1. めだまは、はなしじゃ なくて えんそうだった
1. 披露の目玉は、セリフではなく演奏だった
1. 1926年のヴァイタフォン披露 ── 同時上映の短編が示す「目玉」
1926ねんの 8がつの はじめ、ニューヨークの ワーナーげきじょうで、『ドン・ファン』という えいがが じょうえいされました。これは、セリフは ないけれど、おんがくと こうかおんが ついた ながい えいがです[3]。
この えいがの まえに、みじかい えいがが 8ほん ならびました。さいしょの 1ぽんは、えいが会社の えらい 人の ウィル・ヘイズが、4ふんほど あいさつを する ものでした[1]。ほかの みじかい えいがに でて きたのは、オペラの うたいてや、バイオリンの めいじんたちです。アル・ジョルソンという かしゅも いました[3]。
えいがに 音が ついたと いっても、めだまは えんそうを きく ことだったのです。この 音は、どうやって えいがと いっしょに ながれたのでしょう。
1926年8月の初め、ニューヨークのワーナー劇場で『ドン・ファン』が公開されました。日付は資料によって5日と6日に分かれるので、ここでは8月上旬としておきます[3]。この長編はセリフのない作品で、音楽と効果音がついていました。
注目したいのは、いっしょに上映された8本のヴァイタフォン短編です。メトロポリタン歌劇場のテノール歌手マルティネッリ、バイオリニストのエルマンとジンバリスト、そしてアル・ジョルソンなどが出ていました[3]。
上映の冒頭には、映画業界団体の代表ウィル・ヘイズによる約4分の挨拶の短編がありました[1]。しかし、そのあとに並んだのは一流の音楽家の演奏です。物語のセリフではなく、演奏を映画館で聞かせることが目玉だったと読めます。では、その音はどうやって映像と合わされたのでしょうか。
映画館のスクリーンから聞こえる音の主役は、俳優のセリフだったのか。ワーナーがヴァイタフォンを披露した1926年8月上旬のニューヨークの上映を見ると、そうではない。公開日は資料により5日と6日に分かれる[3]。メインの長編『ドン・ファン』はセリフを持たず、音楽と効果音をつけた作品で、その前に8本のヴァイタフォン短編が並んだ。先頭はウィル・ヘイズの約4分の挨拶で、そのあとに演奏が続いた[1]。
短編に出たのは、メトロポリタン歌劇場のテノール歌手マルティネッリ、バイオリニストのエルマンとジンバリスト、歌手のアル・ジョルソンらである[3]。この顔ぶれからは、目玉が「物語を語る声」より「一流の演奏」だったと読める。これは番組表からの筆者の読みで、ワーナーの狙いを直接述べた資料ではない。
では、こうした演奏の音は、どのように映像と結びつけられていたのか。ここに、ヴァイタフォンという方式の特徴がある。
2. 音は、レコードの 円ばんに 入って いた
2. 映写機とレコード盤を、モーターでつなぐ
2. サウンド・オン・ディスク ── 映写機とターンテーブルの電気的な連動
ヴァイタフォンは、音を えいがの フィルムでは なく、べつの レコードの 円ばんに 入れて おく ほうほうです。うつす きかいと レコードを まわす だいが、モーターで つながって いました[1]。
円ばんは、大きさが 40センチ くらい。1まいで 11ぷんぐらい ながせたと いわれます[1]。16インチを センチに なおすと、16×2.54で 40.6センチです。
えいしゃぎしは、円ばんの しるしと フィルムの しるしを あわせて、はじめます。しるしを まちがえたり、フィルムが いたんだり すると、音が ずれて、うつして いる あいだに なおす ことも ありました[2]。
円盤と映写機が連動する
ヴァイタフォンは、音を映画のフィルムではなく、別のレコード盤に入れておく方式です。ベル研究所とウェスタン・エレクトリック社の技術に由来し、ワーナーが1925年4月に権利を得ました。映写機とレコードを回す台は、同期モーターという電気でつながった装置で結ばれ、同じ速さで回るようになっていました[1]。
円盤は直径16インチ、毎分33⅓回転で、片面およそ11分と説明されています。16×2.54で約41cmなので、ふつうのレコードよりかなり大きな盤です。映写機のフィルム1巻の長さに合わせた設計とされますが、これらの数字は百科事典的な二次資料による説明で、目安として読んでください[1]。
合図マークを合わせる
映写技師の仕事は、円盤にある合図のマークとフィルムの合図のマークを合わせることでした。そろえば、音と映像は同期します[2]。ただし合図を間違えたりフィルムが傷んだりするとずれてしまい、上映中に調整することもありました[1]。
ヴァイタフォンは、音を映画フィルムとは別のレコード盤に記録し、映写機とターンテーブルを同期モーターで電気的に結んで再生する、サウンド・オン・ディスク方式である。ベル研究所とウェスタン・エレクトリックの技術に由来し、ワーナーは1925年4月に権利を得た[1]。
円盤は直径16インチ(16×2.54=約40.6cm)、毎分33⅓回転で、片面およそ11分の再生時間があり、映写機のフィルム1巻の長さに合わせた設計とされる[1]。11分で盤が回る回数は、33.3×11で約367回になる。
同期のために映写技師がすることは単純で、円盤の合図マークとフィルムの合図マークを合わせることだった[2]。手順は単純でも、ここを間違えれば音全体がずれ、フィルムの損傷でもずれるため、上映中の調整が必要になることがあった[1]。だとすれば、この方式は何がつらかったのか。ジャズ・シンガーを例に、次に見る。
3. 『ジャズ・シンガー』の セリフは、ぜんぶで 2ふん
3. 『ジャズ・シンガー』で話した言葉は、全部で約2分
3. 『ジャズ・シンガー』(1927)── 15枚の円盤と、同期したセリフ約2分
1927ねんの 10がつに、『ジャズ・シンガー』が こうかいされました。アル・ジョルソンが しゃべる ところが わだいに なりました[4]。
でも、えいがの なかで 音と ぴったり あって きこえる セリフは、ぜんぶで 2ふんくらいです[4]。
この えいがは 15まいの 円ばんを つかいました。そして 円ばんを うつせる えいが館は、200かんほどしか ありませんでした。ほかの えいが館では、音の ない ばんが うつされたと いわれます[4]。
1927年10月6日、ニューヨークで『ジャズ・シンガー』が公開されました。ジョルソンの最初の言葉は、「ちょっと待って、まだ何も聞いてないよ」といった意味の台詞だったと伝えられます[4]。ヴァイタフォンの披露から約14か月後のことです。
ただし、映像と合って聞こえるセリフは、映画全体で合計およそ2分でした。映画は約15巻、円盤も15枚でした[4]。「音のついた映画」という呼び名から想像するより、ずっと短い時間です。
もうひとつ見逃せないのは、映画館の側の事情です。当時、ヴァイタフォンの設備がある映画館は約200館に限られ、設備のない劇場には無声版が回されました[4]。この作品は1996年に、米国議会図書館のナショナル・フィルム・レジストリに選ばれています。
円盤方式は、一度は大きな話題をさらったのに、なぜ短い間に主役の座を降りたのでしょうか。
ヴァイタフォンの披露から約14か月後の1927年10月6日、ニューヨークで『ジャズ・シンガー』が公開された。ジョルソンの最初のセリフは「ちょっと待って、まだ何も聞いてないよ」と訳されることが多い[4]。ここでは「初のトーキー」という呼び名に引きずられず、数字で見る。
この作品は約15巻・15枚の円盤で構成され、映像と同期して聞こえるセリフは、合計でもおよそ2分である[4]。「音のついた映画」という呼び名から想像するより、ずっと短い。
さらに設備の壁があった。当時、ヴァイタフォンの設備を持つ映画館は約200館にとどまり、持たない劇場には無声版が回された[4]。作品は1996年に米国議会図書館のナショナル・フィルム・レジストリに選ばれた[4]。なお、この作品の詳しい経緯は既存の記事で扱っているので、ここでは円盤方式の限界に絞る。
4. 円ばんの ほうほうは、どこが たいへんだった?
4. 円盤式のつらいところ ── 編集できず、ずれやすく、運ぶのも大変
4. 円盤式の限界 ── 編集不能・合図ミス・輸送コスト、そして1931年まで
円ばんの ほうほうには、こまった ことが 3つ ありました[1]。
ひとつめは、レコードは はさみで きって つなげない ことです。えいがは、ざんねんな ところを きって つなぐ ことが できません。ふたつめは、しるしを まちがえると、音が ずれる ことです。みっつめは、円ばんを はこんだり かえたりする おかねが かかる ことです。
それに、レコードは つかう たびに すりへります。しまって ある 円ばんの ふだには、「2かいから 39かい つかった」と かいて あるものが のこって います[2]。
1931ねんまでに、おおくの えいが会社は、フィルムに 音を いれる ほうほうに うつって いきました[1]。
ヴァイタフォンの弱点は、資料では三つにまとまっています。レコード盤は物理的に編集できないこと、合図を間違えると音がずれること、円盤の輸送や交換に費用がかかることです[1]。
映画は、撮ったあとにフィルムを切って順番を変えたり、ミスを取りのぞいたりして作ります。音が別のレコード盤に入っていると、その自由がきかなくなります。針を置く位置を間違えたときのずれも、上映中に直しにくいものでした。
円盤は消耗もしました。ACMI(オーストラリア映像センター)が持つ円盤の札には、「再生回数2〜39回」と書かれたものが残っています[2]。約20回で劣化が聞こえ始めるという説もありますが、これはWikipediaに書かれた推定です[1]。
こうして1931年までに、各社は光で音を記録するサウンド・オン・フィルム方式に移りました[1]。では、その光の方式は、もともと何のために作られたのでしょうか。
円盤式の弱点は、物理的に編集できないこと、合図を誤ると始めから音がずれること、円盤の輸送や交換にコストがかかることの3点にまとめられる[1]。映画は撮ったあとにカットをつないで作るので、音だけが別の媒体にある設計とは、そもそも相性が悪かったのである。
消耗の問題もあった。ACMIが所蔵する円盤には、「再生回数2〜39回」と書かれた札が残る[2]。約20回で劣化が聞こえ始めるといわれるが、この数字はWikipedia側の推定で、ACMIの資料が述べているのは札の事実までである。両者を混ぜないほうがよい。
その結果、1931年までに各社は光学式のサウンド・オン・フィルムへ移った[1]。日本語の辞典類も、ヴァイタフォンは1930年代に光学式の別方式に置き換わって急速に廃れた、という見方を示している[9]。
ここで疑問が残る。置き換わった側の方式は、ヴァイタフォンの弱点をどう避けたのか。そして誰が、何のために作ったのか。
5. 音を 光に かえて、フィルムに やきつける
5. 音を光の濃さに変えて、フィルムの脇に焼く
5. ムービートーン ── 可変濃度の光学トラックと、ケースとスポナブルの光電池
ムービートーンは、音を 光の つよさに かえて、フィルムの よこに やきつけます。うつす ときは、その 光を よみとって 音に もどします[5]。
えいがと 音が おなじ フィルムの 上に あるので、ずれにくい ほうほうです[5]。
この ほうほうの もとを 作ったのは、シオドア・ケースという はつめいかと、てつだいの アール・スポナブルです。ふたりは、光に はんのうする でんちと、音で あかるさが かわる あかりを つくりました[6]。1924ねんには、じぶんたちで カメラを かいぞうして、音を とる カメラを つくりました[6]。
音を光の濃さに変える
ムービートーンは、音を光の明るさの変化に変えて、映像のすぐ脇にフィルムへ焼きつけます。上映のときは光電池でその明るさを読み取り、音に戻します。音と映像が同じフィルムの上にあるので、同期がずれにくい方式です[5]。
円盤式では「円盤と映写機を合わせる」作業が必要でしたが、ここでは、フィルムが回れば音も映像もいっしょに進みます。合図マークを探す手間そのものがなくなりました。
発明家と助手が作った
この仕組みの土台を作ったのは、発明家のシオドア・ケースと、助手のアール・スポナブルでした。二人は、光に反応する「タロファイド光電池」と、音で明るさを変えられる光源「Aeo-light」を開発しました。1924年には、自分たちでベル&ハウエル社のカメラを改造し、録音用のカメラを作っています[6]。
ウィリアム・フォックスは1926年7月23日にケースの特許を買い、フォックス・ケース社を設立しました。同社がこの方式をムービートーンとして事業化しました[5]。ヴァイタフォンの披露の、ほぼ2週間前のことです。
ムービートーンは、音を可変濃度の光学トラックとして映像の脇に焼きつけ、上映時に光電池で読み取って音に戻す、サウンド・オン・フィルム方式である[5]。音と映像が同一のフィルム上にあるので、円盤式のように「別の媒体を合わせる」作業が要らず、同期がずれにくい。
この方式に必要な光電池と光源を作ったのは、発明家シオドア・ケースと助手アール・スポナブルである。二人は、光に反応する「タロファイド光電池」と、音で明るさを変えられる光源「Aeo-light」を開発した。1924年には、ベル&ハウエル社のカメラを自分たちで改造し、録音カメラを作っている[6]。
これを事業にしたのがウィリアム・フォックスである。フォックスは1926年7月23日にケースの特許を買い、フォックス・ケース社を設立した。同社がこの方式をムービートーンとして事業化した[5]。ヴァイタフォンの披露(1926年8月上旬)の、わずか2週間ほど前になる。
円盤式がコンサートで始まったなら、フィルム式は何を最初の舞台にしたのか。軽く、同じフィルムに音が入るという特徴は、屋外で生きたはずである。
6. ムービートーンは、そとの 音を とりに いった
6. 軽いカメラで外へ出たムービートーンと、音つきニュース
6. 屋外へ出たムービートーン ── 1927年のリンドバーグ撮影と音つきニュースの定期化
ムービートーンの 音を とる カメラは、かるくて もちはこびが できました。それで そとでの さつえいに むいて いました[7]。
1927ねんの 5がつ 20日、フォックスは、リンドバーグが ひこうきで しゅっぱつする ようすを、音つきで さつえいしました[7]。そして 6がつ 14日には、ワシントンの かんげいしきと、ニューヨークの パレードを 音つきで じょうえいしました[7]。
この 年の 12がつ 4日には、フォックス・ムービートーン・ニュースの さいしょの ていきてきな ほうそうが ありました[7]。
ムービートーンの録音カメラは軽く、持ち運べたので、屋外の撮影に向いていました[7]。コンサートで始まった円盤式に対して、フィルム式は「外で起きていること」を音ごと持ち帰る方向で力を発揮します。
1927年5月20日、フォックスはリンドバーグがルーズベルト飛行場を離陸する場面を、音つきで撮影しました。6月14日には、ワシントンでの歓迎式と、ニューヨークのパレードを音つきで上映しています[7]。撮影から上映までは、25日ほどあいています。
そして1927年12月4日、最初の定期的なフォックス・ムービートーン・ニュースが公開されました[7]。この年には、ムービートーンで音楽と効果音をつけた最初の長編『サンライズ』も出ています。この方式の広まりのなかで、音つき映画の標準が毎秒24コマに定まったともいわれます[5]。
ムービートーンの録音カメラは軽く、持ち運びができ、屋外の撮影に向いていた[7]。円盤式が劇場内の演奏を売り物にしたのに対して、フィルム式は「現場の音」へ向かった、という対照が見える。
フォックスは1927年5月20日にリンドバーグのルーズベルト飛行場での離陸を音つきで撮影し、6月14日には、ワシントンでの歓迎式とニューヨークのパレードを音つきで上映した[7]。撮影と上映の間は25日ほどある。
最初の定期的なフォックス・ムービートーン・ニュースは1927年12月4日である[7]。特許の取得(1926年7月23日)から数えて約16か月で、音つきニュースの定期放映にたどり着いた計算になる。同じ1927年には、ムービートーンで音楽と効果音をつけた最初の長編とされる『サンライズ』が出ている。さらに、この方式が普及するなかで、音つき映画の標準が毎秒24コマに定まったとされる[5]。この24コマの話は、別の記事で詳しく扱っている。
音の記録のしかたが違えば、使われ方も変わる。この二つの方式は、海を渡った日本の映画館ではどう受け止められたのか。
7. 日本には、どっちの 音が きたの?
7. 日本に来たトーキーは、フィルム式が先だったと伝えられる
7. 日本のトーキー ── 武蔵野館の上映と、弁士の仕事
日本の じてんには、フォックスが「ムービートーン」と いう フィルムの ほうほうを つくって、ワーナーの ヴァイタフォンに たいこうした、と のって います[8]。
日本で さいしょに 音の ある えいがが うつされたのは、1929ねんごろ、しんじゅくの えいが館だと つたえられます。それは フォックスの さくひんだった ようです[10]。
日本の辞典では、トーキーは音声が映像と同調して出る映画とされ、フォックスがムービートーンと名づけたフィルム式を作り、ワーナーのヴァイタフォン(バイタフォン)に対抗した、と説明されています[8]。「ヴァイタフォン」と「バイタフォン」のように、カタカナの書き方は資料によって揺れます。
日本の映画館での最初のトーキー上映は、1929年に新宿の武蔵野館で、フォックスの作品などだったと紹介されています。日本でトーキーへ移るには、1929年から1935年ごろまで6年ほどかかりました[10]。
日本の辞典類は、トーキーを、音声が映像と同調して出る映画と定義し、ヴァイタフォン(バイタフォン)に対抗してフォックスが「ムービートーン」と名づけたフィルム式を開発した、と説明する[8]。なお「ヴァイタフォン」と「バイタフォン」のように、表記は資料によって揺れる。
日本の映画館での最初のトーキー上映は、1929年に新宿の武蔵野館で行われたフォックス作品(ムービートーン)などだったと紹介される[10]。
日本ではトーキーへの移行に1929年から1935年ごろまでを要し、その間の1932年には、無声映画に弁士として語りを付けていた人たちが、洋画トーキーによる仕事の減少に抗議して行ったストライキもあった[10]。音の仕組みの変化が、映画館の人の仕事の形まで変えていったことが分かる。
8. 声と くちの うごきを、わざと ずらして みよう
8. 声と口の動きを、わざとずらして「同期」を確かめる
8. 「ずれ」を自分で作る ── 同期の難しさと、読む資料
ふたりで やって みましょう。ひとりは、くちだけ うごかして、「おはよう」と いう まねを します。もうひとりは、すこし おくれて、「おはよう」と こえを だします。
ぴったりだと ふつうの おしゃべりに みえるのに、すこしでも ずれると、へんな かんじが しますね。円ばんの ほうほうは、この「ずれ」と たたかって いました。
こえが おくれると、くちの うごきと あわなく なります。この 「ずれ」を、よく みて、きいて みて ください。
二人組でやってみましょう。ひとりが口だけ動かして「おはよう」と言うまねをします。もうひとりは、少し遅れて声だけを出します。まず、ほぼ同時に。次に、ほんのわずか遅らせます。
同時だと自然な会話に見えるのに、わずかに遅らせるだけで、強い違和感が出ます。ヴァイタフォンの映写技師は、この「ずれ」を、合図マークひとつで防ぐ仕事をしていたことになります。
声が遅れると、口の動きと合わなくなります。この「ずれ」を目と耳で確かめるのが、ねらいです。
もっと知りたいときは、コトバンクの「トーキー」の項[8]が日本語で短く読めます。
二人組で、ひとりが口だけ動かし、もうひとりが少し遅れて声を出してみる。ほぼ同時なら自然な会話に見えるのに、わずかに遅らせると強い違和感が出る。映写技師が合図マークを合わせていた作業は、この感覚を失わないための仕事だったと想像できる[2]。声が遅れると口の動きと合わなくなる、その感覚を目と耳で確かめるのが、この遊びのねらいである。
日本語で読めるコトバンクの「トーキー」の項[8]と、Weblioの「ヴァイタフォン」の項[9]を読み比べると、カタカナの表記の揺れ(ヴァイタフォン/バイタフォン)や、説明の力点の違いが見つかる。
日本初のトーキー上映の月日は、資料によって書き方が分かれる。どの資料がどこまで根拠を示しているかを、自分で見比べてみるとよい。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
出典について:百科事典(Wikipedia・encyclopedia.comなどの二次資料)、映画資料館・博物館のページ、日本語の辞典類を使った。円盤の寸法や回転数などの数字は二次資料による説明である。一つの資料に頼らず、数字や日付は複数を見比べ、揺れる点は本文にそう書いた。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。
- Wikipedia「Vitaphone」。https://en.wikipedia.org/wiki/Vitaphone (円盤方式の仕組み・寸法・弱点・1931年までの移行について。二次資料)
- ACMI「Vitaphone discs」。https://www.acmi.net.au/works/100617--vitaphone-discs/ (合図マークと、円盤の札の「再生回数」について)
- Wikipedia「Don Juan (1926 film)」。https://en.wikipedia.org/wiki/Don_Juan_(1926_film) (1926年8月の上映と同時上映の短編について。公開日は5日と6日で資料が揺れる)
- Wikipedia「The Jazz Singer」。https://en.wikipedia.org/wiki/The_Jazz_Singer (1927年の公開、円盤15枚、同期セリフの長さ、上映館数について)
- Wikipedia「Movietone sound system」。https://en.wikipedia.org/wiki/Movietone_sound_system (光学トラックの仕組み、フォックスの特許買収、24コマについて)
- Cayuga Museum「Case Research Lab」。https://cayugamuseum.org/case-lab-history/ (ケースとスポナブルの発明について)
- encyclopedia.com「Fox-Case, Movietone, and the Talking Newsreel」。https://www.encyclopedia.com/arts/culture-magazines/fox-case-movietone-and-talking-newsreel (1927年のリンドバーグ撮影と音つきニュースについて)
- コトバンク「トーキー」。https://kotobank.jp/word/トーキー-1195579 (日本語の辞典での説明について)
- Weblio「ヴァイタフォン」。https://www.weblio.jp/content/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3 (ヴァイタフォンが廃れた経緯の日本語の説明について)
- Il Cinema Ritrovato「Japan Speaks Out」。https://ilcinemaritrovato.it/en/sezioni/the-space-machine/japan-speaks-out-the-first-talkies-from-the-land-of-the-rising-sun/ (日本のトーキーへの移行と1932年の弁士のストライキについて)
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