1. なくなったのは なに?
1. 電池の中で減っていくもの
1. 電池は電気の入れ物ではない ── 電位差と物質
でんちの 中には、ちがう 2しゅるいの ものが 入って います。ひとつは 亜鉛と いう 金ぞくです。もうひとつは 二酸化マンガンと いう 黒い こなです[5]。
この ふたつは、電子と いう 小さな つぶを、出したい ものと もらいたい ものです。電子が 出す ほうから もらう ほうへ 動く とき、電気の 流れに なります[1]。
使って いるうちに、なかみの ものが すこしずつ べつの ものに かわります。「でんきが へる」のでは なく、「もとに なる ものが かわる」のです。
乾電池の中には、電子を出したがる物質と、電子をもらいたがる物質が入っています。電子を出す側を負極、もらう側を正極といいます。この2つのあいだに電位の差があるので、電池としての起電力が生まれます[1]。
身近なマンガン乾電池では、負極が亜鉛、正極が二酸化マンガンです[5]。電池を使うと、これらの物質が少しずつ別のものに変わっていきます。電池切れは、電気が空になったというより、反応のもとになる物質を使い切った状態だと考えられます。
この電池は、どうやって作られるようになったのでしょうか。はじまりは、1本の電池ではなく、カエルの足でした。
化学電池は、電子を出す物質(負極活物質・還元剤)と、電子をもらう物質(正極活物質・酸化剤)の電位の差によって起電力を生む。電池の内部では電解質を通じてイオンが移動し、外部の回路では電子が流れる[1]。エネルギーは物質のかたちで蓄えられており、電気を蓄えた容器とは異なる。
マンガン乾電池では、正極が二酸化マンガン、負極が亜鉛である[5]。放電が進むと活物質が別の物質に変わっていくため、電池切れは、反応のもとになる物質が使われた状態と理解できる。ただし、実際の電池の内部では電圧の低下など複数の要因が重なる。ここでは概略にとどめる。
この装置がどのように生まれたのか。出発点は、電池ではなく、カエルの足の実験である。
2. カエルの あしは なぜ 動いたの?
2. カエルの足が動いた ── ガルヴァーニとボルタの見方のちがい
2. 「動物電気」論争 ── ガルヴァーニとボルタ(1790年代〜1800年)
むかし、ガルヴァーニと いう 人が、金ぞくに ふれた カエルの あしが ぴくっと 動く ことに 気づきました。1790年代の ことです[4]。ガルヴァーニは、カエルの 体の 中の 電気の せいだと 考えました。
ボルタと いう 人は、ちがう 見かたを しました。ちがう 金ぞくと えきの くみあわせが 電気を 生むのでは ないか、と 考えたのです。それを たしかめる うちに、1800年ごろ、「電堆」を 作って 発表しました[3]。
電堆は、銅と 亜鉛の 丸い 板を、しおみずを しみこませた 布や 厚紙で はさんで、なんども 重ねた ものです。重ねる 数で、電気の 強さを かえられました。
1790年代、ガルヴァーニは、金属にふれたカエルの足が動く現象を見て、動物の体の中にある「動物電気」のためだと考えました[4]。ガルヴァーニの年は、資料によって1791年、1792年などと少しずれます。ここでは1790年代と書きます。
これに対して、ボルタは、異なる金属と液体の組み合わせが電気を生むと考えました。この考えを確かめる中で、電池を作ったといわれます[3]。1800年ごろに発表されたのが「ボルタの電堆」です。銅(または銀)と亜鉛の円盤を、塩水にひたした布や厚紙ではさみ、何層にも重ねました。重ねる数で、電圧を調整できました[3]。
ガルヴァーニは1790年代(1791年または1792年とする資料もある)、金属に接したカエルの足が動く現象を「動物電気」によるものと考えた。ボルタは、異なる金属と液体の組み合わせが電気を生むと考え、それを確かめる過程で電堆を作った[4]。ソニーの電池の歴史の解説は、1791年をガルヴァーニの実験、1800年をボルタが2種の金属を液体にひたした電池を発明した年としている[4]。
初期の電堆は、銅(または銀)と亜鉛の円盤のペアを、塩水にひたした布や厚紙で挟んで層状に重ねたもので、重ねる数によって電圧を調整できた[3]。1794年に作ったとする説もあり、ここでは「1800年ごろに発表」と書く。
この論争では、両者が電気の別の面に注目していたと読める。金属と液体を組み合わせれば電気が取り出せる、という装置の形が、ここで示された。
3. でんちの 中と 外で、なにが 流れて いるの?
3. 電池の中と外で、流れるものがちがう
3. ボルタ電池の構造 ── イオンの移動と電子の移動
ボルタの 電池は、銅の 板と 亜鉛の 板を、うすい えきに つけた ものです[2]。亜鉛は、少しずつ えきに とけて いきます。
でんちを 山の 坂道に たとえて みましょう。電子は ボールです。亜鉛は 坂の 上、もらう ほうは 坂の 下に いて、ボールは 上から 下へ 転がろうと します。電池の 外に つないだ 線の 中を、電子が 転がって いくのです。
ただし 本当は、電子は ボールの ように 見えません。また、坂道の たとえでは 電池の 中の ことは 分かりません。電池の 中では、電子では なく「イオン」と いう ものが 動いて、外の 電子の 流れと つながります[1]。
4. 長もちする でんちは、どう 生まれたの?
4. ルクランシェの電池とマンガン乾電池
4. ルクランシェ電池からマンガン乾電池へ(1860年代〜)
1860年代に、ルクランシェと いう 人が、あたらしい でんちを 作りました。ここで つかわれたのは、塩化アンモニウムと いう 白い こなを とかした みずです[1]。この でんちが、いまの マンガン乾電池の もとに なりました。
いまの マンガン乾電池は、外がわの 亜鉛の 入れ物が、電子を 出す ほうを かねて います。しばらく 休ませると、電気の 強さが もどる せいしつが あります[5]。
ねだんは、アルカリ乾電池の 半分ぐらいが 目安です。リモコンや 時計のように、少しずつ 電気を 使う ものに むいて います[5]。
5. 日本の 人は、なぜ 乾電池を 作ったの?
5. 時計を動かしたかった屋井先蔵
5. 屋井先蔵と乾電池 ── 液もれ・凍結という課題(1885〜1888年ごろ)
むかしの でんちは、えきが たっぷり 入った「湿電池」でした。えきが もれたり、冬に こおったり する ふべんが ありました。
日本の 屋井先蔵は、1885年に、湿電池で 動く 時計を 作った と つたえられて います。時計を 動かし つづけたい のに、電池が こまる。そこで、乾電池を 作り、1880年代の おわりごろに できあがった と いわれて います[7]。
ただし、お金が たりず、すぐには 特許を 出せませんでした。ドイツの 人が 1887年か 1888年に 特許を とりました。年は しりょうに よって ちがいます[7][1]。
それまでの電池は、液がたっぷり入った「湿電池」でした。液もれや、冬に凍ってしまうことが問題でした[7]。
日本の屋井先蔵は、1885年に、湿電池で動く「連続電気時計」を作ったと伝えられています。この電池の不便さを解決するため、乾電池を作り、1880年代後半に完成させたとされます(1887年とする記述があり、ソニーの解説は開発を明治18年ごろとしていて、資料で差があります)[7][4]。時計を動かし続けたいという思いが、乾電池づくりにつながったと読めます。
しかし、資金が足りず、特許をすぐには出願できませんでした。海外ではドイツ人が特許を取ったとされます(年は1887年とする資料と1888年とする資料があります)[7][1]。乾電池が屋井の名で国際的に発明者と認められたわけではありません。それでも、日本で乾電池を作り上げた一人として知られています。
屋井先蔵は1885年に湿電池で動く「連続電気時計」を作った、と電池工業会の記述を引く記事は伝える。湿電池には液もれや冬の凍結という問題があり、これを解決するため乾電池を作り、1880年代後半(1887年とする記述がある。ソニーの解説は開発を明治18年ごろとしており、資料で差がある)に完成させたとされる[7][4]。細かな工夫(電解液の配合や炭素棒の処理など)は資料により食いちがいがあり、ここでは採らない。
資金難のため特許を出願できず、海外ではドイツ人(カール・ガスナー)が特許を取得した(年は資料により1887年・1888年と異なる)[7][1]。屋井の名で国際的に発明者と認められたわけではなく、「世界初」と言い切る書き方は資料で割れている。
自分で作った装置を動かし続けるために、電池そのものを作りかえた、という経緯は、技術の改良が具体的な不便から生まれる例として読める。
6. アルカリ乾電池は どこが ちがうの?
6. アルカリ乾電池は何がちがうのか
6. アルカリ乾電池 ── 電解液と亜鉛の構造(1959〜1964年)
アルカリ乾電池は、1959年に アメリカで 作られました。日本では 1964年に 売り はじめました[6]。
マンガン乾電池と いっしょなのは、二酸化マンガンと 亜鉛を 使う ところです。ちがうのは、中の えきです。アルカリ乾電池は、水酸化カリウムと いう アルカリせいの えきを 使います。だから「アルカリ」と よばれます[6]。
亜鉛は こなの かたちで、表面が 広くなって いる ので、大きな 電気を 長く 出せる と いわれます[6]。
7. じぶんでも しらべて みたく なったら
7. 自分でも調べてみたくなったら
7. 自分でも調べてみたくなったら
おうちに ある 電池を、見て みましょう。「マンガン」と 書いて あるか、「アルカリ」と 書いて あるかを、しらべます。ぶんかいは しません。
つぎに、リモコンや 時計など、その 電池が 入って いた きかいを 見て、どちらが よく つかわれて いるかを 見くらべて みましょう。
家にある電池のラベルを見て、マンガンかアルカリかを調べてみましょう。次に、リモコンや時計、おもちゃのように、その電池が入っていた機器を並べて、どちらが多いかを数えてみます。「小さな電流の機器にはマンガン」という説明が、自分の家でも当てはまるかを確かめられます。電池を分解するのは、液が出て危ないので、やめておきましょう。
資料にあたるなら、電池メーカーや電池工業会のサイトにも仕組みや歴史の解説があります。年号が資料によって少しずれることも、比べてみるとよく分かります。
問い。手元の電池の種類(マンガン/アルカリ)と、それが入っていた機器の種類(リモコン・時計・おもちゃなど)に、傾向はあるか。ラベルの表記を調べ、機器ごとに分類して確かめられる。電池は分解しない(内部の液が危険なため)。
原典にあたるなら、電池工業会や各電池メーカー(パナソニック、ソニーなど)の歴史・仕組みのページが入口になる。年号(ルクランシェ、ガルヴァーニ、ガスナーの特許)が資料で数年ずれる箇所を比べると、二次資料の読み方の練習になる。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
出典について:電池の仕組みと歴史の解説(Wikipedia、コトバンク、ソニー、新聞社サイトが電池工業会の記述を引く記事)を使った。事実は複数の資料を照らし合わせ、年号が資料で異なるものは幅で書いた。原典の電池工業会・メーカーのページは、この時点では本文を確認できていない。
- Wikipedia「電池」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/電池 (電池の基本的な仕組み、ルクランシェ、ガスナーの特許について)
- コトバンク「ボルタ電池」。 https://kotobank.jp/word/ボルタ電池-3170407 (ボルタ電池の構造と、亜鉛が溶け続ける弱点について)
- Wikipedia「ボルタ電堆」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/ボルタ電堆 (電堆の構造とボルタの考えについて)
- ソニー「電池の歴史」。 https://www.sony.jp/battery/knowledge/situation.html (ガルヴァーニとボルタの年、ルクランシェの年について)
- Wikipedia「マンガン乾電池」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/マンガン乾電池 (マンガン乾電池の材料と性質、用途について)
- Wikipedia「アルカリマンガン乾電池」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/アルカリ乾電池 (アルカリ乾電池の材料と、開発・発売年について)
- デイリースポーツ「屋井先蔵」を扱った記事(電池工業会の記述を引く)。 https://www.daily.co.jp/gossip/subculture/2021/05/30/0014371617.shtml (屋井先蔵の連続電気時計、乾電池の完成、特許の話について)
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