1. プラスチックの けんきゅうが、どうして 電池に なったの?
1. 電気を通すプラスチックから、なぜ電池の話になったのか
1. 電池と無関係だった導電性高分子が、二次電池の研究に結びついた経緯
よしの さんが はじめた のは、電気を とおす ふしぎな プラスチック「ポリアセチレン」の けんきゅうでした。ふつうの プラスチックは 電気を とおしません。だから、とおす ものは めずらしい ざいりょうでした。
1981年に、ポリアセチレンを つかい道を さがす けんきゅうを して いました。ところが、これを 太陽電池に つかうのは むずかしいと わかりました。そこで 目を つけた のが、くりかえし じゅうでんして つかえる 電池です。
このとき、電池の 会社では 大きな なやみが ありました。マイナスがわに 金ぞくの リチウムを つかう 電池が、うまく 売りだせない まま だったのです。あたらしい ざいりょうが ほしい、と 思われて いました。
けっきょく、ポリアセチレンの 電池は うまく いきませんでした。かわりに、おなじ 会社で つくって いた 炭素の ざいりょうを つかうと、1985年に リチウムイオン電池の もとが できました。どうして ポリアセチレンでは だめだったのでしょう。
吉野さんの研究は、電池を作るためのものではありませんでした。出発点は、電気を通すプラスチック(導電性高分子)のひとつ、ポリアセチレンです。旭化成の公式ページによると、1981年にポリアセチレンの応用を探る中で、太陽電池に使うのは難しいと分かり、くり返し充電して使える二次電池の研究に進んだと説明されています[4]。
そのころ、電池の世界には大きな悩みがありました。新しい二次電池として、マイナス側に金属のリチウムを使う方式が考えられていましたが、商品にするのは失敗続きでした。業界は、金属リチウムに替わる新しい材料を探していたのです[2]。
ここで、この記事の答えを先に書いておきます。ポリアセチレンを使った試作電池は要求を満たせませんでした。そのあと、同じ旭化成の別の研究所にあった炭素の材料に替えることで、1985年にリチウムイオン電池の基本の形ができました[2][4]。では、ポリアセチレンの電池はどこが足りなかったのでしょうか。
吉野の研究は、電池の開発として始まったものではない。JSTの記事は、出発点を電池とは無関係の導電性高分子ポリアセチレンだったと伝える[2]。旭化成の公式ページでは、1981年、ポリアセチレンの応用を探る中で、太陽電池への応用が難しかったため、二次電池の研究に進んだとされる[4]。
二次電池に目が向いた背景には、業界の事情があった。当時の新型二次電池は、負極に金属リチウムを使う方式が商品化に失敗を重ねており、新しい負極材料が求められていた[2]。ポリアセチレンは、その候補として電池の負極に試されることになる。
結論を先に書くと、1983年のポリアセチレン電池は要求を満たさず、1985年に負極を炭素材料へ替えたときに、リチウムイオン電池の基本構造が完成した[2][4]。では、ポリアセチレンの電池は何が足りなかったのか。
2. ポリアセチレンの 電池は、なにが ざんねんだったの?
2. 軽さの目標は達成したのに、なぜ失敗だったのか
2. ポリアセチレン電池は軽さを達成しながら、なぜ体積で目標に届かなかったのか
よしの さんは 1983年に、プラスの ほうに コバルトの リチウムの ざいりょう、マイナスの ほうに ポリアセチレンを つかった 電池を ためしに つくりました。ねらいは、これまでの 電池の 3ぶんの 1の 大きさと 重さです。
はかって みると、重さは ニカド電池の、およそ 3ぶんの 1に なりました。ところが、場所を とる 大きさは、ニカド電池と ほとんど かわらなかったのです。
げんいんは、ポリアセチレンの 中身の つまり方でした。しんの 密度が 小さいのです。たとえば、発ぽうスチロールの かたまりは かるいけれど、大きいですね。それに にています。かるくても、場所を へらせる とは かぎらないのです。
ここで、行きどまりに なりました。ただ、このあと 出てくる 答えは、とても ちかい ところに ありました。
1983年、吉野さんはプラス側にコバルト酸リチウム、マイナス側にポリアセチレンを使った電池を試作しました。目標は、体積も重さも、それまでの二次電池の3分の1にすることでした[2]。
重さの目標は達成しましたが、体積の目標には届きませんでした。重さは、ニカド電池の約3分の1にできました。ところが、体積はニカド電池とほとんど変わりませんでした。原因は、ポリアセチレンの真密度(物質そのものの密度)が小さいことです[2]。発泡スチロールの塊が軽いのに大きいのと同じで、軽いことと小さくなることは別なのです。
携帯電話やノートパソコンのように、持ち歩く機器では、軽さだけでなく小ささも必要です。体積が減らなければ、要求を満たしたことにはなりません。
ここで、吉野さんは行き詰まりました。ポリアセチレンにこだわるか、別の材料を探すか。助けは、意外なところにありました。
1983年、吉野は正極にコバルト酸リチウム、負極にポリアセチレンを用いた電池を試作した。目標は、体積・重さとも既存の二次電池の3分の1だった[2]。
ところが、結果は目標の半分にとどまった。重量はニカド電池の約3分の1に抑えられたが、体積はニカド電池とほとんど変わらなかった。原因は、ポリアセチレンの真密度が小さいことである[2]。ここで注意したいのは、「軽いから失敗した」のではなく、「物質そのものの密度が小さいので、同じ電気をためるのに場所を多く使う」点である。軽さと小ささは、別の性質として分けて考える必要がある。
この性質は、携帯機器に使う電池では問題になる。持ち運ぶ機器では、重さに加えて、場所を取らないことが求められるからである。だから、ポリアセチレン電池は目標を満たせなかった。では、その代わりになる材料はどこから来たのか。
3. 答えは、おなじ 会社の べつの へやに あったの?
3. 助けは、同じ会社の別の研究所にあった
3. 負極の解決は、同じ旭化成の繊維研究所で開発されていた炭素繊維にあった
かぎに なったのは、おなじ あさひかせいの せんい けんきゅうじょで つくって いた「VGCF」という、細い 炭素の せんいでした。この 炭素は、とくべつな 結晶の かたちを して いて、電池の マイナスがわに むいて いる ことが わかったのです。
よしの さんは、ポリアセチレンから 炭素の ざいりょうに かえました。こうして 1985年に、プラスに コバルトの リチウムの ざいりょう、マイナスに 炭素を つかう、リチウムイオン電池の もとが できあがりました。
そのころ、手づくりの 電池の 上に てつの 玉を おとす 安全の しけんも しました。金ぞくの リチウム電池は 火が でましたが、リチウムイオン電池は もんだい なく とおりました。よしの さんは、この しけんの しゅんかんに 電池が 生まれたと 考えた、と 話して います。
VGCFは ねだんが 高いので、のちには やすい 炭素の ざいりょうに 1〜2% ほど まぜて つかうそうです。
転機は、同じ旭化成の繊維研究所にありました。そこで開発されていた炭素繊維のVGCF(気相成長炭素繊維)が、特殊な結晶構造をもち、負極に向いていることが分かったのです[2]。電池の研究室の外に、答えが置いてあったことになります。
こうして1985年、プラス側にコバルト酸リチウム、マイナス側に炭素材料を使う、リチウムイオン電池の基本構造ができました。旭化成は、これを世界で初めての基本構造の完成と説明しています[4]。NEDOの理事長談話は、特定の結晶構造をもつ炭素材料を見つけたことが実用化につながったと述べています[5]。
同じ年、手作りの電池の上から鉄の玉を落とす安全性の試験もしました。金属リチウムの電池は発火し、リチウムイオン電池は問題なく通過したと伝えられます。吉野さんは、安全性試験の瞬間にリチウムイオン電池が誕生したと考えた、と語っています[6]。炭素のおかげで、軽さだけでなく、安全にも見通しが立ったのです。
VGCFは高価なので、のちの電池では、安価な炭素材料に1〜2%混ぜる形で使われます[2]。では、この電池は吉野さんひとりの仕事だったのでしょうか。
解決の糸口は、同じ旭化成の繊維研究所で開発されていた炭素繊維VGCF(気相成長炭素繊維)にあった。VGCFは特殊な結晶構造をもち、負極に適していることが分かった[2]。電池を作る側から見れば、探していた材料が社内の別部署にあったことになる。
1985年、吉野は正極にコバルト酸リチウム、負極に炭素材料を組み合わせて、リチウムイオン電池の基本構造を完成させた。旭化成はこれを世界で初めての完成と説明している[4]。NEDOの理事長談話も、特定の結晶構造をもつ炭素材料を見いだしたことが実用化につながったと評価する[5]。負極材料の置き換えが、体積の問題を越える道を開いたといえる。
安全性も同時に確かめられた。手作りの電池の上から鉄の玉を落とす試験で、金属リチウム電池は発火し、リチウムイオン電池は問題なく通過した。吉野は、安全性試験の瞬間にリチウムイオン電池が誕生したと考えた、と語る[6]。この試験の細部は別の記事に譲る。
なお、VGCFは高価なため、安価な炭素材料に1〜2%混ぜて使う[2]。ところで、この電池は吉野ひとりの仕事なのか。受賞者が3人いる理由を見る。
4. ノーベルしょうは、どうして 3人 なの?
4. 受賞が3人なのは、電池が研究のリレーだったから
4. 3人の受賞者は、リチウムイオン電池のどの部分を担ったのか
2019年10月9日、ノーベル化学しょうは、リチウムイオン電池の 開発で、3人に おくられる ことが 発表されました。よしの さん、アメリカの グッドイナフさん、おなじく アメリカの ウィッティンガムさんです。
電池は リレーの ように、3人が つなぎました。ウィッティンガムさんは、1975年に、リチウムなどが ざいりょうの 中を 出入りする ことを、電池に つかう 考えを 出しました。グッドイナフさんは、プラスがわに つかう コバルトの リチウムの ざいりょうを 見つけました。年は 1980年ごろです。そして、よしの さんが 炭素の マイナスがわと あわせ、1985年に もとの 形を つくりました。
でも、そこから 電池が 店に ならぶまで、すこし かかります。1991年に ソニーが せかいで はじめて 商品に しました。1992年からは、あさひかせいと とうしばが 会社を つくる ことに なり、よしの さんも かかわりました。ソニーの 人たちの 力も 大きかったと されています。
1995年ごろから、売れる 数が ぐんと ふえました。パソコンや 携帯電話が 広がった ころです。
2019年10月9日、ノーベル化学賞がリチウムイオン電池の開発に対して発表され、吉野彰さん、アメリカのジョン・グッドイナフさん、スタンリー・ウィッティンガムさんの3人が受賞しました。吉野さんは、1948年生まれ。受賞時は旭化成の名誉フェローで、名城大学教授でした[1]。
3人が開発にどう貢献したかを、順に見てみます。ウィッティンガムさんは、1975年に電気化学的インターカレーション(リチウムなどを物質の中に出し入れする反応)を提案しました。グッドイナフさんは、プラス側に使うコバルト酸リチウムを見つけました。この年は、NEDOが1979年、JSTが1980年と書き、資料によって食いちがうので、「1980年前後」とだけ言えます。そして吉野さんは、炭素をマイナス側に使う組み合わせで、1985年に原型を完成させました[5][2]。
この電池は、すぐに世の中に出たわけではありません。1991年にソニーが世界で初めて商品化し、1992年以降、旭化成と東芝の合弁会社が作られました。吉野さんは設立にかかわりましたが、商品化にはソニーの西美緒さんらも大きく貢献しています[4]。
販売が急に伸びたのは、1995年ごろです。吉野さんは、パソコンや携帯電話に必要な小型で安全な電池を、この電池が支えたと語ります[7]。
では、受賞は吉野ひとりのものだったのか。実際には、2019年10月9日にノーベル化学賞がリチウムイオン電池の開発に対して発表され、吉野彰、ジョン・グッドイナフ(米テキサス大学オースティン校)、スタンリー・ウィッティンガム(米ニューヨーク州立大学ビンガムトン校)の3人が受賞した。吉野は1948年生まれで、受賞時は旭化成名誉フェロー・名城大学教授だった[1]。
3人が開発にどう貢献したかを整理する。ウィッティンガムは電気化学的インターカレーションの考えを1975年に提案した。グッドイナフは正極材料コバルト酸リチウムを見つけた。この年は、NEDOが1979年、JSTが1980年と書いており、資料間で食いちがうため、ここでは「1980年前後」と書く。吉野は炭素の負極と組み合わせ、1985年に原型を築いた[5][2]。なお、コバルト酸リチウムは吉野が見つけた材料ではない点に注意したい。
原型から製品までには6年かかった。ソニーが1991年に世界で初めて商品化し、1992年以降、旭化成と東芝の合弁会社が設立された。吉野は設立にかかわったが、商品化にはソニーの西美緒らも大きく貢献した[4]。
販売は1995年ごろ(Windows95の年)から急増した。吉野は、ノートパソコンや携帯電話に必要な小型で安全な電池を、この電池が支えたと語る[7]。NEDOも、携帯電話・スマートフォン・電気自動車などに使われ、モバイル機器の進化や次世代自動車の普及を支えていると述べる[5]。
5. 小さい ころの よしの さんは、なにを 読んで いたの?
5. 小学生の吉野さんが読んだ本と、これから
5. 化学への入口になった一冊と、吉野が語る次の変革
よしの さんは、おおさかふの すいたしで 生まれました。小学生の ころ、先生に すすめられて 読んだ 『ロウソクの科学』が おもしろくて、化学に きょうみを もったと 話しています。
よしの さんは、これからは 環境と エネルギーの 時代だと 考えて います。2038年の ノーベル化学しょうは 環境の もんだいを とく 研究に おくられるだろう、と 自分で 予想して います。これは よしの さんの 予想で、決まった ことでは ありません。
きょう できる こと
おうちの 人と いっしょに、スマホや パソコンの うらや 電池の ところに ある 文字を さがして みましょう。「リチウムイオン」と 書いて ある ものが 見つかるかも しれません。いくつ あったか、数えて みます。電池は、ばらばらに したり、つぶしたり、あたためたり しては いけません。
図書館で
図書館で『ロウソクの科学』を さがして みるのも いいですね。よしの さんが 読んだ 本を、のぞいて みましょう。
吉野さんは大阪府吹田市の出身で、京都大学で学び、1972年に旭化成へ入社しました[9]。化学への入口は、小学生のころです。担任の先生にすすめられて読んだファラデーの『ロウソクの科学』が面白かった、とインタビューで語っています[3]。KADOKAWAも、小学校の先生のすすめで読んだ『ロウソクの科学』を、興味の原点として挙げたと伝えています[8]。
吉野さんは、受賞の理由のひとつを、環境・エネルギー問題を解く将来性だと説明しています。IT革命の次は、エネルギーと環境のET革命だと言い、2038年のノーベル化学賞は環境問題の解決への貢献に贈られるだろうと予想しました[6]。これは吉野さん個人の予想で、決まったことではありません。
家の中で探す
スマホやノートパソコンの電池ラベルや説明書に、「リチウムイオン」と書かれていないか探してみましょう。「リチウムイオン」と書かれた機器が何台あるか、数えてみましょう。電池は分解したり、つぶしたり、温めたりしてはいけません。見るだけにとどめます。
本を手に取る
図書館で、『ロウソクの科学』を探してみてください。吉野さんが小学生のころ読んだ本から、化学がどんなふうに始まったのか、のぞくことができます。
吉野は大阪府吹田市の出身で、京都大学で学び、1972年に旭化成へ入社した。大阪府は、その業績を「負極に炭素材料を使用する二次電池を世界で初めて考案した」ものとして紹介している[9]。化学への入口は小学生のころで、東洋経済のインタビューでは、小学3〜4年生のころ担任に薦められたファラデーの『ロウソクの科学』を面白いと感じたと語る[3]。KADOKAWAも、小学校の先生の薦めで読んだこの本を、興味の原点として挙げたと伝える(学年の記述はない)[8]。
吉野は受賞理由のひとつを、環境・エネルギー問題の解決への将来性だと説明し、IT革命の次はET(エネルギーと環境)革命だと述べた。その延長として、2038年のノーベル化学賞は環境問題解決への貢献が対象になるだろうと予想している[6]。これはあくまで本人の予想である。
家で確かめる
スマートフォンやノートパソコンの電池ラベル・説明書に「リチウムイオン」の表記がないかを探し、「リチウムイオン」と書かれた機器が何台あるかを数える。電池は分解・圧迫・加熱をしてはいけない。見るだけにとどめる。
資料を読むなら
3人の担当と年は、JSTとNEDOの談話を比べると、食いちがう点も含めて確かめられる[2][5]。吉野本人の言葉は、現代ビジネスの講演録とインタビューにある[6][7]。小学生のころの読書は、東洋経済のインタビューで読める[3]。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文で使った資料です。
- JST サイエンスポータル 速報(2019年ノーベル化学賞). https://scienceportal.jst.go.jp/newsflash/20191009_01/ (受賞者と発表日)
- JST サイエンスポータル 吉野彰さんの特集記事. https://scienceportal.jst.go.jp/stories/20191101_01/ (ポリアセチレン電池の試作、炭素繊維)
- 東洋経済オンライン 吉野彰さんインタビュー. https://toyokeizai.net/articles/-/569774 (『ロウソクの科学』)
- 旭化成 吉野彰スペシャルサイト. https://www.asahi-kasei.com/jp/asahikasei-brands/yoshino (研究の経緯、1985年、商品化)
- NEDO 理事長談話. https://www.nedo.go.jp/news/press/AA5_101213.html (3人の役わり、使われている機器)
- 現代ビジネス 吉野彰さんの講演. https://gendai.media/articles/-/68880 (安全性試験、ET革命、2038年の予想)
- 現代ビジネス 吉野彰さんインタビュー. https://gendai.media/articles/-/67716 (1995年ごろからの普及)
- KADOKAWA トピックス. https://www.kadokawa.co.jp/topics/3751/ (『ロウソクの科学』)
- 大阪府 感動大阪大賞ページ. https://www.pref.osaka.lg.jp/o110020/energy/kandou/index.html (出身地と業績の紹介)
なおした ところ
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