ごろから明治の初めにかけて流行しました。大きさは直径2〜5cm、厚さ1cmほどです。地面に置いた泥面子に手持ちの泥面子をぶつけたり、地面に描いた枠の中に投げ入れたりして遊びました[3][4]。
図柄には、家紋や十二支のほか、町火消し、役者、力士など、当時のあこがれのスターや世の中のようすが選ばれました。新宿区の遺跡からは、泥面子がたくさん見つかっています[3][4]。
この遊びのもとは、銭を使う大人の遊び「意銭打ち(穴一)」だとされます。子どもが遊びに取り入れていく中で、泥面子が作られたと考えられています[3]。その後いろいろな遊び方が生まれ、明治30年代ごろから紙のめんこが登場しました[5]。
泥面子(どろめんこ)は、江戸時代中期から明治初期にかけて流行した玩具で、東京都埋蔵文化財センターの解説は、家紋・十二支のほか町火消し・役者・力士など「当時の憧れのスターや世相」を映す図柄があったとする[3]。直径2〜5cm、厚さ約1cmで、地面の泥面子に手持ちのものをぶつける、枠線の中に投げ入れる、といった遊び方が新宿区の資料に記されている[4]。
では、なぜ粘土の小片を打ち合う遊びが生まれたのか。同センターの解説は、遊びの起源を「意銭打ち(穴一)」と呼ばれる、銭を用いる大人の博打とし、子どもが遊びに取り入れる過程で泥面子が作られたと説明する[3]。ここでは「大人の遊びが元になった」という点だけを押さえておく。
紙のめんこは、岐阜市歴史博物館の資料によれば、江戸時代に粘土を小さな顔の形に抜いて焼いたもので遊んだのが始まりと言われ、明治30年代(1897〜1906年ごろ)から紙製が登場した。描かれる絵は子どもの人気者で、世相をよく表すという[5]。名の「面子」が顔の形に由来するかは、この資料からは判断できない。
粘土で作った小さな玩具は、紙のめんこへと形を変えた。では、外国から来た玩具が日本の遊びになった例はあるのか。つぎは、けん玉である。
3. けんだまは、がいこくから きたの?
3. けん玉は、フランスのおもちゃから来たのか
3. けん玉の来歴 ── 16世紀フランスのビルボケと江戸時代の記録
けんだまの もとに なったのは、16せいきの フランスの おもちゃ「ビルボケ」だと いわれます[6]。えどじだいに、オランダを とおって にほんに きたと、ひろしまけんは せつめいして います。
にほんに はじめて でてきたのは、えどじだいの なかごろだと いわれます[7]。めいじじだいには、きの おもちゃとして、おおはやりしました。
けんだまの せつめいは、しりょうに よって すこし ちがいます。「えどじだいに がいこくから」までなら、どの しりょうも おなじです。
けん玉の起源は、16世紀フランスの玩具「ビルボケ」にあるようです。江戸時代にオランダ経由で日本に入ってきたと、広島県は説明しています[6]。日本に初めてけん玉が登場したのは、江戸時代中期といわれます[7]。
日本の古い文献では、1830年の『嬉遊笑覧』が、安永6〜7年(1777〜78年)ごろに「拳玉」というものが作られたと記している、とされます。1809年の『拳会角力図会』にも「匕玉拳」の図があるそうです[8]。これはWikipediaが、これらの文献にけん玉に関する記録があると紹介している内容です。
伝わった道すじは、資料によって食いちがいます。オランダ経由とする資料もあれば、別の経路を挙げる資料もあるため、ここでは「江戸時代に外国から入った」までにしておきます。明治時代には木製玩具として大流行したとされます[7]。
けん玉の起源は、16世紀フランスの玩具ビルボケ(bilboquet)にあるようで、江戸時代にオランダ経由で日本に入ってきたと広島県の多言語解説は説明する[6]。一方、同県の別のページは「日本に初めて登場したのは江戸時代中期」と言われるとし、明治時代に木工玩具として大流行したとする[7]。
では、日本側の記録ではいつから見えるのか。Wikipediaは、1830年の『嬉遊笑覧』が安永6〜7年(1777〜78年)頃に「拳玉」ができたと記し、1809年の『拳会角力図会』に「匕玉拳」の図があると紹介する[8]。いずれもWikipedia経由の紹介で、「とされる」程度の強さで扱う。
伝来経路は、オランダ経由とする資料と別の経路を挙げる資料があり、一致しない。そのため、本記事は「江戸時代に外国から入った」までを確かなこととし、経路は断定しない。
今のけん玉には、受け皿が三つある。だれが、どこでこの形を考えたのだろう。
4. いまの けんだまの かたちは、だれが つくったの?
4. 今のけん玉の形は、広島の職人が作った?
4. 日月ボールの考案 ── 廿日市の職人と、3つの皿をもつ形
めいじの ころ、ひろしまけんの はつかいちの きの しょくにんたちが、けんだまなどの きの おもちゃを つくり はじめました。いつくしまじんじゃに おまいりする ひとや たびの ひとに、かって もらおうと したのです[6]。
1918ねんに、えぐさ はまじと いう しょくにんが、うけざらを 3つ つけた けんだまを かんがえました。たまを たいよう、おさらを つきに みたてて、「にちげつボール」と なづけました。いまの けんだまの かたちに つながる ものです。
いまも はつかいちしは、しないの しょうがく1ねんせい ぜんいんに けんだまを くばって います[6]。
明治時代、広島県の廿日市にいた木工職人たちが、街道を通る厳島神社の参拝者や旅人に買ってもらおうと、けん玉などの木製玩具を作り始めました[6]。
1918年には、江草濱次という職人が、それまでのけん玉を改良して、受け皿が3つ、持ち手、けん先を備えたものを考えました。玉を太陽、皿を月に見立てて「日月ボール」と名づけました。広島県の資料は、これを今の日本のけん玉の形につながるものとして説明しています[6]。
年には資料によるちがいがあります。1918年は考案、大正10年(1921年)は廿日市の木工メーカーが「日月ボール」として製造を始めた年と、広島県のページは述べています[7]。混ぜずに、それぞれ別のできごととして読みます。
けん玉の人気がピークだった1970年代には、廿日市市の生産は年に40万個で、全国の生産の70%を占めました。今も廿日市市は、市内の小学1年生全員にけん玉を配り、2014年には廿日市でけん玉ワールドカップが開かれました[6]。
明治期、廿日市の木工職人たちは、街を通る厳島神社の参拝者や旅人に買ってもらおうと、けん玉などの木製玩具の製造を始めた[6]。廿日市では、けん玉などの木製玩具が作られるようになった。
では、今の形はいつ決まったのか。広島県の多言語解説文は、1918年に江草濱次(えぐさ はまじ)が従来のけん玉を改良し、受け皿3つ・持ち手・けん先を備えた玩具を考案したとする。玉を太陽、皿を月に見立てて「日月ボール」と名づけ、これが今の日本のけん玉の形になったという[6]。
ただし年は資料で分かれる。同じ広島県の別ページは、大正10年(1921年)に廿日市の木工メーカーが従来のけん玉に受皿を取り入れ、「日月ボール」として製造を開始した、と記す[7]。1918年(考案)と1921年(製造開始)は別のできごとと読めるが、資料どうしでの食いちがいも残るため、一つの年にはまとめない。
この形は産業にもなった。1970年代、廿日市市の生産は年40万個で、全国生産の70%を占めた。今も市内の小学1年生全員への配布が続き、2014年には廿日市でけん玉ワールドカップが開かれている[6]。廿日市の職人は、受け皿を三つ持つ「日月ボール」を考案した。外国から伝わった玩具は、日本で新しい形になった。
5. じぶんでも しらべて みよう
5. 自分でも調べてみたくなったら
5. 自分でも調べてみたくなったら
きょう できること
いらなくなった チラシや おりがみを、かたく おって、めんこを つくって みましょう。ゆかに おいた めんこに、じぶんの めんこを ぶつけて あそびます。ゆかや かぐを きずつけない ばしょで やって くださいね。
おうちの ひとと
おじいさん、おばあさんに、こどもの ころに した あそびを きいて みましょう。ビーだまや めんこの あそびかたが、ちがって いるかもしれません。
こうしきの じょうほう
ひろしまけんの ホームページに、けんだまの はなしが のって います。
今日できること
いらなくなったチラシや折り紙を固く折って、紙のめんこを作ってみましょう。床に置いためんこに、自分のめんこをぶつけて遊びます。床や家具を傷つけない場所で、周りに人がいないか確かめてからやってください。
おうちの人と
おじいさん・おばあさんに、子どものころにした遊びと、そのルールを聞いてみましょう。同じ「めんこ」でも、地域や時代で遊び方がちがうことがあります。
公式情報
広島県の「けん玉」の解説や、東京都埋蔵文化財センターの「泥面子のはなし」で、くわしい話が読めます。
今日できること
チラシや折り紙で紙のめんこを作り、床に置いためんこに自分のめんこをぶつける遊びを試す。重さや折り方を変えると、結果がどう変わるかを比べられる。
出かけてできること
お住まいの地域の博物館や郷土資料館で、泥面子やけん玉の展示がないか調べてみてもよい。
公式情報
広島県「けん玉」(国土交通省 多言語解説文データベース)、東京都埋蔵文化財センター「泥面子のはなし」、岐阜市歴史博物館の参考資料集を読み、年や経路の書き方がどこで食いちがうかを確かめるとよい。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
ビー玉の由来は二次資料が中心で、年は「頃」とされる。めんこ・けん玉は公的機関や博物館の資料にもとづく。
- Wikipedia「ビー玉」 https://ja.wikipedia.org/wiki/ビー玉 (ラムネの栓の転用・名の由来の説)
- All About ニュース「ラムネの豆知識」 https://news.allabout.co.jp/articles/o/60429/ (ラムネの日・B玉説の見方)
- 東京都埋蔵文化財センター 遺跡発掘ニュース その八「泥面子のはなし」(2018) https://www.UR-net.go.jp/produce/case/yotsuya/about/fehv9e0000000h7o-att/vol8_20180215.pdf (泥面子の図柄と、遊びの起源)
- 新宿区「泥面子(どろめんこ)」 https://www.city.shinjuku.lg.jp/kanko/bunka02_001069.html (大きさと遊び方)
- 岐阜市歴史博物館 参考資料集 遊びセット https://www.rekihaku.gifu.gifu.jp/gmh/wp-content/uploads/2019/10/1-4asobiset.pdf (紙のめんこの登場)
- 国土交通省 多言語解説文データベース「広島県 けん玉」 https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/R2-00333.html (けん玉の起源・日月ボール・廿日市の生産)
- 広島県「徹底解剖!ひろしまラボ けん玉」 https://www.pref.hiroshima.lg.jp/lab/topics/20210817/01/ (日本への登場時期・製造開始の年)
- Wikipedia「けん玉」 https://ja.wikipedia.org/wiki/けん玉 (江戸時代の文献の記録)
なおした ところ
更新履歴
更新履歴(改版の記録)
- 初版を公開。
このサイトでは、公開した記事の本文は原則として書き直しません。誤りが見つかったときや、内容が古くなったときだけ手を入れ、その理由をこの欄に残します。